挿話 干渉者たち ~ハガルとエイワズ~
とある銀河の小さな太陽系。
一つの太陽と八個の惑星、そして五個の準惑星で構成されるそれは、白く輝く存在が創り出してきたものの中でもとりわけ小規模なものだ。
「……たった数百年で、宇宙に進出するとはな。想像できたか? ハガル」
その中で、星の表面を構成する陸と海のバランスを約七対三に配分した星を眺めていた白色の光を放つ存在が、傍らに控えるものを振り返って呟くように問いかけた。
「…………」
問いかけられたものはすぐに答えようとせず、視線を無重力空間へ彷徨わせた。問いかけた存在も、自身と似たような容姿を持ち、額に「ᚺ」と刻印されたものの反応を待たずして、青い星の狭い陸地にひしめく二足歩行の動物たちに視線を戻して嘆息した。
それに倣って、ハガルも青い星を眺めた。とりわけ、小さな島に密集して暮らす肌の黄色い人間たちを。
ホモ・サピエンス。
哺乳動物としては中型以下で、暑さにも寒さにも弱く、繁殖力も高いとは言えない。しかし脳の容量と手先の器用さは他の生命体の追随を許さないものであり、干渉者をも創り出した至高の存在には遠く及ばないものの、彼らは創造性を有していると認めざるを得ない。
知恵と勇気、時に異常とも思える団結力を発揮して、幾度となく襲ってくる天体規模の災害を乗り越えた人間たちは、まさしく星の絶対者となって機械文明を発展させていた。
ハガルは目の端に星の軌道上に静止している物体――金属製であり、太陽光を反射して光る銀翼をいくつも広げたもの――を捉え、自分に問いかけた光り輝く存在の顔を伺いつつ、口を開いた。
「エイワズ……何がそこまでお前の感情を波立たせるのだ?」
干渉者――宇宙のエネルギーを操り、星をゼロから生み出すことができる彼らがその身体に内包している力をもってすれば、彼らの眼下でゆっくりと自転している青い星を氷河で閉ざすことはおろか、破壊することですら造作もないことだ。
当然、そこで暮らす二足歩行のひ弱な哺乳類がどのように振る舞おうと、絶対観測者によって与えられた至上命令の達成だけを目標に掲げて活動する干渉者、ましてやその頂点に立つ「死と再生のエイワズ」が動じる必要はない。計画遂行の障害となるなら、星どころかこの小さな太陽系ごと消失させてしまってもよいのだから。彼なら、「天災のハガル」たる自分よりも速やかにそれを為すだろう。
「私には、波立つ感情など存在しなかった……それが、問題なのだ」
干渉者は呼吸や代謝とは無縁の存在だ。故に宇宙空間で窒息することはない。エイワズの言葉は空気や水を震わせて伝わる音波としてではなく、ハガルの認識器官に直接届けられていた。
「感情……か。ラグズが新しい干渉者を生み出したことによって、我らの内に生まれたというが、私は実感できていないな」
それがどうしたとでも言いたげなハガルを横目で一睨みすると、エイワズはハガルに背を向けた。
「我々は、次元通信網で常に繋がっている。それは、あのラグズの兄弟も例外ではないのだ」
「それは分かっている。それ故に、奴がもつ感情が我々全体に『感染した』というお前の持論もな」
「……感情は、重要な選択を迫られた時ほど、それを持つものの判断を鈍らせ、かつ修飾するものだ」
「それがどうした」
「…………」
こんどこそ口に出して首を傾げたハガルに対して、エイワズは目を閉じて顔を上に向けた。両拳を握りしめ、それがわずかに震えているように見える。そのような仕草をする最強の干渉者を見たことがなかったハガルは多少驚いたのだが、それが彼の表情を崩すことはなかった。
「我々は、宇宙の横への拡大速度を減速させるという目的がある。それには、多数の平行宇宙を生み出してしまった、人間という生物の選択の多様性が邪魔なのだ。そして感情の存在は、さらなる選択の多様性を生む危険があるということだ」
エイワズはハガルに背を向けたままさらに続けた。
「オセルや、ペオーズ、ギョーフの中に感情を見つけたとき、私は自分の中にもそれがあることを自覚した……」
エイワズの独白はさらに続き、彼は干渉者としていかに絶対観測者に忠実に働いてきたか、彼の転生者利用理論に対抗するかのように、ラグズによって生み出された新たな干渉者の存在を憎んでいるか、そして、それの誕生によってもたらされた干渉者の変化をどれほど恐れているかについて、切々と語った。
そうしてラグズにむき出しの感情を叩きつけたエイワズは、「我々には感情などというものは必要ない。それをもたらした存在は、消去せねばならないのだ」と、最後に自己嫌悪を多分に含んだメッセージを発信して沈黙した。
「それが、絶対観測者の意志なのか」
ハガルは、エイワズの背中に問いかけた。
エイワズは、答えなかった。
いくつかの魂が、青い星から上がってきた。エイワズはそれらを連れて、姿を消した。
