9.終わる世界
アマンティア大火山の火口が口を開けた。
最初の爆発で吹き飛んだ大地は、獣王が魔力を叩きこんだ辺りを中心にして、有毒な気体が混じった煙を噴出していた。高温かつ大量の灰が混じる、濁ったそれのおかげで視界はかなり悪い。
噴煙は天を突く高さまで上昇し、灰色の柱の向こうにぼんやりと太陽が見えてはいたが、弱々しい陽光は眼下を照らすには至らず、開いた火口の大きさを知ることは叶わない。
レミアが私を抱えて飛び、どうにか爆発には巻き込まれずに済んだものの、先ほどから大量の熱せられた岩弾が降り注いでおり、すでに力のほとんどを失ってしまった私は、小さなものでも急所に直撃すれば死んでしまうだろう。
ものによっては一抱え以上、中には家一軒ほどもあろうかという岩弾も降って来るのだ。どうにかそれを回避しながら飛ぶレミアだったが、いかに頑強な魔族といえども、大型のそれが一発でも当たれば身体の損傷は免れまい。
「レミア……」
「何ですか魔王様! 今はちょっと! 危ない状況なんですけどっ!?」
視界が悪い中、飛来する岩弾が発する独特の音を頼りに回避を続けるレミアであったが、すでに大量の小弾丸をその身と翼に受けており、明らかに飛翔する速度が落ちていた。
このままでは、共倒れだ。
「白竜たちは、どうしたのだ」
「雲竜が戻り、噴火の直前に脱しました! 噴煙を抜けた風上で落ち合う手筈です!」
レミアが叫ぶと同時、大きく左に旋回した。私たちのすぐそばを、巨大な燃え盛る岩石が落下していった。熱気を肌に感じ、私はやはりと思った。もはや体表を熱から守るだけの力も残されていない。左腕がちぎれた肩口の出血もひどいようだ。
「……レミア」
私はどうにか声を絞り出した。
この星においても、火山の噴火は何度も起きている。噴火そのものが治まったのちも、そのとき発生した有毒な気体を吸い、降り積もった灰を吸い込むことによって、呼吸器を病んで死んでいった生き物がたくさんいた。
すでに私は、大量の毒と灰を吸い込んでいた。レミアはどうともないようだが、私はすでに嗅覚を失い、激しく咳き込むことも無くなった。呼吸自体ができているのかどうかもわからなくなっていた。
「私を……捨てて逃げろ」
「なっ! 何を言っているのですか魔王様!?」
レミアは、私の背後から、脇の下辺りを両手で抱えていたため、後頭部より少し上のあたりから彼女の声が聞こえていた。
「このレミア・フェレス! 主と仰いだ魔王様を捨て置いて、自分だけ逃げ出すような真似は致しません! もうすぐ噴煙を抜けられるはずです! そうすれば…魔王様? 魔王様!?」
レミアが叫び、私はそれに応えようとしてはいた。しかし私の喉からは、岩の隙間を吹く風のような音しか発せられなかった。
「ちょっと、魔王様! ねえ、ダメですよ!」
私は、かすかに残された力を右手の指先に集中させた。それとともに両足の感覚が消えていった。
「魔王様ってば!! 嘘だろ……こんなことあるわけない…魔王様!! 魔王様!!」
それは徐々に広がっていき、どうにか私を抱く細い両腕の感覚だけは残して、右手の指先に小さな、針のごとき光刃が出現させることに成功した。消えそうな意識を、レミアの腕にのみ集中させて、私は機を待った。
どのくらい時間が経過しただろうか。私を呼び続けるレミアの声が、ずいぶんと遠くなったように感じた頃、私を均等な力で支えていた腕のバランスが崩れた。彼女が激しく旋回を繰り返し、大量の岩弾を避けはじめたようだ。
回避に必死になるあまり、ほんの一瞬だけ、腕の力が弱まったその時を逃さず、私はレミアの腕を刺した。
「痛っ!? ――しまった!!」
