18.再会
「魔王城……でございますか」
予定外の再会に驚く白竜たちに事情を説明し、ペオーズとの一件について話をした。それを聞いた雲竜は渋面を作って考え込んだ。彼は謎の緑色をした液体が注がれた取っ手のついていないカップを手に取り、なんの意味があるのか手の中で数回転させたのちに中身を啜った。ズズズ……とあまり品がいいとは言えない音が、かつてルゥという竜人族の子供とまみえた室内に響いた。
「魔王どの、“拠点”というのは城でなくてはなりませんかな?」
「いや、それは――」
「そうだ! 魔王様がどっしりとお腰を据えて転生者どもを迎え撃つ城塞であり、魔王妃であるボクと激甘な夜を過ごすあ……愛の巣を造るんだ!」
私の発言を遮り勢いよく立ち上がったレミアは、熱く語ったり、赤くなって身体をくねらせたりと忙しい様子だった。対面して座る雲竜は、本来の姿を忘れてしまったかのようにゆっくりと緑色の液体を啜り、カップの中身が無くなったのを惜しむかのようにそれの底を見つめて黙していた。カップは土を焼いて作ったもののように見える。お世辞にも舌触りがよさそうだとは言えない無骨な造りだった。まあ、食物を口にしない私には関係ないのだが。
「どうした雲竜、なんで黙ってるんだ? 魔王様も何か言ってやってくださいよ!」
「言おうと思ったが、邪魔が入ったのだ」
「なんですって!? そうか、奴が下品な音を立てて緑色のやつを飲んでいる光景がお気に召さなかったのですね? やい、雲竜! 黙ってないで魔王様に謝れ!」
立ったまま居丈高に話すレミア。何が彼女を興奮させるのか、ペオーズの一幕の後、少々拗ねてみせてからはずっとこうだ。大人しくさせるためには「魔王妃などと認めた覚えはない」などと言えばよいのだろうが、レミアの扱いを改善しようと決めたばかりなので、こらえることにした。
「無理ですじゃ」
「……は?」
唐突に、呟くように放たれた雲竜の言葉だった。それに対してレミアがポカンと口を開けて固まった。雲竜は目だけでレミアを見上げて口を開いた。
「まず、ワシらは城という建築物の知識がない。人間を真似てこの程度の規模の家を建てるくらいはできても城――ましてや転生者の一軍と事を構えるだけの代物など建造できるわけがないじゃろう。イスキリスの王城にしても、建築を専門にしていた魔法技術者とやらが多数いたおかげでできたものであったはずじゃ」
「ふん。人間か転生者を連れて来れば、知識なんんてどうとでもなるさ。ボクの“幻惑”で――」
レミアが鼻を鳴らしたが、雲竜は首を横に振った。
「築城の知識を得たとして、次の問題は建材よな。城と呼べるような巨大な建造物は河原の石ころや木材では到底造れぬじゃろう。エオジットの南方は元砂漠であった故に石を切り出せるような山もない。地を掘って岩盤を削ることの困難さは身に染みておろう? 城を造るのにどれほどの時を要するか見当もつかぬ」
「……」
レミアは反論することができないらしく、口をパクパクと開閉させはしたものの言葉を発することはなかった。
「よしんば築城が叶ったとして、三巨頭なるものが攻めてくればあっという間に瓦礫と化すじゃろうて。わざわざ攻撃目標を造って所在を報せてやった挙げくに破壊される? まったくもってアホらしい話しじゃわい」
「…………」
雲竜の言葉が深くレミアの心を抉ったのがよくわかる。彼女の目から生気が失われていった。
「魔王どの、北で何かを進めようとする干渉者――パオーンでしたかな?」
「ペオーズだ」
「そう、それですじゃ。そやつの邪魔にならなければよいというだけなら、南方に城を建築する必要はありますまい?」
「そうだな」
妙な既視感を覚えながら、私は頷いた。ソファーに腰を降ろした――というか崩れ落ちた――レミアが「魔王様ッ!?」と悲痛な声で叫びを上げたので、「あきらめろ」と声をかけてやったのだが、彼女の表情は余計に暗くなった。
「それはそうと魔王どのには報告すべきことがいくつかありますが、それはレンたちが戻ってきたらお話しいたします故、少し寛がれるがよかろう」
