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ジーニアス・ホルダー  作者: 野水瑞乃
2/8

一章 悪魔の子

         1


私の最初の被害者は、ずっと一緒に過ごしてきた幼馴染の女の子だった。

 私たち二人は十歳の誕生日の日、互いの両親と共に誰もが行うジーニアスとの『契約』を行うため、『大樹アトラス』へ向かった。年に五回行われる儀式。そこには同い年の子達が大勢集まり、どんな精霊と契約したいか、どんな才能が欲しいかといった、希望に満ちあふれた話し声が絶え間なく聞こえていた。

 年に五回行われるとは言え、大陸中の子供達が集まるわけだから、その数は相当なものとなる。約二メートル間隔で立ち、一度に四百五十人ずつ『樹』を囲むようにして儀式は進行していた。そして私たちはその十個目、最後のグループだった。

 長い待ち時間を終え、ついに私たちの番がやってきた。『ジーニアス・ホルダー』の男の人に誘導されながら私と幼馴染の女の子は所定の位置まで歩き、隣同士で立つ。ゆらゆら揺れる松明の炎に照らされながら、私と彼女は目を合わせて、互いに笑った。

 私たち四百五十人が作る円の内側には、白い装束に植物を模した金の冠、そしてのっぺりとした印象の仮面をつけている七人の姿があった。彼らは王権から独立した『大樹アトラス』の守護者、通称『G―7(ジー・セブン)』。世界の頂点に君臨する圧倒的な力を誇る大天才。そんな彼らの前で儀式は行われる。

 私たちは目を閉じるよう、彼らに促される。目を閉じ、心を落ち着け、契約の瞬間を待つ。

 私はその時、深い闇の中へ沈んでいくような感覚――心が落ち着くのではなく、真っ黒な渦の中心に引きずり込まれていくような感覚を覚えた。お母さんは『精霊の優しい声が聞こえるよ』と言っていたのだが、そんなものは全く聞こえない。私の心には、ただ『無』があるのみ。得体の知れない、恐怖が伴った違和感が不快だった。

 次の瞬間、静寂は打ち破られた。

『G―7』が一斉に、一度だけ手を打つ音が聞こえたのだ。それが契約完了の合図。私は何もジーニアスの実感を得られなかったが、幼馴染の女の子は違った。胸に手を当て、心から安らいだ表情をしている。そして彼女は私を見て微笑み、今となっては思い出すことすらできない何かを呟いた。そして私の手を取る。

 プツンと、何かが切れる音がした。

 私の手を取った彼女は、そのまま倒れた。私が顔面蒼白で立ち尽くしていると、背後から心配そうな顔で男の子が肩を叩いてきた。そして、その男の子も倒れた。

 その後、私に触れた人達は片っ端から倒れていった。同年代の子達は泣き叫び、警備を担当していた『ジーニアス・ホルダー』の人達は想定外の事態に慌てふためく。『G―7』は一箇所に集まり、私の方を見て何かを話している。ただ、倒れたのではなく吹っ飛んだ人もいたことから、何かしらの違いはあったのだろう。が、どちらにしろ、地獄絵図。ふと周りを見ると、私を中心に大勢の人々が円を描くように固まっており、恐怖に震えていた。

 そんな大勢の被害者の中で、誰かが放った一言が、今でも私の脳裏に焼きついている。

『‥‥‥悪魔だ』


          2


「‥‥‥リア‥‥‥リナリア。起きてください」

そこは王都レイアクールの東に位置する小さな村、ポシェットにある教会。その聖堂。そこでは神父のボランティアで、学校に通うことができない貧しい子供達のための授業が開かれていた。

まだ十歳に満たない子供達の中で、シスターの服を着た黒髪の少女リナリア・シュガーロットはうたた寝をしていた。

リナリアは神父の声でハッと目を覚ます。

「すみません。私――」

「いえいえ、リナリアにはいつもお仕事で助けられていますからね。きっと疲れが出たのでしょう」

そんなことより、と神父は心配そうな顔でリナリアを見つめる。

「どうして泣いているのです? 悪い夢でも見ましたか?」

神父の言葉で、リナリアは自分が泣いていることに初めて気づいた。そして手で頬を伝う雫を確認し、もやもやする頭で、またあの『事件』が夢に出ていたのだと悟る。

「ちょっと昔のことを思い出してまして」

その時、彼女の手に温かいものが触れた。

「お姉ちゃんどうしたの? お腹痛いの?」

リナリアの悲しみがまるで自分の悲しみであるかのように、瞳をウルウルさせながら隣に座る女の子が彼女の手を握っていたのだ。

まだ七歳のその少女はリルと言う。ジーニアスとの契約する十歳に達していないため、リナリアを『悪魔』たらしめる現象の影響を受けずに済んでいるのだ。

「ありがとうリル。私は大丈夫だよ」

リナリアはジーニアスと契約を果たした人間と接触すると、相手のジーニアスと共にその才能を消してしまう。それをあえて『現象』と言ったのは、リナリア自身がジーニアスと契約をしたという証明、つまり『大樹アトラス』に咲く自分の『花』を見たことがないからである。ゆえに、ジーニアスを消してしまう事象が『才能』であるとは言い切れないからなのだ。

レイアクール王の権力である王権の一つ。ジーニアスとの契約の際に咲く『花』を通して契約者の動向を監視する機関、『花見』によって自分の『花』に付けられたシリアルナンバーが与えられるのだが、リナリアはそれを持っていない。与えられていない。

「リナ姉、何かつらいことがあったら‥‥‥その、俺、相談に乗るからさ。話してくれよ」

「うん。ありがとうペッシェ。頼りにしてる」

リナリアを挟んで、リルの反対側に座っているペッシェという少年は、顔を赤くし、フンッと鼻を鳴らしてそっぽを向く。

(私にはこの子達がいるんだ。いつまでも泣いているのは、いけないよね)

 リルとペッシェに続き、他のみんなもリナリアを励まそうと声をかけ始める。そんな姿を見て目を細める神父。貧しい村ではあるが、そこには確かな温もりがあった。

「それでは、前回の復習をしましょうか。ではお姉さんのリナリア。『大樹アトラス』に咲いた『花』を通して私たちを監視する組織は、王権に属する『花見』ですが、その下請けとして、主に現場で働く組織を何といいますか?」

「確か‥‥‥『ジーニアス・ホルダー』だったと思います」

「その通りです。『花見』機関の指示で行動する彼らは、広義的には王権に属すことになります。しかし、『花見』とは違い、彼らは比較的自由行動が許されています。それはなぜですか?」

「はい。ええと‥‥‥ジーニアス・ホルダーは『G―7』という王権から独立した力を象徴とし、その行動理念は人々の生活、平和を守ることだからです」

「さすが、お姉さんですねリナリア」

教卓に手をついて、神父は優しくほほ笑んだ。

「国民の管理よりも、その守護を任されているため、より臨機応変な活動が許されているわけです。補足説明ですが、先ほども言ったようにジーニアス・ホルダーは主に現場での仕事が多くなります。犯罪者の相手をすることもあるでしょう。したがって採用の際にはいくつかのテストをクリアする必要があります」

「はいはい! 俺、将来はジーニアス・ホルダーになるッ!」

ペッシェは立ち上がり、みんなの前で声高らかに宣言した。そして、顔を赤くし、リナリアの方を横目でチラチラ見ながら、

「そ、そんでもって、みんなを守るのが夢なんだ! だからリナ姉、そんときは俺と――」

今にも頭から湯気を出しそうなほど真っ赤にしながら、ペッシェは話を続ける。が、それは予想外の伏兵に遮られた。

「酷い! ペッシェ、私とは遊びだったの!?」

悲劇のヒロインを演じたのは最後列に座っている、小柄ながら活発な印象を受ける少女。

「な、何言ってんだユノ! お前は俺にとっての何なんだよッ!」

「悲劇のヒロインよ」

「自分で言う奴があるかッ!」

「ひどい。私のことは遊びだったのね」

「なんでそんなに誤解を招く言い方するかなぁ!」

「昨日だって、落とした消しゴム拾ってくれたじゃない!」

「お前の沸点低すぎだろ! 何で摂氏ゼロ度で沸いてんだッ!!」

「これこれ、授業中ですよ」

二人の口喧嘩を諌める神父。その言葉に素直に従い、座る二人。

「リ、リナ姉、あいつは、その、違うから! カンケー無いからッ!」

「うんうん。夢を叶えるためにも、今はしっかりお勉強しようね」

ペッシェは「ちぇっ」と幼さ溢れる舌打ちをし、再び神父に向き直る。

「はい。それでは授業を続けますね。今回は北大陸についてです。現在は沈静化してはいますが、私たちの住む南大陸と、北大陸が戦争状態であることは、ここにいる誰もが知っている事実です――」

