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002

 前半部に残酷表現があります。

 苦手な方はご注意ください。

 ネオンのけばけばしい光も届かない、薄暗い路地の細道だった。

 彼女は空腹を覚えていた。それでいて頭が興奮と情報を求めている。

 食べられるものは別に何でも構わない。体を壊す心配さえなければジャンクフードでも、パンの耳でもだ。しかし情報は別だ。より良い、素晴らしい情報を脳髄が渇望している。新しい知識に飢えている。

 だから空腹よりも情報を優先し、彼女は電脳を起動させてネットワークに接続しようとした。

 しかし脳裏に浮かび上がるウィンドウはノイズで歪み、屑みたいなデータしか浮かび上がらない。そしてそのデータすら、ノイズに飲み込まれてしまう。

 どうしてこんなことになるのだろう、と彼女は思い、考える。

 考えて、思いつく。

「お腹が空いてるからだわ」

 うっかりしていた。

 すっかり忘れていたが、腹が空いていると大抵こうなるのだ。最近はそれが頻繁になっていた。まずは食事を摂らないと。

 細道を歩いて行き、食べる物を探す。

 しばらく進めば、蛍光色が目に痛いモヒカンの男を見かけた。薄汚れた風体で顔の作りはイマイチな、頭の悪そうな男だった。

 彼女はわりと面食いだった。他の人間を探そう、と踵を返そうとする。だがその前に、モヒカンの方がこちらに気づいた。

「よぉ、そこの姉ちゃん」

 ヘラヘラと笑いながら、モヒカンは近づいてくる。

「こんな所で何してんだ? 一人? 暇なんなら、今から俺と遊ばない?」

「暇じゃないわ。ネットサーフィンしないといけないの。それに私、今とてもお腹が空いているの」

「へぇ? ……じゃあ、奢ってやろうか?」

「……食べさせてくれるの?」

 きらり、と期待を込めてモヒカンを見る。

 モヒカンは頷く。

 そして麻薬の臭う口を大きく開けて、懐から端末を取り出す。

「イイゼ? 美味いもん食わせてやるよ。その代わり……」


「いただきますっ!」


 腕を伸ばすと、頭蓋が軋む音がした。

「……え?」

 素っ頓狂な声が、モヒカン男の口から漏れ出る。

 彼女は気にせず、頭を握り締めて骨にヒビを入れていく。そして中身に傷が付かないように頭蓋骨を割り、穴を空ける。

 男は白目を剥いて、前のめりに膝から崩れようとした。丁度食べやすい位置だ。モヒカンの下顎とうなじに手を添えて、膝をついた体を支える。

 冷えた夜風と裏腹に砕いた頭の中は温かく、湯気が立ち上っている。中から露出するのは桃色の脳。

 彼女はそれに口付け、貪っていく。

「……んー、あんまり美味しくないわね」

 脳皮質を噛み締めながら、ポツリと呟く。

 記憶は整えられることなく乱雑していて、内容が歪められたり誇張されたりしている。電脳の方も、溜め込んでいる情報はくだらないものが多い。

 とはいえ今まで食べた中では、まぁまぁといった所か。数ヶ月前、空腹のあまり獣の脳を食べてみたりもしたが、あれは酷い味だった。チンピラとはいえそれなりに知識を貯蔵している分、マシというものだろう。

 しかし美味いものも食べている分、雑味や物足りなさを感じる。

「食べるなら、やっぱりHCの脳が一番ね」

 小脳と脳幹を咀嚼しながら、あの濃厚かつ洗練とされた味を思い出す。HCを生み出したユグドラシルは偉大だと、彼女は改めて思う。

 だが科学者や発明家の豊かな風味も捨てがたい。あれはあれでパンチが効いていて、癖になるのだ。

 ……なんて、逃避するのは程ほどにしなくては。

「ごちそうさま」

 口元の血を指で拭い、両手を合わせて食事を終える。

 再びネットワークに接続する。今度はクリアな画面が浮かび上がった。やっぱり食事をすると電脳も調子が良い。

 さて、今日はどこにアクセスしようか。

 用済みのモヒカンだった肉塊を放置し、彼女はネットサーフィンを始めた。


 ◇◇◇


「脳を喰らうネクロイド……ですか?」

 シャルルの驚嘆を含んだ言葉が、落ち着いた印象の応接室で静かに響く。

 夜がすっかり明けた、午前十時前。現在、ナナイたちはギンシュにある総合理化学研究所に来ていた。そこに所属しているレダルテを送った後、この部屋に案内され、研究所の所長直々に依頼の詳しい内容を聞いているところだ。

「信じられない、と思っているかね?」

 依頼主である所長が膝の上で手を組みながら言う。今年で四十を超えようという初老の男だが、疲弊の滲む顔は年齢以上に老け込んで弱々しい。

 彼と向き合う形で座っているシャルルは、首を振りながら返答する。

「いえ……ありえなくはないと思います。でも、脳を食べているというだけでそれがネクロイドと考えるのは早計ではないですか? 電子ドラッグで精神異常を来たした中毒者という可能性も、あるにはありますし」

 ナナイは二人の会話に耳を傾けながら、事務員に出された珈琲で喉を潤す。

 先ほどから話題に出ているネクロイドというのは、電子バグ『ネクロ・ウイルス』に感染した動く死体……いわゆるサイバーゾンビのことだ。

 ネクロ・ウイルスは電脳を介し、死体に感染する。そしてウイルスが電気信号を発して死体を動かし、感染者の電脳を操るのである。

 そういった特性から旅人や流民の死体がゾンビ化することは度々ある。しかし、グラナード国民は予防ワクチンのインストールが義務化されているため、街中に感染者が現れるというのはあまりないことだが……。

