9.四面楚歌
転生者殺しの手によって、ベルの町に向かった転生者二百人ほどが壊滅させられたとの報は、命からがら逃げかえった転生者によって魔法都市レザイアに届けられた。魔法騎士団の一個小隊の全滅とそれを率いたイシオカの死も。
レザイアのギルドでは緊急討伐依頼が作成され、その膨大な魔力の使用量のせいで、王都ギルド直通の一基を残して、普段は停止している転移魔法陣の全てが解放された。
ベルのギルド長が作成した『魔王出現に関する第一次報告』を携え、すぐさま王都ギルドへ使者が飛んだ。
同時に己の力を高めることにのみ心血を注ぐため、イスキリス大陸に散って行った転生者たちやその他の力ある転生者へ向けて、ありとあらゆる探索、情報伝達手段を用いて同様の報告書が届けられ、招集がかけられた。
北。
贅を尽くした内装が施された、王都でも一二を争う高級なサロンにおいて、退屈嫌いの王をして、一見さんお断りと言ってのけるその門をくぐることのできる人物は限られている。
サロンの一室で、星の中でもっとも広大な陸地面積を誇るイスキリス大陸を統治する王族ですら、滅多に口にできない食材が惜しげもなく盛られた銀製の皿から、天女の羽衣を思わせる薄布一枚で豊満な肉体を申し訳程度に隠した女が、熟れた果実を手に取り、膝の上に頭を乗せた男の口元にそれを運んだ。
無言でそれを美女の指ごと口に含み、しばらく舌で弄んだ男が、実につまらなそうに読んでいる書類の冒頭には『魔王出現に関する第一次報告』と書かれていた。
「ずいぶんとつまらなそうね?」
男の唾液と果実の汁に濡れた指を、今度は自らの桃色の唇に含んだ女が、見たままの感想を述べると、男は分厚い書類の束を放り投げた。
とっくの昔に絶滅し、現存する生命体ではどのような魔力加工を施しても太刀打ちできない毛の柔らかさを備えた、極上の毛皮の上で寝そべったままの男が放り投げたそれは、ヴォン!と空気を震わせて、突如虚空に出現した黒い球体に吸い込まれた。黒い球体が、今度は音もなく消滅して部屋は静けさを取り戻したが、静寂を破ったのは男の呟きだった。
「……そうでもねえさ」
「まあ、怖い」
口角を釣り上げた男の、傷跡だらけの顔を見て、女がこれまた見たままの感想を述べた。笑顔を怖いと言われた男はわずかに眉をしかめたが、女は気にするどころか妖艶に微笑んで、短く刈り込まれた男の金髪頭を撫でた。男は黙って女の顔を引き寄せ、先ほどの果汁の香りが漂う肉厚の唇と舌を存分に味わった。
南東。
イスキリス大陸を南北に別つルブサーク山脈の、ちょうど真ん中に位置するアマンティア大火山は活火山である。
しかし、現在のところマグマ溜まりは下降しており、当面は噴火の心配はない。といっても、過去にアマンティアが噴火を起こしたのは、この星の人類がそう名前を付けるはるか以前、まだイスキリスが海底だった頃の話だ。
つまるところアマンティアの噴火とは、天災のレベルを越えて、この星が大規模な地殻変動を起こすことを意味するわけだから、イスキリスに暮らす者たちだけでなく、他の大陸国家にとっても、アマンティアの火山活動は注目に値する。
そんなアマンティア大火山の、火口と呼ぶには面積が広すぎる窪地に点在する町の一つにパンペイはある。
そのような土地柄、地震に敏感な町の原住民たちが、僅かな地面の揺れと地鳴りのようなズズズ…という音を聞きつけて家々から飛び出した。彼らが目にしたのは、少年と少女の二人組だった。
小柄な少女のどこにそんな力があるのかと、町の原住民は目を疑ってしまった。刃部だけでも少女の体躯の倍はあろうかという大戦斧を片手で担ぎ、反対の手で家一軒ほどの大きさの魔物を引きずって歩いていた。彼女が歩くたび、わずかだが地面が揺れていた。