レンは手練れの白竜と竜人族を連れて出かけているとのことだった。その目的も含めて、ということなのだろう。別段急いでいるわけでもない。私は夜のとばりが降りた里の周囲を散策することにした。
「少し歩いてくるが」
「…………」
お前はどうする、と聞く必要はなかった。私は立ち上がってレミアに声をかけたが、彼女は築城の夢が潰えたのがよほど堪えたのか、ソファーに崩れ落ちたまま黙って首を横に振ったのだった。
◇
ボクの名前はレミア・フェレス。前にも言ったけど、誇り高き純血の魔族さ。ボクはエオジットの西にある大陸イスキリスの転生者どもを一掃した魔王様が唯一認めた従者であり、そのとき畏れ多くもファーストキス(たぶん)を奪って血の盟約を交わし、封印されていた魔族の能力「幻惑」が解放された。それを駆使してイスキリス王朝を滅ぼす大作戦にも参加して、大いに貢献したんだ。
その後も魔王様とはいつも一緒だった。新たなる戦場エオジットでちょっと人間の真似をして遊んでみたり、結局政府を敵に回して追われる身になってみたりして、まあとにかく四六時中一緒にいたんだ。
突然だけど、ボクは魔王様を愛している。従者ごときが主である魔王様にこんな感情を抱いてはいけないことなんか重々承知の上だ。
出会った当初の魔王様は今よりずっと冷酷で残忍で、ボクに力の塊をけしかけて楽しんでいる節すらあった。魔を統べるお方なのだから、多少意地が悪くても仕方がないと思っていたし、なによりボクは誰かに仕える以外に生き方を知らなかったから、我慢してついて行くしかなかった。
そんな魔王様を助けるためとはいえ唇どころか舌を奪って血の盟約が交わされたせいなのか、あの日以来気持ちがどんどん大きくなってしまって、ロアルの町では人間の香のせいにして迫ってみたりしたんだけど、見事に躱されてしまった。
最近、無視されたり酷い扱いを受けるたびに心が痛い。魔王様の血塗られた覇道を邪魔してはいけないと、必死で隠してはいるんだけど、それってすごくストレスが溜まるんだよね。ボクの場合、ストレス解消法はアレすることなんだけど――ん?
アレと聞いて何を想像したんだ? いけない子だなあ……
「ちょっとレミアさん! 聞いているのですか!?」
「聞いてるよ……何度もごめん、て謝ったじゃないか……」
「謝って済む問題ではありませんよ!? よりにもよって……よりにもよってぇ……」
用事を済ませて戻ったレンが、拳を握りわなわなと震えて怒っている。数か月前より眼光が鋭くなって、なんだかお兄さんのランが乗り移ったみたいだった。
「だってさ、最近魔王様が相手にしてくれないから……ストレスが溜まってたんだよ」
「そんなの五百年以上前からそうじゃありませんか! 今に始まった話じゃないでしょう!? とにかく許されません!」
「あっ! そういうこと言うなよなー、傷ついた! ボク、今すっごい傷ついたからね!?」
「傷ついたのは私の方です!」
決闘だ! とか言い出しそうなくらいレンが起こっている。ピシッと空気を震わせて、彼女の身体の周囲に小さな稲妻が発生した。前は怒っても風が起きて埃が舞うくらいだったのに、やっぱり力が増しているんだ。女相手には幻惑も通じないし、本当にケンカになったらやばいかも……
「二人とも、俺のために争うのはやめてくれないか」
「あなたは黙っていなさい!!」
「はうっ!?」
ボクとレンの間で正座させられていた白竜が余計なことをほざいたおかげで、レンの怒りの矛先がそっちへ向いたようだ。魔王様もかくやという速度でレンの拳が人化している白竜の腹部に叩きこまれた。
「だいたいあなたは! 性懲りもなく! 人間の女の次は魔族ですか!? 恥を知りなさい!!」
言葉の切れ目毎にレンの身体から細い稲妻が走り、それが白竜の身体へと吸い込まれていく。白竜は地面に倒れてビクビクと痙攣し始めたけど、なんとか意識は保っているみたいだった。魔王様と愛の城を築く夢がもろくも崩れ去ってしまい、あまりのショックについ男の誘いに乗ってしまったのが間違いだった。
「うぐぐぐ……レミア、助けてくれ」
バカ! こっち見るな!
