兵は拙速を尊ぶ
三沢さんとのお見合いは「前向きな関係性の構築」を約す形で幕を閉じた。彼女とはメッセージアプリ(私用)のアドレスを交換した。アイコンは例のマンガキャラのイラストだった。彼女、結構気合い入ったファンなのかもしれないね。人は見かけによらない。
新しい一週間が始まっても相変わらずぼくの生活は暇そのものだ。会社に行きはするけどあんまり仕事がない。だから、三沢さんがハマっているマンガに暇つぶしで手を出した。
覚えているかな。数寄屋橋交差点でぼくたちが見たアニメのポスター。
あの原作小説とマンガを買ってみた。
小説は全7巻、マンガは10巻でまだ続いている様子。大人の特権を十分に生かして文字通り大人買い。届いた通販の箱が結構重かったね。
土曜の昼過ぎ、ソファーに転がりながら黙々と読んでる。
この小説は大当たりだ。
いいよね。完全無欠の最強ヒーロー物。スカッとする。しかもハーレム! 男の夢だね。
これはアニメ化するわ。
このお話、日本のとある財閥系企業の御曹司(帝王教育済み)が事故に遭って異世界に転移するところから始まる。
飛んだ先はサンテネリ王国とかいう、誰が見てもアンシャンレジーム末期のフランス。恐らくルイ15世期あたりかな。
で、彼が王宮のベッドで転移に気づいたとき、すでに王権は風前の灯火なんだ。
宰相のフロイスブル侯爵っていうのが悪いやつでね、王位継承権第1位のアキアヌ大公(こいつも後々まで出てくる悪役ね)と裏で手を握って王を亡き者にしようとしている。だけど我らが主人公が覚醒したからにはそうはいかない。
彼はすぐに実務官僚たちを味方に付けて統治機構を握るんだ。
その辺りでヒロインが登場する。
三沢さんが言っていたブラウネ姫。
彼女はフロイスブル侯爵の娘なんだけど、継母に虐められてる。それを見抜いた主人公が彼女を救い出す。
「私はブラウネ殿を手放さぬ! すぐに宮殿に出仕させよ」
って言い放つ。ここ、小説の挿絵にもなっている名場面だから。
さて、そんなこんなで色々ありつつも、二人目のヒロインが登場する。
メアリ姫。
彼女は王の近衛軍を率いる家の姫。実態は王を傀儡にするために近衛軍監(こいつも悪いやつね)が送り込んだ捨て駒。彼女は家のため健気に身を捧げようとするも、悪いやつの企みをお見通しの主人公は捨て鉢の献身を窘めるとともに、彼女の本当の能力を捧げて欲しいと伝える。実は彼女、抜群の将才を秘めていたんだ。主人公はそれを見抜いた。先の話では彼女の指揮の下、サンテネリ軍は大陸最強と名高いプロザン軍と雌雄を決することになる。
あ、ブラウネ姫の方は実は政治の天才でね。主人公を補佐して内政に外交に大活躍。
当然のことながら二人の姫は主人公を恋い慕ってる。ハーレムだね。
この後まだまだ魅力的なヒロインが出てくるんだけど、残念ながらお客さんが来た。約束の客が。
続きは今度。
◆
茉莉と会うのは結構久しぶり。前に会ったのはいつだろう。
勝手知ったる様子で玄関を抜けて室内に入ってくる彼女は、土曜なのに黒のビジネススーツ。手にはその辺のコンビニで買ってきたとおぼしき差し入れ。
「今日も仕事だった?」
「はい。——兄さんと違って私は忙しいんですから」
「確かに。それを立派にこなせるのは凄いことだよ」
彼女は中分けにした長めのボブを軽く耳にかけ、勝手知ったるリビングに歩いて行く。
「前に来たときはもっとお部屋散らかってましたよね」
「家事代行を頼むことにしたんだ。凄いサービスだよ。隅から隅まで掃除してくれるし、ご飯も作ってくれる」
「そうですか」
差し入れの袋を無造作にローテーブルに置いた彼女は全く以て遠慮の欠片もなく台所へ。そして廊下を出て洗面所へ向かう。
茉莉さん、パンツスーツをカチッと着こなした長身美人。行動もてきぱきしている。そんな彼女が何かを探すように室内を歩き回ると、なんというか心拍が上がる。嫌な意味で。つまり税務署とかそういう類いの。いや、あの人達表面上は腰低いからな。どちらかというと警察だろうか。こちらはお世話になったことがないので完全な推測に過ぎない。
「何か捜し物かな?」
「いいえ。兄さんのこのお部屋、うちの物件ですよね。最近結構大きな地震があったので不具合がないか確認です」
なるほど。
あ、彼女は日本で知らぬ者のいない某財閥系デベロッパー勤務なんだ。ぼくが住んでいる部屋もそこが売り出したもの。
仕事熱心なのはいいことだね。
洗面所の歯ブラシ置いてるあたりとかお風呂のシャンプー置き場とか、そんなところを見たところでなにが分かるのか、門外漢のぼくには想像も付かないけど、たぶんプロのチェックポイントがあるんだろう。
