10.ハバード館(やかた)の幽霊 前編
ロアルを出て歩くこと半日。
日も傾きかけた頃になって、ようやく私たちは目的地にたどりついた。アビーが随行していなければ、多少迷うことを計算に入れても日が登りきる前には到着していいただろう。方角さえ分かっていれば、うっそうとした常緑樹が生い茂る森の中に、突然現れる正方形の空き地に佇む館を見つけることなど容易い。
道中冒険者必携を片手に、地図作成や太陽、星を頼りに方角を知る方法、冒険者同士の信号の意味――例えば遭難や困難な敵に遭遇した際の救難信号の出し方などについて講釈を垂れるアビーであった。
功を焦るレミアが遅々として進まない行程に不満を露わにし、「痴女逮捕依頼」とは異なり、「幽霊屋敷の調査依頼」は依頼主に事前に会う必要はなく、私たちは彼女の案内で直接現場へと赴くことの理由や依頼の詳細について訊ねても「それは、現地に着いてからお話します」と言うにとどめていた。
「過信は禁物! 事前に準備! 準備! 準備!」と冒険者必携には書かれているが、その辺りとの齟齬を指摘しても、髪形のごとく、貝のように押し黙るアビーであった。
館は長年放置されていただけあって、外観は酷い状態だった。
敷地を囲む木製の柵は朽ちており、ところどころ崩れているというよりは、部分的にしか形を保っておらず、エオジットでは貴重品であるはずの鉄骨で造られた正門は解体されて、荒れ地と化した庭園の一角に放置されていた。
すでに周囲の土地は伐採を終えて整地されており、あとは館の建物と庭園を含む敷地を残すのみとなっていたことも、館の惨憺たる様子を際立たせるのに一役買っていたといえよう。
「はい、お二人とも止まってください!」
アビーが声を張り上げ、もはや用をなさなくなった鉄くずを横目に敷地へ侵入しようとした私たちを制し、「それでは、新人パーティー『リバースキリング』の初回依頼研修を始めます」と続けた。
初日の冷淡さが嘘のように、にこやかな笑みを浮かべてアビーが宣言した。「こちらがラフィット建設所有の『幽霊屋敷』です。まずは詳細の確認をお願いします」と言って、紙束をよこした。
渡された紙束は表紙に「恐怖! ハバード館の幽霊」と題を打ってあった。
「緊急性の低い依頼――誘拐や防衛などとは違って、依頼達成期限に余裕があるものに関しては、必携に書かれているように事前の調査が大変に重要です。今回は初回受注と言うことで、特別にこれまでこのクエストに関わってきた冒険者たちが調べてきた情報が公開されます」
「えー? じゃあ、この依頼ってボクらが初めて受けたわけじゃないってこと?」
レミアが不満げに問うと、左手の冒険者必携を閉じ、右手の人差指を立てて悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「レミアさん。そうとも言えるし、貴方たちが初めてだとも言えます」
「もう! 何言ってるのさ。だって他の連中が調べたことがあるんだから、ボクらは二番手だろう?」
人間相手には居丈高になるレミアが、アビーに詰め寄って言った。
「前任者は……失敗した、ということだろうか?」
「惜しいですね。これは、『再発』なのです」
「なるほどな……」
「ちょっと、何がなるほどなんですか? ボクだけ置いていかないでくださいぃ!!」
私とアビーが頷いて紙束に目を落とすと、レミアが怒声を上げた。クエストホールの女性職員は嘆息して、説明を始めた。
再発。
一度は依頼が達成され報酬も支払われたが、再び同様の事象が発生し、依頼が再発生したものをいう。
直近の達成から再発までの期間が半年以内の場合は、冒険者協会が規定の報酬を支払わなければならないと定められ、冒険者には達成時の調査資料などを当該ホールへ提出することが義務付けられている。
事態の再発があった場合は、直近で依頼を達成したものに優先的に受注件が与えられるのだが、それを拒否した場合、あるいは当該冒険者が受注不可能な状態にある場合は掲示板に掲載されるのだ。
それ故、この依頼の掲示が他の依頼よりも少々遅れたのである。
ちなみに幽霊屋敷の調査を前回担当したのは、「ダイスカップ」のメンバーだそうだ。私たちは彼らが作成した調査資料を読み込んだ。
ハバード家の屋敷跡には、幽霊が出るという。
家の起こりは不明だが、シグル・ハバードは冒険者であった。四十五歳、個人ランク6で冒険者を引退した彼であったが、生前地道に稼いだ報酬を貯蓄しており、それを元手にこの地に屋敷を建てて定住し「不死についての研究」を始めたという。
エオジットにおいても、魔力を有する者が死に、遺体を焼いて処理しなかった場合は生ける屍と化してしまうことが多々あった。シグルはランク6の実力者であったが、自身のクランを結成せず、パーティーも組まずという孤高の冒険者だった。今でこそ、大勢で群れていることが多い冒険者だが、当時はシグルの様な一匹狼も少なくなかったそうだ。
それ故に、人知れず命を落とした冒険者がゾンビとなり山野を彷徨っていることが度々あった。
腐臭を振り撒く怪物となった同業者に二度目の死を与え弔い、遺品があれば家族にそれを届けることは、冒険者の美徳とされてきた。ただし、元が一人で活躍できる実力者であったからには、ゾンビ化して生命に対する執着の塊となった彼らに相対する者にも、相応の実力が求めらることは言うまでもなく、元高ランク保持者のゾンビを討伐した際の報酬も高額だった。
そのような世情であった当時――クラン結成やパーティー行動が当たり前の今となってはゾンビなど滅多にお目にかかれないそうだが――は、ゾンビを見かけて放置するような冒険者はいなかった。
