11.ハバード館(やかた)の幽霊 中編
「あの……セイタンさん? いったい何を……?」
敷地内に足を踏み入れた途端、木材をで打ち付けて封印されているドアから禍々しい気配が漏出し始めた。明らかに魔力が込められているそれは、侵入者から守るように館の全体を包み込み、すぐに敷地全体に拡大して私たちを威圧していた。
「……匂いますね」
「うむ。この土地は、相当に汚染されているようだな」
しゃがみ込んで庭の土を握り込み、魔力の匂いを嗅いでいた私に倣って警戒をあらわにしたレミアに応じてから、私は立ちあがった。
「汚染? 何が匂うんですか?」
「魔力だ。私には、魔力の匂いがわかるのだ」
敷地に入るなり土をいじり始めた私とレミアを訝るアビーに対し、汚染について答えることはやめておいた。リバースキリングが人間のフリをして冒険者に身をやつしている目的を話したところで、冒険者協会の職員から支持を得ることは難しいに違いない。
私は服に付着した不浄な土を払い、腕を組んで首を捻った。
整地されている部分からは何も感じられなかったのだが、敷地内の土は強烈な魔力に侵されていたことを不思議に思ったからだ。
柵の向こうの平らに均された土地を見やり、改めて下を見れば、掘り返した地面からも星を汚すいまいましい力のオーラが煙のように立ち昇っており、魔力を多分に含んだ穴の断面は燐光を放っていた。
「魔力の匂い……ですか。私は何も感じませんし、気にしたこともありませんでしたね」
アビーがしきりに鼻をひくつかせて首を横に振っていた。これを感じないとは幸せな嗅覚だなと思ったが、言っても機嫌を損ねるだけだろうと思い言葉を飲み込んだのだが、私の左に控えていた魔族が、アビーの言葉に目を丸くした。
「へえ~。魔力が見えも感じもしないなんて! ……幸せなやつ」
「すごく嫌な言い方しますね……」
「なんでさ。幸せだろ? ボクらなんか大変ですよねえ。セイタン様?」
「…………」
レミアが私の腕を取り、ふふんと笑って戸口に立つアビーを挑発した。二人の間に不穏な空気が流れ、しばしの沈黙が訪れた。
「コホン。気を取り直して、新人研修を続けましょう。お手元の資料を開いてください――って、セイタンさん! それは!? いけません! すぐに消してください!!」
アビーが外套の襟を正し、「恐怖! ハバード館の幽霊」を開くよう指示したので、人間の目では暗かろうと小さな光弾を出現させたのだが、それを目にした彼女は驚愕した直後には両手で光弾を覆い隠そうとした。
「――! 触れてはいけない」
中型かんきつ類の実程度の大きさであっても、生身の人間が触れれば無傷では済むまい。私は瞬時に光弾を消した。おかげで羽虫を潰すかのように、パチンと音を立てて打ち合わされたアビーの手に光弾が触れることはなかった。
「館の敷地に入ったら、魔法の類は使ってはいけません! 魔力を持った霊魂を怒らせると大変なことになるんですよ!? まったく、ちゃんと資料にも書いてあるんですからね!?」
「論より証拠とか言って、途中で庭に入ったのは自分じゃないか」
またしても私の思いを代弁したレミアであった。やはり幻惑の力によって、私の思考を読んでいるのではと思えるタイミングだった。
「……確かにそうでしたね。失礼いたしましたっ!」
眉間に深く皺をよせてレミアを睨んだアビーが、資料をギリギリと握りしめ、素直に非を認めたとは思えない様子で謝罪の言葉を述べたのちに、「もう嫌……。なんで私が選ばれたんだろう」と小さく呟いた。彼女にもなにかの事情があるのだろうが、私たちも魔力汚染から星を救わなくてはならない。イスキリスのような状態になる前に、この土地が強い魔力汚染に見舞われていることの謎を解明する必要があるだろう。
「アビー、館の奥から感じられる魔力はかなりのものだ。館に入る前に知っておくべきことがまだあるのなら、話してもらえないか。それと」
肩を落としたアビーに何かを言おうとしたレミアを視線で制し、「『幽霊』という存在について、詳しく教えてほしい」資料をめくって明らかになっていないことについても訊ねた。生前の個人ランクが6であったというのなら、その実力はクレアと同等と考えてよいはずだが、実際に感じる威圧はそれの比ではなかった。
