ケーキ
さて、状況を整理しよう。
三沢さんがちょっと大きなケーキを作ってしまった。
お菓子作りも料理だしそういうこともあるんだろうね。
ぼくも大学時代、学校の近くにある大盛りで有名なラーメン屋さんのテイクアウト(ここ、鍋持参で行くとそこにラーメン入れてくれるんだ。今もやってるのかな)を頼んで友達と一緒に食べるのが定番だったんだけど、自分たちで適当に作ったつまみとか副菜が大抵余るんだ。
本能なんだろう。食糧は多ければ多いほどいい。
で、三沢さんが本能に負けて作ったホールケーキのご相伴にあずかる栄誉に浴するにあたって、一つ考えなければならないことがある。
それは場所。
3択だね。
選択肢1は彼女の家に出向くこと。
いや、厳しい。三沢さん実家住まいでいらっしゃる。日曜にご実家に伺うのはね、さすがにハードルが高い。
選択肢2。どこか外で会う。
うん。どこで会えばいいのか。会社はもちろん変だし飲食店もおかしい。カラオケ屋? 高校生カップルじゃないんだよ! じゃあ大人の恋愛ってことでそういうホテル? 駄目。それもない。バーで隣に座って意気投合とかじゃないんだ、我々。会社の元上司と部下で正式に見合いをした男女だ。分かるね。
選択肢3。ぼくの家。
これも非常によろしくない。ぼくは1人暮らしだから選択肢1のような緊張を彼女に強いることはないけど選択肢2的なまずさがある。一人暮らしの男の部屋に若い女性一人って。
なるほど。思いついた。パーティ的な何かにすればいいね。
つまり、ぼくと三沢さん以外に誰かいればいい。ぼくたちは余裕で成人済みの大人。友人同士が誰かの家に集まってわいわいやったところで何一つ問題ない。
そこで名案を閃いた。
ちょうど目の前に呼べそうな人がいるね。
茉莉さん。
三沢さんと同性で年も近い。素晴らしい。彼女のキリッとした存在感は三沢さんの不安を和らげてくれるだろう。
家の近くのお洒落カフェ(夜は飲み屋営業)でシャンパンをガンガン流し込みながら予定を聞いたら、幸い日曜は空いているという。茉莉さんも乗り気だった。
「是非会ってみたい」って。
分からないではないよ。長い付き合いの男の知り合い(しかも女の人)がどんなか気になるよね。野次馬根性感ある。
で、メッセージを返したら三沢さんも乗り気だった。
「この間お話を聞いてから、わたしも一度お会いしてみたかったんです。——その方と」
みたいな。
おやつの時間、つまり15時頃にうちで待ち合わせることになった。
最初に茉莉さん、次に三沢さんがやってきた。茉莉さんは場所を知っているから迷わない分早かったのかな。三沢さんもしっかり5分前着。凄く彼女っぽい。真面目。
で、これも感動したのが、来てケーキ置いたらすぐに洗面所の場所を聞いてきた。手を洗いたいらしい。外から室内に入ったらすぐ手洗いという、ちょっと前にぼくたちの行動様式に刻まれた衛生習慣を今もちゃんと守ってる。真面目。
三沢さんは軽やかに編んだ黒地に小花柄のワンピース。その上に結構ヴィヴィッドな赤のカーディガンをはおってる。薄手のやつね。柔らかい曲線がありつつも程よくメリハリの利いたシルエットと色合わせだ。ガーリー寄りではあるけど幼くもない。
一方の茉莉さんは目の覚めるような濃紺のビッグシルエットシャツに、赤みがかった濃茶の、スカートにも見えるワイドパンツ。シャツインでウェストをぎゅっと絞っているのが、十分フェミニンでありながらどこかマスキュリンな迫力さえ見る者に印象づける装い。
丸の内のオフィスでこの二人が連れ立って歩いてたら結構目立つと思うよ。
女性としては標準身長、ぼくよりちょっと背が低い三沢さんはもう明白にかわいい系統の最高峰だし、高身長でモデル感ある茉莉さんはカッコいい系のイデアみたいな。
こういうのを高嶺の花っていうんだろうね。凄い。
ちなみに茉莉さんの服はどこかのハイブランドっぽいね。慣れてくるとシルエットと布の贅沢な使い方、質感で大体分かるんだ。もちろん口に出しては言わないけど。
彼女稼いでるな。さすが大手……。これはお友達がうちに来る未来はまずなさそうだ。
二人はリビングでご対面して、とても和やかに自己紹介などしつつほんわかムード。ぼくが紹介に入る必要もない。二人ともコミュ力高いから。
だからぼくは少し離れたところに所在なげに突っ立ってた。邪魔になるのも悪いからね。
傍から見ると、女の人って結構視線動かすね。二人とも超さり気なく相手の全身に隈なく視線を飛ばしてる。
