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ジーニアス・ホルダー  作者: 野水瑞乃
4/8

行間 初夜

夜も更け、女子寮の誰もが自室に戻ってしまった時間。フレイティアはようやく風呂に入ることが許される。このジーニアス・ホルダー宿舎には厳しい訓練や任務の疲れを癒すために、大浴場だけでなく男女ともに屋外に温泉が設置されているのだ。

いわゆる露天風呂。

「あー、いいお湯だわこれ。気持ちいい熱が五臓六腑に染み渡るぜ」

 リナリアと離れられないフレイティアは今、その温泉に浸かっている。ということは、当然リナリアも半径十メートル以内にいるというわけで。

 ヒタヒタと、湯気に包まれて視界の悪い露天風呂に足音が響き渡る。

「あの‥‥‥その、フレイ、もっと向こうに行ってください」

 フレイティアが見上げた先にいたのは、バスタオルを体に巻いたリナリア・シュガーロット十三歳。これから先の成長、性徴にまだまだ期待の持てる少女だ。

「おう、悪い。契約したジーニアスとはいえ、ちょっとばかりデリカシーが無かったぜ。背中向けてるから好き(隙)にしてくれていいですよ」

「‥‥‥何かいつもと口調が違いません?」

 フレイティアはギリギリ十メートルのラインを見出し、そこまで下がってリナリアに背中を向けた。同時にチャポンという音を立てて彼女が温泉に浸かる。

「あ、気持ちいい」

 やっとリラックスできたのか、リナリアは緊張の解けた声を漏らす。そして、フレイティアの方を見て、ちゃんと背を向けていることを確認してから目を閉じた。

 リナリアが完全に油断しきったところで、フレイティアの計画が実行に移される。

(へっへっへっ、いくら契約したからといって、あいつに主導権を握られるのなんてたまったもんじゃねェぜ。俺を舐めると痛い目を見るってことを思い知らせてやるぜ)

 フレイティアの作戦はこうだ。

炎のジーニアスである自分と契約した人間とはいえ、リナリアは生身の人間。熱の耐性はジーニアスである自分の方が高いはずだ。今回はそれを利用する。

 まず、温泉の温度を上げる。すると、どんどん水蒸気が発生するので互いの姿が今よりもさらに見えなくなる。姿が見えなくなったところでフレイティアはリナリアに気づかれないように接近する。その後も水温を上げ続け、リナリアはついにのぼせてしまう。そこでフレイティアがリナリア(全裸)を介抱するのだ。目を覚まし、服を着せられているリナリアは、自分がフレイティアに全て見られてしまったことを悟り、羞恥の海に沈んでしまう。これで彼女の弱みを握れるというわけだ。

「うひひひひ――」

「何か言いました?」

「お、おう、何でもないぜ」

 そうですかと、リナリアは応える。その後も目を閉じ、警戒している様子は微塵も見せない。

(この女は、ひょっとしてバカなのか?)

 若干呆れながら、計画を実行に移す。音を抑えながら全身から炎のブーストを噴射させ、まずは温度を上げていく。怪しまれないように、少しずつだ。しかし、蒸気で露天風呂が満たされる前に湯から上がられては本末転倒。ある程度の大胆さも兼ね備え、計画は着々と進行する。

(いいぞ、いい感じに曇ってきた)

 次にフレイティアは身をできる限り湯の中に隠す。それはちょうど顔の鼻から上だけを湯の上に出した状態だ。そのまま少しづつリナリアに接近する。

「ちょっと熱くなってきましたね。大丈夫ですか?」

「ギクッ‥‥‥お、おう、気のせいじゃね?」

 十メートルという距離が縮まっていることを感じさせないような小声で、返答した。

「あのう、最近いろいろなことがあったじゃないですか? だから、バタバタしてて言いそびれてたんですけど――」

 フレイティアの接近に気づかずリナリアはしゃべり続ける。

(いいぞ、そのまましゃべり続けろ。そうすれば俺への注意は散漫になるッ!)

「本当に今更なんですけど、その‥‥‥あのとき、私を助けてくださってありがとうございました。私、フレイにはいくら感謝しても足りなくて、言葉ではとても言い尽くせないんですけど、でもやっぱり言葉しかないじゃないですか‥‥‥だから、その――」

 接近するフレイティアになおも気づかず、十三歳の少女は話を続ける。

「私はフレイの役に立てるようになりたい。もっと強くなりたい。これから先、大変なことがいろいろあると思うんです。でも、今日みたいに、フレイに守られてるだけの私じゃあ嫌なんです‥‥‥あの、聞いてますか?」

 しかし、返事が返ってこない。リナリアは勇気を振り絞って言った言葉が届いていなかったらどうしようと不安になる。

「あの、フレイ――」

「聞こえてる」

「あれ? ちょっと声、近くないですか?」

「気のせいじゃね? つーかさ、お前、何か勘違いしてねェか? 俺がリナリアと契約したのは、俺が勝手にやったことだ。だから、そこに感謝も負い目も感じる必要なんかないぜ。ただ、嬉しかった。あの時、懺悔室で『あなたを必要としてくれる人は必ずいます』って言ってくれたの、お前だろ?」

(しまった。つい言い返してしまった!?)