「エイワズの選択もまた、感情によって修飾されたものなのだろう……」
さらにハガルは、エイワズが六十五億年ほど前――ラグズの星とほぼ同時期に生み出した星を眺めて独り言ちた。
干渉者は、一度に全員が誕生したわけではない。宇宙の広がりに合わせたかのように、不定期に生み出されて今の数になった。
最初に生まれた干渉者であるエイワズは、宇宙開闢以来、初めて訪れた自身の変化に翻弄されている。
エイワズは今回の実験結果をまだ観測しきれていない。仮説と実験、結果の検証を繰り返し、適宜修正を重ねていくことが、結局のところ成功への近道なのだ。仮説や実験方法に誤りが見つかり、創り上げた星をこれまでいくつ破壊してきたことか。
だが、人間とはなんと恐ろしい生き物だろうか。
天災を引き起こし、彼らの文明に回復不可能な打撃を与えたとしても、必ずや復興を遂げてしまう。
機械文明を発展させた彼らは、海底をさらに突き破って星の核を暴き、やがて宇宙を目指す。まるで、星や宇宙の全てを知ることが自分たちに課せられた命題であるとでもいうように。
人間の持つもので本当に恐ろしいものは、小さな星と彼らの頭の中には納まりきらない好奇心だ。
宇宙は今や拡大の速度を著しく低下させており、いつかは人間の観測がそれに追いつくときが来るだろう。絶対観測者はそれを許さないとエイワズは言う。理由は知らされていないが、それを不満に思う心は持ち合わせていなかった。
これまでも宇宙に進出する術を得た別の星の人間たちは、一つの例外もなく星ごと消滅させられてきた。それが絶対観測者の意志であり、自分と同じく心を持たなかったエイワズもそれに忠実だった。
本来なら、青い星に住む彼らも同様の運命をたどっていたはずなのだ。
だが、エイワズはそれをしなかったし、自分に命ずることもなかった。
それどころか、自分が生み出した星で肉体を失った魂に、魔力を与えて別の星に転生させるという、奇想天外な計画を立案した。
魔力を得た人間たちは、生存欲求と知的好奇心の両方を存分に発揮した。彼らは魔法文明という新たな玩具と、魔物という無限に変化し続ける敵を得たことで宇宙には見向きもしなくなった。
魔力を得た人間の遺伝子に改良を加え、子孫にもその力を継承させることに成功した。
人間の選択から多様性を無くすなどということは不可能だが、少なくとも宇宙の深淵を観測し、やがては次元を、ついには時空を超えてしまうであろう危険性は遠ざかった。
エイワズの計画は図に当たったと言っていい。
あとは、魔力を持つ人間が暮らす星をさらに増やし、仮説が正しいかを慎重に観察していけばいい。オセルの星ではうまくいかなかったようだが、ラグズの星と比較検証すれば、改善点も見えてくるだろう。
ハガルは小さな太陽系から視線を動かし、遥か彼方の深淵を覗き込んだ。そこには広がり続ける宇宙が存在しており、現存する人類には観測することすら不可能な高密度のエネルギーが満ちていた。
そこから少し視点を戻してみれば、遠い銀河の片隅に浮かぶ星の中で、人間を介して戦った兄弟の姿が見えた。その姿をすぐ側で観察していたはずの仲間たちの数が減っており、そのうち一つは星の中に見出すことができなかった。
「ペオーズ……?」
ハガルは試しに呼びかけてみたが、返答はなかった。
代わりに星を取り囲むようにして観察を続ける干渉者たちに、エイワズが何かを語りかけているのが見えた。
先ほどにしても今にしても、エイワズが必死の形相で他の干渉者に語りかけることはなかった。
「…………」
ハガルは、再び銀翼の金属塊に目を向けた。それは太陽光を受けて電気エネルギーを生産し、自立して星を観察する人工衛星と呼ばれるものだ。機械であるゆえに一切の疑問を抱くことなく、プログラムの通りに動いている。
まるで、かつての我々のように。
「そうか……これが、感情というものか」
ハガルは無機質な衛星を見て、僅かに眉を寄せた。
絶対観測者はすべてを見ているという。
この宇宙も、それと並行して存在する別の宇宙での出来事も。
絶対観測者は全知。
ならば当然、干渉者に生じた変化も彼らはすでに感知しているはずだ。この現象が絶対観測者にとって好ましくないものであるならば、真の絶対者たる彼らが何の干渉もしてこないのはなぜか。
彼らが観測し、記録することによって初めて宇宙は存在を認められ、証明されるという。では、絶対観測者の存在は、いったい何者が証明するのか。
「初めて自覚した感情は、疑念だった。エイワズ……お前もそうなのか」
ハガルは遠く離れた友の姿を見つめ、エイワズには届かないように想いを声に出した。
彼の足の下では、物言わぬ青い惑星がゆっくりと自転を続けていた。
一月はバタバタしておりますが、どうにか生きております。今後ともよろしくお願いいたしますm(__)m




