第一話 魔王様御一行
「これからどうしましょうか?」
腕の中で、紅色の鱗を持つ『ぬいぐるみ』がのんびりとした口調で言った。
緊張感のない、気の抜けた声だ。
吹く風が心地良いのだろう。その目は虚ろで、今にも眠ってしまいそうだ。
「寝るなよ」
「まさか。ご主人より先に眠るなんて……ふぁ……」
言葉の途中で欠伸をする辺り、相当眠いようだ。
それもそうだろう、と。剥き出しの地面に白い石を敷いた街道を歩きながら、空を見上げる。
どこまでも続く青。快晴。
暖かな陽気は汗を掻くほどではなく、涼しい風が頬を撫でる。昼寝日和と言えるだろう。
腕の中でウトウトとしているぬいぐるみに似たドラゴン、シュオンではないが。確かにこの陽気は眠気を誘う。
シュオンに釣られて欠伸をすると、少しだけ強い風が吹いた。
黒色の前髪と、纏っていた髪と同じ黒色の外套の裾を揺らす。金糸で彩られた外套は高級感があり、とても軽い。
けれど、その下に着ているのは質素なチュニックと安物のズボンという、なんともアンバランスな服装。なんというか、自分でも思うが中途半端だと思う。
外套もその下の服も、どちらも合っていない。
ちなみに履いているのは魔物の革を鞣したブーツ。こちらは外套の下に着ている服に合っていると思う。
まあつまり、外套が浮いているのだ。服を着ているのではなく、服に着られているとでもいうべきか。この場合だと外套だが。
「しかし、ご主人」
「ん?」
「スオウタツミも、魔王の肩書を無くすと本当に普通の人間ですよね」
欠伸混じりにシュオンが言った。本心だろう。
半分眠っているような声だったので、深く考えず言ったに違いない。
投げ捨てたい気持ちになりながら、腕の中のぬいぐるみっぽいドラゴンを抱え直す。
スオウタツミ。周防辰巳。
俺の、人間としての名前。久しぶりに呼ばれたフルネームに、苦笑してしまう。
魔王の肩書を得てからは、魔王様、タツミ様とばかり呼ばれていたからだ。
理由は単純で、どうにも俺には魔王としての貫禄が無いらしく、魔王や様付けで呼ばないと一般人に混じってしまって影が薄いとか何とか。
凄く失礼な話なのだけど、大元がただの一般人でしか無い俺に、魔王の貫禄を持てと言うのが無理なのだ。
あと、箔付けの為に滅茶苦茶な難題を吹っ掛けられた事も少なくない。
……それでも結局、俺は『強力な魔王』ではなくて『庶民派の魔王』なのだけど。
なにせ、暇を作っては村人と一緒に畑を耕したり川の様子を見に行ったりしていたし。
魔王として住んでいた王城を出て、数日。時間は太陽が中天より傾いている事から、昼過ぎといったところ。
城を出てしばらくは見えていた木造の家屋はすでに無く、周囲にあるのは豊かな自然と草原ばかり。
この世界の建物は木造の物が多い。それは、石よりも簡単に作る事が出来るし、木造というのは寒暖に強い。暑い時は涼しいし、寒い時は何気に温かい。
日本も昔は木造の家だったらしいし、異世界とは言え人の考えが行き着くところは同じなのかもしれない。
「それは失礼なのだわ、シュオン」
そんな事を考えていると、俺達の少し後ろをちょこちょこと着いてきていた、小柄な人物が口を開いた。
振り返る。
柔らかな陽光を弾く豊かな金色の髪が風に吹かれて乱れに乱れ、荷物を持っていない手で何度も整えようとしてはまた風に乱れる。しばらくすると、苛立たし気に「もう」と声を上げた。
「どういうつもりなのかしら、タツミ。いきなり遠出なんて、聞いていないのだわ」
「そんなに苛々するなら、ついてこなくてもいいのに」
「そうはいかないわっ」
片手で持つには多すぎる荷物を引き摺るようにして金髪の少女……少女というか幼女は、唇を尖らせた。
「私を置いて、きっとまた楽しい事をするのでしょう?」
「とてもそういう気分じゃないんだがね」
「嘘ばっかり。タツミはそうやって、いつも私を騙すのだわ」
金髪幼女に聞こえないように小さな声で呟くが、どうやら聞こえてしまったらしい。
早足になると俺の隣に並び、強い視線で見上げてくる。本人としては睨んでいるつもりなのだろうが、幼く愛らしい容姿では怖いというよりも微笑ましい。
