5.一時の別れ
「さて、冒険者……お前に聞きたいことがある」
「ふあっ!? ひへえぇっ!!」
「まず、あの白竜をどうするつもりだった?」
「ほはへ……!! ひょふほ……!!」
「……」
クレアは、私の一撃をまともに下顎に受け、錐もみ回転しながら吹き飛んでいった。自身が生み出した燃え盛る旋風の中心を通過したおかげで、皮製の鎧が焦げ、異臭を放っている。もげこそしなかったものの、下顎の骨が砕けたのだろう。美麗というよりは丹誠な顔立ちだった彼女は、顔面の下半分がおかしな形に歪み、血塗れであり、赤い髪は焦げて荒野を転がる枯草の塊のようになっていた。今、私は彼女の頭部を掴んで空中にいる。
イスキリスの特級転生者に匹敵するほどの力を有すると思われるクレアに対し、私は生半可な一撃では通じまいと、割と本気で拳を叩き込んだ。しかしそれが顔面に触れる直前、クレアの魔力が瞬間的に高まったのを感じた。そのおかげで、彼女の下顎はまだぶら下がっている。顔面だけ見れば大きな損傷に見えるが、それに対して全身のダメージはそう大きくあるまい。損傷が見られると言っても、皮鎧や衣服、髪などの燃えやすいものは少々焦げている程度で、肌が露出した部分に至っては軽く煤けているだけだ。
「ふぐぐぐ……ひくひょう!!」
にもかかわらず、エオジットで久方ぶりに遭遇した転生者――その子孫かどうかわからないが、クレアはまともに問答ができなくなってしまった。脳に受けた衝撃が強すぎたのだろうか。
「せ、セイタン様。たぶん、『痛え』とか『ちくしょう』とか言っていると思います……。下あごが砕けてはまともに話すことはできませんから……」
レンが、やや憐れみを込めた目をして声を掛けてきた。
「そうか」
私は、空中で掴んでいたクレアの頭を離した。彼女の魔力では空を飛ぶことはできないらしく、重力に従って落下していった。
「――ふぐっ!」
とても残念なことに、顔から地面に落下したクレアが苦痛の呻きを漏らした。彼女はそのような状況にあっても、右手に大剣を握ったままであり、それを支えに立ち上がってこちらを睨みつける赤い目には、戦意の火が燃え盛っているようだった。
「爺い!! 話しが違うぞ!? あれのどこがひよっ子冒険者なんだい!?」
ゆっくりと降り立つ私からは視線を逸らさず、魔力によって傷を瞬時に癒したクレアが、雲竜に訴えた。なぜか、髪の毛の状態は元に戻っていなかった。
「始めから、一言もお主の言葉に同意した覚えはないがの」
興奮を抑えきれないクレアに対し、平生至極といった態度で雲竜が応じた。そして、「ほれ、『決闘の作法』とやらを、体現してはどうじゃ?」と言って、皺だらけの顔を邪悪に歪めてせせら笑った。
「くっ……」
クレアは大剣を再び中段に構え、燃え続ける焔を背にして立つ私に切っ先を向けた。
「――消えた!? 馬鹿な!?」
私が背後の炎を打ち消すと、クレアは驚愕した。私に向けた大剣の切っ先が、僅かに震えはじめた。そして、突然虚空に現れた黒弾を目で追い、それが森へ飛んでいって爆発を起こしたのを見た。縮れた赤髪を爆風が揺らし、私の周囲を三十個の黒弾が浮遊していることを認識した時点で、彼女は大剣を降ろした。
「くっ……なにがひよっ子の教育係だよ……。すっかり騙されたってわけかい」
「それは、君が勝手に勘違いしたことだろー?」
膝を突き、観念した様子で呟くクレアの勘違いを指摘しながら、レミアは右側に降り立った。
「騙したとは、心外じゃのう」
雲竜は、「まあ、否定もせんかったがのう……」と低く言いながら、クレアの背後に立った。
「決闘は、セイタン様の勝利――ということで宜しいのでしょうか」
最後にレンが、確認するように言葉を投げかけながら、空いた左側に立った。
「あたしの負けだよ……。白竜は好きにしな」
四方を囲まれたクレアは、私たちの顔を見回して言った。声こそ震えていなかったものの、彼女の額には無数の汗が浮かんでいた。
「で? お前は白竜をどうするつもりであったのだ」
私はクレアを見下ろし、決闘前にした質問を繰り返した。
「決まってるじゃないか。町に連れて行って、クエストの依頼主から報酬を貰うんだよ」
「クエストの依頼主から報酬を貰う?」
「はあ……。お前ら本当に何も知らないんだな」クレアはおうむ返しに訊ねた私に、縮れた赤い髪を掻きまわしながら、「冒険者稼業ってのはなあ……」と語り出した。
冒険者がエオジットで活躍するようになったのは、今から三百年ほど前だそうだ。『大災害』によって環境が変わったエオジットではあったが、やはり降り注ぐ灰と有毒な雨によって原住民は苦しい生活を余儀なくされていた。しかし、神の使い――恐らくはユージ・ハリマ――によって灰や有毒なガスが除去された後には、急速に発展を遂げたのだ。そして、それを待っていたかのように、原住民の中には不思議な力を持った子供が次々と生まれるようになった。ある地方では神子として崇められ、ある地方では鬼子として忌避されていた。
