006
ネクロイドを排除しながら、スラムの住民に目撃情報がないか尋ねまわっていると、背後から怒声が飛んできた。
「おいこら亡霊! 俺と勝負しろ!!」
「何だよ、追いかけてきたのか」
ちっ、と舌打ちながら、ナナイは先ほどの変態を一瞥する。
かなりの距離を走らせたので撒けたと思っていたのだが、どうやら追跡してきたらしい。しつこい男だ。
「マゾな上にストーカーですか……その熱意、もっと別のところに生かせばいいのに。ホントに残念な人ですねー」
肩を竦めながら、シャルルは呆れ果てた様子で毒を吐く。
二つのレッテルを貼り付けられたエルサリオンは、眉と目尻を吊り上げながら銀髪の少女に食って掛かる。
「マゾでもストーカーでもねぇよ! いい加減なことぬかすな、まな板!!」
「まっ……!?」
「あ」
滅びの言葉を。
「…………う、うふ。うふふ、うふふふふふふー……っ」
そう思うも時すでに遅く、シャルルは俯きながら不気味な笑みを顔に貼り付ける。怒りのあまり、こめかみ付近に血管が浮き上がっていた。
「変態さん、あなたは女性に対する三大禁句事項を知らないようですね……」
「あ?」
「一つは年齢、一つは体重……そして最後の一つは体型ですっ!! だーれがまな板絶壁水平線胸ですかぁ!? 二次性徴中の思春期真っ盛りなレディに、とんだセクハラ発言かましてくれましたね!!」
いや、絶壁と水平線は言っていない。
一応ツッコミをいれるが、怒りを爆発させた彼女の耳には届かなかった。
シャルルは怒髪天を突く勢いでまくしたて、電子ウィンドウを開く。ぱっちりとした可愛らしい瞳は、怒りのあまり爛々と輝いている。
「わたしの胸はこれから、すくすくと成長する予定なんです! あんまり舐めたこと言うなら、その股間に取り付けられた銃を、永久的に強制ロックしますよ!!」
「お前のほうがとんでもねーこと言ってんじゃねぇか!?」
シャルルの発言に青褪めながら、茶髪のハーフエルフはあとずさった。ちなみに彼の胸元に収まっているモカも、ブルブルと体を震わせている。
彼女の目は本気だった。本気で男から尊厳を奪おうとしていた。
まぁナナイには無縁のことだし、彼女のコンプレックスを見事に抉ってきたのだから、半ば自業自得だ。このまま変態が不能になっても構わないのだが、しかしこんなアホに時間を割くのも惜しいような気がする。
とりあえず、「こらこら」と肩を叩きながら引き止めることにした。
「シャルル、それについては後にしなさい。今は仕事が第一優先だろ」
「で、でもっ!」
「まずは職務を、きちんと果たす。それが働く者としての常識だよ」
「うっ……はい、分かりました」
シャルルはシュン……と、落ち込みながらウィンドウを閉じる。
しかしすぐさま、エルサリオンを敵愾心剥き出しで睨みつける。
「HCの記憶力は抜群ですよ、ずっと覚えておきますから。そして絶対……不能にしてやる」
普段はソプラノであるはずの声音が、地を這うような低音で発せられた。
そう大きくはないはずなのに、彼女の言葉はとてもよく聞こえた。内容が内容なだけあり、その場にいたほとんどの人間が顔を青くして、シャルルから顔を逸らした。股間を守るように押さえながら。
対して、不能にする宣言を受けた当人は、なぜか唖然とした顔をナナイへと向けていた。
「何だよ、その顔は。せっかく助けてやったてのに」
「…………落ちたもんだな」
「は?」
唐突に、男の顔に失望が浮かぶ。
「シャルル、やっぱ今すぐやっちまえ」
「はーい!」
イラッと来たナナイは、前言を翻す。
「待て待て! それは冗談抜きで止めろ!!」
「知るか。不能になれ、ついでにもげろ」
両手を前に出して制止をかけようとする馬鹿に、ナナイは吐き捨てる。
人がせっかく止めてやったというのに、なぜ見下されるような言動を投げかけられなければいけないのか、理解不能だ。そして非常にムカつく。
「仕方ないだろ! あの『亡霊』が、いくつもの戦争で大活躍した傭兵が、国の下僕みたいな状態になって、そこに甘んじてんだからよ!! おかしいだろうが!」
「いや、依頼なら基本的に誰からのでも受けるけど。……それにおかしくはないだろ? 傭兵は皆、雇い主の狗みたいなもんなんだから」
思わず失笑が洩れる。
「傭兵も何でも屋も同じ。報酬と引き換えに、一時的に首輪を掛けられて飼われる猟犬さ。役目を負ったなら、ご主人様のために働くのが狗として当然のことだろ? ……お前だってさ、戦いの快楽と引き換えに何度も下僕になってきただろうが。そうだろ?」