年の頃は十にも届いていない。
美しい黄金色の髪に、フリルと銀糸で彩られたゴシックドレス。俺にも言える事だが、とても旅装束とは思えない。
まるで精巧に作られた美しい人形のような服装に、けれどその表情は喜怒哀楽に富んで変化する。
身長は俺の腰くらいまでしかなく、当然、成長しきっていない身体は歩幅が狭くて俺が普通に歩いていても小走りになってしまっているのが可愛らしい。
その手にある沢山の荷物が詰まったバッグには、きっと旅行用の着替えが入っているのだろう。
大事そうに両手で抱えているが、向けられる視線が持ってくれと語っているように見えてしまう。
城から出て数日――途中で音を上げるかと思ったが、結局ここまで着いてきていた。その根性に、こちらの方が音を上げる。
「それで、これからどこに行くの?」
「それも知らずについて来たの?」
「だって、ヴァーリジナが……タツミがしばらくお城に返ってこないって言うんだもの」
ヴァーリジナというのは、毎朝俺の部屋に花を飾ってくれていたメイドの名前である。
この幼女――リィリアの部屋にも花を飾っていたらしく、この子は彼女によく懐いていた。
それにしても。
「一応、俺が城を出るのは内緒にしていたはずなんだけどなあ」
「人の口に戸は立てられぬ、ですね」
「よく覚えてるな、お前」
昔俺が言った言葉を口にしたシュオンに感心しながらリィリアを見る。
「あのな、リィリア」
「なあに、タツミ?」
俺に名前を呼ばれたからか、まるで鈴の音のような、先ほどまでとは打って変わって可愛らしい声を出すリィリア。
向けられる好意の視線に、シュオンを抱きかかえているのとは額の手で頬を掻く。
「俺、実は魔王を辞めたんだ」
「辞めたというかクビになったんですけどね」
要らん事を言ったシュオンの首を絞めると、「ぐえ」とドラゴンのようなぬいぐるみが鳴いた。
「そうなの? だったら、これからはずっと村のお手伝い?」
「んー……ちょっと違うかなあ」
何をやりたいかは決まっている。けれど、どうすればいいのかが分からない。
そんなところだ。
なので、リィリアへ明確な答えを出してあげる事が出来ず、彼女の視線から顔を逸らす。
「取り敢えず、人界に行くつもりだ」
「わ。私、人界に行くのは初めてなのだわ」
「……呑気だなあ」
リィリアの言葉に、シュオンが呆れたように呟いた。
俺と話して機嫌の良かったリィリアの表情、その頬が膨らむ。
「なぜ?」
「もうすぐ魔界と人界は戦争を始めるんだよ? 知らない?」
「知っているわ。けど、所詮相手は魔法も使えない人じゃない」
「…………」
そのリィリアの言葉に、空を見上げながら唇を尖らせる。
まあ、あれだ。
これが魔族共通の考え方なのだ。人族――人間や亜人、獣人は魔法を使えない劣等種。そう見下されている。
実際、魔族は強い。
人よりも肉体的に優れているし、中にはサキュバスやヴァンパイアといった特別な能力をもつ種も存在する。
けれど、人と魔を明確に分ける異能――『魔法』。
魔族は体内で魔力を生成し、その量に個人差はあれど、その魔力を消費して『魔法』を行使する。
それは傷を癒す事だったり、人など簡単に押しつぶしてしまえそうな岩を簡単に持ち上げたり、何も無い場所に火を起こしたり。
強力な魔法となれば、それこそ今目の前にある豊かな自然を一変させてしまえるほど。その魔法があるからこそ、人は魔に虐げられ続けてきた。土地を奪われ、命を奪われ――その鬱積が、彼らを戦争に駆り立てたのか。
「タツミが王様になってから何もしてないのに、自分達からどうしてそんな事をするのかしら?」
「何もしていないからこそ、魔族の恐怖を忘れたのでしょう」
珍しく、真面目な声でシュオンが言った。
「魔族と違って、人は五十年程度しか生きられませんからね。百年も経てば、恐怖が消えてしまうのも道理です」
「それで、元人間だからタツミは魔王じゃなくなったの?」
「ちょっと違う、かなあ」
元人間だからではなく、今日まで戦争に反対していたから――王が戦争に反対すると、臣下はその判断に逆らえない。
