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5.雲竜 後編

 白竜は翼を持たず、滝を登るかのように身をくねらせ上昇していく。


 頭部に生えた二対の角は、鹿のそれのように枝分かれしているが、その太さは樹齢百年の杉のごとく。私は先端の方の枝に掴まり、遠ざかっていく地上を眺めていた。


「少し、ゆっくり飛んでくれないか」


「ふぉふぉふぉ。魔王殿は高所が苦手か?」


 私が言うと、雲竜は豪快に笑った。左右に長いひげを生やし、大きく裂けた口角から吐かれた息は白く、周囲の雲に溶け込んでいった。それもすぐさま後方へ流れていく。


「そうではない。私はかつて、天に在ったのだ。雲間から見える地上の景色を楽しみたい」


「ほう……かつて、天に在った……とは?」


「ドラゴン族! 魔王様はかつて――」


 私の代わりに、レミアが私の出自について語った。多少の修飾と、自身と私の出会いについての描写が長かったが、大筋では間違っていなかったので放っておいた。長いレミアの語りのおかげで、私は十分に景色を楽しんだ。


 雲竜は飛翔する速度を落とし、レミアが語るのを黙って聞いていたが、話が竜を狩る者(ドラゴンキラーズ)の件に及ぶと口を挟んだ。


「その名は、ワシらの間でも注目しておっての。魔竜に堕ちたとはいえ、あたら仲間が狩られて逝くのを見ているだけでよいのかと、一族でも議論しておったのじゃよ。これまで南の方で活動しておった奴らが、突然北へ向かって動き出したときは、ワシらも騒がしくなった」


 竜を狩る者(ドラゴンキラーズ)の動向は、同じ竜としては注目していたのだろう。だが、雲竜から感じる力の大きさは、奴らと比較しても引けを取らないどころか大きく越えている。一族というからには、雲竜の眷属は複数体存在するのだろうし、対抗できなかったわけではないはずだ。


「雲竜よ、なぜ竜を狩る者(ドラゴンキラーズ)の存在を知っていながら、倒さずに見ていたのだ?」


「そうだぞ! お前たちドラゴン族の怠惰のおかげで、魔王様は転生者(ゴミクズ)に襲われて、負傷なさったんだ!」


 レミアのやや的がずれた糾弾に対して、雲竜は渋面を作りながらも答えた。


「地上の出来事と関わりを絶って暮らしてきたという意味では、小娘……いやレミア・フェレスよ。お主にそれを怠惰と言われる筋合いはないのう」


「むう! ボクのご先祖様は――」


「魔王殿。聞けば貴方は、この星の起源より昔から在るそうですな」


 レミアがお得意の自慢話(ご先祖様英雄譚)を語り出そうとするのを無視して、雲竜は巨大な目を私に向けた。


「そうだ。星が生み出されるより以前から、私は神と共に在った」


「では、ワシらの祖先をご存知ですかな?地上においてもっとも巨大で、強大な力をもって栄えた竜の祖先を」


「魔物の祖先かどうかは知らぬが、地上にかつて、お前と似たような姿と大きさの生き物は存在した。だがあるとき、巨大な岩が宇宙――星の外から飛来して、海に落ちた。それが引き起こした津波と爆発によって、その生き物も含めて多くが絶滅し、星の生態系は一変した」


「まさしく、伝え聞いた通りのようですな……」


 私の答えを聞いた雲竜は、飛翔していた身体を休めるかのように、空中にふわりと制止した。気が付けば雲を飛び越えていた。見渡す限りの雲海がどこまでも白く広がっていた。陽光を反射して輝くそれは、私に天上の世界を彷彿させた。


 美しい――その一語に尽きる光景だった。


「魔王殿。岩の衝突の後、我が祖先は確かに絶滅したのですかな?」


「そうだ。ごく小さな個体は生き残ったが、お前のように巨大な身体を持ったものはいなくなった。海中にはしばらく存在していたが、岩の破片が空へ上がった後に降り注いだ毒の雨によって、海の生き物も激減した。食うものが無くなった彼らもまた個体数を維持できず、滅んでいったのだ」


 雲竜は、広大な雲の平原に降り立った。不思議なことに、それは軽く雲竜の体重を押し返した。


「降りてもらって構いませんぞ。なに、落ちたりはしません」


「……」


 さすがにこの高さから地上に落下すれば、無傷では済まないのではなかろうか。私はそっと、雲に足を付けた。不思議な弾力を感じ、意を決して降り立ってみれば、足が沈み込むこともなく、弾力のある地面のごとき雲が、私の体重を支えていた。


