(2) ジロウ
「おーい、ジロウ」
宿から半町ほど離れたところに川が流れている。川向こうがハマの村だ。シシタカが酒の買い出しに村へ向かっていたところ、幼なじみのジロウが魚とりをしているのが見えた。
「お、シシタカ! 久しぶりだなあ。最近ぜんぜん遊びにこないじゃないか」
「そうなんだよ。妙な客が居ついちゃってさ。見張り番させられてて家を離れられないんだ」
「へー、見張り番とはただ事じゃないな。どんなやつなんだい」
シシタカは男の風貌や行動を語った。
「うーん、そりゃ怪しいな。そのおっさん、海賊なんじゃね」
「海賊?」
「うん、水主の服を着てて、体中傷だらけってなあ。よし、酒はおらが届けてやるよ、そいつに会わせろよ」
「お酒をお届けにまいりましたー」
シシタカはジロウとともに男の部屋に入った。
「ん? そいつは誰や」
「幼なじみのジロウです。村に住んでいるので、酒を届けてもらったんだ」
「ほう、そうやったか。ジロウとやらすまんな。ぼん、幼なじみは大切にせえよ」
男は意外なことを言った。
「見た目はやばいけど悪い人じゃなさそうだね」
ジロウが帰り際に言った。
「そうなんだよ。それに、おっかあが言うには、あの人、病気でもうあんまり長くないだろうってさ」
「そうか……」
それからジロウは毎日酒を届けるようになった。酒を届けては男になにかと話しかけている。
ジロウは親がいない。生まれて間もなく両親は死んでしまい、網元の家で奉公をしつつ養ってもらっている。この時代、ジロウのような子どもは少なくない。
ジロウが男によくなつくものだから、口の硬かった男も少しずつ世間話しをするようになっていった。
ある日ジロウが聞いた。
「ところでおっちゃんは、海賊なんか」
「海賊? あほう言え、わしは海賊なんか下品なものとは違うわ」
「そうなんか。おら、てっきり…… そしたら漁師かなんかやったんか」
「ふーむ、ええか、これは内緒にしとけよ。わしは倭寇じゃ」
「ワコー?」
「倭寇じゃった。と言ったほうがええかな」
「でも、倭寇も船を襲うんだろ? 一緒じゃねぇか」
「あほいうな! ぜんぜんちゃうわ。わしらは倭人は襲わん。リュウキュウやシナの船が相手や。たまには上陸して町を襲うこともあるぞ」
「リュウキュウ?シナ?」
「遠い異国や。言葉もまったく違うんや。まあ倭寇はこのへんにはおらんわな。ぼんらが海賊と間違うのもわからんでもないわの」
どうやら男の話しでは、誰かれとなく襲う海賊と、遠く異国の地にまで遠征して異人を相手にする倭寇は似て非なるものらしい。
「まあ、よいわ。ぼんらも漁師の子じゃろ。わしの話しを聞いておくのもよいかもしれん」
その日以来、男は倭寇として活躍した日々を二人に語り始めた。
大洋に遠征していく船団、何百人もの水主たち、恐ろしくも勇敢な船頭、鯨の大群に出会った話し、たくさんの無人島のこと、金銀財宝あふれる異国、絶品の山海珍味、シナの船団に追われ勇敢に戦ったこと。中には信じられないような話しもあった。リュウキュウには冬がないこと、海にも大きな川があること、その川は黒いこと、珊瑚というものからできた島があること、真っ白な砂浜、鳥の糞でできた島もある、シナはとてつもなく大きなこと、異国には目の色も髪の色も違う人間がいること……
二人はいつも目を輝かせながら話しを聞いた。
「おら、倭寇になるぞ!」
最近のジロウの口癖だ。ジロウがそう叫ぶたびに男は言うのだ。
「あほう言え。そりゃ倭寇で成功すりゃ金銀財宝は欲しいままよ。そやけど、戦いで死ぬ者も多いし、嵐で命を落とす者もいる。なんと言っても怖いのは黒い川や。黒い川にはまったが最後、気づいたときには遠く流されて帰ってこれなくなる。わしも初めて黒い川を目にしたときは身震いしたわ」
ジロウとシシタカが男の話を聞く日々は長くは続かなかった。男は次第に体が弱っていき、口数が少なくなっていった。
網元・・・漁船や漁網などを所有し、多くの網子(漁師)を雇って漁業を営む者。漁師と網元の関係は、百姓と庄屋の関係に比せられる。ただし網元が封建的な権力をもつようになるのは集団漁業が発達した江戸期以降とされる。中世においては漁師の親方的存在。