このことから生じるもう一つの疑問もあるのだが、それはひとまず置いておこう。
「……そうですね。わかりました。幸い霊は館から出ることはありませんし、順番にお話ししましょう」
戸口に立ったアビーが、背後を気にしながら話し始めた。
冒険者必携の末項には、エオジットに出現する怪異の特徴を記した「魔物大全」が載せられている。
それによると幽霊――ゴーストと呼ばれる怪異の存在がエオジットで認知されるようになった時期は、魔力を持つ神子なり鬼子なりが生まれるようになった時期と重なっている。
魔力をもつもの――転生者かその子孫――が死してのち、魔物になったという点ではゾンビとゴーストは同類だ。しかし埋葬されずに魔物と化したゾンビと違い、きちんと埋葬されたものであってもゴーストは発生する。
改訂前の魔物大全を記した古の冒険者は、ゴーストを「意志ある魔力の奔流」と表現していたという。
何がしかの強い執着を遺して死んだ転生者の魔力が、まるで生前の意思を継ぐかのように思いを遺した場所や物、場合によっては人物に付きまとうという。
実体を持たない故に物理攻撃は無効。存在そのものが魔力の塊であるが故に、魔力によって生み出される現象――例えば業火で焼き尽くそうとしても、あるいは凍らせて破壊するなど――はほぼ無効。事実上討伐不可能な存在としか思えないゴーストが発生した場合の対処法は、二つしかない。
それは、「対話と封じ込め」そして「保有する魔力を大きく越えた力で消し飛ばす」である。
対話と封じ込めは、比較的安定した状態のゴーストには有効で、文字通り意志を持つというゴーストと対話することから始まる。彼らが死後も世界に留まる理由を聞き、場合によっては思いを遂げさせることで、自然と消滅する例もあるという。
対話によって消失が望めないゴーストのうち、消し飛ばすことも困難なほどの力を有するもの、あるいはゴーストが発生した場所――または物や人物――に近づかなければ無害なものに関しては、周囲を封鎖して「封じ込める」のだそうだ。
またごく希にではあるが、無害を通り越して友好的なゴーストも存在するらしく、彼らを神格化して崇めている地方もあるという。
「生前、個人の実力のみでランク6を獲得したシグルの幽霊――ゴーストは、確かに強力です。しかし彼は悪霊になったわけではなく、冒険者――特に新人には友好的で、対話に応じてくれます。今回リバースキリングのお二人に受注していただいたのですが……」
「幽霊とは、死んだものの魂ではないのか?」
魔力は放出されれば大地に浸み込み、空気中に散って星を汚染する。魔力の塊に意志が宿ると考えるよりは、魔力を持った魂が肉体を失っても活動していると考えた方が妥当だ。
「幽霊の別称はゴーストですよ。タマシイとはなんですか?」
まさかお二人が、幽霊の存在すら知らないとは思いませんでした。そう言って再び肩を落としたアビーに私が質問すると、彼女は不思議そうな顔をして答えた。
「この星で生まれた生命は、その身体に星の気を宿している。魂とは、生命の核だ。死を迎えた生物の魂は星の核へと還り、気の循環に飲まれて再び生を得る機会を待つ。ただし――」
別世界からやってきた、穢れた魔力をもつ魂を除けばの話だがな。
そう言いかけて、私はイスキリスで殺した――あるいは死んだ転生者の魂はどうなったのかと考えた。
魔力という星には存在しなかった力を持った魂は、星の核に帰ることはないのだろうか。干渉者とともに星を見ていた私は魂を見ることができたが、地上に堕ちてからそれはできず、核を見通すこともできないため確認のしようがない。
それにしても、死んだ転生者の魂すべてがゴーストになるわけでもないだろうが、彼の地でまったく発生しなかったと考えるのは不自然だ。ゴーストは、魔力をもつものが強い執着を遺して死んだ場合に発生するという。私という存在によって、彼らにとっては至極理不尽に奪われた命に執着がなかったものがあったろうか。
