4.雲竜 前編
ダイチは、アスカの残滓を右手握り込み、何事か呟いていた。やがて、その手に大量の魔力が渦巻き、収束していく。
二匹は夫婦だったのかもしれない。ダイチの肩が震え、嗚咽こそ漏らさないものの、地面の焦げ跡を見て泣いているのがわかった。怒りや悲しみのために、冷静さを失った経験は私にもある。
――くだらん。
私は口にこそ出さなかったものの、唾でも吐き捨てたい思いだった。
同朋の死を悼み、数秒とはいえ戦いを忘れて膝をつくほどに動揺するとは。
お前たちは、害獣であるはずだ。突然星に現れ、暴れ回り、星を汚す。この星に暮らす原住民のような清い心など持ち合わせていない、姿かたちが人間のそれというだけの、汚らわしい害獣であるべきなのだ。
悪鬼のごとき形相で、私を睨むダイチが立ち上がり、私に右手を向けた。汚らわしい魔力がそこに渦巻いている。
そう。それでいいと私は笑った。
害獣ごときが人間らしい、いや人間のような感情を持つことなど許されぬ。
一瞬、私と目が合ったダイチの動きが止まった。私はその頭上に、輝く光弾を叩き落とした。
穢れた沼の底に淀むヘドロのごとき存在よ。この星に一片の残滓も残さず、ただ消えよ。
仲良く地面の煤となったダイチとアスカ。
戦いから数時間が経過し、夜も白み始めた頃になって、ようやく地面の熱も引き、風が煤を拭き散らしていった。
私は確かな疲労を感じ、座り込んでいた。
アスカが死んだことに打ちひしがれ、ダイチが何やらブツブツと呟きながら膝を付いていてくれたおかげで、同じ方法を用いて殺すことができた。
防御を捨てて右手に魔力を集中させていたために、ダイチは一瞬にして光弾の熱に飲み込まれ、焼失した。
竜を狩る者の二匹は、これまで遭遇した転生者の中で最も強力であったことは間違いない。彼らの慢心や心の乱れが無ければ、私は敗北していたかもしれない。
魔力とは、実に恐ろしい。私は思わず天を仰いだ。むろん、神を想ってのことではない。
天に在ったときならいざ知らず、堕ちた私の力の総量を越える個体が存在する可能性も十分にあり得る。
ダイチとアスカの会話に出た『特級』あるいは『百老』といった存在が、今後私に差し向けられることになるのだろう。
私自身も、力の操り方を工夫して対策を講じておきたいが、相手の能力が不明な状況ではそれも難しい。今回のように偶然を利用した戦いでは、志半ばで倒されてしまう可能性も十分にある。
さらには、足黒蛭のような武器の存在も脅威と言えよう。
私は、煤の中から足黒蛭を拾い上げた。
いや、拾い上げたというと語弊がある。アスカがやったように、銘を声に出すと発動する可能性があり、当然私は言葉を発していない。柄を握るなどの行為も危ぶまれる。刃部に至ってはなおのことだ。そこで私は、鍔の部分をそっと指先でつまみ上げた。転生者が使う刃物の重さの基準などわからないが、アスカが言ったように、非常に軽い小刀だった。
それにしても、二度も超高熱に晒されたにも関わらず、その刀身は輝きを失っておらず、柄や鍔に施された装飾ですら傷一つ見当たらない。
一見するとただの鉄の刃と木の柄に見えるのだが、それならば光弾の熱で変形するなり燃えるなりするはずだ。これは、いったいどういう素材で造られているのだろうか。
情報が欲しい。
過去に倒してきた害獣共と違い、竜を狩る者には尋問などしている余裕はなかった。
これまで戦ってきた転生者と、一線を隔すなどという範囲を大きく越えた力を持っていたダイチとアスカ。
この二匹と、通常の転生者との違いは何か。
あまりにも桁が違う魔力はいかにしてもたらされたのだろうか。
どこかで弱い転生者を探して、情報を得られないだろうか。
あるいはルドルフのように、原住民に協力を求めるか。
ルドルフのおかげで、放っておいても転生者が私を目指して戦いを挑んでくる舞台は出来上がっている。だが、竜を狩る者レベルの転生者が四人いれば、今の私では太刀打ちできまい――。
「魔王様……」
「?」
