夢のなかで踊る
「アリス、起きて」
優しい声と窓から入ってくる朝の爽やかな風が頬を撫で私は目覚めた。微睡みの中で見えたのは大好きな姉の顔だった。
「お姉ちゃん」
私がそう呟くと姉は優しく微笑んだ。
そう言えば今日は姉とピクニックに行く予定だった。
いつも着ている水色のワンピース、姉も“可愛い”と言ってくれた。急いで着替えると母と姉が待っているキッチンへ向かった。
いい香りがする。
「おはよう、アリス」
ママはとても料理上手。優しくていい匂いがして大好き。
その横で私を起こしに来てくれた姉がお手伝いをしている。
姉は本当に凄い。
学校でも成績が優秀で友達も多くて美人で優しくて本当に自慢の姉だった。
「じゃぁママ行ってくるね」
「アリア、アリスのことよろしくね。アリス、お姉ちゃんの言うこと聞くのよ」
「はぁい」
姉の手を強く握るとママに手を振った。
「アリス、今日は丘の上の大きな木の所まで行くからね。歩ける?」
「うん!!」
丘の上の大きな木がある場所には何度か行ったことがある。
でも何より姉と手を繋いで出掛けられる事が嬉しかった。
「今日のお昼はママが食べやすいようにってサンドイッチを作ってくれたから一緒に食べようね」
「うん!!お姉ちゃん大好き!!!」
「ふふふ…、私もよアリス」
握られた手の強さは更に強くなった。
大きな木のある場所まで歩くのは辛かった。
丘の傾斜がキツかったからだ。
姉も重いバスケットを持っていて手が痛かったはずなのに私をずっと励ましてくれた。
「着いたね」
「着いたね」
姉は手早くシートを広げ座った。
私はそんな姉の隣に寄り添うように座った。
姉は美しいワインレッドの表紙の本を広げた。
内容を見るととてもじゃないが私が理解できるような絵本のような本じゃなかった。
木々の木漏れ日が心地よく眠りを誘った。
そして私は姉の肩にもたれ掛かりいつの間にか寝入ってしまった。
***
「お姉ちゃん?」
再び目を覚ますと姉の姿はなくなっていた。
空はさっきまでの空とは違いどんよりと重たい。
そして立ち上がった足元には姉がさっきまで読んでいた本が落ちていた。
拾い上げるととても重くずっしりとそして何故かヌルッと本ではない感触がした。
「ひっ…!!!」
投げるように本を手放すと手にはベットリと血がついていた。
「キャァアアァアアア!!!」
悲鳴と共に私は泣き出した。
落ち着くまでには30分以上掛かっただろうか?
どれだけ泣いても姉が来ることはなかった。
そして私は姉を求めてひとり家に向かった。
もしかすると天気が悪くなったから傘を取りに戻ったのかも知れない。家に行けば優しいパパもママもお姉ちゃんもいる!!!
私はそう信じて家に向かって走った。
「えっ…どうして…?」
そう呟いた私の声は震えていた。
家はまるでお化け屋敷のように蔦が絡まり更には優しい雰囲気のする外観ではなくまるで違う洋館のようになっていた。
しかし絶対に間違えることはない。
そこには姉と植えたリンゴの木があったからだ。
大きな扉の冷たい取っ手を握ると私は強く中へ進んで行った。
中へ入ると春とは思えないぐらいの冷たい空気に出迎えられた。
見事な大階段が姿を現しその前には美しかったはずの渇れたバラが飾られていた。
渇れたバラを横目に見ながら私は2階へ上がった。
人の気配がしない。
ここには誰も居ないのだろうか?
