第四話 銃の歴史
「それにしても」
ガタガタと舗装されていない荒れ道を馬車が進む。小石を踏むたびに荷台が小刻みに揺れ、木製の堅い椅子が尾骨を強く叩く。
その衝撃を顔に出さないよう努めながら口を開くと、俺と並んで御者台に座っていたフローラさんが顔を向けてきた。
気の強そうな瞳はそのままに、けれど表情にはどこか緊張のようなものが感じられる。それは多分、先程の事――男たちに組み敷かれ、襲われそうになっていたのが原因か。
原因は俺ではないけど、『男』に襲われそうになったというのは同じ『男』としてどうしようもない。
それでも隣に座らせてもらえたのは、先程助けた側の男だからか。
こんな事ならリィリアを隣に座らせればよかったと思う。同性だし、子供相手と気を許してくれたかもしれない。
そのリィリアとシュオンは、荷台で縛られている五人の山賊たちを見ている。一応キツク縛ったつもりだけど、抜け出されると面倒だし。
まあ、あの二人なら特に問題無いだろう。外見は幼女とぬいぐるみだけれど、中身は魔族と魔物だし。
「どうかしましたか?」
「いや。こんな夜中に、突然現れた子供連れの男を怪しまないのかなあ、と」
いくら襲われている所を助けられたとはいえ、そう簡単に見知らぬ男を信用するものなのだろうか。
いきなり銃の事を聞くのも変だし、場の雰囲気を少しでも軽くしようと思って出た言葉。
なにせ、馬車の荷台には百丁からなる銃が積まれていたのだ。彼女は、人界の王都で仕事を受け、それを運ぶ途中に襲われたのだと言っていた。
深く考えなくても、人界には銃が普及しているのが分かる。なにより、山賊のような輩も使い方を知っていた事から、使い方も一通り広まっていると考えるべきだろう。
そうなると、自分達を田舎者だと言い訳しても銃の事を知らないというのは変――無用に疑われてしまうのではと質問に二の足を踏んでしまう。
なので、最初は別の話題をと考え――しばらく悩んだ後に聞いてみると、フローラさんは「あー」となんとも判断に迷う声を出した。
「……自分で聞きますか、そういう事?」
「いや。こちらとしては善意の行動だけど、怪しいだろ?」
「ふふ――そうですね」
自覚があるので、笑われてもそれほど気にならない。むしろ、笑ってくれた事で少しは緊張が解れたのか、フローラさんは俺の目を見て口を開いた。
「この時間に子供連れで森の中というのは怪しいですが、子供連れで誰かを襲うような人も居ないと思いますし」
「なるほど」
まあでも、中には子供の姿で油断させて……という輩も居ないとは限らない。
この人界の治安がどの程度なのか知らないので、なんとも言えないが。
「失礼なのだわ、二人とも。私はもう子供ではなく、ちゃんとした淑女なのだわ」
「……聞いてたのか」
「聞いているのだわ。タツミは目を離すと、すぐに女性に手を出すのだから」
「人聞きの悪い事を……」
荷台から乗り出すようにして、リィリアが顔を出した。山賊たちを見張っているのが退屈だったのだろう。
荷台の中を覗き込むと、木箱に立て掛けられた沢山の銃と、木製の床へ乱暴に転がされた五人の男。そして、沢山の荷物が詰められているリィリアのバッグをクッションにして座っているシュオンの姿。
そのシュオンは、とても退屈そうに、欠伸を噛み殺しながら男たちを見ている。
「シュオンが退屈そうにしてるぞ? 話し相手になってやってくれ」
「いいのだわ。大丈夫なのだわ。ファーストキスの相手と親睦を深める機会を与えてあげる、私は優しいお嬢様なのだから」
その声を聴いて、シュオンが苦虫を噛み潰したような顔をした。デフォルメされたドラゴンのぬいぐるみを連想させる顔なのに、物凄く嫌そうな顔をしている。
これが本当にぬいぐるみで、こんな顔をしたシュオンを子供に与えたら泣き出す事だろう。
「え、っと。シュオン、さん? シュオンちゃん?」
「雄なのだわ」
「シュオン君のキスの相手って?」
「山賊の一人なのだわ。貴女を助けるためにタツミが投げたら、勢い余ってキスしてしまったの」
よほど面白いのか、リィリアは笑顔だ。
そんなリィリアの肩越しにシュオンを見ると、今にも泣きだしそうな雰囲気で項垂れている。唯一気絶していない、俺が投げたシュオンを顔面で受け止めた男も、なんとも言えない微妙な雰囲気を出しているような気がする。
「そ、それはごめんなさい……あの、気を落とさないでね?」
