7.獣王レオン 中編
「……地上の何者かが、我々を追って来ます」
アマンティア大火山を目指す白竜の群れは、矢のごとき速さで飛んでいる。他の竜よりも身体が大きく、鹿のような枝分かれをしていない角をもつ個体が先頭を務めていた。鋭く先端が尖ったそれをもつものは、白竜たちの中でも戦闘に特化した能力を有していることの証であり、ラン・ラシルバという名の白竜は、雲竜の実子で当代最強の戦士だそうだ。
ちなみに雲竜とは、空に暮らす彼らの族長が冠する名である。雲竜自身の名はダン・ラシルバだ。
「地上の様子がわかるのか」
「まあ、軽いもんですよ」
私が尋ねると、鋭角の二本角を揺らして振り返ったランの口が裂けた。口調から笑っていることが分かったが、族長である雲竜よりも巨大な牙が並んでいるのを見て、私を抱えて飛ぶレミアがビクリと反応した。
「……たいしたものだな」
探知、索敵能力にも長けているとは聞いていたが、雲よりも高く飛翔している今であっても、地上の機微を感じ取れるほどとは。長く空に暮らしてきた故に発達したものなのか、竜族というものがもともと優れた種族なのかはわからないが、私は素直に驚嘆を言葉に表した。
「転生者が二匹……どちらもとんでもない魔力を秘めています」
ランが、今度は口元を歪めて言った。
「あの姿……獣人族か」
「獣人族?」
「魔獣の肉を喰らって、身体が変質した転生者の一族ですじゃ。頭は悪いですが、力は強いのです。まさか、王都の連中が南の蛮族にまで知らせを出したのじゃろうか……明らかに我らを追って来ておるのう」
私の問いに答えたのは、右側を飛翔する雲竜であった。
「できれば先にアマンティアの迷宮に入り、奴らの相手は別の場所でしてやった方がよいでしょうな。あのバカどもなら、アマンティアのことなど気にせず、全力で戦いを挑んでくるやもしれませぬ。早さだけなら、我らに分がありましょう。魔王殿、ちと急ぎますぞ」
雲竜が、号令を発するかのように一声吠えた。
白竜の群れは一気に加速し、南西に向かって空を進む。
私は、腰元に吊るした麻袋に入れられた足黒蛭を、袋の上から触り、南へ向かうことになった経緯を思い返していた。
白竜たちが私と行動を共にする意を固め、一族の主立ったものたちの紹介が済んだところで、私たちは転生者を絶滅させる計画を話し合うこととなった。
私はもともと、レザイアを経由して、転生者が治める王都へ入る予定であったが、それを伝えたところ、白竜たちの大反対に遭ったのだ。
私が当面の目的地を明かすと、雲竜は豪快に笑った。
「ふぁーっふぁっふぁっふぁ!! 魔王殿も冗談がお好きじゃのう!」
「……冗談?」
私としては、転生者が集まるレザイアや王都を落としてしまえば、星の魔力汚染を手早く食い止められるだろうと思ってのことだったので、冗談などと言われていい気持はしなかった。
「まさか魔王殿、本当に単騎で敵の本丸を攻めるおつもりだったのですかな……?」
憮然とした表情の私に対し、人化した雲竜は呆れ顔を隠そうともせずに言い、ランをはじめとする白竜たち全員が、口を大きく開けて私を見ていた。
「単騎だと? やい雲竜! ボクがいることを忘れるな!」
レミアが声を張り上げたが、ランが低く唸ると小さくなって私の背後に隠れた。
「魔王殿……並の転生者なら、百や千あるいは万の数をもって布陣していたとしても、我らなら問題なく撃破できましょう。しかし、百老や特級と呼ばれる者共が世界から集結しているとなれば、そこに攻め入るはあまりに無謀と言わざるを得ませんな」
「転生者が私を見つけて襲ってくるのを待てと言うのか」
詳しい戦力差は不明だが、雲竜の言う特殊な呼び名をもつ転生者の実力は高いのだろう。そこに正面から攻めることは、うかつだと言われることも仕方ないように思う。しかし、遠隔視という能力を持った転生者は私が殺してしまったので、他に転生者が魔王を探しだす手段を持っていない場合は、どうするのだと当時の私は思った。