彼女が引きずっているのは、火口の中心にぽっかりと空いた穴から入る、地下洞窟と呼ぶにはあまりに長大かつ複雑に迷路化した迷宮の主と呼ばれた魔物で、名だたる転生者やその子孫たちが、挑んでは敗れていった魔竜『デイダラ』である。
少年の方は、重そうな物こそ所持していないものの、白に近い髪と左右非対称の色を湛えた瞳が特徴的ではあった。そして何よりも、周囲に向けて無遠慮に発散される殺気の籠った魔力が、巨大な魔竜を引きずる少女よりも、近寄りがたい雰囲気を作り出していた。
「あーっと…」
少年が口を開き、原住民たちに向かって何かを言おうと視線を巡らせたが、彼らは瞬時に家屋に引っ込んでしまった。さらに一斉に施錠までした音を聞きつけ、少年は蹲って泣き出した。
その肩をぽんぽんと叩き、やさしげな視線を送っていた黒髪の少女であったが、直前に手放した大戦斧が地面に触れた際に発生した轟音と、土煙を背景にしているため、まったく微笑ましい光景ではなくなっていた。
そんな二人に向かって、高速で迫るものがあった。上空から急接近してくる、魔力を纏った存在に反応して少女が戦斧を構えたが、少年がそれを制した。
「あれは…緊急魔鳥だ。レザイアで何かあったんじゃないか?」
緊急招集と魔王出現の報を受け取った二人組は、魔竜の死体を放り出して駆け出した。
恐ろしい存在が去った後パンペイの原住民は、魔竜の存在でもって一大観光イベントを企画した。しかし、イスキリス全土がこの後観光どころではなくなることを、彼らはまだ知らなかった。
南。
イスキリス大陸の南方は星の赤道直下ということもあり、温暖である。イスキリスを治める王は存在するものの、大陸を別つルブサーク山脈の存在によって、実質南方には実効支配が及んでおらず、南方に暮らす者たちは蛮族と呼ばれて忌避されている。
それに対する意趣返しなのか、南方に暮らす転生者とその子孫たちは、度々北部へ現れては、王族の墓を荒らしたり、レザイアで作られた魔道具の略奪を繰り返し、より南北の関係を悪化させてきた。
それでも南北で戦争が起こらないのは、ひとえに蛮族と呼ばれる彼らの戦闘力が高いことにその所以があると、北に住む人々の大多数が思っている。イスキリスの王が、南方に住まう者たちの力を危険視していることは間違いない。しかし正確には、北に住む人々が蛮族と呼ぶ者たちと、王が恐れる南の戦力は別ものだ。
手付かずのジャングルでは、魔物よりも独自の進化を遂げた動物たちの方が時として脅威となるが、さらにやっかいなものも生息している。それは、魔獣と呼ばれる存在だった。
転生者の肉を喰らって魔力を手に入れた魔獣は、生来の能力に魔力を上乗せして襲い掛かってくる。人間と、猛獣と呼ばれる類の動物を生身で戦わせれば、その勝敗は明らかであろう。パワー、スピードどれをとっても敵うものはない。同じレベルの身体強化では、魔獣に軍配が上がるのは自明の理だ。
そうして殺した転生者を喰らって、さらに強力になった魔獣に対抗するために、蛮族の先人たちがある非常手段に打って出た。
それは、殺した魔獣の肉を喰らうことだった。
魔力を大量に帯びた上に変質した肉など喰らえば、身体にどんな変化が起こるか分かったものではない。しかし、人外の膂力と魔力を備えた転生者をして、魔獣とは五分以下の勝負にしかならず、せっかく転生した命をあたら散らしてなるものかと、文字通り死に者狂いになった彼らは、それを実行に移した。
百人ほどが挑戦し、五割の転生者は死亡した。
