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16.デストラ

 イスキリス南方のアマンティア大火山の噴火に端を発した星の変動は、エオジットの地に様々な変化をもたらした。中でも大陸のほとんどが砂漠であったエオジットが肥沃な大地を手に入れたことは、人間という脆弱な生き物の繁栄に大きく貢献した。さらに、魔力をもって産まれた転生者の出現が魔物に抗する力を与え、彼らの生存率をそれまでとは比較にならないレベルに引き上げたことによって、ついにエオジットには統一国家が誕生した。

 大陸の名称がそのまま国名となり、エオジット王は大陸の中央に王都を築いた。大陸の呼称の起源については諸説あるが、エオジットの歴史学者の間では、「預言者」を名乗った老人が各地を回り、この地をそう呼んだからだという説が支持されている。

 長靴のような形をしたエオジット大陸の北西には複数の鉱山が存在し、鉄鋼をはじめとする良質な鉱山資源を産出する。その周辺は武器と貨幣の製造の一大拠点となり、エオジット建国後、鉱山周辺には五つの都市が誕生し、鉱山周辺には全人口の十分の一が暮らしている。富が集まる場所では犯罪も多く起こる。また人が多く集まる場所には、魔物も寄ってくるということで、エオジットの冒険者組織も都市の一つに本部を置いており、政府も司法の犬(ケルベロス)の三巨頭の一人、デストラを中心とした主力部隊を配備している。

 デストラという人物を語るとき、彼女のけして悪を赦さない仕事への情熱と徹底ぶり、そして彼女が操る美しき氷の魔力と、一流の彫り物師が刻みつけたかのような氷像のごとき無表情をして、いつしか「氷鉄の女王」という二つ名が国民の間で定着した。


「……それで?」


 吐息に魔力でも込めているのでは。

 司法のケルベロス第八十八分隊長マグナスは、五メートルも離れた位置に設置された肘掛椅子に腰かけたデストラの問いかけに応える前に、彼の身体を襲った寒気に震えながら思った。


「……それで? と訊いているのだが」


 マグナスが応えないでいると、デストラは黒く染めた錦糸で綴じられた紙束を繰りながら催促した。彼女が目を通しているのは指名手配犯について記された公式の記録だ。それには、地方都市の戸籍係を脅して不正に国籍と冒険者資格を取得した転生者殺し(リバースキリング)の二人――セイタンとレミア――は、高ランク保持者だった死霊魔術使い(ネクロマンサー)ガイを殺害した上、生前の実力も含めてガイを上回る魔力を誇ったシグルの幽霊を館ごと消滅させたと記載されている。

 ガイ・フォルデモルという男のことをデストラは知らないが、故人が所属していた冒険者クランの名称と、そのリーダーのことだけは記憶にとどめていた。

 冒険者クランダイスカップは、結成から四年の若いクランではあるがなかなかの実力者がそろっているともっぱらの噂だった。

 しかし、クランの噂話などというものは巷に溢れかえっているものであり、司法の犬(ケルベロス)三巨頭の一角を担い、国家の安全を守ることにのみ集中することこそ自身の天命であると認識しているデストラが、いちいちそれを記憶にとどめることはない。彼女がクランの名称を記憶するときは、その集団がなんらかの犯罪に手を染めたときのみだった。

 ではなぜ、犯罪歴のないダイスカップという名がデストラの興味を引いたのか。

 それは、異例の速さでランクを上げていった彼らが、政府の魔力利用に関する指針を批判し始めたからであった。

 エオジット政府は魔力を様々な分野に応用する研究をかねてより進めていて、それは実用段階まであと少しというところまで来ていた。

 犯罪者を捕らえ、魔物を打ち倒す剣としてしか魔力を振るったことがないデストラはその分野には興味を持っていなかったが、政府の施策を批判する様な勢力を放置する気つもりはなかった。なぜなら冒険者たちはそれなり以上の戦闘力を有しており、中には自分たち三巨頭に勝るとも劣らない実力者がいることは事実なのだ。ダイスカップがそのような勢力をまとめ上げ、クーデターを起こす可能性まで視野に入れ、デストラは部下を使ってクランの周辺を調査していた。

 そしてダイスカップは、調べれば調べるほどに怪しかった。

 まず、リーダーを務めるペオーズという男からして怪しい。

 様々な少数民族が暮らすエオジットにおいて、どの民族の特徴とも合致しない容姿をもつ長身痩躯の男は、戸籍上は三十歳となっているが出生記録が存在しない。身元引受人である王都近くの宿場町に住む男は、「出会ったときには名前以外の記憶を失っていた」などとのたまったそうだが、なぜかその町の戸籍係はペオーズにすんなりと国籍を与えていた。記憶喪失の真偽は確かめようもない上に、他民族を抱えて文明の統合と発展を第一に成長してきたエオジットでは、国籍に関する審査は大甘であり、一度与えられれば犯罪者――それこそ指名手配クラスの――でなければそうそうはく奪されることもないのが現状だった。

