第十六話 竜殺しの魔王
息が上がる。眩暈がする。
極度の緊張に思考が散漫になり、巨木を背にしながら大きく深呼吸を二回。
そうしている間に支給されている銃へ弾丸を装填。槓桿を起こしてボルトを回転させて薬室の閉鎖を解くと、ボルトを後方へ引いて排莢。
続けてボルトを前方へ押し出して弾薬を薬室へ装填し、ボルトハンドルを倒してボルトを回転させ薬室を閉鎖する。
ガチャ、と大きな音が響いたが気にしない。
夜の闇。月光の淡い光だけが頼りの暗闇の中、響くのは仲間達の発砲音。ボルトを操作する音なんて発砲する音に比べたら小さなものでしかない。
そうしている間に場所を移動して、草むらの中へ身を隠した。
「何なんだよ、一体アイツはっ」
小声て毒づくと、草むらに身を隠したまま銃を構え、発射火薬が銃口付近で燃焼する事によって発生した閃光に照らされる敵の姿を照星で捉える。
不思議――いや、恐ろしい光景だった。
その姿を捕えるだけで息が上がり、眩暈がする。気持ち悪くて、夕食に食べたモノを吐き出してしまいそうになる。
戦いは慣れている。
銃が普及する前は剣を手に、銃が普及してからは剣と銃を手に戦場を駆けた。だから、戦うことも、人を殺す事も慣れている。
ああ、でも。それでも。
――目の前のこの光景は、肉体ではなくもっと奥、魂とも言うべきものが恐怖に震えていく。
「くそ、震えるな……」
銃口が震える。
薬室内の弾丸は一発。単発式の銃では、一発を外してしまうと次の八社まで時間がかかってしまうのは常識だ。
でも……目の前に立つ男。基地へ忍び込んで武器庫を爆破した犯人は前方三方向から発射される銃弾を浴びて尚、立ち続けている。
普通なら数発、当たり所が良ければ一発で人を絶命させる武器――銃。
その弾丸を何発も浴びながら、けれど男は立っているのだ。
手が震える。照準が定まらない。それでも相手は動かない的……何十何百、何年も繰り返した動作と経験で発砲。
命中。
肩に命中した衝撃で男が体勢を崩し、合わせるようにして他の場所で発砲している仲間達の弾丸が……けれど今度は、男の手が驚くほどの速さで動いた。
月の光と銃の閃光に照らされながら、しかし集中していた目は見逃さなかった。
――弾丸を、手で掴んだ……?
そう思った瞬間、男の目がこちらを向く。弾丸を掴んだ手が振られると――すぐ真横にあった緑葉が霧散。
頬に灼熱感があり、指で拭うとヌルリとした感触。
暗がりの中、発砲による硝煙の匂い。逸れに包まれているというのに、長年の経験から指が血で濡れていると分かってしまう。
弾丸を手で掴み、投げ返してきたのだ。
「い、一体何なんだよ、アイツはっ!?」
魔族、と言う単語が頭に浮かぶ。
人に似た、けれども人とは根本から違う種族。
人の敵。
けれど、目の前に立つ男は何処からどう見ても人間の男でしかない。
人間に似ているという次元ではない。人間そのものの外見だというのに――その在り方は人とかけ離れている。
急いでその場から移動する。投擲による精度はそれほど高くないのか、男は何度か弾丸を掴んでは投げ返す行動を繰り返すが、仲間達に命中している様子はない。
銃撃は止まらない。けれど、男に命中する頻度が減っていく。
……認めたくはないが、男が『銃弾を掴む』事に慣れていっているようで……。
「先輩、俺が行きます」
何度目かの弾丸の装填。
もう手は震えていない。むしろ、早く撃って殺さなければという気持ちに圧されるように銃弾を装填する動きが早くなっているような気さえしてくるほど。
そうやって撃つことに集中していると、肩が叩かれた。
弾丸を投げ返される度に場所を移動していた事で、いつの間にか離れていた仲間と合流していたらしい。
それに気付かないほど緊張していた事に気付くと、不意に気持ちが緩んでしまったように息を吐いてしまった。
「ローデリアか」
「その名前で呼ばないで下さいって――いや、今は言っている場合じゃないですね」
いつも纏っていた重苦しい全身鎧はすでに脱ぎ、その下に着ていたズボンとシャツだけという質素な格好。
とても戦いの場に立つ服装とは思えない。
月明かりの下に浮かぶ男にしては線の細い身体と、ともすれば女性のように見える整った容姿。
