8.王都襲撃 後編2
「うはぁ……魔王様……刺すにしたって他にあったでしょうに……」
レミアが、びくびくと痙攣している黒鎖の塊と化したユウイチロウを見て、顔を青ざめさせた。
ユウイチロウは側頭部から下をギリギリと黒鎖に締め上げられ、鉤爪が食い込んだ場所からは少しずつ血液が流れ始めており、その色は赤であった。どうやら頭頂から短刀が突き刺さることによって、常時強化されていた外殻が力を失ったようだ。不思議なことに、頭頂に突き刺さった傷からは出血はなく、代わりにユウイチロウのものと思われる魔力が吸い出されていた。
「やはり何度見ても、気持ちのいいものではないですね……黒鎖の動きも、巨大な百足に絡まれているようで……」
突き立てられた短刀――足黒蛭はどくどくと脈打ち、久方ぶりの食事を堪能しているように見えた。それを見て、レンも不快そうにしていた。確かに、無数の鉤爪を持った黒鎖が蠢く様は、巨大な百足のように見えないこともない。言うならば、蠢く百足人形と言うところか。頭から短刀を生やすという装飾付きの。
「……」
自分としては、黒鎖の利便性は高く、生成にも時間をかけているものであるため、レミアやレンの反応は気に食わないのだが、それを言ったところでどうにもなるまい。
足黒蛭に直接力を吸収されることを避けるために、短めに生成した黒穿槍の先に足黒蛭を取り込んでいるのだ。そのような状態で能力を発動できるかどうかは、五百年の間に検証済みだった。
しかし、問題は一度発動した足黒蛭は、柄側か刀身側のどちらか一方の力が枯渇しても、活動を止めないという点であった。つまり、一度発動してしまうとそれを握る側も刺される側も、生命力以外に持つ力の全てを足黒蛭に吸収されてしまうのだ。もう名前も忘れてしまったが、かつてこれを操っていた転生者の死が今更になって悔やまれる。
足黒蛭の使用を本気で検証し始めた頃、私は何度も力を吸い尽くされて倒れ伏したものだ。そこで考え付いたのが、現在の様な使用法であった。手から離れた状態であっても、柄に何がしかの方法で力を注いだ状態で銘を唱えてやれば、足黒蛭はその能力を発動する。
定期的に黒穿槍に力を流し込んでやれば、いつかはユウイチロウの魔力が枯渇し、黒穿槍を喰い尽くして、足黒蛭はただの短刀に戻るはずだ。
だがこれにも問題がある。一つは、もしユウイチロウの魔力が私の力よりも総量が多かった場合だ。足黒蛭は、力―何がしかの純粋なエネルギーの波動であれば何でも吸い込んでしまうが、柄側と刀身側で異なる種類の力を吸収していく場合に、どのような計算式でその総量を測っているのかが分からない。
今回の様な使い方を検証したことはもちろんあるが、力の総量において黒穿槍一本分以上の魔力を有する転生者は、大災害以後は捕らえられなかった。もちろん、黒弾のような球状のもでも足黒蛭は使用可能だが、一度に保有できる力の総量には限界がある黒弾ではあっという間に柄側の力が枯渇してしまう。またそこに力を流し込もうにも、ほぼ間断なくそれを行う必要があり、結果としてこちらも自由に動けない。それでは直接握っているのとたいして変わらないため、実用性に欠けるのだ。
実用性に欠けるといえば、湖ほどもある黒弾に足黒蛭を装着することを私が提案した際は、久方ぶりに白竜たちの大反対に遭った。「視覚的におかしい」「短刀として――刃として許せる形状ではない」「そのくらいなら黒弾として敵に叩き落とした方がマシ」などの意見が飛び交い、それもそうかと納得したものだ。
結局、一発に込める力の総量が大きく、遠隔操作も可能な黒穿槍の先端に、足黒蛭の柄を取り込むという現在の方法で使用することになったのだが、実戦で初使用の相手が、神のごとき存在になろうとは思っていなかった。私が黒穿槍に力を供給できない事態に陥った場合に、ユウイチロウの魔力あるいはハガルの力が充分に残っていた場合には、抵抗する間もなく倒されてしまうだろう。
しかも、現在のところ足黒蛭が吸い込んでいるのは、ユウイチロウの魔力だ。白色に輝く干渉者――ハガルのそれとは異なる、汚らわしい波動である。依然として互いを軋ませながら、生き物のようにその身体を締め上げる黒鎖の塊は、巨大な気配を内包したままだ。
何にしても、吸収されている間は硬直してしまうという意味においては、黒穿槍とユウイチロウは動けまい。その間に何か対策を考えればよいのだ。幸いなことに、私の力にはまだまだ余力がある。
[……たいしたものだ……ラグズの兄弟よ]
くぐもった声が黒鎖の内側から聞こえたのは、そろそろ黒穿槍の後端に、補給用の黒弾でもいくつかつけようかと思ったときであった。
私は驚いて人型の黒い塊を見やったが、レミアは捕らえてきた転生者に幻惑を使用しており、レンは先刻通り遠巻きに見ているだけだった。
[ラグズの兄弟よ。汝にしか、私の声は聞こえぬ。私はハガル。絶対観測者によって創られた、干渉者の一つだ]
「……」
ハガルの声は、私の頭に直接響いているかのようだった。改めてレンを見ると、少し小さくなったように見える人型を見て顔をしかめていた。
……絶対観測者とはなんだ?
