12.ハバード館(やかた)の幽霊 後編
「お前たちは……冒険者であるな? しかも登録したばかりの新人ではないか」
ぐったりとしたアビーを捕らえたまま、シグルの幽霊は目を細めた。
魔力を振り撒く魂だけの存在であるゴーストには当然生身の声帯など備わっていまい。それでも声が聞こえるのは、悪しき力に乗せて垂れ流しているのか。どういう原理で、この化け物による魔力の浸食範囲が限定されているのかは謎だが、シグルが振り撒く魔力の匂いは実に不快だった。
肉体から解放されたせいなのか、死してからのちも地上に留まって熟成されたとでもいうのか。とにかくこれまでに感じたことがないほどの悪臭に、私は鼻を覆って顔をしかめた。
「フフフ……。どうせこのシグルと対話でもしに来たのだろう? この女職員に謀られたな」
私の感情に気づくこともなく、半透明の老人の話は続いていた。
「別にボクたちは、君と話をしに来たわけじゃないけど? 謀られたってどういうこと?」
私と同じく顔を歪めていたレミアが、シグルに答えた。彼女は鼻を覆ってはいなかった。今更だが、猫の様な特徴をもつ彼女の嗅覚は、私と比べると優れているということはないのだろうか。
もしそうならば、この悪臭の中よく鼻を覆わずにいられるものだ。そういえば以前、鼻を摘まんだまま話すと妙な声が出た。もしかするとそれを気にしているのかもしれない。
「口のきき方がなっとらんのう。小娘……」
「小娘だって? 言っとくけど、ボクは千年近く生きている純血の――モガッ!」
レミアに会話を任せていると、また余計なことを洩らしてしまいそうだ。アビーはがっくりと項垂れていて、その表情はうかがえない。先ほどから四肢にまったく力が入っていないように見受けられるが、それでも気絶しているという保証がない以上、レミアが魔物であることは隠しておいた方がいいだろう。
「シグルとやら……私たちはある人間の依頼で、この館の調査に来たのだ。ゴーストとの対話や調伏が目的ではない」
私は彼女の口を塞ぎ、代わりに話すことにしたが、
「白髪の方もまた偉そうなのである。まったく最近の若いもんは……」
ゆらゆらと区切りのはっきりしない身体を揺らしながら、シグルは私にも文句を付けた。
「済まないが一つだけ確認させてくれ。お前は、シグルという人物が死ぬことによって生じた存在で、魔力を操るゴーストだ。これは間違いないか」
「さっきも言ったであろう。ワシが、シグル・ハバードである」
「けっこう。アビーを返してもらおうか。私たちは、一旦ロアルへ戻ることにする」
「「は?」」
私の発言に、レミアとシグルが同時に反応した。歯の生えていない口をあんぐりと開けた―その口腔はどこまでも暗く、舌すらも無いようだった―シグルを一瞥し、私は手に持っていた資料を繰った。
「こちらも先ほど言っただろう。私たちの目的は、この館の調査だ。人間どもが幽霊を見たというのは間違いではない。確かにここにはそれが存在することがわかった。この依頼表には、幽霊をどうこうしろとは書いていないからな」
資料に綴じられていた依頼表をシグルの眼前に突き付けると、彼は目を皿のようにしてそれを読んだ。
「フ、フフフ! だがこの女職員は返さんぞ!?」
しばらく沈黙し、アビーを拘束している腕の燐光が弱まったように見えたシグルだったが、どうにか不敵な笑みを作って宣言した。
「……なぜだ?」
「な、なぜでもだ!!」
私の問いに意味不明の答えを返したシグルの額を、一筋の汗が流れた。魂も汗をかくのだなと感心している場合ではない。
私の力でもってこのゴーストを吹き飛ばすことは可能だろう。奴から感じられる力は、イスキリスで相手にしてきた特級クラスに匹敵するものだが、それ以上ではない。
それには、アビーが邪魔だ。