「……まぁな」
エルサリオンは渋々と言った様子で肯定する。
「気に入らない奴が主人なら、喉首を噛み千切ってやるけどよ」
肉食獣じみた獰猛な笑みを浮かべて、そう続けたが。
ナナイも、口端だけを吊り上げ酷薄に微笑んでみせる。
「僕は今のところ、今雇ってくれてるご主人に文句はないんだ。だから大人しく、首輪を受け入れてるわけ。分かる?」
飼い犬の何が悪いのか。
野良犬であることは本当に良いことなのか。
視線で、問いかける。
すると彼はしばし考え込んだ後、頭を下げた。
「……今のは悪かった、すまねぇ」
すんなり謝罪してきたので、ちょっと驚いた。
だが表情を取り繕い、飄々とした顔で述べておく。
「理解してもらえたなら良いよ。……そういうわけだから、今お前を構ってる暇はない。そっちこそ仕事を探したら?」
「…………」
言外に失せろと言ったのだが、エルサリオンはそれについて理解出来たのだろうか。唇に指を当て、俯きながら思案していた。
しばらくすると、名案が浮かんだとばかりにニヤリと笑う。
「なら、協力してやる」
「…………は?」
「仕事で忙しいんってんなら、仕事がなくなれば俺と戦う時間が出来るだろ。手伝ってやる代わりに、その後で俺と勝負しろ」
言い含んだ言葉は、この馬鹿には分からなかったらしい。
どうしようか、と視線をシャルルに向けて相談する。彼女はブンブンとツインテールが舞うくらい、勢い良く首を横に振った。全面拒否らしい。
「多分、お前の協力なんてなくても平気なんだけど」
「そうか? 俺がいたほうがラク出来るぜ?」
自信満々に告げると、彼は唇をすぼめて口笛を吹く。
舌を小刻みに震わせているのか、音色に節がついている。時折混ぜられる発生の意味は理解できなかったが、歌のような響きを持っていた。
この特殊な音色……何だか、知っている気がする。
ナナイは眉を寄せながら、男の口笛に注意を払う。
すると口笛に呼応するように、彼の周囲に閃光が迸った。光は幾何学系を描き、彼の回りに風が巻き起こる。
一陣の風が刃の如く、頭上の建物目掛けて飛ぶ。
窓の割れる音と、何かを切断する音がした。窓から、大きめの何かが落ちてくる。エルサリオンは落下物をキャッチし、差し出してくる。
「ほらよ」
「え、何ですか一体……きゃっ!?」
差し出された物体を確認したシャルルは、驚いて悲鳴を上げた。
それは頭部だった。生々しい断面図から、血は滴ってこない。初めから血の気を失っているのか、病的に肌が白かった。
「GUYA……GU……」
胴体から切り離されているにも関わらず、生首は歯を剥いて呻く。……間違いなく、ネクロイドだ。
ナナイは首に付いているアダプタからクラッキングし、ウイルスを滅する。動かなくなるのを確認すると、エルサリオンは生首を放り捨てた。
「どうだ?」
「成る程……エルフの、亜人の血を引いてるだけのことはあるね。精霊術の腕には自身ありってことか」
ナナイは得心し、喧しい変態という男への評価を改める。
精霊術はエルフを代表する亜人が使う魔術だ。大自然から直接力を得て扱う元素魔術とは違い、精霊の力を借りて発動させる。歌や踊りなどで精霊を楽しませ、その対価として術を発動させるのだ。癖はあるが、その分強力らしい。
そういえば、巡視がエルサリオンは妙な術を使うと言っていた。それはおそらく、精霊術のことだったのだろう。なら、ナナイたちの後を追うことが出来たのも、精霊のおかげか。
「でもグラナードの土地に、精霊が生まれるだけの魔力なんてあるっけ?」
首を傾げていると、彼の耳を飾るピアスの宝石に目がいった。
それは普通の宝石とは違う、妖しい輝きを帯びている。宝石の中で、クスクスと人ならざる何かの笑い声がした。
「精霊石……」
ポツリと、唇からその石の名が自然と出て来る。
魔力を帯びた宝石の中でも一際珍しい、精霊を宿した特殊な魔石だ。よく見れば彼が身につけた装飾品の飾りは、精霊石で出来ている。多分これを媒体にして、術を発動させているのだろう。
「でもこれってかなり希少だよね。こんなに沢山どうやって」
と言っていると、彼はパチクリと琥珀の目を瞬かせていた。
『ナナイ、アドニスの子?』
モカがテレパシーでそう尋ねてくる。
アドニスというのはグラナードと対照的に魔力に富んだ土地を持つ、魔術大国だ。剣や弓といった昔ながらの武器が主流で。科学の技術力は劣る。だがその分、魔武器や魔道具など魔術に関する力と知識はずば抜けている。