 そう言って南大陸と北大陸の略図を黒板に描き始める神父。それには十数カ所バツ印がついており、交戦地点を示していた。

「――が、戦争のきっかけとなった事件は何だとおもいますか?」

神父は少し苦い顔をする。

「とても心苦しいことですが、北大陸は南大陸の人たちをたくさん拉致したのです。ジーニアス・ホルダーがその犯人と思われる一人を捕らえ、言質も取ったにもかかわらず、『北』は否定を続けました。それが戦争の引き金になったのです」

 北大陸。

 『大樹アトラス』を通してジーニアスと契約をし、才能を授かる南大陸とは全く異なる法則で成り立っている世界。

 そこでは脳開発と人体改造、これら二つの要素でジーニアスに対抗する能力を生み出しているのだ。私たち『南』が神秘を味方にしているとしたら、『北』は技術を味方にしていると言えるだろう。神父は話を続ける。

「ですが、北大陸には一般的には知られていないある噂があるのです。あくまで噂ですが、知識は多いに越したことはありません」

リナリアを含めたその場の子供たちは、神父の言葉にクエスチョンマークを浮かべる。

「これはジーニアス・ホルダーの友人に聞いた話なのですが、北大陸の悪者は、誘拐した南大陸の人の心臓を取ってしまうらしいのです」

神父の言葉を聞いた瞬間、ざわめきが広がる。神父は子供たちの反応を見て、一瞬しまったという顔をした。それを察したリナリアはすぐにフォローに入る。

「あ、あくまで噂だからね。大丈夫だよ。いざとなったら神父様が守ってくれるし‥‥‥ね?」

「すみません。怖いことを言ってしまいましたね。ですが、あくまで噂です。忘れてもらっても構いませんよ。それに、いざとなったら強いジーニアス・ホルダーの人たちが守ってくれますよ。わっはっはっ」

神父の笑顔を見て落ち着きを取り戻す子供たち。その様子を見ながら神父は、ふと思い出したようにあることを呟いた。

「そういえば最近、全裸で燃えながら歩き回る変態が出るとのことです。怪しい人を見かけたら、近づかないようにしてくださいね。万が一見かけたら、私に教えてください」


          3


授業が終わり、子供たちが帰った後。

「先ほどは助かりましたよリナリア。ありがとう」

「いえ、そんな‥‥‥。ですがその噂、心臓を取ってしまうなんて、実際のところどうなんですか?」

「昔、友人に聞いただけですから本当に眉唾ものですよ。技術の優れた『北』が、わざわざ危険を冒してまで行うこととは思えません。心臓くらいいくらでも造れるでしょうに」

「そ、そうなんですか?」

「そうですよ。では、今日もよろしくお願いしますね」

「はい、分かりました」

 リナリア・シュガーロットの仕事は、教会に訪れる人々の懺悔を聞き、それを赦すこと。人々から『悪魔』なんて言われる自分がする仕事ではないとは思う。しかし、人間が心の底から後悔し、反省し、真に謝る気持ちに触れるうちに、一度は壊れてしまった自分の心に再び明かりが灯るような気がしたのだ。


私はあの『事件』の後、両親に捨てられた。誰からも必要とされず、ただ恐れられ、憎まれるだけの存在。それが私だった。何度、死んでしまいたいと思ったことか。数えれば切りがない。

 そんな自分でも必要とされていると感じるのが、この教会。

 私の生きる意味。


 リナリアが懺悔室に入ってから約一時間後。冬に備えて、子供たち用のマフラーを編みながら過ごしていると、コンコンというノックとともに一人の男性が訪ねてきた。

「すみません。お時間よろしいですか?」

「はい。何でも話してください」

男性はうーんと、何度か唸りながら、ようやく重い腰を上げ話し始める。

「俺ェ、世間では『食い逃げ』だとか『チンピラ』だとか呼ばれてる者だけど、正直ね、それはしょうがないと思うのよ。その通りだし――」

「そうですか。辛い思いをしているのですね。ですが、真に自分の行いを悔やむならば――」

「いや、本題はここからなんスけどね。そりゃあ傍から見れば、全裸の人間が空を飛んでれば変態だと思いますよ」

「はい? ええと、まぁ変態ですよね」

「あなたまで! 聖なるシスターさんであるあなたまで俺を変態だなんていうんスか!? よし、死のう」

「ちょ、ちょっと待ってください。要点を捉えて、ゆっくり、落ち着いて話してください。ほら、深呼吸して――」

「ひっひっふー、ひっひっふー、ひっひっふー‥‥‥」

(それラマーズ法だけど、まぁいっか)

「すみません。俺、我を忘れてたっス」

「いいのですよ。窮地に立たされたとき、平常心ではいられませんもの。ゆっくりでいいので、続けてください」

「て、天使のようなお方だ。それでですね、俺は危うくナイフ使いのオッサンに殺されそうになって、命からがら逃げ出したんスよ。その過程で、ちょーっと服が全焼してしまいましてね‥‥‥えへへ。なんか照れるな。これって、別に悪いことじゃないッスよね?」

「変態ですね」

「死のう」

「あわわわ、落ち着いてください! 今のは言葉の綾です。いい意味での変態です」

「‥‥‥グスン。いい意味での、変態?具体的に、どういう?」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥、」

「死のう」

「ま、迷える子羊よ。誰でも間違いを犯します。完璧な人間など、この世に存在しません。いえ、完璧でないからこそ人間であると言えましょう。それに、あなたを必要としてくださる人は必ずいます。こんな私にもいるのですから。だから、死ぬなんて言わないでください! 心から後悔なさっているあなたの罪は‥‥‥はいッ! たった今、許されました」

「そ、そうッスか? ‥‥‥へ、へへ。まぁ俺、百パー人間ってわけじゃないんスけどね。とりあえず、変態って言われても気にしないことにします。堂々としてます。ありがとうシスターさん」

(堂々とするのはどうなのでしょうか)

「シスターさん?」

「いえ、またいつでもいらしてください」

 また一人、心に触れた。ひとまず前向きに考えることにして、男性が出て行ったあとリナリアはふぅーっと溜め息を吐く。

「それにしてもよく分からない人だったなぁ」

何のためにここへ来たのか、イマイチ分からない人ではあったが、帰り際の、安心したような彼の声音を思いだし、それでも役に立てたのだと思うことにする。

すると、再びノックをする音が聞こえた。まさに、さっきの人と入れ替わり立ち代りのタイミングだったため、少し驚く。しかし、悩みを抱える人を前にして戸惑っていてはシスター失格だ。

リナリアはそんな使命感でノックに応える。

「どうぞ」

ガチャリとドアが開く。木の格子があるためはっきりと顔は見えないが、それでも男性であることを認識。彼が椅子に座ったことを見計らい、声をかける。

「どうなさいましたか?」

「あのですね、ワタシ、とある変態を追ってここまできたのですが、何か心当たりはありませんか?」

 二十代後半くらいだろうか。若々しさに、少しばかり大人の渋みが加えられたような印象の声だ。そんな男性の質問に対し、私は葛藤する。

(どうしよう。心当たりがありすぎる)

 ここへ来た人のプライバシーは確実に守らなければならない。しかし、自分のできる限りのことは答えてあげたい。リナリアは揺れていた。

「す、すみません。私、ちょっと分からないです」

「そうですか」

リナリアの返答に対し、感情の見えない平坦な口調で答える男性。しかし、変化は突然訪れた。

「へぇー。こんなに可愛い子がシスターやってるんだ」

「え?」

 先ほども述べたが、ここは訪れる人のプライバシーを保護するため、教会の人間であろうと懺悔室では相手の顔を見ることができないように格子が付いている。そんな前提を踏まえながらの男性の発言。リナリアは何が起きたか分からない。

「ワタシ、リピーターになっちゃおうかねぇ」

リナリアからも男性の顔がはっきり見える。少し大きめなシルクハットをかぶり、赤と黒、そして市松模様の彩色が施された燕尾服を着た男性。

答えは簡単。リナリアと男性を隔てる格子が消えていたのだ。

「ワタシね、レイアクールでマジシャンの仕事をしているのよ。よかったら、連絡してね」

そう言って、スッと名刺を机に滑らせる。名刺には『マジシャン:クリアライズ』と書かれていた。目的を果たして、クリアライズが満足そうな笑みを浮かべたと思いきや、再び木の格子がリナリアと彼の間を塞ぐ。そしてマジシャンの男は懺悔室を後にした。

「いったい何が‥‥‥」

 乱れる呼吸を整えながら、リナリアは状況の把握を試みる。

(格子が消えたのは、きっとジーニアスから受けた『才能』のせいだと思うけど‥‥‥)

『けど』の後が続かない。それ以上のことは分からない。リナリアはクリアライズと名乗るマジシャンに対して得体の知れない恐怖を感じた。

数十秒、放心状態が続いた後、の編みかけのマフラーを手にとった彼女は大きな地響きを耳にする。

「――ッ!?」

その音を聞いた瞬間、彼女の足は自然と駆け出していた。何が起きたかは分からない。それでも、今の彼女には守るべきものがある。守るべき家族がある。

(何が起きたか分からないけど、行かなくちゃ)