「ええ、もちろんですとも。貴女のような麗しい女性を助ける事が出来たのですから、僕の唇など安い物です」
「……どうして私が揶揄うと落ち込むのに、この人に言われると明るくなるのかしら?」
「それはそうさ、リィリア。僕は女性が好きなんだ。大好きなんだ。君のようにおっぱいの小さいお子様は、まだまだお呼びじゃないね」
急に元気になったシュオンがまくしたてるように言った。フローラさんは手綱を握り直しながら笑みを浮かべ、リィリアは可愛らしい顔を憮然として唇を尖らせる。
「失礼なのだわ。シュオンは、だから女性にモテないのだわ」
「失礼なのはリィリアさ。僕は女性にモテるのではなく、愛でられる存在なのさ」
どう違うのだろうと思ったが、聞かないでおく。説明を求めると長いのだ、このぬいぐるみのようなドラゴンは。
「見てよ、この身体。柔らかいお腹に、決して人を傷付けない角と牙。小さな翼と尻尾は愛嬌を感じさせるはずさ」
「威厳も何も無い、ただの翼が生えたトカゲなのだわ」
「…………」
リィリアの言葉にシュオンは固まり、彼女のバッグを枕に見立てて身体を横にした。
コイツ、自力で起き上がれないくせに……。
「シュオン君って、ドラゴン……なのよね?」
「ああ。誰に似たのか、変わり種でね」
まあ、言いたい事は分かる。
「ドラゴンって、もっと凶暴だと思っていたわ」
「あー……うん。アレも、一応怒ると怖いよ? 肉食だし」
「肉食なの!?」
驚かれた。
そりゃあそうだ。あんなにデブ……ふくよかで、牙も角も物騒に感じないし、口を開けば女性の事ばかり。
あの姿で地が滴る生肉を咀嚼するドラゴンのイメージなど、湧くはずもない。
「火も吹けるし……本気になれば、空も飛べるはずだ。多分」
もう何年も、アイツが飛んでいる姿なんて見た事が無いけど。それだけ魔界が平和だったという事で、前向きに考えておく。
……飛び方を忘れたとは思いたくない。飛べないドラゴンは、ただのトカゲなのだ。
「へえ――全然、想像できない。ドラゴンって、もっと物騒でおっかない生き物だと思ってたわ」
「俺もだ」
飼い主がそれでいいの、と笑われてしまった。
「女の子が好きなドラゴンなんて、変なの」
「タツミに似たのだわ。タツミは女の子に優しいから」
「……ほんと、初対面の人の前で人聞きの悪い事は言わないでくれるかな?」
俺は誰にでも優しいのだ。まあ、自分で思っているだけだけど。
それでも、いきなり魔界に召喚されて、見ず知らずの……種族すら違う人達のために百年の時間を捧げた。
そんな俺を優しいと言ってくれるのは、なんだか報われたような気がした。
リィリアの頭を撫でてあげると、彼女は嬉しそうに目を細める。そのまま、頭を俺の手へ押し付けるようにしてくるのが愛おしくて、口元を緩めた。
「仲が良いのね」
「当然なのだわ。タツミは私の命の恩人で、大切な人だもの」
そのまま、荷台から這い出して俺の膝の上へ。御者台はそんなに広くないので、余計に狭く感じてしまう。
「私とタツミの事を教えてあげてもいいけれど、それより聞きたい事があるのだわ」
「なあに?」
「あの棒っきれ。銃? あんなの、何の役に立つの?」
リィリアがそう言うと、フローラさんは堪えきれずに吹き出してしまった。
「そっか。リィリアちゃんは銃がどういうものか知らないのね」
「子供扱いしないでほしいのだわ」
「ごめんなさい。タツミ……さんは教えてくれなかったの?」
初めて名前を呼ばれた。さん付けというのは、中々新しい。魔界だと魔王様とかご主人様とか呼ばれていたし。
こほん、と咳払いをするとリィリアから頬を抓られた。
「デレデレしているのだわ。鼻の下を伸ばしているのだわ」
「……どこでそんな言葉を覚えたんだ?」
「ヴァーリジナよ。シュオンの顔を見てよくそう言っていたけど、タツミも似たような顔をしているのだわ」
「はっはっは……シュオンよりはマシだよな?」
「同じなのだわ」
それはそれでショックだ。
「そこまで落ち込まないで下さいよ、ご主人!? 失礼ですっ」
「おう」
シュオンに怒られた。声音から、割と本気で怒っているように感じる。
そのまま、不貞腐れたように身体を丸めてしまった。腹が出ているし暗がりので、本当にボールのように見える。
「まあ、タツミがだらしない顔をしていると他の女が寄ってこないから、私としては嬉しいのだけれど」
「あらあら」
