2.雲竜の嘘
「魔王様、ちょっとお話が」
レミアが珍しく声を潜めて話しかけてきたのは、中天を過ぎたころから竜人族の村人たちが催してくれた歓迎の宴の席から離れたときだった。王都を攻め落とした後も、魔物狩りを続ける日々が続いており、疲労が溜まっていた白竜たちをねぎらうという狙いもある。皆エオジットの肥沃な大地で獲れた作物や肉に舌鼓を打ち、酒を飲んでいる者もあった。
竜人族の存在に、始めは戸惑っていた白竜たちであったが、血を分けた者同士で通じるものがあるのだろう。今では酒を酌み交わし、広場では笑い声が絶えなかった。子供らを集めて転生者との戦いを話してやっているものもいた。
レンは、雲竜の隣に座って、ルゥと対面していた。その表情は、始めはぎこちないものだったが、今はよく笑い、転生者から奪った魔道具などを二人で触っている。どうやら打ち解けたようだった。
私が席を離れたのは、私は飲食を必要としないどころか、人間と同じものを食することで弱体化してしまう身であるからだ。あの時受けた心身の傷を思い出し、意識的に顔を歪めた私は、遺跡の上に建てられた村で最も大きい家屋の屋上に上がり、縁に腰を下ろしてレミアに先を話すよう促した。
「話とは何だ」
「実は先ほどの、雲竜の話なんですけど……」
レミアはしきりに首を動かして、前後左右、さらには上空にまで目をやっていた。周囲の目と耳を気にしている様子だったが、眼下で白竜たちが笑う声がここまで聞こえている以上、彼らが本気で私たちの会話を聞き取ろうとすれば容易なはずだ。
レミアが語ろうとしている内容は聞いてみなければわからないが、彼女がどこまでそれを秘匿したいのかと私は内心で首を捻った。
「ルゥというコは……雲竜の子孫じゃありません」
「ほう」
「え~!? 魔王様、そこはもっと大げさに驚いていただかないと!」
レミアは自ら大声を上げ、慌てて口を塞いで周囲を見渡した。相変わらず宴会で盛り上がっており、こちらに注目している者はいないようだった。
「もう……とにかくあれは、雲竜のウソなんですよ!」
再び声を潜めて、レミアが話し出した。
「なぜ、嘘だと分かるのだ」
「魔王様、お忘れですか? ボクは幻惑によって、相手の思考と記憶を読むことができるんですよ?」
「……」
それを忘れていたわけではなかったが、まさか雲竜に対して力を行使するとは考えていなかった。ということは私にも、と思ってレミアを見やると、彼女はそれを察したのか思考を読んだのか、首を激しく横に振った。
「このレミア・フェレス。決して、魔王様の御心を読んだりは致しません! 試してみたことすらありませんとも!!」
彼女のこめかみに大量の汗が浮かんでいるのは、またしても大声を出してしまったことによる焦りからだけではないだろう。私としては、読まれて困る思考をした覚えもないのでどちらでも構わないのだが。
「と、とにかくですね。人を避けて暮らしてきた雲竜が、人間の女に一目ぼれなんておかしいと思ったわけです。それで、ちょこっと記憶を探ってみたら案の定――というわけでして」
一層声を小さくし、レミアが私のすぐ傍に腰を下ろした。
「人間と懇ろになったのは、まだ若い白竜の戦士です。人化して暮らすうちに色々あったわけですが、彼はなんと――」
レミアはまたしても周囲に聞き耳を立てている者がいないかを確認した。そして、私の耳元に口を近づけて囁いた。
「――レンの婚約者なんですって」
「ほう」
「ちょ! 魔王様、反応が薄すぎやしませんかぁ!?」
そうだろうか。要するに白竜の男が、レンとの婚約中に不貞行為に及んだだけの話であろう。人間だって何人も女を侍らせてそれを自慢する者や、複数の相手と結婚する者もいるのだ。
それに、年月と共にその子孫がエオジットに根付き、今では村一つ作れるくらいにまで成長したということは、白竜たちにしてみれば喜ばしいことなのだろう。現に、眼下では彼らが仲睦まじく語らう宴会が続いているではないか。
「不貞を働いたことは、謝罪すればよいではないか」
「白竜の掟では、たとえ妻が死んでもほかの女性との交友は、不貞行為とみなされて禁じられているみたいなんですよねぇ。さっきのレンの怒り様は、その掟を遵守すべき立場の族長が犯人だと聞かされたからです」
私の提案に、レミアがやれやれと言うように首を振って、言葉を続けた。
「それに魔王様、レンの気持ちにもなってください。婚約者に裏切られただけでも自殺もののところへ来て、相手が下等な人間ですよ? あの真面目なレンが、ちょっと謝ったくらいで許すわけがありません。雲竜は、自分が罪を被ることによって、娘が傷つかないようにしたんですよ。まさに、親心というやつですね」
