表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ジーニアス・ホルダー  作者: 野水瑞乃
5/8

三章 極めてシンプルな世界

           1


リナリアとフレイティアがジーニアス・ホルダーレイアクール支部に所属してから三週間が過ぎた。自室のリナリアはベッドに腰掛けながら、ここへ来てから書き始めた日記を開ける。

「はぁ――」

しかしそれを読み返すたび深い溜め息が出る。

『今日はライカとたくさん話した。でもフレイが余分にみんなの食事を食べてしまい、食堂のおばちゃんにすごく怒られた――』

『今日もライカとたくさん話した。でも、フレイが廊下で出会う人たちを睨んでいるから、一向に友達が増えない――』

『今日はライカだけじゃなく、トーリさんとも話した。でもフレイがケンカを売ってしまい、結局もっと関係が悪くなった――』

「‥‥‥だめだ。こんなの読んでたらますます暗くなる」

 午後の訓練を終え、自室に戻ったリナリアとフレイティアは、夕食までの少しの自由時間を各々好きなことをして過ごしていた。そこで、リナリアは日記を読み返していたわけである。    

未だにライカとしかお話できないのには何か原因があるはずだ。そしてそれは過去を振り返る、つまり日記を読めば見つかるはず。

そんな経緯で彼女は今日も下を向く。

「それにしてもよォ、エレクのやつムカツクよなァ。何であいつあんなに威張ってんの? 確かに俺らの班の班長だけどよ。そんなこと、俺に命令する理由にはなんねェっつーのッ! ああん? リナリア聞いてる?」

 ベッドの上で胡坐をかいたフレイティアが、今日も今日とてエレクの悪口をリナリアにぶつけ始めた。

班と言うのは、五十人の候補生のうちで五人一組、合計十チーム作られた小隊のことである。基本的な訓練はもちろん、チーム演習や支部での仕事はすべてこのチーム単位で行われる。そして、その班と言うのが、リナリア、フレイティア、ライカ、エレク、バーニアの五人。アイシャは入団時のテストの結果を見て総合的に判断したと言っていたが、これは間違いであると言わざるを得ない。なぜならフレイティアとエレクの関係は、初日のデモンストレーション以来、より険悪なものとなっているからだ。

原因ほとんどが、フレイティアが一方的にケンカを売っているからなのだが。

リナリアはライカと同じチームで嬉しい反面、常にこのことで悩みを抱えているのである。

 ましてエレクは候補生主席、みんなの憧れ。彼の敵はみんなの敵。この等式が表すものを思うと、胃がキリキリと痛む。よって、リナリアには彼の不満を聞く余裕などない。

 それに、

(悪いのはフレイだけじゃない。だって、いくらジーニアスを消し飛ばす現象が起こらないとはいっても、気持ち悪いもんね‥‥‥私)

 リナリアは理解していた。『悪魔の子』が南大陸に刻みつけた傷はそれほどまでに深いのだと。無害と分かったとしても身体が受け付けない。『南』に生きる者としての本能が拒絶するのだ。

「おいリナリア、聞いてんのか?」

「はぁぁぁぁぁぁ――」

「うっわ、重ッ!? お前さぁ、ちっとは自信持てよ。毎日頑張ってんじゃんよォ‥‥‥」

 いつにもまして暗いリナリアを見て、徐々に頭が冷えていくフレイティア。

「あのう、リナリアさん?‥‥‥そろそろメシ行こうぜ?」

 心臓(こころ)で繋がっているフレイティアは、なんとなくだがリナリアの感情が分かるような気がしていた。だからこそ、夕食に誘う。このままリナリアを放置しておけば、今にも自殺してしまいそうだったからだ。


          2


夕食は、女子寮の一階にある食堂で、決められた時間内に好きなタイミングで食べてもいいことになっている。リナリアとフレイティアは廊下でライカと合流し、席を共にしていた。

「そういえばさぁリナリア、こんな噂を知ってる?」

「何ですか?」

 麺をからめ取るフォークを皿の上に置き、突然ライカが話題を提供した。

「ここ三週間くらいなんだけど、深夜になると女子寮の裏の茂みで、夜な夜なボワァって明かりが灯るんだって」

「へ、へぇ。そうなんですか」

「それでね、一部では、女子寮に忍び込もうとしている男が侵入経路を開拓しているっていう仮説が立っているんだけど、その辺りどう思われますかな?」

「ちょ、ちょっと何カメラ回してるんですか」

「撮ってない撮ってない。雰囲気出してるだけだよん」

 リナリアは一生懸命、平静を取り繕うとする。しかし嘘をつけないタイプなのか、スプーンでスープをすくう手が見るからにガタガタになっている。

「わ、私の口からはなんとも言えないですねぇ」

「だってさ、おかしいと思わない? 寮の規則が厳しいことくらいみんな知ってるからそれを破るとは思えないし、女子寮はここ数十年間男子の侵入を許したことがない。じゃあいったいなんの明かりなんだろうね?」

 リナリアとライカは隣同士で座り、それに向き合う形で肉を貪るフレイティアが二人の会話に気付く。

「ああん? なんだぁメガネ女。そんなの簡単だろうがよ。俺とリナ――」

「あわわわわわ、何言ってんですかフレイ! フレイがそんな難題を解けるわけないじゃないですかッ!」

「んだとこらッ!」

 机をたたき、口から肉の欠片を吹き出しながら怒鳴る。

(言えない! 消灯時間が過ぎてるのに勝手に抜け出して、フレイに炎の特訓に付き合ってもらっていたなんて口が裂けても言えないッ!)

「なるほどね。消灯時間が過ぎてるのに勝手に抜け出して、フレイ君に炎の特訓に付き合ってもらっていたんだ」

「そうそう、毎回背筋が凍る思いなんですよ‥‥‥って、え?」

「全部口に出ちゃってるよ。本当にリナリアは可愛いなぁ」

 リナリアは思わず手で口を押える。そして、それを見て笑いながら「ごめんごめん」と軽く謝るライカ。

「あの、その‥‥‥ライカ――」

「分かってる。内緒にしてあげるから気にしないで。頑張ってるリナリアの邪魔はできないよ。それで、本題はここからなんだけど」

 手を前でモジモジさせながら本気で心配そうなリナリアの顔に安堵の色が広がったことを確認してから、ライカは本題を切り出す。

「これもまた噂なんだけど、リナリアも『南』と『北』がずっと冷戦状態って言うのは知っるよね」

「はい、分かります」

「『南』は暖かくて資源も豊富で、しかもジーニアスと契約もできるじゃん? でも、その『才能』のシステムは『北』には無くて。まぁ、その代わりに『北』は『技術』が発達してるらしけど、それでも人々の貧富の差が激しいらしいのよね」

 ここまではリナリアも神父の授業で聞いて知っていることだ。とするライカの言いたい核はこの先。リナリアはスプーンを置き、真剣に耳を傾ける。

「だから『北』から『南』からの亡命者やスパイがけっこういるらしいのさ。そして、それはこのレイアクール支部にもいるかもしれないっていう噂を聞いたんだよ」

 「眉唾物だけどね」と、ライカは付け加える。

「まぁ第一、スパイがいるとしたら、ジーニアスの才能を持っていないはずだからすぐバレちゃうか」

 愉快に笑うライカとは裏腹に、リナリアは少し考える。彼女はすぐに神父の言葉を思い出した。

『南大陸の人の心臓を取ってしまうらしいのです』

 リナリアはフレイティアとの契約を通して、ジーニアスから与えられる才能は心臓を核にしていることを知った。彼女には、その二つがどうにも無関係とは思えないのだ。本当に『北』が心臓を奪うのだとしたら、きっとそれには何か特別な意味があるのではないか。たとえ単なる噂だとしても、火のないところに煙は立たぬ。

(炎使いなだけに)なんて、思ってしまったりするのはご愛嬌だ。

「本当にそうでしょうか。ライカは聞いたことがありますか? 『北』の人は『南』の人の心臓を――」

その時だ。食堂内に絶えずこだます雑談を遮るように、寮内に設置されたいくつものスピーカーからキーンとしたノイズが響いた。その後に流れたアイシャの声に、食堂にいる誰もが会話をやめて集中する。

「あーあー、こちら支部長室。食事中だが緊急の出動だ。各部隊の隊長は隊員を引き連れて正門に集合、候補生の班長は支部長室にてラルフの説明を受けろッ! 以上」


          3


 エレクを含めた十人の候補生の班長達は、ラルフを前にして特に並ぶことなく好きな位置に立つ。

「みなさん、先ほどの放送は聞きましたね? 数時間前、レアクール中心地より北西に五十キロの地点で大規模な火災が発生しました。その結果、被害者は現段階でも数百人規模、この支部だけではなく他の支部のジーニアス・ホルダーも総動員させる事態に発展しました。この支部で残ったのは僕と事務員だけです。よって、今後の指示は僕が出します」

 大事件が起きた、ということは理解できる。だが実際に関わることのない事件に関して、彼らの意識は薄い。

「まずは第一班、エレク・デミオンくん。君の班には夜間の正門警備を担当してもらいます。きちんと前の担当者から引き継ぎをして、一時間ごとに定期連絡を僕に入れてくださいね」

 しかし、エレクの表情はどこか強張っていた。彼には気になることがあるのだ。レイアクールの北西と聞いたところで頭をよぎったのは自分の実家。母と父の住む家。

「一つお聞きしたいのですが、 北西というは、ひょっとしてレヴィアも含まれていますか?」

 彼は震える声で、自らの故郷の名を口にする。

「レヴィア‥‥‥ですか。そういえば、君はそこの出身でしたね。心配なのは分かりますが、アイシャ支部長も現地に向かっています。ですから安心して今は任務に集中してください」

「ですがッ!?」

 そこまで言ってエレクは口を紡ぐ。そしてすぐに周りのチームリーダーたちの顔色を伺った。

(くそ、俺はこんなことのためにッ!)

 感情に任せて振る舞うことができればどれほど楽か。エレクはあろうことか、一瞬あの赤髪の男のことが少し妬ましく、羨ましく感じてしまう。そして、そう感じてしまったことが余計に悔しい。

(俺はいったい何を――)

 彼は静かに唇を噛みしめる。

「次、第二班――」

 着々とラルフによる連絡が進むなか、エレクはそれらを聞き流す。大災害が起こっているのに、自分は何をしているのだ。何もできない己の小さな手を見つめながら自問自答を繰り返す。

「それでは、僕からの連絡事項は以上です。何かあったらすぐにみなさんに配布してある端末を通して連絡してくださいね。それでは、解散」

エレクは口に広がる血の味を確かめ、血が止まるほど強く拳を握りしめた。


          4


食堂でアイシャの放送を聞いた三人はエレクからの連絡があるだろうと思い、その場で待機していた。そして三人の耳に付いている小型無線機に、同時にザザーと通信が入る。

「お、エレクさんからの連絡かな?」

 ライカの声で、同時に三人はスイッチを入れる。

「はいはーい。三人ともいるよ」

「よし、いいだろう」

「深刻そうにしてどうしたよ金髪。いつものスかした態度を見せてくれや」

 こんなところでもケンカを売るフレイティアに対して、服の袖を引っ張ることでリナリアは注意を促す。

「もう、やめてくださいよフレイ」

 喧嘩口調の班員に対し、気だるそうにエレクは話を続ける。

「まぁいい。バーニアにはもう連絡をしたが、レイクールの北西で大規模火災があったそうだ。そのせいで正規のジーニアス・ホルダーはどの支部も出払っている。ここに残ったのはラルフ支部長補佐だけだ。そこで俺たちは今晩、現場に向かった人たちの代わりに仕事を引き受ける」

「そんな‥‥‥私たちも何か現地でできることはないのでしょうか?」

「リナリア、今は自分たちの仕事に集中してくれ。歯がゆい思いをしているのは君だけじゃない。いいか? フレイティアも真面目に聞きたまえよ?」

「うるせェな。わーッてるよ」

 頭を掻き、あくびをしながら答えるフレイティアの態度は、たとえ見えなくても伝わるものがある。ゆえにそれ以上は追求しまい。エレクは彼に関しては半ば諦めながら咳払いをした。

「俺たちは夜間の正門警備をすることになった。午後九時に現地に集合。くれぐれも遅れないでくれ。以上だ」

 それだけ言い残すと、逃げるように通信が切られた。そしていつもと少し様子の違うエレクの態度に、リナリアは若干の違和感を覚える。

「エレクさん、どこか様子が違いましたよね。何か、苛立ってるみたいで――」

「ああん? 金髪のことなんてほっとけよ。そんなことより俺は肉を食う」

 再び肉を手に取るフレイティアを見て、リナリアとライカは非難の視線を彼に向けた。

「フレイくんや、エレクさんは私たちのリーダーじゃないか? そんなそっけない態度じゃ仲良くなれないよ?」

「うるせェ。俺は別に慣れ合う気なんざねェんだよ」

「私の気も知らないで――」

 下を向きながらそう呟いたリナリアの顔は、長めの前髪が邪魔して見えない。そして、見えないからこそ余計に恐ろしい。一度、不機嫌なリナリアに仕返しをしようとして酷い目に合っているフレイティアは、彼女のの顔を下から恐る恐る覗き込みながら、声をかける。

「あ、あのぅ、リナリアさん? 俺が何か?」

「フレイが、フレイがいつもそんな態度だからいつまでたっても――」

 リナリアはそこまで言って、とっさに口をつぐむ。

(今、私は何を言おうとしていたの?)

 友達ができない理由は自分にもある。それなのに、全ての原因をフレイティアに押し付けようとしてしまった自分に嫌気がさし、吐き気すら覚える。

「‥‥‥ごめんなさい」

「いや、俺も悪かったよ」

 フレイティアの『核』は今、リナリアの中にある。リナリアがフレイティアの考えが読めなくても、彼には彼女の心が分かる‥‥‥気がする。

(この女は、まだ友達ができねェことで悩んでやがるのか)

 リナリアが心に負った傷の深さはフレイティアも理解はしている。そのせいで未だに世間に馴染めない辛さもわが身のことのように感じる。だからこそ、彼は悔しいと思った。

「俺じゃあ不満かよ――」

「え?」

 心につっかえていた思いを絞り出すように、フレイティアの口から声が洩れる。

「そりゃ俺はバカだけどよォ、これでもお前のことを理解しているつもりだ。ジーニアスってのはそういうモンだからな。それなのに――」

 フレイティアとリナリアの目が一点で交わる。トクントクンと心拍数が上昇するのを感じ、顔を背けたくなる羞恥心に襲われるが、二人は互いの瞳から目を逸らせない。

「俺がそばにいるだけじゃ、お前は不満なのかよ」

 二人が静止したまま見つめ合って、何秒経過しただろうか。フレイティアはようやく自分がすごく恥ずかしいことを言っていることに気付き、頭から実際に火を噴きながらリナリアに背を向けた。が、

「待って」

 走り去ろうとするフレイティアの手を、リナリアが掴む。フレイティアがその手を振り払おうと力を込めても、放さない。

「んだよ‥‥‥放せよ」

 リナリアを突き放そうとぶっきらぼうに応えたフレイティアだったが、彼女によるジーニアスへの強制力が働いてうまく逃げられない。つまりそれは、

(こいつ、俺を逃がさないつもりか? いったい何だってんだよ)

 そしてそのまま、リナリアの紅潮した顔がフレイティアの顔に迫る。

「ちょッ、おまッ、何をッ!?」

 かつてリナリアのこんな顔を見たことがあっただろか。時間的にはまだ一ヶ月ほどだが、二人は四六時中ともに行動する間柄。その濃密な関係は時間の不足を補って余るほど。

 十三歳の少女は、女の顔をしていた。

(ああん? 何なんだ! リナリアの心が全く読めねェ。というかコイツ、何も考えてねェんじゃねェか?)

