8.獣王レオン 後編
※R15※
残酷な描写が含まれます。閲覧にはご注意ください
私は、成長した。そう理解するしかなかった。
強力な転生者との戦いを経て、私の力は総量を上げていた。迫る獣王の拳に備え、力を呼び覚まそうとしたその瞬間、明らかに以前より円滑に、かつ膨大な量の力が沸き起こり、身体から溢れそうになったのだ。
獣王レオンは左拳――というよりは、岩の塊に近いそれを大きく振りかぶって、ただ真っ直ぐ私の頭上に向かって振り下ろした。
纏う魔力の色は、これまでに見た転生者のそれとは異なる黄金色であった。
私はそれを、右手掌で受けた。
激突。そう表現するのが相応しかろう。竜を狩る者のダイチが放った魔力大砲に匹敵するほどの拳による一撃と、転生者の戦闘を経て成長したらしい私の力がぶつかり合った。
それによって発生した反発力に吹き飛ばされないよう、全身に力を巡らせて身体を支えた。乾いた岩石で構築された大地を割って、獣王の一撃を支えた私の両足は踝の中ほどまで沈み込んだ。
「へえ」
レオンは、彼の拳を受け止めた私の右手を見て、両眉を上げた。それを隙とみた私は、空いた左手で拳を握り込んだ。力任せに顔面を狙った攻撃は、獣王の右手に阻まれたが、今度は獣王が吹きとばされぬよう、踏ん張る番だった。
そうして互い違いに拳を握り合う体勢になった私たちは、そのままお互いの力を試すように、力の放出を開始した。
「おいおい、俺と力比べかよ!!」
至極楽しげな口調で、レオンの魔力が爆発するように私の両手に圧し掛かってきた。私はそれを正面から受ける訳もなく、真上に向かって逃がすように両手を振り上げた。
「ああン??」
お互いに万歳を叫ぶような体勢となった。すなわち胴がガラ空きとなる。私はそこに向かって背後に生み出しておいた光弾を五つ打ち込んだが、獣王はこれを避けようともせず正面から受けた。腹部に楯のように魔力を集中させていたが、それが無くともこの獣の外皮に傷はつくまい。打ち込んだ光弾はあくまで目くらましなのだから、無駄に威力を高めても力の浪費というものだ。
爆音と発光だけはいつもの通り。獣王がそれに包まれた瞬間には、私は彼の背後に移動していた。そして無防備な背中に右拳の一撃を放ったが、爆煙の向こうから突き出された巨大な拳がそれを受け止めた。
再び発生した衝撃の余波は、先ほどの小手調べの一撃とは比べ物にならなかった。互いに拳を弾かれ、反転して睨み合ったのも一瞬のこと。すぐに獣王が距離を詰めてきた。
私が攻撃備えて構えると、獣王が深く身を沈め、下方から顎を狙った左拳が振り上げられた。私は身を逸らしつつ、後方に跳んでそれを避けたが、それは獣王の予想通りの動きだったのだろう。彼は拳を完全には振り抜かず、低い姿勢のまま私に体当たりしてきた。膂力では互角かそれ以上の相手に捕まえられれば、不利な体勢になるのは目に見えていた。
「魔王様~! 頑張ってー♡」
遠くからレミアの嬌声が聞こえたようだが、それに反応している場合ではなかった。だが、レミアの声で私はこの窮地を脱する方法を思いついた。私は両足に力を集中させ、思い切り跳んだ。土煙を上げ、飛翔するとまではいかないが突進してくる獣王を大きく飛越して、十歩ほど離れた位置に着地した。
「……ちっ」
獣王が舌打ちし、こちらに向き直った。
よくよく考えて見れば、力をぶつけ合う肉弾戦など、相手の得意とする戦法に付き合っていた私が愚かだったのだ。尋常ならざる一撃を防ぎ、成長した自分の力を振るうことに心を奪われるなど、この獣と同じような思考に陥ってはならぬ。
再び獣王と視線が合ったのはほんの一瞬のこと。獣王は咆哮と共に襲い掛かってきた。再び右上方から振り下ろされたのは、開いた指先に生えた鋭い爪であった。纏わせた金色の魔力はより密度を上げていた。打撃ではない。明らかに斬撃であろうそれを正面から受け止めるのは危険と踏んだ私は、獣王の懐に向かって全力で突進した。