私の身体は、宙に投げ出された。
光刃を戻すと感覚が復活し、レミアの庇護を失った身体に大小さまざまな岩弾がぶつかってきた。あるものは貫通し、あるものは私の四肢を砕いた。
噴火からずっと、これをその身に受けながら、レミアは私を抱えて飛んでいたのだ。一人であれば、より早く飛べただろうに。街道沿いの森で偶然出会っただけの私を主などと言わず、魔族の仲間でも探していればよかったのだ。
少々大きめの岩弾が、私の胴を掠めた。
新たに傷を作った岩弾の衝撃はあったものの、痛みを感じることももうなかった。
いよいよだめか。
転生者たちを殺しきれなかったことが心残りだが、ランをはじめ白竜たちの戦いに期待するよりほかにあるまい。
そういえば、レミアは最後の魔族の生き残りだと言っていたな。主を失い、転生者への憎悪をもって残りの生を歩むと決めたレミアと、私が出会ったことも運命であったのだろうか。まったくこの世界の神は、数奇な道をたどらせるのが好きらしい。
わずかな時間ではあったが、供回りがいたことは、私の心を温かくしてくれた。もし、死んだ私の魂を神がお救いになるのなら、その時は血の盟約とやらを受け入れてやってもよいか――。
もう一発、私の胸のあたりに大きな岩弾がぶつかったようだ。それは着弾後も砕けることなく、私と共に落下していった。
このまま地面に叩きつけられるのか、すでに地面など存在せず、マグマの噴出する火口へ落ちてゆくのか。今の私であれば、熱も痛みも感じることはあるまい。
「魔王様……失礼します」
最期に耳元で聞こえたのは、レミアの――
「!?」
暗幕を降ろしたかのように、ぼんやりと灰色だった視界が暗くなった。次いで、飛びそうになった私の意識が、口中に差し込まれた何かによって強制的に呼び戻された。
濡れた何かが、私の口唇を押し分けて入り込んでいた。舌が、唇が吸われ、再び何かが口中へ入り込んでくる。溢れそうになる液体を吐き出そうにも、口を塞がれている上に、岩に圧し掛かられていて逆さに落下を続けており、身動きもできない。どうしようもなく、それを飲み下した瞬間、落下が止まった。
「ぷっはぁ~! もう、魔王様ったら……激しいんだから♡」
「……レミア?」
私は、レミアに正面から抱きかかえられていた。彼女の妖艶な笑みが私を捉え、離さなかった。
「んふふふ……魔王様の……奪っちゃいました♡」
さらにきつく私を抱きしめ、レミアが顔を近づけてきた。
「ぐっ、離さんか!」
私は両手でレミアの肩を抑え、彼女を引きはがした。
「ちぇっ、淡泊だなぁ」
レミアは相変わらず扇情的な笑みを浮かべて、空中に静止していた。どういうわけか、岩弾も灰も、毒の空気も感じられなかった。
そして、レミアが離れたにも関わらず、私は落下しなかった。
「いったい……どうなっている……?」
私はレミアを見た。彼女は左手の親指を下唇に当て、少し斜に構えて私を見ていた。
「魔王様……レミア・フェレスは、血の盟約の儀を完了いたしました」
「どういうことだ」
「ボクと魔王様の体液交換が済んだんですよぅ……恥ずかしいからあんまり言わせないでください♡」
どういうことかまったくわからなかった。
「血の盟約が交わされた二人は、魔族の力を分け合います。解放されたボクの能力の一つは、再生です。獣王との戦いで失われた魔王様の左腕と、岩が当たったために潰れてしまった両目は再生されました。それと……その……」
血の盟約について語り出したレミアが、私の背後を気にしながらもじもじし始めた。
「要するに、私の欠損した身体は癒された――ということでよいのか」
「はいぃ……それはもう。ただ、その……」
「なんだというのだ」