なんだか微笑ましい物を見るような視線で、フローラさんから見られていた。
まあ、いいか。
「それより、銃なのだわ。あんなの知らないのだわ。どこで作られているのかしら?」
リィリアが、幼女を装って核心を聞いてくれた。
いや、外見は幼女なんだけど。中身は五十を過ぎた幼女……結局幼女か。
「どこで作られているって……人界のあちこちでよ?」
「そうなの?」
「十……何年前かな。いきなり王様が国のあちこちに銃を作る工場っていうのを建て始めてね」
十年以上前。二十年は前じゃないのだろう。となると、この国の銃の歴史は酷く浅い。
荷台を見る。
けれど、そこにある銃はとても十年かそこらで造られたモノとは思えなかった。
銃の歴史は知らないけれど、最初はもっと小さなもので、威力も低い――それこそ、弾をまっすぐ飛ばせない火縄銃よりももっと精度が低い物のはずだ。俺の記憶に、僅かに残っている小型拳銃――デリンジャーとか、それくらい小さかったのではないだろうか。
そこから長い時間をかけて、何百年という時間を経て『近代の銃』へと昇華していったはずなのだ。だというのに、その過程が無い。
それは酷く歪で、そして覚えがある。
俺が魔界に土地の耕し方――家畜などの糞を混じらせた肥料などを伝え、川や土地の普請を行い、過ごしやすい家屋を教えた。それに似ている。
何となく、感じるモノがあった。
予感とも違う、知らないはずなのに確信を持てる違和感。
俺と同じ、異世界から召喚された存在。
「ふうん」
王様。人界の王――気になったけど、その名前を直接尋ねるのは流石に変だろう。
無意識にリィリアの頭を撫でながら、適当に相槌を打つ。いかにも「俺は知っていましたよ」的な雰囲気を出しながら。
「あまり大きな声では言えませんけど、その銃が原因で今回の戦争は起きたんです」
「こんな棒っきれが?」
「そう、そんな棒っきれが」
少し、その声音に熱が籠ったような気がした。例えるなら――怒り。隠そうとして、僅かに滲んでしまったソレを敏感に感じ取り、リィリアが俺の服の袖を強く掴んだ。
「銃を作るために森の木々を伐採して炉にくべ、鉄を溶かし、形にする。この十数年で王都周辺の森は減り、川は汚れて……仕事は多いけど、住みにくくなったの」
「へえ……田舎に住んでると、まだまだ森は多いように思っていたけど」
それに、この魔界と人界の『境界』周辺も。明確な言葉は避けて、それとなく呟くとフローラさんは溜息を吐いた。
どうやら、その『住みにくくなった』辺りに思う所があるようだ。
「王都の周りは酷いモノだ。ドワーフは鉄を叩ければそれでいいだろうけど、エルフは森を穢されて怒っているし……中には強く反対して、投獄された人も居る」
最後の方は、小声だった。
それ以上聞いているのも悪い気がして、話題を逸らすように席払いをしてリィリアの頭を軽く撫でてあげた。
「だ、そうだ。勉強になったか?」
「ええ。ありがとう、フローラお姉ちゃん」
「……お姉ちゃん」
フローラさんのランタンに照らされた横顔が、ニヤけていた。どうやら、そうやって呼ばれる事に慣れていないらしい。
喜怒哀楽の差が激しい性格なのか。それとも、暗い雰囲気を察して態とそういう表情を浮かべたのか。
ただ、気になる事がいくつか――それを聞けたのは良かったと思う。
十数年前からいきなり銃を作り出した王様と、それに反対するエルフや貴族達。
人界も一枚岩ではないと考えるのはまだ早計だろうが、色々と他の人からも話を聞いてみるべきだろう。できれば、話題に出た貴族やエルフと。
「えっと……それにしても、リィリアちゃんは凄いね」
「なにがなのかしら?」
「こんなに夜遅いのに、眠たくないの?」
ああ、そういえばそうか。確かにそれは変だ。
魔族――それも、夜を本領とするリィリアにとって、この時間こそが人にとっての日中に等しい。
目が覚めて饒舌になり、昼間のように疲労を感じない。その差異を気にしたフローラさんの言葉に、しかしリィリアは俺の膝の上で胸を張った。
「私はもう一人前の淑女なのよ。夜は大人の時間なのだわ」
「……リィリアちゃんに何を教えているんですか?」
最初の頃の緊張に固まった表情ではなく、軽蔑するような冷たい視線を向けられる。
これはこれで辛いな、と。気付かないふりをしながら、それとなく視線を逸らして前を見る。荷台に積まれた荷物の送り先――人界の軍が居るという前線まで、もう少し時間がかかりそうだった。