そうやって当たり障りの無い話題のネタを拾うんだろう。
いとも簡単に披露される職人芸に感動する。
で、その後も女性陣お二人、楽しくやってるよ。
ダイニングテーブルに食器を並べるぼくを尻目に、キッチンから漏れ聞こえる二人の笑い声がそれを教えてくれる。
滅茶苦茶居心地が悪い。
「まぁ! 社長が? 実はそんな……」
「ええ、兄さんはいつも……」
これはPTSDに近い。色々な思い出がフラッシュバックする。
是非体験してみて欲しい。女性の多い職場がお薦めだよ。まぁ早ければ1週間くらいで体感できる。”噂話のネタにされる”という地獄を。
◆
「茉莉さんって本当に”できる女”って感じですよね。スケールの大きなお仕事できるってかっこいいなぁ」
三沢さんが対面に座る茉莉さんを褒める。
「とんでもない。肩肘張ってばかりですから。同期も結局はライバルだし」
「でも、同期の方達、きっと優秀でカッコいい男性多いですよね。茉莉さんと凄くお似合いになりそう!」
満面の笑みで三沢さんが語りかける。色恋沙汰に興味薄そうでいて意外と好きなんだな。
まぁ気になるか。バリキャリの恋愛事情。
コリドー街……いや、年齢層からいってもう少し高いところで飲むのかな。
つまり神楽坂か……。
相手はたぶん丸の内の商社に勤めるエリサー。仕事は超優秀で出世頭。実家も極太。知的で思いやりがあって、女性のエスコートもそつが無い。あ、帰国子女とかそういう設定も付け加えておこう。三カ国語くらいネイティブレベルでしゃべれるんだきっと。そして趣味はフットサルだろ。
「確かにそういう方もいるにはいますけど、私はあまり好みではありませんね」
「そうなんですか? じゃあ、アート系の人とかでしょうか」
なんでぼくの部屋でガールズトーク(まだ微妙に打ち解けてない版)が始まっているのか。気が合いそうなら連絡先交換して、後で二人で飲みながら話して欲しい。
「それもちょっと違いますね。しいていうなら……現実の人ではありませんけどグロワス陛下でしょうか。マンガのキャラで……」
「まぁ! 茉莉さんも読まれてるんですね。私も大好きです。今度アニメになりますね。できればドラマもやってほしいなぁ」
「最近流行ってますからありえますよ。ちなみに青佳さんの推しはどなたですか? やっぱり人気のジュールくんでしょうか」
「まさか! 私はグロワス陛下一筋です。——陛下以外、ありえません」
端で聞きながら、主人公人気はまぁそうだろうなと思う。
圧倒的主人公だもんね、グロワス王。容姿端麗で知略と度量を兼ね備えた英雄。性格もいい。今で言うあれだ、スパダリ。
彼女達もいい歳した女性だから理想と現実の違いは分かっているだろう。
特に三沢さん、お見合い相手はぼく、つまりグロワス王と正反対のアレなやつだ。大丈夫だと思うけど比べられていないことを祈る。
皆、現実を見よう。
ぼくは女性陣のほのぼの推しトークを尻目に(若干仲間はずれ感を覚えつつ)三沢さんお手製のチョコレートケーキを貪っていた。うまいな、これ。
独り占めしたいくらいに。
いやいや、しないよ。食い尽くし系としてSNSに晒し上げられる可能性がある。
「食い尽くしおじ」とかキャプションついた動画で二万RT。
「ねえ茉莉さん。わたしちょっと思ったんですけど、社長ってグロワス様にそっくりですよね」
OK。分かってる。
こういう白々しい流れ。OK。ぼくは動じないよ。チョコケーキおいしい。
「あ、青佳さんもですか。私も常々そう感じていました」
正直ね、二人の話が意図的な白々しいトークであることを心から願うよ。
もし本気でそう思っているんだとしたら結構まずい。
だって、本心からそう思っているとしたら、マンガの内容をちゃんと読めてないことになるからね。難解な小説はおろか、比較的分かりやすいマンガでも細かいニュアンスやキャラの性格、心情を読み取れない人が最近増えてるみたいだから。
それとも、ぼくが読んだお話には何か他のバリエーションが出てるのかな。グロワス13世が無能キャラになっているような。それはそれで読んでみたいな。
ただ、出落ちで終わる気がする。
サンテネリは滅んだ。終了。
◆
かなり大きめのチョコレートケーキはあっという間に3人の胃袋に収まった。これは満足度高い。
「本当においしかった。三沢さんは凄腕パティシエだね。お菓子作りは昔から?」