 訳のわからない状況にテンパりまくるフレイティア。彼はリナリアに襟元をつかまれ、二人の距離はますます縮まる。

「ぐふふ‥‥‥そのままや。そのままいっちゃえ」

「そうだ、そのままいっちゃ‥‥‥え?」

 ふと第三者の声に気付き、フレイティアの頭が冷却される。そして、状況を客観的に判断できるまでの余裕を手に入れた。

「そのままや‥‥‥そのままチューしろチュー」

「おいメガネ、なに撮ってんだ」

 途端に、リナリアがフリーズする。そしてギギギと、まるで油の切れたブリキ人形のようにぎこちない動きで顔をライカのほうへ向けた。

「フ、フ――」

 正気に戻った彼女の口から出た言葉は、その一文字から始まる。

「フレイのばかぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

「えッ、俺ェ!? バカッ、お前、走るなッ! そんなに離れちゃイヤ‥‥‥アーッ!!」

 そこでフレイティアの意識が途絶え、机や椅子をなぎ倒しながらぶっ倒れる。

「ご、ごごごごめんなさいッ!!」

 彼が機能停止したことに気付いて悲鳴に似た声を上げながら即座に引き返すと、フレイティアは息を吹き返した。

「て、てめェ‥‥‥ハァァ」

(女って、分かんねェ)

騒ぎに気付いた人々に看取られながら、フレイティアは仰向けの状態で静かに目を閉じた。


          5


「リナリア、いいか? 絶対にそこを動くなよ。一歩でも後ろに下がってみろ。泣かせてやる」

「それは、私が何度も言ったのにフレイが聞かなかったから‥‥‥フレイがいけないんです!」

 ジリジリと詰め寄るガラの悪い赤髪の男。男の迫力に気圧されながらも、必死に食い下がろうと距離をとる黒髪の少女。そこでは、お互いに一歩も退かない攻防戦が繰り広げられていた。エレクの指示通り正門の警備を交代しに行く道すがら、二人は睨みあう。

「私、何度も言ったじゃないですか!」

「だからってお前、そんなに距離をとることないだろッ!‥‥‥アーッ!?」

「変な声出さないでください。元はといえば、フレイが洗濯物をいつも裏返しに脱ぐからいけないんです! いちいち直す私の身になってくださいよ。いつもそばで見ているくせに――」

「ああん? そんなもん、表だろうが裏だろうが乾けば関係ねェだろォが」

「そんな、そんな言い方ないと思います。私は次に着やすいようにと思って――」

「アーッ!? バカ動くな! それ以上動かれると、俺が死ぬッ!」

 その時、フレイティアから十メートル以上の距離をとろうと後退するリナリアの背中を、何者かが受け止めた。ポスンという間の抜けた音と共に、小柄なリナリアの身体は背後に立つ少女の腕に収まる。

「君たちは夫婦かッ!!」

 リナリアを止め、フレイティアを窮地から救った我らが代弁者の名はライカ・ハッセル。

「ラ、ライカ‥‥‥止めないでください。彼にはここでしっかり言っておかないと」

 月の光を頼りに、リナリアはフレイティアとのギリギリの距離を測る。

「お前ら何をやっている」

 三人の後ろからエレクが声をかける。リナリアが感じたピリピリした雰囲気をそのままに、彼はバーニアを連れて近づいてきた。

「緊張感が足りないぞ。俺たちは今出払っている正規メンバーの代わりを務めるのだ。そんな浮かれた気分では困る」

「ああん? てめェ何ピリピリしてんだよ。俺たちがなんかしたかよ?」

 ピンと張りつめた空気がその場に満ちる。そこには班やチームといった言葉から連想される和気藹々とした雰囲気は微塵も感じない険悪なムード。嫌な沈黙だ。

 エレクはフレイティアから目を逸らす。だが、決して気圧されたわけではない。言っても分からないバカに付き合う義理は無いという意思表示だ。そして視線を向けた先は、正門に立つ物見やぐら。そこに明かりがついていることを確認する。だがそこで、エレクには腑に落ちない点があった。

(明かりはついている‥‥‥が、人影がない?)

警備というものは実質、外から見えてこそ意味がある。「見張っているぞ」というアピールがあれば、それだけで侵入の妨げになるからだ。いくら暇だからとはいえ、万が一のことがある。

エレクはラルフから警備にあたっていた事務員は二人と聞いていた。したがって、なおさら正門から一人もいなくなるという状況の説明がつかないのだ。

「エレクさん、どうかしましたか?」

 隣に立つバーニアが焦りと不信感の色を顔に出すエレクに声をかける。

「い、いや。なんでもない――」

 こんなことを考えてもしょうがないと、些細なことには目をつぶることにする。

「あ、あの‥‥‥もう時間、九時を回ってますよ! 急ぎましょう」

 この空気に耐えきれなかったリナリアが、しどろもどろしながら沈黙を破る。必死に話題を逸らそうとしいている彼女は目を回していた。そして気が動転したリナリアは一人で正門の物見やぐらへ向かって走り出す。しかし二、三歩駆けだしたところで何かに躓いて転倒した。

「おいおい‥‥‥」 

 少女の奇行を目の当たりにしては、フレイティアの反応が妥当だろう。呆れた様子で十三歳の少女の姿を見つめた。

「いてて‥‥‥何ですかもう」

 ぶつけたところを擦り、制服に付いた土を払い落としながらリナリアはのそのそと立ち上がる。いったい何に躓いたのか、ちょうど月が雲に隠れて光が遮られているせいで見えない。

 その時、生暖かい風が吹き抜けた。

 風は汗が滲むリナリアの額を撫でながら、月を覆う雲の動きを加速させる。

 瞬間、雲が晴れ、リナリアが躓いたものの正体を明らかにした。

 人間は五感を持って世界に触れ、また、それを言葉によって抽象化し、脳の中で再構成してこの世界の在り様を把握する。しかし、リナリアはその物体を目で見て、肌で触れて、臭いを嗅ぎ、風の音を聞き、口の中の砂を吐き出してもなお、『この世の在り様から外れたそれ』を認識できない。

 リナリアは月明かりに照らされたものを見て、呼吸が止まる。

「お、おい‥‥‥リナリアお前それ、人じゃねェかよ」

 フレイティアが指を指して指摘する。その言葉でリナリアはようやく自分が躓いたものの正体を頭で理解した。

「そんなッ!? どうなさったんですか! しっかりしてくださいッ!」

 すぐに膝をついて、倒れている人を揺する。しかし、その『物体』はピクリとも反応を示さない。そこでリナリアは自分の手が生暖かい粘着質の液体で濡れたことに気付く。

それが血であると認識するには数秒を要した。

 さらに、その『物体』には大きな特徴が一つある。

 胸の中心から若干左寄りの空間が欠落していたのだ。

 つまりそれは、心臓がないということ。

「あ、ああああああああああ――」

 リナリアの頭に、神父から言われた言葉が繰り返される。

『南大陸の人の心臓を取ってしまうらしいのです』

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああ――」

 嗚咽を漏らしながら頭を抱え、その場にうずくまる。その場にいた他の四人もまた、事態の重さに凍りついた。まさか、『南』を守護するジーニアス・ホルダーの支部で、しかも王の座す王都で、このようなことが起きるなど微塵も思っていなかったのだ。

それに第一、候補生である彼らにはまだ、『死』に対する覚悟など到底なかった。

 ハッと我に返ったエレクが、ラルフに連絡を取ろうと腕に装着している端末のスイッチを入れたその時、五人の背後で第三者が土を踏み鳴らす音がした。きっと事態に気付いたラルフであると期待して五人は振り向く。が、そこに立っていたのは見覚えのない、そして妙に現実離れした格好の人物。

 真っ白なロングコートに、白いフルフェイスヘルメットで顔を隠した、体格だけで判断すれば男なのだが、現段階ではそれすらも分からない。そのヘルメットの人物は五人の前に立つと、不自然に首を傾けた。

「そこから離れてくださいッ!」

 ヘルメットの人物の後ろから、ラルフが息を荒げながら走ってきた。その顔はいつも彼からは想像ができないほど苦痛に歪んでいる。やがてラルフは立ち止まり、ヘルメットの人物を挟む形となった。

「ラルフ支部長補佐、これはいったい――」

「話は後です。君たちは他の候補生たちに避難を呼び掛けに行ってください。こいつは僕が足止めします」

「な、何を――」

「急いでッ!!」

 ラルフの剣幕に圧されてエレクは後ずさり、一度頷く。そしてすぐ自らの班のメンバーに意向を示そうと振り返る。

「おいリナリア、落ち着け! 俺の目を見ろッ!」

 その場にしゃがみ込み、頭を抱えて嗚咽を漏らすリナリアの肩を揺すりながら、フレイティアトーリイカは彼女に声をかける。

「どうしちゃったのリナリア! しっかりしなよッ!」

 しかし二人の必死の呼びかけも虚しく、リナリアの目は焦点が定まらない。このままでは壊れてしまうと、フレイティアは悟った。一刻も早くこの場から彼女を遠ざけ、リラックスできる環境に移動させなければいけないと。

「支部長には緊急信号を送りました。だから早く逃げてくださいッ!」

そう叫ぶと同時に、ラルフはヘルメットの人物に向かって走り出した。彼は両手の指を大きく広げ、指の一本一本から長さ五十センチメートルほどの光の刃を出していた。そして何より、スタートダッシュからトップスピードまで持っていく時間が早い。見るからに攻撃的な形状の才能と彼のフィジカルの強さが相乗効果を生み、才能を一段階上にシフトさせたのだ。驚異のスピードで繰り出される脅威の切れ味を持つ刃は、それだけで恐るべき威力を生む。

「ハァァァァッ!!」

 ラルフが通過した後には突風が吹き、落ちている草木を巻き上げる。そして目標であったはずのヘルメットの人物の横を通りすぎた。

次の瞬間、謎の人物のヘルメットが落ちる。しかしそれはヘルメットを切ったのでも、意図的に脱いだのででもない。首ごと斬り落としたのだ。それに続き、今度は身体が細切れになり、鮮血が迸る。ラルフはヘルメットの人物の死体を振り返ることなく、五人に話しかけた。

「みなさんには候補生たちを避難させる誘導係をお願いしますね。エレク、バーニアは男子寮。ライカ、フレイティア、リナリアは女子寮をお願いします」

「ラルフさん‥‥‥」

 目の前で起こった惨劇を見て、震え声でエレクが口を開く。

「あなたは何をやっているのですか?」

 その言葉を聞き、ラルフは頭上にクエスチョンマークを浮かべる。

「何って、僕は敵を‥‥‥」

 敵を切っただけです。

ラルフはそう答えるつもりだった。しかし、それを言う前にエレクの次の言葉によって全てが逆転する。

「なぜ何もない空中をひたすら切っているのですか?(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)」

 エレクだけではない。バーニアとライカも、おかしなものを見る目でラルフの奇行を唖然として見ていたのだ。しかし、表情は突如一変し、三人の顔は驚愕の色に染め上げられる。ラルフがエレクの質問に答えかねて立ち尽くしていると、彼の胸から真っ赤に染まった腕が飛び出したのだ。

「あ‥‥‥ぐッ‥‥‥え?」

 口から大量の血を吐きながら、ラルフは何が起こったのかも分からず、自分の胸を突き破ったものの正体を探るため、顔を後ろへ回す。そこにいたのは絶命したはずのヘルメットの人物。そして、ラルフの胸から突き出た手には、拳ほど大きさの、脈を打つようにピクピクと動く何かが握られていた。

「おま‥‥‥え、僕‥‥‥の心臓――」

 ガシュッと、ヘルメットの人物が勢いよく腕を引き抜き、同時にラルフがその場に崩れ落ちた。

「い、今の音は何です? 何が起こっているんですか?」

 不自然な音に反応して虚ろな目でリナリアがフレイティアに問いかけた。そして彼女は疑問を解消するために顔を上げる。

「見るなッ!」

 が、フレイティアはリナリアの顔を胸にうずめることで回避。

「フ、フレイ? 何ですか、放してくださいよ。何が起こっているんですか? 私だけ蚊帳の外ですか?」

生気のない声で、リナリアは死んだようにボソボソとつぶやく。そんな彼女を包み込む腕に、フレイティアはさらに力を込めた。

「俺はリナリアを連れて先に行く。異論は聞かねェ。男子寮は頼んだぜ」

「フレイくん、何を――」

「メガネ女、退がってろッ!」

 有無を言わせない口調に、ライカは従うしかなかった。直後に、二人を包むように炎が立ち上がる。それはフレイティアが行う長距離移動法。脚から吹き出す炎のブーストと、急激に温められた空気が膨張するエネルギーを加速に使うものだ。暴れるリナリアを半ば強引に押し付けながら、次の瞬間、フレイティアが飛ぶ。

「エレクさんッ! フレイくんたちが――」

「分かっているッ!」

 エレクは動けない。息を荒げながら地面に転がるラルフの姿とヘルメットの人物を交互に目で追い、酸欠で倒れそうな身体を何とか支える。

「ハァハァ‥‥‥分かっている! 分かっている! 分かっているッ!!」

 だが、言葉と行動が一致しない。そして徐々に感覚が鈍ってくるのをエレクは感じた。極度のストレスのせいで視界が霞み、全身が麻痺する。

(勝てない。こいつだけには何があっても勝てない)

 白のシルエットを見て、彼は本能でそう察知した。理由は分からない。ただ、ヘルメットの人物を見ているだけで、闘志や活気といった己を掻き立てる意志が根こそぎ消失していくのだ。

 エレクは焦る。ふと周囲を見渡すと、赤の上向き矢印、すなわちエレクに対する支持を表していたマークが消え、ライカの頭上には『無関心』のアンダーバーが浮かんでいたからだ。さらに、バーニアまでもが『支持』を失いつつあった。そして、最も忌避すべきなのが、己に対する『支持』を失うこと。エレク自身が「相手には勝てない」と心が折れてしまったら彼の『才能』は完全にその効力を失ってしまう。

 そこから導き出される結論はただ一つ。

「‥‥‥バーニア、ライカ、聞こえているか――」

 恐怖に震えた声で、後ろに立つ二人に声をかけた。

(ヘルメットの人物を前にした時点で負けは確定している。そう思わせられる何かがある。この不自然な喪失感はいったい何なのだッ!)

「今、あいつはラルフさんに集中している。今のうちに逃げるぞ」

 このような相手を前にして、ラルフはいったいどのような心境で立ち向かっていったのか、全く想像ができない。第一、立ち向かうという選択肢すら浮かばない。エレクは額の汗をぬぐう。そしてラルフの遺体を一瞥し、彼に精一杯の敬意の念を抱きながら体を反転させた。

「行くぞ。あのバカが女子寮に行ったのなら、俺たちは男子寮だ。はやく他の候補生たちに知らせなければッ!」

 二人はエレクの覚悟を感じ取ったのか、反論することなく静かに頷く。そして闇にまぎれて走り出した。

 ヘルメットの人物は彼らを追うことなくその場に立ち尽くす。そして胸に穴の空いた南大陸の人間を見下ろしながら、入手した心臓をどこからともなく取り出した溶液で満ちたカプセルに収納した。そしてそのカプセルは沈み込むように消える。どこにもそのようなスペースなどありはしないのに。


          6


 レイアクール中心地より北西に五十キロ、燃え盛る街並みを背景にアイシャは住民救助の指揮を執る。

「おら第三部隊、手が空いたら今度は第五区に回れ! あそこは人手が足りてねぇ! ゲロ吐いてでも生きた人間を抱えてこいッ!」

 両腕に気を失った男女を抱えながら耳に付けた通信機を通して部下に指示を送っていると、突然通信機に別チャンネルからの割り込みが入った。それはけたたましいアラームでアイシャの鼓膜を劈く。

「第四部隊は‥‥‥ああもう、うるせぇなあ! なんだこんな時に――」

 しかし、アイシャはすぐにそれがレイアクール支部からの緊急信号であることに気付き、顔の色を変えた。そしてラルフに連絡を取るため、ひとまず抱えている住民を火元から離れた木の陰に隠す。その後、通信機のダイヤルを調節し、ラルフのチャンネルに合わせて発信。しかし、ジジジジという呼び出し音が続くだけで、反応がない。

「くそッ、こんな時に何だってんだッ! ラルフは何をやってやがるッ!」

 アイシャはラルフが放ったと思われる緊急信号の重要性について知っている。ゆえに、いくら非常事態とはいえそれを無視するわけにはいかない。彼女は他に支部に残っていて、連絡が取れそうな人物を模索し、思いついた人物の個人通信用のチャンネルにダイヤルを調節、発信。

「‥‥‥‥‥‥お、やっと出たか。私だ。先ほどラルフから緊急信号を受けた。そっちで何かあったのか?‥‥‥マルセル」

「アイシャか、ちょうどいいタイミングだ。先ほど何者かの襲撃を受けたのだ。怪我をした候補生は僕のところで預かっている。申し訳ないが、一度こちらへ戻ってきてくれないか?」

 アイシャは、信頼のおける部下であり、腕の立つ抱え込みの医者であるマルセルの声を聞きいてひとまず安心し、胸を撫で下ろす。

「分かった。だが、すぐには戻れない。そうだな、一時間待ってくれ――」

 それともう一つ。と、アイシャは付け加える。

「さっきからラルフの野郎と連絡がつかねぇんだが、あいつを見えてねぇか?」

 彼女の質問を受け、うーんとうなるマルセル。

「どうだろうか、僕は見ていないな。だが、見かけたら連絡する。とにかく君は急いで戻ってくれたまえ」

 その言葉を最後に、通信が切れる。アイシャはいまいち支部の状況が掴めず、そもそも緊急事態であることも半信半疑だが、それでも戻らないわけにはいかないだろうと判断した。

「おいゼノ、悪いが、お前が乗ってきた馬を借りるぞ」

 アイシャは近くにいた部下を呼ぶ。

「はぁ!? ちょっと支部長、マジで勘弁してくれ! 俺っちどうやって帰んだよッ!」

 ゼノと呼ばれた、両耳に大きなピアスを付けた軽薄そうな男が抗議をする。が、アイシャは聞く耳を持たない。そして、すぐ近くに待機させてある濃い赤色の馬にまたがる。

「うるせぇッ! てめぇは走って帰ってこい。第一部隊長ゼノ・ガルシア、後のことは任せたぜ」

「そんな横暴が許されてたまっかよぉ‥‥‥ちょっと待ッ――」

 しかし馬の速度は、部下の叫びを簡単に振り切る。風のような速度でアイシャは駆け出した。

(くそッ、いったいレイアクールで何が起こってやがんだッ!)