彼らがその身に宿していた『不思議な力』とは、言わずもがな魔力であり、その存在は神子だろうが鬼子だろうが、干渉者によって送り込まれた転生者である。イスキリスとエオジットは完全に隔絶された大陸であり、両大陸間で交配が行われた可能性は極めて低いだろう。
あとは、雲竜から聞いていた通り、神子と呼ばれていた連中が鬼子たちも含めて魔力を有する者たちをまとめた。
『冒険者』を名乗る彼らは魔物を討って原住民に貢献し、社会的な地位を確立した。現在、冒険者は職業として広く認知されており、戦争が無く軍隊を必要としないエオジットでは、魔力を持たなくても武芸を磨く者もそれを名乗り、各所で魔物の討伐や遺跡の探索などを行っているのだそうだ。他にも魔物が多く住む地域を経由する隊商の護衛や、荷物の運搬の手伝い、危険地帯に生息する希少生物の捕獲など、彼らが請け負う業務は多岐に渡る。
そのような業務は『クエスト』と呼ばれ、各居住地に点在する『クエストホール』に掲示される。クエストホールの職員は公務員であり、公的な依頼から私的なものまで様々な依頼――クエストを受け、それを冒険者に提供するのだ。冒険者の生活は、クエストホールに掲示された依頼書をまず一定の金額を納めて買い取り、依頼主が個人の場合は個人から、政府である場合は政府から報酬を得ることで成り立っている。
さて、『冒険者』と名乗るのは自由だが、エオジットには二通りの冒険者が存在する。それは、『政府公認冒険者』と『非公認冒険者』である。
政府公認冒険者とは、政府の定める試験に合格し、認可を得た者を指す。彼らは『冒険者証』を有しており、クランを結成して公認・非公認に限らず冒険者を雇用することができる。対して非公認冒険者は、冒険者を名乗ってはいるものの試験に合格していない者であり、彼らはクランを結成することはできない。受注できるクエストにも制限があり、多くが公認冒険者の運営するクランに属している。
他にも様々な法整備が為され、冒険者は立派な職業として成立しているらしい。
「お前らも、エオジットで一旗揚げようってんなら、このぐらい知っとかなきゃならないよ」
何かを勘違いしたままのクレアが、立ち上がって大剣を担いで立ち上がった。
「それじゃあ、あたしは退散させてもらう。このエロ白竜の始末は、あんたらに任せるが、まずはロアルで『冒険者登録』を済ませな」
「待て」
正面に立った私の脇を通って立ち去ろうとするクレアを、私は止めた。
「……なんだい? まだなんか用なのかい?」
クレアはわずかに顔を青ざめさせた。
「先ほどお前が口にした『伝説』とはなんだ?」
私たちが別の大陸から渡ってきたと言ったとき、クレアは『伝説は本当だったのか』と言った。その内容をまだ、聞いていない。
「ああ、そんなことかい……」クレアは安堵したようにため息をつき、肩を竦めて話し出した。
「なに、昔っからある言い伝えだよ……『大災害の後、エオジットには神の使いが現れて、灰色の毒雨を止めた。御使いが去った後、私たちは神子を授かるようになる。そしていつか、黒い翼の魔王が隣の大陸から渡ってくる。神子はそれと戦うことになるだろう』ってね。なんでも、『予言者』を名乗る爺さんが何百年も前に現れて、当時の人たちにそう語ったんだとさ」
「……」
『神の使い』はハリマだろう。『神子』たちは、魔力を有する転生者たち、またはその子孫。『黒い翼の魔王』とは……私だろう。
「セイタン様……」
レンが気づかわしげに、私に視線を送ってきた。
彼女も気付いたのだろうか。そのような予言を遺した者がハリマであるならば、『神の使いの予言』として伝わっているはずだ。しかし、『予言者』という別の存在が遺したものとして語られており、その存在を表すのに、クレアは『爺さん』という言葉を使った。黒い翼の魔王の存在を知り、大陸間を行き来できる人間などそうはいまい。
「百老……最後の一人……か」
結局イスキリスで遭遇することはなかったが、彼の地で遭遇し、死亡が確認できたのは三体だけだ。あと一人、悠久の時を生きる汚らわしき存在が残っているはずだ。もちろん、どこかで野垂れ死にしている可能性もゼロではない。しかし少なくとも、大災害後二百年は生きていたことになる。
「冒険者。その予言者とやらの消息はわかるのか?」
「さてねえ。なにせ言い伝えだからね。あたしにしたって子供の頃に、『悪さをすると魔王が来るよ!』なんて言われてただけだからねえ……」