 出自の時点でペオーズは怪しい。未だ併合されていない少数民族が送り込んできた獅子身中の虫なのではないか。彼が結成したクランが業績を上げれば上げるほど、デストラの中にそんな疑念が募っていった。

 さらに、ペオーズという男が有する常識を超えた能力もまた、デストラの疑念を倍加させていた。

 神速のペオーズ。

 不滅のペオーズ。

 無傷のペオーズ。

 賭博士ペオーズ。

 蟒蛇(うわばみ)のペオーズ。

 酔拳のペオーズ。

 彼には様々な二つ名が存在するが、中でも瞬間移動としか考えられないその速さに対して、デストラは脅威を抱いていた。それに関する逸話が真実なら、彼は自分と同じく司法の犬(ケルベロス)三巨頭を務める、「雷帝シニストラ」をも凌ぐ速さを有する冒険者であるとデストラは予測していた。

 デストラの認識では、「速い」ということの優位性(アドバンテージ)は非常に大きいものだった。どれほどに頑強であっても破壊できないものはないが、どんなに強力な一撃であっても当たらなければ意味がないという考えが彼女の戦闘の軸を担っているからだ。

 二つ名の通りの実力ならば、ペオーズは圧倒的な速力を有する上に「不滅」と呼ばれるだけの耐久力を誇ることになる。そんな男が、政府の施策に反対を表明し、冒険者組織の本部がある鉱山地帯に頻繁に足を運んでいるとなれば、眼下で縮こまっている下級士官の報告など聞かなくても、ペオーズ及びダイスカップは厳重に監視されるべき対象だった。


「デストラ様、ですからペオーズと転生者殺し(リバースキリング)のセイタンは」

「容姿が似ている――だからどうだと?」

「そ、その上二人は親しげに話し込んでおりました!」


 マグナスが膝立ちになり、揉み手を忙しく動かしながら大量の冷や汗を流し始めた。彼はデストラに心酔しており、任務以上に個人的な忠誠を誓っていたが、これまで直接面会したことはない。しかし、久方ぶりに指名手配犯が現れたことを好機と捉え、誰よりも早く主の元へ引っ立てようと勇んで出立したのだった。結果的には分隊を壊滅させられ、彼は気づいていないがレミアの幻惑によって情報を吸い上げられてしまった。その上マグナスは、伝説の魔王を名乗る犯罪者が二人も居たと勘違いし、大急ぎで報告に参じたのだった。かねてからダイスカップの周辺を調べていたデストラは、命からがら戻ったという分隊長との面会を快諾したのだが。


「ペオーズの容姿が指名手配犯と似通っていることなど、先刻承知のことだ。……マグナス分隊長、君が隊員全員の命と引き換えに得た情報は、それだけか?」

「いえ、その……たとえば二人は兄弟だとか?」


 眉ひとつ動かさないデストラに対し、マグナスの目はデストラの執務室を忙しく見渡していた。一切の無駄を排したといえば聞こえはいいかもしれないが、妙齢の美女が一日の大半を過ごしているにしては殺風景に過ぎる執務室には、それほど目を引く調度品など置かれていなかった。


「それで、会話の内容は?」


 さまようマグナスの視線は、彼の言を無視したデストラの次なる問いかけによって彼女の美麗な顔に固定された。


「は? それは、その……」

「まさか、わからないのか?」


 ピクリ。

 マグナスの目には、滅多に動くことがないというデストラの口角が一瞬痙攣したように見えた。

 その動きが微笑に繋がったなら、マグナスはこの上ないほど美しい笑顔を瞼に焼き付けることができただろう。


「……マグナス分隊長。要するに君は、自身の受け持ちを放り出して手配犯の捜索に乗り出し、隊員をすべて殺されて逃げ帰ってきた。そして、真偽のほども定かではない上に、役にも立たない情報を私にもたらした。そういうことだな?」

「そ、そんな、デストラ様……」


 今度は間違えようもなかった。デストラの口角は上がるどころかその両端を下方に向け、長い睫毛に縁どられた切れ長の目がいっそう細められた。マグナスが初めて目にした憧れの彼女の顔には、はっきりと侮蔑の表情が浮かんでいた。嫌悪と捉えても良かったのかもしれない。






「デストラ様――これは!? 」

「公序の利益を有する場合を除いて、敵前逃亡は死罪……だ」


 執務室内の異常を察知して現れた副官に、デストラは静かに告げた。彼女の唇からこぼれ出た言葉が、白い吐息を伴って急速に冷えた執務室の中に溶けていった。もとの無表情に戻ってはいたが、瞬時に極低温まで冷却され、壁や窓に出現した氷の結晶を背景に佇む氷鉄の女王の姿は美しかった。


「……政策の批判だけなら犯罪にはならない。しかし、指名手配犯と関係を持ったのであれば話は別だ。だが、いくら『神速』などと呼ばれていても、遠く離れた町まで瞬時に移動できるとは限らない。……少し泳がせて、証拠を集めるのだ」

「はっ!」


 氷の彫像と化したマグナスを撤去するために、片手でそれを担ぎ上げた副官は、もう片方の手でデストラに敬礼した。





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