1.エオジットの竜人族
イスキリス王が姿を消した後、私たちは半壊した王城の中を探索した。レミアがユウイチロウの記憶を探って得た情報から、百老の生き残りを探す過程で、隠れていた転生者を数人殺した。
城内の隠し扉をいくつか通った先に、目指す百老の部屋はあった。そこで枯れ果てた老人と若い女の死体を見つけた。老人の死体は百老の長と言うべき存在で、イスキリス王朝を造り上げた人物に他ならないそうだった。女の死体は、その妻の若かりし頃に瓜二つだとレミアは言っていたが、二つの死体は、とても同じ年月を重ねて生きてきたとは思えなかった。
百老が摩訶不思議な死体となった経緯は不明だが、その死に顔は安らかなものであった。これで、ユウイチロウを除いて百老はあと一人を残すのみとなったはずであったが、その行方に関しては開祖の記憶にもなく、城内で資料も見つからなかった。
死体の処理は原住民にまかせることにして、レミアが手あたり次第に魔道具を回収するのを待って、私たちは城を後にした。
それから数年。私たちは原住民たちの生活を見守りつつ、魔物を間引いて彼らの手助けをしていた。もちろん、原住民に接触するようなことはしなかった。私たちは魔王と魔物の集団であり、彼らの王朝を滅ぼした存在なのだから。
「はぁ。魔王様……誰にも感謝されない善行って辛いですよね」
感情を隠そうとしないレミアは、魔物を屠った後にこんな風にぼやくこともあった。そんな時私は姿を消し、彼女が泣いて探し回るまで放っておいた。レンが「お二人を見ていると、うら……微笑ましいです」などと言うこともあったが、その真意はよくわからない。
ちなみにイスキリス王朝の滅亡から三年ほどで、ユウイチロウは処分した。魔力が回復した彼を捕縛しておくのは骨であったし、不思議なことに干渉者をその身に憑依させる力は失われていた。情報も得られず、危険だけを孕んだ転生者など生かしておいても意味がない。
枯れてはいても男性であったホケ教の開祖は、レミアの幻惑によって、転生前の病んだ精神が生み出す悪夢を強制的に復活させられ、死んでいった。その死に顔は、城で死んでいた百老と違い、恐怖と狂喜がない交ぜになった恐ろしい形相であった。レンたち白竜によれば、転生者に対する冷酷さでは私よりもえげつないと囁かれているレミアをして、「いやほんと、人間の想像力というか、妄想力ってすごいです…しばらく幻惑を控えさせていただけると嬉しいですぅ……」と言わせるほど、ユウイチロウの精神世界は恐ろしいものだったそうだ。
やがて原住民たちは、少しずつレザイアを復興させ、わずかに残った魔力に汚染されていない土地を中心に、農業や畜産業も再開された。彼らは、魔力に頼らない生活を安定したものにしていった。
とはいえ、大海溝の底から湧いてくる魔物の脅威は続いており、白竜の中から選抜した者たちを残し、新たに転生者が産まれているエオジットへ渡った。
「お父様……説明していただきましょうか」
約二百年ぶりにエオジットを訪れた私たちを出迎えた雲竜は、かつて岩盤を掘り進んで発掘した遺跡に私たちを案内してくれた。
相変わらず中の調度品やガラス瓶、謎の機械らしき物体は干渉不可能な存在だった。しかし白竜たちがあれこれと運び込み、遺跡の入り口には石造りの家屋まで建てていたおかげで、そこは居住空間として立派に成立し、いわば白竜たちの隠れ家となっていたのだった。
「いや、レン。そう恐ろしい顔で牙を剝くような話でもあるまいて……」
地上に建てられた家屋の一室――もっとも広い空間が確保されたその部屋はリビングダイニングというそうだ――の中央で正座をさせられた雲竜が、細い目を吊り上げたレンに対していささか声を震わせている理由は、この遺跡を勝手に居住空間にしたせいではない。
