第十三話 彼らの『戦争』1
「馬車って大切よ。こんなに村から遠いだなんて、思いもしてなかったのだわ」
体感で二時間ほどは歩いただろうか。森の中、しかも夜となると足場が悪く視界も悪い。
通常なら人間よりも体力のあるリィリアが、けれど息を乱しながらそう言った。ゴシックロリータと言うべきか、夜の闇よりも尚暗い、振り符が沢山使われた黒のドレスはとても歩き辛いようで、彼女はちょくちょく足を止めてはスカートが邪魔にならないよう手で摘まんで僅かに持ち上げて歩いていた。
ちなみに、その手には来るときに持っていた大きなカバンは無い。
あまりに疲れていたので、荷物は今俺が持ってやっている。彼女は今、銃を肩に担いでいるだけの状態だ。
本当なら重も取り上げたかったが、まあ護身用と言う事で持たせている。
弾は元から込められていた一発だけ。しかも安全装置までついているので安全だろうと判断しただけ。
本音を言うと、シュオンを抱えて、リィリアのカバンを持って……すでに両腕が塞がっているので、そこに銃まで担ぐとなると邪魔で仕方がない。
フローラさんに頼もうとしたら、変な対抗意識を出して自分が持つと言い出すし。
こういう所は幼女ではなく女の子なのかもなあ、と思う。大方、自分がフローラさんよりも使えないと思われたくないとか、そんなところだろう。
俺がそんな風に思うはずないのに。
「その……リィリアちゃんを連れて来て、本当に大丈夫だったのか?」
疲労で息を乱しながら、僅かに緊張が滲んだ声。
視線を少し上、暗がりで分かり辛いが森の枝葉、その隙間へ向けると強い光源。暗闇に慣れた目には眩しいと感じる光は、人界の軍が展開している前線基地が発しているソレ。
馬車の上から見ていた光源だ。
基地が近付いて来た事でリィリアの身を案じてくれたのだろう。
「ああ、大丈夫。もう自分で何が出来て何が出来ないか判断できる歳だ……こういう時は、子供扱いしない事に決めているんだ」
「その割には、荷物は持ってあげているんですけどね」
「目的地に着く前から疲れられたらどうしようもないからな」
シュオンの軽口に返事を返すが、それが不満なのか小走りになりながら必死に俺の隣を歩いていたリィリアが頬を膨らませた。
けれど反論しないのは、自分の体力の無さ――と言うよりも、肉体の幼さを理解しているからか。
こればかりはどうしようもない。
淫魔である彼女が成長するために必要な栄養……精気の不足。
これは彼女自身の問題で、彼女の気持ちが原因だ。今の俺にはどうしようもなく、これからも……彼女が自分で向き合わなければならない問題だった。
まあ、どうしようもない問題はさて置き、目的地である。
光源が見えた事で目的地の位置がはっきりとした事で、一旦足を止める。
リィリアほどではないが、フローラさんの息も乱れている。それでも俺の足について来たのだから、よく鍛えていると思う。
シュオンは……俺が抱えているから、そもそもつかれるような事はない。
「それで、ご主人。戦争行為を止めるなんて、どうするんです?」
「戦う武器を使えなくする」
「武器――その銃ってヤツですね」
そこで一息吐く。リィリアとフローラさんの状態を確認して、もう一度視線をまだ遠い光源へ。
「銃っていうのは、特別に作った弾丸を発射するんだが」
「なんだかそんな事を説明していましたね。で、その弾丸が?」
「その弾丸を使えなくする――先日馬車で銃を運んだ時に、銃と弾薬を纏めて兵士が運んでいたからな」
「そうでしたっけ?」
思い出すのは一昨日の事。
フローラさんと初めて会った夜、銃を運んだ時。馬車から銃を下ろして、兵士が何処へか持って行ったのを覚えている。
そこまで考えて、フローラさんへ視線を向ける。
「銃と弾薬。どこに溜め込んでいるか、詳細な場所は分かる?」
「……大凡の位置は。けど、それで本当に戦闘行為は止まるのか?」
ここまで来ておいてなんだが、彼女の視線にはわずかな懸念が浮かんでいる。
その内容は簡単に察しが付いた。
銃を無くせば、残るのは剣や槍。人族に魔法は使えず、それは魔族の特権。
そうなったら遠距離から魔法で狙われる――今までの歴史通りの戦い。そうなってはこの程度の前線基地など一溜まりも無い……つまり、ここにいる人族の虐殺だ。
それを懸念しているのだろうが。