「それで、この建物は大丈夫そうかな?」
「ええ。今のところ異常無さそうです。よかった」
茉莉さんは満足げに数度頷き、微かな笑みを見せた。
それはそうだ。このマンション、最新の免震構造らしいから、万が一があったら洒落にならないから。
リビングに戻ると彼女は流れるようにソファーに身を沈める。まぁ長い付き合いなので、彼女からすれば文字通り兄の部屋に遊びに来たようなもの。
端から見ると一分の隙も無い、日本橋の超カッコいい本社ビルの床をヒールの踵を打ち付けながら颯爽と歩いている系キャリアウーマンが、ぼくの部屋のソファーで若干くつろいでるというのは面白いね。ただ珍しくはない。昔からの付き合いだ。彼女、暇なときは月2くらいで来るからね。
「兄さん、このマンガ読んでるんだ」
ぼくがコーヒーを入れている間、暇を持て余した彼女はローテーブルに放り出したままの例の小説とマンガに目を付けた。
「ああ。最近流行ってるみたいだから。後学のために。茉莉も知ってるのか」
ぼくの問いに彼女は答えず、逆に一歩踏み入った質問を投げかけてきた。
「兄さんの推しは?」
「推し?」
「誰が気に入りましたか」
「まだ読み終わってないから分からないけど、やっぱり主人公はいいね。男の夢だよ」
茉里さんは優雅に足を組み、ちょっと揶揄うように酷いことを言う。
「ですね。兄さんとは似ても似つかない」
「ああ、ああ、なるほど。そのようだ」
「その台詞は似てますね! そんな口調ですよ、グロワス13世」
似てるって、小説の台詞をそのまま言っただけなんだけど。ぼくの不思議そうな顔を見て彼女は察したように言葉を継いだ。
「ボイスドラマが出てるんです」
「ボイスドラマ……。ラジオで流れてるようなやつ?」
「それです。その声にそっくり」
「”では、全てが終わった暁には、私は声優になろうか。昔から憧れの職業だ”」
これ、プロザンとの激闘が終わり、議会を設立して立憲君主として歩むことになった主人公が妻達に語る名台詞。本来の台詞は「声優」じゃなくて「時計職人」なんだけど。
「主人公は置いておきましょう。ヒロインの推しは誰ですか?」
「そうだな。皆可愛いと思うよ。でも敢えて言うならブ……」
「私は絶対メアリですね! 男社会の軍隊で頑張って結果を出して、でもそれだけじゃ満たされないんです。誰かに認めて、受け止めて欲しい気持ちをずっと隠してる。誰かといっても誰でもいいわけではなくて、やっぱり尊敬できる、好きな人に認められたい」
ちょっと熱の籠もった演説が始まる。
まぁ確かに、茉莉さんも男社会の最前線で頑張ってるから感情移入するところがあるのかもしれない。彼女を認めて受け止めてくれる素晴らしい男性が現れることを祈るよ。土曜の夕方にぼくの家に遊びに来るくらいだから未だ彼氏いないんだろう。
こういう高嶺の花タイプは大変だ。モデルみたいなスタイルの美人で、W大学政治経済学部卒で、超大手企業の総合職。あー。うん。親戚で昔からの付き合いでなかったらぼくなんか目も合わせられない。怖いので。
「茉莉はメアリさん推しか。なるほど。ちなみにぼくはブ……」
「逆に、ちょっと合わないのはブラウネかな。男の人ってああいうタイプ好きな人多いですけど、あれは絶対腹黒ですよ。一度取り込まれたら最後、がんじがらめにされますね。お話の中でも王が時計買うの断固阻止してましたし。束縛強そう……。あ、でも時計については同感かな。たぶんグロワス13世が完璧すぎるから、ちょっとした欠点として設定したんでしょうね」
今日の彼女は妙にハイテンションにしゃべるね。普段はもう少し落ち着いているんだけど。このマンガ、かなりハマっているんだなぁ。
三沢さんも好きだったということは20代女性に実は人気なのか? どうみても女の人に受けそうにないストーリーなのに。
若い人の感性がよく分からないぼくは多分正真正銘のおじさんなんだろう。
「ところで今日はどうしたの? 何かあったのかな」
そろそろ本題を切り出していく。
この時間だから彼女も夜ご飯を食べていくつもりだろう。近所のお洒落カフェにでも行くか。あそこは安くて美味しいシャンパンがあるから、食べながらだとぼくが酔って話にならない可能性が高い。だから素面のうちに。
一区切りついたのを察したのか、彼女は手に持ったマンガをテーブルに置いて居住まいを正した。
「今日は兄さんにちょっと相談したいことがあるんです」
「うん。いいよ。聞こう」
