せんすいトイレ2
あの魔具店を訪れてから三ヶ月、私は自国の自宅にて簡易式トイレを使用しつつ報告書をまとめていた。以前はトイレで何かしよう等とはつゆほども思わなかったが、部屋の一角に設置しつい立てで囲ったこの場所は私の安息の場所とかしている。
「ふむ。やはりせんすいトイレと違い臭うが落ち着くな」
推測するにこの着座式が落ち着く要因になっているのだろう。詳しい材質はよくわからないがツルリとした便座に座るのは不快感もなく、簡易式とはいえ始末もこの家にある元々のトイレよりは楽だ。
我が国のトイレは便座というものはなく、桶にある程度溜めてから指定された場所に捨てにいき、農民などは肥料としてそこから持ち帰ったりもするが、毎月一回国がそこを焼くという方式が主流である。
「土に埋めるか。しかしみな家に庭がある訳でもなし、やはりせんすいトイレには敵うまい」
あれは使用者がレバーを引けば勝手に処理をその場ですませるものだから、集めた汚物をいちいち焼き払わなくてもよく、肥料などは家畜からでもいいわけで街が衛生的になるのは素晴らしいことだ。
「是非とも報告せねばな……」
なんなら国家事業として予算をつけてもらいたいくらいである。
一ヶ月前、店主と職人の人数分旅券を持たせた使者が旅立っている。私は店主がこの国へ来る日をいまかいまかと待ち構えつつ、報告書にせんすいトイレについて本来の報告よりも分厚いものを資料として付け加えた。
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粘りに粘って店主にこの国へ来るのを約束させたのは魔具店に通いつめて四日後のことであった。その頃には工事を担当している職人とも面と通しを済ませ、うんざりした顔の店主に苦笑する職人が「負けだよヤマダさん」と諦めとも説得ともつかない言葉をかけた。
「だって長旅とか冗談じゃないですよ」
「そこをなんとか!」
「いーじゃないの。異国へ旅なんで俺らみたいな庶民がそうそう出来るもんじゃないよ」
「ただの旅行なら俺もごねないけどね。そもそも旅行に行かないけどね」
断るのも疲れたと白旗を上げる店主に喝采を上げたのは言うまでもない。
それから詳しい施工費や日程などを話し合い、私は店主の気が変わらぬうちにと国へ引き上げた。隣国には冬の食糧輸入についてどの程度融通が効くかの調査に訪れていたのだが、思わぬ収穫であったと言える。
そんな経緯で私が国へ帰って三ヶ月、そろそろあの魔具店の店主がこの王都へ到着する頃だろうと私は落ち着かない訳であった。
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「来たか! 店主よ!」
王都を囲う防護壁門前にて仁王立ちする私を見て、長旅で薄汚れた店主はげんなりとした溜め息を吐いてみせた。後ろに続く私の使者と工事を請け負ってくれる職人達は苦笑を浮かべ私へ挨拶をしてくる。
「長旅ご苦労。疲れたであろう? 今日は我が家にて休むといい」
「お世話になります」
「明日からもう仕事させる気か」
「む、何か問題か?」
「明日丸一日お休みが欲しいんですよ依頼主様」
「なるほど」
よくよく見れば全員がそこはかとなく疲れを滲ませていた。そういう事ならば仕事始めは明後日でもよかろうと、私は門番に片手を上げ挨拶をし一行を門内へと案内する。
あらかじめ手続きは私が済ませておいたので、何事もなく王都へと入った一行はその賑わいに感心したように溜め息をついていた。
「大きいですねぇ」
「うむ、我が国で一番大きい街だからな」
「ごちゃごちゃしてんなぁ」
終始うんざりした顔の店主はおいておくとして私は職人達に商人街の場所や土産物屋の場所を教えつつ、貴族街にある我が家へと進む。
空気の違う雰囲気に気圧されたような一行であったが、私は全員が快適に過ごせるようにと宿屋ではなく我が家にて寝泊まりするよう申し付けた。
「屋敷内は私の執務室以外は好きに使ってくれ。使用人達にもよく言い聞かせておく」
「すげぇ屋敷だなぁ」
「こんなとこに泊まるのは気が引けるね」
「私のわがままでこんな遠い場所まで来てもらったんだ。気兼ねはしなくていい。外に出る場合は貴族街の門番にこの家紋を示せば出入り出来るだろう」
私は全員に我が家の家紋入りカードを配り、王都を出る時に返してくれればいい事を説明したあと解散とした。あとは執事がいいようにしてくれるだろう。
執務室に戻った私は、机に置いてあった報告書についた可否の印をみて眉を寄せる。公衆せんすいトイレの設置予算は降りなかった。
「私財を投入しようにも王都に勝手に穴をあける訳にはいかぬしな」
より詳しい資料や企画書を持って内務省を訪れるしかあるまい。幸い明日はまだ我が家の工事も始まらぬし、私の領地も冬の算段が立って暫くは安泰だ。
そう言えば店主と職人にこの屋敷以外にも工事を行って欲しい事を言ってなかったなと私は思い立ち、明日の朝食にでも提案をしてみればいいだろうと、内務省に出す書類の作成に取りかかった。