「ふむ……」
レミアの話は分かった。レンの婚約者が不貞を働いたことは、白竜の中では許されざる罪――ましてや婚約の相手が族長の娘とあってはなおさらだろう。事態を知った雲竜はしかし、それを表沙汰にしていらぬ混乱を生むよりはと芝居を打つことにしたというわけだ。族長自らが不貞に及んだことにしてしまえば、蔑む者もいるかもしれないが、少なくとも黙らせることはできる。竜人族は、姿は人間と変わらず白竜たちのように長生きもしない。それ故より原住民の生活に溶け込みやすく潜入に向いており、利用価値もある。雲竜は、イスキリスでの戦いを終えて集結した白竜たちと私に竜人族の存在を受け入れさせ、かつレンの心が傷つかないように配慮したのだ。苦肉の策にしてはよくできたものだと思われたし、実際それは功を奏していた。
ここで私の中に一つの疑問が浮かんだ。
「レミア」
「はい?」
「その話、なぜ私に聞かせた?」
私もレンも白竜たちも、雲竜と不貞を働いた白竜と記憶を読んだレミア以外は皆、雲竜の方便にまんまと騙された。レミアにしても真実を知りながら、あの場では話を合わせていたのだ。今更秘密を吐露したところで、いらぬ混乱を生むだけではないか。
「いやあ……それがですね……」
「?」
言いよどむレミアに対し、私は眉をしかめてみせた。
「ここからが本題なんですが、その婚約者の白竜が行方不明みたいでして……」
「ほう」
「そのリアクションの薄さにも慣れてきましたよ……」
ため息交じりに語られた『本題』を要約すると、次のようになる。
人間との関係がいたく気に入った白竜の戦士――雲竜が勝手に決めたとはいえレンの婚約者である男で、名前はアザンという――は、人間の妻が死した後に姿をくらました。その後エオジットでは各地で転生者以外にも魔力とは違った強い力を持つ子供が生まれており、それはアザンの血を引く竜人族の子であるらしい。赤子のうちに見つけることは極めて困難であり、成長してから発見されても、すでに人間として生きている彼らの中で、竜の集落へやってくる者は多くはなかった。
「と、言うわけでですね。どうにかレンに知られずに、アザンとかいうアホを探し出せないかと思いまして、ご相談させていただきたいと思い――」
「――心を盗み読みとはの。まったく、下品でやっかいな能力じゃわい」
「うわっ!!」
音もなく屋上に現れたのは、雲竜であった。さらにその後方には、表情を消したレンが控えていた。
驚いたレミアは縁から落ちそうになったが、空中でとんぼ返りを打って私の背後に回った。
「魔力をもっているわけでもない故、噂を頼りに探すしかありせぬ。運よくアザンの子らしき人間を見つけても、いきなり捕まえてきて、お前の父親は白竜か? などと聞いたところで、人化していれば彼らにはわかりませんからのう」
レミアの反応を無視して、雲竜が言葉を続けた。
「魔王殿、我が一族の恥を全て晒すことはできぬと思い、どうにか不貞を働く馬鹿者を探し出して処罰しようと努力はしてきたのじゃが……」
「話は全て、聞かせていただきました……」
雲竜の言葉が途切れた後を、抑揚を失った声が継いだ。ゆらりとした動き――まるで関節を支える筋肉が弛緩し、各部を糸で操られているかのような不気味な足取りで進み出たのは、相変わらず無表情のレンであった。
「レン……? 大丈夫?」
「レミアさん……お気づかいには感謝しますが、私は真実を知って、むしろ清々しい気分ですよ……?」
レミアが声をかけると、レンが口元だけを歪めて笑った。とても清々しいとは言えない笑みを浮かべた白竜の若い女は、そこに呪いの力でも込められているのでは思うほど、恐ろしげな声を発した。
「ふふふ……幼いころから婚約者だと言われて育ち、望む望まざるに関わらず、意識せざるを得なかったオルトバの息子……エオジットで何をしているかと思えば、人間の女を漁りに行方を暗ましているなんて……こんな馬鹿げた話がありますか……? ありませんよね? ありませんとも。父と白竜全体の名誉にかけて、必ずや不埒ものを探し出して……そして……ふふふふふふ……」
やや湿った風が、彼女の髪を撫でていった。宴の装いなのか、後頭部で結っていた髪を解いていたおかげで、項垂れた彼女の顔は緩やかな波線を描く青い髪に隠された。
「魔王様……今後エオジットの各地を巡り、転生者どもを狩る道程において、ほんの少しで構いません。我が一族始まって以来の大うつけ者の手がかりを探すため、いくらか白竜の戦力を割いていただきたく思います……」