「大丈夫ですよ、お嬢さん。しばらくは、魔族は動きません」
「昼間飛んでいった事か……申し訳ないが、シュオン君の言葉を信じる為の理由を聞かせてほしい」
「簡単だ。魔族も、人族と戦って怪我人を出すより、睨み合って諦めてくれる方が嬉しいからさ」
「ご主人の言葉を説明すると、魔族は魔物との戦いに戦力を集めたいので、人族と戦いたくなんかないんですよ」
そう補足して呉れたシュオンの言葉に頷く。フローラさんが、呆れたように溜息を吐いた。
「……それを信じろと?」
「ああ、信じてほしい」
「タツミ、それで信用しろと言うのは難しいのだわ」
「やっぱり?」
まあ、そうだよなあ、と。
「リィリアちゃんの服装は……その、とても平民の子供が着るようなものではない」
その言葉に、リィリアがスカートの裾を僅かに持ち上げた。まるで、貴族の子女がするように優雅な仕草で。
それが板についているのは、長年俺と一緒に過ごしていて、魔王と言う肩書の男と一緒に過ごすためにメイドのヴァーリジナから教わったからだった。何とも健気である。
「その、貴方も相応の立場の人……なのか?」
「そう見える?」
「……リィリアちゃんの従者と言うには、少し馴れ馴れしいように思う」
「相変わらず、ご主人は威厳が無いなあ」
「いいんだよ。親しみやすい方が、こう、なんというか……こうやってフローラさんも話しやすいだろ?」
「あ、ああ……」
なんだか一歩ヒかれていた。なんでだ……俺としては、どこにでも居る普通の一般人。目立たず、大人しい、ただの男を意識して行動しているというのに。
……それが逆に不審に見えるのだろうか。
「ま、あれだ。もしかしたらもうすぐ分かるかもしれないし、分からないかもしれない」
「結局それだと、ご主人や僕達の言葉をお嬢さんに信頼してもらえないですよね」
「…………」
そう言えばそうだった。シュオンにツッコミを入れられ黙ってしまうと、リィリアが深い溜息を吐いた。
「タツミのそういうおバカな所、大好きよ?」
「ありがと、リィリア。俺もリィリアのそういう優しい所、大好きだよ?」
「あら、嬉しい」
棒読みだった。物凄くお互いに棒読みだった。
けれど、嬉しいという言葉だけは本心のようで、暗がりでもそれと分かるくらい明るい笑みを俺に向けてくれた。
フローラさんがコホン、と咳払いをする。
「そうですね――ご主人は、ご主人です」
そんな情けない俺をフォローするように、シュオンが口を開いた。
「ドラゴンの主人。そして、貴方が言う綺麗な服で着飾ったリィリアの主人――そんなところです」
「それで、肝心の何者か、というのは?」
「知りたいですか?」
その声は、普段の……女好きだと公言するぬいぐるみのようなドラゴンからは想像できない、低い声。俺としては久しぶりに聞く、そしてフローラさんや……俺ほど長く付き合っていない、それでも五十年の付き合いがあるリィリアでも初めて聞く声だったのだろう。
淫魔の幼女は驚いた顔で俺に抱きかかえられているシュオンを見た。
「世の中には知らない方が良い事もある。貴女はどうしたいのですか?」
「ぅ」
「ご主人は戦争を止めると言った。なら、止めます――何故なら、この方は今まで、口にした事は『何があっても』実現してきたからだ」
そう言われると、なんだか俺が悪い事をして来たような気になってくる。
……本当に、俺は『何があっても』実現させた。
傲慢が王の特権なら、実現こそが王の義務だから。
決めた事は、貫き通す。曲げず、折れず、それがどんな結末であっても――成さねばならないのだ。そうしなければ、誰も従わないと気付いてしまったから。
「まあ、重苦しい話は別にして」
嫌な事を思い出しそうになり、息を吐く。
そんな俺に合わせて、フローラさんも肩を落とす勢いで深く息を吐いた。
「俺はさっき言ったように、戦争を絶対止める。そう決めた。もしその言葉を違えた時は、フローラさんの腰にある剣で俺を斬ればいい」
あっさりと口にして、彼女へ背を向ける。
視線を空へ。
大きく瞬く星々と、月の明かり。今日は満月に近い、僅かに欠けた月。夜目が利く人間なら、暗闇の中でも俺達を目で捕えるだろう。
それに、銃――銃を製造する技術があれば、ライトのようなモノも持っているかもしれない。先日基地を訪れた時は、それらしいものは見なかったけど。
