ごはん
濡れた布巾で乾燥した昆布の表面を拭いてから、水の張った鍋に放りこんで中火にかける。気泡が目立ち始めて、昆布がひらりと身を翻す。もう少し我慢。沸騰直前に引き上げた方が一番旨味が染み出すのだ。鍋の中がほんのりと黄緑を帯びる。まだまだ。昆布のダンスは激しくなる。くるり、くるり。まだか、まだか、そんな声が聞こえてきそうで、私は菜箸を手に取った。
昆布を引き上げると、湯通ししたなめこを入れる。つるりとした喉越しが楽しい秋の味。今日はパックのやつじゃない。きちんと株になっている生なめこ。かさの閉じた小さな株が沢山。こっちの方が私は好きだ。味噌は赤味噌と白味噌を混ぜて使う。割合は塩梅で。薄すぎず、辛すぎず、手が分量を覚えている。味噌を溶いたらあとは簡単。豆腐を小さく賽の目に切り、小葱を散らす。ああ、と感嘆が漏れる。上手くいった。
鍵を開ける音がして、玄関の扉が開く。キッチンから顔を出すと、ゆうくんは「ああ」と小さく手を挙げた。
「ご飯は?」
「いらない。食べてきた」
「味噌汁だけでも飲まない?ゆうくんの大好きななめこだよ」
「いらない」
言葉尻がピシャリと冷たく感じた。付き合い始めて三年。同棲を始めて一年。熱はゆっくりと冷めはじめ、平凡なマンネリが日常になっていた。朝早くゆうくんを起こして会社に行かせて、空いた時間に掃除洗濯食事をこなす。それがゆうくんにとっては当たり前の日常。私はあなたのお母さんじゃないのよ。そう何度も口からこぼれそうになるけれど、結局は何も言えない。ちょっとだけでいい私の負担も考えてと望むのは許されないことなのだろうか。ありがとう、そんな小さな言葉でもいい。私はそれだけであなたのために頑張れるのに。
味噌汁の火を止める。あんまりやりすぎると濃くなって飲めたもんじゃなくなる。お椀に味噌汁をよそって、ご飯を盛って、おかずをテーブルに並べる。今日は身の詰まって脂の乗った秋刀魚を焼いてみた。じゅうじゅうと焼ける音は耳心地が良い。青い背中に金色の色味が差した秋刀魚はスーパーで一目惚れだった。
いい匂いに釣られたのか、脱ぎ散らした服もそこそこにゆうくんがひょっこりと顔を出す。
「うまそうじゃん」
「食べてきたんじゃないの?」
「酒呑んで摘まんだだけだから」
私の料理も、まだゆうくんを振り向かせる力はあるということか。ゆうくんは椅子に座ると箸をとった。まずは味噌汁から、一口飲んでうまい。次に秋刀魚。焼き目に沿って箸を入れて、摘まんだ身を口に運ぶ。
「ああ、うまい」
彼は箸を口に運ぶたびに、うんうんと頷きながらうまいと言った。
私はその言葉を噛み締める。擦りむいた心に染み入るゆうくんの言葉。それはありふれているかもしれない。けれども私には何よりもご馳走だ。
「白飯だ。白飯。山盛りに盛ってくれ」
「はいはい」
茶碗を受け取って、ご飯をよそう為にキッチンへ。さて、私もごはんにしよう。