 唯一自分を受け入れてくれた世界を守るためなら、たった一つの自分の居場所を守るためなら、その命を懸けてでも守りたいをいう確固たる意志があった。


          4


 フレイティアの拳は、クリアライズとの間に存在する『見えない壁』によって阻まれていた。

彼は苦痛に顔を歪める。人間を殴る気構えだったので、壁から受ける反作用の衝撃をうまく殺すことができなかったのだ。

「くそッ、痛ェなあ。いきなり俺にケンカふっかけてきやがって。何が目的だ?」

「ワタシ、マジシャンのクリアライズね。犯罪者『燃える変態』、お前は自分にいくらの懸賞金が懸けられているのか知らないのね?」

クリアライズはシルクハットを右手で取り、胸の位置で抱え、お辞儀をした。

「ああん? 俺は変態と呼ばれても気にしないって、さっきシスターさんと約束した。だから、その件に関しては怒らねェ。それに、他人が勝手につけた俺の価値にも興味はねェ。でもなァ」

フレイティアは拳を引き、一歩下る。

「俺は売られたケンカは買う主義なんだよ。いいぜ、かかってこい」

そう言いながら、突き出した左手でクイクイッと引く動作をし、挑発する。

「まったく、噂通りの悪態ぶりなのね」

クリアライズはシルクハットをかぶり直しながら、フレイティアを止めた『見えない壁』を無視して近づいてきた。

(こいつ、壁をすり抜けてッ!?)

「ワタシのこの『才能』はね、マジックにうってつけなのよ」

クリアライズはそう言うと懐から数十枚のトーリンプを出し、その全てを消して見せた。

「ワタシは好きなものを何でも透明にできる。しかも、ワタシだけはそれをすり抜けることができるのよ。これほど便利な才能がほかにありますかね?」

「はッ! 自分から『才能』を明かすとは、舐めてくれンじゃねェかよ」

「知ったところで、何ができますかね?」

そこまで言うと、クリアライズは持っている『見えないトランプ』を一斉にフレイティアに向かって投げた。フレイティアは相手が投げるモーションをとった瞬間、後ろに跳び、自分と接触するまでのわずかな時間を稼ぐ。

「だったら届く前に燃やし尽くす!」

フレイティアは自分とクリアライズの直線上に沿って、両手から炎弾を放つ。炎弾は空中を通過する過程で、見えない何かを燃やしながら進む。それはトランプのような紙で相殺できるような小さなものではない。

形勢逆転。炎弾はクリアライズに迫る。

「ワタシの才能は、とっても応用がきくのよね」

滑らかな動作で炎弾を避けると同時にクリアライズが言う。その言葉を聞きながら、フレイティアはふと上を見上げる。大きなシャンデリアが落下してきていたのだ。

「うおわッ!?」

フレイティアは横に転がるようにして跳び、聖堂内に並んでいる椅子や机をまき散らしながら間一髪それを避ける。直後、彼は身体中を強く打ち付け、痛みで悶えた。

「てめェ、俺に投げたトランプは全てフェイクだったってか?」

倒れた状態で、彼は必死に声を搾り出す。

「ワタシはマジシャン。人を騙すのが仕事なのよね」

クリアライズは倒れているフレイティアに向かって、何かを投げる動作をした。彼の『才能』で透明になったその正体を目視する手段はない。何か分からないまま、それはフレイティアの首に巻き付いた。それを確認したクリアライズは勢いよく引っ張る。

「うぐぅぅ、こ、こいつはロープか!?」

フレイティアは手探りで自身の首に巻き付く『見えないロープ』を探り当て、ジリジリを引っ張られながらもそれを掴む。

「こんなもん、燃やし尽くしてやる」

ロープを掴むフレイティアの手が燃える。同時に、何もない空中を炎が伝い始め、ロープの形が顕になった。首に巻きついていたロープが真ん中辺りで切れ、フレイティアは酸素を求めて大きく息をする。

クリアライズはロープから逃れたフレイティアを見て、ニヤリとその口を歪めたかと思うと、右手の親指と中指でパチンと音を鳴らし、ロープの透明化を解いた。

 フレイティアは目視できるようになったロープを見て愕然とする。なぜならロープには無数の爆弾が仕掛けられていたのだ。それらは先ほど彼が放った炎によって着火され、導火線に火花が走っていた。

「まさか、てめェ、ここまで読んで――」

クリアライズはシルクハットを深くかぶり直しながら、フレイティアの発言に応える。

「ワタシは騙すのが仕事なのよ」

そして、逃げる暇もなく、フレイティアの目の前で爆発した。

 爆炎が舞う中、マジシャンの男はコツンコツンと乾いた音を鳴らしながら爆心地に近づく。

「あっけないものですねぇ。ジーニアスの具現化の域に達していないワタシでも簡単に倒せるとは。なまじ強いという噂を聞いていただけあって残念よね」

「う、うう‥‥‥ガハッ、ゴホッ!」

「まだ意識があるのですか。殺さないように火薬の量は調整したつもりでしたが、意識くらい奪えると思っていたのにねぇ」

爆心地から五メートルほど離れた地点。血だらけのフレイティアは倒れていた。

「火薬の量からして、少し吹っ飛びすぎですねぇ‥‥‥なるほど。お得意の炎のブーストで、ギリギリ跳んだのね」

しぶとさだけは評価に値すると、クリアライズは付け加える。

「でもまぁ、起きていられても面倒なのよね。だから寝てろ」

クリアライズは無抵抗のまま仰向けに倒れているフレイティアに対して、蹴りを入れようと右足を思い切り引く。が、その時。彼は物音に気づいた。

「誰ですかね?」

クリアライズが視線を移した先では、聖堂の裏口、教会の内部に通じる扉が半分開いていた。

「いるのは分かっているのよ?」

半開きになった扉の向こうに潜む誰かは、観念したように姿を現す。まず見えたのは白い手に黒い服。次にブーツのつま先が見え、そして顔が現れた。

「す、すみません。凄い音がしたもので‥‥‥気になって」

「おやおや、先ほどの可愛いシスターさんではないですか」

 荒れ果てた聖堂。倒れ伏す赤髪の男。それを見下ろす奇妙な男。

 この場がいかに異常な事態であるかを知らせる材料としては充分なほどだった。

「わ、私たちの教会で何を――ッ!?」

二人の闘いの覗いていた教会のシスター。リナリア・シュガーロットはか細い声で懸命に叫ぶ。

「な、な、何をしているのですか!」

「見て分からないのですか? この『燃える変態』を捕まえようとしているのですよッ!」

そう言って、クリアライズは無抵抗のフレイティアの脇腹を思い切り蹴る。

「がはぁッ!」

何度も、何度も、蹴り続ける。

 何の受身も取れないフレイティアは、ただ蹂躙され、這いつくばるのみ。

「や、やめてください! 死んでしまいます!!」

リナリアは目に涙を浮かべながら懇願する。

「おやおや、なんかワタシが悪者みたいになってますねぇ」

クリアライズは肩をすくめながら、再び蹴る。

「てめぇのせいで、可愛いシスターさんに嫌われちゃったじゃねぇか!!」

リナリアは呆然と、ただ見つめることしかできない。

(結局私は、何も変えられないのかな)

「ヒャーハハハハハハハハハァァァァァァァァァァ!!」

マジシャンの卑劣な笑いが、聖堂内にこだます。


死にそうなほど辛い時、神父様は私の手をとってくれた。自分の才能が消されると知っていて、私を助けてくれた。そして私は、誰かの為に自分を投げ打つことができる、そんな強くて温かい力に憧れた。それはジーニアスに与えられるものでも、才能を磨いて手に入れる力でもない。

純粋な、人間の性質。

誰もが本来持っているそれは、しかし、何よりも尊い力。


 リナリアは震える足を、拳を握り締めることでこらえる。今にも逃げてしまいそうな心を、唇を噛み締めることで消す。

(動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動けぇぇぇぇぇ!)

