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ジーニアス・ホルダー  作者: 野水瑞乃
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もう一つの終章

 祈詞(のりと)を言い終えた私は、懐にしまってある手帳をおもむろに取り出す。これは昨日、マルセルの研究室の整理をしていた時、彼がいつも使っている大きな机の中から偶然見つかった物だった。自分の目的のために他の全てを利用し、手段を選ばなかった卑劣な男。私はそんなやつにまだ未練を抱いているとでもいうのか。

 もう、何が何だか分からない。自分の心でさえも把握しきれないのが現状だ。

(なぁマルセル。お前をそこまで変えたものは、いったい何だったんだ?)

アイシャは何度も読んだその日記の中身を、脳内で反芻する。

この日記はマルセルがジーニアス・ホルダーになった年、つまり三年前から書き始められていた。私がまだ支部長になったばかりのころ、医者として配属されたところからだ。

 日記を書く周期はバラバラで、興味を持ったことだけに熱中する気ままなあいつの性格がよく表れていると苦笑する。


『僕は『南』の才能を認めない。僕たち『北』がどれほど辛い思いをして技術を手に入れているのか、あいつらは知らない。同じ世界に生きる人間としてあまりにも不平等ではないか。『持つ者』と『持たざる者』。それを決めるのは生まれた境遇ではない。個人の意思だ。僕は精霊のの穢れたシステムを暴いてみせる。それがあいつらの無念を晴らすことにもなるのだ』

これが日記の冒頭である。

 『才能』。

それを与えるジーニアスと呼ばれる精霊。それは『南』においてはごくありふれた当たり前のことで、当然私は深く考えたこともなかった。

『持つ者』と『持たざる者』。確かにジーニアスにも『格付け』というものがある。その頂点に君臨する『G―7』を筆頭にしたヒエラルキーは存在するのだ。しかし、『才能』とは百人いれば百通りの色がある。だから私自身は、本質的にはそこに優劣などないと思うのだ。これは綺麗事だろうか。


『今日から僕はジーニアス・ホルダーレイアクール支部に医師として配属された。ここを僕の研究の足掛かりにしよう。まずは信用を得ることから始めなければならない。一見遠回りに思える道こそが、近道なのだ』

本当に最初から私たちのことをモルモットとしか見ていなかったのだと思うと、やはり辛いものを感じる。私は一度ここで日記を閉じかけた。


『アイシャ・ラルクロエには気を付けなければならない。奴は危険だ。隊員のカルテにコーヒーをぶちまけやがって。絶対に僕の研究室には入れないぞ』

私ってすごく嫌われてたんだなあ。あの時のマルセルの表情は作り笑いだったのか。そこに気付けなかったんじゃ、信頼を得られるはずもない。


『あの女。僕がいない間に研究室の掃除とか言って勝手に入ってくるとは。いったい何を考えている? 僕の機嫌を取ろうとしているのか? いや、そもそも鍵をかけてある部屋にどうやって入ったのだ。鍵を壊された形跡もないし。アイシャに関しては調査が必要だ』

‥‥‥‥‥‥すまん。


『確かに今日は『南』での戸籍を作る上で便宜上こしらえた僕の誕生日ではあるが、どうしてあの女は僕に関わろうとするのか。必要以上の接近は使命をまっとうする上で邪魔になる。それに何だあの不気味な砂糖菓子は。支部長としては立派になってきたが、女としてはダメダメだ。まぁ、思考を巡らす上で糖分は必要だから栄養補給の一環として摂取したが、それにしても甘すぎる。端的に言えば、僕の好みではない』

 一部を抜粋する形となっているが、ここまでが約二年間の経過となる。そして私は気づいたのだが、マルセルの日記の多くに私が登場していた。どうやら私は嫌われているようだが、それでも彼の中に私という存在がいたことの証明がされていることはうれしかった。支部長の役割を果たそうと躍起になっていた努力も無駄ではなかったのかもしれない。

 そして、その後も特に変わった様子もなく順調に過ぎていった。いつも苦労をかけているマルセルを助けようと私が何かするたびに、彼が愚痴を日記に書きなぐるのも変わらず、全てが平和に進んでいた。本当にどうしてこんな結末になってしまったのか。

 しかし三年目のある日、マルセルの日記に異変が現れた。


『ジーニアスなどいない。存在してはいけない。認めてはいけない。その『核』が心臓にあるのだとしたら抉り取ってでも調べてやる。あの人の娘が起こした事件がジーニアスを否定する材料にならないのだとしても僕は諦めない。不平等な世界の不平等なシステムは正されなければならないのだ』

