side雪菜③
かなり遅れました。
すいません。
「えっ?今一体何が‥‥‥?」
結花ちゃんが困惑した声を上げる。
魔物と重厚感のある金棒も空中で掻き消えるようにして、無くなったのだから当然と言えば当然の反応だった。
それも視認できない程の速さで。
普通ならばここで新たな脅威になる魔物が出て来たと警戒を強めるところだったが、何故か敵として見ることが出来ないのだ。
「雪菜さん!!危ない!」
結花ちゃんが咄嗟に傍に落ちていた瓦礫を超人的な腕力でスライムへ向けて放った。
そしてスライムの反応は劇的だった。
ボコボコと体内に水泡が泡立ち、スライムの身体が急激に膨張して人の形をとった。
そして、飛んで来た瓦礫を体内へ取り込み、その身体を大きくしねり、まるで野球の投手のようなフォームで体内から高速で射出した。
結花の顔のすぐ横を掠めて、背後から迫っていた魔物群を穿いて肉塊に変えながら壁にぶつかって粉砕した。
追われていた男子達は、いきなり瓦礫が飛来して、魔物群の大多数を蹂躙した光景に目を結花は見開く。
「おおおっ!?」
結花と同じく顔の横を瓦礫が掠めた男子達が驚きながらも残った魔物を吹き飛ばし、とどめを刺す。
すると、魔物の死骸が粒子になってダンジョンの壁へと吸い込まれて行った。
残ったのはそれぞれの魔物の魔石だけだった。
私はこのよく分からない安心感の出処だと思われるスライムの近くへ、警戒を怠らずにゆっくり近づいて行く。
勘では、全く危険などないと感じているが、所詮は勘だ。
そういう魔法の類が無いとも限らない。
「ちょっ!?雪菜さん!?何やってるんですか!?」
慌てて私に向かって何か言葉が聞こえるが、最早その声は集中している私には届かない。
ゆっくりとスライムへ近づいて、プニっと指で一突きしてみる。
ほとんど弾力無く、指がスライムに埋まってしまうほどで、まるで水のような感触。
両手で持ち上げようとしてみるが、スルッと手から零れ落ちてしまう。
「大丈夫ですか!?雪菜さん!」
美紅ちゃんが慌てて私の手を怪我が無いかとペタペタ触る。
やがて怪我がないと分かって、ホッとしながら掴んでいた私の手を離す。
「このスライム?触っても大丈夫でしょうか?」
怪我がないと分かって、先程信じられない様な芸当をしたスライムに興味が惹かれたようだった。
結花ちゃんは直感的に危険が無さそうだと思ったのか、私の横でスライムを鋭い目で観察している。
「ここまで近づいても攻撃して来ないってことは、害は無いんでしょうか?」
このまま放置して他の人に危害を加えない保証は無いので、倒すべきなのだろうが、私はこのスライムに攻撃をしたくないと感じていて、更に先程の攻撃の威力を見れば倒せるとも思えない。
「退いてください委員長方。ここは僕に任せて!」
そう言って一人の男子生徒が進み出て、スライムを剣や魔法などの様々な方法で攻撃するが、剣は斬れずに押し返されて、どんな魔法も触れた瞬間に喰われる。
そうして、止めがさせずに無駄な時間を過ごしていると女の子がそう言って来た。
「あの‥‥‥その子‥‥わ、私がテイムしても‥‥いいですか‥‥‥?」
おずおずと進み出て来たのは、魔獣群に追われていた女子統一のパーティーの一人である気の弱そうな可愛らしい女の子だった。
後ろには理性的な目をした魔獣達が付き侍っている。
と言う状況から導き出される答えは‥‥‥。
「倉永さん。貴方テイマーなの?」
美紅ちゃんが目を見開いて、驚きを露わにしている。
それはそうだ。数ある職業の中でもテイマーは少ない。
テイマーはかなり才能に依存し、なれる人はかなり少ないと聞いていた。
職業は能力値や、スキルをその職業向けにする。魔法使いなら魔力よりで魔法を覚えやすくなり、剣士なら筋力と速度よりで強化系のスキルを覚えやすくなる。
テイマーならば、魔力よりで生き物と心を通わせやすくなる。
この数の魔獣を既にテイム出来ているのは、職業をテイマーにしたからだろう。
私達の大半は職業を決めないままにしており、既に決めている人は珍しい。
「はい‥‥。人間に友好的な魔獣だったら比較的簡単にテイムできると‥‥思います。」
「ならやってみたら?」
不機嫌そうな顔で、何故か辛辣な言い方で突き放す様に手でシッシッと先を促す。
結花ちゃんの視線を追ってみると、彼女の母性を感じさせる大きな胸部を睨みつけていた。
ああ‥‥と納得する。
結花ちゃんのスタイルはモデルと比べても遜色無い程だが、胸が無いことがコンプレックスになっているようだ。
「は、はいぃ‥‥‥!」
消え入りそうな声でオズオズとスライムに近づき、スライムがよく見えるようにしゃがみ込む。