リナリアは無我夢中で赤髪の男を蹴り続けるマジシャンの元へ走り出した。そして、フレイティアはうっすら開いた目で、駆け寄ってくる少女の姿を捉える。

「バ、バカ。そいつは何を隠し持ってるか分かんねェ‥‥‥迂闊に近づくんじゃ――」

フレイティアを蹴ることに集中していたのか。それともリナリアのようなちっぽけな存在など、取るに足らないと思っていたのか。マジシャン:クリアライズは、少女を完全に無視していた。  

結論から言うと、それは失敗だった。

自分の『才能』に酔いしれるマジシャンは、かつて『悪魔の子』と呼ばれ、恐れられ、忌み嫌われた少女に思い切り体当たりを食らわされた。


 ――プツン と、何かが切れる音がした。

「お、お前、いったい‥‥‥何を――」

ガクガクと痙攣しながら、クリアライズはリナリアを必死の形相で睨む。その目は充血し、口からは泡を吐き、身体の内側から沸き起こる崩壊を文字通り肌身で感じていた。

自身に起こる異変に気づくマジシャン。だが、リナリアもまた自分の体に起こった違和感に気づく。

ポタッ、ポタッと、口から何かが垂れる。それは生暖かく、粘り気を帯びた液体。意識を失ったクリアライズがその場に崩れ落ちると同時に、リナリアはその液体の正体を理解した。

「‥‥‥血? わ、私――」

ふと下を見ると、自分の胸に、深々と剣が刺さっていることに気づく。そして、口から大量の血液が溢れ出した。

「う、ゴホッ‥‥‥な、何‥‥‥これ」

 クリアライズの『才能』を知らない彼女が、原因を考えようとも、それは無理な話である。

剣を透明にして隠し持っていたことなど、分かるはずもない。よって何が起きたか理解でき

ないまま、心臓を貫かれた彼女は倒れるのみ。受身も取れず、ただ重力に従うだけ。

「女ァァァ!!」

 血の海に沈んだ無関係な少女の姿を見て、フレイティアはボロボロの身体を引きずりながら、床を這って少女の元へ進む。

「クソがッ、何やってんだ馬鹿野郎!」

「だ、め。私に‥‥‥触っちゃ‥‥‥ごふッ」

「いいから黙ってろッ!」

(女がペテン野郎に触った瞬間、あいつが倒れた。なぜだかは分かんねェけど、問題なのはそこじゃねぇ)

 リナリアの胸に深々と突き刺さった剣。それは貫通しており、背中から剣の先端が見えていた。このままでは確実にこの少女は死ぬ。

自分を庇ったことで、死ぬ。

 こうしている今も、彼女から溢れる血液は広がりを見せ、フレイティアの服に落ちないシミを作っていた。

「くそォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!」

予想外の状況に追い込まれたとき、言葉など思い浮かばない。口から出るのはただの罵声。馬鹿で、自分勝手で、救いようのない己に対しての怒り。

「俺みてェなクズの為に、シスターさん! アンタみてェな良い人が‥‥‥そんなことってあるかよ!」

 だが、同時にフレイティアはある決心をする。

(この人は、絶対死なせちゃいけねェ)

自分ならできるという、確信を持った結論。

(半分(、、)ジーニアス(、、、、、)の(、)俺(、)なら、『契約』すれば助けられるはずだ)

 先ほどは確信と言ったが、それはむしろ『願い』に近い。助けられる可能性が一パーセントでもあるのなら、それにすがりたいという儚い『願い』。

 本来、『大樹アトラス』のふもとで行われる契約の儀式。それが大天才である『Gー7』によって行われるのには歴とした理由がある。

 なぜなら、人間と精霊の契約は心臓を交換することで完了するからだ。そして、人体への負担を限りなく少なくするために中継役を果たすのが『G―7』なのである。

 だが、今回のフレイティアとリナリアの場合は大きく異なる。直接心臓を交換するため人体にかかる負担が甚大であることはもちろん、リナリアの心臓には大きな傷があるのだ。もう使い物にならないと言ってもいい。交換すべき心臓がない場合、一方的に心臓を渡した精霊はどうなるのか。

答えは、『分からない』だ。

(それでも俺は――)

大樹(アトラス)に導かれし魂よ、南の大地にて、その願いを聞き届けん――」

 フレイティアの『ジーニアスである部分』が、自然と詠唱を口ずさむ。二人の周囲は青白い光に包まれ、幾重にも重なった幾何学模様が浮かび上がった。

「――生命(いのち)を育む永遠(とわ)の光、肉は心に、血は智に、今こそ開け、精霊界の(ゲート)

 フレイティアが詠唱を終えた瞬間、リナリアの胸にぽっかり空いた穴から黒い何かが飛び出す。その量は瞬く間に膨れ上がり、二人の周囲を包み込む渦となった。

「これは‥‥‥花びら?」

突如吹き出した漆黒の花びら。もちろんフレイティアにとって契約というものは初めてのことなので、これが異常な事態かどうかは分からない。しかし、

(人間の身体ってのは、こんなつくりなのか?)

若干疑問を感じながらも、契約は次の段階へ進む。

「うぐッ!?」

フレイティアの胸に、針で刺したような鋭い痛みが走る。その後、まるで糸が解けるかのように胸の筋肉がスルスルと解け、拳ほどの大きさの塊が光を帯びながら姿を現した。

「う、ぐッ‥‥‥へ、へぇ。こ、コイツが俺の心臓ってか」

完全に露出したそれを掬い上げ、彼は両手で少女の胸へと押し込む。

(本当にこれでやりかた当ってんのか?)

ほとんど本能で行っている作業なだけに、いまいち自信を持てないが、それでも彼は成功しなくてはならない。だが、胸の穴を覗き込んだところで、フレイティアは信じられないものを目にした。

「何だ‥‥‥これ」

ぽっかり空いた少女の胸の穴、その中には真っ黒な花が存在していたのだ。その花に名前などない。見たことも聞いたこともない、完全なる未知だ。

次の瞬間、その花から無数の触手が飛び出し、フレイティアの心臓を絡め取る。まるで生き物のように動く触手は、それ自らが心臓を欲しているかのような動きをしていた。

 やがて、半分シーニアスである男の心臓はぴったりと花の上に収まる。

 同時に、バリーンとガラスが割れたような音がし、フレイティアは三メートルほど弾き飛ばされ、青白い光が消えた。

「終わった‥‥‥のか?」

フレイティアは、目の前に横たわるシスター服を着た黒髪の少女に恐る恐る近づく。見ると、彼女の胸の穴は完全に塞がっており、安らかな顔をしている。それを確認したフレイティアは、静かに眠るように意識を失った。


          5


「う、ぐぐッ。いったい何が」

リナリアとフレイティアの二人が眠る傍らで、マジシャン:クリアライズが意識を取り戻しつつあった。

「クソッ、頭がモヤモヤしますねぇ」

彼はゴソゴソともがきながらやがて立ち上がり、血に濡れた剣を見つけ、それを拾い上げる。

「しまった。可愛いシスターさんを傷つけてしまったのですね。嗚呼、神よ、お許しください‥‥‥なーんてね。ククク、ハハハッ」

クリアライズは拾い上げた剣を透明にして隠そうと、いつもの感覚で手に力を込める。

「ん?」

再び、力を込める。

「なぜ消えない」

彼の額から一筋の汗が流れ落ちた。

息をするように使いこなせた自分の『才能』。それが今、全く使えない。反応しない。彼はぜぇぜぇと息を荒げ、顔を下に向けた瞬間、かぶっていたシルクハットを床に落とす。

「なんなんだぁ! どうしたってんだよおいッ! 反応しやがれ! このッ!」

 どれだけ必死に叫んでも、掴む剣が消えることはない。クリアライズは手にしている剣を怒りに任せて振り回し、机や椅子をなぎ倒す。その時だ。

「そこでいったい、何をしているのですッ!」

クリアライズは背後から聞こえた声に振り向く。聖堂の正面から、太陽の光を背景に入ってきた壮年の男は聖堂内の惨状を見て、右手に持っていたパンの入った籠を落とした。

「あなた、リナリアに何をしました?」

男は、教会の神父だった。神秘はすぐに横たわっている少女の姿を目に止め、普段は見せないような険しい顔でマジシャンの男に問いかける。

「それに、あなたの持っているそれは剣ですね?」

クリアライズは神父の方を向き、先ほど落としたシルクハットを拾い上げ、手で二、三回はたいた後、かぶり直した。

「いやぁ、ワタシが入ってきたときには既にこうなっていたのよね。それで介抱してあげ――」

「嘘ですね」

神父はクリアライズの言葉を遮るように、言い放った。そして、一歩、二歩と、マジシャンに向かって歩き出す。

「ク‥‥‥クックッ。嘘だったら何だというのよ? あんたを始末すれば、全て解決。そしてワタシはこの変態を持ち帰り、報酬を貰う。それだけね」

クリアライズは懐からトランブを取り出す。しかし今回は透明に変えることなく投げるフォームに入り、神父めがけて思い切り投げた。


          6


『大樹アトラス』に咲く『花』を監視する王権直属の組織、『花見』。その本部は王都レイアクールの中心部にある。レイアクール王の城ほどは大きく豪勢な造りではないが、それでも近くまで来てみれば目がくらむほどの高さを誇る建物である。

そこの幹部が集まる中央管理室に、金髪に眼鏡を掛けた美しい女性が勢いよく入ってきた。青に金の装飾が施された制服で統一された数人の男女が一斉に振り向く。が、局長プレートの置かれた席に着く男には聞こえていないようだった。