その国の出身者なのか、と聞かれて、ナナイは眉間に皺を寄せる。
「何でそう思う?」
『だって、物知り』
子ネズミの言葉に、エルサリオンが深く頷いた。
「随分と魔術に詳しいんだな。疎いだろうと思って、驚かすために精霊術を披露したんだがなぁ。まさかすぐ理解するとは思わんかった」
「……色んな国を渡ったりしてるからね。本や人伝で知っただけのことさ」
そう誤魔化すと、一人と一匹は「ふぅん」と適当な相槌を打つ。
「それで、どうする?」
「……分かった。力を借りよう」
「ナナイさぁん!?」
前言を翻したナナイに、シャルルが信じられないっと言った様子で叫んだ。
そんな彼女の耳元に顔を寄せ、囁き声で説明する。
「どうせ断ったって、あの変態は尾行してくるよ。風の精霊を使えば、僕らの居場所なんてすぐ突き止められるだろうからね」
「あぁ、確かに」
納得げな彼女に、ナナイはさらに畳み掛ける。
「それを撒こうと逃げまくるよりは、隣に置いてネクロイド駆除の手伝いさせた方が好都合だろ?」
「…………それもそうですね」
再び、納得を意味する呟き。
HCは計算が得意だ。それには勿論、損得勘定も当てはまる。
「分かりました。思いっきり酷使してやります! 覚悟してくださいね!!」
「へいへい」
指を突きつけながら告げるシャルルに、エルサリオンはニヤニヤと薄ら笑いを浮かべて返事する。
『どうして、こうなった?』
彼の自称相棒である小さなスナネズミが、つぶらな瞳をパチクリさせる。
モカの呟きは全くもって同感だが、どうしてだかこうなってしまったのだ。どうしようもない。
道中に連れを一人と一匹増やし、作業を再開する。
モカが言っていた通り、エルサリオンは戦闘狂だった。ネクロイドを発見するや否や、腰の刀を抜き取り真っ先に切りかかったくらいに。
これには初め、シャルルが「勝手なことしないで下さい」と文句を言っていた。が、次第に何を言っても無駄だと諦めて行動を咎めることを止めた。どれだけ口を酸っぱくしても、鼓膜を素通りして覚えないのだから、喚いたところで疲れるだけというものだ。
しかし、彼を引き込んだのは正解だったと思う。
彼は刀を使うために敵を容易く細切れにするし、精霊術で体を焼き払い次々と倒していく。おかげでかなり短時間に、今いるスラム地区のネクロイドを排除することが出来た。
「ホントにラク出来たね」
「うぅっ……認めません、わたしは認めませんよぉー!」
まな板と言われたことを根に持っているのか、シャルルは子供が意地を張っているときみたく、小さく叫ぶ。
そんな意気地にならなくても、と肩を竦めながら苦笑する。能力の高さ自体は評価しても良いはずだ。こうしてナナイたちの居場所を突きとめた辺り、頭の回転も結構なもののようだし。
そう思ったとき、初対面で自分が誰か言い当てられたことに首をひねる。
「……何であいつ、僕らのことを知ったんだ?」
たとえ精霊術が使えたとしても、会った事もない人間の特徴を完全に捉えるというのは不可能なはずだ。一体どこから、情報を仕入れたのだろう。
気になったので、尋ねてみることに決めた。
「ねぇ、何で僕の居場所とか外見的な特徴が分かったわけ?」
すると彼は、あっけらかんと答えた。
「あぁ? 別に、あのガキに金払って情報を売ってもらっただけだよ」
「ガキ……?」
確かに、最初に会った時にそんなことを言っていたような気がする。
「その人、一体どんな外見だったんですか?」
「茶混じりの黒髪と、紫色の目ぇしたチビガキだよ。確か……カイスとかいう名前だったか?」
聞き覚えのありすぎる名に、二人は互いに渋くなった顔を見合わせた。
「カイスくん……」
「あの糞ボケ、また勝手に僕らのことを」
カイスというのはシャルルとはタイプの違うHCで、フルネームはカイス・オーキッドという。上司の命令で情報屋をしているが、本人はハードボイルドなスイーパーになりたいらしい。
奴を分かりやすく説明するなら、トラブルメーカーだろう。好奇心旺盛で無鉄砲で、勢いのままに行動し、失敗して厄介事を招く。毎回それで上司に叱られるのだが、あんまり学習してるようには見えない。
そんな奴の悪い癖は、口の軽さだ。機密情報などは口が裂けても喋らない程度に節度を持ち合わせているが、そうでない情報だとペラッと教えてしまうことがある。釘を刺しても、料金次第で提供してしまうことがしばしばあった。
