005
ギャグっぽい話があります。
作品の雰囲気を壊していないか、少し恐々。
それでも読んでいただければ幸いです。
ギンシュに来てから、三日が過ぎた。
ナナイは早朝に目覚めると筋肉トレーニングとナイフ、射撃の練習を行う。相当の寝坊をしたり唐突な依頼が入ってこない限りは、毎日欠かさないようにしている。
日課の鍛錬を終えれば、シャワーで汗を流す。烏の行水が如く早々に体を洗い終え、浴室から出てタオルで髪や体を拭く。ショーツに足を通し、備え付けられているドライヤーのスイッチを入れて髪を乾かしていく。
首元に置いていたハンドタオルを、洗面台のハンガーに掛ける。それから着替えを取ろうと腕を伸ばした時、肌に刻まれた傷が目に入る。
「……懐かしいな」
未熟だった頃に受けた傷に、懐かしさと苦々しさが滲んでくる。
傷は腕だけではなかった。太股や膝、腰骨近くにもある。その大半は傭兵時代に負った切り傷や弾痕だ。軽く割った腹筋の右辺りには、十二針ほどの縫合痕が生々しく残っている。
セキュリティの整った場所で就寝し、水にも食事にも困らない生活というのは、昔は縁がなかった。十歳ほどの年頃の時には砂漠に捨て置かれ、飢えと敵の存在に脅かされていたからだ。
着替えに身を包みながら、過去を振り返る。
あの頃は色々と必死だった。自分も、周囲の人間も。生きるために他人を犠牲にし、武器で脅して食料を略奪したり、殺して身ぐるみを剥いだりした。砂漠に生息するサンドワームに追い掛け回され、食われかけたことは何度あっただろうか。数え切れないほど、死ぬ思いをした気がする。
「今となったら良い思い出……か?」
若干自分でも怪訝になる。
まぁそんな生活を送ったおかげで、戦闘技術やサバイバル術は身についた。傭兵として食っていく方法も覚えたし、それなりの交流関係も持てたと思う。
後先考えない泥臭い生き方だったが、今の自分があるのはそんな泥臭さが作り上げたからだろう。
ベルトにホルスターとナイフ、鞄を吊りながら、苦笑を浮かべる。
どんなことだって、過ぎてしまえば良い思い出になるのだ。きっと。
……そうでない記憶も、あるにはあるけれど。
「ネクロイドの増殖率は色々ヤバイと思う」
食事を終えてホテルを出た後、ナナイはマップで居場所を確認するシャルルに顔を顰めながら言った。
「朝の爽やかさが台無しになってますよ、ナナイさん……」
「台無しにもなるさ。かれこれ三日くらい駆逐しまくったのにさ、全然減ってないじゃん。むしろ増えてるじゃん。嫌になっちゃうよ、もう」
忌々しいと言わんばかりの眼差しで、マップ上で点滅するシンボルを睨みつける。数は三日前とそう変わりばえしていなかった。
悪徳商会の無限連鎖講はネズミに例えられたりするが、こちらはまさにゴキブリだ。害虫だ。増えるの早いし、しぶといし、存在自体が有害である。
「まぁまぁ、そう怒らずに。ちゃんとこっちも情報得られているんですから、ちょっと落ち着きましょう? ねー?」
「落ち着けないよ。というか、その情報だってそんな役に立つとも思えない程度じゃないか」
言い聞かせるような声音で宥めるシャルルの言葉にも、「けっ」とやさぐれ気味に応じる。
あれからネクロイドを倒しまくって、シャルルが電脳から情報収集をした。が、得られたデータのほとんどは、感染者に襲われたというものだった。
かろうじて感染源のものと思われる情報は、三つだけ。
一つ目は、小柄でスリムな女性の可能性が高いこと。二つ目は、昼夜関係なく人気のない場所に姿を現すこと。そして三つ目は、彼女と思わしき人物の左鎖骨下に、HCの検体番号に似たナンバリングが施されていることだ。
しかしシャルル曰く、そのナンバリングは正規のHCとは別物らしい。ナンバリングの場所が違うのだ。実際、シャルルのナンバリングはうなじのアダプタ下に施されている。
「感染源が不正規HCだと分かっただけでも、十分な情報じゃないですかー。もっと喜んで良いと思いますよ?」
「不正規なんて、そこらにゴロゴロしてるっしょ」
拗ねたように、唇を尖らせて吐き捨てる。
不正規というのは、HCを模造して作られた失敗作のことだ。細胞から造るものもあれば、人間を造り変えるものもあるが、演算能力や機能は総じて低い。
ただ人間より能力があるので、パクリものでありながらも需要率はそれなりにあるようだ。だから不正規HCの雇用も珍しくない。