物理攻撃が無効というのだから、例えば黒刃で腕だけ切り落とすというようなこともできないのだろうか。
「わあっ!! ちょい待った!! ストップ! すとーっぷ!」
「…………?」
試してみなければわからないと、私が右手に漆黒の刃を生み出した瞬間、その場に居合わせた誰のものでもない声が上がった。
「…………危なかったなあ」
「何が『危なかった』ですかっ!! 私は危うく――」
「ギリギリで止めたじゃん? 怒るなって」
「言うに事欠いて『怒るな』ですって!? あんな、黒い! なんか虫みたいな! 虫みたいな!!」
半狂乱になったアビーが、若い男が装備している皮鎧の肩を掴み、激しく揺さぶっている。「虫みたいな」とは、黒刃を振動させる際に生じる音のことだろう。巨大な蜂の羽音だと表現できなくもないが、彼女の嫌悪に満ちた表情を見る限り、あの音は人間には不快な音と認識されていると思われた。
ところでガクガクとされるがままになっている男には、見覚えがあった。
濃いブルーの塗装が施された皮鎧に、赤みがかった金髪。たしか、私たちが冒険者となった初日に声を掛けてきた男だった。
「職員の申す通りですぞ。この新人が持っている力は尋常のものではない」
シグルのゴーストが、館の扉から半身を生やした状態で同意した。
「そうかい。シグル、が、言うのなら、間違いない、なあ。俺の、目に、狂いはなかった」
アビーに揺さぶられているため、金髪の男の言葉は聞き取りづらかった。
「なあ、リバー、スキリングの、お二人さん――アビー。そろそろやめてくんない?」
「むー! むむむー!」
「すまんが職員。主の命令なのだ。大人しくしていてくれい」
こちらに顔を向けて話そうとする男を執拗に揺さぶっていたアビーを、シグルが再び羽交い絞めにした。さらに――霊体とでも表現しようか、身体の一部が帯のように伸びて、彼女の口元を覆った。
「ゴーストを従えているのか」
シグルは男を「主」と呼んだ。イスキリスでもハリマは魔物を従える能力を持っていたし、死体を操る転生者に出会ったこともある。ゴーストも魔物には変わりないのだから、そのような能力者が居てもおかしくあるまい。
「そう。俺の能力は――」
「死霊魔術!! まさにワシが探し求めていた奇跡の魔法なのである!」
男の代わりに、半透明の老人が吠えた。
「ネクロマンシー……」
「聞いたことないか? まあ俺も宣伝して回ってるわけじゃないからなあ。でも、結構便利な魔法なんだぜ?」
いかに便利であろうと、魔法であるという時点で星のためにはなるまい。得意げに話す男の顔を見ずに、私は嘆息した。
「しっかし、お前ら本当にとんでもないな。シグルの魔力放射に抵抗するどころか、さっきの黒い魔法――なのか? あれなんて当てられたら、お前、成仏してたかもなあ?」
「主よ。冗談では済まないのである」
カラカラと笑う男であったが、シグルは不満げに下を向いた。
「ワシはすでに三度も死んでいるのである。四度目など迎えたいとお思いか……」
「三度死んだ?」
資料では、シグルは魔力を持った冒険者だった。転生者であるならば、まず他の星で一度死に、二度目はエオジットであるはずだ。人間の記憶力がどの程度のものか知らないが、少なくともこの地の転生者は前世の記憶を持たないのではなかったか。
「まあ、俺が話したいこととは関係ないけど、新人には知る権利があるだろうし、先に話していいぜ」
「ワシも不思議な感覚なのであるが……」
あるじの許可を得たシグルが語り始めた。
シグルは妻の死後、生まれたばかりの二児をも病で亡くしてしまった。いたく悲しんだ彼は私財をなげうち、「反魂の法」を、要するに「死人を生き返らせる方法」を探していた。少数民族の秘儀から、高名な魔法使いまで、エオジット全土を渡り歩いたが、結局それが実を結ぶことはなく、シグルはこの館で孤独な死を遂げた。