「確かにそう思いたくもなるだろうがね、ここ最近ネクロイドが見られるようになった。死体はいずれもクラッキングされた形跡があり、そして脳がなかったのだよ」

 簡単かつ分かりやすい説明に、ナナイは「そういうことか」と察する。

 ネクロイド化する方法は二つある。一つは先ほど説明した、死体に直接感染すること。そしてもう一つはネクロイドにクラッキングされ、電脳がウイルスに汚染された場合だ。

 サイバー空間を彷徨っている時のものは弱いが、ネクロイドに宿ったウイルスは感染力が強まる。いくら予防していても、感染者のマインドハックで侵襲されればひとたまりもない。全身全霊を尽くしたとしても、最終的にはゾンビになってしまうのだ。

「なるほど。だから感染源は、脳を食べるネクロイドだと」

「そういうことだ。本来ならば他国に頼むことではないのだが、ゾンビ化した彼らによる被害やハッキング事件が多発していて軍も忙しい。そのうえ被害者の中には研究員や研修生、HCもいてね……」

「……! そうなんですか」

 所長の言葉に、シャルルの目尻が吊りあがる。

 そしてナナイはエコーが「犯人は抹殺しろ」と言った理由に得心がいった。

 自国の者であり同族が被害者である上、HCにとって一番重要である脳を食べられてしまっているのだ。多少発言が物騒になるのも無理はない。

 現に今、進行形でシャルルが憤慨している。

「分かりました。ご依頼をお受けましょう。依頼内容は感染源の抹殺とネクロイドたちの排除、この二つでよろしいですね?」

「ああそうだ。……しかし軍事用HCと、ウイルスに感染することのない腕利きを派遣すると聞いていたのだが」

 やや尻すぼみに呟きながら、所長はシャルルとナナイに視線を向ける。

 おそらく冷酷そうなHCと厳つい傭兵を想像していたのだろう。しかし実際に来たのは二十歳にもならない小娘が二人……。無意識であろうが、眼差しに心配と落胆がこもっていた。

「ご心配ありがとうございます。ですが問題ありません」

 ナナイはここでようやく口を開き、所長を真っ向から見据える。

 自他共に認める目つきの悪さに怯んだのか、彼は少し肩を跳ねさせた。

「お受けした依頼は完遂してみせますので」

「そ、そうか。頼りにしているよ」

 上擦った声で言いながら、彼は何度も首を縦に振る。

 その顔をしばらく観察したあと、視線を逸らす。隣のシャルルが、肘で軽く小突いてきた。

 耳元に顔を寄せ、彼女は小声で窘めてくる。

「ナナイさん。依頼主を怯えさせたら駄目ですよ」

「萎縮させる気はなかったんだけど……やっぱ交渉に向かないな、僕」

 やはり自分は、武器を手に前線を駆ける方がしっくり来るようだ。それを見越して、エコーはこの銀髪の少女を相棒に任命したのだろうけど。

 まぁとにかく、依頼内容は分かった。あとは行動するのみだ。

「早速仕事と行こうか、シャルル」

「はい。では、失礼します」

 二人は一礼してから執務室を出る。

 白と銀を基調とした研究所の通路を進んでいく。通路にいる研究員や事務員たちは、ここには似つかわしくないナナイたちを盗み見している。

 よくあることだが好奇心交じりの視線にはうんざりする。一切の眼差しを無視して出口の方へ向かい、研究所を出る。

 出て直ぐに視界に飛び込んでくるのは、見上げるほどに高々としたビル群。

 多くは白く細長い柱状かコンパクトなキューブ型だが、螺旋になったものやアーチを描いたもの、グニャグニャと歪んだもの、いくつもあるドームを硝子張りの通路で繋げたものなど多種多様だ。道路はうねるように走り、その上部にも硝子で覆われた通路が作られている。

 そして街の向こうには、街全体を囲うように形成された防壁。硬質で鋭角的な風景は、科学技術を発展させたグラナード独自のものだ。

 今出て来たこの研究所も例外ではない。ナナイは振り返って、今出た研究施設を見上げる。階層は三十にも及び、十九階から上は研究室となっている。

「……?」

 見上げていると不意に視線を感じた。

 辺りを見渡すと、別棟に続く通路に研究員とスタッフらしき姿があった。

 その内の一人、伸ばした金髪をうなじで束ねた男は知っている人間だ。ひょろりとした痩躯と、丸みを帯びた目と少々あどけない顔立ち。赤いツナギの上から白衣を羽織り、額に実験用の防護ゴーグルを引っ掛けている。

 昨夜救出した、機工技術者のレダルテだ。

 彼はナナイがこちらを向くと、笑いながら手を振る。悪意を感じない、穏やかな笑顔だ。態度も非常に好意的だった。

 ナナイはどう反応したら良いのか分からず、しばらく彼をじっと見た。

 とりあえず、同じく手を振ることにする。それから踵を返して立ち去る。

「……変な奴。何であんなに嬉しげなの?」

「んー……助けてもらった恩を感じてるから、ですかねー?」

 シャルルが小首を傾げながら、そう答える。

 それを聞いて「変な奴」とまた口ずさむ。

 そしてバイクに再び跨り、アクセルグリップを回した。


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