私は、試しに心の中で念じてみた。すると、答えはすぐに返ってきた。
[絶対観測者とは、お前たちの世界も含めて、この世の全てを観測する者だ。彼らが観測することによって、初めてお前たちの世界は記録され、存在を許される]
それは、神ということか。
[神などというものは、人間という種族が造り出した概念に過ぎない。自らが観測し、定義不可能な事象を生み出したものをそう呼ぶことによって、ある程度の共通認識を生み出すために利用してきたのだ]
第一の質問に対するハガルの答えは、要するに『神などいない』ということだ。私は、追加の黒弾を黒穿槍に慎重に接続しつつ、ハガルとの問答を続けた。
では、干渉者とは?
[絶対観測者は、あくまで観測しているだけだ。見て、記録し、予測する。あるとき彼らは、予測と合致しない結果が増え始めたことに疑問を感じた。そのとき宇宙に溢れかえっていたのが、人間という生き物だった。彼らの選択の多様性によって、予想もしなかった未来が多数生まれた結果、平行世界が際限なく生み出された。結果として宇宙は縦の拡大を減じ、横に広がっていった。縦に広がり続けることで均衡を保っていた暗黒物質が、停滞し始めたのだ。絶対観測者は、人間という生き物の自由意志を阻害するつもりはないが、あまりにも選択の多い生を送る者と、そうでないものの差を検証した。その結果、人の望む理想郷の創造に成功すれば、人はそう多くの重要な選択を繰り返すことなく、生涯を終えられるのではないかと仮定した]
……さっぱり意味が分からないのだが。
多くを語ろうとするハガルであったが、彼の言うことは半分も理解できなかった。私が途中で言葉を挟むと、ハガルは呆れたように嘆息して、それに答えた。黒弾を補給しながら聞いたハガルの説明を要約すると、こうだ。
干渉者は、それぞれの特色をもって星を創造し、そこに理想郷を育むという実験を行うために創造されたのだ。絶対観測者が、宇宙に対してこのような干渉を行うのは初めての試みであり、彼らも結果に大きな期待を寄せていたが、どのような特色を与えても、星に理想郷など誕生しなかった。それどころか、人間を生み出せば生み出すほど選択の幅が広がり、宇宙の横への拡大は加速してしまった。
唯一、愛の星を生み出したギョーフだけは、争いもなく、平和な星を生み出すことに成功した。しかし、愛のみに生きる者たちの文明は衰退し、人間は猿と変わらない生き物になってしまった。干渉者たちとしては、それならそれで構わないのではないかという意見が多数を占めていたが、絶対観測者の意にはそぐわなかったそうだ。
あるときエイワズという干渉者が、星の人間すべてに一つの目標を持たせてはどうかと提案した。それに成功すれば、人間の選択が多少幅を持ったとしても、行き着く未来は同じであり、平行世界の乱立を防げるのではないか。『未来を収束させる』というこの考えは支持されたが、どのような統一目標を持たせるかが問題であった。長い話し合いの結果、数と種族が増えれば必ず戦争を起こす人間たちにとって、『共通の敵の打倒』以上に相応しいものはないという結論に達した彼らは、これまで星には生み出されなかった新たな生命―人類の敵として魔物を生み出した。
その結果、弱い人間が絶滅した星が多数出現し、彼らはまたも挫折を味わった。もちろん、一つの目標に向かって人類が邁進し、結果として絶滅する未来以外訪れないのなら、『未来を収束させる』という点では成功していたが、絶対観測者が掲げる最終目標は、人類が絶滅した未来では達成されないのだそうだ。
そこで、魔物を打倒する力ある存在―まさに神のごとく人類を導く存在について検討が始まった。干渉者たちは、魔物などの星の気から生まれた力とは別に、少しだけそれを変質させた『魔力』を生み出した。そして、それを人の魂に混ぜ合わせて転生させることで、『転生者』という新しい人間を生み出すことに成功した。
前世で不遇の人生を歩んだ彼らは、新たな力を得て意気揚々と異世界へ旅立ち、存分に力を振るって星の魔物を打ち倒し、星に平和をもたらしたかに見えた。