「はは、ははは! 今日の俺は恋愛運マックス! これでルーシーも――」

「局長、緊急の報告です。『大樹アトラス』に新たなる花が咲きました!」

自分の職位を呼ばれて初めて、水晶玉に手をかざしている顎に髭を生やした中年の男がビクッと反応する。

「てめぇ、また仕事サボって寝てやがったのですか?」

金髪で眼鏡の女性が、勢いよく机を叩く。

「な、何を言っているのかねルーちゃん」

「ちゃん付けで呼ぶんじゃねーよ。それより、この資料に目を通してください」

「わ、分かったから。ちゃんと読むから。早くアイアンクローを解きたまえ?」

 ルーシー・ヘイムニル。それがこの金髪で眼鏡の女性の本名である。彼女は弱冠二十五歳で『花見』の副局長にまで出世したエリート。期待の星である。

「っていうかよぉ、今は儀式の期間じゃないのに『花』が咲くって、ルーちゃ‥‥‥ルーシー副局長はその意味分かってる? 結婚しよう」

 ルーシーが持ってきた資料に目を通しながらアンニュイな声でボソボソ喋る男は、局長セドリック・ルフロ(四十二歳バツイチ)である。

「いいから最後まで目を通してください死ぬまで言ってろ」

へいへいっと、軽い返事をしながらセドリックは資料を読み進める。そして、ある程度読んだところで、彼もまたルーシーと同じ不可解な点に気づいた。

「確かにこれはおかしいな毎朝俺に味噌汁作ってよ」

「そうでしょう。確かに、現在は契約の儀式の期間ではないため、ただ『花』が咲いただけではシステムの誤作動である可能性の方が高い。でも、それだけじゃありません空気中の塵でも吸ってろ」

「ああ。シリアルナンバー103MGで登録されていた、マジシャン:クリアライズ。本名アシャル・シヴルトン。彼の『花』も同時に散っているみたいだね僕は君の居場所になりたい」

先ほどとは打って変わった、セドリックの表情。彼は読み終えた資料を机に置き、それを見たルーシーは話を進める。

「『花』が散る。それはすなわち、人が死んだことを表します。そして新たな『花』と、103MGが散ったときの観測データを元に事件が起きた座標を導き出した結果、それはどちらもここから東北東に約二百キロの同じ地点でした私に三年間掃除してないトイレに住めというのか?」

すると、セドリックの背後にある大きなモニターに南大陸全体が映し出された。それは徐々に拡大され、レイアクール全土を映す規模のものとなる。そして、ルーシーは様々な地名が書かれた地図に指示棒を当てた。

「それはここ、ポシェットですね。直ちに、ジーニアス・ホルダーを向かわせたほうがよろしいかと」

セドリックは机に両肘を付いて顔の前で組みながら、ルーシーの話を神妙な顔つきで聞く。ルーシーもまた局長の指示を、固唾を呑んで待つ。

「なるほど、この状況――」

「ええ。すぐにでも動きましょう。」

「その通りだ。俺の才能が、今ならイケると告げているッ! だから何度も言うぞルーシー、結婚しよう」

「お前みたいな奴は賞味期限切れの食パンを食ってトイレに駆け込み、誤って自分まで流して海の藻屑になってろ」


          7


『お前はいったい何者なんだ。いったい何をしたんだ』

夜。

『大樹アトラス』を囲む松明の炎が照らす儀式の場。恐る恐る自分に近づいてくるが、その足は震え、歩みは限りなく遅い。

『なぁリナリア、お父さんにはそんな事しないよな?』

私を『お父さん』と名乗る男は正面からゆっくりと私に手を伸ばし、やがて肩に触れた。しかしその瞬間に目は焦点を失い、虚空を彷徨う。次に全身が痙攣し、その場に崩れた。

『あ、あ、あなた、なんて事を‥‥‥そんな、お父さんまで』

倒れた父に寄り添い、その肩を抱きながら女性が自分を睨む。

「わ、たし‥‥‥知らない」

目の前の女性にすがりつくように手を伸ばしながら、私は声を絞り出した。

『危険ですので下がってください!』

しかし二人のもとへ駆けつけた男性に手を引かれ、倒れたお父さんと女性は私から離れていく。

『あなたなんて、産むんじゃなかった』

去り際に女性が放った一言。それで『俺』は、彼女が『私』の母親であることを悟る。

 私は泣き叫ぶ。言葉にならない嗚咽を漏らし、地面に手をつく。おそらく、最も状況が理解できていないのは私なのだろうと――『俺』は思った。

 フレイティア・ヴェスタは誰かの目を通して、まるでリアルタイムのように鮮明な惨劇を目にしていた。

まるで(、、、)自分(、、)が(、)誰(、)か(、)の(、)中(、)に(、)入って(、、、)いる(、、)様(、)な(、)感覚(、、)。

『私』の感情がダイレクトに伝わってくる。疑問、悲しみ、絶望、憎しみ、そんな言葉では例えられない。自分の中に深くえぐり込み、全てを根こそぎ奪っていくような虚無感。

『私』には、何も無い。そう、『俺』は思った。

そこで視界が暗転する。極度のストレスか、それともジーニアスによる攻撃かは定かではない。だが、何も考えなくても済むそれは、おかしな話だが、フレイティアにとっては救いに思えた。もう何も考えなくてもいい。考える必要がない。

思考する生物である人間にとって、それに喜びを感じるということは一種の自殺願望に思えた。


 突然、視界が開ける。『燃える変態』フレイティア・ヴェスタの目に真っ先に入ったのは、茶色の天井。そして次に自分がベッドで寝ていることに気づく。

「え‥‥‥あれ。どうして」

その時だ。ズキンと、胸に鋭い痛みが走る。フレイティアは思わず胸を押さえた。が、そこには今まであったはずの何かが欠落していた。

「心臓の鼓動が‥‥‥ねェ」

そこでようやく思い出す。自分はクリアライズというペテン野郎に襲われ、シスターに庇われ、彼女を生かす為に『契約』をしたのだと。そしてフレイティアは自分の隣のベッドで横たわるシスターの存在に気づき、重い身体を引きずってベッドを抜け、心臓を捧げた少女の元へ歩み寄る。

「おい‥‥‥おい、大丈夫か?」

彼女の肩をユサユサと揺らしながら、少々ぶっきらぼうに問いかける。

 綺麗な黒髪をした少女は、涙を流していた。そしてフレイティアは、流れ落ちる雫を指ですくった。

ふと自分の頬に手を当てると、濡れていることが分かる。契約したことで彼女の過去を共有し、共に流した涙。理性では理解できなくても、本能で感じるものがある。

 自分が、彼女の一部になったからこそ分かることだ。

「ここに、俺の心臓が入ってんだよな」

フレイティアは揺すっても起きないリナリアの胸を凝視し、自分の心臓が今どうなっているのか、興味本位で彼女の胸に手を伸ばす。

「え?」

「‥‥‥へ?」

眠れるシスターの胸にフレイティアの指が触れる三センチ手前で、リナリアが唐突に目を覚ましたのだ。

「え‥‥‥え、え?」

彼女が現在陥っている状況を簡単に説明すると、聖堂で男がタコ殴りにされていたから、それを助けようと飛び込んだら逆に自分が刺されて、目を覚ましたら助けた男におっぱいを揉まれそうになっている、である。

 そりゃ、「え?」しか言えないはずである。

 罪状をまた一つ増やした『燃える変態』は、リナリアの動揺っぷりを見てようやく自分が何をしようとしていたかを理解した。

「あ‥‥‥こ、これは‥‥‥」

炎を使う才能を持つ彼は熱にはめっぽう強い。しかし、炎とはまた違う熱を帯び始めたフレイティアの顔は真っ赤に染め上がり、沸騰しそうになっていた。

「な、舐めんなよ女! 俺を誰だと思って――」

「うっ‥‥‥ひっく‥‥‥うぇぇぇぇぇぇぇん」

「泣いたッ!?」

その時だ。部屋のドアをぶち破らんとする勢いで、大きな黒い影が大声を上げながら入ってきた。フレイティアはすぐに後ろを振り向き、音源を確かめる。

「リナリアから手を離せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

音源の正体はこの教会の神父。神父は走ってきた勢いをそのまま拳に載せ、振り返ったフレイティアの右頬を思い切り殴り飛ばした。

「ほげぇぇぇぇぇぇぇ!?」

顔面にクリティカルヒットを食らった変態はそのまま吹き飛ばされ、壁に激突。掛かっている絵画などを落としながら、床に崩れ落ちた。その後、神父はすぐにリナリアに向き直る。

「大丈夫ですかリナリア? もう怖くありませんからね」

「し、神父さま! 私、どうして‥‥‥あわわわわわ」

リナリアは怒涛の展開に頭がついていかず、ついには目を回し始めた。そんな彼女を優しく見つめながら、神父は慌てふためくリナリアの頭を撫でる。

「その件については、彼にいろいろと聞いてみる必要がありそうですね」


          8


「私はこの教会で神父をしています。単刀直入に聞きます。あなたは何者ですか? フレイティア君」

リナリアをベッドに座らせ、フレイティアには床で正座をさせながら、有無を言わせぬ口調で神父はフレイティアに問いかける。

「なんだァ、オッサン! 俺にこんな事させてタダで済むとでも思ってんのかァ? つーか何で俺の名前を知ってんだ!」

「そんなことより私の質問に答えなさい。あなたたちを介抱したとき、あなたからは心臓の鼓動が聞こえなかった。でも、脈はあった。私はこの疑問を解消するための答えをあなたに求めているのです」