突進しながら肘と手首の中ほどに光玉を打ち込み、爪による斬撃の軌道を逸らす。それでも振り抜かれた獣王の右腕を掻い潜り、脇腹に向けて叩き込んだ光刃による一撃は、素早く横に跳んで避けられた。
着地点を狙って続けざまに光弾を放つ。今度は目くらましではない。爆発も炎上もせず、ひたすら貫通力だけを意識して硬質化させたものだ。一瞬でそれが獣王に迫るが、獣王もまたそれを見ただけで性能を判断したのだろう、身体の正中を守るように両腕付けて魔力を集中させて防御の姿勢を取った。後続にもう一発、少々大型の光弾を放つ。今度は目くらましだ。
着弾したと同時にやはり背後に回り込んだ。読まれている。盛大に上がった爆煙の向こうにいる獣王が、私の動きに反応してすでに反転を始めていた。私はそこに向かって、右の手刀を斜めから振り下ろした。
振り下ろされた私の手刀に対し、獣王の拳がそれを迎え撃たんと突き出された。しかしそれらが触れる直前、獣王が後方に跳んだ。私の手刀はむなしく空を切った。そして振り切った手刀から放たれた光刃が、飛び退いた獣王に迫るが、それもギリギリのところで躱された。
目標を外れた光刃が、遠巻きに戦いを見守るレミアと白竜たちに襲い掛かり、少々混乱を生んだようだが、これを気にしている暇もない。
私は、自分の中に不思議な高揚感が生まれているのを自覚していた。転生者を狩り始めたばかりの頃に感じた暗い感情が、再び私の中に甦った。
「くくく……」
「へっ! ずいぶん楽しそうじゃねえか!」
私が笑うと、獣王も口角を上げた。戦う前に本人が言っていたように、こいつは戦いそのものを楽しんでいるのだろう。だが、私の心の芯は冷えたままだ。戦うこと自体に快感を覚えることなど無い。私は、まさしく人外の害獣と呼ぶにふさわしい怪物を相手にする前に感じていた、ある不安が払拭されたことに安堵していただけだ。そして、大きな力を振るう獣が死ねば、それだけ星の除染が進むという事実に気付き、歓喜していたに過ぎない。
「獣王……レオンとかいったな」
私は全身に力を充満させ、レオンの茶色の目に視線を合わせた。転生者は饒舌な個体が多い。特にこの獣はよく喋る。私はこいつを始末してしまう前に、以前から転生者に訊ねてみたかったことを聞いてみることにした。
「お前はこれから私に殺されるわけだが……もし神が許すなら、また転生を望むか?」
私の質問を聞いたレオンは、目を丸くし、しばし考え込んでしまった。たっぷり十秒ほども停止していたが、やがて口を開いた。
「いや、勝手に殺されるとか決めてんじゃねえし。だがまあ、仮に死んだとしても三度目はねえよ。きっと、来世もロクなもんじゃねえ」
「そうか。それを聞いて安心した」
私が言い終わるのと、獣王の身体を取り囲むように、光でできた杭が虚空に出現したのは同時だった。
「レオン!!」
獣王の叫びを聞きつけたのか、ランと攻防を繰り広げていたベラシアが、私と獣王の間に割って入った。纏う毛皮はところどころ切り裂かれ、彼女の褐色に近い肌は薄く裂け、血が滲んでいた。
当然ランもベラシアを追ってきた。私と彼女の間に立とうとする若い竜族の戦士を、私は手で制した。
「魔王殿!?」
ランは多少衣服に埃を付けてはいたが、無傷であった。彼の実力も相当なもののようだ。獣王は大小さまざまな光杭に四肢と体幹のあちこちを貫かれ、膝を付くことも動くこともできず、空間に縫い付けられた状態であり、大量の血を流していた。すでに足元には血だまりができており、お世辞にも軽傷とは言えない。にも関わらず、間に割って入ったベラシアなど一瞥もくれず、憎々しげに私を睨む目には炯炯とした光が宿ったままであった。
