第三話 旅の始まり
「人って変なのだわ。同族同士で殺し合うなんて、恐ろしい種族なのだわ」
先ほど、『境界』の高い壁を越えて人界側に侵入してすぐに遭遇した物盗りを縛り上げ、すでに亡くなっていた人達を掘った穴に埋め終わると、手を土で汚したリィリアがそんな事を呟いた。
ちなみに、山賊らしい男達を縛ったロープは襲われていた馬車から見つけたものだ。
「どうして殺し合うのかしら。タツミは分かる?」
「さあなあ。まあ、人数が多いからとか、縄張り争いとか、そういうのかなあ」
人同士が争う――殺し合う。よく考えると、確かにそれは変な事なのかもしれないと、妙に哲学的な気分にさせられる。
長年魔界で過ごしていたが、確かに魔族は同族同士で争っても、それは喧嘩の範疇だった。殺し合いにまで発展した事はない。
少なくとも、俺は知らない。
そう考えると、人と魔の違いというのはなんなのか。種族的な総数が、真っ先に頭に浮かぶ。
人に比べて魔族はその総数が少なく、子供も出来にくい。
人数が多いからこそ、縄張り争いとか自尊心を満たす為とかで争うのかなあ、と。
今まで深く考えた事はなかったけど、元の世界ではどうだっただろう。
「人って物騒なのね。それにやっぱり弱いわ。こんな棒っきれで死んじゃうなんて」
「こらこら。危ないから渡しなさい」
「子供扱いしないでほしいのだわ」
言いながら、リィリアは手に持っていた銃を俺に手渡した。
そう、銃である。
銃身は鉄製なのだが、銃把や銃身を支える周囲は木製。右手の人差指で、コメカミを軽く叩く。見覚えのある形状だ。
実際に手で持った事はないけれど、記憶にある。多分、テレビや映画とかで見たのを覚えているのだろう。
記憶にある銃は全体的に鉄のようなメタリックな装飾がされていたはずなので、俺が知っている最新式よりももっと古い型。
ライフル――ああ、そうだ。突撃銃に形状が似ている。けれど、と。
薬室は見た限り単発のようで、記憶にある突撃銃よりもなんだか一回り小さい印象――銃身が短いのだ。
単発式で、銃身の短い銃。照準はちゃんとフロントとリアに二つ。銃口を覗き込むと、ちゃんと螺旋の溝が彫られているのが分かる。作った人は、
昔日本に伝わった火縄銃とかは、これが無かったから球をまっすぐ飛ばすのが難しかったとか何とか。
とすると、これは昔日本に伝わった火縄銃とは違う、西洋の銃という事だろうか。
銃の知識なんてうろ覚えで、しかも百年以上前なのでほとんど知識として役に立たない事を自覚する。なんとなく構えたり、弾は込めていないのを確認して引き金を引いたりして見るけど、やっぱり詳しい事は思い出せなかった。
他にも何かないかと気にしながら、前歯に触れる。
先程放たれた銃弾を歯で受け止めた所為で、どうにも違和感がある。触った感じ、グラついてもいないので抜ける心配はなさそうだが。
しかし、放たれた銃弾を噛んで止めるとは……我ながら凄いと感心する。魔王の身体も、中々馬鹿には出来ないものだ。
「ねえ、タツミ。そんな棒っきれを眺めるより、シュオンを慰める方が建設的だと思うのだわ」
「お、難しい言葉を知ってるな」
「ふふん。私はこれでも、博識な女なのだわ」
そうやって誇らしげに胸を張る姿は、とても微笑ましい。服の裾で泥を払って、柔らかな金髪を解くように撫でてあげる。
「それで、シュオン。大丈夫か?」
「もうだめです。僕はもう、お婿に行けません」
「……お嫁に行けば?」
「僕は雄だよ!」
デフォルメされたドラゴン……外見的にはドラゴンのぬいぐるみに見えるシュオンが、器用に四つん這いになりながら項垂れていた。リィリアの言葉に反論するだけの気力はあるようなので、まあ大丈夫だろう。
理由は、あれだ。
女の人が襲われていたから咄嗟に投げつけたら、山賊の一人と勢い余ってキスしてしまったらしい。南無。
「しょうがないだろ、お前の大好きな女の人を助ける為だったんだから」
「初めてだったのに!!」
「ドラゴンのファーストキスとか、どうでもいいのだわ」
「酷い!?」
とまあ、こんな感じで死体を埋めている間もずっと落ち込んでいた。
なんだか悪い事をしてしまった気もするが、多分明日の朝には元通り性格に戻っているだろうから適当に話を聞いておく。