神父は指をボキボキ鳴らしながら、フレイティアにさらなる圧力をかける。リナリアはそんな二人をオロオロしながら見ていた。

「お、俺は‥‥‥そこの女と契約をした。そうするしかなかったんだ! でなきゃ女は死んでいた。だって心臓が完全に壊れてたんだぞッ!」

神父は目を見開き、驚いた様子を見せる。

「まさかそんなことが――」

しかし同時に何かを確信した様子で、神父はリナリアに話す。

「リナリア。ちょっと彼に触れてみてくれませんか?」

その言葉にリナリアはハッとして、神父を見る。なにしろ彼女に触れたものは皆ジーニアスを消され、その才能を失うのだ。

そして彼女が一度、全てを失った理由でもある。

「何を言ってるのですか神父様! そんな事をすれば彼が――」

いくら神父様でも言っていいことと悪いことがありますよと、リナリアは抗議する。そんな彼女を見ながら、フレイティアは頭上にクエスチョンマークを浮かべるばかりだ。

(何言ってんだコイツ?)

「ほれッ」

軽い気持ちで、本当に軽い気持ちで。彼の言葉で言うならば、そう、肉があるから食べる。そんな気持ちでフレイティアは彼女の手に触れた。

「ひゃあああああああああああああああああ――」

「うおわッ、何だお前ッ!?」

「――ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‥‥‥ひっく、うえぇぇぇぇぇぇん」

「泣いたッ!?」

「え、え? どうして平気なんですかぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

「泣くか喋るかどっちかにしろっての!」

二人のやり取りを見ながら、神父の中で可能性が確信に変わった。常識はずれなソレは、普通なら真っ先に可能性から消されるもの。しかし、常識では説明できないリナリアの起こす現象を打ち壊すほどのものが、常識的であるはずがないのだ。

「リナリア、心臓の鼓動を聞いてください。あなたはもう、とっくに理解しているはず」

そして神父は一拍溜めてから、彼女に語りかける。

「どうやら彼は、あなたが契約したジーニアスのようです。なぜ常に具現化しているかは、彼の口から聞くとしましょう。教えていただけますよね?」

そう言って神父は再び、床で正座しているフレイティアを見下ろす。

「その威圧的な態度をやめろっつってん‥‥‥やめていただければ」

ったくしょうがねェなあと、フレイティアは頭を掻きながら、しかし正座は崩さず話し始める。

「俺は半分ジーニアスなんだよ。親の顔は見たことねェが、そーゆー自分の身体のことってなんとなく分かんだろ? 感覚で。まぁ、俺は生まれつき『才能』の使い方が分かってたから、一人でもなんとか生きてこられた。それだけだ」

数秒間、沈黙がその場を支配する。

「つまり、ジーニアスと人間のハーフというわけですか」

「なに納得しているんですか神父様。私、そんな話聞いたことありませんよ」

「何だよ女。俺に意見すんのかよ?」

「そ、そんなつもりじゃあ‥‥‥ごめんなさい」

「君こそ今の態度をわきまえなさい。この『燃える変態』めが」

その時、バンッと勢いよくドアが開く。神父によるダメージが蓄積していたのか、ドアはついに金具からはずれ、ガタンと落ちる。フレイティアは「あれ、デジャヴ?」などと思いながら、二人と同時に振り向いた。

「その話、詳しく聞かせてもらおうか!」

「すみませんすみません。ドアは弁償しますからすみません」

入ってきたのは、赤に金の装飾が施された服を着た二人組だった。第一印象としては、ガサツな女と気弱な男。女は大股でズカズカと三人の元へ向かい、男は周りをキョロキョロしながらついてくる。そして女は神父の前に立ち、ニヤリと笑った。

「ようジジィ。元気にやってるみてーじゃねーかよ」

「し、支部長ぉぉぉぉ」

女の背後で気弱な男があたふたしている。きっと必死にその場を取り繕う言葉でも探しているのだろう。そんな彼を尻目に、フレイティアとリナリアの視線は赤い服をきたガサツ風な女と神父に集中していた。神父はやれやれといった面持ちで眉を下げ、彼女を見る。

「あなたは本当に変わりませんねアイシャ。支部長なんだから、それらしい振る舞いがあるでしょうに――」

「んな堅ぇこと言うなよがっはっは」

ガサツな女は神父の肩をバシバシ叩く。

「リナリア、フレイティア、紹介しますね。彼女は私の友人でね、今はジーニアス・ホルダーレイアクール支部の支部長を務めており、名前は――」

「おっと、名前は自分で名乗るさ」

そう言ってガサツな女は一歩前へ出る。

「私はアイシャ・ラルクロエ。後ろのコイツは部下のラルフ。紹介通り、ジーニアス・ホルダーの支部長をやっている。何でそんな偉い私がわざわざこんなへんぴな田舎に来たのかというと、このジジィに呼ばれたからだよ。まったくもってめんどくせぇが、まぁ『花見』からの要請もあったし、挨拶ついでみたいなもんさ。ありがたく思いな」

 アイシャは名乗り終わったところで、床に正座する赤髪の男を見下ろし、フンと鼻を鳴らす。

「何だァ? 言いたいことがあればはっきり言いやがれ。」

「ああん? 坊主、威勢がいいじゃねぇか。表出ろや」

「んだと女ァ!」

アイシャはしゃがみこみ、フレイティアに顔を近づけてメンチを切る。それに対して彼は正座のままメンチを切り返す。

「二人ともやめなさい」

「大人げないですよ支部長」

そこで火花を散らす二人の間に、神父とラルフが割って入った。神父に頭を掴まれたフレイティアは得体の知れぬ威圧感に戦慄し、冷や汗をかく。

「てめぇラルフどこ触ってんだ! セクハラで訴えんぞッ!」

「肩ですよ! 支部長こそパワハラで訴えますよ! もう、都合のいい時だけ女を主張しないでください」

 暴れるアイシャを抑えながら、ラルフはなにやら耳打ちする。その瞬間、ふと我に返ったように、アイシャが「そうかッ!」と手を鳴らした。

「ちょッ、何だよ女、逃げンのかァおい」

「ガキは黙ってろ」

そう言って、先程までとは打って変わった真剣な顔つきとなる。

「さて、ここからが本題だ。私はジジィに呼ばれてここに来た。それはこの『燃える変態』フレイティア・ヴェスタを捕まえるためだ。そうだった。思い出したぜ」

「ほんと、しっかりしてくださいよ」

ラルフは中間管理職の苦悩を感じさせる、重い溜息を吐いた。

「――が、それだけじゃねぇ。『花見』からの情報では、この近辺でジーニアスと契約したものがいる。そしてそれはナンバー103MG、マジシャンと呼ばれていた男が死んだのと同じ地点らしい。聞き込み調査をしたところ、この教会から爆発音が聞こえたとのこと。それって、何か関係ありそうじゃないか?」

 そう高圧的な態度で話すアイシャの背後には、ゴゴゴゴゴという擬音語が見える気がする。それほどのプレッシャー。

「ちょっと待て、死んだってなんだッ!? マジシャンの男? そいつには覚えがあるが、むしろ殺されかけたのはこっちなんだぜ。それに、そこの女だってよォ」

その重圧に対抗するように、フレイティアが立ち上がった。

「まぁ、聞け。ここにいる女、リナリア・シュガーロットはかつて『悪魔の子』と呼ばれていた。触れた人間のジーニアスを次々に消し去り才能を奪う、災害みたいなやつだ。そんな呪われた人間がジーニアスと契約できるはずがない。そしてお前は元から契約を結んだ炎使い。だから、『花見』からの一つ目の情報はおそらく間違いだ。だけどな――」

 その言葉を聞いたリナリアは下を向き、歯を噛みしめる。思い出したくない過去を掘り返された苦痛に耐えているのだ。しかし、そんなことはお構いなしにアイシャはフレイティアの胸ぐらを掴み、話を続ける。

「二つ目の情報、ナンバー103MGの死亡。さっき聖堂を見てきたが、凄まじい戦闘の跡があった。どうやらこれに関しては正解のようだ。今までは食い逃げ程度だったが、てめぇはついに超えちゃならねぇ一線を超えたらしい」

「だから殺されけたのはこっちだって言ってン――」

「口答えをするなッ!」

バキッと、アイシャがフレイティアの顔に拳を叩き込む。それを見て神父は慌てて彼女を止めに入った。

「ちょっと待ちなさいアイシャ。私が彼を発見したとき彼は気を失っていましたし、死体もありませんでした。それに、ついさっき分かったこともあります――」

神父がアイシャの手を掴んで止め、彼女は神父を睨む。

「――確かに私は彼をあなた方に引き渡すつもりで呼びました。ですが、ここで契約の儀式が行われたという『花見』の情報。それは真実です。なぜなら、そこの彼がリナリアと契約したジーニアスなのですから。私もつい先ほど分かったばかりなのです」

