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19.龍脈

 夜通し謝り続けたおかげでさらに憔悴したレミアを伴い、私は雲竜の元を訪れた。


「お待ちしておりました。魔王殿」


 入り口で迎えた白竜の長は、いささか疲れた様子だった。

 応接間に通されると、天井から逆さに吊るされた巨大なミノムシの姿が目に飛び込んできた。荒縄でグルグル巻きにされ、下端から覗く頭部にはこちらを威嚇するように赤い口吻が――


「魔王殿、そう構えずとも大丈夫ですじゃ。あれは、アザンです」

「そうか」


 たしかにあれは、逆さづりにされたことで充血し、熟れた果実のようになっている竜族の顔だ。

 大方舞い戻ったレンに絞られたのだろう。

 私は足元に縋り、ともすれば蛇のように絡みつこうとしてくるレミアを徹底的に無視する程度に止めておいたのだが、あのくらい厳しい罰を与えるべきだったのだろうか。


「びくっ!」


 私の視線から意図を感じ取ったのかレミアが肩を震わせて戸口の方へ一歩下がった。期待通りの反応であったことが可笑しく思え、私は笑った。そんな私の様子を見ていた雲竜が「う~む」と唸ってから口を開いた。


「……昨夜レンのやつも申しておりましたが、魔王殿は少しお変わりになったようですな?」

「具体的にどういう部分が、だ?」


 レミア、レン、雲竜。古くから私を知る者たちが口を揃えて言うのだ。自覚がなくとも以前の私とは異なる何かが感じられるのだろう。その正体を確かめるべく質問すると、雲竜は垂れ下がった眼瞼を僅かに上げて、次のように応じた。


「そうですな……感情表現が豊かになった、というところですかな」

「……そうか」


 感情。


 星の創造主――干渉者ラグズによって組み込まれたそれは実体としてとらえることはできないため、あると言われても正直なところ半信半疑だった。


 しかし五百年以上にわたって行動を共にしてきたものたちを、以前のように「どうでもいい」などと思うことはできない。これは間違いなく、私の中にある感情というものがそうさせているのだろう。地に堕ちたばかりの私からは考えられないことだが、私は彼らに対して「慈しむ」としか表現できない感情を持つようになっていた。無論それは、転生者どころか人間すらいなかった頃の星で暮らしていた動物たちや草木を愛でる気持ちとは異質なものだ。


 シャイナやスレイプニルが死んだとき、私は近しいものの命が失われることの「辛さ」を嫌というほど味わったことも、今のような感情を持ちえたことに寄与していることだろう。


 ……まただ。


 私は考えないようにすればするほど、粘着性を増してまとわりついてくるヘドロような思いを振り払おうと首を横に振った。


 感情について思索を始めると、最後にはいつもそいつが頭をもたげてくる。


 転生者もこの星で暮らす以上は産みの親が在り、個体によっては家族を作っている。私は彼らにとって大切であるに違いないそれを理不尽に奪う――魔王だ。


 ペオーズは干渉者でありながら冒険者クランのリーダーを務め、まるで人間のように振る舞っている。ロアルの町で見てきた連中の様子を思い返すと、クランのリーダーというものは概ねメンバーには慕われていたように思う。


 彼らの行動原理はあくまで地域や国家の平和を維持であり、イスキリスで悪としか感じられなかった連中のように原住民を奴隷としたり、布教のために虐殺を行ったりするようなものはない。


 転生者を殺し尽くした私とレミア、白竜、そして竜人族を待ち受ける未来は……

 そんなことを考え始めると、いつの間にやら朝を迎えてしまう。睡眠を必要としない身体が少々恨めしい。


 このように感情というものは時に判断を鈍らせ、場合によっては敵につけ入る隙を与える材料になりかねない。感情の赴くままに行動し、天井から吊るされている蓑虫(アザン)がいい例だ。


