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色を視る令嬢

作者: 夜華カナタ
掲載日:2026/09/02

「気味が悪い」と嗤われ続けた力が、誰かの命を救ったとき。

婚約破棄、ざまぁ、そしてハッピーエンド。一話完結です。

 シャンデリアの光の下で、人は嘘をつく。

 けれどクラリス・エルフォードの目には、その嘘が全部、色になって見えていた。


 喜びは淡い黄。怒りは赤黒。悲しみは、深く沈んだ青。

 伯爵令嬢である彼女が生まれつき持っていたのは、人の感情と体調の乱れが「色」として視える力だった。


「相変わらず辛気くさい顔をしているね、クラリス」

 声をかけてきたのは、婚約者のギルフォード・レイニス侯爵令息。磨き上げた金髪を光に流し、口元だけで笑っている。


「ごきげんよう、ギルフォード様」

「今夜も何か視えているのかい?ああ、言わなくていい。君のその……まやかしの話は、聞いていて気が滅入る」


 周囲でくすくすと笑いが起きた。ギルフォードは満足げに肩をすくめる。

 彼から立ちのぼる色は、いつも同じだ。表面は取り繕った薄い乳白色。その内側で、他人を踏みつけるときにだけ濃くなる、ぬめった緑。


「気味が悪いと、何度言えばわかるのかな。淑女が持つべきものではないよ、そんな力は」

「……はい」


 クラリスは静かに目を伏せた。卑屈になったわけではない。ただ、この場で言い返す価値がないと判断しただけだ。

 私は、この目を恥じてなどいない。恥じるべきなのは、視られて困る色を抱えている人のほうでしょう——そう思っていたが、口にはしなかった。


 その夜会で囁かれていたのは、別の話題だった。


「第二王子殿下が、また床に伏せられたそうだ」

「もう三月になる。毒でも病でもないと侍医団は言うが、日に日に痩せられていくとか」

「呪いではないか、という声もある」


 ラファエル王子。黒髪の、まだ十七の若さの第二王子。

 体は健康。なのに衰弱していく。王宮の侍医団はすでに匙を投げていた。


 異変が起きたのは、その翌週の王宮の茶会だった。


 病床から一時的に起き出したラファエル王子が、支えられながら短く姿を見せたのだ。

 貴族たちは口々に「ご快癒をお祈りします」と述べた。淡い黄——喜び。青——同情。それらしい色が場に散っていた。

 だがクラリスは、息を呑んで動けなくなった。


 王子の全身を覆っていたのは、見たことがないほど濃い、濁った灰色だった。


 毒の色ではない。病の色でもない。それは——人が心を長く長く削られ続け、逃げ場を失ったときにだけ現れる色。追い詰められた人間の色だ。

 しかもその灰色は、王子ひとりから湧いているのではなかった。周囲に立つ数人の貴族から、細い糸のように伸びて、王子に絡みついている。


 その糸のいちばん太い一本が、どこから伸びているのか。

 クラリスは、視てしまった。


 金髪の、婚約者の背中からだった。


「——恐れながら、殿下」


 気づけば、クラリスは進み出ていた。ざわめきが凍る。


「クラリス!下がりなさい」ギルフォードが低く鋭く言った。「君のまやかしを、殿下の御前で披露するつもりか」

「まやかしかどうかは、確かめてくださって構いません」


 クラリスはまっすぐに王子を見た。


「殿下。お薬は、もう効いておりませんね。夜は眠れず、朝は起き上がれず、食事は喉を通らない。……けれど医師の前では、大丈夫だとおっしゃっている」


 ラファエルの黒い瞳が、大きく揺れた。


「……どうして、それを」

「殿下を蝕んでいるのは毒でも病でもございません。人の言葉です」


 場が、爆ぜるようにざわめいた。


「無礼だぞ!」

「侍医団が匙を投げたものを、令嬢風情が——」


 だが、それを制したのは王子自身だった。


「聞かせて」

 かすれた、けれどはっきりとした声だった。


「僕は……ずっと、誰にも言えなかった。体はどこも悪くないと言われるたびに、じゃあ弱いのは僕の心なのだと、そう思うしかなかった」


 クラリスは静かに頷き、そして言った。


「殿下から伸びている灰色は、四人の方から来ております。とりわけ濃いのは——」


 彼女は振り返った。


「ギルフォード様。あなたです」


 悲鳴のような声が上がった。ギルフォードの顔から、みるみる血の気が引いていく。