つまり、それなりにいるので探すのが大変なのだ。それに模造品であることをコンプレックスにしている奴が多いので、自分が不正規であると認めようとはしない。鎖骨下で確認出来るにしても、一人一人の真偽を確かめるのは骨の折れる作業だ。
「もっとこう、顔立ちとか分かりやすい情報ないのかな?」
「クラッキングの影響で、顔や体の一部がバグって分からないんですよ。肝心のナンバリングも、ピンボケみたいになって判別が難しいですし」
シャルルは眉をハの字にして、ネットで目撃情報がないか探し始める。
どれだけ敵を倒しても、数が減る気配が一向にない。なら早く感染源を殺して、ネクロイドの増殖を食い止めなければいけないだろう。蛆をどれだけ叩き潰しても、卵を産む蝿を殺さなければ何事も解決しないということだ。
それだというのに、手がかりらしきものがない。
「あーもう、厄介極まりない。弾代だって積もれば馬鹿にならないってのに」
「今は地道に調査と数減らし、しかないですね……」
「その地道がキツイんだよな」
二人の顔がみるみる不景気になっていく。
そのまま表通りを走っていると、巡回の軍人と目があった。彼はナナイたちに気づくと、直立姿勢でビシッと敬礼する。
「おはようございます」
「おはよう。今日も仕事かい、いつもながら有り難い限りだ」
巡視部隊員の男性は、目元に皺の目立ち始めた眼を和らげ、そう言った。
初めは胡散臭いものを見るような、訝しげな視線を投げかけられていた。しかし街の各所を回り、時に機動部隊と連携して殲滅していく内に疑惑が晴れたらしい。現在は、外部からの助っ人として好意的に受け入れられている。
「今の街はどんな感じですか?」
「相変わらずだな。場所にもよるが、民間人は怯えている。中には楽観的な者もいるが、初めよりも不安そうな表情が目立ち始めた」
彼は説明していると何か思い出したのか、「不安といえば……」と言葉を少し濁した。
「どうかしました?」
もしかして目撃情報でもあったのか、とナナイは期待を胸に尋ねる。
「いや、今回の件には関係ないだろうが……最近、妙な男がスラムに姿を見せているらしい」
男と聞き、ナナイの興味がすぐさま失せた。感染源と思われる不正規HCは女だ。……女装趣味でない限り、の話だが。
「どこの誰だか知らないが、刀なんてものを腰に提げていてね。あちこちを歩き回りながら、チンピラやらネクロイドやら斬り捨てているそうだ。何度か暴挙を止めようとしているのだが……機動部隊も手を焼いている」
「そうなんですか」
「しかも奇妙な術を使うと報告があった。かなり危険な男だから、君たちも気をつけなさい。見かけたらすぐ逃げるんだぞ?」
「はい。ご忠告ありがとうございます」
どこか父性を感じさせる彼と別れ、スラムへと向かう。
これで何度目かになる、貧困街の道路と景色。
スラムの連中はナナイの姿を見るや否や、バッと視線を逸らす。何度も睨みまくったから、大分学習してきたらしい。……中には新たな扉を開いたのか、睨まれたいがために、わざとこっちを刺激してくる奴も現れるようになった。そいつは無視の方向だ。
道の角を曲がり、坂を上っていく。今度は左へ向かう。
……と、目の前に誰かが立ちはばかった。
「誰?」
ブレーキをかけて停車し、その人物を観察する。
舞台衣装みたいなタキシードの上からでも分かる、引き締まった体。腰あたりまで伸ばされた薄茶の髪に、目尻の垂れた琥珀色の瞳。女が好みそうな甘さを含んだ顔立ちで、その顔の横では大振りのピアスが揺れている。
そして腰には、緩く湾曲した細身の刀が一振り。
「初めまして、だな。お前が『亡霊』か?」
装飾華美な男の問いかけに、ナナイは沈黙を貫く。
ナナイは男を警戒し、いつでも銃を抜き取れるよう指を添える。こいつがおそらく巡視の話に出た男というのもあるが、彼がナナイの傭兵時代の渾名を知っていたからだ。
そんなこちらを意に介さず、男はジッと見つめた後、顎下に手を置く。
「黒髪、青目、東方系の顔。銀髪碧眼の少女を連れたバイク乗りの女……あのガキから聞いた通りの特徴だな。ぴったり当てはまり過ぎて、驚いたぜ」
「おい、質問に答えろよ。僕はお前が誰かって聞いたんだけど」
「おっと、随分と口が悪いな……まぁその言葉も一理ありか」
男は芝居がかった大仰な素振りで驚くと、道化じみた所作で一礼する。その拍子に、亜麻色に近い茶髪の隙間から中途半端に尖った耳がのぞく。
「初めまして。俺はエルサリオン・フラックス、しがない傭兵だ」
「その耳、混血か」
