side雪菜④
「来て!召喚!!」
迷宮の床に巨大な魔法陣が浮かび、雪菜の魔力を根こそぎ奪い取っていく。
するとドロリと黒い靄が魔法陣から溢れ出て、魔法陣を覆い隠すように、まるで地獄へと繋がる穴ができた様だった。その異様な光景に狼達も怯えたように後退る。
「クフフフフフッ。」
魔法陣から愉快そうで愉しそうな声が聞こえてくる。
そして魔法陣の縁に黒い手が掛かり、這い出るようにして黒い身体を持った犬のように鼻の出た生物が出て来た。
「召喚主様。来た。」
「で、悪魔っ!?」
美紅ちゃんの驚いた声が聞こえるが、それを気にする余裕は今の私には無い。
上位悪魔であるので話せはするが、知能がそれ程発達していないため、単純な命令しか聞かせられないのだ。
「私の5メートル範囲にいる敵を殲滅して!」
魔力が枯渇しかけたせいで、意識を保つのに精一杯の私はその単純な命令だけを言う。
「クフフ。分かった。」
愉快そうに笑うと同時に、一番近くにいた狼に飛び掛かった。
無雑作にその剛腕を振るい、地面に叩きつけた。
グシャッボキボキ、という骨が折れる音は何故か鳴らなかった。
水の様に地面に広がり、地面に染み込むようにして無くなった。
「?」
犬顔の悪魔は潰した感覚がないことに、少し不思議そうに首を傾げたが直ぐに、どうでも良いとばかりに近くの狼を、獲物を狙う肉食獣の様に目を輝かせて襲い掛かる。
色とりどりのゴブリンは悪魔の近くには行かず、一定の距離を開けて付かず離れずの絶妙な距離を保っている。
「クヒィァファファッ!!」
奇怪な声を上げてまたも剛腕を奮う。
次に狙い、叩き潰した狼は霧のように散った。
「実体が無い‥‥‥?」
美紅ちゃんがその光景に疑問の声を漏らした。
狼の死体が残らないことは、今推測をしても仕方が無いことだし、囲まれている現状を考えるとすぐに移動して群れから抜けるべきだ。
生き残って、正常な判断能力を残している人に呼び掛ける。
「ここを移動するわ!早く動いて!」
これで動かなければ、自己責任である。
高笑いしながら狼を殲滅する悪魔の後に付いていきながら、背後から襲って来る狼達に対処する。
やはりゴブリンは物を投げてくるくらいで、近づいて来ない。
「くそったれがっ!」
男子の一人が盛大に悪態をつく。
それに反応する者はいない。反応する気力が既に残っておらず、後ろから絶えず襲って来る狼達の対処に追われていたからだ。
「何だよ!何なんだよ!畜生!」
彼は再び悪態をついて剣で狼の攻撃をギリギリ受け止めていた。
それも倉永さんの魔獣達やパーティーメンバーの援護を受けてやっとの事だった。
私は彼の発言をこの状況の恐怖から自然と出たもので深い意味など無いと考えていた。
彼、高山 奏多の胸中には恐怖や怒り、不安などの感情が入り混じっていた。
その中でも一際大きい感情が一つあった。
"劣等感"
彼は日本にいたときから平凡だった。
勉強でもスポーツでも平均を大きく上回ることも下回ることも無く、朝起きて学校に行き、授業を受けて終わるとクラブで練習する。
そして、柊達のような女子に毎月一回は告白されるリア充を見て、彼の中に複雑な感情が渦巻いていた。
それは単純に嫉妬であり、それ以上にドス黒い感情と欲望であった。
しかし、日本でその感情を爆発させる事は不可能‥‥‥いや、爆発させた後の人生は相当に悲惨な事になると分かっていたから必死に抑え込んでいた。
そんな平凡な人生で初めての非日常に彼は興奮した。
異世界という日本とは違う場所に、初めて見た魔法、魔獣を殺す事に対する快感。
そして魔力も白には届かなかったが、柊達の一つ下の紫色だった。
その経験が日本で培われた価値観を少しづつ塗り替えて、歪めていった。