そうしている間に人は戦争の準備を整えてしまった。
やる気になった人を前にして、リィリアのように人を見下している魔族は我慢が出来なくなった。
というよりも、所詮魔法を使えない人など、さっさと黙らせてしまおうという考えか。
ただ、やっぱり戦争は嫌だ。
魔界に長く住んでいるけど、やっぱり元は人間なのだ。人が死ぬのは嫌だし、戦争になれば魔族だって死ぬ。
……そういう好戦的な所は、百年前から変わらない。
けれど、それが魔族なのだ。俺が一緒に百年の時を過ごした、俺を身内のように扱ってくれた。
「タツミ、結局これから何をしたいの?」
リィリアの声に、我に返る。
少し昔を思い出そうとして、首を横に振った。
「人界に行って、どうして人が戦争を起こしたのか調べようかと思ってな」
「変なの。向かってくるなら黙らせればいいだけなのだわ」
「そういう訳にもいかないんだよ、リィリア」
乱れた髪を整えるように優しくその頭を撫でてあげる。
「戦争が起きれば人が死ぬし、魔族も死ぬ――俺は、誰にも死んでほしくないんだ」
「優しいのね、タツミは」
優しい、のだろうか。
そう言われて、苦笑する。どちらかと言えば、傲慢とか、そんな感じだと思う
魔王でありながら、人も魔、どちらも死んでほしくないと思っているのだから。
戦争というモノの本質を知らないからだろう。先日、身内ともいえる魔族から言われた『覚悟が甘い』という言葉が頭を過ぎった。
「お前、また太ったんじゃないか?」
話題を逸らすためにシュオンを抱え直すと、思った事を口にする。
「太ったのではなく、女性受けする体型に近付いたのです」
「……そうか」
本人がそう言うのならそうなのだろう。現実がどうかは知らないが。ただ、リィリアの冷たい視線に気付いてくれるといいのだが。
周囲を見やると、緑豊かな自然と、はるか遠くに見える地平線。
元の世界――日本では見た事の無い雄大な自然は美しいのだが、百年以上も見ていると最初に覚えた感動も色褪せてしまう。
けれど、何も感じないわけではない。
美しいと思う。この自然を守りたいと思う。
この世界に召喚されてからずっと、魔界に住む魔族の皆と一緒に育てた自然だ。傲慢で不遜かもしれないが、我が子のように愛おしいとすら思う。
こんなにも自分が自然博愛な性格だとは思わなかったが、きっと長く生き、長く居るというのはそういう気持ちを抱かせるのだろう。
特に、百年前は緑なんか何処にも無くて、右を見ても左を見ても荒れた大地と地平線ばかり。美しいのは青い空くらい。
魔界と呼ぶに相応しかった荒地は、今ではまるで楽園のように美しい。
これは、自分達が育てた世界なのだと。
戦争になれば、この自然も焼かれてしまうかもしれない。……それも嫌だった。
・
そのまましばらく道なりに歩き、ようやっと遠くに高い壁が見えてきた。
ずっと、視界の端から端まで、視界に収まらないほど――長い壁。
俺が百年以上もの時間を費やして魔界に自然を増やしている間に人が造ったモノ。それは魔界と人界を分断する境界の壁だった。
石造りの境界から先は人界、こちら側は魔界。何とも分かり易い。
その境界の前に、数えるのも億劫なほどの人影。遠くからなので、まるで白い敷物が壁の前に広がっている様な光景が見えた。
人だ。
戦争を起こしたと言うだけあって、軍を広げているのだろう。
人界の世情には詳しくないのでよく分からないが、人界も魔界と同じように王政を敷き、人の王が民の上に立っているのだとか。
魔族の軍は、まだ到着していない。
俺が農耕に力を注いでいたせいか、この百年で戦える魔族は減っている。それでも強気なのは、自分達だけが魔法を使えるという優越感があるからか。
きっと、同じ考えがあるからこそあそこに展開している人の軍は魔界側へ侵攻できずにいるのだろう。
「もうっ。境界の傍って村も何も無いから、退屈なのだわ」
「本当、文句ばっかりだよねリィリア」
「タツミに抱っこされてるシュオンにだけは言われたくないのだけれどっ」
歩き疲れて息を乱したリィリアの言葉に、シュオンが余裕のある声で言った。
