柔らかな指の先
八尾井真と申します。 本作は「ネトコン14」応募作品となります。
「あの手は、誰のものだったんだろう――」
夏のある日、のびきった髪を切りに訪れた床屋。そこで出会ったのは、都会的な雰囲気を纏った理容師。柔らかな指の感触に、少年時代の“ある記憶”が蘇っていく。
※この作品は、BL未満の淡いときめきを描いた短編です。
1 伸びた髪と床屋
「隆、いい加減に床屋さん行ってきたら?
その髪鬱陶しいわよ!」
うだるような暑さの昼下がり。
クーラーの吹き出し口の下で涼んでいたら、
母に後ろからどやされた。
伸びっぱなしの髪。
前髪も襟足もかなり伸びた。
そういや、前に切ったのいつだったかな?
モールに入っているカット専門店で
半年前に切ったきりだ。
さすがに自分でもボサボサだなと思っていたので
言い返すこともできなかった。
床屋…3年前亡くなった祖父がよく行っていた店が
近所にある。
母からもらった散髪代を握りしめ、
家から10分程度歩いたところにある床屋へと向かう。
高く上った太陽にじりじりと頭皮を焼かれる。
頭が熱い。
どこかの家の庭木にいるセミ達がけたたましく鳴き、
より一層暑さを演出しているような気がする。
しばらく住宅街を歩くと、蔦が這った白壁がある。
ここだ。
壁沿いに右に曲がると、
"Barber Fujino”という古びた文字が見える。
看板は昔と同じだが、
店構えはどこか今風になっていた。
ドアを開けるとカランコロンと涼やかな音がする。
エアコンのひんやりとした風と共にパーマ液の匂いが全身を包んだ。
「すいません」
店内を伺いながら、少し遠慮がちに声をかけると、
奥から白髪混じりの女性が小走りにやってきた。
「いらっしゃいませ。ご予約はされていましたか。」
女性は、バインダーに挟まれた表を見ながら聞いてきた。
「いえ、予約してないんですけど。
ダメだったら、予約だけして帰ります」
「今日はどのように……」
と言いかけて、女性はこちらを見て高い声を上げた。
「あらあなた、片桐さんとこの
お孫さんじゃないの?」
白髪混じりの女性は、僕が幼い頃祖父と一緒に
ここに通っていたのを覚えていたようだ。
祖父を待っていた僕に、飴やチョコレートをくれた
女の人――その面影が目の前の女性と重なった。
「そうです。――あの、今日はカットをしたくて。」
そう告げると、女性は僕の髪を確認し、
ソファで待つように言った。
革張りで、座ればお尻が沈み込むソファ。
昔は足が床に着かなかったが、
今では反対に足が余ってしまう。
ここでよく祖父を待っていた。
女の人が飴やチョコレートをくれて。
そして、こんなふうに暑い日には
時々ホームランバーをもらった。
「一緒に食べよう」
と言って。隣に座った年上のお兄ちゃん……。
幼い日の記憶は成長とともにだんだん
曖昧になって行くんだ。
そんなことをぼーっと考えていたら、
「お待たせしました。」
と声をかけられた。
2 シャンプーと長い指
見上げると、すらりとした長身の男性が
レジに立っていた。
「こんにちは。片桐様ですね。
今日はカットって聞いているけれど、
よろしいですか」
少し低い落ち着いた声。
黒い髪が後ろで束ねられている。
こんな田舎町では、長髪の男性は珍しい。
僕はその都会的な雰囲気の理容師を
少し眩しく感じた。
「はい、カットお願いします。」
そう答えながら、誘導された席へと歩き出す。
僕はお店の中を歩きながらカット台に備え付けられた鏡に映る自分を見てハッとした。
ダサすぎる。
近所の床屋に行くからと、気を抜きすぎた。
寝間着と言ってもおかしくないような
ヨレヨレのTシャツに、色のあせたハーフパンツ。
ボサボサの頭。
顔を洗ったものの、開ききっていない目。
理容師と並んで歩く自分が恥ずかしすぎて、
これ以上鏡を見ないようにしてシャンプー台に向かった。
シャンプー台の椅子に座ると背もたれがさがり、
理容師が僕をのぞき込むような形になった。
(イケメンはこんな角度で見てもイケメンなんだ)
さっきの自分の姿を思い出し、
半ば自虐的に心の中でつぶやいていると、
顔に薄いタオルがかけられた。
長くて細い指が僕の伸びきった髪を丁寧にほぐす。
頭をマッサージするように
指の腹で頭を押さえつけてくる。
ごつごつとした骨ばった見た目とは違い、
柔らかな感触。
シャワーが生え際から頭頂部、襟足へとかけられる。
首に水が垂れないように、
時折首筋に溜まった水を手でそっと拭ってくれる。
そのたびに、首に指先が当たり、
なんだか分からないけれど、僕はビクッとした。
「ごめん、痛かった?」
僕が反応したのを見て理容師は慌てて
僕に聞いてくれた。
首筋に触れたあなたの指先の感触に
反応しただけです。
なんて言えるはずもなく、ただ
「大丈夫です」
としか返事をすることができなかった。
「痒いところはないですか?」
というお決まりのセリフも理容師の少し低い
湿度のある声で聞かれるとまるでドラマのワンシーンのように聞こえる。
3 はさみと鏡と指先と
シャンプーが終わり、髪にタオルを巻いてもらってカット台に座る。
都会的な雰囲気の青年と、田舎者の少年。
2人が1つの鏡に収まる。
さっきまで見ることを避けていた鏡だけれど、
髪を切ってもらうんだから、避けて通ることはできない。
低い丸椅子をカット台の横に置き、
理容師が鏡越しに僕を見ながら、
「今日はどんな風に切りますか」
って聞いてきた。
「とりあえず短くしてください」
どんな風に切るかなんて聞かれても、
髪型の名前も分からないし、
希望の髪型なんてない。
母親に鬱陶しいから切れと言われたから、
切りに来ただけで、何をどうしたらいいのかも
分からず、ただ短くしてくれと言った。
理容師は僕の横でクスリと笑い
「いきなり聞かれても分からないよね?」
と言ってくれた。
その気さくで柔らかな雰囲気に僕の緊張も少しずつほどけていった。
「そうなんです、僕いつも適当に
切ってもらっているから」
普段知らない人と会話するのは苦手な僕も、
理容師の柔らかい雰囲気につい、
友達と話すように話してしまう。
「じゃあ今回は僕のお任せっていうことかな?」
理容師は僕の顔を覗き込んだ。
今度は鏡越しでなく直接目が合う。
都会人の距離感はわからない!