 計画を遂行する上で自殺行為とも言える己の行動に、フレイティアは戸惑う。

(くそ。こんなことを言いやがるなんて――)

 彼の計画は、極めて単純な理由によって頓挫しかかったのだ。

(――なんか嬉しいじゃねェかよ)

 客観的に見て、かなりちょろい男である。

「あはは、やっぱりあれはフレイだったんですか」

 真っ白な湯気に包まれ、互いの姿が全く見えない状況で二人は言葉を交わす。しかし、フレイティアは気づいた。気づいてしまった。この一見完璧に思える計画のもう一つの欠点を。

(あれ? 真っ白で何も見えねェぞ。リナリアは今どこだ!?)

「そう言ってもらえて嬉しいです。ちゃんとシスターの役割を果たせていたっていうことですもんね」

 リナリアは少し間を置いて、自らの胸に手を当てる。

「私のここには、フレイの心臓が入ってるんですよね。未だに信じられないです。でも、なんだろう、すごくポカポカします」

しかしフレイティアはそれどころではない。リナリアがなまじフレイティアの涙腺を刺激する話をするせいで妙な罪悪感が湧いてしまう。それでも場所が把握できないから戻ることができないし、そもそもここで上下関係をはっきりさせておかなくては自分の沽券に係わる。そんなジレンマに押しつぶされそうになっていた。

(くそッ、リナリアの感情が直に伝わってきやがる‥‥‥やべェ、涙出てきた。どうしよう嬉しい。よくわかんねェけどポカポカする)

「お、お前がそんなこと言うから‥‥‥くそッ! なんか俺が悪いことしてるみたいじゃねェかよ‥‥‥グスン」

「フレイ、泣いてるんですか? というか、え? やっぱり近くないですか?」

「気のせいだ」

 その時だ。ガラガラと勢いよくドアが開く音がした。

「うわッ、凄い湯気! どうなってるのこれ。一瞬でメガネが曇っちゃったよ」

 リナリアはどこか聞き覚えのある声に反応し、十メートル先にいるであろうフレイティアに隠れるように小声で促す。

「こんな時間に、そんな!? ちょっとフレイ、隠れてください」

「お、おう」

 リナリアの声は想像以上に近くから聞こえた。それはおよそ二メートル前方。

(バカ言え! この距離で動いたらバレちまうだろォが!! つーか今、深夜だろ! 誰だか知らんが、頭イッてんじゃねェのか!?)

 しかし、実際リナリアにバレるよりも他の人間にバレる方がまずい。それくらいの判断はいくらバカな彼でもできる。

「ちょっ、ライカ待ちなさい。全く、なんでこんな深夜にこの私が付き合うハメに」

(二人目だと!? つーかこの声もどっかで聞いたことあるな‥‥‥なんて考えてる場合じゃねェ)

「ライカ? ライカがいるんですか?」

「明かりがついてると思ったら、やっぱり誰か入ってたんだ。こんな深夜に露天風呂なんて、乙な人がいるものだねえ‥‥‥ってその声、もしかしてリナリア?」

「何ですって!?」

「落ち着きなよトーリ。お風呂でケンカはダメだよ。ほら、湯気が薄くなってきた。何があったかは知らないけど、仲直りしな」

(湯気が薄く!? え、ウソッ!?)

 フレイティアは驚いて辺りを見渡す。おそらく露天風呂の出入り口が開けられたことで気温が下がったせいだろう。彼は、ちょうど目の前に黒い影を見つけた。それはおそらくリナリアの頭だ。そして、出入り口付近にも影が二つ見える。

(もうなりふり構っちゃいられねェぜ! 今すぐ脱出しなければッ!)