思索にふけっていると、レミアが遠慮がちに話しかけてきた。
「あの、人間たちが……」
「うむ?」
喧騒が去り、戦いの終わりを悟ったのだろう。先ほど蜘蛛の子を散らすように逃げていった村人たちが、破壊を免れた家屋の影からこちらを伺っていた。
彼らにしてみれば、私とレミアは魔王と魔物だ。
中身は人外の化け物であるが、原住民にとって魔物を狩る転生者たちは、たとえ暴虐の限りを尽くす者であったとしても、魔物から星を救わんと働く英雄なのだ。その転生者を殺して歩く私や、そもそも魔物であるレミアは忌み嫌われる存在であろう。一部始終を見ていたかは分からないが、少なくとも私とレミアは生き残り、転生者の姿はない。
この状況で私たちを相手に戦いを挑むことはなかろうが、あまり忌避されるのも気分のいいものではない。
「レミア、行くぞ」
「は、はい!」
私は立ちあがり、レミアを伴って歩き出した。村人たちはしばらく遠巻きに見ていたが、やがて残骸の片づけなどを始めていた。
私とレミアは、山を目指して歩いていた。
平原は朝日に照らされて、吹く風が心地よい草の香りを運んできた。村の一部は魔力を浴びてしまったが、一時的な暴露であれば、作物や家畜にはほとんど影響はあるまい。
「――まったく、人間共の顔を見ましたか!? 魔王様に転生者を二匹も始末していただいたというのに、礼の一つもないばかりか、あんな化け物でも見るような視線を送るなんて!!」
レミアは私の隣を歩きながら、拳をぶんぶんと振って憤慨していた。
「ボクのご先祖さま達だって、苦労してごはんが減らないようになさっていたのに! あいつらときたら――」
「レミア。人間とはそういう生き物なのだ。力を持たぬ彼らは、弱さゆえに群れる。そしてその群に属さぬ者を排斥することで、群の安全を維持してきたのだ。彼らにとっては、星の汚染を食い止めることよりも、魔物の脅威から身を守ってくれる存在の方が大事なのだ」
神が創った最初の人間など、とうの昔に死んでいる。転生者を狩るのに邪魔にならなければ、私と直接かかわりのない原住民がどのような態度を取ろうと眼中にないというのが、正直なところだ。
「そういえば魔王様……その小刀をどうなさるんですか?」
私はいまだに、鍔の部分をつまんだままで足黒蛭を持ち歩いていた。魔力に限らず、私の力まで吸収してしまうこの小刀に、少なからぬ興味があった。武器としてではなく、別の使い道も考えたのだ。
それは魔力の吸収すなわち、汚染の除去である。
吸収能力の発動と停止に関わる条件や、吸収できる力の総量など解明しなければならない事項がいくつかあるが、転生者が居なくなれば、すぐに魔力に汚染された星がもとに戻るわけでもない。足黒蛭の存在は、星を本当の意味で救う作業の足掛かりになろう。
「これはな――」
「お待ちなされ」
「!?」
レミアに足黒蛭の能力と使い道について説明しようと、歩みを止めた時だった。
私たちの背後に小さな旋風が巻き起こり、その中から老人の声が聞こえた。
振り返るとそこにいたのは、茶色のローブを纏い、麻の腰紐を巻いた老人だった。身長は私と同じくらいあるが、ひどく痩せて、こけ落ちた頬と落ち窪んだ目に深い影が差していた。長く伸びた白い眉が無ければ、骸骨が話しかけてきたのではと思わせるほど、老人の顔には生気というものが感じられなかった。
「魔物を連れたお方……」
下顔面に亀裂が入ったかのように見えたが、それは口が動いた証であった。口中には歯がなく、上下の口唇の隙間から赤い肉が見え隠れしていた。
「うはあ……どっちが魔物だよ……」
私の後ろから顔だけ出したレミアが呟いたが、それを無視したのか聞こえていないのか、老人は言葉を続けた。
「竜を狩る者を殺したんですな……?」
枯れているのを通り越して、朽ちているのではないかというほど細く、黒くなった指先で、村の方を差しながら問われ、私は「そうだ」と答えた。隠す必要もない。
「彼らは貴方を魔王と呼んでいましたな。そしてお連れの魔物もそのように呼んでいる……貴方は、魔王なのですかな?」