仮にベラシアを退けたとしても、今手負いの獣に不用意に近づくのは危険だ。私が光杭をそのまま押し進めず、消しもせずに様子を見ているのはそう判断したからであった。
「少し待て……」
ランは、表情こそ不満げではあったが一歩下がった。それを見たベラシアは安堵したような表情を一瞬作ったが、すぐに怒りに燃えた視線を私に戻した。
「魔王、これを消せ。殺すぞ」
殺すはこちらのセリフだが、獣王の発言からして彼より実力で劣るはずのベラシアなど、単に殺すだけなら造作もないことだろう。今は、彼女の相手をするより獣王の挙動を注視したい。打撃に対しては拳をもって応じた獣王が、斬撃や点による攻撃には回避、あるいは防御を選択したことから、私の力を敵の身体を刺し貫く形状に精製し、使用することを思いついたのだ。
結果としてこの攻撃は有効だった。しかし先端は鋭くとがり、底部は私の腕くらいの太さの光杭で五体を貫いたくらいでは、獣王に戦意を失わせることはできなかったようだ。
「魔王! 早く、これを消せ――!!」
私が反応しないことに苛立った様子のベラシアが、再び口を開いたときであった。獣王の、虚空に縫い付けられていた身体から黄金色の魔力が噴出し、光杭を飲み込んで砕いていった。それはまるで、獣王の身体から出現した獅子の頭が、主を解放せんとするかのような光景であった。
魔力には様々な使い方がある。まさか動物のように振る舞わせるなどとは、想像もつかなかった。私は驚嘆の念を抱いた。そして獣王は、ものの数秒で光杭を破壊し、拘束から解かれた。
「レオン!」
さすがに膝を突いた獣王に、ベラシアが駆け寄った。
「……さすがは魔王ってことか……正直、参ったぜ……」
血を吐き出し、獣王の顔が苦痛に歪んだ。ベラシアが獣王の傷に魔力を集中させて、それを癒し始めた。
「ベラシア、やめろ」
「レオン!? どうして!?」
しかし獣王はそれを制した。意外な行動に、私はまた驚かされた。もちろん、眼前で敵が癒されていくのを黙って見ている気はなく、私は今度こそベラシアを攻撃しようと虚空に光杭を生成し始めていた。まさかそれを感知して、ベラシアを止めたというのか。
獣王は、命令に従って魔力の放出を止めたベラシアの赤い髪を撫でた。
「レオン……?」
獣王は黙って頷き、頭頂部を撫でていた右手が後頭から後頸部へと移動した。
「!!!!」
何かが砕ける音が渇いた大地に響いた。ベラシアは悲鳴も上げず、地面に倒れて四肢を痙攣させていた。
私は、一瞬何が起きたのか理解できずに呆然とそれを眺めていた。辛うじて、精製が終わった光杭を射出できる状態に保つことはできたものの、目標であった女は今、うつ伏せに倒れて動かなくなっていた。
獣王が、倒れたベラシアが纏っていた毛皮をはぎ取った。露わになった背中には無数の傷跡に混じって、ランとの戦いでつけられた裂傷や、痣がいくつか見られた。その背に向かって両手を合わせ、獣王は目を閉じた。膝を突き、うつむいて両手を合わせた姿は、何かに祈っているかのように見えた。自分で殺しておいて、その死を悼んでいるとでもいうのだろうか。
私とランが訝っていると、獣王がボソリと言葉を発した。
「………いただきます」
「!!!!」
折れた首を右手で、もはやいかなる膂力も発揮しない足を左手で掴み、赤毛の女の身体を軽々と持ち上げた獣王は、その肩に食らい付いた。
「な……な……」
ランが一歩後退り、声を震わせた。それは、同族の肉を食いちぎり、咀嚼している行為そのものへの嫌悪からであったろうか。獣王の喉から、はっきりと食塊を嚥下する音が聞こえた直後、彼の身体の傷が瞬時に塞がり、鬣がざわめいて赤く染まったことへの驚愕からであろうか。
獣王は、肩口から背中にかけての肉をごっそりと失い、広背筋と一部の肩甲骨が露わになった女の身体を打ち捨てて立ち上がった。
獣人族は魔物の肉を喰らって、力を得る。