「まだ始めたばかりです。でも性に合っているのかもしれません。材料も簡単に手に入りますしレシピもたくさんあって、何でも作れてしまいそう。次はフィナンシェに挑戦するんです」
「そうか。それはいい。また余ることがあったらその時はごちそうして欲しいな」
「はい! もちろんです」
今日のごちそう提供者は三沢さんなので、ちゃんと褒め称えねばならない。実際掛け値無しに美味しかった。
こういうとちょっと色々差し障りがあるかもしれないけど、彼女はとても女性的だ。つまり魅力的だ。
このご時世、古いジェンダーロールに引きずられるのはよろしくないって分かってる。でもプライベート中のプライベートである心内の呟きなので許して欲しい。
ぼくにとって、手料理や手作りのお菓子を振る舞ってくれる女の人は魅力的に映る。これは誤魔化しようのない事実。あくまでもぼく個人の好みとしてね。
価値ではなく「好み」である点は強調しておきたい。
「兄さんもやっぱり料理が上手い女性が好みですか?」
「ああ、うん。料理が上手い人は凄いと思う。でもそれは、おれができないことをできる人に対する尊敬の念かな」
茉莉さんの問いかけに対してぼくは動じることなく模範解答を返す。嘘は言っていない。実際に尊敬しているからね。
ただ、好みかどうかという問いに正直に答えるならば……好みです! 言わないけど。
完璧でありながら平凡極まりない模範解答をしたにも関わらず、ぼくの顔には二つの視線が突き刺さっている。ちょっとした無言の時間。
「なるほど。——分かりました」
茉莉さんが得心いったように静かに頷く。
「ええ。私も分かりました。ご期待下さいね」
三沢さんはぼくにニッコリ笑いかけたあと、続いて茉莉さんに水を向ける。
「そういえば、茉莉さんもお料理されるんですか? ……あっ、お仕事お忙しいでしょうから、なかなかお時間とれませんよね」
「……。そうですね。あまりしませんでした。これまでは。でもそろそろやってみようかと思います。料理下手同士、一緒に練習しましょう、兄さん」
「え? おれは別に……」
唐突に矛先を向けられても困る。申し訳ないけど料理はあんまりそそられないんだ。折角家事代行サービス頼んでるわけだし。
「大丈夫ですよ。私がちゃんと美味しいお料理をお出ししますから」
その言葉はありがたいけど、お出しされる関係でもないよね。まだ。
「ありがとう。うれしいな。でもそこまで甘えるわけにもいかない。家事代行の人が作ってくれるし、この辺りは外食の店も多いから……」
ぼくは口ごもりながら明後日の方向を向く。
なぜかというとね。二人ともちょっと目がね、その。
穏やかな笑みを浮かべてるんだけど、目が笑ってないんだよね。
気のせいかな。
気のせいだな。
◆
そろそろ夕食の時間が近づいてきた。昨日も同じくらいに食べに出たけど、今日も繰り出すことになる。三沢さんへの感謝も込めて、今回はお寿司でも行こうかと思い立ったところにメール着信。
バナーをチラ見すると、懇意にしている時計師さんからだった。
「おお!!」
内容をざっと読んで思わず声を上げてしまう。
それは声を上げたくもなるよ。
話すと長いよ。でも聞いて欲しい。
ぼくが大好きな有名時計ブランドがあるんだけど、そこの主任時計師さんが独立して自分のブランドを立ち上げたんだ。前のブランドのプロモーションイベントでその人が来日したとき、当然ながらぼくも参加した。馬が合ったのか結構話し込んでね。そのときに「将来自分のブランド作るよ」って教えてもらった。
ぼくは「ブランド設立したら教えてね、初回分で発注するから」って言った。リップサービスではないよ。本気で買うつもり。そしたら彼は自分のメアドとメッセンジャーアプリのアカウント教えてくれた。
そんなことあるのって思うかもしれないけど、例の世界的パンデミック以降時計界隈ではこの手の営業手法が結構増えてる。特に大資本傘下にないマイクロブランドの場合、作り手と顧客がダイレクトに繋がる方が上手く行く場合が多い。限られた一部のマニア相手の商売だからその方が効率がいいんだ。
で、今回再び「日本行くよ!」って。某時計店(たぶんそこが代理店やるんだろう)のイベントに参加するらしい。
へぇ、娘さんも一緒に。
というか半分観光旅行でしょ、これ。
再来週水曜日19時から。会場は銀座並木のあそこね。OK。行くよ。必ず行く。
ローンチモデルを肉眼で見られる機会を逃すわけにはいかない。
今後時計業界で台風の目になるであろう新鋭ブランド。
「エストブール」の。




