003
地面に大きな影が落ちる。
見上げれば、広告飛行船の一群が横切ろうとしていた。大きな液晶画面がニュースやコマーシャルを流す。
頭上で鳴り響くニュース内容をBGMに、ナナイは通りを眺めた。
昨夜に起きた事件を知らないのかと思う程、街は賑わいでいた。普通なら張り詰めたような雰囲気になるものだが、ここでは誰もが何食わぬ顔で駄弁り、はしゃぎながら各々に一日を過ごし、楽しんでいる。
猟奇的な殺人事件があったにも関わらず、とても活気があった。
だがそれは、油断と慢心から来るものだ。
ここにいる誰もが「自分が被害者になるわけがない」、「自分が殺されることはない」と、本心から思ってるからこその快活さだ。
だが遠くで時折聞こえるサイレンや路地を巡回する役人、武装した機動隊が乗っているだろうスモークフィルムの厳つい車から、現状は深刻になりつつあるのが分かる。彼らの周りは、帯電したかのようにピリピリしていた。
ナナイも気を引き締めておかなければいけない。
が、まずは昼食を取るべきだろう。腹ごしらえは大事だ。
「シャルル、どっちに行けば良いの?」
カフェで注文したサンドイッチを頬張りながら、彼女に尋ねる。こちらは既に自分の分を平らげ、ココアを片手にキーボードを叩いていた。
「そうですねー。ここから……東です」
シャルルは電子ウィンドウを開き、マップを確認しながら答えた。
マップには電脳使用者が円状のシンボルで表示されている。数は数え切れないほど多い。だが表示項目を熱反応に変えると、一部のシンボルが消失する。
それを交互に何度も繰り返すので、一部だけ点滅しているかのようだ。
このシンボルマークが、ネクロイドだという。
「それから北西、南西、北北東……スラム街と路地がほとんどですね。身を潜めるにも人を襲うにも、その辺りが打ってつけってことですか。やっぱり」
「……いつも思うんだけどさ、あっさり分かるもんだね」
ナナイは脱力気味に呟きながら、二個目を咀嚼する。
普通こういうのは、捜索に手間取るものだと思う。周辺の住民に聞き込みをしたり、試薬で調査する必要があるからだ。しかし電脳が生まれて電子機器や情報が発達したこの国や、ユグドラシルではそうでもなさそうだ。
まぁ、軍事目的で造られたHCだから、情報収集が得意なのは当然か。
「ほんと、一体どうして簡単に居場所を突き止めちゃうんだよ。これですぐさま解決なんてさせたら、研究所は喜ぶけど軍部が泣くよ?」
「コツが分かっていれば苦労しませんよ。ネクロイドは比較的、居場所を突き止めやすい存在ですから」
嫌味なく語る彼女に、ナナイは目を瞬かせる。
「そうなの?」
「ええ。ウイルスが電脳越しで死体を動かすから電磁波が生じるんですけど、死んでしまった冷たい体だから赤外線には感知されないんです。だから装備さえ揃えれば、特定出来るものなんですよ」
「へぇ」
意外と簡単な特定方法に、感嘆の声が洩れる。
「でも見つけやすいと倒しやすいは違いますから、気をつけませんと」
「あ、そうだね」
ため息交じりのシャルルの言葉に、相槌を打つ。
何度も言うが、ネクロイドはコンピュータウイルスで操られる死体だ。
既に死んだ体というのは厄介だったりする。人間なら致命傷になる一撃も平気だし、人体の限界を無視した動きもする。攻撃にも怯まない。
しかも電脳を汚染されれば、同じ動く死体になってしまう。電脳は第二の脳だ。優れた電脳を持つハッカーがクラッキングを受けてネクロイド化、という悪夢の状況にもなりかねない。
軍がネクロイドに脅威を感じるのは、そういった面が大きい。
「ぱぱっと仕留めたいけど、そうもいかないんよね。やっぱ」
「そうですね。彼ら、ものすごく動き回りますから」
「うわぁ……」
肉体の限界を無視した駆動力を思い出し、ややゲンナリする。
御伽噺の動く死体は体が腐っているから動きが鈍重らしいが、ネクロイドもそうだったらどれだけ戦うのがラクだっただろう。
三つ目の最後の一欠けらを口に放り込み、嚥下しながらそんな風に思う。