「汝の思うように、配置して構わん」
白竜とっては、重大な禁忌を侵した者を捉えることは必須なのだろう。レンが訴える姿には鬼気迫るものを感じ、私は少々気圧されながら答えた。
「ありがとうございます……ふふふ……」
肩を引きつらせるように震わせて、レンは笑いながら建物の縁に立った。そして、そのまま空中を歩き、私の後ろから顔だけ覗かせていたレミアの背後に回った。
「……レミアさん」
「……なに?」
「羨ましいです……」
再び生温かい風が吹き、レンはそれにかき消されるように姿を消した。
レンが消えたのち、しばらく誰も口を開かなかったが、私の前に回って膝を抱えて座っていたレミアが、沈痛な面持ちで口を開いた。
「雲竜……ごめん」
「いや、いずれはバレていたことかもしれぬ。下手に嘘などついたせいで、あの子に余計な負担をかけてしまったワシの責任じゃよ。むしろ、代わりに真実を伝えてくれたことに礼を言わせてもらうわい」
レミアと雲竜は、レンが消え去った空間を見つめてため息をついた。二人の表情は暗く、言い知れぬ深い悲しみを湛えているように見えた。私は、彼らほど心を痛めたわけではないが、レンの尋常でない様子には少なからず驚かされた。転生者を狩ることを優先しなければならないが、アザンを探し出すことも考えてやらねばなるまい。
「雲竜よ。宴が終わったら、エオジットの事情を詳しく教えてくれ」
「お任せくだされ。しかし、そこの淫魔に記憶を読ませた方が早いかも知れませんぞ?」
「もうしないからさぁ……許してよ」
雲竜の皮肉にレミアが顔をしかめた。白竜の長はわずかに口角を上げて、無言で広場へ降りて行った。
日が落ち、宴が済んでから数時間。私、レミア、雲竜、無表情のレンの四人が地下のリビングに集まった。
「オホン。魔王殿が去ってからの二百年、この地における転生者についてお話しいたしますぞ?」
咳払いを一つして、雲竜の話が始まった。
三百年ほど前、イスキリスの転生者――ハリマの活躍で星の環境が改善するのを待っていたかのように、エオジットの地で数を増やし始めた転生者たちは、イスキリスに現れた者たちとは少し毛色が違っていた。
イスキリスにいた転生者たちは、皆前世の記憶を残しており、その容姿も生前の姿に成長していく者がほとんどだったが、エオジットの転生者たちに前世の記憶はなく、突然魔力という特殊な能力をもって産まれた彼らは、ある地域では崇め奉られ、ある地域では迫害の対象となっていた。
迫害されていた転生者達を、崇められていた転生者が救った。彼らは少しずつ数を増やし、独自に創った冒険者という立場で活動している。
彼らはイスキリスで言うところのギルドのような組織を形成している。これはエオジットの北部に王都を築いた王より金が支払われ、冒険者は魔物を狩ることで報酬を得る。イスキリスのように転生者の転生者による転生者のための国家は存在せず、原住民と転生者の距離は非常に近い。
「彼の地に比べてエオジットでは、一度に大量の転生者を狩ることが困難ということか……」
私が考えを口に出すと、雲竜が大きく頷いた。
王都に千や二千の群れが固まって騎士団など作っていたイスキリスと違い、総数が少なく、大陸全土に散って魔物を狩っているエオジットの地で、まとめて彼らを狩ることは難しい。しかし、どうにか魔力汚染が少ないうちに狩り尽くしてしまいたいものだ。
「何か手を打って、奴らが集まったところを一気に叩けないだろうか」
レミアに視線を送ってみると、さっと視線を逸らされた。彼女には今のところ妙案は浮かばないようだった。イスキリス王との決戦の際、白竜を率いて戦ったレンはどうかと見やると、彼女は無表情のままではあったが、口を開いた。
「いくらあちこちに散っているとはいえ、その冒険者とかいう転生者が集まる施設はあるのですから、まずはそこを叩いてみてはいかがでしょうか。それなりに大きいものを選んで損害を与えれば、彼らも動くでしょう」
そういうところに行けば、アザンの情報もあるかもしれませんしね。口中に含むように呟いて、低く笑うレンであった。
「ふむ。雲竜、適当な対象を見繕っておいてくれ」
ルドルフのように、私の存在を知らしめて転生者を集めてくれる存在は期待できない。私がかつてしようとしていたように、まずは転生者どもに魔王の存在を知らせる必要があるだろう。私はレンの様子に表情を曇らせている雲竜に指示して立ち上がった。
「心得ました」
「では……失礼いたします……」