残りの半分のうち九割方は、死にこそしなかったと言うだけで、戦いの役には立たない身体になった。
全体からすればわずかに五分、生き残った転生者たちは、文字通り人外の力を手に入れた。それらを十全に振るい、南方の蛮族の頂点に立った集団が居る。
自らを獣人族と称する彼らは、トレジャーハントなど行わない。ただただ野生の動物のように、狩りを行い、獲物を喰らい、発情すれば子作りをする。彼らを中心に築かれた野生の王国とも言うべき集落の名はロンゴロンゴ。ジャングルの最奥、樹齢数万年の大樹の枝葉を利用して造られたのは、雨期になると氾濫する大河川の水を避けるためである。
獣人族は南方の王を名乗り、ただの転生者や子孫たちを蔑視して北の干渉を拒んできたが、ことはイスキリス全体の転生者に関係する魔王出現だ。王にとっては苦渋の決断だったが、現代最強と目される獣人族の王の元にも、魔王出現の報は届けられた。
北方の人間がいくら死のうと、獣の王たる彼の知ったことではないが、純粋に強者との戦いを好む転生者の習性は、彼もしっかりと受け継いでいた。
牙を剝き出しにして唸る姿は、まさしく百獣の王。金色の鬣を揺らして、王は出陣を宣言した。
西。
魔力という新たな力を授けられた転生者の中には、レザイアの技師たちのように争いを好まない者もいた。彼らの子孫にしても、何も全員が魔物狩りに勤しんでいるわけでもない。魔力を垂れ流して星を汚染する以外には、通常の人間すなわち原住民と変わらぬ暮らしをしている者も少なからず存在している。
彼らが多く暮らす都市や集落にも、魔王出現の報は届けられた。
王都から西へ早馬を乗り継いで四週間、辺境の田舎であるハイディという村に、ようやくたどり着いた使者がいの一番に面会を希望したのは、選挙によって選ばれた若い村長ではなく、齢百歳は軽く超えていると目される老人であった。
使者が恐る恐る差し出した密書は、一般的な都市や村に届けられたものとは押印が異なっており、それは王都にあって王よりも位が高い人物が、この老人に宛ててしたためたものであることを示していた。
長い年月をかけて、イスキリスに王国を築き上げた一族の末裔が現在の王である。これは、正しい。
王国の礎を築いた過去の転生者たち、すなわち最初の転生者たちは、表向きは偉業を成し遂げ、天寿を全うしたことになっていた。そしてそれは概ね正しい。だが例外がある。
『百老』
そう呼ばれる彼らは、魔力を探求していく過程で、限りなくその老いを遅らせる術を編み出していた。かつては百人存在したが、現在も生き残っているのはたったの四人である。
数万年という長きにわたり、世界を歩き旅する者。王都にあって国政を見守る者。霊山に籠り、新たな魔術の開発に心血を注ぐ者。そして、自分たちの魂を救い、新天地へ導いた神を崇める宗教の開祖となった者。
王都の百老から送られた密書を最初に受け取ったのが、この辺境の村において布教の指揮を執っていた老人である。
「ほほ…魔王とはのう」
皺なのか口なのかわからない部分を歪ませて、老人は笑った。
「ところでご使者殿…?顔色が悪いが大丈夫かの?」
「い、いいえ!自分は問題ありません!開祖様!」
ガーディアン達が村の住民を虐殺していく光景に顔を青ざめさせている使者の様子を見て、開祖と呼ばれた老人がさらに目を細めた。
「どれ、この頃ど~も不信心な若者が増えてきたようだしの。老骨に鞭打って、はせ参じるとしようか」
老人が、ガーディアン達が積み上げていく死体の山に向かって、使者の躯を蹴り飛ばした。
「民心を集めるにも、魔王討伐はちょうどよさそうだわい」
顔中の皺を歪ませて、老人は邪悪な笑みを浮かべていた。