          7


「何だッ! 何が起こっている!」

 王権直属の『大樹アトラス』に咲く契約者の『花』を監視する組織である『花見』機関。その中央管制室においてモニターを見つめるルーシー・ヘイムニルは、明らかな異常事態を目の当たりにし、たじろぐ。彼女の目の前には何十人といるスタッフがそれぞれ小型のモニターに向かい、通信機を使って連絡を取りながら事態の解析に努めていた。

 『花見』では、レイアクール支部の候補生として登録されている花が一気に何十個も散るのを観測していた。且つ、北西で発生した大規模火災による死者も含めて、『花』の一斉落花はかつてない規模に膨れ上がっていたのだ。

「観測班、現状報告を」

 ルーシーの言葉に反応して、一番右前の席に座っていた男性スタッフが立ち上がり、彼女のもとへ歩み寄る。

「ただ今の総落花数は三百十六。そのうち、レイアクール支部の候補生が三十五。こちらは原因不明。ただ今死亡原因を解析中であります」

「そうか。よし、戻っていいぞ」

「はっ!」

 元の席に戻る部下の姿を目で追いながら、報告を聞いたルーシーは歯ぎしりをする。彼女の頭に浮かぶのは一人の友人の姿。

(こんな時に、アイシャは何をやっているんだ――)

 アイシャは火災に駆り出されていてそれどころではない。それは分かっている。しかし、それでも理性で抑えられない感情というものがある。

 その時、ルーシーの背後にある扉が突然開いた。入ってきたのは局長、セドリック・ルフロ。彼は真剣な面持ちでルーシーに迫り、それに反応したルーシーが振り返って相対する形となる。

「ルーちゃん、行って来いよ」

「ちゃん付けで呼ぶんじゃねーですよ」

「ごめん、謝るからアイアンクローは許して」

 セドリックはまるでルーシーの次の行動を予測しているかのようなタイミングで釘を刺し、ルーシーは見越されていた右手を収める。

「でも、私が行くわけにはいきません。仕事が――」

「友達なんだろ? 気にしないで行ってきなさいよ。おじさん、君の分までお仕事がんばっちゃうからさ」

「しかし――」

「あーもう、いいからいいからッ!」

 そう言って、少し強引にセドリックはルーシーの背を押して、ドアの外に追い出す。

「あ、そうだ。南は凶の方角だから、正門からは入らないでね。逆に、北の裏門から入ると吉だよ」

 最後にそう付け加え、扉が閉められた。ルーシーは閉じられた扉にもたれかかり、大きく息を吐いた後、くすりとほほ笑む。だが、その眼には確固たる意志が宿っていた。

 大切な友達の、大切なものを守ろうという強い決意が。

「ありがとうございます」

 目を閉じながら静かにそう呟いて、青色の制服に身を包んだ美女は戦場に赴く。


          8


女子寮の三階の壁に大きな穴が空く。煙を上げながら立ち上がったのは二つの影、フレイティアとリナリアだ。しかしリナリアは、物理的な支えとなっていたフレイティアから離れるとすぐにペタンと座り込んでしまう。

「いいかリナリア、よく聞け。俺たちは今、敵の襲撃を受けている。敵の数も『才能』も分からねェ。だから、そこで取るべき行動は一つだ」

 リナリアの前でしゃがみながら目線を合わせ、両肩をつかみながらフレイティアは必死に声をかける。

「俺はもともと勝てねェ闘いはしねェ主義だからな。他の候補生たちを連れて、ガサツ女が来るまで逃げんぞ‥‥‥おい、聞いてんのか?」

「‥‥‥は、はい。ですが――」

 リナリアは虚ろな目でフレイティアの後ろの空間を見据え、ゆっくりと指を指す。

「あれはいったいどういうことでしょうか」

「ああん?」

 フレイティアはリナリアの言葉を受け、後ろを振り返る。するとそこには十数人もの人間が、ぐったりと生気を失ったように横たわっていた。その光景を見たフレイティアは興奮で赤く染まった顔を蒼白にし、一番近くに横たわっていた候補生の女の子のもとへと駆け出す。

「リナリア、何ボサッとしてんだッ! お前も来い!」

 呆然と、何か風景でも眺めるような態度のリナリアの手を強く引く。

(クソッ! リナリアのやつ、完全に参っちまってやがるッ!)

「おい、大丈夫か?しっかりしやがれッ!」

 仰向けで倒れる女の子を若干乱暴に抱き起しながら、フレイティアは大声で叫んだ。

「もう無駄です。脈が、ありません」

 そんな中、リナリアは冷静に候補生の手首に手を当て、残酷な事実のみを告げる。そして次々と倒れている候補生たちの安否を確認していく様子を、フレイティアは見つめた。

「な!? 死んでるってお前‥‥‥落ち着いたのは分かるけどよォ、そんな言い方はねェだろォが! 人が死んでんだぞッ!」

 先ほどまでのリナリアとは何かが決定的に違う。候補生たちを見下ろす彼女の顔は一切乱れず、ただそこに人が転がっているという事象を確認する作業をしているようだ。そんなのはリナリアじゃない。フレイティアが知っているリナリアじゃない。赤髪の半ジーニアスの青年はそこに焦る。

「お前よォ、どうしちまったんだ? もっとビビれよッ! 泣けよッ! 誰だよお前ッ!」

「あはは――」

 契約した精霊の言葉を聞くと、リナリアは少し大きめの制服を翻しながら振り向く。

「だって、わたしもう死体を見たんですよ? 今更、死体を見ても驚きませんよ」

「!?」

その瞬間、ゾクッと、フレイティアは身の毛がよだつものを感じた。

「そんなことよりフレイ、全く外傷がないのに死んでいる。しかも大勢で。いったいどうしたらこんなことができるんでしょうか?」

 しかし彼の疑問は、リナリアからの唐突な質問によって行き場を失う。

(ああクソッ! 何がどうなってやがんだッ! アテがねェわけでもないが、俺のとは規模も威力もが段違いだしよォ)

 なんとなく候補生たちの死因が推測できるが、今の段階で断定するにはまだ早い。そう思ったフレイティアは仮説をひとまず飲み込む。

「それにしても‥‥‥クソッ! どこのどいつか知らねェが、好き放題やってくれやがって」

フレイティアは激昂し、近くにあった掃除用の道具が収納されている高さ二メートルほどのロッカーを殴りつけた。

「きゃあああああああああああああああッ!?」

「「え?」」

 フレイティアとリナリアはお互い顔を見合わせ、同じ反応を見せる。ロッカーから何か悲鳴のような声が聞こえた気がしたのだが、気のせいだろうか。しかし、静まり返った廊下で聞き逃すほど人間は鈍感な作りをしていない。そのような半信半疑の状態で、フレイティアはロッカーの扉を開けた。

「‥‥‥‥‥‥何やってんのお前?」

 中にいたのは見覚えのある金髪。見覚えのある巻貝。いつもの高飛車な態度は消え失せ、顔中が涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。

「う、う‥‥‥‥‥‥ううううるさいですわ」

 あくまで反抗的な態度を取ろうとする金髪巻貝少女。しかし、言葉と表情が一致していない。棘のある言葉とは裏腹に、彼女の顔は安心感に満ちていた。やっと恐怖から解放された。やっと仲間に会うことができた。そんな感情が、緩み切った表情から読み取れる。

「トーリさん、無事だったんですね」

 近くに倒れている候補生のそばでしゃがんでいたリナリアが立ち上がり、この惨劇の唯一の目撃者であろう少女に歩み寄る。

「べ、べつに泣いてなんかいませんのよッ! 高貴な生まれの私がそんなわけ――」

「無理すんなよ巻貝。別にお前をバカにしたりなんてしねェよ」

「お黙りなさいッ! あなたごときに心配される私では、あ、ありませんの‥‥‥グスッ、えっく――」

 どれだけ取り繕おうとしても、すでに手遅れ。精一杯フレイティアに向かって吠えるも、そのような震えた声では威嚇にならない。フレイティアもケンカを売る気になれない。

「いいからロッカーから出ろよ。な?」

 なるべく刺激しないように、フレイティアは穏やかな口調で子どもをあやすように話かけた。

「あ、あ、あんたなんかぁぁぁぁぁ――――――――」

 ついに精神の砦が崩壊した、本心とプライドの狭間で揺れる巻貝少女である。


          9


「エレクさん、本当によかったのですか? いくら『具現化』にまで達しているとはいえ、女の子を一人にして。それに彼女の『才能』はあまり戦闘向きじゃあ――」

「ライカが自分から申し出たのだ。それにライカは、『戦闘向きじゃないけど、自分にしかできないことがある』と言った。俺は彼女の言葉を信じるだけだ」

 エレクとバーニアは金属製の重たいドアを押し、二人で男子寮のドアを抜けた。

 ビチャアと、静まりかえる廊下に水気のある音が響き渡る。いつも通り明かりがついているし、いつも通り花瓶の花が取り換えられている。だが、こんな音はこの場で聞いたことがない。 

では、いったいこれは何の音なのか。毎日通る道なのにもかかわらず、どこか違う雰囲気が、どこかうすら寒い空気が、二人を内側から浸食し、動きを止める。

 エレクはふと自分の足元を見下ろす。見下ろした先には自分の顔が映っていた。しかし、床がピカピカに磨き上げられて反射しているわけではない。

なぜなら、床に映った彼の顔は真っ赤に染まっていたからだ。

エレクは再び前を向く。彼の目線の先は、この男子寮の玄関ロビー。そこには談笑を楽しむ候補生たちや、任務帰りのジーニアス・ホルダーたちがいたるところにいる。

普段ならいるはずだった。

が、瞳に映るのは床に大きな影を落とす白色の物体。同時にエレクの視線はその物体から伸びる腕の一点に集中する。

「おん? 誰だお前さんは?」

 大きな白い物体が声を発した。先ほどラルフを殺害した『ヘルメットの人物』とは違って顔を出しているため、爬虫類のような顔が見て取れる。しかし、エレクが注目したのはそこではない。彼は目の前の大男と『ヘルメットの人物』との間に共通点を見出した。

共通点は二つ。ゴツゴツとした筋肉質の肉体に密着するタイプの衣服ではあるが、それでも白いということ。そして、その男の腕の先にはエレクたちと同じ制服を着た候補生が掴まれており、その身体からは血液が滴っていること。

 エレクの顔を床に映していたものの正体は、床に転がっている十数人の候補生たちの血液だった。

「悪いなぁ、俺は他の奴らみたいに器用じゃなくてよぉ」

 大男は二人にそう言うと同時に片手で掴んでいた少年を放し、血の海へ沈める。

「お前はいったい何をしているのだッ!!」

 その光景を見て、エレクは思わず大声を上げる。ヘルメットの人物とは違い、姿を見ても何てことはない。そう、心に言い聞かせて、己を奮い立たせるように叫ぶ。

「何って、見たまんまだけどよぉ」

 大男はそう言って、親指と人差し指で摘まんだものを自慢するかのように二人に見せつける。

「心臓だよ心臓。俺たちはこれを取りに来たんだよ」

 大男はヘラヘラと笑みを浮かべながら、上機嫌に鼻を鳴らした。

(『俺たち』と言うことは、やはりこいつはヘルメットの仲間。いったいこいつらは何者なんだ!何が目的でこんなことをするんだッ!)

 疑問と怒り。両者が交ざりあった心境の中、エレクは考える。

しかし、何を考える?

 奴らが心臓を抜き取る理由? 奴の正体? 大男をどうやって倒す?

 考えても、永遠に答えなど出てこない。

 エレクはその時、己の内に熱いものが込み上げてくるのを感じた。いつもの自分ならすぐに否定し、心の隅に押し込めてしまうような感情。あの赤髪の男が行動を起こす時の決定理由。

 心に秘めた炎が、強く激しく燃え上がる感覚。

「考えてもしょうがない。それに、貴様に聞いても、答えは返って来ないだろうな。だったら、その身体に聞くまでだ」

 今まで、俺は余計なこといちいち考えすぎていた。民衆からの支持、体裁、そんなもの、この場においては何の役にも立たない。

今、目の前に広がるのは極めてシンプルな世界。ただ、敵対する相手をぶちのめせばいい。

 それだけが答えで、唯一無二の真実。

「バーニア、援護は頼む。俺は、あいつをぶっとばす」

「分かりました。僕は決してあなたを死なせません」

 背後にいたバーニアを振り返ることなく、エレクは決心を告げる。バーニアはそれに応えるように、力強くエレクの右肩を掴む。

「決して死なせない――」

 最後に一度だけ瞬きをして、エレクは飛び出した。


          10


「これはいったいどういうことなの?」

 レイアクール支部の本社、その敷地内すべての監視カメラの映像を管理する警備室。何百とあるうちの一つの映像を見るカメラの天才、ライカ・ハッセルは信じられないものを目にしていた。

 ライカは正門の物見やぐらで何が起こったのかを探るためにここに来た。あの『ヘルメットの人物』が何者で、どのような『才能』を使うのか。それが分からなければ勝ち目がないと思ったからだ。

彼女が契約したジーニアスである『夢のような現実(トーリンス・レコード)』はディスクの形状をしており、それで録画した映像を実体として召喚することができる。彼女はそれを応用して監視カメラの映像をディスクにダビングし、実体化させて間近で観察していた。よってライカの目の前には、実体となった『ヘルメットの人物』と物見やぐらで監視をしていた二人の事務員がいる。現在の場面は、『ヘルメットの人物』が怯えて尻餅をついた二人に近づいているシーンだ。そして、『ヘルメットの人物』が二人に手を伸ばし、彼らの肩に触れる。それだけで、二人の事務員は糸が切れたように、プツンと意識を失った。

「ちょっと一時停止‥‥‥んー、やっぱり触ってるだけだよね。もう一回見てみよう。巻き戻しっと」

 しかし、何度見ても新しい発見が無い。ライカは諦めて実体のある映像を消す。そして次は、男子寮と女子寮の、午後九時少し前のロビーの映像をサーチし、二つの映像を同時に目を凝らしながら見た。

「ちょっと待って――」

 目を凝らす必要などなかった。荒くなる呼吸を必死に抑えながら、ライカは唖然とする。なぜなら、『ヘルメットの人物』の仲間と思われる敵は堂々と正面から入ってきていたからだ。

 映像や写真は嘘をつかない。例え意図的な編集があっても自分なら見抜くことができる。ジーニアスの具現化にまで達した自分にかかれば造作もない。しかし彼女には、今見ている現実が信じられなかった。何らかの編集やエフェクトでも無ければ起こりえない事態であるのに、その痕跡が全く見受けられないのだ。