 ここで彼の日記は一度途切れる。

次のページからは、まるで思いついたことをその場で殴り書きそしているような、見たことのない数式ばかりが並んでおり、私には理解できなかった。

しかし、私が注目したのは彼が執着した『心臓』だ。確かに心臓を取りかえることでジーニアスとの契約がなされることは周知の事実ではあるが、それが彼の研究に何の関係があるのだろう。『南』にとってはごく当たり前のことだが、それがそのまま事件に繋がっていることは明らかだ。

 もう書かれることはないと思っていたが、日記は少しだが再開されていた。


『フレイティア・ヴェスタが僕の全てを狂わせた。奴の存在が僕の人生を否定した。殺さなくてはならない。リナリア・シュガーロットも同じだ。僕の研究に役立たないと分かれば殺す。何が半ジーニアスだ。どうして心臓を交換することでリナリアが起こす現象を抑制できるのだ。そんなもの、非科学的だ。根拠のない物に踊らされるだけの滑稽な人形に成り下がるつもりはない』

 これは私がフレイティアとリナリアをレイアクール支部へと連れてきた日のことだ。全然気づかなかった。ここまで悩んでいたなんて全く知らなかった。マルセルは全く表に出していなかった。しかし、マルセルが感情を表に出さなかったことが、私が彼の心中を気付いてやれなかったことの言い訳にはならない。

 どうして私は、気づいてやれなかった?

 十歳に達すれば儀式によって自動的に『才能』を与えられるシステムに対する認識もそうだ。私は物事を表面上でしか分かっていなかった。契約したジーニアスのヒエラルキーだってそうだ。『才能』の有能性に関してコンプレックスに感じていた人もいただろうに、私は『みんな違ってみんな良い』などという普遍的な理想を個人レベルにまで押し付けていたんだ。

 全ては同じなんだ。マルセルの悩みに気付いてやれなかったのも、確かに存在する才能の優劣から目を逸らしていたことも。

 『持つ者』と『持たざる者』の間にそびえる大きな壁。そして『持たざる者』の方が才能の価値を深く理解している。なんて皮肉な話だろう。

 だが、私は気づくことができた。

今更気付いたところでマルセルは返って来ないし、気づいたところで『壁』を取り除くことなどできはしない。それでも、気づくことが大きな一歩だと思う。

 そしてもう一つ。確かに『南』ではジーニアスから『才能』を与えられる。しかしそれは、あくまで自分に生まれつき何に秀でていているのかを見つける期間を省いただけとも言える。まぁ、実際は才能を伸ばすよりも、自分の才能に気付くことの方がよっぽど難しいことだと言えるが。

 しかし、そのことが意味する本質は違うと思う。つまり、『才能』はあくまで生きるための手段に過ぎないと言うことだ。自分の長所に気付いたところで、それを伸ばす努力をしなければそこでおしまい。『南』と『北』の違いは、自分の才能に気付くことの難易度設定の違いだろう。

 もしマルセルがそう考えることができたならば違った結末を迎えていただろうと、私はありもしない未来を思い描く。

(マルセル‥‥‥お前はどこまでも不器用で、どこまでもバカな奴だったよ。私でも引いちまうほどの大馬鹿野郎だ。でもな――)

 私はその場に静かにしゃがみ、持っている手帳をエメラルドグリーンに輝く湖にそっと沈める。きっとマルセルはこのまま歴史の闇に葬られるだろう。この日記は私と彼がともに過ごしていた唯一の証拠と言ってもいい代物だ。そんな、大切な思い出が消えていく。

(でもな、私はそんなお前が好きだった)

 悲劇を悲劇のまま終わらせないために、私は前に進むよ。


         ※


 全てのジーニアス・ホルダーが去った後の『大樹アトラス』の地下。

 神秘の光を放つ湖中には、アイシャが沈めたマルセルの日記が不規則な波に運ばれ、その過程でページがめくられていく。それはまるで、マルセル・オービットとして『南』で暮らした彼の人生を振り返っているようだ。

 そして、水で浸された紙はインクを留めておけない。ページがめくられるたびにインクが溶け、儚く消えていく。

 だが、溶けたのはインクだけではなかった。

 日記の最後のページ。アイシャが気づかなかった細工が、湖に洗われて暴かれようとしていたのだ。

 それは本当に簡単な細工。最後の二ページが糊付消されており、それが水によって糊が溶け出した。それだけのことだ。

その隠されたページには、こう書かれていた。


『僕はこれから死ぬことになるだろう。しかし、それは僕が望んだことだ。だから決してこの世界に心残りがあってはいけない。後悔は覚悟を鈍らせるからだ。だから僕は、決して叶わないこの思いを、ここに閉じ込める』


『僕はアイシャ・ラルクロエを愛している。今までも、そしてこれからも』


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ファンタジー 異世界 能力バトル
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