9.依頼が欲しい
「よう、お二人さん! 今日こそは依頼をゲットできたのかあ?」
濃い茶色の髪を短く刈り込んだ、猿のような風貌の男が声を掛けてきた。レミアがそれを睨みつけると、ランク6の冒険者――サダキヨはおどけて「おおっ! こえぇ!」と言って去っていった。
逃走した先に待っていたのは、『赤いほうき星』の残党を大量に取り込んで膨れ上がったクラン『マエストロ』のメンバーだった。皆が手にクエスト依頼書を持っており、我先にとサダキヨにそれを差し出していた。
手に何も持っていないレミアがギリギリと奥歯を鳴らすのを横目に見ながら、私はクエストホールの『依頼掲示板』を振り返った。そこには二枚だけ依頼書が残っていた。
「これはこれは! 麗しきレミア嬢とニヒリスティックなセイタン殿! ご機嫌麗しゅう」
それらの内容を吟味する暇を与えず、決して麗しくなどないご機嫌を逆なでするかのように、背後から男性とも女性ともつかない声が聞こえた。
続いて現れたのは、軽快なステップを踏みながら「幸せならクランに入ろ~」と歌う集団を率いる男だった。クラン『天国の音楽隊』のリーダーであるドットソンは、肩が大きく膨らんだ奇妙な上着を着用し、下半身にそれとは対照的な細い肢体にぴったりと吸い付くような下衣を着ていた。
曲調は軽妙だが、歌詞が耳障りな音楽を奏でる連中から進み出て、ドットソンは掲示板に近づいてきた。
「ほうほう! どうやら出遅れてしまったようですが、我らは音楽の神に愛されているようだ!」
尖った顎に右手を添えて、やや離れた場所に貼ってある依頼表を見比べたドットソンが歓喜の声を上げ、右側に貼ってある依頼書を剥がして踵を返した。相変わらず種々の楽器を鳴らしている冒険者たちの元へと戻りながら、「『クラン指定依頼』……こういったものが張り出される幸せ……クランとともに成長していくとは、なんと素晴らしいことか」と聞えよがしに呟いたのを聞いたレミアが、うなじの毛を逆立てた。
もはや遠慮なく放出されるようになった彼女の殺気にも臆することなく、ランク5の冒険者ドットソンは、仲間たちと共に去って行った。音楽隊の歌が行進曲に変わってくれたことが、せめてもの救いか。
この世に神などいない。仮に神のごとき存在だと自称するものがいても、人間を愛するようなことはない。哀れな勘違いをしている冒険者の背中を見送り、私は再び掲示板に視線を戻した。
「危険度高し! ランク7以上限定!!」
最後に残った一枚の、依頼内容の詳細を記す文章の始まりがこれである。私とレミアの個人ランクは0であり、これは冒険者になってから今日まで一つも依頼を達成していないことを意味する。ちなみに個人ランク7といえば、ロアルの町に駐留していた冒険者の中では最高ランクだったらしいクレアが思い出される。
イスキリスとは違った形ではびこる転生者たち――その最初の獲物であったクレアだが、彼女を殺してからすでに二週間。サダキヨやドットソンなどの高ランク保持者は、リーダーを失って悲しみに暮れる者を奮い立たせ、自らのクランに加えて面倒を見ている。彼らの仕事のほとんどは原住民からの依頼で成り立っており、以来の達成には魔力など使わないものも多い。
一万年以上かけて魔力に汚染された彼の地とは違い、エオジットではまだ彼らが現れて数百年だ。土地の汚染は微々たるものであり、冒険者はただ魔力を垂れ流して狩りを楽しんだり、悪しき宗教を強要したりすることもなければ、土壌に魔力を流し込んで作物を育てたりすることもない。
正直に言うと、私は迷っている。
それ故に、レミアが「何か大きな依頼を達成して、馬鹿にした連中に一泡吹かせてやりたいですっ!!」と両拳を握りしめたときも反対せず、こうして毎日掲示板の前に立っているのだ。
「がははは! なんとかキリング! 今日も『ボウズ』か!?」