「まぁ、仕事だからやるしかないか。文句は言えん」
「ですね」
二人を乗せたバイクは、黒煙を排気口から吐き出しながら進んでいく。街の中央から、外へ。防壁へと近づくように。
そうすると、だんだんと街並みが変わっていく。
銀と白は、鉄錆と黒へ。洗練とされた印象から、寂れて古めいた風景に。色彩もくすみ、厚ぼったい雲で覆われた空は濁っているように思える。店の看板もさび付いていて、壁や床に汚れがこびりついている。
それだけではない。区域内の建物は所々破損してしまっていた。そのため、修復工事のための工事があちこちで行われ、耳障りな騒音を立てる。そして腐臭だの酒だの、生理的に受け付けないような臭いもしてきた。
住宅の密度は高く、どこもかしこもガラクタだらけだった。建物やガラクタが日に当てられて、影を落とす。昼だというのに薄暗いのはそのせいだ。 それとは対照的に、錆びた看板を飾りつけるネオンはまばゆい。
ペンキやら吐瀉物やらが付着しこびり付いた、汚らしい床と壁を縦横無尽に走る電脳の光は眼球を疲弊させ、浄化装置に通されていない空気は埃っぽい。昼時だというのに既に営業している酒場と娼館からは、男女の嬌声。
打って変わって胡乱とした、ごたついて品のない街並みだった。清潔感のある中央とはあまりにも違い過ぎて、初めて来る人間なら唖然とするだろう。
まぁこんな所に、好き好んで来る人間なんてそうはいないか。
「大きなスラムですねー」
ホログラムマップを展開させたまま、シャルルが感想を述べる。
貧困街、スラムストリート。そんな風に呼ばれているこの掃き溜めに住まう連中は、ロクでもない場所にあつらえたようにロクデナシだ。技術がどれほど進んでも、しょせん人は人ということか。こうして社会から焙れる奴も、当然のように出てきてしまう。
そのドロップアウトしてきたロクデナシ共の視線を、彼女は知らずしらずのうちに集めてしまっていた。
無理もないことだ。銀髪碧眼という珍しい色彩に、きわどいデザインのボディスーツ。そして幼いながらに整いきった美貌は、娼婦や性奴隷を買う金も女との縁もない負け犬たちの頭と下半身を興奮させるには十分過ぎる。
だからといって十四の少女に発情するのは如何なものか。ギラギラとした、飢えた獣の眼差しに呆れ果てる。何だよ、全員ロリコンかよ。呆れたナナイは内心でそう毒づいた。
しかし、すさまじく不愉快な視線だ。しかも、視線はシャルルだけでなくバイクを走らせるナナイに対しても向けられている。
こいつらは、自分を侮っている。だからこそそんな目で見てくるのだ。
そう思うと苛立ちが沸き起こった。ナナイは目尻を吊り上げ、いやらしい目つきの助平どもを一睨みする。
「……!!」
睨んだ瞬間、全員が肩を跳ねさせた。
親しい者たち曰く、ナナイの目つきは「凶悪」の一言らしい。それを険しくしてしまえば、もう相当のものだろう。
結果、ニヤついていた変態たちは顔を真っ青にしてすぐさま顔を背けた。
「あれ? どうしたんでしょう、みんな震え出したんですけど」
「酒の呷り過ぎで腹でも壊したんじゃない?」
そうとぼけながら、バイクの速度を上げる。
曲がりくねった道を幾度と方向転換し、目的地の手前でバイクを止める。盗まれないよう、バイクに布を被せて光学迷彩を施す。
ここからは徒歩だ。腐臭の道を歩きながら、慎重に周囲を見渡す。
「もうそろそろですね……準備良いですか?」
電子ウィンドウを切り替え、ホログラムキーボードを叩きながらシャルルが尋ねる。少女の声音と表情からは不安と緊張が窺えた。
「ん、いけるよ」
対するナナイは普段と変わらぬ調子で返事をする。圧縮鞄の中を探り、肘までを覆う手袋を取り出しながら。
布製ではない、独特の光沢を放つグローブ。それを左手に嵌めたあと、皮膚に馴染ませるようにフィットさせる。黒いグローブの表面に電光が走る。手首や指先を動かし、稼動具合を確認。問題なさそうだ。
「んで、何体くらいいる?」