「ちょっと、何なのよこれ。意味が分からない‥‥‥」

 男子寮の映像を見るライカは吐き気を催す。そこに広がっていたのは血の海。こんなにも簡単に死んでしまっていいのか。『死』という言葉の意味があまりにも軽すぎる。

 女子寮の映像を見るライカは自負が打ち砕かれる思いだった。監視カメラに映る謎の白い人物が候補生のそばを横切るだけで、彼女らは何もせずに倒れていく。何より、異様な容貌をしている人間がいるのに、候補生たちは気にも留めない。まともな判断力があれば、そんなことは決して起きないのに。映像を見ても何も掴めない己の不甲斐なさに唇を噛む。

「みんなが危ない。早く知らせなきゃ」

 すぐにでも寮に向かったチームのメンバーにこのことを伝えなければならない。ライカは勢いよく立ち上がった。


          11


「つまり何だ? その白いヘンテコな格好をした奴が歩くと、そばにいた候補生が勝手に卒倒していったと?」

「それだけではありませんの。私は運よく遠くからその光景を見たから隠れられましたけど、他の人‥‥‥そうね、五メートルくらいかしら。それより近い人たちは正気じゃなかったですわ。だって、そうでしょ? 普通そんなやつがいたら逃げるもの。それなのに彼女らはフラフラしているだけで、全くその素振りを見せませんでしたわ」

 フレイティアとリナリアは、惨劇の目撃者であるトーリから話を伺う。が、倒す糸口が見つからない。敵は何も触れることなく候補生たちを気絶させていったという。そんなデタラメなことがあっていいのかという、若干疑いの念すら浮かぶ。

「お前、それ本気で言ってんの?」

「あなた、この私を疑いますのッ!?」

「まぁまぁ二人とも‥‥‥」

 トーリの話を聞いたフレイティアがケンカを売り、リナリアが二人の争いを諌める。このループを何度繰り返しただろうか。すでに片手では数えられない。そして、再び本題に戻ろうとした時だった。

「んだよ。後からゆっくり回収(、、)しようと思ってたのに、まだ意識のあるやつがいんのかよ」

 三人の背後、距離にしておよそ十五メートル先。人も殺せるのではないかと思うほどの寒気とともに、第三者が堅い床を鳴らして突然現れた。具体的な説明などできない。分かるのは、ただ自分たち候補生を狩りに来たのだという悪意のみ。

 しかし、敵か味方かの判断材料としてはそれだけで充分。

「てめぇか、これをやったのは?」

すでに答えは出てはいるが、それでも聞かざるを得ない。そんな一種の形式美を髣髴とさせる決まり文句を、立ち上がったフレイティアが強気な態度で吐き捨てる。

「なんだぁクソガキ。モルモットのくせに生意気じゃねぇかよ。つーか、そんなことすら聞かないと分かんねぇのか、『南』のムシどもはよ」

 瞬間、その場の温度が一気に上昇した。理由は一つ。フレイティアの背中と脚から吹き出した炎のブーストだ。相手に有無を言わせぬスピードで炎の半ジーニアスは急加速し、右ストレートを叩き込もうとする。

「野蛮なやつだな。俺はそういう暑ッ苦しいのは大嫌いなんだよ」

 白くて滑らかなシルエットのスーツを着た男は、顔に口と鼻を覆ったマスクをつけ、背中には何本かパイプのようなものが突き出た機材を背負っている。そんな男まで、あと五メートルと言ったところだろうか。突然フレイティアの身体から炎が消えた。

「なッ!?」

 予想外の事態に姿勢を立て直そうとするも、なまじ速度が出ていたため間に合わない。そんな中途半端な速度のままフレイティアは敵に突っ込む。

「ほーら、捕まえた。お前、俺が今何をやったか分かるか? 分かんねぇよなぁッ!」

 前のめりに倒れこもうとするフレイティアの首を、マスクの男は掴む。

「う‥‥‥がッ、なん‥‥‥で、炎が――」

 フレイティアの身体が浮き始める。それほどの握力で首を掴まれ続ければひとたまりもない。すでに彼の意識は遠のきつつあった。

「フレイッ!」

「ちょっとあんた、何勝手に突っ走ってんのよッ!」

 とっさにトーリは制服の内ポケットから一本のナイフを取り出す。そして、自らが契約したジーニアスの名を声高らかに叫んだ。

「運命の紡ぎ(クロートー・ストリング)ッ!!」

 彼女が手にしていた一本のナイフの先端がグニャリと歪み、そこから崩れ始める。徐々に原型を失っていくナイフはやがて一本の長くて細い糸になり、トーリはナイフの柄を掴む手を前方に振りかざした。まるで生き物のようにうねりながらまっすぐマスクの男に向かって伸びるそれは、トーリの意志を反映している。

「なんだぁこりゃあ?」

 フレイティアの首を掴む腕の手首に巻き付いた細い糸を見て、マスクの男は首を傾げながら嘲笑する。

「こんなもんで、何をしようっつーんだ?」

 マスクの男は「こんな細い糸などすぐに引き千切ってやる」と言おうと口を半ばまで開く。しかし、その言葉を吐く前に、手首に巻きついている糸が普通の糸でないことに気付いた。ギチギチと擦れるような音を鳴らすそれは、火花を散らしながら少しずつ男が着ているスーツの表面を削りつつあったのだ。そして、極めつけは糸がもたらす圧力。細い糸でも幾重にも束にすればそれなりの強度が得られるが、これは『それなり』のレベルを軽く超えている。まるで金属のような強度だ。

 マスクの男は手首を強く締め付けられ、徐々にフレイティアの首を掴む握力を奪われていくのを感じた。フレイティアは薄れ行く意識の中でも、喉と手の間に生じた一ミリの隙を見逃さない。最後の力を振り絞るように、フレイティアは右手で首を掴む手を殴った。

「チッ――」

 軽い舌打ちをしながら、マスクの男は乱暴に投げ飛ばしてフレイティアを放す。堅い床に勢いよく打ちつけられたフレイティアだったが、それでも生きていることを実感するために大きく息を吸い込んだ。

「ゴホッ‥‥‥ハァハァ。なんだあいつは」

 その後ゆっくりと立ち上がりながら、リナリアとトーリのそばに歩み寄る。

「フレイ、勝手な行動はよしてください」

「ったく、しょせんは庶民ね」

二人からの注意を聞き流しながら、マスクの男の能力の一端に触れたフレイティアは未知なる敵を視野の中心に据え、燃える瞳で睨みつける。

「なあリナリア、巻貝、聞いてくれ」

「はい、なんでしょう?」

「いい加減その呼び方は‥‥‥はぁ、もういいですわ。それで、何ですの? この私の手を煩わせたんですもの。もちろん何か収穫はあったんでしょうね?」

 腰に手を当ててムッと睨んでくるトーリから、フレイティアは目を逸らす。

「んだよその目は? 泣かすぞクソ貝が」

「‥‥‥フレイ」

 そこへリナリアの悲しげな目がフレイティアに追い打ちをかける。粗暴なチンピラでも、幼さを残す黒髪少女の瞳には逆らえないのか、苦い顔をする。

「正直に言うぜ、初撃の感想だ。‥‥‥残念ながら、俺ではあいつに勝てねェ」


          12


 ドンッと強く床を蹴り、勢いよく飛び出したエレクの拳が向かう先は、白い装束に身を包んだ大男の顔面。しかし、大男は避ける素振りを全く見せない。したがって、エレクの全体重、スピードが乗った重い一撃が大男の左頬にクリーンヒットした。

「う‥‥‥ぐッ」

 エレクと大男の接触から一秒後、静寂に包まれる廊下に苦痛にあえぐ声がこだます。エレクの十メートルほど後方で、その一部始終を観察していたバーニアは急いで左手を前に突出し、契約したジーニアスの名を叫ぶ。

生体磁場(テラ・マーテル)、レフトッ!」

 瞬間、エレクの身体が本人の意志を無視して背後に吹っ飛ぶ。否、引き寄せられる。バーニアが突きだした左手の平に吸い付くように、引き寄せられる。そして、ちょうどエレクがバーニアの足元で座り込む形になると、その効力が消えた。

生体磁場(テラ・マーテル)であなたをS極にしておいてよかった。おかげで、左手で引き寄せることができました」

 なぜ先制攻撃を成功させたエレクが回避行動をとらされる羽目になったのか。それは、先ほどの苦痛の声の主がエレクだったからだ。エレクは座り込みながら自分の右拳を左手で庇う。

「すまない。くそッ、デタラメだ。あの大男、デタラメに堅い‥‥‥」

 エレクが十メートル前方の白い影を睨むと、バーニアもまた同じように睨みつける。

「まるで虫ケラだなぁ『南』の人間は。んーでも、茶髪の少年はなかなか手こずりそうだね。まずは弱いほうから潰しておくとするか、金髪の少年よ‥‥‥そらッ」

 大男は右手の指を広げて前方へ突き出すと、彼の指から何かが飛び出した。

「ふざけるなッ! 弱いかどうかは、やってみないと分からないだろうがッ!」

 大男の指先から何かが飛び出したことを視認したエレクは、大声を上げることで自らを鼓舞し、彼の直線上から退避すべく、立ち上がりながら右へ転がるように跳んで避ける。が、それはあろうことかエレクの動きに合わせて軌道を変えてきた。

「何ッ!?」

 しかしそれでもまだ間に合う。エレクは右肘を後方へ大きく引くことで身体を捻り、もう一度躱そうとした。結果、彼の狙い通り、今度こそ軌道から外れることに成功した。

 敵の反撃を乗り切ったエレクは立ち上がり、再び態勢を整えようとする。が、その瞬間だった。立ち上がる支えとして右手を床につこうとした彼は、身体の自由がきかないことに気付く。  

身体の外周に巻き付くような激痛は、遅れてやってきた。

「何だこれは‥‥‥鎖? 棘のような物が食い込む。それに――」

 身体に巻き付き、激痛とともに自由を奪う鎖のようなものは、大男の指先に繋がっていた。

「お前、その身体は何だッ!?」

「はっはっはぁ、まずは目でも抉ってやろうか?」

 鎖の軌道上にモゾモゾと蠢く感触があった。エレクはそれを見て愕然とする。蠢くものの正体は、鎖とともに撃ちだされた彼の五本の指だったのだ。さらにその指は徐々に身体を這い上がり、エレクの顔目がけてよじ登って来ていた。

「いけないッ! エレクさん」

 大男の指がエレクの口元を這い、目の下に指をかけたその時、バーニアがエレクの身体の自由を奪う棘のついた五本の細い鎖を、傷つくこともいとわず右手で思い切り握った。すると、エレクの顔にへばり付いていた大男の指が突然離れる。それだけではない。ギャチャガチャと音を鳴らしながら、鎖が広がり始めたのだ。

生体磁場(テラ・マーテル)で鎖をS極にしました。これで同じ極同士は反発し合う」

 エレクはこの隙に垂直跳びで鎖の束縛から脱出する。

「俺一人では無理だ。二人で行くぞッ!」

「かしこまりました」

「若いって素敵だなぁ。俺にもそんな時代があった‥‥‥かなぁ?」

 二人の必死の形相を前に大男は「あれれぇ」と頭を掻き、あくまで余裕の態度を崩さない。彼の指から出ていた鎖がシュルシュルと音を立てて元の場所に収まった直後、エレクの背後にバーニアが隠れるようにして二人は同時に駆け出す。

「二人まとめて捕まえてやるよ」

 二人の反撃の姿勢を見た大男は、今度は両手を前に突き出す。そして先ほどの倍、十本の指が飛び出した。が、エレクは横に逸れようとはしない。先ほどの経験から、避けても追尾してくることは分かっているのだ。避けることは不可能。それが分かっているから避けようとはしない。

 エレクに再び無数の棘がついた鎖が襲い掛かる。しかし接触の直前、十本の鎖の内五本、先ほどバーニアが触れた右手の五本だ。その五本が勢いを失って床に落ちた。

「ん、どうしたんだ?」

 男は制御を失った右指の鎖に目をやる。すると鎖には様々なものが絡みつき、その重さで軌道を外れたのだと知る。花瓶やらスリッパやら絵画やら、本当に様々なものが引っ付いていた。

「作戦の一つ目は成功ですね、エレクさん」

 バーニアがアイコンタクトを飛ばす。彼がエレクの背後に隠れるようにしていた理由は、移動の最中に左手で物に触れるところを隠すためだ。且つ、大男の右の鎖には先ほど触れてS極にしてある。よって、バーニアが左手で触れることでN極となった物が引かれたのだ。

 しかし、まだ大男の左手の鎖が残っている。それはすでにエレクの目前にまで迫り、回避不可能な位置関係だった。

 だから、避けない。

「得票数は少ないが、会場の過半数は俺への支持。止めてみせるッ!」

 エレクには大男の攻撃を止める自信があった。

 だからこそ、逃げない。

右手に長さ一・五メートルほどの電気スタンドを掴むエレクは、飛んできた左手の指、そのあとに続く鎖に真っ向勝負を挑んだ。

 向かってくる指の速度は絶大。しかし、バーニアには難しいかもしれないが、基礎的な身体能力が向上しているエレクが目で追えない速度ではない。自分の顔面に向かって伸びる鎖を、エレクは直前で横殴りにした。が、やはりそれでもまだ指は迫ってくる。そこで彼は掴んでいる鉄の棒を回し、鎖を巻き付け始めた。

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」

 しかし、それでも鎖の長さはエレクの顔面を抉り取るには充分な長さを誇っている。これ以上は間に合わないと悟ったエレクは、最後に電気スタンドを脚で踏みつけて床に固定した。

 ツーと、エレクの額から血液が垂れる。大男の左手の人差し指が彼の額を引っ掻いたのだ。だがそれでも、指の進行はそこで止まっている。ピーンと張る鎖は大男の指を固定したまま、動かない。それでも前進しようとする指がガタガガと震えるだけだ。そこでようやく追いついたバーニアが左手で鎖に触れ、直後、S極どうしで反発し合い、大男の指がはじけ飛んだ。

「お前の両手の鎖はどちらもS極。これで俺には指一本触れられないぞッ!」

生体磁場(テラ・マーテル)、ライトッ!」

 エレクの背後で、バーニアが右手の平をエレクの背中にかざす。その結果、反発し合うS極はエレクを前方に吹っ飛ばした。その絶大な加速の力を以てして、エレクの右足の蹴りが大男の鳩尾に炸裂せんと襲い掛かる。

「民意の前にひれ伏せッ、この外道がッ!」


ザクッと、何かが突き刺さるような、切れるような音がした。打撃音とは到底思えない、鋭利な音だ。

「え?」

エレクは大男に向かって蹴りだした自らの右足を見るために、視線を落とす。すると自分の足の甲からは見覚えのないものが生えていた。

 否。貫通していた。男の腹から突然生えた金属の棘が、エレクの足を貫いていたのだ。

「な、ん‥‥‥だ」

 エレクはそれを見て、南大陸とは全く異なる文明の力を感じた。男の指から出た鎖といい、足を貫いた棘といい、これは『才能』では説明がつかない。人間の能力を底上げするジーニアスでは、身体の構造までをも変えるには至らない。

 敵の正体について更なる疑問が生まれたところで、大男の両肩、両肘、両脇腹からも無数の金属の刃が飛び出す。エレクはとっさに足を引き抜こうとするも、棘には返しがついており簡単には抜けない。そして、彼の四肢を、大男から生えた刃が貫いた。


          13


「いいか? 俺では勝てないっつっても、一人じゃ無理だってだけだ。お前らの協力があれば何とかなるはず。特に巻貝、お前が鍵だ」

 実際に接触して、その能力の一端を理解したフレイティアが熱説する。

 トーリの『才能』は物質を糸に変えること。その糸は物質の特性を引き継ぐことができ、また解除する際に物質そのものの形状を変えることができる。先ほどはナイフを糸に変えた。したがって、その特性である『金属』と『切断』を引き継いでいたのだ。

「あいつに近づいたとき、俺の炎が突然消えた。水に濡れても消えねェ俺の炎がだ。そうなる条件はただ一つ。周りに酸素がねェことだ。まだ仮説にすぎねェけどよォ、とにかく俺はあいつに近づけねェんだ」

「だったら――」

 リナリアが一歩前に出る。

「私も力になれるかもしれません。練習の成果を試す時です」

 フレイティアは、いつになく積極的な姿勢のリナリアを怪訝そうに見る。本当はリナリアにはこのような危険なマネはさせたくないのだが、契約したパートナーの揺るぎそうにない意志を感じ、しぶしぶ応える。