「聞けよ人の話。ま、その通りだ。エルフのハーフで、里から追い出されたもんだから、傭兵やって食ってるわけだわ」
「その傭兵さんが、こんなとこで何していらっしゃるんですか?」
シャルルもすぐに戦闘に入れるよう、身構えながら尋ねる。
するとエルサリオンと名乗った男は、ナナイを指差しながら答える。
「お前に会いに来た」
「……はぁ?」
「戦場に現れる黒い『亡霊』ってのは、結構有名でな。いっぺん戦って見たかったんだ。どうだ? やらないか?」
「断る! お前、なんか嫌!!」
ゾワッと鳥肌が立ったので、速攻で拒否した。
何だろう。巡視が警告した通り、ここは逃げたほうが良いかもしれない。色んな意味でヤバそうな奴だ。培った防衛本能が、警報を鳴らしている。
『逃げたほうが良いぞ!』
どこからか、声がした。
いや、違う。その声はどこかから発せられたものではない。直接脳内へと送られたのだ。一体誰かのものかと辺りを見渡す。と、男の襟元からピョコリと何かが顔を出した。
それはネズミだった。白と茶色の毛並みの、小さめサイズのスナネズミだ。
『エルサリオンは変態だからな。悪いことは言わない、逃げて役人を呼んだほうが良い。それか通報!』
「糞ネズミ、てめぇは誰の味方だ!?」
『糞ネズミ違う。モカ』
変態呼ばわりされた男はドスの聞いた声を発するも、ネズミは自分の名前を訂正するだけだった。怯えた様子は一切ない。
「てめぇは俺の下僕だろうが。なら俺の味方しやがれ」
『下僕違う、相棒。それと、モカはむさい雄より、可愛い雌の味方。人間でもネズミでも、健全な雄ならそれが当たり前』
「一歳にもならねぇチビの癖に、男の心理を理解してやがる……!」
なにやら言い負かされているエルサリオン。彼らのやり取りはお笑い番組のコントじみていた。さしずめ、ネズミがボケ役で男がツッコミ役だろうか。
それはともかくとして、ナナイはモカというネズミを観察する。翻訳機の類はつけていない。が、口を開いて喋ってるわけでもない。
そうなれば、可能性は一つだ。
「ねぇ、モカだっけ? お前、超能力者なの?」
『うん。マインド・トーキングと、レビテーションが使える』
「念会話と空中浮遊ですか……」
シャルルが驚愕と感嘆の声を零す。それはナナイも同感だった。
超能力というのは脳のブラックボックスを解放することで得られる、超越的な力のことだ。現在は試薬品で人工的に開花させることが出来るが、それでも珍しいことには変わりない。
それをネズミが、二つも所有しているのだ。この希少性は計り知れない。
「んで、どういう変態なの? 幼女に欲情するタイプなの? それとも下半身を露出するタイプ?」
『血を見ると、興奮する。殺し合い、好き』
「戦闘狂か……まぁ、予想してたのよりはマシかな」
唇に丸めた指を当て、呟く。
戦好きというのは傭兵だとよくあることだ。戦っているとアドレナリンが過剰に分泌されて、気が昂ぶるからだろう。実際、ナナイも殺し合いの最中にその状態に陥ることが度々あった。
『あと斬られると、喜ぶ』
「ドマゾか。そりゃ変態だ」
「失礼なこと言うな! 強い奴と殺し合ってりゃ、喜ぶのは普通だろ!! あと俺はマゾじゃねえ……後ずさるなお前ら!!」
ちょっと距離を取ったら、すぐさま反応して怒鳴ってくる。見た目は紳士的な優男なのに、言動で色々台無しだ。残念なイケメンだ。
……しかし、面白い。反応が。
変態であることには変わりないのだが、先ほどの警戒心やらが薄れていく。ただドン引くよりも、おちょくって遊んだら楽しそうな変態である。
「それで、僕と殺しあいたいんだっけ?」
「ああそうだ。……受ける気になったか!?」
「断る。マゾの変態を喜ばせる趣味はない」
「だから違うつってんだろ!!」
『でも変態なのは変わりない』
エルサリオンが否定する後に、子ネズミが余計なことを言う。
怒った彼は首根っこを掴んで、握り潰そうと手を伸ばす。しかしモカは、レビテーションで男の手から逃れて細道へと飛んでいく。なんとか引っつかもうと、浮遊するモカを追いかけるエルサリオン。
追いかけっこしだす一人と一匹。傍から見たら凄いシュールだ。
それをしばし眺めて、様子を窺う。どうやら、彼の頭の中はモカを捕まえることで一杯になって、自分達の存在が消えてしまっているようだった。
「シャルル、今の内に行こうか」
「はい」
二人は何食わぬ顔で、通せんぼされていた道を抜ける。
変態男のことは、あとで通報しておこう。