頷いたはいいものの全然予想がつかない。さっき彼氏いないんじゃないかって決めつけたけど、一番可能性が高いのはそれだよね。
今いい感じの男性がいる。だけど結婚となると不安が残る。そこで手近なところにいて遠慮しなくていい男——つまりぼく——に相談するという流れ。相談相手を明らかに間違っている気がするけど、彼女の気が済むなら聞こう。
「兄さんの会社って、中途採りますか?」
「……うち? 採りはするだろうけど。誰か友達とかで職探している人でも?」
「そうなんです。私の会社の同僚の子なんですけど、ちょっとハードワークにつかれちゃったみたいで、もう少し地に足のついた仕事がしたいって」
「なるほど。茉莉のところの人なら能力は問題ないと思う。ただ、分かると思うけど待遇がね。給料は当然として、福利厚生とか」
少子化が労働市場を容赦なく蹂躙する昨今、うちの会社も頭を抱えてるところ。一番大変なのは職人さんの確保。これはもう圧倒的。それ以外の部署は多少はマシだけど余裕とは行かない。将来の予測は惨憺たるものだ。
そんなわけで、茉莉さんの友人がうちに来てくれるなら言うことはない。でも無理だろう。彼女に伝えたとおり、大手とは条件面の格差が大きすぎる。キャリアをきっぱり諦めるというならそれもありだろうけど。
ぼくが敢えて口にした内容を彼女が理解していないわけがない。
「うーん。その子はお金よりも仕事内容を気にしている感じですね。大手ってどうしても時間が掛かるじゃないですか。やりたいことをやれるようになるのは40歳、50歳。男の人はそれでよくても、女性は出産もあるし」
「うちも大差ないよ」
「課長クラスだとどうですか? 小さくても一つのプロジェクトを回せるような」
つまり、規模の大小問わず仕事の「全体像」を見たいということなんだろうか。分からなくはない。ぼくも前職のとき同じ事を思った。要するにソルジャーを脱したい、と。
「即答はできないな。ただ、思ったほどいいものでもない。結構辛いよ。大変だよってそのお友達に伝えておいて欲しい」
「大丈夫ですよ。あ、あと、結婚も考えているみたいなんです。その子、実家がこの辺りですから」
「相手が茉莉だから正直に言うけど、それはちょっと困るな。転職すぐ産休は。社会通念としては認めざるを得ない。でも、うちはその、ね。大手さんとは体力に差が……」
ぼくの発言を受けて茉莉さんはニッコリ笑った。彼女がはっきりとした笑顔を見せるのは結構珍しい。
「大丈夫です、兄さん。まだその子彼氏いませんから。これからです」
◆
その後コーヒーを飲みつつ近況を報告し合った。
それにしても例のお話の人気は凄いね。
さっき話題に出た茉莉さんの友達も転職を思いついた切っ掛けはそのマンガだったらしい。茉莉さんが推すメアリってキャラは要するに現代で言うところのバリキャリなんだけど、仕事と恋愛のバランスに悩む場面が出てくる。アンシャンレジーム期を舞台にした話だから恋愛というか出産だね。それを読んで人生を見つめ直したとのこと。
こういうのを聞くと、ぼくは心内猛烈な嫉妬心に襲われる。
ぼくもそういう作品を書きたかった。
お恥ずかしながら大学生の頃は小説家を目指していたんだ。でも才能がなくてね。
小説家志望の文学部生。就活なんて真面目にやらない。内定出ない。
なんとかギリギリで小さな広告代理店に滑り込んだ。それはそれで後悔してない。テレアポ職人の技量を磨けたからね。
でも、時々夢想する。
ぼくが書いた作品が、キャラクターが、見ず知らずの読者の目に届き、その人の精神に何らかの影響を与えることを。
ぼくは失敗した。
才能がなかったなんて嘘だ。ただ諦めただけ。辛いね。
幸いなことに今日は隣に茉莉さんがいる。
だから際限ない自虐の渦に飲み込まれる心配も無い。せいぜいつま先を浸ける程度。
そろそろいい時間だから食事を食べに繰り出そう。
ソファーから立ち上がったところでスマホが震えた。
メッセージアプリの通知には『はるか』の文字。
三沢さん、HNひらがなってこれもイメージと違うね。明朝体で「三沢青佳」かと思ってたよ。本人には言えないけど。
そして例のマンガキャラ、ブラウネのイラストがアイコン。
いつも思うんだけど、こういうのって著作権周りはどうなってるんだろう。私的利用だからいいのかな。
通知バナーをタップして本文を開く。
結構大きめのケーキを背景にした自撮りの写真。どっちかというとご本人の顔にフォーカスがついていらっしゃる。
そして本文はね。
「日持ちしないお菓子をちょっと作りすぎてしまいました。明日、処理をお手伝いいただけませんか? 陛下」