多分、俺がリィリアの立場でも苛立ってしまうだろう、なんというか癪に障る声だと思う。まあ、それがシュオンらしいともいえるのだが。
「もう少し痩せて、自分で飛べるようになるべきだと思うのだわ」
「それだと女の子に抱っこしてもらえないじゃないか」
「まず、抱っこしてもらうことを前提に考えるのをどうにかしろ」
左手でその首根っこを掴み、乱暴に持つ。
「リィリア、荷物を」
「持ってくれるの?」
「ああ」
疲れて帰ると思っていたら、結局『境界』の近くまで来てしまったし。ここから戻るなんてしないだろう。
まあ、戦争の理由を調べるだけで、別に物騒な事をするつもりもない。もしかしたら戦争を止める事が出来るかもしれないとか、その程度。
軽い旅行のような気持ちで考えながら荷物を受け取る。
「一緒に来ても、疲れるだけだと思うけどなあ」
「タツミが一緒なら、疲れるのも楽しいのだわ」
「懐かれてますねえ」
シュオンの揶揄い声に、けれどリィリアはどこか嬉し気に頷いた。
どうしてここまで懐かれているのかというと、単純にこの子がもっと幼い頃から遊び相手をしていたからというのが理由だろう。
魔族はあまり子供が出来ない。
以前の魔界はもっと過酷な状況だったので、子供は成長すること無く死んでしまっている事もあったほど。
そして、弱い子供を生かすために自分の食料を与えて死んでしまう親も。
そんな時に産まれたリィリアは、両親の愛を受けて生き、愛を受けること無く成長した。そんな彼女を、俺はとても大切に、死んでほしくなくて、守ってきた。
出会いは偶然でしかないけれど、彼女にとっては奇跡なのだとか。
きっとその好意は親に向けるものなのだろうと思うけど、それを言うと本人が怒るので結局どうなのかは分からない。
ちなみに、幼く見えるがリィリアは五十年くらい生きている。
外見が幼いのには理由があるのだが、それを口にすると臍を曲げるので黙っておく事にする。
「付いてくるのはいいけど、危ない事はしない、一人で行動しない、喧嘩はしない――」
「もう、私は子供じゃないのだわ」
「心配なんだよ」
「…………」
俺が話し掛けると満面の笑みを浮かべていたリィリアが、顔を真っ赤にして視線を逸らした。
ズルイとは思いつつ、あといくつか彼女に約束を取り付ける。
「あと、俺の言うことは聞く事。守れるか?」
「タツミの言う事なら、なんでも聞くわ」
「じゃあ、危ないから城に帰れ」
「……ず、ズルいのだわ」
「冗談だよ」
そんな、泣きそうな顔をされると俺としても少し困る。やっぱり、俺は子供に甘いんだと思う。
「それじゃあ、夜になったら境界を越えるか」
「このまま人界に行かないの?」
「あんなに高い壁を越えたる所を見られると、人から不要に警戒されてしまうからね」
俺より早く、シュオンが説明してくれた。
首を鷲掴みにされた状態なのに、その声音に変化は無い。なんというか、器用な奴だ。
「警戒されたら、黙らせてしまえばいいのに」
「リィリア、喧嘩はしない」
「ぅ……分かったのだわ」
彼女が持ってきた荷物を地面へ置くと、腰を下ろす。
「それじゃあ、陽が落ちるまでのんびりするか」
俺が言うと、リィリアは急いで俺の隣へ腰を下ろした。
「バッグを貸してちょうだいな」
「はいはい」
言われた通りにバッグを渡すと、リィリアはその口を開き――俺の視線に気付いて、身体全体を使って中身を隠してしまった。
「女の子の荷物を覗き見るのは、失礼なのだわ」
「それは失礼」
「女の子って」
「タツミ。シュオンを投げ捨てて」
鼻で笑ったシュオンを投げ捨てると、ドラゴンのようなぬいぐるみは地面を転がった。
「ご主人、起してください!?」
「少し黙っているのだわ、シュオン」
そう言って、リィリアは手に持った何かを俺に差し出した。
お菓子……城のメイド、ヴァーリジナが得意とする焼き菓子だ。保存が効き、数日たっても食べられるので持ってきていたのだろう。
「最後だから、一緒に食べましょう」
「そうだな」
頷くと、俺の腕に体重を預けながらリィリアが微笑んだ。