結果は、この星と同じようなものであった。魔力という異質の力に侵されて、魔物は強力化する、星は汚染されて原住民が病に侵される―この螺旋から逃れることができず、星には転生者が溢れかえり、とても理想郷など実現できるとは思えなかった。もちろんより大局から見れば、『結局理想郷などできはしない』という未来に向かって収束しているとも言えたが、それで絶対観測者が納得するならそもそも実験など始まっていない。
私を創造したラグズという干渉者は、私を自らの身体から骨を取り出して創ったという。転生者計画を推し進めるエイワズは、半身を星に残しておけば干渉者としての役割は果たせるだろうと、ラグズを一時連れ去った。そのとき起きた洪水によって、星の生態系のバランスは、他の星に類を見ない乱れ方だったそうだ。
そして、この星に送り込まれたユウイチロウは、干渉者召喚という魔力以上の力を振るい、宗教の開祖となった。転生者が、原住民同士の戦争に加担した結果として大量の死者が出ることはあっても、原住民に対して弾圧を行うような者が現れたことはなかった。エイワズが与えた召喚の力によって生じた意外な結果は、悪い意味で注目を集めたが、結局のところ理想郷というには程遠い、という結果に収束すると思われ、いつしか忘れ去られた。
[しかし五百年ほど前、ラグズ――この星ではさらなる変化が訪れていた。汝という存在が、転生者を狩り、星の浄化に乗り出したのだ。また転生者そのものが獣のように変質していた。そのような例は今までになく、干渉者たちは、五百年ほど前から再びこの星の動向に注目していたのだがな。エイワズは、汝の存在を干渉者とみている。私たちはユウイチロウの召喚を除き、過剰な干渉は禁じられているのだが、汝は直接星に降りて力を振るい始めたことで、彼は汝の抹殺をユウイチロウに命じたのだ――]
ハガルの声が途切れ、黒鎖の一部がユウイチロウの身体から離れた。頭部以外は元の大きさに戻っており、身体を締め上げるのに余った分は回収した。
ユウイチロウの身体に内包されていた巨大な気配は、光の塊となって、私の眼前に浮遊していた。
「魔王様! これは!?」
突然現れた球体を見て、レンが警戒を露わにした。明滅することはなく、ひたすらに強い光を放つそれは、やがて人型を取り始め、最終的に先ほどまで戦っていたハガルの姿になった。
「案ずるな……これに敵意はない」
私はレンを制し、ハガルを見た。ユウイチロウの魔力による召喚から解放されたハガルは、薄く笑って言った。
「魔王などと呼ばれていることもまた興味深いが、ユウイチロウの魔力が尽きれば、私は星を去らねばならない。その前に、伝えるべきことがいくつかある」
ハガルは、これまでに挙がった干渉者たちの名前には、それぞれ意味があると語った。さらに、テンパラーとインターフィアラーとは、同じ干渉者ではあるが、星に暮らす者たちの動向に直接的に干渉し、その未来を意のままに変更しようとするものをインターフィアラーと称し、理想郷に向かって収束させようと調節するものをテンパラーとして区別していると語った。
ユウイチロウに召喚された時点で、彼の意志によって一部の力を振るう間、彼らはインターフィアラーとなるが、本来は全員がテンパラーであるそうだ。
干渉者の力を有しながら、自らインターフィアラーたる行動を起こした私は、エイワズによって消去すべき因子と認定された。
「私は、『天災』を冠するテンパラーとして、理想郷の構築に失敗した星を滅ぼしてきた。その対象はエイワズと絶対観測者によって決められ、私はその命に逆らうことはできない。ユウイチロウの召喚によって、汝の抹殺に失敗した以上、星そのものが消去の対象に選ばれる可能性は高い」
痙攣を続けていたユウイチロウの身体が、ぐったりと力を失っていた。足黒蛭の動きも緩慢になっている。魔力の枯渇が近いのだ。
ハガルは再び光に包まれ、徐々にその存在が希薄になりつつあった。
「汝は、汝の選択の通りに動け。無意味な星の創造と破壊などに、これ以上宇宙のエネルギーを浪費することは危険だ。私たち干渉者は、実験の停止を求めるものと、継続を主張するもので二分されている。ここで理想郷を築くことができれば、実験には一つの成果が得られたことになり、少なくとも考察する時間が産まれる――」
人型であった発行体は、また球体に戻った。
「最後に、汝の創造主ラグズより伝言だ」
――征け。汝には心を与えた。それが答えだ――
最後に、私の頭に声が響いた。懐かしい、神の声であった。