それを伝えると、雲竜はニヤリと笑って答えた。
「わざわざこちらから出向かなくとも、向こうから少数精鋭を送ってくるように仕向ければよいのです」
「……でも、結局竜を狩る者並みかそれ以上の転生者がまとめて襲ってきたら、結果は同じじゃないか」
私が思っていたことを、レミアが代弁するかのように発言した。それを見た雲竜は深くため息をついて、憐れなものを見るような目になって言った。
「フェレスの末裔よ、短慮であることは恥ずべきことぞ? 年長者の言うことは最後まで聞かぬか」
「むっ……じゃあどうするのか言ってみろ……」
雲竜にたしなめられ、レミアは不満げではあったが、雲竜の言うことも一理あるのは事実だった。
「魔王殿、目指すべきは北の王都ではなく、南西のアマンティア大火山ですじゃ。かつてこの星が、大規模な地殻変動を起こすきっかけとなった大噴火を起こしたアマンティアは、その噴火によって山肌の半分以上を失ったと言われております。アマンティアは現在も活火山であり、人間共も転生者たちも、噴火の兆候には敏感だと聞いております。噴火のきっかけといえば、大規模な地震くらいしか通常の人間は思いつかないはずじゃが、大きな力をもつ転生者ともなれば、その戦う力自体がちょっとした天災クラスのものばかりということは……」
言葉の続きを想像し、私は頷いた。
「なるほどな……」
「魔王様? 何がなるほどなんですか?ボクにはさっぱり……あ、やめてください。その虫けらを見るような目でボクを見るのは! うう……いつかこれが快感に変わるんだろうか」
「レミア、転生者がアマンティアに我々を討伐にやって来たとしても、噴火を恐れて大規模な攻撃は控えるだろうということだ」
必然的に、送り込まれる転生者も少数精鋭、かついきなり防ぎきれないような破壊力をもっての攻撃は無くなるだろうということだった。私がレミアに自分の考えを述べると、雲竜は満足そうに頷いた。
「だが、そううまくいくだろうか」
「転生者どもは、すでに一度死んでおりますれば、わが身可愛さだけをもって生きているような輩ばかりですじゃ。百老と呼ばれている連中なんぞ、死にたくないがために魔力を使って数万年も生きておるそうですじゃ。今更、大規模な噴火に巻き込まれて死ぬ道を選んだりはしますまい」
雲竜が言うと、それを支持するように、後方に控えた白竜たちも頷いた。それを見たレミアが、ポツリと言った。
「なんだか、竜族がこれだけ集まってるのに……弱気な策だなぁ」
「フェレスの末裔よ。戦いに勝つには理と利の積み重ねが重要なのじゃ。闇雲に敵地に攻め込むことこそ、最も敵の望むところであろう。そのようなことも……いや、魔王殿? ワシは、けして貴方様のことを申したわけでは……」
私は、雲竜の言う通りだと思い、自嘲気味に笑っていただけだったが、急に冷や汗を流し始めた雲竜であった。私が笑うと皆同じような反応をすることに少々不満を覚えたが、大火山を盾に転生者の戦闘法をある程度制限するという策は、悪くないと思えた。
「魔王殿、アマンティアを目指す理由はもう一つあるのですじゃ」
雲竜は、私がその段になっても鍔をつまんで持っていた、足黒蛭を指さした。
「アマンティアの大地には迷宮ができておりましてな、そこに住むドラゴンは、これまで大量の転生者を屠り、そのような珍しい道具を溜めこんでおるそうです。もしかすると、それの使い方や、同じような作用を持つ道具の所在が分かるやもしれませぬぞ」
「それは有益な情報だが、ドラゴン族とお前たちは、出自は似ていてもお互い袂を分かったのであろう? 素直に情報を渡してくれるのだろうか」
「ドラゴンがゴネるようなら、捻りつぶして吐かせればよいのです。なに、迷宮に隠れ住むような輩など、我らの相手ではありません」
私の疑問に答えて牙を剝いたのは、雲竜の後ろに控えていたランであった。