「‥‥‥分かった。でも、無理すんじゃねェぞ。よし、じゃあ俺の作戦を話すぜ」

 謎の機材を背負った白い男に聞かれないように、三人は向き合いながら作戦会議をする。しかし、敵もそれをいつまでも待っているほど良い性格はしていない。

「俺さぁ、いつも思うんだけどよ。何で敵キャラはヒーローの変身シーンを攻撃しねぇんだろな。そんな隙を逃すなんてすげー非合理的だぜ。だから俺は、お前らを待ってやらねぇ」

 瞬間、マスクの男が三人に向かって走り出した。

 同時に三人は顔を上げ、迫りくる男と対峙。

「リナリアッ!」

「はいッ!」

 リナリアはフレイティアの叫びに呼応するように二人の前に出る。そして、両手の平を正面にかざし、力を込めた。

 彼女が炎を扱うとき、特に言葉は必要としない。それはフレイティアにとっても同じことで、なぜなら『才能』の本質を彼らは分かっていないからだ。

(フレイからもらったこの『才能(ちから)』。今はまだ分からないことが多いけど、それでもできることはあるはず――)

不確かで不明瞭なものではあるが、それでも炎を生むことはできる。必要なのは、心の中にある自分にとっての炎のイメージ。

 リナリアは静かに目を閉じ、炎のイメージを膨らませる。

(熱くて、荒々しくて、乱暴で‥‥‥でも、それらはすべて一つの正義に集約される)

 リナリアにとって炎のイメージは、フレイティアそのもの。だが、彼女が生み出した炎はフレイティアのような爆発を生まない。ボウッとリナリアの足元から放射状の広がる炎の波は、マスクの男を全方位から飲み込むように、激しくも大らかで静かな躍動を見せる。

「今までで最高の出来じゃねェかッ!」

 リナリアの炎を見て、後ろに控えていたフレイティアが歓喜した。

「はぁぁぁ、やっぱり何も分かってなかったか。『南』のムシはよぉ。どんだけ火力を出そうが無意味だっつーのッ!」

 マスクの男は走りながら、右手で何かを払いのけるような素振りをした。それだけの動作でリナリアの炎がいともたやすく薙ぎ払われ、周囲に焦げ目だけを残して完全に消失する。

「ほーら、お前らなんてしょせんこの程度――ッ!?」

「一瞬の目くらまし、ありがとさんッ!」

 マスクの男は目の前に赤色のシルエットを見る。それはまるで『南』の平和を守るジーニアス・ホルダー、その候補生とは思えない凶悪な笑みを浮かべ、殴りかかって来ていた。

「小賢しいッ!」

 しかし、マスクの男は冷静にそれを処理。背中の機材とは別に、身体能力を向上させるパワードスーツの威力を存分に発揮させ、フレイティアの拳を受け止める。

「まだまだァッ!」

 フレイティアはまだ自由のきく左手を振り上げ、もう一度マスクの男に殴りかかる。が、それも容易にマスクの男は受け止める。両者の腕力は拮抗。いや、若干フレイティアは押され気味に思えた。

「さて、お前は暑苦しいから寝てろ‥‥‥エアレスッ!」

 腕力で勝るマスクの男はこれでとどめと言わんばかりに、数本のパイプが突き出ている背中の機材を音声認識によって機動させた。それはプシューと何かを放出するような音を放ちながら微弱に振動する。

「分かってねェのはてめェだ」

 ドゴッ! と鈍い音が響く。それはマスクの男が勝利を確信した瞬間のことだった。マスクの男は驚愕した後、その顔を苦痛にゆがめる。どういうわけか、逆にマスクの男が仰け反る姿勢となっていた。男はそれが信じられない。

「ぎッ‥‥‥グッ、てめぇ。よくも――」

 両手が封じられた中、フレイティアがとった行動は頭突きだった。互いに額から血を流しながら、しかし対照的な表情で両者は睨み合う。

「炎を使う俺は空気の流れに少しばかり敏感でよォ。俺やリナリアの炎が消えたのは、どうせ二酸化炭素でも増やしたんだろ? それに、他の候補生たちの意識を奪ったのだって同じだ。ただの酸欠。だから、近くに寄ろうとも呼吸を止めれていれば問題ねェ」

 フレイティアたちの炎が消えるときは、燃やせるものがなくなった時だけ。つまりは空気中の約〇.三パーセントを占める二酸化炭素の割合が大きくなる場合のみ。

「普通ならありえねェことだけどよォ、俺も似た様なことができるんだぜ。だから、最初から人為的な工作が加えられていたことは目星がついていた」

それと、「もう一つ言いてェことがある」と付け加える。フレイティアには息が苦しいのを我慢してでも言っておかなければならないことがあった。そして、マスクの男の胸倉をつかみ、グイッと目の前まで引き寄せる。

「あんまり俺たちをを舐めんじゃねェぞ」

そう言った直後、フレイティアは思い切りマスクの男を投げ飛ばし、壁に叩きつける。そして十分距離が離れたことを確認して、フレイティアは大きく息を吸った。

「あ‥‥‥れ?」

 突如、空気を吸い込んだ彼を違和感が襲う。

フレイティアは一瞬、視界がグニャリと歪むものを感じた。身体からは芯が砕けたように力が抜け、その場に膝をつき、横に倒れる。

「フレイッ!?」

 自らが契約したジーニアスが倒れる姿を目撃したリナリアは、すぐさま彼のもとへ走り寄り、その場で座り込む。

「フレイどうしたんです、私もう何が何だか」

 少女が喚く姿を見ながら、壁にもたれかかって座るマスクの男がケタケタと笑う。

「ハッ、カッコつけといてザマぁねぇなぁ! もう死んだんじゃねぇの?」

 マスクの男は右手で顔を覆い、心底おかしいものを見たかのように、心底愉快に笑い出す。が、リナリアにはそれに反応している余裕などない。必死にフレテイアの肩を揺らし、声をかけ続ける。

「何で、何でこんな‥‥‥目を開けてくださいッ!」

(どうしてこんな――)

「よくも‥‥‥よくも――」

(私たちは何も悪いことをしていないのに)

「何なんですか! あなた達は何がしたいんですかッ! 何が目的なんですかッ!」

 あまりに理不尽な現実は、少女の許容量を遥かに超えていた。歯が削れるほど強く噛みしめ、爪が手のひらに食い込むほど拳を握り閉める。彼女の小さな身体では抱えきれないほどの怒りや憎しみがあふれ始め、それは彼女自身を無意識に傷つける。

(殺してやる)

リナリアは怒りに任せて、座りながらマスクの男に向かって右手を伸ばす。どういう仕組みで、何をどうしたかは皆目見当もつかないが、それは問題ではない。今、必要なのはフレイティアに酷いことをした男を焼き殺す炎のイメージだけだ。

 リナリアの手の周囲の空気が熱でうねり、彼女の腕に渦を巻くように纏わり始めた炎は噴射の時を待つ。

「え、嘘ッ!? 私、こんなに出力を上げてない! 制御ができない」

 リナリアの右腕を覆う炎には、不規則な波ができていた。それは、初撃の美しいものとは違い、逆にリナリア自身を食らおうと蛇行する。

「何で、どうして!? 言うことを聞いてよッ!」

 リナリアは暴走する炎を押さえつけようと、空いている左手で右手首を押さえつける。が、時はすでに遅い。

「止められないッ!?」

 ついに炎は彼女の意志を無視して、暴発した。ゴウッと天井まで立ち上がった火柱はその勢いでリナリアを後方へ吹っ飛ばし、全身から根こそぎ酸素を吐き出させる。

マスクの男はその様子を見て、ヨロヨロと立ち上がる。血が滲む額をこすり、恨めしそうな目で、なお且つ虫を見下ろすような目で倒れる二人を見た。

「勝手な推測お疲れさん。なぁ、誰がいつ、操作できるのが二酸化炭素だけっつったよ? 俺は空気の成分を弄れんだよ。このエアレスを使ってな。それで酸素濃度を弄ってやったのさ。これだから『才能』に恵まれた『南』のガキは――」

 チッと舌打ちし、不機嫌そうに前に歩く。

「バカなムシに俺が講義してやる。いいか? 酸素ってのは本来猛毒なんだぜ。酸素は電子を引き付けやすい性質を持ってっからよぉ。電子を奪われた細胞、DNAはその構造を保てない。その結果、そこに転がってるムシみてーになるってわけだ。それによぉ、てめぇらを無力化した理由がただの酸欠だぁ? 勘違いも甚だしい。人間なんて血中の酸素濃度や気圧を調節すれば簡単に操れるんだよ。勝手に妄想膨らましてざまぁねぇなぁおい! まぁ、俺たちがてめぇらの心臓を有効活用してやっからよぉ。安心して逝けや」

 リナリアは動けない。マスクの男はもうすぐそこまで来ているのに、爆発の衝撃で身体が麻痺してしまっているようで、筋肉が言うことを聞かない。且つ、リナリアは自らの炎に疑念を抱いていた。

(何で、どうして。何で炎が言うことを――)

 マスクの男は酸素濃度を大きくしたと言った。だから、炎が予想以上に大きくなってしまったのは酸素が多かったから。そういうことになる。

 しかし、そんな理由で片づけてしまっていいのか。ただ酸素が多かっただけで、炎が自分に牙を剥くなんてことが起こりうるのか。リナリアは薄目を開けて、倒れて動かないフレイティアを見る。痛い、怖い、熱い、死にたくない。様々な恐怖の感情がリナリアの心を巡る。が、リナリアにとっては自分が死ぬ以上に恐ろしいことがあった。

「フレ‥‥‥イ。死んじゃ、やだよぉ。そんなの、絶対に‥‥‥私――」

 リナリアはその時ようやく気付いた。どこか自分の中で『死』の感覚が希薄になっていたことに。そしてそれは、マスクの男の足音が大きくなるにつれて、比例するように自分の心で膨らむ。

(私、どこか狂ってた。人がいなくなることは決して軽いことじゃない。炎の暴走はあいつのせいもあるかもしれないけど、それだけじゃない。あれは私の心そのもの。憎しみや殺意が私に帰ってきたんだ)

 精神にかかった霧が晴れていくのをリナリアは感じた。自分の大切な人たちの命の危機に直面し、彼女は今一度立ち上がる。

「私は、負けない」

「お、まだ動けるか? てめぇも暑苦しい奴だ」

 今にも崩れそうな足で堅い床を踏みしめ、壁にもたれかかりながらリナリアは身体を起こす。そして、廊下に響く仲間の足音に耳を傾け、軽くほほ笑む。

「あなたは一つ、忘れている」

「ああん?」

 それは、この状況を切り抜けるための切り札。

「トーリさんッ! 準備はできましたか?」

 フレイティアが残した作戦を実行するために、彼女は運命の糸を手繰る。

「ごめんなさい。時間がかかってしまって――」

 廊下の曲がり角から現れたトーリは、目の前の惨状を目にして息を呑む。

「だ、大丈夫よ。あの変態に何かあれば、パートナーであるあなたに分からないはずがないわ。よくは分かりませんけど、だってあなた達って、そういう関係なんでしょ? だから、私たちで敵を倒すの。いいわねッ!」

「‥‥‥はい」

 リナリアはトーリの気丈な振る舞いと負けず嫌いな性格に感謝した。そして二人は並び立つ。

「さっきもいったよなぁ。俺はヒーローの変身時間を待たねぇってよぉッ!」

 マスクの男は二人を目がけて強く床を蹴り、その拍子に床が割れる。同時にトーリは右手を前に差し出す。彼女の五本の指をよく見ると、一本一本から細い糸が垂れており、それはトーリが先ほどまである作業をしていた場所まで続いていた。

「運命の紡ぎ(クロートー・ストリング)ッ!」

 彼女の叫びに呼応するように細い糸が震え、直後に勢いよく後ろから飛び出した。が――

「だめ、間に合わないッ!」

 自分が紡いだ糸の規模、それを手繰る時間を計算し、その結果敵の加速に間に合わないことをトーリは悟る。

「それでもやるしかないんですッ! 私たちにはもうこれしかないッ!」

 リナリアは再び右手を前方にかざす。思い浮かべるのは大切な人たちを守るイメージ。敵を阻むための強固な壁。

「ほんとに学習しねぇムシどもだ‥‥‥エアレスッ!」

 リナリアのイメージ通り、マスクの男の進路を塞ぐように幾重もの炎の壁は生まれた。しかし、それでもやはり通用しない。二酸化炭素濃度の高い空気で周囲を覆ったマスクの男だけを避けるように、炎の壁は穴をあける。

「それでも私はッ――」

 リナリアはその時、信じられないようなものを目にした。マスクの男の動きが一瞬止まったのだ。そんなわけがあるはずがないと思ったが、リナリアはトーリもまた同じ場所に視線を向けていることで事実を確認する。

「んだよてめぇ、いいとこだったのによぉ」

 気だるい声でマスクの男は、後ろを確認することなく呟く。

「この死にぞこないのムシ――」

「今だ巻貝ッ! 俺ごとやれェェェェェェェッ!!」

マスクの男の足を掴んでいるフレイティアが大声で叫ぶ。トーリは特に言葉を発することなく、ただ彼の言葉通り行動を続けた。

「なんだぁ、この大量の糸はッ!? こんなもんいったいどこからッ!」

 マスクの男は動きを止められた一瞬のうちに、己の周囲が大量の糸によって覆われていくのを見て、動揺を見せた。トーリの指先から伸びる糸はマスクの男とフレイティア、二人の前後左右上下すべてを覆い、完全に孤立した空間を作り出す。

「くそッ、こんなもん!」

 マスクの男がパワードスーツで強化された腕力で糸の奔流を殴りつけるも、高速で動きながら量を増し続ける糸にあっけなく弾かれた。

「へ、へへッ‥‥‥もうオシマイだなァてめェは」

「この死に損ないがッ! 今すぐてめぇの心臓をブチ抜いて、ムシケラみてぇよぉ、踏み潰してやるッ!」

 トーリの糸から脱出することを諦めたマスクの男は、フラフラ立ち上がるフレイティアの胸に手を伸ばす。まずはこの邪魔な赤髪を黙らせるのが先だ。金属の壁はその後でじっくりと破壊すればいい。

それに対し、フレイティアの反応は今にも精霊にとっての核を奪われようとしている者のそれではなかった。

 なぜなら彼は、笑っていた。

「残念だがそれは無理な話だぜ。なぜだか分かるか? 分かんねェだろォな――」

 フレイティアは自らの胸を拳で強く殴りつける。

「俺の心臓(こころ)はあいつ(リナリア)のもんだッ!!」

 直後、フレイティアとマスクの男を包み込んだ大量の糸が、その本来の形を変えてドーム状に固まり、完全な密室に姿を変える。


          14


 身体が冷たい。俺は一体どうなった?

徐々に己の肉体から熱が奪われていくのを感じながら、エレクは堅い床に沈み込んでいく感覚を覚える。手を伸ばしてもどこにも届かない、何も掴めない、暗くて冷たい闇の底に。

 彼が完全に意識を失う直前、目に映ったのは自分を慕ってくれる腹心であり、大切な友達であるバーニアだった。しかし焦点がなかなか定まらず、エレクは目を細める。

(‥‥‥あれは何だ?)