「くっ……笑いたければ笑えよ」

「こら、アザン。魔王様に失礼な口をきくな!」

 

 私の視線に気づいたアザンが身を捩って口元を歪め、戸口の影に隠れていたレミアが彼に詰め寄った。


「くっ……レミア。今の俺にそんな巨乳(きょうき)を近づけないでくれ……あ、そうか。血が少しでも下半身に行くようにしてくれ――ひっ!?」

「あなたは少しも懲りていないようですね……」

 

 逆さ吊りのアザンの顔の位置は、ちょうどレミアの胸部を上から覗き込むような高さだ。私たちが入って来たのとは反対側のドアから、気配を殺してレンが忍び寄っていたことに気づかなかったのだろう。状況を把握し、それを冷静に分析できていれば再びレンの雷に打たれることもなかっただろうに。

 やはり感情というものは、生きていくうえで足かせにしかならないのではなかろうか。

 アザンの浅はかさ、そしてそれに対して怒りを露わにするレンもまた然り。彼女の長所はその冷静さにあったように思う。イスキリスの王城を攻めた時も、王の戦法を分析し的確に私をサポートしてくれたものだ。


「ちょ、レン! ボクにも当たったぞ!?」

「レミアさんが誘惑するからですっ!」

「誤解だ――アババババ!!」


 レミアにしても、すぐに感情が先走って口を滑らすものだから、ああして巻き添えを食っているのだ。

 人間は感情の高まりによって普段以上の力を引き出すことができるというが、魔物もそうなのだろうか。どちらにしても、感情の流れをうまくコントロールできなければ大きな不利益を招く結果になる。


 私がこんなことを考えるようになったのは、やはり奴の――ペオーズのせいだ。

かつては神と信じた創造主――ラグズが何故私に感情などというものを植え付けたのか。

 

「魔王殿、少々騒がしくはありますが役者も揃いました。お座りください」

「ああ……」


 結局考えがまとまらないまま、私たちは応接間のソファーに腰を降ろした。


 隣に焦げ臭くなったレミアが座り、向かって右に雲竜、左にレン。アザンは雷に打たれて床に落ち、ソファーの向こうに転がされているためその姿は見えない。


「では、お話は私から――」


 雲竜に目で促され、口を開いたのはレンだった。


「魔王様は、“龍脈”というものをご存知でしょうか」

「……いや」


 記憶を辿ってみたが、レンの口から出た単語には聞き覚えがなかった。彼女は私がそれを知らなかったことを喜ぶかのように微笑み、再び口を開いた。


「龍脈とは、簡単に言えば“気の流れ”です」

「キ?」


 おうむ返しに応えたのはレミアだった。


「そうです。魔物がもともと星の気から生まれた生物であることはご存知でしょう。星の気は地下深く――星の中心に蓄えられていると考えられていますが、その一部は地表の近くを川のように流れているのです。雲竜一族が空の王者として星の魔物と一線を画す力を有しているのは、この気の流れ――龍脈を利用することができたからなのです」

「それって、竜族しか使えないわけ?」


 レンの話に合いの手を打つようにレミアが質問すると、レンは僅かに眉根を寄せて雲竜に視線を送った。雲竜はそれを受けて黙したままではあったが視線を虚空に彷徨わせ、何事か思案している様子だった。彼はやがて視線をレミアに固定し、彼女が幻惑を使えば自分の思考は筒抜けであることを思い出したのか一瞬苦い顔になり、「仕方なかろう」と呟いてレンに応えるように促した。


「……気の流れを掴むことができれば、レミアさんでも使えます」

「へぇ」


 レミアは質問しておいてさして興味もない、とでも言うように気のない反応を示した。雲竜の思考を読みとり、知りたかった情報はすでに得たのかもしれない。

 レンも、そんな彼女の反応が面白くなかったのだろう。レミアから視線を逸らし、私に向かって説明を再開した。







「要するに、この三か月ほどをお前たちはエオジットの地で龍脈を探して過ごしていた――というわけだな」

「はい。といっても龍脈の流れを掴み、それを取り出して利用することができるのは戦士の血を引くものの中でも百体に一体生まれるかどうか、です。兄と私にその才があったのは幸運としか言えません」