その際に足で胸がグニュと潰れる様で、一部の男子生徒達が興奮し、一部の男子達が目を逸らした。
「フフフっ、今興奮した奴等、全員個人情報をばら撒いてやるわ。」
「「「えっ‥‥‥?」」」
「「「ホッ‥‥‥。」」」
そんなやり取りをまるで聞こえていないかの様にスライムをじっと見つめる倉永さん。
いや、実際に聞こえていないのかも知れない。
そう思うほど、彼女の集中は目に見えて深かった。
「‥‥‥【隷属】!!」
彼女の手から出た温かそうな光が何もせずにジッとしていたスライムを包み込んで、スライムの身体に段々と染み込んでいく様子が分かる。
バチッ
スライムの中で光が一瞬だけ黒く濁ったように見えた。
錯覚かな?と不思議に思っていると、彼女がゆっくり立ち上がった。
「成功しました。」
見ると彼女の顔は青褪めて、大粒の汗が額から次々と吹き出ている。
その顔に浮かんでいる笑顔も、無理して作っているようにしか見えない。
「だ、大丈夫?」
その様子に美紅ちゃんが慌てて駆け寄り、回復魔法を掛ける。
直ぐに顔に赤みが戻り、乱れていた息も少しずつ元に戻っていた。
「あ、ありがとうございます。」
数分経って、完全に本調子を取り戻したようで、スライムをゆっくり持ち上げた。
「もう大丈夫です。すいませんでした。」
恐縮したようにペコペコと頭を下げる。
そんな彼女をジト目で結花ちゃんが睨みつけるように見ていた。
「良かった。
でもどうしてこんなにも圧倒的に強い魔物が居るのかしら?」
今更ながらに、スライムの蹂躙劇を思い出す。
ダンジョンは奥へ行けば行くほどに魔物達も段々と強くなって行くはずなのだが、この階層の魔獣達とは格が違うように思えた。
実際に彼女が従えている他の魔獣達は身体を丸くし、彼女の影に隠れて、スライムに怯えているように見える。
「どうやらこの子は下の階層から上がってきた子みたいなんですよ。」
「え〜?魔物って階層間を移動できないんじゃなかったけ〜?あんたの都合の良い妄想じゃなくて?」
結花ちゃんが辛辣な言葉で、呆れたようにため息を吐く。
「え?えっと‥‥‥裏道があるみたいですよ。それと、他のダンジョンは知りませんが、禁止されているから移動しないだけで、出来ない訳ではないらしいですよ?」
「え?そうなの?」
思わず私は声を上げていた。
この数日間、勉強した事にはダンジョンの事もあったが、禁止されているとは書いていなかったし、先ずダンジョンの魔獣達相手に命令出来る存在がいる事すらも書いていなかった。
「この子の思念を読み取った限りはですけど‥‥‥。」
彼女は自信がなさそうにボソボソと言う。
そこが安全ならば、その通路を通って行きたいものである。と雪菜は思った。
ふと、甘い匂いが何処からか漂って来ていた。
しかし獣の血の匂いに紛れて気付いた者は極少数、だがすぐに気のせいかと気にも留めなかった。
「でもそこが安全って保障もないからな。倉永の言った情報はマジで下に行けない時の保険だな。」
「ん、そうっすね。でも休憩が欲しいっす。正直言ってクタクタっすよ。何時間も戦って、走り回ってたんすから。」
男子の一人が床に身体を投げ出す。
仰向けになって、苦しそうに胸を上下する姿は無防備で、今襲われたらすぐにやられてしまいそうである。
そしてそれはすぐに現れた。
「グルルルッッゥ!!」
薄暗いとは言っても数十メートルは先を見通すことができる明るさの中で、そこだけ空間から切り離されたようにポッカリと空いた漆黒の穴から黒で構成された狼がいた。
「ヒィッ!?」
急に現れた魔獣とその恐ろしい外見に誰かが悲鳴を漏らした。
ジッと、私達を見据えていた狼はドンッという音と共に消えた。
ドチャッと後ろにいた男子生徒の上半身が落ちた。
「‥‥‥っ!!おおああああっっ!!」
一呼吸おいて現状を認識したパーティーメンバーの一人が吠えて、その手に持つ大型のバトルアックスで黒狼を叩き潰そうと迫るが、空中で跳ね飛ばされたように軌道を変えてダンジョンの壁にぶつかった。
「うわああぁぁっっ!!??」
すぐ後ろにいた男子が自らを鼓舞するように吠え、遠距離から数多の魔法を無差別にばら撒いた。
それに続くように彼等は各々が恐怖に引きつった表情で必死に攻撃する。
その黒の狼は微動だにせず、無抵抗で魔法の爆撃を食らった。
「は‥‥はははっ!なんだよ!大したことないじゃないか!」
引きつった笑みを浮かべながら、狂ったように笑う。
だが魔法による土埃で狼がどうなったか判断がつかない。
「おい!ふざけんなよ!何なんだよ!!糞がっ!!