今、ランを含め白竜たちは全力で飛翔し、アマンティアを目指している。地上に獣人族の姿を見つけた時は、まだ彼方に小さく見えていた大火山であったが、今やはっきりとその姿を視認できるほどに近づいていた。気圧が低く、酸素も薄い中を高速で移動しているのだが、レミアもそれに遅れることなく飛んでいた。竜族も魔族も、翼をはばたいて飛ぶのではなく、自身の力を使って飛んでいるのだ。
思い返してみれば、私の背に翼が在った頃、戯れに地上に降りた際にも同じような飛び方をしていたかもしれない。つい最近までのことなのだが、数万年も昔のことのような気がする。
魔力とは異なる、この星の気から生まれた魔族や竜族の祖は、本当に神が創造したものなのだろうか。彼らを率いて転生者と戦うことが、私の運命として決められていたのではないかという考えが、またしても頭をもたげてきたところで、ランが私とレミアを振り返って言った。
「到着です!」
「隊を二つに分ける。ワシとロン、オルトバの戦士たちは迷宮へ向かう! ランとラシルバの戦士は戻って獣人族を討て! 火口に近づけてはならんぞ! では皆の者! 降下せよ!!」
雲竜の咆哮を合図に、上空から雲を突き破り、一気に下降する白竜の群れは、地上から見れば驚愕に値する光景だったのだろう。
眼下に迫る広大な盆地には、四足で背中にコブがある動物に荷物を運ばせている一団があったが、動物も人も轟雷のごとき咆哮を上げて飛来する白竜を見上げ、慌てて逃げ出すこともできずに呆然としていた。
地面を揺るがし、雲竜と二百頭ほどの白竜が地面に降り立った。残りの百頭は中空を旋回している。その中心に、レミアと私は静止していた。
地上から、人化した雲竜が叫んだ。
「魔王殿! 迷宮の入り口はあの岩の向こうです! ワシらが迷宮へ入っておる間、いかようにされますかな!?」
雲竜が指さす先には、小山ほどもあろうかという小孔だらけの灰色の岩があった。迷宮の魔物と相対することよりも、私には成すべきことがある。
「獣人族も、転生者なのであろう? ならば、それを狩る。足黒蛭の件は、任せてもよいか」
「むろんです! ラン! 魔王殿をお守りするのじゃぞ?」
ランは黙ってうなずき、北へ目を向けた。
私は足黒蛭が入った麻袋を雲竜へと放った。
「では! 首尾よく事が進みましたら! 迷宮の入り口で!」
人化した白竜たちが手を振り、巨大な岩を目指して走り出した。迷宮は、竜の姿のままで探索できるほど広くはないのだそうだ。
「ラン、獣人族とやらはどうだ?」
私が訊ねるのと、ランが咆哮を上げて北へ向かって飛び出したのはほぼ同時だった。
中空を旋回していた白竜たちもそれに続いていく。
「レミア!」
「はい!!」
私を抱えたレミアが一拍遅れてそれに続いた。
ランが高度を一気に下げ、地面に降りた。レミアが続く白竜たちを追い越し、その横に私を降ろした。
「魔王様!! あれは!?」
ランが睨みつけ、レミアが指さす北の方向には、禍々しい魔力の奔流が渦巻いており、それを纏った何者かが、土煙を上げてこちらに突進してきていた。
私たちから二十歩ほど離れた距離まで近づいたところで急停止したそれは、巨躯の男であった。
髪の毛と髭が繋がったように顔の周囲を覆っており、金色のそれは男が無遠慮に放っている殺気交じりの魔力によって揺らめいていた。髪の毛というよりは、獅子の鬣といった方が、齟齬がないだろう。
炯炯とした光が宿った瞳は茶色がかっていたが、形状は猫のそれに似ていた。眉は濃い茶色で太く、眉間に深く刻まれた皺に向かって収束していた。
何よりも男の顔で特徴的だったのは、上唇の両端から覗く巨大な犬歯であろう。
何かの動物の毛皮を頭から被り、腰紐で結んだだけの服からは、逞しい四肢が突き出ていた。
「なるほど…獣人というのも頷ける」
私が呟くと、獣人の男は憮然とした表情になった。
「好きでこんな姿に生まれ変わったわけじゃねえんだ。牙まで生えてやがるし、親はクソ不味い魔獣の肉ばっかり食わせやがる。幼少期に食事関係で虐待を受けた子供の気持ちが分かるか? ああ?」