「いいえ。これは白竜の歴史が始まって以来の一大事です。それに族長が絡んでいるとあればなおのこと、納得のいく説明をしていただかなければ」
白竜の次代を担う夢半ばで果てた兄に、申し訳が立ちません。
苦々しげに吐き捨てて、レンは雲竜に固定していた視線を私の方に向けた。
「魔王様は、それを見てどのように思われますか」
彼女の視線は、レンの気迫に押されて私の背後に隠れた存在に向けられているのだ。
「小さい……そして、ランによく似ているようだ」
「外見の話をしているのではありません!!」
突然意見を求められたので正直に答えたのだが、レンはさらに目を吊り上げて怒声を上げた。足元からわずかに風が起こり、彼女の白衣の裾をはためかせた。冷静な彼女には似つかわしくない、直情的な言動であった。
「まあ、レンの気持ちもわかるけどね……」
レンの様子に私が口を閉ざすと、レミアがソファーから立ち上がって私の背後に回った。
「うん。確かにランに似ているね! ほら、こっちおいで……何? うん……ほうほう……」
私の背後でボソボソと、レンを激昂の直前まで興奮させた存在とレミアが話し合っていた。一分ほどでその会話は終了し、レミアが私の背後から進み出て口を開いた。
「レン、そんなに怒るようなことじゃないと思うんだけど? いーじゃん。雲竜も大概年寄りだけど、男なんだから。一族の長が元気だってことは、喜ばしいことでしょ?」
「おお! その通りじゃレン。父はまだまだ枯れてはおらぬぞ? それにしてもフェレスの末裔よ。しばらく会わぬうちに見違えたのう! さすがは、魔王殿の右腕――」
「お黙りなさい!!!!」
レミアが私の背後に隠れた存在と何事か話した後、雲竜の側に回った。それに目を輝かせた雲竜が立ち上がってレミアに近づこうとした――すなわちレンの前から逃走を計った瞬間、レンの怒号が轟雷のごとく響いた。
彼女の気迫は凄まじく、白竜の長・雲竜ことダン・ラシルバをして絶句させ、その動きを止めたと言えば、まるでレンの力が父を大きく越えるものであるかのように聞こえるが、実際にはそのようなことはない。雲竜がその身に内包する力はレンよりはるかに上だ。
では雲竜は、親子とはいえ長に対する者としてはあまりに不遜な態度の白竜に向かって、怒りのあまり行動を停止したのかというと、それも否である。
「おおお! 泣くでないぞ。爺が守ってやるからのぅ?」
雲竜は、レンの怒号に驚いて泣き出した少年――年の頃は五歳くらいだろうか。ランによく似た青い髪をしているが、少し大きな瞳の色は黒であった。白竜の特徴である、青い瞳ではなく――に駆け寄り、彼の頭を撫でながら猫撫で声を出した。
「……なんという姿でしょう。白竜の長たる雲竜が、このような……」
レンは、分厚い毛皮の絨毯が敷かれた床に膝を突き、頭を抱えた。
「まあねぇ……ボクだってこんなのが長だったら、魔族辞めたくなっちゃうかもしれないけどさ」
レミアがソファーに座り直し、皮肉っぽく笑って続けた。
「それにしても、まさか夜叉孫までいるとは思わなかったですね? 魔王様!」
「そうだな…しかし、竜族と原住民の混血とはな……」
私は改めて、その奇異な存在を観察した。私たちがエオジットを去ってから二百年の間に、雲竜は原住民の女と子を成したという。その子がさらに子を産み、今ではこの遺跡の周囲に竜族とその混血児たちが集落を作っているというのだから驚きだ。
レンはその事実が受け入れられず、先ほどから雲竜に説明を求めていたわけだ。
「竜族と人間の混血かぁ……竜人族ってどうでしょうか?」
「おお! よい呼称じゃな!」
レミアがポンと手を叩いて言うと、雲竜がそれに同調した。
「りゅーじんぞく?」