掲示板に貼られた最後の一枚を引き剥がした男――個人ランク7の冒険者ではあるが、クランを結成せず、五人のパーティーのリーダーを務めるガウェインが言った「ボウズ」とは、毛が一本も生えていない頭に天井の照明を反射させている自らの頭を形容した言葉ではない。
冒険者の間では、丸一日依頼を受けることができず、その日の収穫が無かったことを揶揄し、「不毛」を意味するボウズというそうだ。
「もうわかっただろ? 多少の実力があっても新人がたった二人で組んでいたんじゃあ、クランの組織力には敵わねえってこった」
ガウェインは、依頼書の内容を読みもせずに丸めて仲間たち「ザ・タンク」のメンバーへそれを放った後、巨躯を曲げて私たちの前に顔を持ってきて「まあ、そういう矜持ってのは嫌いじゃないがな」と言い、巨体の割には小さな黒目の片方を閉じて、不気味な表情を作った。
「冒険者は依頼を受けてこその冒険者だろ? 個人オーケーの依頼なんて滅多にないんだぜ? ロアルみたいな都会では特にな。悪いことは言わねえから、数年我慢して誰かの世話になりな」
「ぐううう……」
人間共の言葉で、「ぐうの音も出ない」という表現がある。
ロアルの高ランク冒険者たちから毎日のようにボウズ扱いを受け続けたレミアは、始めのうちは彼らに食って掛かっていたのだが、今では殺気とうなり声を発するだけになってしまった。それでもまだ、「ぐうの音」くらいは出る余裕があるといえば聞こえはいいが、不満が溜まっているレミアが夜な夜な繁華街へ繰り出して何をしているのかを考えると、私としても何がしかの依頼を達成させてやりたいと思う。
「ねえ……本当のところ、あんたたちって何者なわけ?」
ガウェインの巨躯が作り出した死角から、ゆらめく陽炎のように現れた少女が、胡乱な目で私とレミアを交互に見ながら訊ねてきた。話しかけられたのは初めてだが、アビーよりも少し灰色がかった黒髪を左右に分けて結い、それを巻いて髪留めでまとめた羊のような髪型に見覚えがあった。
「……いつも大胆に殺気を振り撒いてるけど……そんな怖い顔する初心者なんて会ったことない」
そして、私たちが国籍と冒険者登録証を同時に手にしたあの日、レミアが放った殺気にとりわけ敏感に反応した数人から叩き返された視線にも。
「私たちは……ただの流れ者だ」
ブランドンに、出自について訊ねられた際はこう答えろと教えられていた。冒険者相手なら、それで通じるそうだ。
「ふうん……言えないってわけね……」
眼下の少女は、薄く打ち延ばされた金属にどのような加工を施したのか、不思議な銀の輝きを放つ胸当ての前で腕を組んで、何を納得したのかニヤリと笑った。
「ま、あんたたちとは『競合』にならないといいわね」
「クィン、よさねえか」
わずかだが腰の短剣に魔力を纏わせ、不敵な笑みを浮かべた少女をガウェインが制した。
ガウェインのようにパーティーを組んで活動する冒険者は少なくないが、冒険者として活動するものを対象に定められた「冒険者法」をもとに編纂された「冒険者必携」によれば、パーティーを組むことができるのは同一ランクの冒険者同士のみと定められており、メンバーの上限も五人までと決まっている。これは、高ランクの冒険者があまり固まらないようにという意味と、初心者だけで固まってしまうことを抑制する効果を狙ってのことだそうだ。
クィンが言う「競合」とは、同じ依頼を受けたパーティー同士が同時に依頼を達成しそうになった場合、純粋に達成の早さを競う場合と、決闘して勝者を決める場合がある。冒険者必携には決闘の作法についてもあれこれと書かれているが、要約してしまえば「殺されても文句はなし」ということだ。
「悪いな。ウチのメンツはどうも、喧嘩っ早くていけねえ」
巨体を再び曲げて、「ザ・タンク」のリーダーは謝罪した。依頼の中にはランクもクラン所属も関係なく受注できるものがある以上、彼らと競合になる可能性はゼロではない。私としては決闘の結果として彼らを狩ることができれば一番いいなどと考えていたので、望むところだなのだが。