 エレクの視線の先はバーニアではなかった。具体的に言うと、バーニアの少し上。厳密に言うと。彼の頭上。

バーニアの頭の上には『球体』のようなものが揺らいでいた。

 気体でもない。個体でもない。液体でもない。故に輪郭はあやふやで、どこまでが球体でどこからが球体でないのか、その境界は存在しない。そもそも球であるのかも怪しい。人間の脳で都合よく処理されているだけのような気すらするのだ。

しかしそれでも確かに、その『球体』は存在する。

 エレクが見たのは、そこまでだった。


          15


「そんな、そんなぁ‥‥‥エレクさんッ!」

 大男の足元で鮮血を吹き出しながら転がるエレクを見たバーニアは無意識に膝をつき、頭を抱えて床を見つめる。

「次はお前の番だよ。お前は少し厄介そうだから出し惜しみはしないでおこうかな」

 大男は倒れるエレクを蹴り飛ばし、玄関ロビーの隅に押し出す。そして、腰を曲げて前のめりになった大男の背中から大きな鎌のような金属の刃が突き出した。しかも、一本ではない。なお且つ、背中からだけでもない。身体中いたるところから大男の肉を突き破り、血液を滴らせながら何十本もの刃が姿を現したのだ。

「俺は身体の骨格のすべてを金属と入れ替えている」

「許さない」

「え、何だって?」

 俯きながら、ボソッと何かを呟いたバーニアだったが、大男はそれを聞き取れなかった。

「許さない。だから――」

 瞬間、バーニアの頭上にボワァと、ぼやけたシルエットが浮かび上がる。大男には直感で察するものがあった。しかし、話に聞いていただけで彼にとってそれを見るのは初めてのこと。初見の感想としては、まず溜息を漏らす。

「すごい。俺はこれまでたくさんの『南』の人間を狩ってきたが、初めて見たぞ‥‥‥これがお前らの言う『具現化』というものか」

 バーニアの上には、球体が一つあった。見た目ではただ『球体』としか表現できない。曖昧な輪郭は『球体』の大きさを語らず、一見直径五十センチメートルほどに見えるが、しかしそれは無限の広がりを感じさせる。

「素晴らしい。これほどのものとは。研究者としての俺の血が騒ぐぞ。是非とも手に入れたい」

 大男は恍惚の表情を見せ、舌なめずりをする。

 これは研究者としての悲しい性なのかもしれない。もしも、万が一、大男が研究者でなく戦士や兵士の類であったのなら、一目『球体』を見た瞬間迷わず逃げる選択をしていただろう。  

人間の好奇心とは、それだけ理性を狂わせるものだ。

「こんな高揚感は久しぶりだぞ、少年ッ!」

 しかし床を踏みしめた直後、ズルッと、大男は足を滑らせる。「何だ?」と、怪訝そうに足元を見る大男だったが、自らの身体に起きた現象を見て唖然とする。

 大男の足からは皮膚や肉がごっそり削げ落ち、金属の骨格が剥き出しの状態だった。大男は言葉を失い、ただ状況を静観することしかできない。

 痛みはない。が、なぜか額から流れた汗が目に入り、大男は目をつぶる。そして、今度はとりあえず汗を処理しようと、腕で額をぬぐった。すると、額を擦っただけで、額と腕の皮膚がベロベロに剝がれだし、床に落ちた。

 血は出ない。が、己の身体に異常事態が起きているのは火を見るより明らか。大男は呼吸を整え、科学者として科学的見地から考察を始める。

(俺の身体がこうなった原因はただ一つ。疑うまでもなく少年のジーニアスのせいだ。しかし、少年がいったい俺に何をしたと言うのだ。俺は何もされていない。では、少年の『才能』は何だ)

 大男は今にも崩れてしまいそうな身体を庇うようにゆっくりと歩き出す。一歩踏み出すごとに身体中の毛が抜け、皮膚が剝がれ、肉が削げる。

しかし、痛みはない。

 まるで身体が元から崩壊する仕組みの元で設計されているように、あくまで自然な流れだ。

「確か‥‥‥少年。お前はS極だかN極だか言っていたよな? もしかして、お前の『才能』は何か磁力に関係しているのか?」

 すでに両足の肉は無くなっている大男、金属質の甲高い音をロビーに響かせながらバーニアに向かって歩き、質問をする。しかし、バーニアは何も話さない。俯き、前髪で隠された顔は何も語らない。

「だとしたら、俺のこの身体の異常に一つだけ説明がつくのだが、まぁ、とりあえず仮説を聞いてはもらえないか?」

 少年は何も話さない。


 『人間は小さな地球であり、地球は大きな人間である』という考え方が存在する。

 地球が自転する周期である二十四時間の十六分の一、すなわち九十分の周期で人間の体は機能していると言われている。例えば寝ているとき、浅い眠りと深い眠りを九十分一セットとし、レム睡眠とノンレム睡眠を繰り返すようなものだ。

 このようにきっちりと等分できる周期に基づいて人間の活動リズムは構成されている理由は、人間は地球と同期しているからだと考えることができる。

 また、人間と地球にはもう一つ繋がりがある。地球は北がS極、南がN極で、自ら磁場を形成しているのと同じように、人間にも磁気を発生させる生体磁石と呼ばれる物質が脳内に存在している。

 その生体磁石は『マグネタイト』と言う。脳表面の細胞に多く分布しており、細胞一グラムあたり五百万個も存在している物質だ。

そして血液に含まれるヘモグロビンは、磁気に強い影響を受ける性質である、強磁性の鉄イオンを含んでいる。したがって人間の身体には血液よって絶え間なく磁気エネルギーが満たされているのだ。まるで、地球が磁力に満ちているのと同じように。

また、『マグネタイト』が発見される以前より、磁気を感知する器官として頭の中央部にある松果体が認知されてきた。松果体は「第三の目」とも言われ、光の量を測定する機能を備えるとともに、脳の活動や体内時計を調整することに一役買っていたのだ。

つまり人間と磁気との関係は密接であり、これを踏まえると先ほどの『人間は小さな地球』だという考えにも説得力が増す。

バーニアの『才能』は、この生体磁石の強化にあった。

 だが、それだけでは大男が現在陥っている状況の説明がつかない。

「お前‥‥‥その両手から強力な磁力を生み出し、『ゼロ磁場』を作り出したな?」

 大男はそこまで言うと膝をガクンと落とし、床に強く顔を打ち付けた。が、倒れた状態でも話し続ける。科学者として、研究者として、自らの仮説を証明したくてたまらない。そんなプライドが今の大男の精神力であり原動力だった。

『ゼロ磁場』とは、N極とS極が大きくぶつかり合ってできる空間のことである。ゼロとあるが、決して打ち消し合っているわけではない。そして、『ゼロ磁場』の磁気エネルギーに触れることによって、血液の鉄イオン・脳のマグネタイトは共鳴し、身体にとある影響を及ぼす。

 磁気は血液の電解質成分に作用し、運動エネルギーの一部を電気エネルギーに変換すると考えられている。その結果として、間接的に細胞の代謝を飛躍的に向上させるのだ。

 代謝の向上は本来、内臓の働きを活性化させ、身体中に巡る血液の流れをよくしたり、脂肪の燃焼を促進する。

 しかし、万が一、代謝の極端すぎる向上に人間の身体が追いつかないとしたら?

 結果としては、急激な細胞分裂の加速に伴う老化現象。脂肪の燃焼のしすぎによる体温や筋力の低下。皮膚や髪の毛のつや・はりの損失。ホルモン分泌異常による体調不良が起こる。

「俺の‥‥‥『まだ人間である部分』が死んでいく――」

 大男は今、畏怖の目で茶髪の少年の頭上に浮かぶ謎の球体を見つめる。その身体はすでに、八割がたの生身の部分が消失しており、金属の骨格がガチャガチャと擦れるだけ。しかし、それでも大男は腕を前に伸ばす。

「簡単に‥‥‥言うと、パワースポット‥‥‥か。俺たち『北』には‥‥‥縁のない物だ」

 加えてもう一言。

「どうだ、俺の仮説は正しいか?」

 大男は満足そうに、笑みまで見せる。しかし、それに対してバーニアの反応は極めて薄い物だった。

「そんなこと、知らないよ」

 大男の笑みが一瞬で消え、絶望の色に染まる。そして大男の目から機械的な赤い光のランプが消えた。彼の腕は先ほどから一ミリたりとも動かないバーニアの足元まで迫ってきており、機能停止の直前、バーニアの靴にひっかき傷をつける。

 同時に、バーニアの頭上から球体がその姿を消す。まるで、最初から何も存在していなかったかのように、何の痕跡も残さず、スゥっと空気中に溶けるようだった。『球体』が消えた後、バーニアがその場に倒れる。

 男子寮玄関ロビーには、現在立っている者は誰もいない。二人の赤い制服を着た青年と、一つの金属の塊。ただ、その現場を目撃しただけでは何が起きたのかすら分からないだろう。

 そんな静寂に包まれるロビーだが、やがてピピピピピピという電子音が響き始める。最初は羽虫が飛ぶような小さな音だったが、徐々にその電子音は大きくなった。そして何の脈絡もなく、突如として電子音が止む。

『緊急駆動装置ヲ作動シマス‥‥‥緊急駆動装置ヲ作動シマス』


          16


「本当にこれでよかったのかしら?」

 トーリは差し出した腕を下ろしながら、心配そうな口調でリナリアに話しかける。

「トーリさん、ありがとうございます。フレイなら大丈夫‥‥‥だと思います」

 フレイティアとリナリアの行動は、トーリがこの大量の糸を用意するための時間稼ぎだった。リナリアが最初の炎を噴出した瞬間、トーリが向かった先はフレイティアがぶち破った女子寮の壁だった。トーリはそこで剥き出しとなった寮の金属の骨組みを糸に変えたのだ。

「ここから先は私の仕事です」

「ええ、後はお任せいたしますわ」

 リナリアは再び手を前方にかざす。すると、フレイティアとマスクの男を封じ込めるドーム型の金属の檻を包み込む極太の火柱が立ち上がった。

(フレイ‥‥‥どうか無事でいてください)

 祈ると言うよりは、微かに残る希望に縋り付く思いだった。

 己の一部であり、同時に全てでもあるパートナーの言葉を疑うことはできない。しかし本当は、自分はこんなことをしたくはなかったという後悔の気持ちもある。そんなジレンマの中で彼女が出した苦渋の決断だった。

「フレイ、一緒に生きよう。ここを生き延びて、また一緒にご飯を食べよう」


          17


暗闇に視界を閉ざされ、マスクの男は何も見えない。

「こんなもんでいつまでも俺を閉じ込めていられると思うなよ」

 そう言って、鋼鉄のドームを思い切り殴る。ドーンという鈍い音が狭いドーム内に響き、その振動は外にまで伝わる。マスクの男はドームを歪ませた感触を実感し、これならもう二、三発で脱出できると確信してほくそ笑んだ。

「そんなに上手く行くと思うか?」

 マスクの男は背後から突然聞こえた声に反応して振り返ろうとしたが、背中に走った大きな衝撃に耐えられず思わず膝をつく。

「てめぇ、高濃度酸素を食らっておきながら――」

 二人を閉じ込める金属のドームが、リナリアの炎によって徐々に赤く染められていく。同時に、その明かりで二人は互いの姿を把握し始めた。

「エアレスッ‥‥‥おい、反応しろエアレスッ! くそッ完全にイカレやがった。『南』のクソムシの分際でよくも‥‥‥つーか、熱ッ!? チッ、あの女が外から――」

 これは早く脱出しなければ、いくらパワードスーツの恩恵があろうと蒸し焼きにされてしまう。マスクの男は眉間にしわを寄せ、焦りの感情をあらわにした。それを見ながら、フレイティアは先ほどのマスクの男の質問に対する回答を用意する。

「そうだよなァ。何で俺は生きてるんだろォなァ。俺にも分かんねェ。でも、俺は契約したパートナーから『生きろ』と願われてんだ。だから死ぬわけにはいかねェ。それだけははっきり言えるッ!!」

「契約? てめぇ何意味分かんねぇこと言ってん――」

「だから俺自身よく分かんねェんだよッ! 何度も言わせんな」

 そう言って、半ジーニアスの男は頭を掻く。

「結局、何でてめぇが生きているか。その疑問はそれはてめぇを解剖して解決するとしてだ。俺はそろそろこんな熱い所から出たい。だから、愉快に散ってくれやッ!」

 半径2・5メートルほどの狭い半球の中。一歩でも踏み込めばそこで互いにとっての必殺の領域に持ち込める。最初に動いたのはマスクの男だった。

「せっかちな野郎だな。のんびりと、我慢比べと行こうぜッ!」

 逃げ道や隠れる場所はおろか、一歩たりとも退くことができない空間で超至近距離の攻防が始まる。フレイティアはドーム内の限られた酸素量により、いつものように炎のブーストを噴出することができない。マスクの男は背負っていた機材によるバックアップを失い、当初の半分の力も出せていない。

 すでに、互いに満身創痍だった。

 繰り出す拳や蹴りの一発一発が、最後の力を振り絞るに等しい苦しみ。そんな中、二人の男は何度も何度も、繰り返し自分の思いを拳に乗せ、交える。

「おいおい、動きにキレがなくなってきたぜ、もう限界か?」

 フレイティアはマスクの男の拳を、左手でその軌道をなぞるようにして受け流し、無駄な動きをすることなく相手の顔面に狙いを定め、右ストレートを放つ。

「ふざけんな! どうしてこの俺がッ! てめぇらみたいな努力も知らないムシどもに負けてるかよッ!」

 マスクの男はそれを左膝で蹴り上げて、上へ弾く。

「俺達がどんな思いでこの技術(ちから)を手に入れたと思ってやがるッ! 生まれたときから何らかの『才能』を保障されているてめぇらに分かるわけねぇよなッ! 分かってたまるかッ!」

 右腕を弾かれ、がら空きになったフレイティアの右半身めがけて、マスクの男は一歩踏み込み、殴りつけようとした。

「何が『才能』だッ! 何がジーニアスだッ! 本当に虫唾が走るッ! 才能に恵まれるという価値を理解していない『南』の人間が憎い。殺したいほど憎いッ!」

「ああん? お前、さっきから何言ってんだッ!」

 マスクの男は力の入った言葉とともに、フレイティアに本気の殺意を浴びせる。が、頭に血が上っていたのか、その動きは雑で、『行動のその後』が加味された拳ではなかった。故に、あえなくフレイティアの左手に掴まれ、そのまま引き寄せられる。

「――しまッ!?」

 マスクによって顔の半分が隠れているが、彼の表情を読み取るには目の動きだけで充分だった。大きく見開かれた瞳には、後悔と、恨みと、嘆きと――

 そして最後の希望があった。

「強制パージッ!」

その言葉を合図に、マスクの男が身に纏っている白いパワードスーツに何十本もの赤いラインが、首筋から足の先にかけて伸び始める。やがてそのラインに沿ってスーツが膨らむように割れはじめ、割れた破片がフレイティアの手をマスクの男から押し上げ始めた。その膨らむ力はフレイティアの握力よりも勝っており、彼はやむを得ず手を放す。直後、パワードスーツが破裂し、その風圧でフレイティアはドームの側面に叩きつけられた。

「凡才が天才に勝てないなんて義理は無いッ! 俺は、それを身もって証明するッ! それが『北』に生まれた者としての意地だッ! 誇りだッ! 生きる意味だッ!」

 壁にもたれかかるフレイティアに、上半身が裸になったマスクの男が突進する。

「ぐッ‥‥‥くそッ! 動かねェ」

 すでに体力が僅かしか残っていなかったフレイティアにとって、その一撃はあまりにも痛烈だった。脚や腕の感覚が痛みで麻痺し、もう指一本動かせない。

「おぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉッ!!」

(リナリア――)

 それでも、負けられない。自分を待ってくれている人間が、このドームの外にいるのだから。  

フレイティアは己を奮い立たせるように腹の底から大声を上げ、おぼつかないながらも立ち上がる。

「俺にだって譲れねェモンがあるんだよッ! 初めてなんだ! こんな、心の底から守りたいものができたのはッ! てめぇが今までスゲー努力をしてきたことは分かった。でも、だからってそれを証明するために人を殺すのは違うだろッ! 死にもの狂いで手に入れた技術(ちから)なら、それを奪うことじゃなくて、もっと他にも使い道があったはずだッ! 自分で勝手に考えを狭めておきながら、責任を他人に押し付けてんじゃねェッ!!」

「うるせぇッ!! 『南』なんかに理解されてたまるかッ! そんなもの、『天才』である余裕から言える言葉だッ! 俺は――」

 マスクの男の拳が、フレイティアの胸に触れる。しかし、それはあまりにも軽く、彼の服の表面をかすめる程度でしかなかった。

「俺は――」

「お前、もう身体が‥‥‥」

 パワードスーツを強制解除した男の身体は焼け爛れ、水分をほとんど失っていた。加えて、狭い密室での戦闘による酸欠により、脳は正常な働きができなくなっていたのだろう。マスクの男の悲痛な叫びは、そんな不安定な状態の脳が引き起こした事故に過ぎない。

 やがて男が装着していたマスクに無数の亀裂が入り、砕け散るとともに男は灼熱の床に崩れ落ちた。床は男の皮膚や肉を焼き、ドーム内に異臭を蔓延させる。しかし、フレイティアは決してその姿から目を背けることはなかった。

 数秒後、ドーム内の物音が止み、決着がついたのだと確信したトーリがドームを解除する。マスクの男が勝ったのならドームを破壊して出てくるであろうが、それがなかった。したがって、リナリアもトーリも、物音が止んだ瞬間はフレイティアの勝利を確信した瞬間でもあった。

二人は、身体の崩壊が止まらない男のそばで立ち尽くす赤髪の半ジーニアスの男の姿を目に止め、彼に駆け寄る。

「フレイッ!」

 リナリアがフレイティアに抱きつくように飛びつき、腕を彼の首に回した。

「良かった良かった。本当に良かった。私――」

 フレイティアは自分の胸で泣きじゃくるリナリアの頭をそっと撫でる。が、彼の眼はどこか煮え切らない感情を帯びており、虚空を見つめていた。

「なぁ、リナリア」

「‥‥‥何ですかフレイ」

 そのまま、リナリアに目を合わせることなく、上を見上げながらフレイティアは呟いた。

「結局、俺はあいつを殴れなかったよ」


          18


 エレクの意識は唐突に回復した。赤い制服を自らの血でさらに赤く染め上げたというのに、彼の頭は冴えており、自分が倒れる直前のことをすぐに思い出すとハッとして上を見上げる。

(俺は大男に全身を貫かれて‥‥‥そこで意識を失って、それからどうなった?)