「どこへ行くんですか? レミアさん」
「――ひっ」
いつの間に回り込んだのか、正面にレンが立っていた。
「わかったよ。レン、話し合おう?」
「問答無用!」
「うわわわっ!?」
レンが右手をかざすと、そこから手加減なしの雷光が迸った。慌てて空へ上がって避けようとしたけど、雷より速くは飛べない。
「いたたた……もう、許してニャン♡」
「そうやってアザンも誘惑したんですか」
「失礼な! 彼の方から言い寄ってきたんだぞ!?」
男ならイチコロの猫モードも火に油だった。魔王様にはどうせ無視されるだろうと思って試したことはない。なんて思っていると、電撃のダメージから復活したらしいアザンががばっと身を起こした。
「レミアだってまんざらじゃなかったはずだ!」
何を言い出すんだこいつは!? ボクはわたわたと手を振り、表情を無くしてしまったレンの足元に縋り付いた。
「レン、聞いて? ボクは彼がアザンだなんて知らなかったんだ。ほら、人化したところはよく知らないし」
「俺だって、『人間に手を出したら許さん』としか言われていない! レミアは魔族じゃないか! それにちょっと触っただけだ! まだ肝心なことはまだしてな――」
「このバカ白竜! もう――」
もう黙ってくれ! と言おうと思ったボクの脳天に、レンの手刀が高速で迫ってきた。それは稲妻を纏っていた、そう認識した直後、ボクの意識は飛んだ。
◇
「レン、私からも謝罪する」
「いいんですよ、魔王様…………」
ぶすぶすと黒煙を上げて地に倒れ伏したアザンとレミアを横目に、私はレンに頭を下げたが、レンは無表情のままだった。
「まったく、懲りないやつ、とはこやつらのために在るような言葉じゃのう。……これ、運んでおけ」
遠巻きに見ていた白竜たちが慌てて黒焦げのアザンとレミアに駆け寄り、二人一組になって運んでいった。それを見送るレンが、やはり無表情のまま口を開いた。
「ふふふ……“龍脈”を探り、竜人族を鍛え上げ、成長の悦びがようやくアザンへの怒りを打ち消そうとしていたというのに、このタイミングでこれですか。ふふふ、逆に笑えますね……」
私が周辺を散策している間、レミアは屋敷を出た。ひどく打ちひしがれていた様子だったそうで、そこにアザンが声をかけたらしい。レミアは茫洋とした表情でアザンに誘われるまま暗がりへ消えていった――という光景を目撃した白竜がすぐさま雲竜の元へ走り、空き家でことに及ぼうとしていたところに雲竜が駆け込んだ。さすがに怒りの咆哮を上げたところへ、レンが戻ってきたというわけだ。
「レン、本当にすまないことを」
「……? 魔王様、少しお変わりになりましたね」
「む?」
「ふふ……やっぱりうらやましいかも、です」
まったく表情というものが消えてしまっていたレンが、薄く笑って空へ上がった。空中で反転するとその姿は美しい白竜の姿に変わり、月に向かって一声吠えると、夜の闇に溶けていった。
今夜のところは、雲竜たちの話を聞くことはできないようだった。




