第十八話 旅の始まり
周防辰巳は元人間である。
元なので、すでに人間ではない。
この辺りは、自分自身で納得している。自分で選んで人間を辞め、自分の意思で魔王を名乗るようになった。
「タツミさんは……その、本物の『魔王』、なのか?」
「そうなのだわ。魔王スオウ。人間界だと、そう呼ばれているのかしら?」
「格好良いな、うん」
全然そう思わないけど。
まだ暗い森の中。追ってくる軍人の気配は無い。
先ほど追い返した少女のような顔をした人間と、追随していた兵士達。それに、別れて足止めさせたシュオンがちゃんと追い返したのだろう。
シュオンと合流するために、ある程度前線基地から離れた場所に腰を据えてフローラさんに自分が何者なのかを告げる。
魔王と言う正体を晒す事に少しばかり警戒する気持ちもあったが、彼女は先ほど俺と一緒に行動した。
暗がりなので顔はバレていないだろうけど、一緒に行動したという事実は内面へいくらかの変化をもたらしている様だった。
ついさっきまではどこか消極的だった雰囲気も鳴りを潜め、今は僅かにだが興奮しているようにも見える。
まあ、目の前で荒事が起き、その少し前は基地の武器庫を爆破したのだ。
その影響かもしれない。火や荒事は気持ちを昂らせる。
「元は人間なんだがね。魔界で生きていくには、人間の身体は色々と不便だったんだ」
「不便?」
「魔界の空気は、人間にとっては毒に近いんだ。吸っているだけで体力が奪われるし、そのままだと死に至る」
「……書物や詩人が歌う物語の内容そのものだな」
「そうなの?」
「吟遊詩人の想像力も、あながち馬鹿に出来ないな」
それとも、人間界では魔界の印象はそんなものなのかもしれない。
人が住めない場所は毒に塗れ、緑の無い腐界とでも言われているのか。
「でも、私が生まれた頃はもうそこまで住みにくくなかったのだわ」
「俺とかシュオンとか、昔から生きている奴らで頑張ったからな」
澱んで腐った沼の水を入れ替えて湖にし、その水を流して川とする。
清廉な水は緑を育て、川魚が住めるようになる。魚が住めばそれを餌に獣が育ち、獣の糞尿が大地に栄養をもたらす。
その栄養で大地は命を取り戻し、生命力豊かな大地は食材を育てる事が出来るようになる。
それに、百年。
たった百年なのか、百年でようやくなのか。
俺が召喚され、死の直前になってようやく人を辞める決心をした世界。
「魔族っていうのは、土地を耕す事が出来なかっただけなんだ」
「……どういうことだ?」
「そのままの意味だよ。耕せないから、人が耕した土地を奪って食料を得る……けど、そこから耕す術を学べなかったから、奪った土地をまた腐らせて、そして土地を奪う」
百年前は、その繰り返しだった。
自分達もそれでは駄目だと分かっていても、どうしようもなかった。
清潔な土地を得ても、それを維持する方法を教えてくれる人が居なかったから。
魔族は、耕す術を持っている人からどうしようもないほど畏れられてしまっていたから。
「それで俺が異世界から召喚されて、魔族に土地の耕し方を教えたんだ」
「……いせかい、なあ」
逃げる途中にも軽く説明したが、フローラさんからすると『異世界』という単語は理解が難しいらしい。
それもそうだろう。
この世界以外にも世界があって、そこから人が召喚された。いきなりそんな事を言われても困惑するのがふつうだろう。
なので、フローラさんのそんな言葉もあまり気にならない。
まあ、そんなものがあるのだと覚えてくれていればいい。そのうち理解してくれるだろうし、別に理解してもらえなくてもいい。
それほど親しい間柄でもないのだし。
自分が知っている話をしている事で退屈だったのか、座る俺の膝の上にリィリアが腰を下ろした。
手慰みに、その柔らかな髪を手で梳くようにして撫でる。
「異世界の話はともかく。そうやって俺は、魔界で生きていく事が出来ずに人間を辞めたんだ」
「その、土壌の浄化? それが間に合わなかったのか」
「その頃は魔族の子供どころか、大人すら弱って死んでいくくらい酷い場所だったから」
この、リィリアの両親もそう。
この子を生かすために自分達の食料を多く分け、その結果……衰弱して死んでしまった。
「俺は、そんな魔界で生きてきた。生きたから……戦争なんて理由で、その土地がまた荒れてしまうのが嫌なんだ」
「それが、タツミさんが戦争を止めようとする理由か」
「ああ」
そんなものだと自虐的に呟くと、俺の正面に腰を下ろしていたフローラさんがクスリと笑った。
「その、なんだ。魔王と言うのは、随分と人間らしい理由で戦争を止めようとするのだな」
「元人間なのだもの。……タツミが魔王になったから、魔族は人の世界を攻めなくなったらしいのだわ。土地を奪うより、土地を耕す方が楽しいから」
「アレだな……魔族と言うより、農家の人みたいな理由だな」
明るい声。
バカにしているのではなく、どこまでも真摯で……きっとそれは彼女の本心ではないだろうか。
聞くところによると人は魔族を残忍で恐ろしいバケモノなのだと認識しているようだった。
あの村で聞いた話然り、今フローラさんと少し話して抱いた印象然り。
けれど俺の話を聞いて、フローラさんの中では少し魔族に対する印象が変わったようだった。