今、眼前に立つ赤い髪の大男が放つ殺気と、周囲に渦巻く魔力の奔流は、先ほどよりも明らかに増大していた。
「ラン――!?」
下がれと言おうと思ったときには、獣王はランの前に出現していた。私の視界から一瞬で消えた獣王は、疾駆した勢いのままランの腹部に拳を叩きこんだ。数歩離れた位置に立つ私の髪が、その拳圧でふわりとなびいた。
ランは身体をくの時に折り、はるか後方へ吹き飛んでいった。それを一瞥して、ベラシアの血が混じった唾を吐き、獣王が私に向かって口を開いた。
「第二ラウンド――行こうぜ?」
「!!」
再び獣王が視界から消えた。あとに残されたのは、地響きとともに巻き上げられた土煙と、小さくなっていく影であった。それを見てようやく、獣王が跳びあがったのだと理解した私は、空を見上げた。
そこには右拳を大きく振りかぶり、太陽を背に急降下してくる獣の姿が在った。その右拳に宿る魔力は、まるでそこにもう一つ太陽があるのではと錯覚させるほどの輝きと、密度であった。獣の姿は一瞬で眼前に迫った。回避は間に合わない。
私は左腕で顔面を庇い、全ての力を防御のために集中させた。
次の瞬間、私はこれまでに感じたことのない衝撃を受けた。わずかに身体を逸らし、顔面への直撃は避けられたものの、私は叩き伏せられ、地面に激突した。獣王の拳はそのまま振り抜かれ、私の左腕は肩口からちぎれてどこかへ飛んでいった。
獣王の勢いは止まらず、拳がそのまま地面にめり込んだ。
金色の魔力は地中で爆ぜ、大地に巨大な穴を穿った。岩盤が吹き上げられ、それらに打ち据えられながら私の身体も宙に浮いた。数秒ほど宙を舞って、地面に落下した私は、すぐさま追撃に備えて立ち上がろうとした。しかし、足が言うことを聞かなかった。手をついて状態を起こそうとしたが、左腕がないことを忘れていたため、そちら側に倒れてしまった。地面に傷口が擦れて激しい痛みが襲ってきた。
「……なんだよ……もう終わりか?」
家一軒が丸ごと納まりそうな深さの穴から、獣王がその縁へと跳びあがって言った。
ゆっくりと、私に近づいて来る。
「ぐっ……」
私は残った右手で状態を起こし、震える膝を黙らせどうにか膝立ちになった。
獣王が口角を上げ、牙を剝いて笑った。
「魔物肉を喰って、俺は強くなる。魔王の肉を喰ったら……さすがにやべえか? ああ?」
迫る獣王に向けて、光杭をありったけ打ち込んだ。何の気配もなく、出現時間をずらして虚空から射出されるそれら全てを、獣王は難なく避けた。
獣王が私の頭を掴み、無理やり立ち上がらせた。残念ながら抵抗できなかった。腹に拳を打ち付けられ、私の身体は宙に浮いた。胴に穴が開かないように、防御に徹するのが精いっぱいだった。そして、その一撃に耐えるだけで、力も尽きた。
私は、死を覚悟した。
それを悟ったのか、獣王が大きく口を開いた。
眼前に牙が迫り、私が目を閉じた時であった。
大地が、揺れた。
半ば持ち上げられた状態の私ですら、そう感じられるほどに。
獣王の腕を伝わり、大地の細かい振動が感じられた。それは徐々に大きくなり、獣王の足元を揺るがした。
私は地面に落とされた。
今や振動などという軽いものではなくなっていた。地に顔を付けた私の耳には、その奥深くから近づいてくる鳴動がはっきりと聞こえた。
視界が上下左右に揺れるほどの地震、先ほど獣王が穿った大地からは白煙が上がり始めた。辺りに何かが腐敗したかのような異臭が充満していく。
「こりゃあ……まさか……」
獣王は事態を理解したのだろう。一瞬私を見たが、すぐに視界から消えた。
大地の上下動がさらに大きくなった。
異常な揺れが高まり、一瞬の静寂が訪れた。
「魔王様!!」
レミアが私の元に走り寄り、私の身体を抱きかかえた瞬間。
大地が消し飛んだ。
いきなり、喰うとかキツイと思った方もいらっしゃるかと思いますが……こればっかりは、すみませんm(__)m