 バシャバシャと音を立てながら、その場を離れるフレイティア。そして、その音源の近さにリナリアは取り乱し、勢いよく顔まで湯に埋めた。

「えッ!? フレイ? どうしてこんな近くに‥‥‥う、うううううううう」

 ここは屋外の露天風呂。常にフレイティアがお湯を熱していなければ、立ち込めた湯気はすぐに消えてしまう。フレイティアは判断を間違えた。いくら逃走の邪魔になるとは言え、ここは一瞬でも火力を弱めてはいけなかったのだ。そして浮かび上がる、『燃える変態』の姿。出入り口付近でその姿を目撃したライカとトーリは目を疑う。

「リ、リナリア‥‥‥これは一体?」

「不潔ですわぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「うるせェ! 何とでも言いやがれッ! つーかなんでてめぇらこんな時間に入って来んだよ!」

 急いで石段に上がったフレイティアは、彼女たちに罵声を浴びせる。

無論、全裸で。

「あのさぁ、女子風呂に忍び込んでおいて、その反応はおかしいよねぇ?」

「んだよ、やんのかよ」

 フレイティアと睨み合うのは、バスタオルに身を包んだライカ。一方トーリはフレイティアに背を向けながらしゃがみ、耳を塞いで何やらぶつぶつ独り言を呟いている。

「何ですのこの状況信じられませんわ何で男がこんなところにもうおうちに帰りたいよぉ」

「あ、あのライカ、これには深い訳が‥‥‥」

 限りなく望みは薄いが、しかしパートナーの人生が懸かっている。リナリアがおずおずとライカに釈明を試みた。が、ライカは聞く耳を持たない。

「いくらパートナーだからって、許されることじゃないよッ! 覚悟しろこの変態ッ!」

次の瞬間ライカが右手を前に差し出し、手のひらを上に向ける。そして――

「夢のような現実(トランス・レコード)ッ!」

 その瞬間、彼女の手のひらの上に一枚のディスクが浮かび上がった。

「お前それッ! ジーニアスの具現化!? そんなバカなッ!?」

 ジーニアスの具現化。

それは契約したときに授けられた『才能』を匠の域まで練磨することで、精霊の力を限界まで引き出すことを可能にする最終奥義。もちろん、通常であるならば、こんな少女が可能なことではない。どのような才能であれ、他の追随を許さないほど極めるには、気が遠くなるほどの時間をかけた鍛錬が必要となるからだ。

 フレイティアがかつて闘った王権特務隊のナイフ使いは、おそらくは長期に渡る類まれなる努力によりその時間を短縮した。しかし、この少女にそんな手段はない。

 もう一つ、方法がある。それは偶然にも、人間として生を受けた時に先天的なものとして授かる才能と、ジーニアスと契約して授かる後天的な『才能』とが一致することだ。ライカ・ハッセルはおそらく後者であろう。

「一応、録っておいてよかったよ。まさかこんな使い方をするとは思いもしなかったけどねん」

「ま、待ってライカ!」

「そんな奴の肩を持つ必要なんてないのッ! いけぇ!!」

 ライカがそう叫ぶと同時に、宙に浮かんだディスクが光の粒となってその形を失っていく。

完全にディスクが消失した後に現れたのは、誰もが予想だにしなかったもの。それは夢のよう

で、しかし確かに実在している。

「え?‥‥‥お、俺ェ?」

 ライカの目の前には、ジーニアス・ホルダーの制服に身を包んだ鬼のような形相のフレイテ

ィアが立っていた。そしてディスクから現れたそれは、呆然と立ち尽くすフレイティアに向か

って突進する。

『おらァァァァァァァァァァァァァ!!』

「なんだァ、何が起こってんだァ!?」

 状況が飲み込めないままフレイティアは同じ姿をしたものによる痛烈な一撃を左頬に受ける。

重い一撃に、フレイティアは一瞬で意識を持って行かれそうになる。そんな薄れゆく意識の

中、彼は確信した。

(これは、紛れもなく俺の力。でも、どうして? こいつの『才能』はいったい何なんだ)

 フレイティア(全裸)がフレイティア(?)によって殴り飛ばされた瞬間、リナリアはその

光景に既視感を覚える。

「あの時と、全く同じな気がする」

 リナリアは殴りかかるフレイティア(?)の動き方に見覚えがあったのだ。

(そうだ。エレクさんと闘った時と全く同じだ)

 フレイティア(全裸)が垣根を越えて吹っ飛ばされたのを見送ると、ライカは再び手のひらを差し出す。するとフレイティア(?)が再び光の粒となり、彼女の手のひらの上でディス

クに戻った。

「ふんッ」

 鼻息を荒げ、心底軽蔑した目で垣根の向こうを一瞥する。



目が覚めたとき、フレイティアは自室のベッドで寝ていた。そしてそれを心配そうに覗き込

むリナリア、気まずそうに目を逸らすライカ、床で座ってお茶をすするトーリの姿を見つける。

「あの‥‥‥ごめんね? リナリアから事情を聞いたよ。でも、だってしょうがないじゃん」

 しかし、その言葉はフレイティアの耳には入らない。彼は自分が服を着せられ、しかもベッ

ドで寝かされているという状況を見て悲嘆に暮れる。

 彼は寝た状態で顔を覆い、涙を流す。

「もう、お嫁にいけない」


 これが初夜の事件である。

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ファンタジー 異世界 能力バトル
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