レミアが近づき、私の頬に手を添えた。そしてそっと力を籠め、背後を振り向かせた。
「……」
視界に入った光景を見て、私は絶句した。
「あの、やっぱりだめですかね……魔族の力なので……たぶん、そうなっちゃうんですよね」
私の背には、濡れたように光沢をもった羽毛を生やした翼が一対生えていた。その色は、まさしくカラスの濡れ羽のごとく、どこまでも黒一色であった。
「これは――」
私は震えながら、レミアを見た。レミアはそこから飛び退き、空中にあるにもかかわらず両手を広げて頭を垂れた。
「申し訳ございません! あまりにお身体の損傷が激しく、ボク自身も落下していく魔王様をお救いするだけで精いっぱいでありました。すでに火口のあちこちからマグマの噴出も始まっており、事態はひっ迫していたのです! 再び飛び立ち、噴煙を抜けることは困難に思われ、禁じられていることは百も承知でしたが――」
私は、レミアの両手を取り、ゆっくりと空中に立たせた。
「魔王様――?」
「よいのだ。レミア」
私は漆黒の翼を動かしてみた。頼もしい羽音とともにそれは大きく広がった。
「この結界のようなものは?」
「え? これはボクの能力の一つです。マグマに直接焼かれでもしなければ、焼けた岩ごときでは破れませんよ?」
「……」
私は、半透明の膜の様なそれに向かって、光杭を放った。膜は一瞬それを受け止めたが、すぐに穴を穿たれ、粉々に崩れ去った。
「ええ、そうですね。魔王様にとっては紙みたいなものでしょうけどね……」
レミアが結界を砕かれて項垂れていた。
すぐに大小の岩弾が降り注ぎ、私たちの身体に衝突するが、しごく邪魔に思うだけで、身体に損傷はなかった。また毒を含んだ空気を吸い込んでも、先ほどのように肺を侵されることもなかった。
そんなことよりも私を驚かせたのは、生み出した光杭の色までもが、漆黒であったことだろう。
「私は……魔族になったということか」
私は新たに生えた左腕を握ったり開いたりしながら、その感触が以前と変わりないことに少なからず安堵しつつ尋ねた。
「わかりません……過去に血の盟約を魔族以外で結んだ例などありませんから……やっぱり嫌ですかぁ? うう……さっきはあんなにお互いを求め合ったのに……ことが済んだらこの扱いだ……」
「くくく……くはははは……はーっはっはっは!!」
「魔王様?」
私は、飛来する巨大な岩弾に向かって光弾を放った。まるで光を吸収してしまったかのように、何も映さず、ただただ漆黒の球体はまっすぐそれに衝突し、粉砕した。
「黒い翼をもち、黒い力を操る……まさしく魔王に相応しい姿になったということか」
私が呟いたそのとき、レミアの後方から激しい爆発音が響き、灰色の空気の向こうが赤く染まった。本格的なマグマの噴出が始まったようだ。恐らくこのまま、ルブサーク全体に噴火は広がってゆき、大規模な地震によってイスキリスはおろか、星のあちこちで同様の噴火や地震が起きる可能性がある。
星の全土を、海を、空を巻き込む大災害が始まったのだ。
世界が終るこの日、天より堕ちた私は一度死んだ。
そして今、マグマの噴出と共に、漆黒の翼をもって魔王が誕生した。
「レミア……私は今から、汝の主だ。今日より、私は魔王となった」
「はい!」
私とレミアは翼を大きく羽ばたかせ、飛び立った。背後では再び爆炎があがり、赤いマグマの柱が空を焦がさんばかりに噴出された。
我の名はセイタン。神に仇なし、転生者を殲滅する魔王である。
以上で、第二章『魔王の翼』終了となります。評価を頂いた方、読んでくださった方、ありがとうございました!次章『神殺しの槍』もお楽しみいただければ幸いです。