「わーい!」


 それを見ていたレミアが雲に突進した。


「むご!? わきゃああぁぁ…」


 なぜか、頭から雲に突っ込んだレミアは、そのまま通過して落ちていった。


「さて、魔王殿」


 レミアの悲鳴が聞こえなくなると、雲竜は雲の上に丸くなった。


「先ほどのお話のように、海中に生きていたものも含めて、竜の祖先は死滅したのですな?」


「そうだ」


「彼らの魂は、どこへ行ったのでしょうな」


「知らぬ。魂がどうという概念は、転生者が現れるまでは気にしたことがなかった」


 かの世界の神が、不幸な人間の魂を星に持ち込んでくるまでは、死んだ生き物の魂という存在がどうなったのかは、本当に知らなかった。


 この世界の神にしても、それをどうこうしている様子は見られなかったように思うが、姿を隠してしまったあの時、何かしていたのかもしれない。もしかすると、今も何かしているのかもしれないが、それを知るすべはない。


「ぷっはあー! おいドラゴン族! どうしてボクだけ雲に乗れないんだ!?」


 雲を突き破って、レミアが飛び出してきた。そして、雲竜にくってかかった。雲竜は欠伸をしてから、うるさそうに尻尾でそれを払いつつ、口を開いた。


「ワシらは竜族じゃ。魔力を宿したドラゴンどもと同列に扱うでない。それとな、この雲には心の清いものしか乗れんのよ。お主のような淫乱魔族には到底むりじゃろうて」


「なっ!? そうやって見かけだけで判断するなよな! ボクは! まだ魔王様と…その…」


「なんじゃ、お主魔王殿の側仕えをしながら、未だ手も付けてもらえなんだか? ふぉふぉふぉ…フェレスの血脈も宝の持ち腐れじゃのう…」


 雲竜の口が大きく裂け、笑い声と共に密に並んだ鋭い牙が顔を出した。人化していた時は無歯顎だったのに、不思議なことだ。


「きいいーっ! ドラゴンなんて不細工な生き物に、そんなこと言われる筋合い無いぞ! 魔王様はね! ボクをそういう目的でお側に置いてくれてるんじゃないんだからな! ね~?魔王様♡」


 空中でくるりと振り返って、レミアが私を見た。その目には期待の色が半分と、扇情的な色香が多分に含まれていたが、レミアをことさら擁護する理由もない。できれば雲竜とレミアの言い争いを手早く終えてもらいたい私は、正直な返答をした。


「側に置いた覚えもないが」


「そんな……魔王様……」


 尻尾と耳が垂れ下がり、へなへなとその場に崩れ落ちて、胸まで雲に沈んだレミアはしくしくと泣き出した。


「ううう……昨日の見事なまでのぶん投げっぷりといい、今日の扱いの雑さといい、どんどんボクの存在が貶められていく。もしやこれは、魔王様なりの教育なんだろうか? なら、そういうふうに調教されてしまった方がいっそ……ふふ……ふ……」


「雲竜一族に伝わる話と、それについてのワシの見解をお話ししてもよろしいかな」


 その目に暗い光を宿し、何事かを呟いて不気味に笑うようになったレミアを一瞥もせず、雲竜が話を再開した。




 宇宙から飛来した巨大な石によって、星の環境は一変した。


 星の空気に触れ、燃え盛りながら海面と衝突した石は、かつて大地殻変動をもたらしたアマンティア大火山の噴火に匹敵するほどの爆発を引き起こした。


 衝撃と熱風によって、爆心地沿岸の生き物は死滅した。


 次に襲ってきたのは、天頂に届かんばかりの大津波であった。現在はイスキリスと名付けられた大陸を含め、高山を除くすべての大地は津波にのまれた。驚くべき高さで発生した津波は、星を一周しても治まらず、爆心地から星の対極に位置した大陸ですら、その大半が水没した。


 しかし、辛うじて難を逃れた地上の生き物を襲う災厄は、これで終わりではなかった。


 爆散した隕石は、大量の塵を雲の高さを越えて星の周囲にまき散らした。それは毒の雨となって地上に降り注ぎ、植物を枯らし、大洋を汚染した。さらに追い打ちをかけるように、太陽の光が遮られ、日が差さなくなった星の気温は徐々に低下していった。


 数百年にわたって降り注いだ毒の雨と、灰塵が混じった空気のために、海も陸も空も、まともに生き物が暮らせる環境ではなくなった。


 小型で、巣穴に身を隠せるものや、寒暖の差に強かった毛皮をもつもの、あるいは深海にすむものはどうにか生き残り、星の回復と共に再び地上は生物であふれかえったが、巨大な竜のごとき生物は現れなかった。


「そこの淫魔も我らも、魔物とは人間という種が星に現れた結果として、地の底に眠る気より生まれたと聞いておりますじゃ。人間の悪しき感情が生み出した魔物の祖は、みな動物や人に近い形をしていたと。では人間たちの想像の範囲を超えた、竜族のような魔物はどうやって生み出されたのか――」