死後、シグルは不思議な光景を目にした。
肺をむしばむ病魔に侵されて死んだ彼は、死の瞬間まで激しい痛みに苛まれていたが、唐突にそれが消え去り、視界が暗くなったことで自分の死を悟った。
だがすぐに闇は晴れ、目の前にまばゆい光の塊が現れた。
「また、死んだな」
光は語りかけてきた。またとは何だと問う前に、洪水のように記憶が甦ってきたという。シグルはかつて地球という星で家族を持っていた。不幸な事故で一家全滅の憂き目にあったときも、同じ光に出会ったことを思い出したのだ。
細部はぼやけているものの、新たな星に転生し、膨大な魔力を振るって暴れ回り、何者かによって再度一家を全滅させられたことも。
「また、生き返らせてくれるのか」
地球の家族や、星で得た新たな家族がどうなったかは気にならないでもなかったらしいが、彼の人格はあくまでシグルであり、生き返らせてくれれば反魂の法を研究できると考えたシグルは、嬉々として光に訊ねた。
「生き返ることはできない。しかし、ある程度の自我と記憶を保ったまま、魂を大地にとどめることは可能だ」
それで構わないとシグルは答え、曖昧な記憶を持ったまま地上に再び現れた。
「光の存在は、『代償が伴う』と言わなかったか?」
イスキリスで見せられた、百老の一翼を担った男の話と似通った内容であったため、私は確認する意味で訊ねた。
「言われたような気もするのであるが……はっきりしないのである」
シグルは肩を竦めて私に答え、「考えてみると、死んだ土地から動けないというのは、酷い話だったのである」と付け加えた。
シグルの話は終わったようだったので、私は腕を組んで考えていた。彼の魂を転生させた存在も、二度目の死を与えた存在についても検討がついたが、それを為すことで「未来を収束させる」という至上目的にどうつながるのかは見当もつかなかった。
だいたい、シグルの魂を地上に留め置くなど正気の沙汰ではない。これでようやく、シグルが放つ魔力の匂いがことさら不快に感じられた理由もわかった。
「そこへ現れたのが! 死霊使い、ガイ様ってわけよ!」
私の考察を邪魔するかのように明るい声を上げたのは、冒険者の男だった。そういえばと胸元に目をやれば、私たちとは違う仕様の「冒険者証」をつけており、彼が政府公認のランク3冒険者で名前をガイ・フォルデモルといい、クラン「ダイスカップ」所属であることがわかった。
「お前らには黙ってて悪かったが、実はこのクエストは、俺たち『ダイスカップ』の入団試験なんだ。あれだけの冒険者を前にして殺気ビンビンの激カワねーちゃんと、ウルトラクール魔法使いのコンビ、リバースキリングのお二人さんにはどーーしてもうちに入ってもらいたくてな――それ、で……おい、どうした?」
「言いたいことはそれだけか? 転生者」
「転生者? い、いやちょっと待て、まだ話が……」
私は立ちあがり、右手に黒刃を出現させた。それを見て顔を青ざめさせたのはガイだけではない。シグルも魂のくせに汗をかいて震えだし、緩んだ拘束から逃れたアビーは素早くその場を脱し、あっという間に館の敷地外へ走っていった。
「お、おい、セイタン? だったな!? 落ち着け、確かに依頼だと偽って近づいたのは悪かった! だけどうちのリーダーは本気で――」
右手の黒刃が激しく振動を始めた。そういえば、人間共の伝承に登場する悪魔とかいう空想上の存在に『蝿の王』と呼ばれるものがあったなと思い出した。
巨大な羽虫が不可視の速度で羽ばたくように、重低音の振動音が響き、崩れかけの館の壁をも振動させ始めた。
それを見たガイは座ったままじりじりと後退し、屋敷から動けないというシグルはその場で硬直していた。