 レンは誇らしげにそう語って話を締めくくった。


 私たちと別れてから白竜たちは、アザンがそこかしこで孕ませた女を探し出し、承諾を得たものを集めてきた(アザンの証言があるため仕事はあっという間に済んだ)。結果として今や集落には五百人の竜人族が暮らしている。男女比は六対四で、そのうち戦闘の才をもつものは百人ほどだそうだ。


 その仕事にレンが加わる訳もなく、彼女は側近を連れて龍脈を探して各地を回っていた。


 エオジットには空を飛ぶ魔物はほとんどいないため、成層圏近くを飛行する白竜は安全に移動できた。


「しかし……場所が悪い」

「その、パオーンとやらは難色を示すでしょうね」

「…………ペオーズだ」


 彼女らの捜索によって龍脈は見つかったわけだが、それは西の海中にほとんど没しており、地上付近を通っているのは北の鉱山地帯のみだったのだ。


「ペオーズと私は容姿が似通っている。政治的な策略を巡らせているペオーズにとって、指名手配犯が近くで暴れているという状況はあまり好ましくないそうだ」

「ふむ。しかしケルベロスの三巨頭と言えばこの地では有名すぎる実力者たち。イスキリスの王族レベルの能力を有していると仮定すれば、こちらとしては龍脈を確保しておきたいところじゃが……。しかも、魔王殿はエオジット全土の冒険者に追われる身となると――」


 雲竜は、ケルベロス三巨頭以外にもこの地で名を馳せた冒険者の能力を危険視していた。恐らく私が本格的に転生者狩りを始めれば、司法の番人であるケルベロスと冒険者たちの団結が予想される。長くエオジットで情報収集にあたってきた雲竜によればその数たるや千や二千の話ではないだろうとのことだった。


「イスキリスでは大災害によって彼奴等の戦力を大幅に削ぐことができました。ですがこの地ではそうした現象は期待できません。はっきりと申し上げて、父の言うように彼らの大多数を一度に相手にすることになった場合の勝算は低いです。ただし――」


 レンは下を向いて話を始めたが、いったん言葉を切って私とレミアを順番に見つめた。


「私が龍脈の力を解放すれば、話は違ってくるでしょう」

「……ほう」


 雲竜とレンは頷き合い、ある計画を提案してきた。







 おまけ




「魔王様~。宜しいんですか?」


 レミアがベッドに横たわり、長い尾を枕に打ち付けながら訊いてくる。


「やってみる価値はあるだろう」


 私は長椅子に背を預け、来る日のことに想いを巡らせた。

 ペオーズはいい顔をしないかもしれないが、北の鉱山地帯を守る転生者との戦いは避けられまい。


「まあ、そうですけど……不安だなあ」

「なにがだ? ペオーズと話した後は、ひと暴れできそうだとお前も喜んでいたではないか」


 戦いを前に意気込んでいたはずのレミアの不可解な言に私が眉を潜めると、彼女は両耳を寝かせて本当に不安そうな表情を作って見せた。


「いえ……減りそうなんですよぉ……白竜たちのプランじゃ」

「だから、なにがだ」

「出番が、ですぅ」


 雲竜の館を辞した私たちはあてがわれた屋敷に戻っていた。

 私とペオーズの目論見を理解した上で、竜族が示した計画は実に興味深いものだった。それにはたしかに、あまりレミアが活躍できる場面は無さそうに思えた。

 私は頬を膨らませるレミアに笑いかけ、ペオーズの接触を待つことにした。

 定期連絡は三日置き、と取り決めてある。

 今は、待つしかない。


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