ひとつずつ部屋を開けてみる。
ここは来客用のベッドルームのようだ。
豪華な見たこともないようなベッドがあった。
次の部屋は書斎のようで本が沢山あった。
そう言えばパパの部屋にも沢山本と資料の山があった。
急に寂しさが込み上げて来た。しっかり唇を噛み締めると私は部屋を出た。
カツカツカツカツ…
1階で人の足音が聞こえた。
「お姉ちゃん!!!」
私は急いで1階に降りる。
渇れたバラの横を通り抜け長い廊下の前に立つと廊下の奥に人影があった。それは見馴れた人影…大好きな姉の姿だった。
「お姉ちゃ…ひっ!!!」
直ぐに口を手で押さえた。
そして私は身を隠した。
真っ白なワンピース、まるで純白のウエディングドレスのようなワンピースを来た姉の胸から下半身にかけてついていたのは大量の血。そして手には…鉈…。
薄く笑みを浮かべた姿はもはや私が知っている姉の姿ではなかった。
「アリス、ねぇアリス。出てらっしゃいよ。私と遊びましょう」
1階では確かに聞き慣れた姉の声で私を呼んでいた。
ついつい返事をしたくなってしまうが事が事だけに震える手で必死に自分の口を塞いだ。
私が隠れたのは2階の奥の部屋。
何だか懐かしい雰囲気がする部屋だった。
それはどことなく構造が私達姉妹の部屋に似ていたからだろう。
カツカツカツカツ…
「アリス、ねぇアリス。出てらっしゃい」
姉の声は近くなっていた。
薄暗いベッドの下に隠れた私の体の震えは止まらない。
キィィィィ、バタン。キィィィィ、バタン。
ドアを開けては閉めて開けては閉めて…そんな音も近付いて来てとうとう私の居る部屋に姉じゃない姉が入ってきてしまった。
「アリス…どこ?お姉ちゃんと遊びましょう」
今日のせいなのか手は氷のように冷たかった。
その時聞こえてきたのは懐かしい唄だった。
姉の優しい声だった。
『♪London Bridge is broken down,
Broken down, broken down.
London Bridge is broken down…』
ロンドン橋落ちた…姉と良く遊んだ唄だ。
姉じゃない姉はそれを口ずさんでいたのだ。
『London Bridge is broken down,
Broken down, broken down.
London Bridge is broken down…』
その声は段々と私が隠れているベッドの方へと近付いてくる。
「アリス、私の可愛いアリス。早く出て来て遊びましょう」
物をなぎ倒しながら姉は私を探していた。
しかしそれは心配しての事じゃない。
服についた血と手に持った鉈がそれを証明している。
『London Bridge is broken down,
Broken down, broken down.
London Bridge is broken down…My fair lady.』
「みぃつけた」
にぃっと下品に笑った姿はもはや姉ではなかった。
「キャァアアァアアア」
***
「アリア大丈夫かい?」
「えぇ、大丈夫よ。ギブソン」
静けさが保たれた夜の病院の待合室。
疲れきった女性はアリスの姉アリアだった。
それを優しく介抱するのはアリアの夫ギブソン。
夜の病院の待合室にはアリアの深いため息が響いた。
「今月に入ってもうこれで3回目だ。僕達にも生活がある。もう
いいんじゃないか?」
ギブソンに向けられたアリアの目は悲哀に満ちていた。
「4月が近付くといつも落ち着かないのよ」
「4月?4月に何かあるのか?」
「4月のお茶会…あの子は気付いていたか分からないけど4月には必ず家の近くにある丘の上の大きな木の下にピクニックに行くのよ。それがアリスにはとても嬉しかったみたいでせがまれたものだわ」
ギブソンもその話を聞いて辛そうに俯いた。
「僕がアリスちゃんを傷付けた」
「え…?」
「アリスちゃんに結婚の話をしなければ…」
「そんな事はないわ。いずれはあの子にも話さなくちゃいけなかったもの。あなたのせいじゃないわ」
ギブソンとアリアは固く抱き合った。
その後ろに掲げてある看板には『mental hospital』と書いてあった。
医者の見解はこうだ。
アリスは姉のことが大好きだった。病的なまでに。
アリスは姉のアリアに依存をし、やがて成長した姉アリアの結婚に耐えられなくなり暴れるようになってしまったと言う。
***
アリスは夢から醒めない。
醒めることはない悪夢のなかでもがき踊り続けるのだ。