6.国籍が欲しい 前編
ロアルに入った私たちは、すぐさまヨーゼフの記憶を頼りにクエストホールへ向かった。町の南側でクレアが発生させた火柱は、当然町からも観測されており、ホールに居た冒険者や職員たちがあわただしく動いていた。
私たちがホールに入った時は、クレアの得意技であった火柱を観測後、いくつかの爆発が起こり(私がクレアに放った黒弾によるものを指していると思われた)、空に響き渡った魔物の咆哮を受け、緊急招集された冒険者たちが状況の確認を――と、ホール職員が冒険者たちに説明しているところだった。
私とレミアは素知らぬ顔で、『新規冒険者登録窓口』とやらに向かったのだが、「緊急事態なので待っていろ!!」とぞんざいに言い放たれ、ホールに張り出してあるクエストとやらを眺める、ドヤドヤと駆けずり回る人間たちを眺めるなどして待っていた。
ほどなくして、町の南側で戦闘が行われた形跡があり、クレアの大剣のみが発見されたとの一報が届けられ、いよいよホールの喧騒は大騒動に発展した。
上級ランク保持者の失踪――最悪の場合死亡もあり得ると騒ぎ立てる連中を尻目に、レミアが大あくびをしているところへ「お待たせしました」と現れたのが、三角眼鏡と同じような形に目を怒らせている人間の女である。
「融通が利くとか利かないという問題ではありません。この『冒険者適正試験要綱』にも明記されています。適性試験を受ける者は、エオジットに国籍を有すること――と。仮に、あくまで仮に、あなた方が他大陸から渡ってきたという奇想天外な与太話が本当であったとしても、国籍をお持ちでない以上受験資格はありません!」
ピシャリと言いつつ机に置かれた紙束を繰りながら、人間の女はさらに続けた。
「忠告させていただきますと、外国人であるあなた方は、『非公認冒険者』として活動することもできません。要するに、クエストホールで依頼を受注することは認められません。これに違反して――例えば個人から勝手に依頼を受けて報酬を得る、あるいは『クエスト屋』などの違法な業者から依頼を受けて報酬を得た場合、あなた方はエオジット法により厳罰に処され――」
「あーーーー!!!!」
女性職員の言葉を遮り、レンが頭を抱えて喚いた。勢い余って放出された気が風を起こし、机の埃と紙束が吹き上げられた。
「……脅しても無駄ですよ。ホールの職員に対する恫喝や脅迫行為は――」
人間の目から見れば明らかに超常現象が起こったはずだが、女性職員は迷惑そうに目を細めただけだった。
「うるさいなあ!! 要するに、コクセキがあればいいんだろう!?」
立ち上がったレミアの目に涙が浮かんでいるのは、狭い室内に舞う大量の埃によるものだけではないだろう。対する女は埃が付着した眼鏡を外して布で拭いながら、レミアの方を見ようともせずに口を開いた。
「多少魔法が使えるからと言って、強引な手段に出ることはお勧めできませんよ? ホールの『警備部』には強力な――」
「うるさいってば! とにかくすぐに国籍を手に入れて、また来るからな!! 行きますよ魔王様!!」
うっかり魔王と呼んだことにも気づかず、レミアは床を踏み鳴らして部屋を出て行った。
「……魔王?」
職員が繰り返したのを背中に聞きながら、私も退室した。
「まっったく! あの女ときたら話になりませんね!」
両肩を怒らせたレミアの声が、レンガ造りのホールに響き渡った。先ほど待たされている間に中を見て回ったが、ロアルのクエストホールはドーム状に積み上げられた赤茶色のレンガで出来ていた。掲示によれば、建物の直径は三百メートル――人の記憶に触れる機会が多いレミアによれば、メートルとは人が定めた距離の単位で、一メートルとはレミアが両手を広げたくらいだそうだ――ほどもあり、上下二層、地下一層に分かれている。一階が、先ほどの女性職員も所属している『冒険者協会』が運営するクエストホールであり、螺旋階段を上がった二階は『ロアル役所』、地下は『避難所』だそうだ。
「レミア」
「なんですかっ!?」
壁際に設置された木製の長腰掛けに爪を立てていたレミアが、憤然としたまま応じた。
「コクセキとは、なんだろうか」
「それは……わかりません……」
レミアがしまったという顔をして、下を向いたのとほぼ同時に、後方で「きゃっ!」と悲鳴が上がった。
何事かと思って声のした方を見ると、応接室の前辺り――ちょうど螺旋階段の終わりで先ほどの女と別の男が衝突したらしく、大量の紙束が舞う中で二人が折り重なるように倒れていた。
男の方は慌てて立ち上がり、女を助け起こそうとしたのだが、女はその手を叩いて立ち上がると、「まったく! 二階の連中がしっかりしてないから、あいつらみたいなのが増えるのよっ!」と言い、他にもキイキイと何事かまくし立てた後、先ほどのレミアもかくやという勢いで去って行った。
「きーっ! 見ましたか!? あの女『あいつら』って言ったときにボクらを指差しましたよ!? なんで人間ごときにこんな扱いをされなきゃならないんですかね!? そんなにコクセキがないってことが、蔑まれることなんですかね!?」
レミアの発言も人間を蔑んだものではあると思うが、今それを口にすれば火に油であろう。私は短く嘆息して立ち上がり、ホールを出ようと彼女を促した。