「はい、おまかせで」
僕はそう言いながら身を引き、思わず目をそらした。
「じゃ、始めますね」
理容師は僕に白いマントを巻き付けて、
腰にぶら下げたホルダーからはさみを取り出した。
銀色のはさみがシャキシャキと軽快な音を立てながら、僕の頭の上を右へ左へと縦横無尽に動き回る。
その動きを見ていると面白い。
時折僕と理容師は目が合い、
僕はそのたびに緊張するのだが、
理容師は余裕の笑みを送ってくる。
何だか悔しいな。
そして僕は理容師の長い指が頭に触れるたびに、
どこか甘く懐かしい気持ちになった。
理容師の指先は僕の髪を少し捻ったり伸ばしたり、
挟んだりしながら、ハサミと一緒に動いていく。
何度も鏡越しに僕を確認し、またはさみを入れる。
パラパラと僕の頭から髪が落ちる。
気がつくと鏡の中の僕はだいぶすっきりとしたヘアスタイルになっていた。
「どう?ずいぶんすっきりしたね」
理容師が僕の耳元で囁いた。
耳の周りの髪をカットしながら話すので、
必然的に耳元で囁く形になるだけなのだが、
その囁き声になぜかドキリとしてしまう。
そんな自分が恥ずかしくて、心臓が大きく動き出す。鼓動が早くなると、息も浅く早くなる。
変に思われたらどうしよう――。
焦るほどに、胸の奥がどんどん騒がしくなっていく。
何の意味もないやりとりなのに、
いちいちこんなことに反応していたらダメだ
と思いつつ、体と心どちらの反応も止められないでいた。
すっかりと短くなった髪を理容師が長い指で軽く整えると、鏡の中にちょっと都会風の少年が表れた。
理容師はどこからか鏡を持ってきて、
僕の後ろで鏡を開けてくれた。
僕はその合わせ鏡で、襟足を確認しながら、
随分短くなったなと思った。
理容師はちょっと待ってねというと、
カミソリを持ってきて、
襟足の産毛を剃り形を整えてくれた。
首に当たる冷たいカミソリと、
理容師の長い指の感触が心地良くて、
僕は目を閉じた。
「もう一度シャンプー台へ行きましょうか」
理容師は僕が寝ていると思ったのか
僕の耳元に口を近づけ、少し小さな声で聞いた。
その声に再び反応する自分が恥ずかしくて、
僕はただ頷き、シャンプー台へ向かった。
軽く髪を洗った後、もう一度カット台へ座り
ドライヤーで髪を乾かしてもらう。
ドライヤーの熱のせいなのか、
自分自身のせいなのかは分からないが、
頭がぼんやりする。
鏡越しに理容師の姿をぼんやりと見ていると、
スタイリングの仕方を丁寧に教えてくれた。
だけど僕は理容師の骨ばった手の甲と
長い指と指の節、きれいに切られた爪と 指先ばかり見てあまり話を聞いていなかった。
「お疲れさまでした。」
理容師の低い声で僕のカットは終了した。
僕は意外にもカットを楽しんでいたのか、
少し名残惜しいような、寂しい気持ちが心に残った。
4 甘い記憶と柔らかな指先
レジでくしゃくしゃになった5000円札を理容師に渡す。
それを見て一瞬驚いていたが、
突然クシャっとした笑顔になり
「随分握っていたんだね」
と笑いながら言った。
そのクシャっとした笑顔に、
心の奥がほんの少し締め付けられた。
釣りを受け取るとき、ぼくの手に理容師の手が添えられた。
手のひらにやさしくお釣りが置かれる。
僕はそれを受け取るとすぐにポケットに手ごと突っ込んだ。
理容師の指の感触が手から体中に伝わり、
ぞわぞわと僕の産毛を逆立たせているような気がした。
「ありがとうございました」
と言いながら僕は店を後にする。
「また来てくださいね」
ふんわりと微笑んでかけられたこの言葉は
店員の決まり文句だ。
おそらく今まで何百回と言ってきただろう。
わかっているのに、僕の胸はどうしょうもなくうずいてしまった。
理容師は店の外まで来て見送ってくれる。
僕はもう一度会釈して来た道を戻っていった。
向こうからアイスキャンディーを食べながら兄弟が歩いてきた。
兄が弟の頭を撫でている。
ふと思い出すパーマ液の匂いと
甘いアイスクリームの記憶。
夏休み、祖父の散髪を待っている間に、 アイスクリームを持ってきてくれた年上のお兄ちゃん。
口の周りについたアイスクリームを拭いて
頭を撫でてくれた手の温もりと柔らかな指先。
――あっ!!
振り返ると、理容師が店に戻る所だった。
閉じられたドア。
遠くでカランコロンとドアベルの音がした。
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