突然、家族に対する怒りを吐露し始めた。転生者というのは、本当に身勝手な個体が多い。
「しかも、どうにか虐待から生き残ってみれば、朝から晩まで魔獣狩りと戦いの訓練だ。それ以外にすることがねえ。これじゃ死ぬ前よりよほど環境が悪いじゃねえか。俺はな、前の人生で大分疲れてたんだよ。死ぬ直前に精神が限界を迎えて自分の親父をやっちまうくらいに疲れてたんだよ。だから、人里離れたところで好き放題やって暮らしたいって願ってみりゃあこれだ。確かに人里離れていたわな。人里離れどころかお前、周りに生きてるやつも半分人じゃねえなんて聞いてねえわ。ほんと最悪の転生だぜ? なあ、あんたもそう思うだろ? あア?」
さらに、自らの境遇についての不満をまくし立て、同意を求めてきた。もちろん、薄汚い魔力を垂れ流す転生者の境遇に同情の余地などない。そもそも、第二の人生などというものが溢れかえっていたら、誰も懸命に生きようとしなくなるのではないか。
今は、そのようなことを考えている場合ではないが、二度目の生を与えられながらも、よくも文句ばかり言えたものだと感心してしまう。
だが、
「貴様がどのような生を歩んできたかなど、私には関係のないことだ」
「そりゃあ、そうだわな」
私が言い放つと、獅子のような顔を持つ男は笑った。
「だがまあ、いちおうこれから殺し合いをするんだ。お互いのことを少しは知ってからでもいいだろう? ああ、おめえのことは言わなくていい。報告書を呼んだからな。ああ、でも一応確認はしとこうか……なあ、魔王ってのはてめえか?」
「私がそう呼ばれるようになったのは最近の話だが、他にも魔王がいたのか?」
「いや。俺が生まれ変わって三十年も経つが、そんなファンタジックな奴は知らねえわ。ちなみに三十年も魔獣を喰らって生きてきたせいか、もともと俺の中に獣性ってもんが在ったのか、俺は強い力をねじ伏せて、ぐちゃぐちゃにしてやることが好きになった。お前は強いのか? なんか、ひょろくて弱そうだけど」
獣人はそう言うと、口元を歪めてせせら笑った。
「……試してみるか」
「魔王殿、ここは俺が」
それまで黙っていたランが、言葉を挟んだ。それを聞いた獣人の男が低く唸ると、その背後からひょいと人影が現れた。
「トカゲのくせに、獣王と戦えると、思うな」
獣王の背後から現れたのは、毛の色が茶と黄色のまだら模様の毛皮を纏った若い女であった。赤いざんばら髪を肩口辺りまで伸ばしており、その下から覗く目は、獣王と呼ばれた男に似ていた。
「おいおい、お前がやんのかよ」
「……トカゲの、肉は、うまい」
目を丸くして獣王が言うと、赤毛の女は舌なめずりをしながらランににじり寄った。
「へっ! ドラゴンの味になんざ興味はねえが、もしベラシアに勝てたら、魔王の後で相手してやらあ」
「貴様……」
ランは牙を剝いて身を沈めると、つむじ風を纏って空へ上がった。そして空中で反転すると、人化して地面に降り立った。竜族としてすでに千年は生きていると聞いていたが、その容姿は二十歳前後の青年のそれであった。
人化したランは、線の細い身体に密着した一枚布で作られた服を着ていた。細いが、鍛え上げられた筋肉で鎧っていることがみて取れた。青い髪は馬の尾のように後頭部で結われ、切れ長の青い目で獣王を睨みつけた。
「お前らは下がっていろっ!!」
上空から降下してきた白竜たちを怒鳴りつけ、ランは獣王からベラシアに視線を向けた。
「やい! 獣人族――モガッ」
ランに負けじと、何か余計なことを言いだしそうになったレミアの口を押え、後ろへ下がらせた。
「じゃあ、始めようぜ。ああ、ちなみに俺の名はレオンっつーんだ。よろしくな」
「転生者の中でも、貴様はまさしく害獣と称するに相応しいようだ。私は獣相手に、名乗るべき名など持ち合わせていない」
「ああ、そうか、よっ!!」
瞬間、獣王レオンの足元で爆発が起こった。そして二十歩ほどの距離を一跳びで詰めた獣王の拳が、私に向かって振り下ろされた――。