魔王と分かった俺へ向けられていた警戒と恐怖が、今の表情からは感じられない。
「そういう訳で。戦争を止めるために、人界の王と話したい」
「話したいと言って話せる相手ではないと思うが……」
「その辺りは、こっちで何とかするさ。フローラさんには、王城のある街まで案内してもらいたいんだ」
「……そう、だな」
言い淀んだのは、やはり魔王を人の町へ案内する事に抵抗があるからか。
けれど、それも一瞬。
彼女は俺の目を正面からまっすぐ見ると、しばらく黙った。
「ここまで来たんだ。分かったよ」
「助かる」
「ああ……ん?」
「お、戻ってきたな」
しばらくして、頭上から羽ばたく音が聞こえた。
大きな、砦は絶対に出せない音。木々が揺れ、暗闇の森がざわめく。その原因が何なのか分からなければ、僅かな月明りで照らされる暗い闇に恐怖を抱いてしまいそうなほど。
「な、なんだ?」
「シュオンが戻ってきたんだ」
俺が言うと、丁度その巨体が地面へ降りた。
元が感嘆に抱える事が出来る、ぬいぐるみのような外見をしていた喋るドラゴンではない。
全長は十メートルに迫り、その翼は青白い月を完全に覆い隠してしまうほど大きい。暗闇の中で爛々と輝く黄金色の瞳も小さなころと比べると獰猛さを宿していた。
暗がりなので分かり辛いが、巨大な真紅の翼竜。それがシュオン本来の姿。
いつものぬいぐるみは、いつもコイツが言っている『女性に気に入ってもらうため』の擬態でしかないのだった。
「ここに居たんですね、ご主人」
「遅かったな」
「……そりゃあそうですよ。何処に居るか分からないんですから」
どこか憮然とした様子でシュオンが呟いた。
顔を逸らし、拗ねたように地面へ身体を横たえる。
「こ、この大きなドラゴンがシュオン君……なのか?」
「ふふふ。驚きましたか、お嬢さん?」
「驚いたというより、全く別の存在なのだわ。私より長い木なのは知っていたけど、こんなに大きかったのね」
「それはそうですよ。僕、ご主人と歳はあまり変わらないですし」
「弟みたいなもんだな」
俺はシュオンと違って『中身』だけがドラゴンだけど、そこに流れている『血』は似たものだし。
「それじゃあ、行くか」
「どこへ? 僕、落ち着いたら寝たいんですけど。今日は働いたし」
「何が働いただ。人間を追い返しただけだろうが」
「右翼の先っぽ、見てくださいよ。剣で斬られたんですよ!?」
「……ドラゴンの鱗が、たかが剣で傷一つ付くか」
溜息を吐くと、膝の上に座っていたリィリアの脇の下に手を入れて、持ち上げるようにして立ち上がる。
そのまま、小柄な幼女をシュオンの背中へ乗せた。
「人界の王様が住んでいるっていう王都に行くぞ」
「どこです、そこ?」
「知らん。空の上で、フローラさんが案内してくれる」
「そ、空の上?」
「武器を破壊したとはいえ、前線にはもう兵士が集まっているんだ。武器が揃えばすぐにでも戦いが始まるぞ」
時間が無いと言外に言うと、フローラさんが神妙な顔で頷く。
「そう、だな」
「というわけで、ほら。シュオンの背中に乗ってくれ」
言うが、フローラさんはどこか腰が引けたままシュオンへ近寄ろうとはしない。
「どうかしましたか?」
「ああ、いや。うん……シュオン君、なんだよな?」
ああ。
「姿が変わって、びっくりしているのか」
「元に戻りましょうか?」
「こっちが『元』だろうが。あと、あんなチビになって、どうやって王都まで飛んでいく気だ」
そう言ってフローラさんの後ろへ回ると、その肩へ手を回す。
シュオンの上で、リィリアが「あ」と声を上げる。
「ほら。夜のうちに進めるところまで進みたいんだ。急ぐぞ」
流石に、人間界の空をドラゴンが飛べば目立ちすぎる。太陽が上れば、見慣れたぬいぐるみ姿に戻ってもらってから歩きの移動なのだから。
フローラさんの背を押して、シュオンに乗せる。
最後に俺が乗ると、シュオンがその翼を大きく広げた。
「それじゃあ行きますね。フローラお嬢さん、強くしがみついていてください」
「わ、分かった」
「変態なのだわ」
「人聞きが悪いなあ、僕は落ちないように気を遣って……」
「落ちそうになったらタツミが助けるのだわ。ねえ?」
その言葉に苦笑する。
まあ、本心ではどうであれ、シュオンにはしがみ付いていた方が良いだろう。
俺の前にはリィリア。後ろにはフローラさん。
二人に挟まれる格好で、シュオンの背を軽く叩く。
「ほら、行くぞ」
「はいはい。相変わらずドラゴン使いの荒いご主人だことで」
「わ、わっ」
シュオンが翼を羽ばたかせると、驚いたフローラさんが俺の背中に抱き付いた。
思ったよりも力が強い。
そう言えば、この世界には飛行機なんてないのだから、こうやって空を飛ぶのは初めてなのかもしれない。
とすれば、確かにドラゴンの背中に乗る事に躊躇いを抱いてしまうのも当然か。
「高いのだわ。月が近いのだわ、タツミ」
「ああ」
小柄なリィリアが落ちないようにその身体を後ろから抱きしめる。
リィリアも、そんな俺に体重を預けながら空を見上げた。
後ろから女性に抱き付かれ、前の少女を抱きしめる。
そんな状況で、俺達の旅は始まった。
こちらの更新を再開していきます。
他にも止まっている作品があるので、そちらも……多分明日から?
これからも、よろしくお願いします。