そして、その歪んだ価値観をダンジョンと言う閉鎖された空間で解放しようと企んでいたが、恐ろしい魔獣とトラップに鬱憤が溜まっていた。
今も忌々しい元クラスメイトの義姉の呼び出した悪魔の恐ろしい戦闘能力に守られているという情けない状況だ。
"俺は強い"
そんな根拠の無い自信が儚く崩れ去っていた。
「くそったれがっ!」
彼は狼が襲って来ているのも忘れて足元の石を蹴る。
彼を守った男子が彼に非難する視線を向けるが、彼は怒りでそれに気付かない。
そして油断していた彼に地面スレスレを移動して来た狼に襲い掛かられた。
慌てて避けようとするが、狼のほうが速く、首に牙が掠った。
血が吹き出て力が抜けて倒れそうになるが、すぐに誰かから回復魔法が飛んできて彼の傷を癒やしていく。
その事実にさらに彼の苛立ちと恐怖は増していく。
「何だよ!何なんだよ!畜生!」
彼は異世界で地球での柵を忘れて、好き勝手に出来ると無条件に信じていた。
しかし実際は迷宮のモンスターに簡単にやられ、しかもそれを自分より上級生とは言え、女に 正確には女が召喚した悪魔に 護られている。
より一層、彼を鬱にする。
『俺は主人公だ!必ずこの窮地を脱出できる筈だ!』
自分にそう言い聞かせて、気持ちを奮い立たせる。
しかし彼の顔は血色が良くなくて青褪めており、傍から見れば彼の精神状態がおかしいことに気付いただろう。
しかし周りは自分の事で精一杯で、他人に気を遣う余裕がある人はほとんどいなかった。
『俺の体力が全快になれば!こんな奴等一瞬で殺せるんだ。こいつ等には俺が回復するまで俺に仕える義務があるんだ!
俺は全員守るんだからな!』
彼は口に出さずに叫ぶ。
そして彼の言う仕えるとは、性的な奉仕も含まれていると言う事がアリアリと分かる欲望に塗れた目を最後尾から向ける。
彼の視線の先には調教師の倉永 花凛がいる。
彼は昔からAV女優顔負けのスタイルを誇る彼女に目をつけていた。
彼女が自分のものになるところを想像してニヤリと顔を歪ませる。
彼は少しずつ気配を希薄にしていく。
彼が訓練中に自分は気配や存在感を薄れさせる事に適正があると気付いて、人目が無い場所で練習をしていたのだ。
そのまま気配を完全に消したところで、花凛に後ろから襲い掛かった。
「っ――――――!?
―――――――っ!!??」
睡眠魔法を付与したハンカチで口を抑えて眠らす。
意識が落ちたところで、最後尾から離れて、行きに見付けていた横穴に入る。
「フヒッ!ヒヒヒッ!」
彼は笑い声が押し殺せずに漏れる。
そして彼はゴクリと唾を呑み、恐る恐る花凛の豊かな胸に手を伸ばす。
「グガルァッ!!」
「ヒィっ!」
突然響いた獣の鳴き声に彼は情けない悲鳴を出して声が聞こえてきた方向から逆に後ずさりした。
彼は花凛の戦闘方法を忘れていた。
花凛は魔獣や魔物を手懐けて、戦闘をさせる生粋の魔獣使いだったからこそ、簡単に花凛に魔法が効いたのだ。
慌てて振り返ると、花凛の手懐けていた魔獣達が犬型の魔獣を戦闘にして道を塞いでいる。
「ク、クソッ!」
直ぐに逃げ出そうとした彼に、重量級の熊型の魔獣が体当たりを仕掛ける。
吹き飛ばされて転がった彼に、9つの炎が迫る。
恥も外聞もなく、ゴロゴロと転がって必死に避けると急に自分に掛かる重力が反転したのかの様に天井に叩きつけられる。
落ちてきたところを猫くらいの大きさの小動物型の魔獣に助走付きの体当たりを食らった。
「グハッ!!」
肺から息を強制的に吐き出させられ、再びゴロゴロと転がる。
直ぐに大勢を立て直したが、横穴なので奥に行っても行き止まりだ。
逃げる為には魔獣達を突破しないといけない。
無理だろ‥‥‥っ!