その間に、山賊が持っていたであろう先ほど見た銃よりも使い古されたソレを手に取った。
こっちは銃身や薬室は鉄製だが、全体的に木製の部分が多い。
多分、人界で使われている銃――その中でも、古い部類に入るのではないだろうか。
「なあ、銃って一般的に広まっているのか?」
縄で縛り、馬車の近くに転がしていた男の一人に声を掛けると、その男は表情を歪めながら俺を見上げてきた。
先程、シュオンとキスをした男だ。……こう考えると、なんだか危ない趣味のように思えてきた。
「アンタ達、何者なんだよ……」
「通りすがりの旅人だよ。まあ、どこにでも居る、とは言えないけど」
軽く言って、男の傍へ腰を下ろす。他の四人は、まだ気絶していた。
喧嘩というか、人を殴ったことがあまり無いので力加減が難しかったのだ。お蔭で、当分目を覚ます事はないだろう――息をしているので、死ぬ事はないと思いたい。
「何なんだよ、アンタも、あのバケモノも」
「この愛くるしい僕をバケモノだなんて……」
「初めてキスをした相手にバケモノ呼ばわりなんて、災難なのだわ」
「ご主人、リィリアが苛めるよ!?」
「冗談なのだわ。愛嬌なのだわ。その程度、受け止めるのが男の器というものなのだわ」
韻を踏んだような物言いに苦笑するが、男としてはその程度で恐怖が晴れないらしい。
その目は――シュオンを見ている。
俺に銃口を向けた時、明確な殺意があった。戦いなんて数える程度しか経験が無いけれど、殺気を向けられた事は初めてじゃないし、それが分からないほど鈍感でもない。
そして、そのさっきに反応したのがシュオン。
ぬいぐるみのような外見をしているが、彼はれっきとしたドラゴン。俺の監視役でもある彼は、俺の護衛役でもある。
まあつまり、この男の目の前で、押し倒されていた女性のすぐ後ろで、炎を吐こうとしたわけだ。それはもう、盛大に。
それがよほど恐ろしかったのだろう。
「まあまあ、アイツも基本的には無害だからさ……それより、銃の事を教えてくれよ」
「それでしたら、私が教えましょうか?」
その声は、馬車の奥。顔を向けると、身嗜みを整えた先程の女性が荷台から降りる所だった。
まず目を惹くのは、燃える炎を連想させる紅く、長い髪。松明の明かりを弾く豊かな髪は頭の後ろで一纏めにされ、大きなリボンで結ばれている。
身長は高く、成人男性よりも少し低いくらい。身に纏っているのは軍服と見紛う厚手の服。先ほどは色気のないズボンを履いていたように思うが、今はスリットの入った丈の長いスカート姿。
なんというか、気の強い女軍人とか、そんな印象が頭に浮かぶ。
腰には反りのある曲刀を吊っているし。
その印象を強めてくれる気の強さを表した釣り目と、引き結ばれた小さな唇。
彼女は腰に手を当てながら、唯一気絶していない男の傍に腰を下ろしている俺の前に立つと、膝をついた。
俺の視線がスカートに向いているのが気になったのだろう、女性は恥ずかし気にスリットの部分を手で押さえた。
「さっきの事で、ズボンが駄目になってしまいまして……母のお古なのですが、あまり見ないでいただけると助かります」
スカートが恥ずかしいのか、深いスリットが恥ずかしいのか。
そこから覗く細い脚は鍛えられていて、無駄な贅肉などほとんど無いように見える。何というか、眼福だ。
……そんな事を考えていると、リィリアがまた俺の頬を抓った。今度は、一度目よりも少し強めに。
コホン、と咳払いをして女性と目を合わせる。いやいや、シュオンではないがかなりの美人さんである。
「先ほどは助けていただき、ありがとうございました」
「ああ、いや。気にしないでくれ。ちょうど、道に迷っていたら出くわしただけだから」
まあ、嘘ではない。
人族の軍に気付かれず『境界』の壁をロッククライミングよろしく素手で上ったのはいいけれど、俺もシュオンも、ましてやリィリアも人界の地理には明るくなく、しかも壁の裏は深い森という状況で困っていたのだ。
松明の明かりと女性の悲鳴に誘われてみれば、あの状況。
女性好きのシュオンではないけれど、助けないという選択肢はなかった。……シュオンの唇という、尊い犠牲はあったが。
「それより、死体は埋めたけど……よかった?」