雲竜が頷き、妖しく笑うレンを伴って退出した。
「魔王様、冒険者ってなんですかね?」
地上の建物に用意された寝室のベッドに寝転んだレミアが、話しかけてきた。
「出会ってみればわかることだろう」
転生者がどんな職業を自称していようと、魔力を振るってことを為すという大前提が変わらない以上、何をやっても結果的に星を汚染する存在である彼らは、私からしてみれば絶滅させるべき害獣としか思えない。私は明日以降に始まる新たな狩りに備え、休むことにした。
「魔王様……明日からまた忙しくなりますね……どうですか? 久々に♡」
「……」
四つ這いになって私のベッドに侵入してきたレミアに、私は無言で窓を指さした。
「……ひっ!!」
窓の外を見たレミアが、小さく悲鳴を上げた。
そこには、こちらを無表情に見つめるレンの顔があった。
「……」
彼女は何も言わずにしばらくそこを動かなかったが、やがて夜の闇に消えていった。数分後、遠雷のように竜の咆哮が聞こえてきた。それはとても悲しげに、夜空にこだましていた。
翌朝。
晴れ渡った空の下、街の広場に集合した私とレミア、雲竜であった。雲竜から目標とする町の位置を聞いていると、その場に少し遅れてやってきた白竜の女――レンの姿を認めたレミアが「わっ!」と言った。
「おはようございます!」
昨日とは打って変わって、空模様を写し取ったかのように晴れやかな笑顔で佇むレンは、その表情を引き立たせるような青い髪をバッサリと切っていた。胸のあたりまで伸びていたそれは、肩口で切り揃えられていたのだ。
「レン……その髪は?」
「見ての通り、切りました! 気分転換に」
「そ、そう……似合ってるよ。うん」
レンの明るさに対して、やや困惑した様子で賛辞を述べたレミアであった。それに対してありがとうございますと答えたレンは、父である雲竜から困惑の視線に笑顔を崩さずに頷きを返し、続いて振り返って私を見た。
「魔王様は、どう思われますか?」
その顔からは笑顔が消え、代わりに何事かを心配する様な表情が浮かんでいた。
「どう、とは?」
「その……髪形の話です」
レンは上目使いになって私の顔を覗き込むようにしている。正直に言えば、似合っているかいないかという意味ではよくわからない。しかし少なくとも、彼女の髪が短くなったことで、おかしな造形になったとは感じなかった。
「ふむ……違和感はないが」
「それは、似合っているという意味にとってよろしいですか?」
「ああ。それで構わない」
「ありがとうございますっ!!」
花が咲いたような笑顔を浮かべたレンは、文字通り空へ飛び上がった。
「レンのやつ、いったいどうしたんでしょうか……」
レミアが見上げてひそひそと話しかけてきた。私がわからないと答えるより先に、彼女の言を聞きつけたレンが上空から叫んだ。
「レミアさーん! 私、もうやめることにしたんでーす!」
「何がー?」
レミアが叫び返すと、レンは上空で宙返りして地上へ戻ってきた。舗装されていない広場の地面から、やや赤茶けた土埃が俟った。
「私、やめることにしたんです」
地上に降り立ったレンは、笑顔を消して真剣な眼差しで繰り返した。
「アザンのような不埒者のことで悩むのも、白竜の次代としての立場のことも。色々なことを気にして生きるのはやめました。昨日の夜、レミアさんを見ていて思ったんです。魔族の仲間がいなくなってしまっても、天真爛漫というか、愛する人と一緒に明るく生きているレミアさんは、きっと幸せだろうなって! 私とレミアさんの最大の違いは、自分に正直なところだって!」
チラリと私を見たレンは、再びレミアに向き直って言った。
「だから私も、自分に正直に生きることに決めました! 昨日までの規律に忠実で融通の利かないレン・ダシルバをやめたんです」
「レン、ワシは」
「お父様、まだしばらくお元気でいてくださいね?」
雲竜としては、レンに笑顔が戻ったことを喜びつつも、発言の内容には素直に喜べないといったところだろうか、遠慮がちに何かを言おうとした雲竜を遮り、レンは笑った。その言葉の裏には「当分雲竜の名を継ぐ気はない」という意思が込められているようだった。
「さあ、目標の町――ロアルへ急ぎましょう!」
レンが飛び立った。私たちはそれを慌てて追いかけた。ほぼ全力で飛翔したおかげで、ロアルの町まではわずか三時間で到達した。
「――あれは!?」
先頭を行くレンが鋭い声を発し、町の南側を指さした。
そこには、一頭の巨大な白竜が横たわっていた。
また休憩回でした。すみません、すみません。




