きゅうりの国 〜きゅうりになるって、幸せ!〜 【ゆるふわホラー】
「私のお母さん、きゅうりになったんだ」
私が弾む声でそう告げると、ペピナは綻ぶ花のようにふわりと微笑んだ。
「まあ、とってもステキ! アンバー、おめでとう!」
ペピナがぎゅうっと抱きついてくる。
その柔らかな感触と綿菓子のような甘い香りに包まれながら、私は彼女の愛らしい頭をそっと撫でた。
気持ちよさそうに目を細める彼女を見ていると、私の口元も自然と緩んでしまう。
「うん……お母さん、治らない病気でずっと辛そうだったから。はやくきゅうりになったらいいのにって、ずっと思ってたんだ」
「うん、うん! そうね! きゅうりになれば、悲しみも苦しみも、もう何も感じることはないんだもの」
ペピナが、パステルカラーの雲が流れる丘一面のきゅうり畑を見渡した。
どのきゅうりも、私たちに向かって一様に、にこやかに笑いかけてくれている。
「アンバーのお母様はどこにいるの?」
「ああ、あれだよ。ほら、あの、バンダナをつけているきゅうり」
「まっすぐでかわいらしいわ! いいきゅうりになったのね」
ペピナがうっとりと瞳を輝かせ、憧れをこめた溜め息をこぼす。
「はぁ……。ペピナも、はやくきゅうりになりたいわ」
「本当だね。私もはやくきゅうりになりたい」
私たちはどちらからともなく、細い指先を絡め合った。
この温かな指が、おなじひんやりとした緑色の実になる日が待ち遠しい。
「あ、見て。女神様がいらっしゃったみたい」
「ホントね。今日もキレイだわ」
虹色の空からふわりと舞い降りたのは、わたあめのようなピンクの髪をなびかせた、かわいい少女。
この世界の救済者である『女神様』だ。
「きゅうりにする魔法をかけにきたのかしら。ペピナに魔法をかけてくれたらいいのに」
「収穫にいらっしゃったんじゃない?」
女神様は地面ですくすくと育ったきゅうりたちを、慈しむような笑顔で眺めている。
きゅうりたちに優しく声をかけながら、品定めするように視線を遊ばせていた。
やがて、一本、また一本と、女神様の白くほっそりとした手によってきゅうりたちが摘み取られていく。
お母さんの隣にいた、お気に入りの帽子をかぶったきゅうりも、女神様の腕の中へ。
女神様がきゅうりたちを丁寧に手際よく収穫していく。
腕にいっぱいのきゅうりを大事そうに抱えた女神様は、満面の笑みで迎えに来た雲にぴょこんと飛び乗った。
そのまま、遥か遠くにそびえるお城へと、ふわふわと帰っていった。
「お城に戻られるんだね」
「ペピナもはやくきゅうりになって、お城に行ってみたいの! きゅうりの中でも、選ばれたきゅうりしか入れないのよね」
ペピナが頬を紅潮させて声を弾ませる。
私は愛おしさをこめて、彼女の柔らかな髪を指で梳いた。
「お城からはいつも、美味しそうな匂いが漂ってくるもの。きっとお城では、美味しいごちそうがたくさん食べられるんだろうね」
「そうに決まってるわ! ペピナ、誰よりも立派なきゅうりになって、絶対にご招待されたいの」
「そうだね。私も……いつか、行ってみたいな」
遠くに見える白亜の城は、女神様の住まう楽園。
女神様に選ばれた、特別なきゅうりだけが入ることを許される、憧れの場所だ。
「私たち、どんなきゅうりになるのかな」
「ペピナはね、アンバーへの愛を形にしたようなハートの形のきゅうりがいいの!」
「ふふ……ペピナなら、きっとなれるよ」
私はペピナの華奢な身体を、ぎゅうっと抱きしめた。
「私は、きゅうりになってもペピナと一緒にいれたら、それでいいや」
「うん……ずっと一緒にいようね、アンバー!」
にっこりと笑うペピナ。
このかわいいペピナがきゅうりになったら、ずっとずっと愛らしいのだろう。
その様子を思い浮かべて、私は笑みをこぼした。
ノノノノノノノノノノノノ
その日は、唐突に訪れた。いつもの丘に、ペピナの姿がなかったのだ。
「……もしかして!」
期待に胸を踊らせながら、私は辺りのきゅうり畑を夢中で探した。
目的のものは、すぐに見つかった。
「いた! ペピナ! ついにきゅうりになったんだね!」