「埋葬していただけたのですね。本当なら、私がしなければいけないのに」
「気にしなくていいですよ、お嬢さん。ご主人は力仕事と労働が三度のご飯より好きですから」
そう言って、短い脚を器用に動かして紅髪の女性の傍へ歩み寄るシュオン。
誰が喋っているのか分からなかったのだろう、女性は周囲を見回した。
「どこから声が?」
「ここだよ、ここ」
声がした方へ女性が視線を向けると、そこには翼と尻尾がある、腹が出ているぬいぐるみ。
人界にぬいぐるみという物があるのかは知らないが、何かしらの衝撃を受けたのであろう女性が地面に膝をついたままシュオンから勢いよく離れた。
そんな体勢だったので、足が動かずに尻餅をつく。
「な、何者ですか!?」
「貴女を助けた騎士ですよ、お嬢さん」
自分をナイトとかほざくドラゴン、きっとシュオンだけだろう。
隣にいたリィリアが、ぷっ、と可愛らしく噴き出していた。
シュオンが何者なのか理解できない女性が、俺に視線を向けてくる。丈が長いとはいえスカート姿なので、その奥が見えそうで見えない――松明の光源の弱さが原因か。
「んんっ」
「あっ」
態とらしく咳込むと、自分の体勢に気付いた女性が両手でスカートを押さえながら背筋を伸ばした。
「おい、そのバケモノから離れろって。あぶねえぞ!」
「バケモノ?」
「失礼な。こんなにも愛くるしい姿をした僕を、バケモノだなんて」
女性が、小声でもう一度「バケモノ」と呟いてシュオンを見た。
「……愛くるしいですよね?」
「…………」
女性は困ったような顔をして俺を見て、シュオンを見て、もう一度俺を見た。
シュオンが、泣きそうな顔で俺を俺に向けてきた。
「この……この人? なんですか?」
「ドラゴン。知らない?」
「…………」
女性が、なんとも表現できない微妙な表情を浮かべてシュオンを見た。
「どらごん?」
「ドラゴンなのだわ。見た目は気持ち悪いけど」
「気持ち悪くないよ!? こういう見た目の方が女性に人気が出るよ。お風呂に一緒に入っても、キャッキャウフフって笑いながら洗ってもらえるからっ」
「は……?」
リィリアが、汚物を見るような目でシュオンを見ていた。
幼女の冷たい視線とか内心で思っているのか、なんだかシュオンは満足げな顔をしている。
「タツミ、シュオンはここに捨てていくのが、タツミの為なのだわ」
「そう言うな。性格はアレだけど、これでも結構役に立つんだ」
「そうだよ、リィリア。火を吐けるし、その気になれば空も飛べる。僕が居れば、出来ない事なんてないんだ」
「凄く不安なのだわ。タツミが他の女の人と話している時と同じくらい不安なのだわ」
不安の度合いが曖昧過ぎてよく分からなかったけど、苦笑しながらリィリアの頭を撫でる。
「取り敢えず、まずは自己紹介かな? そっちの変なのはシュオン、この子はリィリア。俺はタツミ――君は?」
「あ、フローラと申します。フローラ=イマニティです。傭兵をしています」
紅髪の女性、フローラさんは再度地面の上で姿勢を正すと深々と頭を下げた。
「詳しくは言えないのですが、荷物をこの先にある軍の野営地へ届ける途中、この山賊達に襲われまして……危ない所を助けていただき、ありがとうございました」
そう一息で言うと、フローラさんは顔を上げて俺を見てきた。
なんとなく、その視線が何を訴えたいのか――それが分かった。
「道に迷った、という事でしたが」
「ああ。他に人も居ないようだし、良ければその野営地まで護衛として雇ってもらえると助かるな」
「ほんと――あ、でも。報酬が……」
「払える分でいいよ。途中で、色々と聞きたい事もあるし」
こっちの素性は……どうしようか。まさか、正直に元『魔王』だとか言うのも変だし。
シュオンの事はペットとかでもいいと思うし、リィリアは友人の娘を預かっているとか。
自分達の事をどう説明するか考えながら、いまだに気絶している男たちを担ぎ上げ、馬車の荷台へ乱暴に投げ込んでいく。
フローラさんに聞くと、山賊を軍に引き渡すと、金一封が貰えるらしい。それは、全額俺に暮れるそうだ。
人界の通貨も知らないし、その辺りを知るにも丁度良いだろう。
初めての旅。初めての人界――その最初は、人助けから始まった。