勝矢がっ!畜生!!何でぇ―――」
喚き散らしていた彼は狼に首を噛まれていた。
首から滴る血と彼の青白くなった顔が、彼の死を鮮明に伝えていた。
「う、うわああぁぁぁっっ!!??」
死んだ彼らと同じパーティーだった男子が、足をもつれさせながら逃げ出した。
しかし数十メートル進んだだけで足が止まり、渇いた笑みを漏らした。
「「「「グルルルルッ!!」」」」
『キャはハハハっははヒゃヒャッはハハ!!』
立ち塞がっていたのは先程の黒と同じ狼の群れ。
そして嘲笑する様な音を出して飛ぶ蛾の魔虫。あれは確か‥‥‥
「偽蝶蛾!!」
咄嗟に自分の鼻と口をふさいだ。
先ほど感じた甘い匂いは、この蛾が撒いた鱗粉か何かだった可能性が高い。
この蛾が出す鱗粉の最大の効果は、恐怖を増幅する事と味方を敵に見せること。
「あ”あ”あああああ”あ”あ”あ”っっ!!」
案の定、頭を押さえて泣き叫びながら隣にいた一人に剣を無雑作に振り回す。
通常なら、訓練を受けたおかげで捌くことも出来ただろうが、味方が襲ってくるのは予想外だっただろう。
ドサリと音を立てて床に倒れる。
かろうじて息はあるみたいだが、回復魔法を掛けなければ危険な状態だった。
「あ"あ"あ"あああっあ"あ"ぁぁっ‥‥‥。」
言葉が尻すぼみに小さくなり、消えていった。
横目で確認すると折れた剣を自らの首に突き立てて、自殺した姿があった。
「駄目!美紅!?何してるの!?」
そんな慌てた結花ちゃんの声が聞こえて、そちらを振り向くと、息絶え絶えだった男の子に回復魔法を掛けていた。
確かに今回復させなければ彼は死ぬだろうが、もし生き残ったとしてもこのまま二人共黒い狼にやられる可能性が高い。
合理的に考えれば、二人共見捨てるのが最善だっただろう。
「美紅ちゃん!」
それでも私は非合理的な行動を‥‥‥即ち二人を庇った。
飛び掛かってきた狼に持っていた剣を噛ませて、狼の腹部を力の限り蹴った。
グブオッとくぐもった声を上げて、地面に落ちるがフラフラと足元が覚束ないながらも、直ぐに立ち上がった。
その一匹に続くようにジリジリと近づいて来る。
「う‥‥あぁ‥ぁ‥‥。」
誰かが掠れた悲鳴を上げるが、その声に反応する者はいない。
この絶望的な状況で起こる反応は様々だった。
最後まで抵抗しようと剣を振り回す者、泣きながら逃げようとする者、狂った様に笑い続けている者、諦めて無気力になっている者、そして未だ生存を諦めていない者。
そして私に死ぬつもりは到底無かった。
「こんなところで切り札を切ることになるなんて予想外ね。」
深い諦めと共に、ため息を吐き出した。
この迷宮に潜る前、騎士長に「追い詰められたとき用に、何か切り札を作っておくと良い。」と言われて、自分のあらゆる可能性を試していたのだ。
「来て!召喚!!」