 その体を包む色が、乳白色から一気に赤黒く濁った。怒り。そして、その底に滲む黄土色——露見の恐怖の色。


「なっ……何を、言い出すんだ君は。侮辱にもほどが——」

「あなたは殿下の御前では礼を尽くしておられます。けれど、その裏で」


 クラリスの声は、少しも震えなかった。


「『第二王子は病弱で王家の恥だ』『兄君と比べるまでもない』『あの方に近づいても得にはならない』——そう言って回っておられましたね。殿下の周りから、人が一人ずつ消えていったのは、そのためです」


 沈黙が落ちた。

 そしてその沈黙を破ったのは、意外にも貴族たちのざわめきだった。


「……私、聞いたことがある。レイニス様がそのように」

「私もだ。あれは冗談だと思っていたが」


 証言は、ひとつでは終わらなかった。クラリスが指し示した残り三人の顔色も、次々と変わっていく。

 体裁と評判のために積み上げた噂は、体裁と評判のために、あっさりと裏切られた。


「違う!私はただ、事実を——」

「事実?」


 ラファエルが、侍従の手を払って自分の足で立った。


「僕が食事を摂れなくなったのは、去年の冬からだ。誰も僕と目を合わせなくなった、あの冬から」


 ギルフォードは、何も言い返せなかった。


 それから半月。


 王子付きの侍医団は、クラリスの「視た」内容をもとに療養の方針をすべて組み替えた。薬を減らし、人を入れ替え、王子が安心して眠れる環境を整えた。

 三日で王子の顔に赤みが戻った。十日で、庭を歩けるようになった。


 クラリスが再び王宮に呼ばれたその日、大広間には多くの貴族が集められていた。

 そして、その中央に、ギルフォードが立っていた。


「クラリス・エルフォード」

 彼は、かつての優雅さをかき集めるようにして言った。


「私は君との婚約を破棄する。……君のような、人の内側を暴き立てる女は、レイニス家の名にふさわしくない」


 最後の見栄だった。捨てられる前に、捨てた形にしたかったのだろう。

 彼の体からは、もう緑も乳白色も消えていた。残っているのは、くすんだ灰。追い詰められた者の色。皮肉なことに、それは彼が王子に押しつけていた色と、同じものだった。


 クラリスは、深く、美しく礼をした。


「謹んでお受けいたします」


 そして顔を上げたとき、彼女は笑っていた。晴れやかに。


「三年間、私の目を『気味が悪い』とおっしゃってくださって、ありがとうございました。おかげで私は、この目が誰のためにあるのかを、ずっと考え続けることができました」


 ギルフォードの唇が震えた。


「——ようやく、わかりました。あなたのような方の嘘を暴くためではなく。声を上げられない方の色に、気づくためです」


 拍手が、どこからともなく起こった。それは波のように広がっていった。

 ギルフォードは何かを言いかけて、結局何も言わず、背を向けて広間を出ていった。


「クラリス嬢」


 声をかけたのは、ラファエルだった。頬に血の色を取り戻した黒髪の王子は、まっすぐに彼女の前に立った。


「王宮に、君の力を必要とする場所を作りたい。侍医団の誰にも視えないものが、君には視える。……それは、まやかしなんかじゃない」


 クラリスの視界の中で、王子から立ちのぼる色が変わった。

 あの濁った灰色は、もうどこにもない。代わりにあるのは、朝の光のような、澄んだ淡い黄。


 喜びの色だ。


「僕を助けてくれた目を、僕は誇りに思う。……君さえよければ、だけど」


 クラリスは、少しだけ目を見開いて——それから、静かに微笑んだ。


「はい、殿下。喜んで」


 その瞬間、彼女は自分の胸の内側にも、同じ淡い黄が灯るのを感じた。

 自分の色は、自分では視えない。けれどきっと今は、とても綺麗な色をしているのだろうと、そう思った。


 シャンデリアの光の下で、人は嘘をつく。

 けれど、本当のことを視てくれる人がひとりいれば、それでいい。

お読みいただきありがとうございました。

「気味が悪い」と言われてきた力が、誰かの命を救う話が書きたくて。婚約破棄は、彼女にとって喪失ではなく解放でした。

少しでも胸のすく気持ちになっていただけたら幸いです。


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