伸びた髪は適当に頭頂部で結ばれ、名前はローデリア……女性によくある名前とくれば、知らない人からだと女性によく間違えられるだろう。
そんなローデリアが、腰に吊っていた片刃の曲刀の柄に手を添えながら顔を寄せてきた。
「どういう理由かわかりませんけど、銃弾が通じないなら斬ります」
「斬るって――斬るのか?」
「はい。ですから、援護してください」
その言葉に目を剥いてしまう。
あんな化け物に近付くっていうのか――その勇気と気迫に圧されていると、ローデリアの視線が逸らされる。
すでにその目だけでなくその意思までが銃弾を防ぐ男へと向いている。
「ったく――どうすればいい?」
「あの男、発砲する時の光で場所を特定していると思うんです」
「……そんな事が出来るのか?」
「銃弾を投げ返してるし、出来るんじゃないですか?」
にわかには信じられない事を口にしするローデリアを見るが、こっちを見る事も無く襲撃者の男を観察している。
落ち着いていて、動揺も混乱も僅かも無い。
もう何年も戦場を経験している自分よりもよっぽど戦い慣れしているその様子は、その言葉を信じさせる『何か』を感じさせる。
よく考えれば、コイツも不思議な男だ。
碌な実績も無い癖に総大将と面識があって、この前線基地に配属された男。過去に何をしていたのかは知らないが外見は十代半ばのくせにこんな場面でも落ち着いている。相当な場数を踏んでいるのか、それとも危機感がバカなのか。
「なんで、気を惹くために撃ってください」
「……お前は?」
「反対からいきます」
それだけを口にしてローデリアが極力音を立てないようにして離れていった。
撃つ合図とか何も無い。言うだけ言って去っていくその後ろ姿が、見えなくなると息を吐く。
「あー、ったく。本当に大丈夫なんだろうな――」
それでも逃げるという選択肢が頭に浮かばないのは、さっきの言葉に自信が感じられたからかもしれない。
斬ると言った、その言葉に。
銃を構える。襲撃者の男を捉える。
「タツミっ」
仲間達の発砲音に混じって、誰かの声が聞こえた。
そういえば、その異様な光景に呑まれて忘れていたが、襲撃者は複数だったはずだ。
爆炎に呑まれる基地の一部。炎の明かりに浮かんだ人影を見た兵士達の数はそう多くなかったが、その証言から数は三人から四人という話だった。
この場に居る誰もが銃弾を浴びても立ち続ける化け物のような男に集中しているから気付かない。
ローデリアと話して少しだけ落ち着けたからか、その声が耳に届いた。
その声がした方へ銃口を向ける。
それが何者なのか分からない。暗い夜の森、月の明かりだけでは遠くまで見渡せず、ただ声が下方向へ集中するだけ。
「仲間か――」
深呼吸を一回。
それだけだった。
引き金を引き、発砲。剣や槍とは違う、たったそれだけで銃は人の命を奪う事が出来る。
何の感慨も、熱も無い。
ただ少しだけ指を動かすだけ。
放たれた弾丸は声がした方へ向かい――けれどその時、矢面に立って追跡の任務に就いていた兵士達の意識を一身に浴びていた襲撃者の男が、目にもとまらぬ動きで駆けた。
車線上臍の身を躍らせ、放った銃弾を身体で受ける。
蒼い月光の下、男の全身が露わになる。
……不思議だった。
あれだけの銃弾を浴びて、激昂に照らされた身体は何処までも綺麗……血が流れていない。
いや、腕などを少し穢しているように見えるが、それ以外の傷が無い。
ふと、思ってしまった。思考に浮かんでしまった。
今まではなった銃弾、その殆どが受け止められていたのではないか、と。そんな事は人間に不可能で……やはり目の前に在る襲撃者は魔族なのでは、と。
人間の敵。人族の敵。
『魔法』という超常の力を扱う、バケモノ。
納得がいく。『魔法』で銃弾を防いでいるのではないかと。
そんな身体へ、新しい傷が一つ。
今までのように受け止めるのではなく、その背後を守るように男は頭部を両腕で庇いながら立ち塞がった。
「やれっ、ローデリアっ!!」
顔を庇っていた両腕の隙間から、『黄金色』に輝く瞳がこっちを向いた。
心臓を鷲掴みにされたような感覚――全身が硬直し、引き金に掛けた指すら僅かも動かない。