「‥‥‥‥‥‥、」

「信じていただけませんか?」

「いやいや、いくらジジィでもそりゃ冗談キツイぜ」

「ですが、事実です。そして、契約した人間とジーニアスは一心同体。ですからフレイティア君が犯罪者だからといって捕えてしまえば、リナリアも同じ犯罪者扱いになってしまう。それはあまりにも酷いとは思いませんか?」

 アイシャは神父の迫力に押し負けたのか、フレイティアを離した。そして後ろを向き、背後で待機させていたラルフとヒソヒソ話を始める。

 数十秒後、結果が出たのか、アイシャは再び三人の前に立つ。

「分かった。ここはジジィ‥‥‥あんたの顔を立ててやる。だが、こっちも仕事だ。一応教会内に103MGの遺体がないかだけ調べさせてもらう。いいな? あなたが言いたいことが薄々分かってきたが、話はそれからだ」

 それを聞いた神父の顔には、いつもの笑顔が戻っていた。

「ありがとうアイシャ。では、私も同行しましょう」

 フレイティアとリナリア。二人は完全に蚊帳の外。彼らを置き去りにしたまま、神父はアイシャとラルフを連れて部屋から出ていく。

「え、ちょっと、神父様?‥‥‥ううぅ」

「私が彼女たちにきちんと説明しておきますからご安心を。なぁに、すぐ戻ってきますよわっはっは」

そう言い残して神父は外れたドアを持ち上げ、強引に嵌め直し、部屋をあとにした。

ポカーンと、部屋に残された二人はあっけらかんとする。自分の知らないところで物語が勝手に進んでいく感覚。当の本人たちが一番理解していない。

「あーもう、何だよあのガサツ女! 一発殴らねェと気がすまねェぜこのやろう」

フレイティアは頭を掻き毟りながら悪態をつく。それに対してリナリアは黙り込んだまま、俯いている。

「おい女ァ、いつまで俯いてんだよ。俺はお前の泣き顔を見るために生かしたんじゃねェぞ」

「ご、ごめんなさい‥‥‥私、そのびっくりして、頭が追いついてないというか」

 リナリアは震えた声で続ける。

「本当に、誰かに触れたのって久しぶりで‥‥‥その、仲良くしてくれる子供たちはいるんですよ。それでも、なんというか――」

「はっきりしねェやつだなァ」

 露骨に嫌そうな顔をするフレイティアを見て、リナリアはさらに縮こまる。

「まぁ、あれだ。成り行きとはいえ、とにかくお前は俺と契約をした。あーあ、何でこんなことになっちまったんだろォなァ」

 嫌味なまでに露骨に溜息を吐きながらをつきながら、フレイティアは床に仰向けに寝転ぶ。

「なぁ、お前もほんとは嫌なんだろ? だったら我慢しないでいいんだぜ? 俺は気に入らなかったらぶん殴るだけだからよ。けけっ」

「そんなこと――」

 下を向いていた顔を上げ、リナリアが小さく反抗する。

「あん? 言ってみろよ。この状況が不幸じゃねェってんなら何なんだ?」

「フレイティア‥‥‥さんには申し訳ないと思っています。でも、私はまだ生きていられて嬉しいです。ですから、このお礼は必ずします」

「んなもんいらねェよ」

「で、でも! それでは私はどうしたら!」

 何かしなければフレイティアを自分のパートナーとして縛り付けてしまった罪悪感が苦しいのか、リナリアは強く言い返した。

「そーだなァ‥‥‥」

 フレイティアは転がったまま面倒そうに天井を見上げ、数秒考え込む。何か言わないとこの女は諦めそうにないと半ば諦めたのだ。

「じゃあ、一緒にメシでも食おうぜ。そういえば、いい加減一人で食うのにも飽きてきたんだわ」

「ふざけないでくださいッ!」

「ああん!? なんでてめぇがキレてんだよ?」

「私は‥‥‥私は一度死んだんです。体の中心から徐々に冷たくなっていって、指の一本も動かせなくなった。本当に怖かったんです。それなのに‥‥‥それなのに――」

 感極まったリナリアはついに大粒の涙をこぼす。それを見たフレイティアはどこか気まずくなり、眉を八の字にして身体を起こした。

「怒ったり泣いたり忙しい奴だなァ。もーいい。それはこれから考えてくとしてよォ、とりあえず自己紹介だ。俺はフレイティア・ヴェスタ。あんたは?」

フレイティアはそう言って、右手を差し出す。それを見てリナリアは服で目をこすり、顔を上げた。彼女の顔は涙や鼻水でもうぐちゃぐちゃだ。それを見たフレイティアは少し引く。

「わ、だじは、リ、リナリア・シュガーロット‥‥‥でず‥‥‥うっ、ひっく」

リナリア差し出された彼の右手を握り返す。

「だから何で泣いてんだよォ!」

リナリアの目からは、涙が止めどなく溢れ出す。

ここ三年間に流したものとは全く違う、人の温もりを感じられる涙だ。それが、まるで源泉を掘り当てたかのように湧き続ける。

(今なら分かる、私とこの人は繋がってるんだって。この人の心臓は、私の中で生きている)

「よろしくおねがいします」


          9


「ところでよォ、あんたは俺と契約したんだから、たぶん炎を使えるようになってると思うんだけど、なんか変わったか?」

 リナリアの隣に腰掛けたフレイティアが素朴な疑問を口にする。

「わ、分かんないです」

 それに対してリナリアはフレイティアから顔を背け、詰まらせながら応えた。長い間、十歳以上の人と関わりを持てなかった、持ってはいけなかった彼女にとって、フレイティアのようなデリカシーのない男はハードルが高すぎたのだ。

「そ、その、ちょっと離れてもらえませんか?」

そう、小声で呟く。

「ああん? なんだって?」

 よく聞き取れなかったのか、フレイティアはさらに彼女に顔を近づけ距離を詰めようとする。

「もう少し、離れてもらえませんか?」

「‥‥‥何でだよ」

(恥ずかしいだなんて恥ずかしくて言えないッ!)

 徐々にその距離を詰めてくるフレイティアに連動するように、リナリアは自分の上半身を彼から遠ざけるように平行移動させる。

(どうしよう。下手に誤魔化して嫌われたくもないし‥‥‥)

 なんとかフレイティアとの物理的な距離を離そうと必死で考えるリナリアは、自分がいかに無理な態勢をとっているのか気づかない。上半身だけスライド移動させているその動きは、すでに腰の可動領域的に限界だった。よって、ベッドの上に倒れる。

「あわわわわッ!?」

 そして、リナリアの動きに合わせて動いていたフレイティアの腰も限界を迎えた。したがって、そのまま仰向けで倒れるリナリアに覆いかぶさる形で倒れこむ。

「うわッ、ヤバイ――」

 が、しかし間一髪、フレイティアの肩は仰向け状態のリナリアに止められる。そこで二人の目が合った。

「おう、すまねェな。今、どくから」

「は、は、――」

 顔を赤くするリナリアの口から出た言葉は、率直な感想。

「は?」

「恥ずかしいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」

 その瞬間、リナリアの両手から勢いよく炎が噴出した。その羞恥から生まれた炎はあっという間にフレイティアの全身を包み込み、敵を排除しようとより一層その勢いを増す。

「な、何なんだよ! 炎出るんじゃねェか‥‥‥って、熱ッ!? ちょッ、待て! 熱ッ! うごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 炎に耐性のある彼だからこそ『熱い』程度で済むのだろう。リナリアは彼の絶叫を聞いて、ハッと正気に戻る。

「ごめんなさいごめんなさい! 私ッ――」

 彼女の手から、炎が消える。だが、消えたのは炎だけではない。

 フレイティアの服も燃え尽き、灰燼に帰していた。

 ついでに、彼の意識も消えかけていた。

 眠った人間を抱えたとき、起きている人間よりも重く感じる。それは起きている人間がなんとか落ちないようにしがみついたりして、無意識の体重移動が行われているからだ。だからこの場合、リナリアは気を失った全裸のフレイティアをいつまでも支えてはいられない。