それを聞いて泣き止んだ少年が、舌足らずな調子で話し、「うむ。ルゥは竜人族じゃ!」と雲竜が応じた。少年は分かったのか分かっていないのか、「りゅーじんぞくー!」と繰り返してはしゃぎ始めた。
「何を盛り上がっているのですか!!」
再びレンの怒号が発せられたが、そこには先ほどの勢いは感じられなかった。
「そういきり立つでない。レンよ、父も二百年も人の姿で暮らす間、色々あったのじゃ……」
雲竜が、娘の気勢が弱まったのをいいことに、百年ほど前に起きた情事についた語り始めた。
「要するにさ……原住民の女に惚れて、押し倒した結果なんだね」
長い雲竜の話を、レミアが簡潔にまとめた。
レンはその目に何も映さず、何も聞こえないとでも言うかのように途中から目をきつく閉じ、耳を塞いで床にへたり込んでいた。それを珍しいものを見るように観察し、ときどき突いているのはルゥと呼ばれた少年だ。
「とにかく、竜族と人間の混血種が新たに生まれたということは間違いないのだな」
「そういうことですじゃ。確かに竜人族の起こりは、若気の至りじゃ。しかしまだまだ数は少ないですが、我らが人化して原住民の生活に入り込むには限界がありますからの。ルゥはまだ子供じゃが、大人たちは立派に原住民社会に溶け込んで暮らしておりますぞ」
竜人族にも立派に存在意義があると主張する雲竜であった。竜化することはないが、竜族の力を受け継いだ彼らは当然普通の人間より強く、並の転生者となら互角に渡り合うことができるだろうとのことだった。
私としては、星に新たな種族が生まれたからといって、それを喜ぶ気もなければ無意味に忌避する気持ちもない。彼らが星に害を及ぼす存在でなく、雲竜の言うように高い能力を持っているというのであれば、エオジットの転生者が絶滅した後も、魔力に頼らず力強く生きていけるだろう。
「亡き母と兄が聞いたらなんと言うでしょうか……きっと今も、草葉の陰で泣いておいでです……うう」
「くさばのかげー?」
ついに泣き崩れたレンに、無邪気な少年が語りかけた。
「なんでもない! 突くなあ!!」
「ふぇっ!? ううう……この変な服のおばちゃん嫌いっ!!」
「なっ!?」
三度響き渡ったレンの怒号に驚いたルゥの目には、あっという間に涙が溜まった。はっきりと「嫌い」と言われて少なからず動揺した様子のレンであったが、「ふん。私は、子供は苦手なんです!」と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「あっはっはー。レン、子供嫌いはまずいよ。魔王様は案外子供好きなんだよ?」
「ええっ!?」
レンが細い目を大きくして私を見た。レミアが何の根拠があってそう言うのか知らないが、私は子供であろうと大人であろうと、興味などないと言おうと思った時である、目に大粒の涙を溜めたルゥが、私の翼の端をつまんで口を開いた。
「オジサンは、ルゥが好き??」
「む……?」
なぜか、大きな瞳が私を射抜くと、喉まで出かかっていた言葉を口に出すことはできなかった。
「あっははは! ほら!」
「そうなんですね……魔王様……」
「ふぉふぉふぉ。ルゥ! よかったのぅ!」
レミアが笑い、レンが項垂れ、雲竜がルゥの頭を撫でた。エオジットに着いて早々出会った、竜人族と命名された新たな種。雲竜の言い分では、彼らは原住民社会に溶け込み、今後のエオジットでの活動を強力に補佐する役割を果たしてくれるだろうということだった。すでに竜の血はエオジットに広まりつつあり、来る転生者との戦いに備えて準備を進めている計画もあるという。
だがこの時私は、彼らの子供たちが原因で、後に大きく心を引き裂かれることになろうとは、想像もしていなかったのだった。