体調クラスがどの程度の装備なのか――それとも、人界に銃をもたらした『科学者』は本当に銃の知識だけしか持っていないのか。
フローラさんから聞く限りだと、銃の話しか出てこないので情報が不足しているのだ。
今回の件で装備を確認したいなあ、と軽く考えて歩き出す。
「それじゃあ、まずは基地の近くまで行くか」
「ちょ、ちょっと――」
まだ話は終わっていないというような声に、足を止めずに肩越しに振り返る。
「あと少し、考えて。俺と一緒に戦争を止めるか、どうするか」
そのまま暗闇の中に浮かぶ松明の明かり、その光源を目指して真っ直ぐに森を進む。
運よく先日のように山賊とは出くわさず、また軍の斥候や森に棲むであろう獣の類とも遭遇しなかった。
まあ、近くにあんなに人が集まる全英基地を作られたら、危機に敏感な獣はこの場に近付かないのが普通か。
しかし、改めてみるとやはり大きい。
丸太を組んで作られた見上げる程に高い柵に、それよりも尚高い櫓。
門の周りには沢山の篝火が焚かれて昼間のように明るく、見張りの兵士は二人。けれど、櫓の上からも扉の周囲は確認できるだろうから、扉前の二人を倒したところで兵士には気付かれてしまうだろう。
それに、基地へ通じる門。
閉じているソレの開閉装置のような物は、見る限り何処にも無い。おそらく門の内側にあり、外側からは開閉できない造りか。
なんとなく、木造だからか、戦国期か中華戦記の砦を連想させる造りに感じた。まあ、その門を守っている兵士は西洋甲冑を纏っていて、櫓の上に居る兵士に至っては銃を構えているというなんともチグハグな光景だが。
「それじゃあ、行くか」
「…………」
「それで、どうするか決めたのかしら?」
さっきから黙っているフローラさんへ、リィリアがその表情を覗き込むように聞いた。
俺達が居る場所は、二人の見張りが居る門から離れた右側。そこにある大きな草むらの陰だ。櫓からも死角だし、小声で喋る程度なら声も届かないくらい兵士からも離れている。
そこで、最後の確認。
ここまで来た事から、フローラさんの内心ではどうするか決まっているのだろうと思う。
あとは口に出して決断するだけ。
何となく、理解できていた。
銃をよく思っていなかったし、その理由も一応聞かせてもらった。
親父さんの事は知らないが、彼女自身がこの国を案じていて、それを変えようと思っても行動を起こせなかった事が内心に影を落としている事も。
それを理解してこんな話を持ち掛けた俺は、悪人なのかもしれない。
きっと俺の言葉は、この人にとって甘美な毒でしかないだろう。人界に住む人の、人界を憂う気持ちを利用しようとしているのだから。
それでも――彼女の言葉を待つ。
ここで手を引く……俺が扇動して彼女に行動を起こさせるのは簡単だ。
けれど、それでは駄目だ。
俺ではない。
彼女自身が決断して、人界の為に行動すると踏み出さなければいけない。
そうしなければ、きっと、もっと別の目的が出来た時に彼女の目はそちらに向く。向いてしまう。
悪い言い方だが、フローラさんには『自分で決め、後に退けない』状況になってほしかった。
俺達の『仲間』になってもらうために。
人界の地理や情報に疎い俺達には、知識が必要だ。
人界に詳しい人物……その最初に、この女性は最適だった。
「一つ、言っておく」
時間にして、数分。
けど、きっと彼女の中ではもっと長い時間に感じたであろう葛藤。ようやくそれが終わると、揺れる……ともすれば、どこか縋るような目で、俺を見た。
「もしこれが人界側の害になるなら――」
「害になるよ」
その言葉を否定する。
「俺達が今からする事は、人界軍の武器を破壊する、一時的に使えなくする事だ。それは害でしかない」
そこは譲らない。譲れない。
ホントウを口にして、フローラさんに向ける。
「言っただろう? 戦争を止める。その為なら、俺は何だって、どんなことだってする……人にも魔にも害あることだって、俺はやる」
誰からも望まれないのかもしれない。
誰からも嫌われるかもしれない。
誰からも憎まれるかもしれない。
それでも、戦争を止める――。
「傲慢だな」
「もちろん――傲慢でも、不遜でも、俺は俺が行ったことを曲げない。そんな生き方しか、もう出来ないんだ」
そんな俺の言葉に、フローラさんは頷いた。