彼は心の中でそう呟き、なにか突破口がないかと周りを見回すが、奥に繋がる暗い通路が続くだけで使えそうな物は無い。
怯えた目で魔獣達を見つめると、その横に花凛が寝ている姿が目に入った。
「これしかないっ!」
牽制の魔法を放ち、隠密を全力発動して彼女の元にたどり着くと、身体ごと持ち上げて首にナイフを突き付けた。
目が血走り、勇者どころか三下の悪党にしか見えない行動だが既にそう考える余裕すら無かった。
「倉永さん!高山くん!どこ〜!?返事してぇ!」
そこでこの声が聞こえて来て、彼は冷え水をかけられたように背筋が伸びて緊張した。
この声は昔から花凛以上に憧れ、自分の物にしたかった彼女の声だ。
「あっ!二人共いましたよ!雪菜さん!」
彼を見つけて駆け寄っ行こうとする美紅を後ろにいた結花が彼の異変に気付いて庇うようにして止める。
そこで美紅も彼の身体に起こっている異常を察知した。
「え?腕が黒い?」
薄暗くて分かりにくかったが彼の腕は黒く変色して首にまでヒビが入ったように広がっていた。
まるで雪菜が召喚した悪魔の腕の様だった。
「く、来るんじゃねぇよ。近づいてきたら殺すぞ!」
「んぅぅ?私一体何が‥‥‥?え?キャアアァァァッッ!!!!」
騒ぎ過ぎたせいか寝ていた花凛が目を覚まして、現状を確認して悲鳴を漏らした。
抜け出そうとして腕をジタバタと動かすが、非力な彼女では彼には通じなかった。
グイッと首にナイフを当てると彼女もマズイと分かったのか、大人しくなる。
「何やってるの!?倉永さんを離しなさい!」
美紅がそう彼に叫ぶが、ニヤニヤと醜悪に嘲笑っている。
そしてナイフを花凛の首に当てながら、美紅を欲望に塗れた目で見ながら言った。
「美〜紅〜。お前がこいつの代わりになるんだったら離してやっても良いぜ。」
「駄目!有り得ないわ!このキモ妄想野郎!そんな女の為に美紅を差し出すなんて、天地がひっくり返ってもあり得ないわ!」
結花が背中に美紅を庇いながら侮蔑の表情でそう言い放つ。
彼はそれを不快に思いながらもニヤニヤとした顔は崩さない。
美紅の後ろから覗く何人かのクラスメイトの非難と侮蔑の視線が突き刺さろうと気にしない。
「お優しい学級委員長様が憐れな生徒を見捨てるのか?」
「ええ!そうよ!こんな女がどうなろうと知ったこっちゃないのよ!」
「ちょっと結花!!分かったわ!だからナイフを下ろして。」
結花を目で牽制して、自ら進み出る。
花凛が近付いてくる美紅を見て、モゾモゾと身じろぎをする。
そんな花凛を突き飛ばして、素速く美紅の後ろに回り込んでナイフを突き付ける。
すると彼はニヤリと笑うと、魔力が身体から立ち昇る。
腕や首からゴワゴワした毛が生え、牙や爪が鋭く長くなっていく。
「ハッハッハァッ!!ドうだ?コノスガタはァ?
コレで俺はオまエラのコウドうは一つモ見逃さナイ!ナニをタクラもうとムダだ!」
獣のようになった彼はナイフを牙でボリボリという音を出しながら噛み砕いてペッと吐き出す。
そしてナイフの代わりに異様なほど伸びた鋭い爪で美紅の首に突きつける。
そこでクラスメイトの集団に混ざった花凛が何かをボソッと呟いた。
しかし周りはそれに気付かず、彼は何も出来ない周囲の反応にますます機嫌を良くして調子づく。
「ハハッ!オマエらはオレヲ守レ!俺がダッしゅツするまでおれヲ守るンだ!」
そう言って無理矢理クラスメイトを護衛兼肉壁として、周りに囲って移動をさせた。
襲って来る狼の群れを前方で悪魔が倒し、後方でクラスメイト達が疲労感を滲ませながらも対応する。
そしてもと来た階段を登り、出口に向かって歩いていた時、誰かの叫ぶ声が聞こえた。
「抜ケたぞ!!」
だからそんな声が前方から聞こえてきたせいで、彼は歓喜に駆られるように前にいたクラスメイト達を突き飛ばして、何故か人質である美紅を離して、倒れそうになりながら前に出た。
「チョッ――――待ち――――さい――っ!」
「ハハハははハハはハハっッっ!!!!」
誰かの声が聞こえたが無視した。
それが彼の失敗だった。
悪魔の猛攻から運よく逃れて、襲ってきた狼が彼の脚を食い千切った。
そして瞬時に倒れこんだ彼の首に齧り付き、高速で身体を捻った。