「お嬢ちゃんも、そんなに怒らないでやってくれよ……ただの、冗談なんだからよ」
レミアがいよいよ牙を剝いてクィンを睨みつけているのを見て、ガウェインがとりなしたが、私はそれに笑みを返した。
「気にするな。だが、私たちも決闘の作法くらいは心得ているつもりだ」
私の答えに目を丸くしたガウェインは、しばしの沈黙を挟んで口角を吊り上げた。小さな黒目とは対照的に、それは耳まで裂けるのではと思うほどに広がっていった。
「……度胸だけは、買ってやるがな」
クィンに負けない好戦的な覇気を放ち、ガウェインはこちらへ叩きつけるような視線を送っているメンバーの元へ帰っていった。
「まったく。毎朝毎朝、ホールで殺気の応酬をするのはやめてくれませんか?」
ザ・タンクのメンバーがホールを去り、ようやく静寂が訪れた掲示板の前に、新たに現れたのはアビーだった。初めて会った時のように巻貝の様な髪形をしていたが、眼鏡は外していた。
「フーーーーッ!!」
初日から彼女に良い感情を抱いていないレミアが、またしても毛を逆立てた。
「あなた方に冒険者登録証を交付してから十三日も経ちますが、一件の受注もできないなんて……こんなこと、前代未聞ですよ?」
魔力を持たないただの人間であるアビーが、魔族の殺気をまともに受けながらも涼しい顔をしていられる理由が分からないが、とにかく彼女はレミアを無視して、掲示板に二枚の紙――冒頭に「依頼書」と書かれたそれを張り付け始めた。
一枚目には「一般対象」と書かれており、冒険者が単独であろうとパーティーであろうと、クランメンバーであろうと自由に受注できることを表していた。
一枚目の依頼は、「夜な夜な出現する痴女の逮捕」であった。
この一週間ほど、歓楽街を中心に痴女被害が頻繁に報告されている。被害者の話を総合すると、妖艶な猫型の魔物の関与が疑われるため、冒険者の協力を要請する。詳細はロアル守備兵詰所まで。
「…………」
「いや、これは、たまたま張り忘れていただけですからね? べ、別に誰が受注しても、ちゃんと達成されればいいんですからね!!」
私が一枚目の依頼書の内容を読んで渋面を作っていると、アビーが焦った様子で話し出した。
「ももも、もう一枚あるのだって、別に秘匿していたわけじゃなくて、駆け出しの人が受けるにはちょうどいいかななんて思っただけですからね!? 痴女の被害者が、長身で髪が白っぽい男だけとか、そういうことは関係ないんですからね!?」
アビーはもたつく手でもう一枚の依頼書を張り付けた。
二枚目の依頼書にも「一般対象」と書かれていた。
依頼は「幽霊屋敷の調査」であった。
ロアルの南に広がる森の中に、家屋と土地の所有者が行方不明となって五十年経つ廃屋がある。所有者不明で国に接収された土地をラフィット建設が買い上げ、弊社施設の建設を行う予定であったが、「幽霊被害」のために工期が遅れている。人ならざる異形の姿の目撃も報告されているが、素人の我々では判断が付かない。このままでは工員たちが怖がって作業が進まないので、一度冒険者に調査してもらいたい。
「……レミア」
「……はい」
一枚目の依頼書を食い入るように見ていたレミアを一瞥して、私は告げた。
「こちらの依頼を受ける。これからは自粛するのだな」
「……はい」
がっくりと肩を落としたレミアをその場に残し、私は二枚目の依頼表を掲示板から剥がした。
「この依頼を受注したいのだが」
「え!? ええ、はい。わかりました。私も、これがその、セイタンさんにはいいと思います!」
アビーはなぜかあたふたと書類を受け取って掲示板脇のドアの向こうへ引っ込んだ。始めて依頼を受けるものには、ホール職員が付き添う決まりになっているそうなので、その手続きにでも行ったのだろう。
「お待たせしました! では、参りましょう!」
ほどなくして出て来た、薄手の外套を羽織ったアビーに案内され、私とレミアはクエストホールを後にした。