思考が止まる。
その瞳から目を逸らす事が出来ない。
夜の暗闇の中だというのに、まるでそれ自体が光を放っているかのように――激昂よりも尚明るい黄金の瞳。
……その威容に呑まれていると、その背後からローデリアが飛び掛かった。
片刃の曲刀を上段に構えて、振り下ろし。
目にも留まらぬ速さで振り下ろされた一撃は、まるで高等部に目でもついているかのような的確な動きで回避。
まるで素人のように大きく体勢を崩しながらの回避運動だというのに、次の行動は驚くほど速い。
技術や経験は無いが、身体能力は人間と明らかに違う。
思考が戻る。黄金色の瞳から解放される。
慌てて次弾を装填し、銃口を構える。
その間に二度三度と振られた曲刀を、男は少しずつ避ける動きを機敏にし――隙を減らしていくようにも見える。
ローデリアも同じだ。
その攻撃は激しさを増し、斬撃だけでなく体術も織り交ぜた連撃へと発展し、襲撃者の男を追い詰めていく。
こっちがやる事は簡単だ。たった一つ。
さっき声が下方向へ、もう一度銃口を向ける――そして、躊躇うことなく発砲。
人の目では負う事も出来ない速さで放たれた銃弾を……襲撃者の男はローデリアの攻撃を捌きながら車線上に立って身体で止める。
「ぐっ!?」
動きが止まる。身体に命中する。その一瞬で間合いを詰めたローデリアが、曲刀を掬い上げるように一閃。
暗い夜の森。月光で青く輝く夜空に、ナニカが舞う。
男の右腕だ。
「やったっ!」
歓喜の声を上げて、身を隠していた草むらから顔を出す。
いくら魔族とはいえ、腕を斬り飛ばされて無事でいられるはずがない。それに、これだけの攻撃に晒されて援護も無いという事は、襲撃者に同行している人物に攻撃能力は無い。
そう判断して、しかし緊張は解かないまま草むらから一歩踏み出す。
仲間達は姿を現さない。まだ、草むらに身を隠して銃口を構えているのだろう。
その気配を感じていると――襲撃者の男は、あろうことか切り飛ばされた腕……その手首をつかんでローデリアを殴りつけた。
「なっ!?」
ローデリアの驚いた声と同時に銃口を構え――その黄金色の瞳に睨まれた。
ただそれだけで、身体が動かなくなる。身体の芯から、震えが止まらなくなる。
ローデリアも同じだ。斬り飛ばした腕で殴られた程度で痛みなどあるはずもないだろうに、さっきまでの勢いを失くして立ち尽くしている。
なんだ。
何なんだ、コイツは。
さっきまで、違ったじゃないか。瞳の色は、暗闇の中で輝くような『黄金色』ではなかったじゃないか。
「あ、ぁ、ぁ……」
いや、違う。
頭に浮かぶ。
浮かんで、消えない昔話がある。
子供の頃、物心がついたばかりの頃、両親から、祖父母から聞かされた昔話。
その瞳は――――を喰った事で手に入れたのだと。
夜の闇。僅かな光も届かない深淵。その中にあってもなお輝く、すべてを見通す瞳。
この世界における厄災。最悪。破壊と暴力の具現ともいえるソレを殺し、喰った事で『同じ存在』へと至ったバケモノ。
――魔王。
その黄金色の瞳は、ドラゴンを喰って手に入れた最初の異形。
次に肝を、肉を、最後に心臓を。
その全部を食い尽くし、ドラゴンの力を手に入れたバケモノ。
何故。
何故、その昔話が頭に浮かぶのか。
全身が震え、涙が零れそうなほどの恐怖を感じてしまうのか。
「あ、あ……まお、う」
その言葉を口にした。
違うはずだ。こんな所に居るはずのない存在だ。
だというのに、どうしてこの胸の奥にある感情は、停滞しようとする思考は、その言葉を僅かも否定しないのか。
言葉が聞こえたのか。
黄金色の瞳が明確な意思を以てこちらを見た。
射竦められるなんて生温い。視線だけで心臓を貫かれたような感覚。
腰が抜けそうになり、数歩、後ろへ後退る。背中が木に当たり、倒れずに済む。
「――――」
男は何も言わない。ただ、その黄金色の瞳でこちらを見るだけ。
ただそれだけで、ああ、と。自分の言葉が真実なのだと、直感で理解してしまった。
魔王。ドラゴン殺しの魔王……スオウ。
それが、襲撃者の名前だ。
もう少し、戦闘が続くんじゃよ。
前作が神殺しだったので、今作は竜殺しです。
まあ、殺したというか、喰ったが正しいですけど。