「竜に似た生き物の骨が、化石となって見つかった例もある。その姿を想像した人間もいるのではないか」


「確かに、それも一理でありましょうな。じゃが、雲竜に伝わる開祖の話は、少々違っておりましての」


 雲竜は、一息ついて声音を落とし、厳かな調子で語り出した。


「開祖は突然の熱波によって死してのち、無明の世界を歩いていた。かつて地上において、並ぶもののない巨躯と膂力をもって、生命体の王者として大地を踏みしめていた四肢の感覚はとうに無く、時間の経過すら把握できなくなって幾星霜――開祖は闇の中に、瞬く光を見出したという。光は、追えば離れ、離れればついて回り、止まっていればそこに留まった。摩訶不思議な光との鬼事にも飽きが差した頃になって、光は開祖に話しかけた。汝の魂を星の気と合わせ、新たな生を授けんと。開祖は気が付けば竜の身体と、天を操り、地を砕く新たな力をもって地上に在った」


 ほとんど呼吸を挟まずに語ると、右目を閉じ、左目だけで私を見た。


「どこかで聞いたような話ではありませんかな?」


「……転生者ども……か」


「左様。魔力とは異なるものの、竜の血族は、それに似た作用を持つ力を振るう。転生者を差し向けた神の仕業なら、魔力を持たせると思うのじゃが、そうはならなかったということは……」


「この世界の神が、汝らの祖を生み出したというのか……?」


「あくまで、私見ですがの。彼らはなぜか襲ってくる転生者と戦い、やがてより強い力を求めて魔をその身に取り込んだ竜族はドラゴン族と呼ばれ、ワシらのようにそれを拒んだ竜族とに分かれていったのですじゃ」


「ううむ……」


 かつて、人間と魔物が争うようになったばかりの頃、突然神は姿を消した。地表のどこを探しても見つけることはできなかったが、まさか核の近くに在って、強力な魔物を生み出していたというのか。


 いったい何のために?


 そもそも神の行動は、正直に言えばその動機が分からないものばかりだった。私を創ったこと自体がそうだ。


 私は記憶をたどり、神が一度星に戻った時のことを思い出していた。


 当時は私が起こした洪水のせいで、少々生態系が乱れ、魔物が増加していた。それを見てこの世界の神は悲しそうにしていたが、かの世界の神は逆の反応を示していた。


 これから成すことには都合がいいと。


 そして転生者に魔物を打倒する力――すなわち魔力を与えた。


 これでは、私が洪水を起こしたせいで、転生者が魔力を与えられたように思える。神がこれを予見していたとしたら、どうだろうか。


 地上に魔物が現れ、人間は弱いながらも必死に戦う。しかし突如起こった洪水によって、そのバランスが乱れ、地上には魔物の数が増え始める。


 そこへもって、かの世界の神が転生者を送り込む。

 

 私がSatan(セイタン)と名付けられ、転生者に敵対することも、竜族の一部が魔力を取り込んでドラゴン族と呼ばれ、やはり転生者と戦い続ける道を歩んでいるのも、全てが神の思し召しだとでもいうのか。


「兎にも角にも、我ら竜族は、魔を総べるお方を歓迎いたしますぞ。そろそろ仲間も帰って参ったようですじゃ」


 雲海の向こうから、身をくねらせて飛ぶたくさんの影が迫っていた。それは、おびただしい数の竜たちであった。


「我らはこれまで、汚らわしい魔力を嫌い、地上の出来事には関わらんとして暮らして参った。しかし魔物の性ですかのう。それはそれは、口惜しい決断であったのですじゃ…雲の上に居を定めてから今日まで、地上で蠢く転生者どもを、我らがどれほどの憎しみを込めて見ておったことか。中には血気に逸り、竜を狩る者(ドラゴンキラーズ)に殺されるものもどれだけあったか……」


 雲竜は後ろ足で立ち上がり、咆哮を上げた。まさしく、雷鳴が轟いたかのような轟音であった。


「我らは、待っていたのかもしれませぬ。我らを総べ、導く王の誕生を」


 純白の鱗が陽光を反射して輝き、その肢体をくねらせて、雲竜は空へ舞い上がった。空中でとぐろを巻いた背後に、数百匹の竜たちが到着した。


「魔王殿。我ら竜の眷属すべて、貴殿の戦に参戦を所望いたす!」


 背後の竜たちをも巻き込んで、再び轟いた咆哮の嵐を前に、私は少しだけたじろいだ。


「魔王殿……返答いかに?」


「……」


 魔物の王になる気などさらさらないが、私を凌駕するほどの力を持つ転生者が存在する可能性が否定できない以上、戦力はいくらあっても困ることはあるまい。


 転生者を絶滅させたのち、生き残った魔物をどうするのか、原住民たちは彼らをどう扱うのか。そんなことは、害獣共を消し去ってから考えればいいのだ。


 私は笑い、雲竜を見据えて言った。


「……好きにするがいい」


 三度、竜の咆哮が空を覆った。




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