「さあな。人間たちは、私をそう呼ぶことに決めたようだ」
「ほうほう……」
何が嬉しいのか、老人の中顔面の皺が深くなり、くしゃくしゃの笑顔が浮かんだ。
「わっ! 顎と鼻がくっつきそう……」
それを見たレミアは、耳をぺたりと折りたたんで私の背中に隠れた。
「では、魔王殿。自己紹介が遅れましたな。ワシは雲竜と申します」
「ええっ!!」
声を上げたのはレミアであった。彼女は私の後ろから飛び出し、老人―雲竜との間に割って入った。
「汚らわしいドラゴン族が! 魔王様に何の用だ!?」
雲竜の顔面に右手の人差指を突き付け、レミアが声を張り上げた。
「汚らわしいとは、ずいぶんな言いようじゃのぅ……雌犬の子孫の分際で」
「んな! ボクは誇り高き純血の――」
「その辺のホコリでも叩いておれ、淫魔めが」
「い、淫……!? ボクは、そんなエッチな女じゃない!」
「とにかく、どいておれ。ワシは魔王殿に話があるんじゃ」
雲竜は朽ちかけた枝のような手でレミアの顔を鷲掴みにし、脇へどかそうとした。レミアがそれをつぶさんばかりに力を込めて握り、顔から引きはがした。
「魔王様! 話など聞いてはなりません! ドラゴン族の中でも、雲竜といえば曲者中の曲者! かつて、魔力をその身に宿して魔竜と化した火竜や雷竜と袂を分かち、雲の上に住処を求めた一族です! 純血の魔族がいくら協力を頼んでもまったく答えず、この星の空を飛び回っては遊び半分に災厄を振りまくような、不埒な連中なのです!」
それを聞いた雲竜は、またもくしゃくしゃに顔を歪めて笑った。
「ふぉふぉふぉ。過分な紹介を頂いて光栄じゃのう」
雲竜は、ドラゴン族という魔物の類らしい。二人のやり取りに、今度は私が割って入った。
「魔力を宿していない魔物であるというのなら、話を聞こう」
「魔王様!?」
レミアが目を大きく開いて抗議の声を上げたが、私はそれを手で制した。雲竜からは、ただならない気配を感じる。しかも、声をかけられるまで、背後の雲竜の存在に気付かなかったのだ。後ろをついて来ていたのか、空から降ってきたのかわからないが、油断ならない相手であることは間違いあるまい。魔力をもって挑んでくるものは殺すが、魔力を持たず、対話が目的というのならまずは聞いてみるべきだろう。
「魔王殿は、話の分かるお方のようじゃ……ほれ、どいておれ」
レミアに握られたままだった腕を払い、雲竜が一歩下がった。
「立ち話もなんですからな。我が庵へお越し願えますかな?」
「それはどこにあるのだ」
「ふぉふぉふぉ。古来より、雲竜の住処は雲の上と決まっておりますじゃ」
愉快そうに雲竜は言ったが、またしてもレミアが声を荒らげた。
「ふざけるな! 雲の上に住処なんか作れるわけがないじゃないか!」
「浅学の魔族の小娘が……そろそろ黙らんと、痛い目をみるぞ……」
雲竜の落ち窪んだ目に光が宿った。その身体から、見たことのない力の波動が湧き上がってくるのを感じると同時に、空が光った。数秒遅れて雷鳴が轟き、空が暗くなった。
「うひゃあああ!」
にわかに掻き曇った空から稲妻がレミアの側に落ちた。空を引き裂く轟音とともに、大地が抉られ、飛び退いたレミアは私にすがって震えていた。
「魔王様……血の」
「断る」
「うううう……血の盟約さえ果たされれば雷ごとき……」
「雲竜とやら、庵への招待を受けよう」
「ふぉふぉふぉ。恐悦ですじゃ」
雲を呼び、嵐を呼んだ雲竜がパチリと指を鳴らすと、空は一瞬にして晴れ渡った。自然現象を操る類の力をこうも易々と使って見せるとは、この竜という存在は本当に侮れない。
「では、少々ホコリが出ますぞ」
言うが早いか、雲竜の身体から再び力の奔流が巻き起こり、爆発したような風が起こった。
「では、魔王殿、小娘、ついて参られよ」
吹き飛ばされた土埃の中から現れたのは、巨大な白竜であった。
老人≠百老でがっかりした方は、第三章までお待ちいただければ幸いです。