「あのう……」
肩を怒らせたままのレミアを従えて歩き始めた私の背後から、遠慮が多分に含まれた声がかけられた。赤いほうき星失踪の件で、ホールで慌てふためいていた人間たちは出払ったらしく、現在広い半球状の建物の一階は閑散としている。小さな物音もよく響く中にあって、振り返った先に立っていた男の声は弱々しく、壁や天井に反響するどころかそこまで届いていないのではと思われた。
「……なに?」
「いえあの……」
私と同時に振り返ったレミアが、噛みつきそうな顔で応じたのにびくりと肩を震わせた男は、螺旋階段の下で女とぶつかっていた男だった。白い襟が付いた絹製らしい服を着ていた。上半身の正中部で合わせた布を、やたらとたくさんの留め具で止めており、下半身は黒く染められた綿素材と思われる二股に分かれた服を、着ているというよりは履いているような恰好だった。それを、腰の辺りを革紐で締めることによってずり落ちないようにしているのだ。大量の紙束を脇に抱え、怯える猫のように首をすくませて口中に含むように喋る姿は、奇妙な男の風体を必要以上に弱々しく見せていた。
「誰だか知らないけど、用があるなら早く言いなよ? これから『コクセキ』を探すんだから、ボクらは忙しいんだぞ!」
レミアがいら立ちを隠さずに、高圧的な態度で猫背の男に用件を訊ねると、男はさらに縮こまって涙目になった。
「声を掛けただけで怒らないでくださいよ……。まったく、これだから冒険者志望の人たちは……」
「『これだから』なんだってのさ!?」
男の言葉尻を捉え、さらに勢いを増したレミアであった。その身体からはいよいよ力が溢れ出し、それが見えるのか見えないのか、男は後方へたじろいだ。気の放射を受けて、男の長い前髪が上がり、額に大きな湿布が貼ってあるのが露わになった。さきほど衝突した際に負傷したのだろうか。レミアが続いて「お前も僕たちがコクセキを持ってないからってバカにするのかあ!?」と口にした瞬間、垂れていた男の眉が上がり、黒目に僅かながら光が宿った。
「いやあ、とんでもない。あなた方は国籍をお持ちでないとアビーさんから伺いまして、僕がお力になれるだろうと」
アビーとは、レミアが仇と見ている女性職員のことだろう。先ほど彼らが衝突した際になされた、一方的な会話にそのような内容が含まれていたのかもしれない。
「汝は、コクセキを持っているのか?」
「え、僕がですか? そりゃあ……まあ、これでも公務員ですからねえ……」
私が訊ねると、男は一瞬目を丸くして、笑っているのか困っているのかわからない表情を浮かべて答え、「申し遅れましたが、僕はこういう者でして……」と、小さな紙を差し出した。
紙片には「ロアル役所 法務部 戸籍係 ブランドン・アボット」と記されていた。
「なんだこれは?」
「嫌だなあ。名刺をご存じない? なるほど、うんうん。別の大陸から渡ってきたというのも頷ける。ここが僕の役職で、ここが名前です。エオジットの公務員は、数もが多い上に組織も複雑でして……こういう、役職を明記した物を皆さんにお配りしているんですよ。公務員というだけで、畑違いのご相談を頂いても対応できませんのでねえ」
二度大きく頷き、急に饒舌になって名刺とやらの説明を始めたブランドンという男は、表情を和ませて続けた。
「で、僕はあなた方の国籍に関するご相談を受けることができる立場の人間です。呼び出されて慌てて降りてきた僕と彼女が衝突してしまったのは不幸な事故でしたが、アビーさんはああ見えて、市井に暮らす皆さんの生活を親身に考えていらっしゃるのですよ」
どうやら、コクセキを持たない私たちのために、『戸籍係』という肩書を持つ自分が呼び出されたと、このブランドンは言いたいようだ。
「ということは、汝が私たちにコクセキを与えてくれるのか?」
「まあ、書類上は中央の大臣が与えることになっていますけどね。実務を行うのは僕ということで、その点において『そうです』と答えても、間違いではありませんねえ」
レミアがうんざりした様子で、「回りくどいことを言ってるけど、くれるなら早くしてくれよ……」と言って肩を落とした。確かに、ホールで出会った二人目の人間であるブランドンの言うことは、少々回りくどい。
「あははあ。よくアビーさんにも怒られますよ。でも、『急がば回れ』という言葉もあることですし、そう焦らないでください。そうだ。一応お名前を伺っておいて宜しいですか? あなた方が本当に戸籍をお持ちじゃないかなどは、一応調べておかなければなりませんからね」
私たちの名前を書き取った紙片を懐に仕舞うと、ブランドンは頭を掻きながら「さて……」と言って私たちの前から去ろうとした。
「ちょっと待ちなよ! コクセキはどうなったのさ?」
その襟首を掴んだレミアが、再び彼に詰め寄った。しかし今度は涼しい顔で、ブランドンは右上方を指差した。
「嫌だなあ。もう五時ですよ?」
彼が指さしたホールの出入り口には、大人の背丈ほど――メートルで言えば二メートル弱といったところか――の看板がいつの間にか出現しており、『本日の行政業務は終了いたしました』と書かれていた。
「では、また明朝お会いしましょう」
ブランドンは笑顔と長く尾を引く猫背の影を遺して、ホールから出て行った。