さて、シグルが冒険者を引退することになった経緯には諸説あるようだが、彼は引退直前に行動を共にした女冒険者――マリアと結婚した。ずっと一匹狼を貫いていた彼がマリアと行動を共にし、結婚にまで至った経緯についても謎のままだが、少なくとも妻の死が、シグルが「研究」を始めたきっかけであると、ダイスカップの冒険者は判断していた。
シグルとマリアの間には双子の男児が生まれ、マリアは出産の負荷に耐え切れず、死んだ。
シグルは優秀な冒険者であり、魔力によって様々な能力を有していた。魔法はほとんど万能ではあったが、死者を復活させることはできなかった。
その後のシグルと子供たちがどのような人生を送ったのか、人里離れた森に居を構えていた彼らはほとんど他人と接触しておらず、マリアの死亡届けが出されて以降、公式な記録は何も残されていない。
いつの間にか空き家となった館が発見され、建物と土地を政府が接収したのが五十年前。マリアの死から百三年経過していたことと、子供たちに婚姻の記録がないことから、ハバード家の戸籍は政府記録から抹消され、立ち建物は競売にかけられた。
「ふわあ~。それで? 幽霊ってのは、いったいいつになったらでてくるのさ……」
日が大きく傾き、更地にできた残り僅かな西日がつくった紅い陽だまりに寝転んだレミアが、欠伸をして言った。
「ここからが本題なのですから、きちんと聞いてください!」
よっこらせと言って立ち上がったレミアが、左手を上げてゆっくりと伸びをした。非常に間延びした動作が終わるのを待って、アビーは再び資料に目を落とした。
「魔力を持つ者が死した後、ゾンビと呼ばれる怪物となることは有名な話ですが……」
シグルはマリアの死後、彼女の魂を復活させる方法を探していたと、館に残された手記には記されていた。そこにはシグルが研究していた魔力を用いた方法を模索する他にも、様々な部族の呪いや死後の世界に関する記述が見受けられ、シグルはそれらを「反魂の法」と称して研究していた。
エオジット中に存在する部族の儀式や土着の宗教などについて、詳細が記された手記は、その内容自体が奇妙奇天烈であったが、もっとも奇妙であったのは――。
「ハバード氏の手記には、記載した日付が几帳面に記されていました。その日付を見る限り……館に調査が入る一年ほど前まで手記の記載は続けられていたのです……」
一旦言葉を切って、館を振り返り、ゆっくりと視線を戻して語ったアビーに対し、レミアが「へえ~」と言った。
「シグルってやつは、マリアと結婚した時点で四十五歳だったわけだろ? ってことは、えーと……百四十九歳まで頑張ったわけだ。それで? 早いところ幽霊ってやつはなんなのさ? まったく、君らの話は回りくどいんだよなあ」
「……百五十年も生きる人間なんて、いるわけないじゃないですか」
魔力をもって一万年以上を生きる転生者と戦ってきたレミアからすれば――私でもそうだが――百五十年生きた人間がいてもまったく不思議に思わないが、エオジットの常識ではそういうことはないらしい。レミアがじれったそうに言うと、アビーは右の口角を引きつらせた。
「じゃあ、シグルが死んだあと、その息子が書いたんじゃないの?」
「生後三か月ほどの乳児の遺体が、屋敷の地下で見つかっています。恐らくシグルの息子たちでしょう。文字が書けたとは思えません」
「それを先に言えばいいだろ? じゃあやっぱり、シグルが書いたんじゃないか!」
「いやいや、そこは『シグルの幽霊がっ!』となるところではないのですか!?」
「だからあ! 幽霊ってなんなんだよ!?」
徐々に険悪な雰囲気の会話を始めた二人であったが、私は二人の会話に齟齬が生じている原因に思い当たるところがあり、意見を述べることにした。このまま黙って見ていても、らちが明かないだろう。
「アビー。私とレミアは、『幽霊』というものが分からないのだが」
「……え?」
「ですよねーセイタン様! さっきから幽霊ってなんだと聞いてるのに、いつまでたっても教えてくれないから悪いんだぞ!!」
我が意を得たりと顔を輝かせたレミアが、アビーに向かって舌を出した。対するアビーは目を大きく見開き、私たちの顔を交互に見比べていた。
「幽霊をご存じない……? そんな人がいるなんて……」
どうも話が通じにくいと思っていたんですよと呟いて、アビーは肩を落とした。彼女は資料を丸めて外套のポケットに仕舞うと、踵を返してハバード家の敷地へ足を踏み入れた。
「論より証拠です。屋敷に入ってしまいましょう。時間もちょうど頃合いですからね……」
くっくっ、と笑ってアビーが歩き出した。
「何ですかね、急に笑い出して……」
「わからんが、ついて行くしかあるまい」
私とレミアは顔を見合わせて、アビーに従った。
太陽は沈んでおり、辺りには待ってましたとばかりに、夜のとばりが降り始めていた。
資料
冒険者必携
新規に冒険者登録を行った者に配布される、冒険者生活の手引きとでも言うべき小冊子である。
1.冒険者とは
冒険者とは、エオジット国籍を有する者本人が、冒険者協会が運営する窓口において登録申請し、これを受理された者である。
すべからく冒険者を生業とする者は、冒険者登録証を交付され、常に携帯しておかなければならない。なぜなら、冒険者として登録した以上、その者の人生すべてが冒険であり、いついかなる状況においても法に則って活動することが義務付けられるからである。
冒険者登録証とは別に、定められた試験に合格した者または政府がその資格ありと判断した者には、政府公認冒険者として活動を許される『公認冒険者証』が交付される。非公認冒険者よりも多くの権限が与えられる分、社会的な責任も大きくなるが、この必携を初めて手にした諸君には、ぜひとも試験に挑戦して活躍の場を広げてもらいたい。