「確かに情報屋って、得た情報を売るもんだけど……これはないだろ」
ナナイの口から盛大なため息が出る。大方、今回も報酬に釣られてこの男にナナイたちの居場所を喋ってしまったのだろう。
金に釣られる時点でハードボイルドではないと気づけ、アホ。
「あの馬鹿、今度会ったら締める」
そう心に決め、仕置き方法を考える。
「なぁなぁ」
「ちょ、揺らすな」
今度はエルサリオンの方が、何か思うことがあったらしい。肩を揺すぶられながら話かけられ、仕置き方法の考案を中断することになる。
「そういや、俺も気になってたことがあるんだが」
「……何?」
「ネクなんとかっつーの、何で脳味噌食うんだ?」
「ネクロイドね。脳を食べる理由は……」
名称を訂正した後、彼の疑問について説明しようとする。
「何で食べるんだろ?」
説明しようとして、自分でも分かっていないことに気づく。
「というかそもそも、あいつら食事する必要性あるの?」
「必要性についてはともかく、食事は出来るみたいですよ。実際、ネクロイドになった後も生前同様に生活する個体が存在するという、データがあります」
疑問について答えたのはシャルルだった。
彼女の説明を聞き、エルサリオンとモカは「マジか」と目を丸くする。ナナイも、その衝撃の事実に驚きを隠せない。
「ネクロイドって、完全にゾンビみたいになるのかと思ってた」
「ゾンビ化した人によりますよ。大抵はウイルスであんな風になっちゃいますけど、上手く自分の支配下に置くことが出来れば自我を失うことはないんだそうです。ウイルスを操れるならは、切り札として成立しますね」
ただ……と、シャルルは歯切れ悪く言葉を続ける。
「脳を食べる、という点に関しては謎です……。何らかの理由があって食べているのかもしれませんし、単なる偏食かもしれません。どちらにしても、色んな意味で危険なのは確かです」
「そうだね。早く、感染源についての手がかり見つかんないかなー」
ボリボリと黒い頭髪を掻きながら、足元に転がる缶を蹴飛ばす。
「あ」
「ん? 何?」
唐突に、シャルルが声を漏らした。何事かと、尋ねる。
「いえ、マップでネクロイドを確認していたんですけど」
「確認してたけど?」
「たった今、増えました。増えてですねー……」
「マジかよ」
本当に増殖するのが早い。
ただ、彼女の引き攣った表情を見るにそれだけではなさそうだった。何か、非常にまずいことが起きたように思えた。
実際、彼女が続けた言葉はまずいと言わざるを得ない。
「そのネクロイドたちが…………中央地区に、向かってます」
「……なん、だと?」
ぴく、と頬の筋肉が引き攣るのを感じた。こめかみを一筋の汗が伝う。
冗談だろ。いや、冗談であってほしい。
そう願うのだが、少女の唇から提示される言葉が、そんなご都合主義な願いを真っ向からブチ壊す。
「行き先は絶賛人だかりのある商店街です! しかも機動部隊と巡視の方たちが、次のチームと交代しようとしてる時間帯!! やばいですよ、いきなりの不意打ちで感染者続出するかもしれません!!」
「マジかよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
ナナイは我を忘れて叫んだ。
確かに、その可能性はあった。向こうだっていつまでもスラムに引き篭もっているわけがない。いつか、中央地区の人間を襲い出すだろう。それは十分、予想出来ていた。
だが、今このタイミングで来るか?
中心部から外れた、防壁近くに着ている今この状況で。
「――――――シャルルゥっ!!」
「はいぃ!!」
声を張り上げて呼びかけながら、ナナイはダッと駆け出し、急いでバイクに跨った。大声で返事した彼女もサイドカーに跳躍しながら乗り込み、サイバネティクス・フィールドを展開する準備に移る。
「思いっきり飛ばすから、振り落とされないようにしろよ! 集団感染でゾンビハザードとか勘弁だぞ!!」
「何でこのタイミングで、中央部突入なんてして来るんですかぁ!? これ絶対狙ってやってますよね!? 確信的な犯行ですよね! やだー!!」
ナナイはアクセルをフルスロットルにし、シャルルは泣き言を言いながら中央地区までの最短ルートのナビを開く。
「あっ、おい! 俺を置いていこうとすんな!! 乗せろ!!」
『二人とも、待ってー』
後ろで一人と一匹がそんなことを行っていたが、二人の頭に入ることはなかった。
が、後部席にかかった重さ的に、ちゃんと乗り込めたようだ。