考えられることはいくつかあるが、こうしてハバードとやらの敷地に満ちる魔力を見ることができる以上、イスキリスでゴーストが発生していれば、その存在自体は不可視であったとしても、魔力のオーラは見えたはずだ。
レザイアを滅ぼしたあとも、出所がわからない魔力のオーラなど見ていない。断言はできないが、彼の地において転生者が死後も魔力をもつ魂として活動するなどという現象はなかったのではないだろうか。
では、何故エオジットではそのような現象が起きているのか。
魂をどうこうするような力を持つ存在などそうはいまい。少なくとも、私の知る限りでは。
「……干渉者……」
「え?」
私は星に邪悪な魂を運び込む存在の名を呟いた。これも断言はできないが、彼らが関わっている可能性は高いように思う。前世の記憶を持っていたイスキリスの転生者は、干渉者を「神」と称して受け入れていたが、この地では存在すら知られていないだろう。
彼らにとってあまり突飛な話をしているところを、原住民であるアビーの前で晒すのは躊躇われたため、干渉者という単語に反応したレミアに目配せをし――
「まさか魔王様!? この地にもやつらが!?」
もちろん余計なことは言うなという意図だったのだが、どうやら通じなかったようだ。レミアの幻惑は常時発動しているわけではないし、私に対して使用したことはないそうだが、先ほどから私たちに向けている猜疑心に満ちた目線のことを考えると、この時ばかりは使っていてくれればと、私は内心嘆息した。
「頑なにクラン加入を拒み、尋常ならざる殺気を放つレミアさんと、どう見ても主従の関係にあって、タマシイや星の核など謎の知識をもセイタンさん……それに加えて魔王という呼称……いったいリバースキリングは、何者なのですか……? まさか……『予言』の……?」
相変わらず魔力の漏出が止まらない戸口を背にしたアビーが、胸元に紙束を抱えるようにしてこちらを見ていた。彼女の中で私たちは、不審人物どころかこの地の伝承にある「預言者伝説」との関連付けまで始まったようだ。
「違うんだよアビー! 『魔王様』っていうのは、ボクら二人だけの時に、その……そういうプレイスタイルなんだよ……? わかるだろ?」
「…………プレイ…………?」
さすがに魔王と呼んだことは失敗だと気づいたのか、レミアがわたわたとよくわからないことを言い始めた。それを聞いたアビーはレミアの発言の一部を復唱し、むしろ猜疑心が強まったような視線を私に向けた。
「そろそろ中に――むっ!? アビー! 扉から離れろ!!」
彼女の視線を躱そうと、そろそろ館に入るよう提案しようとした矢先のことだった。戸口の向こうから漏出していた魔力が、足元から突然大量に湧き上がって人型を成し、アビーとドアの間に老人の姿が現れたのだ。
「――え? きゃああ!!! 離してぇ!」
気配ぐらいは感じたのだろう。アビーは振り返って老人と目が合うと、金切り声を上げて走り出そうとしたが、その身体を老人は羽交い絞めにした。
「……さっきから他人様の家の前で、ごちゃごちゃと五月蠅い連中だ……」
アビーを捕らえた老人は、雲竜もかくやというほどに年老いていたが、意外にも声はまったくしわがれておらず、夜気の中によく響いた。長く伸びた真っ白な蓬髪は、明らかに風ではない力によって揺れており、老人の身体――と呼んでいいのだろうか。
館の土を侵していた魔力がそのまま形を持ったように、淡く燐光を放ち、顔以外の造形微妙にがぼやけたそれは、半透明であり、アビーを脇の下から腕を差し込んで抑えている腕の向こうに、彼女の外套の襟やボタンが透けて見えていた。
「シグルの……ゴースト……」
アビーは相手の顔を確認した後、がっくりと頭を垂れて動かなくなった。気絶したのだろうか。
「お前が、シグルか」
力なく肢体を投げ出したアビーの手から、紙束が零れ落ち、半透明の存在の周囲を渦巻く魔力の風によって夜空へ舞い上げられた。
「いかにも。ワシがシグル・ハバードである」
紙ふぶきの向こうで若い女を羽交い絞めにしたままの老人は、こちらを威圧するように魔力のつむじ風を起こしながら、大きく頷いた。