私が訊ねると、再び彼女は肩を竦めて答えた。
「そうか……」
私は一呼吸おいて、他にクレアに聞いておくことがないかを考えた。
「私から聞きたいことは特にないが、皆はどうだろうか」
レミア、雲竜、レンを順に見やったが、彼らは首を横に振るばかりだった。
「おっ? それじゃあ、お役御免てことで、あたしは退散させてもらうよ……」
私とレンの間をすり抜けて、クレアはゆっくりとした足取りで歩き始めた。私との距離が二十歩ほども開いたところで、彼女は走り出した。それを上空に浮遊させていた三十の黒弾が追い、赤いほうき星と呼ばれた冒険者――前世の記憶もなく、ただ魔力を持った害獣として生まれた女は、この世界から消えた。
「おお、そういえば……」
爆風に煽られて、豊かな草原に広がっていく波紋を目で追った雲竜が、その先に横たわる白竜と、その脇に倒れている男たちを認め、「彼らの処遇はどういたしましょうな?」と言った。
「アザンとかいう白竜もね。レン、どうするつもりなのさ?」
レミアが、アザンの婚約者――レンの目をまっすぐに見て訊ねた。
「私は……」レンは俯き、「よく……わかりません」と言って言葉を切った。
「白竜の掟では、不貞行為を働いた者はどうなるのだ?」
その様子を見て肩を竦めたレミアに代わって私が雲竜に訊ねると、彼は渋面を作った。
「重大な禁忌を侵したものは、追放か死となっておりますがのう……」
「死」と聞いて、レンが顔を上げた。眉が下がり、その目は頼りなげに揺れていた。
「やっぱりこういうことはさ、白竜みんなで話し合った方がいいんじゃない?」
レンの反応を見たレミアが、頭の後ろで手を組んで言った。確かに白竜の問題は彼らの中で解決した方がいいだろう。数を増やしている竜人たちをどのように集め、育てていくかについても含め、私やレミアがあれこれと意見することではないだろう。
「魔王様……いずれ」
「うむ」
意識を取り戻したアザンと、拘束した赤いほうき星のメンバーを抱え、竜化したレンが空へ上がった。アザンの処遇については、白竜の里――周遺跡の上に築かれた村で話し合うこととなり、魔力を持たない冒険者は、村で労働力として働いてもらうこととなった。鍛えてあるだけ通常の人間よりは力もあり、殺してしまうのもおしいからと、竜化した雲竜が牙を剝いて脅迫したところ、実に素直に応じたのだった。
アザンの問題が片付いたら、彼らは竜人族とともに各地へ散り、預言者に関する情報を集めることとなった。
私とレミアは、当初の予定通り冒険者として活動しつつ、魔力を持つ者たちを狩っていく。
私たちは、一年後に里で落ち合うと決めた。
「レミアさんも……お達者で」
「うん。レン? 『自分に正直に』考えた結果なんだろ? もう少し、晴れやかな顔で行きなよ」
青ざめた顔のアザンを前足で抱えたレンは、固く結んでいた口元をわずかにほころばせたが、すぐにそれを戻して言った。
「まだ、何も決めていません。この男には、色々と訊きたいことがありますから……返答次第では……」
ギリギリと爪が食い込み、アザンが苦悶の表情を浮かべて何かを喚いた。
「あはは。とにかく落ち着いたら、顔出すから!」
「はい!」
「では魔王殿! 一年後!!」
二頭の白竜は身を翻し、一瞬で空へ溶けていった。数秒後、はるか上空でレンの咆哮が轟いたが、それは昨夜の様な悲しみに満ちたものではなかった。
「だーかーら! ボクらはイスキリスから来たんだって!!」
普段使用されていないらしい、『応接室』とやらの中央に設置された木製の机をレミアが叩くたび、少なくない量の埃が宙に舞い上がった。明かり窓から差し込む西日を反射して煌めく埃の向こうに座る人物――ホールの女性職員は、彼女の剣幕にまったく動じることなく、三角形の眼鏡を吊り上げた。そして、艶のある黒髪を巻貝のように整えた頭を振って大きく嘆息した。
「いったいどうやって、ホルツの海を越えてきたというのです? 彼方に大陸が存在すること自体、古い文献か預言にしか出てこない話です……あなたの出自を証明することができない以上、『冒険者適正試験』の受験資格は与えられません!」
「も~!! 融通の利かない奴だな!!」
レミアが頭を掻きむしったが、私は人間による免許などなくとも、非公認冒険者でよいのだがと、女性職員にも負けないため息をついたのだった。
方向性が変わってきた……? いやいや。人間の生活に触れるのも、大事なことです(汗
※活動報告というものに、今後のRebirth Killingの方向性や、セキムラの意図などを掲載してみることにしました。宜しければそちらもご覧くださいませ。