「まさかお前……本気で俺をやるつもりじゃないだろう? いくらなんでも、新人パーティーがクランにケンカ売って勝てると――」
「もういいのだ。転生者。冒険者として活動する必要はなくなった」
「お前、何言って――」
「説明してやる必要はない。お前は魔力をもって、無自覚に星を汚す害獣――転生者なのだ。なんのことかわからなくても、そこの幽霊のように何度か死ねば、思い出すだろう」
私は黒刃を振り上げた。すでにガイとの距離は三メートルほど開いているが問題はない。その分刃を伸ばせば済む。
「まままま! 待て! まってく――」
死霊使いが言い終わる前に、魔物じみた振動をもつ黒い刃が転生者の身体を粉砕した。
「おおお! よくぞ解放してくれた!! ワシは、そやつに操られていただけなのだ! わかるであろう?」
転生者の残滓を振り払うと同時に、夜の闇に溶かすように黒刃を消して振り返った私の足に、シグルがすがり付いて言った。
「貴様も転生者の記憶を少なからず取り戻したのだろう? ならばこの名に覚えはないか」
私は胸元の冒険者登録証を引きちぎり、シグルの眼前に放ってやった。
「登録証なら飽きるほど見たのであるが……これが何か……む?」
燐光を放つ半透明の魂は、まるで生きている人間のように震える手でそれを拾い、しげしげと眺めて停止した。
「転生者殺し……? まさか――!?」
驚愕と憤怒が入り混じった表情で、シグルの幽霊が頭をもたげた瞬間、不浄な魂は三度目の生を過ごした館ごと巨大な光弾に飲み込まれた。
「あ、あなたたち! なんということを!! 冒険者を一方的に虐殺するなんて!!」
轟轟と燃え上がる館を背に、敷地の外へ向かうと、逃走しようとしたところをレミアに捕まったアビーが非難の声を上げ、彼女は腰の革紐を掴まれて吊るされた状態でさらに喚いた。
「これは重大な犯罪ですよ!? あなたたちの行いは中央に報告されます! ダイスカップのメンバーはおろか、ロアルの冒険者全員が――あぶっ!?」
「あ、ごめん」
「わざとですね!?」
レミアが唐突に掴んでいた手を離し、アビーは顔から地面に突っ込んだ。一応謝罪したレミアだったが、舌を出したのをすぐさま起き上がったアビーに見つかっていた。
「冒険者法第二十七項に完全に違反しています! さらにはホール職員に対する暴行も加わり――って、ええ!? なにそれ!? 翼!?」
私とレミアは、久々に両翼を広げた。宿にいて人目が無いときはまさしく羽を伸ばしていたが、屋外で堂々と行うのとでは気分が違うというものだ。
「魔王様……人間生活はおしまいですか?」
「そもそも無理があったと思わないか? この地でやるべきことは定まったのだ。幸いにもアビーが、この国の中枢に私たちの存在を知らしめてくれるそうだ」
「魔王様……『私たち』って……まさか……」
レミアが胸の前で手を組み、もともと大きい目を見開いていた。
「転生者殺し。それが、私たちのパーティー名だろう?」
レミアの反応を確認せず、私は上空へ飛び立った。
「ちょっと魔王様!! 魔王様!! 待ってくださいよぅ!!」
続いて飛び上がったレミアは、すぐに私の隣に並んだ。地上ではアビーが何事か叫んでいたが、人間の声量ではこの高さまで声を届かせることはできまい。
「どうしました……? ああ。これ……」
私は無言でレミアの胸元を指差し、彼女はそこについていた冒険者証を取った。
少しだけ名残惜しそうにそれを見つめた後、地上へ向けて放り投げた。
「魔王様ー! 見てください! 指名手配ですって!」
一か月後、ゴーストの噂を頼りに訪れた町の入り口には大きな立て看板があり、そこには私とレミアの似顔絵つきの手配書が躍っていたのだった。
Kill:3(エオジット)
キルカウンターも復活ぅゥゥ!!