 そして、持続的な弱い頭痛を堪えながら、必死に大切な親友の姿を探す。

 彼は知らない。大切な親友の才能の余波で傷が癒えたことに。

「くッ‥‥‥バーニアッ! バーニアどこだッ――」

『時限自壊装置機動マデ、カウント60』

 そこに大男の姿はなかった。

 ただ、大きな銀色の人型の金属骨格がバーニアの首を掴んで立っており、最悪の結末を告げるカウントが進んでいるだけ。

 すでに確定された惨劇が、エレクの心臓を押し潰さんと圧迫する。

「う、うわあああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!」

 頭が真っ白の状態でエレクは立ち上がり、人型をした金属の塊を背後から殴る。何度も何度も、拳に滲む血など気にせず殴りつける。

『ピピッ、ピピピピッピピピピッピッピピピピ‥‥‥第二ノ生命反応を確認。危険レベル1、排除ノ対象外ト認定。目標ノ殲滅ヲ続行』

「くそッ、何だッ! 何なんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 エレクは金属骨格の正面に回り、バーニアを掴む指を外そうとしがみつく形で全体重をかける。しかしそれでもびくともせず、ただ金属骨格の鋭利な指で皮膚を削るだけだ。

「バーニアを放せこの野郎ッ!」

『カウント45。第二シークエンスニ移行。ボディヲ固定』

 無機質な電子音はそう告げると、バーニアを腕に固定したまま直立二足歩行の足を折り畳み、床に杭を打ち込んだ。そして、胸のあたりで一定の間隔で点滅するランプを守るようにボディが変形し奥へ押し込まれる。

 攻撃が通用しないどころか相手にすらされない状況を見て、エレクは立っていられなくなる。

(いつだってそうだ。俺は自分一人の力では何もできなかった。所詮、ジーニアスが与えてくれた俺の『才能』は、俺一人では何の効力ない、無力なものだ。あれだけ人前で大きな口を叩いておきながら、俺は一人では何もできない)

 俺は所詮、この程度の人間なのだ。

 エレクが契約したジーニアス、『民意召喚(デモクラティック・ユニオン)』。その最後の砦である自尊心まで、エレクは失いかけていた。

 いや、完全に失うのはすでに時間の問題だった。エレクの思考はすでに途切れ、あとは『死』という最高の贖罪に身を委ねるのみ。

(ああ、俺の人生はいったい何だったん――)

 バァンと、男子寮の入り口が大きく開け放たれる。突如開けた扉は、これまでの生暖かい腐った空気を外へ追い出し、代わりにささやかながら新鮮な空気を補給する。エレクは新たに吹いた風へと虚ろな目を向けた。

 そこには、一人の少女が息を切らせて立っていた。

 彼女は、本舎の監視カメラの映像を見て駆けつけたライカ・ハッセル。ライカは映像で何が起こったかを知っているため、何も言わない。だが、やはり若干十六歳の少女が目にしても良い光景ではなかった。彼女の顔は血の海に沈む同期生の亡骸を一人ひとり目で追ううちに、苦悶の表情に変わっていく。

「ライカ‥‥‥どうしてここに――」

 少女の姿を目に止めたエレクが、震えた声で問う。

「そんなの決まってるじゃないですか。助けに来たんですよ」

 まさに模範解答。

絶望的な状況を目の当たりにしても、絶対に諦めないヒーローのような一言をライカは言ってのけた。だが、それを聞いたエレクは吐き捨てるようにこう言う。

「お前はこの状況をみてまだそんなことを言っているのか? 俺の力ではこいつの爆発を止められない。君は逃げればいいだろう。まだ三十秒ある」

 しかし、ライカは一向にその場を動こうとしない。むしろより中へ入ってきたほどだ。そんな彼女に合わせる顔などエレクは持ち合わせてはおらず、顔を背ける。

「今のあなたは、私が‥‥‥いえ、みんなが知ってるエレクさんじゃないです。エレクさんはいつだって自信に満ち溢れていて、みんなを引っ張ってくれるリーダーだったじゃないですか」

「君たちは本当の俺を知らないだけなんだッ! 俺は一人では何もできない。今もこうしてバーニアが死んでいくのを見ることしかできない。お前らは俺が言葉で植え付けていた俺のイメージに騙されていただけなんだッ! だからもう――」

 ――楽にさせてくれ。しかし、エレクの言葉はライカに遮られる。

「これを見ても(、、、、、、)、そんなことを言ってられますか(、、、、、、、、、、、、、、)?」

 そういうとライカは手のひらを上にした右手を差し出す。

「夢のような現実(トランス・レコード)

 彼女の言葉に応じて現れた一枚の光のディスクは、赤黒い空間を余すところのない光で満たしながら、微粒子となって舞い上がり、微粒子は目を焼くほどの強い光の塊となってこの世界に固定される。その状況をただ似ているだけだったエレクはあまりの眩しさに、思わず目を背けた。


『エレクさん』

『デミオンさん』

『主席ッ!』

『エレクくん』――

 背後から、声が聞こえる。

 何人、いや何十人もの声が聞こえる。

『いつもありがとうございますエレクさん』

『さすが、頼りになりますね!』

『この前は助かりました。今度お返しをさせてください』

『自分も、主席みたいに強い男になりたいっス!』

 その声一つ一つが、エレク・デミオンにとって聞き覚えのあるものばかり。振り返ることができないまま、エレクは歯ぎしりをする。

「よすんだライカ。今更俺に何を期待しているのだ。俺は負けた。負けたんだ。こんな俺に何を期待している」

 エレクはライカが何をしたかすぐに理解した。彼女のジーニアスで、自分と関わった候補生たちの映像を実体化して励まそうとしているのだ。

「もう、助からない。死ぬしかないんだよッ! いい加減に理解しろこの――」

「この、何?」

 ガシッと、エレクは背後から肩を掴まれる。そして、強引に振り向かされた。

「まさか、バカ女なんて言うんじゃないでしょうね?」

 興奮し、突発的に口から出そうになった言葉だとはいえ、図星のエレクは口をこもらせる。

「あなたがどんな人物かなんて、本当はどんな性格かなんて私たちは知る由もない。でも、嘘や建前で塗り固めた外面ばかりでも、あなたを慕っている人間がこんなにもいるのッ! あなたは、その責任を取らなくてはならない。最後まで、みんなの理想であり続けなければならないのッ! 騙すなら最後まで騙しきりなさいッ!!」

 エレクはライカの背後に視線を移す。そこにいたのは自分とライカ、バーニアのを除く、候補生四十七名の姿だった。

「お前‥‥‥これ――」

 見渡しただけで、すぐに分かる。このうち、何人がすでに死んでしまったかが。

 エレクの頬を、熱い水滴が伝う。

「お、俺は、守れなかった。こんなにも慕ってくれる仲間たちを、俺は見殺しにしてしまった。そんな俺に、なんの価値があるのだというのだッ! いい加減に楽にさせてくれッ!」

 バシィッと、エレクの首が真横に弾かれる。

 一瞬、何が起きたのか分からなかったが、冷え切った身体の一部にジンジンとした痛みを伴った血流を感じ、すぐに頬を叩かれたのだと悟る。

「いい加減自分の本心と向き合ったらどうなの? いつまで自分に嘘をつき続けるの? 自分を偽らなくたって、私たちはあなたに幻滅したりしない。なにより、あなたにはまだ戦おうという意思があるじゃないのッ!」

 ライカは堅く握りしめたエレクの震える拳を、そっと両手で包み込む。

「あなたは確かに、一人では何もできないかもしれない。でも、それでいいじゃない」

 ドクンと、胸に強い衝撃が走る。

この気持は何だ。まだ俺は死にたくないとでも言うのか。

「この固く握りしめた拳は、あなたがまだ生きようとする意志の表れであり、同時に私たち皆の総意なのよ」

 心臓から勢いよく全身に送られる血液が、身体の隅々まで行きわたるのを感じた。徐々に手足の感覚がよみがえり、同時に冷え切った心に小さな篝火が灯る。

「あなたは一人で闘わなくたっていい。後ろにはいつも私たちがいる」

 エレクはふと、上を見上げる。すると、先ほどまで見えなかった自分に対する支持を表す赤色の上向き矢印がライカの頭上に見えた。

「私たちのために、戦って」

 次にエレクは、エレクに向かって声援を送り続けるライカの実体化させた映像に目をやる。

「‥‥‥見える。見えるぞ」

 合計四十七本。候補生たちの頭上に矢印が立っていた。そこに、肩を組んで互いに支え合うリナリアとフレイティアの姿もあったことに、エレクは驚く。

「あいつら‥‥‥これはデモンストレーションの後の‥‥‥ライカ、お前はこんなものまで撮っていたのか」

「私は真実を記録するのが仕事なんだよ」

 ニシシと、ライカは白い歯を見せてほほ笑む。

「そうか。このままではあのクソッタレにバカにされてしまうな」

 エレクはゆっくりと立ち上がりながら、もう一度候補生たちを眺め一人一人目で追っていく。

(リサ、トーマ、キッド、メリル、ガーベラ、キリエ、ドミンゴ、ヴァスクス、セナ、アグリ、クロム、ユスティス、アロエ、ナハルティ、ギリアム、リコッタ、ウェルキン、カイリ、サラスバティー、ハーデクトリ、ボタン、バルビナ、ユイ、トーリ)

 誰一人として、欠けてもいい存在などいなかった。

エレクにとって単なる『票』でしかないと思っていた候補生たちは、いつのまにか思った以上に彼の中で大なものとなっていた。中には既に死んでしまったものも大勢いる。その事実はエレクの胸を貫くが、それでも彼は仲間の姿を目に焼き付ける。

(アンジェラ、ルーカス、クレイギル、アテナ、ネイロス、アグディン、ルドラフェウス、ネロ、アスカ、ダリア、シルヴィス、ハンゾウ、エレン、クリスティナ、トスカナ、エルヴィン、リオラ、クレイドル、リバティ、ベローズ、ザクロ、リナリア、フレイティア)

 もう、迷いはない。

「ありがとう、みんな。‥‥‥すまないが、もう一度だけ、騙されてくれ」

 そう、一言だけ告げると、彼らに背を向ける。ライカもまた、自らが召喚した映像とともに並び、エレクの背中を見つめた。

『カウント5――』

「させねぇ‥‥‥させねぇよッ!!」


そして俺は――


ドッと、その場の空気が強い衝撃に揺れる。それはエレクの足元から波紋状に広がり、男子寮そのものを震わせる大きな力の塊を予感させた。

 エレクは金属の塊に捕えられているバーニアに目をやる。すると、バーニアの頭上にも消えかけてはいるが赤色の上向き矢印が浮かんでいた。つまり、それはまだ彼に息がある証拠である。

「‥‥‥支持率、百パーセント」

 再び、ドッという衝撃が起きた。しかし、今度のそれは先ほどのものとは違う。空気を震わせる中心はエレク。その背中に浮かび上がった翼。しかし、それは翼というにはあまりに無機質で、鳥を連想させるものではない。むしろ図形のような、角ばった印象がある。

 エレク・デミオンは、決して己の力で暴力を振るわない。振るえない。彼の『才能』は民意の反映。その純粋な力のみを抽出した、一種の召喚。

 エレク・デミオンは、自分を信じて『票』を投じてくれる者のためだけに、その力を行使できる。彼の一撃は、人々の怒りそのものなのだ。

 一瞬のことだった。ライカが一度瞬きをしている間にエレクは金属の塊を抉り、その中心部に腕を伸ばしていた。そして、彼は手に何かを掴んだ感触を覚え、その拳大の冷たい塊を思い切り引き抜く。と、同時に機械の塊全体に無数のヒビが入り、バーニアを掴む腕が崩れる。

 ブチブチと、何色ものコードを千切りながら出てきたそれは激しく赤いランプが明滅しており、カウント2を示していた。

「まだだッ! まだ間に合うッ! 間に合わせてみせるッ!」

 エレクはその場に風のみを残し、男子寮の壁を破って外へ出た。瓦礫を吹き飛ばしながら空中で身体を捻り、仰向けの状態となる。

「おらァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!」

 空を切る轟音と共に放り投げられた爆弾は、刹那の沈黙の後、空高くで爆発した。エレクはそれを地面に仰向けで倒れた状態で呆然と眺める。また、彼の背中には先ほどまでの『翼』は無く、『支持率』は元に戻っていた。バーニア、ライカ、そして自分の三票だ。

 しかし、彼を安心させるには充分すぎる材料だった。

 エレクは倒れたまま、爆発によって裂けた空に手を伸ばす。そこには空気が満ちているだけで、握りしめても何も掴めないのは明らかだ。しかし、エレクはその手に何かを掴んだと確信する。実感する。

 目に見えない何かを、確かにその手に掴んだのだ。

 その時だ。耳に常に装着している通信機から着信の電子音が聞こえた。エレクは耳に手を伸ばし、スイッチを入れる。

(これはオープンチャンネル?)

『こちらマルセル。今が、大変な事態であるることは分かっている。だが、よく聞いてくれ。アイシャ支部長が到着した。今は僕の研究室にいる。この通信を聞いて、動ける者はみんな僕の研究室に来てほしい』


          19


 青に金の刺繍の入ったの制服に身を包む金髪に眼鏡の美女、同時に『花見』機関の副局長であるルーシー・ヘイムニルは、局長のセドリックに言われた通り、ジーニアス・ホルダーレイアクール支部へ裏門から入る。

 そこから見える本舎はいつも通り明かりが灯っており、特に変わった様子は見られない。しかし、候補生たちの『花』が散っていることを鑑みると、いつも通りであることがむしろ不気味である。

 そこで突如、ルーシーの耳に付いている通信機に突然通信が入った。

「個別通信‥‥‥局長?」

 先ほど話したばかりなのに何の用なのか。ルーシーは怪訝に通話のスイッチを入れる。すると局長は何の脈絡もない言葉を焦ったような口調で告げた。

『今すぐ頭上を全力で殴りなさいッ! 早くッ!』

 ルーシーは局長セドリックの占いの腕前を知っている。普通であれば、漠然とした未来の出来事をぼんやりと予測する程度の技術であるはずのものだが、セドリック・ルフロのものは違った。風水、星占術、姓名判断、カード、水晶・霊感ど、様々な種類の占いの才能をジーニアスから授かった天才は、単なる占いを『予知』のレベルにまで引き上げているのだ。

 それを知っているからこそ。上司の『才能』を信頼しているからこそ、ルーシーの行動には迷いがなかった。彼女は制服を翻し、両腰にぶら下がっている二つの金属の塊に手をかけ、その片方を思い切り振り上げた。

 彼女が手にしている武器は、簡単に言えば短剣である。しかし、その短剣は普通のものより幅が広い。そして最も目立つ特徴は刀身に空間があり、握りがその空間内に、刀身に対して垂直に握るように存在しているのだ。したがって拳で殴りつけるようにまっすぐ突き出すだけで相手を貫くことができる。

 それを掴み、右手を思い切り振り上げたルーシーは、確かに何かを貫いた手ごたえを感じた。

「ギガガガギガゴゴギゲゲガゴゴギガガガガギギギグゴゴググゲゲグガガッギギッギギギギ」

 ルーシーが貫いたそれは不気味で不規則で、ゼンマイの噛み合わせが悪い自動人形のような音を鳴らし、彼女の目の前に転がる。

「ギギギギギギギギ、ナゼ、オレガワカッタ?」

 横向きに倒れ、貫かれた肩を押さえながらジタバタするそれは、一見人間である。しかし、身体中から鳴っている不自然な音が『南』の法則から外れた存在であることをルーシーに知らせた。