そこには、ペピナが理想として語っていた愛らしいハートの形のきゅうりがいた。
頭には、ペピナの面影を残したリボンが結ばれている。
にっこりと、完璧な笑顔を私にむけていた。
「ふふっ……先を越されちゃったね。羨ましいな。きゅうりになったペピナ、本当にかわいいよ」
その日から、私はきゅうりになったペピナの隣で時を過ごした。
返事が帰ってこないのはちょっとだけさみしかったけれど。
ペピナがようやく手に入れた幸せな沈黙のことを考えると、そんなのどうだってよかった。
ノノノノノノノノノノノノ
「お母さん、ペピナもきゅうりになれたんだよ」
私はバンダナを巻いたお母さんのきゅうりの元へ、報告に走った。
お母さんの笑顔はいつもと変わらないけれど、その日はどこか、誇らしげに輝いて見えた。
その時。
――すとん
背後の地面に、羽毛が落ちるような微かな振動が響いた。
「通してもらっても、いいかしら?」
「あ……っ、はい!」
そこに立っていたのは、女神様だった。
「ごめんなさい、私、お邪魔を……!」
「いいえ、構わないわ。あなたもいずれ、きゅうりになるんだもの。邪魔だなんて、とんでもないわ」
私が慌てて場所を譲ると、女神様はお母さんのきゅうりの前で足を止めた。
「あなた、とっても美しく育ったのね。――さあ、収穫してあげる」
ぱきん。
乾いた、心地よい音が響き、お母さんの実が女神様の手に収まった。
「あ……お母さんは、お城にご招待されるのですか?」
「このきゅうり、あなたのお母さんなの?」
「はい、そうです」
女神様は、私に向かってにっこりと慈愛に満ちた笑みを投げかけた。
「ええ! とっても瑞々しくて、立派なきゅうりだわ。あなたのお母様、ありがたくいただくわね」
やっぱり! お母さんはお城に招待されるきゅうりに選ばれたんだ。
女神様に「いただく」なんて高貴な言葉で望まれるなんて、なんて名誉なことだろう。
「私も、はやくきゅうりになりたいです」
「そうなの?」
「だって、きゅうりになるって、幸せじゃないですか」
私が切実に訴えると、女神様はふわりと微笑みを深めた。
「ふふ……あなた、幸せね」
「……? はい、そうですね」
まだきゅうりになっていない今の私は、完璧な幸せとは言えないけれど。
きっと、きゅうりになれる運命を約束されているから、女神様はそうおっしゃったのだろう。
女神様はずっとこの少女の姿のまま、私たちを導き続けなければならない。
きゅうりになれない女神様は、とても孤独で、大変な存在なのだろう。
私は去りゆく女神様の後ろ姿に、心からの感謝を捧げた。
ノノノノノノノノノノノノ
そして、ついにその日がやってきた。
私も、きゅうりになったのだ。
きゅうりになると、視界は真っ暗になり、音も一切聞こえなくなった。
けれど、地面から吸い上げる水は甘くて美味しいし、太陽の光を浴びるととても気持ちいい。
何より、姿は見えずとも、隣にはペピナがいることがわかった。
時折、私の身体が風に揺れ、隣のペピナの身体にこつんと触れる。
その硬質な感触だけで、私はこれ以上ない幸福に満たされた。
憧れのきゅうりになって、隣には最愛のペピナ。
私は、間違いなく世界で一番幸せだ。
後は、ペピナと一緒に、あの芳醇な匂いのするお城にご招待されるのを待つだけだ。
――すとん
不意に、身体の芯に重い振動が響いた。
女神様だ。女神様が来てくれたのだ。
「あら、このハートの子。なんて瑞々しくて、美味しそうなのかしら」
懐かしい女神様の声が、土を通じて私の全身に共鳴した。
ハートの子……ペピナのことだ! よかったね、ペピナ。ついにあの城に行けるんだね。
ほんの少しだけ、会えない時間はさみしいけれど。
すぐに私も追いかけるから。
お城で待っていてね。
女神様のご馳走を、一緒に食べようね。
ぱきん。
私のすぐ隣で、小気味よい収穫の音が響いた。
私は、自分の番を想い、希望に胸を膨らませた。
もっと太陽の光をいっぱい浴びて、女神様が喜んでくれるような、立派なきゅうりにならないと。
私は、ペピナと一緒にお城の食卓へ並んで座る日を夢見て。
暗闇の中で、決して消えることのない満面の笑みを浮かべ続けた。