「何で‥‥‥っ?」
何かを疑問に思う様な声を上げる。
首を抉り取られドクドクと水のように血が吹き出る。
誰がどう見ても致命傷の傷であった。
その声を最後に彼の身体は力を失って地面に落ちた。
彼が死んでも私達は死体を放置して悪魔に続いた。
「抜ケたぞ!抜けたゾ!」
そう男子の声を発する鳥を直ぐに魔法で焼き、剣で斬った。
彼はこの魔獣の偽物の声に騙されてしまったのだ。
クラスメイト達も絶妙に嫌らしい場面で偽物の希望を与えられたせいか、少し元気が無いように見える。
私は何も感じなかったが、涙を流して恐怖に震えている子達がいて、行動速度が少し遅くなっている。
「うぅぅ‥‥‥。ヒックッ!」
グシグシと服で涙を拭きながらの子もいるが私達は逃げる。
目的地は上の階へ繋がる階段だ。
階段へ向かうように時折悪魔に指示を出して方向を修正する。
「っ!見えた!」
暗い中で目が良い誰かが階段を見つけたようだ。
私達はその言葉を希望に薄暗い通路を悪魔に続いて行く。
すると前で狼を殺しながら進んでいた悪魔の姿がフッと空間に溶けるように消えた。
「「「「っ!?」」」」
一同が騒然とする中、私は消えた場所を観察していた。
悪魔は私が召喚したので、位置や生きているのかは感じ取る事が出来る。
私の感覚では悪魔は確かにソコにいて、暴れている。
という事は‥‥‥
「幻覚っ!?」
視覚に頼らず悪魔のいる場所の感覚で悪魔を基点としてその周りの気配を探る。
周りには目を凝らしてやっと視認できる程度の大きさの花が幾つも咲いて、花粉を放出している。
おそらくこれが幻覚を見せている原因だと推測出来る。
「誰か炎の魔法が得意な人、前方に向かって炎を放って。
なるべく通路を埋め尽くすようにしてね。」
私の適正でも出来ない訳では無いのだが、私一人が全部片付けるよりは誰かが協力した方が責任の分散も出来て、連帯感も生まれる。
何人かがオズオズと前に出てくる。
「えっと、この通路に炎を放てば良いんすか?視界を埋め尽くすぐらいのっすか?」
「ええ。」
一人が代表として私が要求している事の確認をする。
そして各々でどの位置を狙うかを確認し合って、手をまっすぐ前に伸ばして構える。
「いっせいのーでっ!」
「「「「「「炎砲」」」」」」
一斉に放たれた魔法は壁面に咲いていた花を空気中に飛散していた花粉ごと燃やし尽くした。
もちろん悪魔には防御を固めさせて、影響を受けないようにさせている。
そして幻覚が消えると何故か外が見えた。
入って来た場所と同じ景色が広がっていて、ポカポカと温かい日差しが差していた。
「‥‥‥出口だっ!」
疲れ果てながらも希望が籠もった声を出しながら、ほぼ全員の前進速度が速まり、誰かが一歩踏み出した時
ピシッ ピキッキッ
と言う音が聞こえたと思うと床がバラバラに割れて落ちた。
「うわあああっっ!?!?」「きゃああああっっ!!??」
フロア全体が落ちたのかと思うほどの轟音と共に床に叩きつけられた‥‥‥と思ったが床は柔らかく、瓦礫による怪我も一切無かった。
「もしかして、また登り直し?」
誰かが言ったその言葉に、私達全員の間を風も無いのに冷たい風が通り過ぎたような気がした。
進むと明るい光が壁を照らしていた。
しかし全員喜ぶよりも、警戒していた。
ちゃんと階層を数えて、入って来た階層だと確認をしながら苦労して登り直した。
先程のような罠を掛けられて学習しない愚か者は流石に居なかった。
地面に警戒しながらゆっくりとすり足で進んむと、ダンジョンの外で各々、鍛練に勤しむ騎士達とそれを監督して、自らも訓練に加わっているガランド騎士長の姿だった。
「む!?帰ってきたか!?光輝達はどうした?」
視線を感じ取ったのか、こちらを向く。
その顔を見て安心したような足取りで外へと向かって行く。
しかし最後まで油断してはいけないというダンジョンにおいての教訓が身についているか試すように丁度ダンジョンと外との境目の地面から高速で空気の玉が射出された。
「ぐぁッ!!」
膝の関節や額を狙い撃ちされて無様に倒れていく。
最後にそんなハプニングがあったものの、私達は無事に戻ってくる事に成功したのだった。