「ギギグガガガグギギゴゴデモ、オレ、コワレナイ。スグナオル」

 やがて、身体の関節が上手く噛み合うかのようにゴギッと音がした。肩のあたりが多少いびつに曲がっているのを見ると、おそらくそれは治癒ではなく、変形によって無理やり傷口を塞いだのだと推測がつく。

「大したものだな。いったい何者なんだ?」

しかし、ルーシーは表情を崩さない。

「あぁでも、あれが『一撃』にしか見えなかったのなら、お前はもうスクラップだ」

「ア?」

 直後、四肢が弾け飛ぶようにバラバラになる。いや、それだけではない。その身体は、軸がずれていた。

「アアアア?」

 軸がずれたその理由は、身体が横一直線に切断されていたからだ。何が起きたか理解する前に、名前も、能力も判明しないまま『北』の刺客は絶命した。

 これが『花見』副局長、ルーシー・ヘイムニルの実力。その一端。候補生とは比べものにならない鍛練を積み、洗練された『才能』には一部の隙も存在しない。

「この異形の技術‥‥‥襲撃者はやはり『北』か」

 ルーシーは眼鏡の位置を直し、本舎の裏口から戦場の中心地へ突入する。


          20


 オープンチャンネルにて候補生たちに招集をかけたレイアクール支部の医者、マルセル・オービットは緩やかな手つきで通信機のスイッチを切る。

そこは薄暗い彼の研究室。一度、フレイティアとリナリアは精密検査の結果を聞くために入ったことのある部屋だ。

 研究室の壁面を埋め尽くすように高々とそびえる本棚には、大量の書籍や標本がぎっしりと詰め込まれており、今にも倒れてきそうな重圧感を醸し出す。また、彼が現在腰かけている大きな机にもさまざまな書類が積み上げられており、激務に追われる日常が容易に想像できる。

 マルセルは机の片隅に常備してあるコーヒーメーカーに手を伸ばしたところで、その手を止めた。

「来たか――」

 そう呟いた直後、バァーンとけたたましい音を立てながら研究室のドアが開かれる。

「ハァハァ‥‥‥マルセルッ!!」

 レイアクール支部長アイシャ・ラルクロエが、呼吸を激しく乱しながら血相を変えて入って来たのだ。そして、アイシャはそのままずんずん奥へ踏み込んでいき、マルセルの座る机を叩きつける。

「これはいったい何事だッ! さっき正門を抜けてきたが、職員が十人以上死んでいた。私たちがいない間に何が起きたッ!」

 怒りと悲しみで震える拳を机に押し付けながら、アイシャは目も合わせずにひたすら叫ぶ。

「僕の計算よりも九秒ほど来るのが遅かったな。君はいつも僕の計算の上を行くと言うのに、どうしたのだ?」

 マルセルはアイシャの怒号を軽く受け流し、嘯く。

「どうしたって‥‥‥てめぇ、ふざけてんのかッ!!」

 頭に血が上ったアイシャは身を乗り出してマルセルの胸倉を掴み、手前に引き寄せて言う。

「お前が私を呼んだんだろうがッ! いいから状況を報告しやがれッ!」

 そう言って彼女は乱暴に手を放した。

「候補生たちは僕が大切に預かっているから安心してくれ。だが、その前にだ。僕は君に聞きたいことがある」

 乱れた白衣の襟元を正し、眼鏡を整えると、マルセルは続ける。

「アイシャ、君は『才能』とは何だと考える? 『南』にとっては神ともいえる存在、『大樹アトラス』から授けられるもの? 一人に一つだけ与えられる個人の優れた能力? それとも――」

「今はそんなことどうでもいいだろうが。マルセル、相手がお前でも殴るぞッ!」

「いいから僕の質問に答えろ」

 その言葉に、アイシャはたじろぐ。

 彼女とマルセルの付き合いは長い。そして、地方に回されることもなくこうして同じ支部に居続けた腐れ縁ともいえる仲だ。そんなアイシャでも、今のマルセルは見たことがない。

研究バカで、目先のことに集中すると何も見えなくなる。自分がそばで守ってやらなければいつ死んでもおかしくない障子紙のような耐久性。彼女にとってのマルセルは、そんな印象だった。だが、それでも一緒に居続けられたのは、彼の尊敬できるところをアイシャはたくさん知っていたからである。

 ひたすら研究に打ち込む情熱や、ジーニアス・ホルダーたちの命を預かる医者としての意識の高さ。自分にはない物を持っている彼を、アイシャは尊敬していた。

 アイシャはマルセルの豹変ぶりに言葉を失う。豹変といっても、具体的に何が変わったかは分からない。言葉遣いもマイペースな喋り方も何も変わっていないため、感覚的なものとしか言いようがない。

「『才能』だぁ? そんなもん‥‥‥考えたこともねぇよ。だって、十歳になったら誰でも手に入れられるんだぜ? まぁ、契約するジーニアスの良し悪しはあるかもしれねぇな」

「やはりそうか」

 他には特に何も言わず、確認事項を済ました程度の反応。

「やはり『南』にとって『才能』はその程度の認識でしかないのか」

 それだけ言い放ち、マルセルは静かに立ち上がる。

「いいだろう。候補生たちの所へ案内しよう」

 椅子から立ち上ったマルセルはアイシャの右側まで移動し、壁面を埋め尽くす本棚の前に立った。そして所狭しと並べられる本に手を伸ばし、その並び順を変えていく。

 あるものは右に移動させ、あるものは列、段を変え、またあるものは上下を逆さまにした。そんな無意味に思える行為を何度繰り返しただろうか。アイシャが痺れをきかせ、マルセルに話しかけようとしたところで、状況が動いた。

「おいマルセル、お前何をやって――」

 ガシャッと、歯車の合う音がした。

「候補生たちは大切に預かっているよ(、、、、、、、、、、、、、、、、)。何しろ、貴重な『才能』だ。その扱いには細心の注意を払わなければならない」

 ガガガガッと床を擦る音とともに、本棚が中央で縦に裂ける。そこに現れたのは新たな空間。支部の見取り図にも載っていない、完全な密室。支部長である自分ですら知らないマルセルの部屋に仕組まれたギミックに、アイシャは目を丸くした。

 が、真に驚愕すべき対象は隠し部屋の奥に存在した。

「お、おい‥‥‥なんだよそれ――」

 外から暗い隠し部屋の中を伺うアイシャの目には、ボヤァとした緑色の光が映っていた。何らかの溶液で満たされた数十個の縦長のカプセルが放つ光だ。カプセルの一つ一つは部屋の中央に存在する大型の機械にコードで繋がれており、そのモニターに彼女には理解できない様々な数値が目まぐるしく変化している。

 アイシャは直感で悟った。

 こんなものは『南』にあるはずがないと。

「アイシャ、君とは長い付き合いだ。僕も人間である以上、少なからず情というものがある。これは僕のちょっとした気の迷いだ。それに――」

 見てはいけないもの、本来はあってはいけないもの。そんなオカルトチックなものを見たかのような唖然とした表情のアイシャが少しずつ後ずさりするのを見ながら、マルセルは語る。

「――君のような優秀な『才能』は是非とも手に入れろと言うのが『上』からの命令だ。しかし、君になら全てを見せてもいいと思ったんだよ」

「あ‥‥‥う、あ」

 込み上げる嘔吐感を堪えながら、アイシャは必死に目の前の状況を分析しようとする。

 分析しようとして、やめる。

 なぜなら、分析するまでもなかったから。

 隠し部屋の中に大量に、そして均整に並べられているカプセルには、拳大の赤黒い塊が入っていたのだ。それは今なお、ドクンドクンと脈を打ちながら、小刻みに動いていた。

「あああ‥‥‥うあうああああああああああああああああああああああ――」

 そこまで言うとマルセルは隠し部屋の入り口付近からあるものを回収し、片手に抱えて出てくると、次に窓から外を眺め不自然に手を上げた。


 レイアクール支部より北に二キロメートル。ひときわ高い木の、太い枝に一つの影が見えた。

「抹殺指令を確認。これより目標の排除に移る」

 木の枝の上にしゃがみ込んでいるのは生気のない真っ白な肌にスキンヘッドが特徴的な一人の男。その男の眼球が、突然ぐるりと縦に回転し、白目となる。そしてガバッと大きく口を開けた。ただし、彼の口は頬まで裂けていて、スイカが一つ丸ごと入りそうなほどである。

 その後、ガシャコン!! と、およそ人体の構造上ありえない音を放ちながら、彼の口から何かが飛び出す。

「ターゲットまでの距離二〇三四。風速五メートル。照準を左に二ミリ修正」

 現れたのは一〇五口径の銀色の砲塔。直後、極太の光が銃口から照射された。


 眩い光を放つ高エネルギーはありとあらゆる障害物を貫通しながら、一直線にアイシャの頭を目がけて突き進む。その過程で摩耗するエネルギーをも計算に入れ、ちょうど首一つを落とす程度にまで縮小した光を、アイシャは視界の片隅に捉えた。

「なッ!?」

 気付いた時には遅かった。何の回避行動もとれないまま、アイシャの首から上が光に包まれ、消える。残されたのは、跡形もなく頭部だけが消え去り、棒立ちする肉体のみ。首の断面が焼けているのか、血は全く出ていなかった。

「すまない。アイシャ――」

 そうぽつりと言い残し、彼女の心臓を回収すべく、マルセルは首を失ったアイシャの身体に接近する。


「ターゲットの消失を確認。長距離射撃モードを解除」

 ガシャコン!! と、今度は金属が折りたたまれ、それを男は飲み込み始める。そして、ギギギギとゼンマイが回転するような音を鳴らしながら目が縦に回転し、元の状態に戻る。

 男にとっては日常。人を殺すためだけに改造された肉体など、人生において他に使い道などない。故に男の日常は揺るがない。

それは男が木から降りようと、枝に手を付けしゃがんだ瞬間の出来事だった。男の日常は唐突に終わりを告げることとなる。

「そうか、てめぇらか。てめぇら『北』がやったんだな」

 男の動きが止まる。そして、ゆっくりと首を回し、横目で音源を捉えた。

「な、なぜだ? どういうことだ? どういう状況なのだ? 俺は夢でも見ているのか?」

 男の視線の先には、生首が浮かんでいた。それは跡形もなく消し去ったはずの、アイシャ・ラルクロエの顔だった。

 アイシャは目から涙を流し、口には刃渡り三十センチほどの大きめのナイフを咥えている。直後、アイシャの生首が一瞬姿を消したかと思うと、次の瞬間には男の目前に迫っていた。

「目で追えない、これは瞬間移動!?」

 と、言うことはだ。

 男は絶命する直前に、目の前で起きている出来事の理由を把握する。

 簡単なことだった。アイシャは光が直撃する瞬間、自らの首のみを空間移動させて逃れ、光の射線上の自分を探し当てたのだ。

 ザシュッという音がした。その後、地上三十メートルからの落下物が生まれる。あまり切断力の高くない刃物だったためか、男の首の切断面は荒かった。


 マルセルの手がアイシャの胸に伸びたとき彼女の首が突然現れた。アイシャは赤くはれた目でマルセルを睨みつける。

「驚いた。君の転移領域(ループ・トリック)がこれほどのものとは」

 アイシャは何も言わない。

 ただ、頬を伝う雫の一滴一滴が彼女の言わんとすることを語っていた。

 信頼していた同僚の裏切り。いや、もしかしたら最初から彼にとっては、レイアクール支部での生活のすべてが取るに足らないものだったのかもしれない。

単に、今日というこの日のための準備期間だったのだ。

だとすれば、一方的に頼っていた自分が愚かだったのか。支部長であるにもかかわらず部下の本質を見抜けず、徒に他の多くの部下を犠牲にしてしまったのだから。

(くそッ! くそくそッ!! 何だってこんなことに‥‥‥)

 しかしだからと言って、すぐには割り切れない。

 人間は、そこまで合理的にできてはいない。

 それならば、上司からの命令ですべてを捨てられる目の前の男は人間ではないのか?

「マルセルぅうぅうぅうぅうぅう!!!!」

 薄暗い研究室に、アイシャの絶叫が響き渡る。言葉で表現できない感情のすべてを乗せた、悲痛な叫びだった。

 あの出会いも。

 あの他愛もない会話も。

 時折見せる笑顔も。

 そのすべてが嘘だったというのか。すべてを捨てろと言っているのか。

(そんなの、嫌に決まっている。これは嘘だ! 何かの間違いなんだッ!!)

 アイシャはこれまで、自分にとって不都合な事象はすべて拳で解決してきた。今度も同じ。部下が悪さをしたのなら、殴って正してやる。

 大切な部下救うため。そして何より、今にも壊れそうな自分の心を保つため。アイシャは全ての感情を押し殺し、不都合な現実をぶち壊そうと固く握りしめられた拳を振り上げる。

 一瞬にも満たない時間を置いて、マルセルの身体が背後に吹っ飛ぶ。彼は壁を突き破り、本舎の正面に落ちていくのを、アイシャはただ見つめていた。

「な、何が起きたんだ?」

 彼女の口から最初に出た一言は疑問の言葉だった。

なぜなら、マルセルを吹っ飛ばしたのはアイシャではなかったからだ。唖然とする彼女の目の前で瓦礫の屑を払いながら立ち上がるのは青と金のシルエット。乱れた髪を整える美貌。

「ル、ルーシー‥‥‥どうしてここに」

 駆けつけた『花見』機関副局長、ルーシー・ヘイムニルは反転し、アイシャへと歩み寄る。

「な、なんでお前がッ! 部下の不始末くらい自分で――」

「アイシャ、お前、殴る気なかっただろ?」

 ルーシーはそう言うと、アイシャの肩をトンと軽くたたく。するとアイシャは全身の力が抜けたように足元から崩れ、膝をついた。

「無理をするな。一人で全てを抱え込むな。お前は天才かもしれないが、万能ではない。だから、辛いときは人に頼ってもいいんじゃないか?」

 アイシャの手の震えが止まる。強く噛みしめられた顎の緊張が解ける。ルーシーの言葉は冷え切った心の底にまで響き、そっと溶かしていったのだ。

「うるせぇよ。私はまだ、負けてない」

 その時だ。アイシャとルーシーは研究室に近づいてくる複数の足音を察知した。一瞬、新手の敵かと身構えたが、それは杞憂に終わる。

 足音を聞いただけで分かるのだ。まっすぐ、迷いのない澄み切った歩調。こんなに素直な走り方ができるのは、あいつらしかいないと。そして足音は、研究室の前でピタリと止む。

「呼ばれて来てみれば、おかしなことになってんじゃねェかよ」

 まず、フレイティアが研究室の壁にできた大きな穴を見て怪訝な顔をする。

「アイシャさん‥‥‥と、ええと――」

 リナリアは見かけない女性を前に、持ち前の人見知りを発揮する。

「支部長、俺達は『北』の刺客をそれぞれ撃破。その後、トーリとライカには怪我人の介抱を頼んでおきました。まだ助けられる命がありますッ!」

 エレクがアイシャの知らない現状を簡潔に報告する。三人の姿を見たルーシーは、目を細めてアイシャに向かって微笑みかける。

「今年の候補生は優秀じゃないか。お前もシャキッとしないとな」

 うるせぇと小突くアイシャ。ああそれと、とルーシー。

「私の紹介は後にさせてもらう。今はそれどころじゃないからな。君たち、そこの穴から外の様子を確認してみてくれ。私の感触からして、倒せなかったと言わざるを得ない」

少し曇った表情でルーシーは三人を集め、アイシャを含めた五人で外の様子を確認する。

 広いグラウンドには、白いシルエットが一つあった。

 レイアクール支部の人間ならば誰でも知っている人物が、小脇に人間の頭サイズの何かを抱えて、悠然と立ち尽くしているのだ。数十メートル離れているがゆえに、その者の表情までは読み取れない。しかし、それが誰であるかと言うことと、小脇に抱えている物が何であるかが分かれば、それで充分、行動を起こす理由になる。

「あの野郎はマルセル。それに、手にしている物は――」

 マルセルは抱えていた物をゆっくり頭上へと持ち上げ、それに自らの頭をうずめる。

 彼が手にしていた物は、『ヘルメット』だった。

 表情が完全に隠される直前、どこか悲しげな表情をしたのは気のせいだろう。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ファンタジー 異世界 能力バトル
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