「そ、そんなッ!?」

 支えを失った『燃やされた変態』の身体は、そのまま十三歳のシスターへダイブ。

 そこで、フレイティア(全裸)は薄れる意識の中、呟く。

「ミ、ミラクル上手に焼けました‥‥‥」

 ちょうどそのタイミングで神父が立てかけていったドアを蹴り飛ばし、アイシャが部屋に入ってきた。

「おう、帰ったぞ! 103MGの遺体は無かった。とりあえずフレイティア、お前にかかった殺人容疑は撤回してやる‥‥‥って、何やってんだァァァァてめぇ!?」

 アイシャは右腕を横に振り、フレテイアの身体が彼女が拳を振った方角に吹っ飛ぶ。物理法則を軽々と超えたその『才能』は、彼女をレイアクールの守護者たらしめる理由だ。

「ば、ばうッ!?」

その衝撃で、飛びかけていたフレイティアの意識が戻った。が、彼が次に目にしたのは、鬼の形相で見下ろすアイシャ。

「てめぇ、モザイクも無しにいい度胸じゃねぇかよ。実力だけはあるてめぇをウチで引き取ってやろうと思ったが、もうダメだ。このまま牢にぶち込んでやる」

 彼女はそう言うと、右の脇腹を抑えてうずくまるフレイティアを担いで部屋の出口へと向かう。遅れてやってきた神父トーリルフは目を丸くして驚いた。

「アイシャ、いったい何があったのです?」

「し、支部長ォォォォォ」

「ああん? 現行犯なんだからジジィ、いくらあなたが止めても無理な話だ」

 神父はそのまま部屋に入り、ラルフはアイシャの後を追う。

「何があったんですリナリア!」

ポカーンとベッドに座るリナリア。神父に肩を揺らされ正気を取り戻した彼女は、事の転末を話した。

「私、思わず炎を出してしまって、そのせいでフレイティアさんの服を‥‥‥」

「では彼が野獣の本能を剥き出しにして、猛った雄を鎮めようとしたわけではないのですね?」

「え? 野獣?‥‥‥雄? 何のことですか?」

「まぁ、表現のことはどうでもいいのです。とにかくリナリア。次にあなたがすべきことは一つのはずですよ」

神父は彼女の目を見て強く言い放ち、リナリアはそれに応える。

「はい!」

 事の成り行きと理由を知らないまま、燃やされた変態を抱えたアイシャは外に止めてある馬車を目指す。

「おい、なんだぁ? さっきからずいぶんとおとなしいじゃねーか」

アイシャは肩の上で黙り込んでいる全裸の男に話しかける。

「この偉い私が話しかけてんのに、なに黙ってんだ?」

 額に怒りマークを浮かべたアイシャは、彼を下ろそうとする。が、そこで異変に気づいたのは後ろを歩いていたラルフだった。嫌な予感がした彼は、フレイティアを床に座らせたところで首に手を当て、脈を測るために動脈を探る。

「支部長、こいつ、脈がありません」

「んだと!? 多少力が入っちまったとはいえ、一発殴ったくらいで死ぬやつじゃ‥‥‥」

 驚いたアイシャは、慌ててフレイティアを床へ捨てる。

「これはマズイですよ支部長。このことはきちんと上に報告させていただきますからね」

「黙れラルフ。とにかく今は証拠の隠滅だけを考えるんだ‥‥‥そうだ石灰! 石灰を持ってこい!」

「腐食スピードを上げて死亡推定時刻を狂わせるとはベタな。こういう時はやはり職権を利用した事実の捏造でしょう」

「そうだその通りだ! 私はこいつに襲われそうになったんだ。そう報告するぞッ!」

「はい。これで汚職事件の発生ですね。一字一句記録しました」

「ああああああああああああ! こうなったらラルフ! てめぇも殺すしかねぇ!」

アイシャの発言を受けたラルフが身構えた瞬間。後ろから息を荒げながらリナリアが走って追いかけてきたことに、二人は気づく。

「ハァハァ、待ってください‥‥‥彼は悪くないんです!」

リナリアが二人に追いついたとき、フレイティアは突然目を覚ました。その様子を見て、からアイシャとラルフは目を見合わせ、そして視線をリナリアに移す。

「はぁはぁ、やっと追いついた。あのう、私の手から、突然炎が出て、彼を燃やしてしまったんです。だから‥‥‥フレイティアさんは、悪くないんです。それと、これ――」

 リナリアは目を背けながら、フレイティアの着替えを渡した。

 二人はは互いに見つめ合いながら、とりあえず殺し合う必要はないと判断する。が、それ以上の謎が深まったことに眉をひそめた。

「さっきジジィから話を聞いたが、お前らの契約には分からない点が多すぎる。さっきこいつは確かに死んでいたんだよな、ラルフ?」

 ラルフは頷く。

「だそうだ」

「死んでいたって‥‥‥そんな。どういう」

「私にも分からん。でもお前が着た瞬間、この変態は目覚めた。だからこれだけは言える――」

「あん? なんだなんだ? あれ、いつの間にこんなところに」

 フレイティアは、手元にあった服をいそいそと着始めた。

「――リナリア・シュガーロット。お前も一緒に来い」

 フレイティア用に持たされたのは神父服だった。本当にこれしか無かったのかよと、文句を言う彼を置き去りにして、物語は次の段階へ進む。

 

かつて『悪魔の子』と呼ばれた少女。忌まわしき歴史として葬られ、ひっそりと暮らしてきたリナリア・シュガーロット。大切な親友、多くの同年代の子供たち、さらには自分の両親といった多くの人を傷つけた自分が『希望』を持ってしまっていいのかと、彼女は困惑する。

 意図したことではないとは言え、自分は多くのものを奪った。それは決して許されることではない。神父様に救われただけでも充分過ぎると思っていたのに、それなのに。

 運命は彼女に、さらなる(フレイティア)をもたらした。

「改めて自己紹介をする。私はジーニアス・ホルダーレイアクール支部、支部長アイシャ・ラルクロエだ」

 アイシャは腰に刺している剣を外して鞘の側を右手で掴み、柄の側をリナリアに差し出す。

「まぁなんだ‥‥‥さっきは悪魔がどーとか、古い話を引っ張り出して悪かったな。とはいえ、お前さんが契約したジーニアスは、力は本物だがいろいろとヤバイやつだ。なにしろ、ずっと具現化しっぱなしの、しかも人間とのハーフだなんて過去に例がない。私の権限で異例の採用をしようと思うが、それは研究対象としての意味も含むことになろう。それに中には反感を覚える者も現れるかもしれない。これはその‥‥‥察してくれ。握手をしたいところだが、立場上お前さんに触れることはできないんだ」

 それでも私を信じてくれるか? と、アイシャは念を押す。

「はいッ!」

「いい返事だ」

 リナリアは、アイシャが差し出した剣の柄を強く掴んだ。だがそこに――

「バーカ! そういうのは直接やんないと意味ねェだろォがよ」

 フレイティアがリナリアとアイシャの手を取り、直接握手させたのだ。

「バカッ!? お前、何やってッ――」

 不意を突かれたアイシャは、罵声を飛ばすこともできない。リナリアはまた、いつもの如くポカーンと状況を静観。数秒後に「え?」と反応。

「にっししししししし――」

「てめぇ何笑ってんだこらッ!」

 アイシャはニヤけるフレイティアを、左手で殴り飛ばした。その攻撃はリナリアに覆いかぶさろうとしていた変態を撃滅したときと同じパターンだ。つまりは、拳が彼に触れていないのに吹っ飛ぶ、物理法則を超えた『才能』。

(あれ? 一瞬手が消えたような)

それを間近で見たリナリアは、アイシャの才能の一片を掴む。

「あれ?ジーニアスが消されて‥‥‥いない? どういうことだ」

 『悪魔の子』に触れてしまったのにも関わらず、アイシャの才能は健在だ。彼女の心中には、才能を失わなかった安堵感よりも疑問が先立つ。そして、リナリアの手を握ったまま、彼女を見つめた。

「リナリアの心臓が破壊されたことと、何か関係があるのかもしれませんね」

 そこで、追いついた神父が呟く。

「ジーニアスと心臓を交換することで『才能』が宿るということは、つまり才能の根幹は心臓にあるということ。これは憶測に過ぎませんが、彼女はもう無害なのでは?」

「んだよッ! 俺は殴られ損じゃねェかよ! ぶっ飛ばすぞ」

ホコリを撒き散らしながら、フレイティアが立ち上がる。

「誰が何をどうぶっ飛ばすって? 言ってみろよクソガキ?」

 アイシャは再び左手を振るう。そして、鎮火される『燃える変態』。

 その様子を見るリナリアの瞳から、一筋の涙がこぼれた。

「お前さん、どうして泣いてるんだ? 私が目を話した一瞬の三分の一の時間にセクハラされたか?」

アイシャは握手している手を話して、ポケットから取り出したハンカチでリナリアの涙を拭き取ろうとする。しかし、その行為をリナリアは拒否した。

「あのぅ、もう少しこのまま、手を握って貰っていても良いですか?」

 その言葉を聞いたアイシャは先程までの彼女からは想像できないような柔和な表情を見せる。

「ああ、いいぜ」


 これは、私が世界と溶け合う物語。

 ジーニアスという神秘にあふれた広大な南大陸。そこで私は、かつて私を追放した世界と再び一つになる。

『才能』とは心に秘めた炎を燃え上がらせるための力である。

この世界において『全て』に思えるそれは、しかし生きる『手段』にすぎないのだ。


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ファンタジー 異世界 能力バトル
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