「五体です……あ。二体、やたらと素早いのがいるみたいです」
「うわ、マジか」
シャルルの追加した言葉に、ナナイは肩を竦める。
ナナイの動作に合わせるように、少女は目を伏せて俯く。
「……まぁ、なんとかいけるだろ。守ってやるから安心しとけ」
そう続ければ、彼女はきょとんと目を丸くした。しばらくして、頬を林檎のようにほんのり赤らめ、笑う。
「そうですね! ナナイさんもいるから大丈夫です」
「ん。駆除の方は僕がやるから、サポートは任せた。頼りにしとくから」
「はいっ! 頑張りますから、任せてください」
花が咲いたような笑顔で、彼女は首を縦に振る。今の言葉で不安や緊張感は和らいだらしい。張り詰めた空気が薄れた。
「さて、やっこさんはどこかな? おーい、いるなら出てこ」
言葉を遮るように、突然、地面に大きめの影が出来た。
何かと思い、視線を上げる。
頭上から、死体が降ってきた。
死体は二人の目の前に落下した。勢い良く落ちてきたものだから、ヒビの入っていた地面が完全に割れた。大きな音と共に、破片が砂埃と共に舞う。
「…………」
「…………出たね」
ぽつりと口から零れた言葉通り、早速出て来た。異国の諺にある「噂をすれば~」という奴だ。
落下してきた死体は異様なまでに細長かった。骨と皮だけといった有様の、痩せ細った胴体。関節が確実に外れているだろう、長過ぎる手足。生白い肌の表面はカサカサに乾燥しきっていて、深々と皺を刻んでいる。
そして目を引くのは、ぽっかりとあいた穴から空洞を覗かせる頭部。
脳を失った死体は着地に失敗したのか、関節があらぬ方向を向いていたが一切に気にすることなく、濁った眼球にナナイたちの姿を映している。
肺の動きは見られず、呼吸音はしない。心臓が脈打っている様子もなく、肌は血の気を失っている。目の前の男は、完全に死んでいた。
だというのに、死体はバネのような勢いで起き上がった。みしり、と筋肉が軋む音がする。そして折れ曲がった関節が、無理矢理に元に戻される。
両腕をダラリと下げ、死体……ネクロイドは二人の前に立ちはばかる。
「この状態でも動かせるって、便利過ぎだろ電脳……」
「第二の脳ですからねー、っとか言ってる場合じゃないですね。他の四体もこっちに接近してます」
シャルルはプログラムを選択し、サイバネティクス・フィールドを展開。彼女を中心として青緑色のリアルサイバー空間が広がった。
「白にゃん、黒にゃん。出番ですよ!」
【はいですにゃっ!】【任せろにゃ!】
彼女の言葉を合図に、白と黒の猫型アバターが姿を見せる。二匹が振るった前足から生まれた風圧が、死体のまとった襤褸を揺らせた。
サイバネティクス・フィールドは軍事用HCに搭載された機能だ。アバターを実体化させ、プログラムによる攻撃を現実のものに転換させる。物理攻撃には不向きな彼らの、数少ない攻撃手段だ。
ナナイはホルスターから銃を抜き取る。普段から愛用するマシンピストル、ベレッタM93Rのセーフティを解除。それをしっかりと構え、いつでも死体を撃ち抜けるようにする。
だが今回、これはあくまで補助用の武器だ。全身をバラバラにしてようやく停止する死体に、掌サイズの銃の威力など微々たるものである。
主戦力はシャルルと、この左腕に嵌めたグローブだ。
「まずは普段通りで行こう。頼むよ」
「はいっ」
少女の澄んだ声音が、力強く応じる。
足音が不揃いに近づいてくる。それからまもなく、細道や屋根の上からネクロイドが姿を現した。数は四体。
目の前の死体と違い、頭部が破損していなかった。おそらく感染者に襲われた被害者だろう。口から唾液を垂らし、じりじりと距離を縮めてくる。
完全にこちらを標的にしたらしい。丁度良い。スラムのゴロツキどもとはいえ、民間人に襲い掛かるよりはマシだ。
ゆっくりと深呼吸し、地面を踵で数回叩く。
先手を取るか、後手に回るか。
決断には一秒も掛からなかった。
「スタート」
ナナイは地面を強く蹴りつけ、眼前の標的へと銃口を突きつける。
そして狙いを定め、発砲した。