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地に落ちて死なずば  作者: 本条謙太郞


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火花 2

 夕食はカレーだった。

 各自大皿に盛られていてね。

 真ん中には巨大なボールに大量のサラダが鎮座している。こちらは皆で取り分ける感じ。


 家庭料理はとてもやっかいな代物だ。その背後に巨大な、重い、極めて個人的な存在が隠れている。

 ぼくの目の前に置かれたカレー。多分市販のルーをベースに、じゃがいもとか人参とか入ってる。あと牛肉。

 たぶんこれを作った人——青佳(はるか)さんが生まれ育った三沢家のスタンダードなんだろう。

 それは生活そのものだ。彼女の家が辿った歴史がこの一皿の中に詰まっている。

 彼女は元々うちの会社の従業員で、今はぼくが個人的に雇用した家事代行サービスのアルバイトだ。当然のことながら、彼女にはぼくと無関係な「他の世界」がある。たとえば実家での生活や友人との交流なんかは完全にプライベートに属することで、普段ぼくがそれを意識することはまずない。でもね、こういう手料理は、突然、稲妻のようにぼくに教える。啓示を下す。

 三沢青佳さんは一個の人間である、と。彼女には()()がある、と。


 何を当たり前のことを。そう思うだろうか。

 ならば是非問いたいね。「あなたは常に周りの人を”人である”と意識して接していますか?」って。「機能で見ていませんか?」って。

 たとえば電車で隣に座った男性か女性。もちろん人間であることは理解しているけど、実際はある種の物体——ちょっと邪魔な——として受け止めていないかな。隣に座った人が自分と同じ生活の厚みを持ち、自分と同じ喜怒哀楽を備え、自分と同じ歴史を持った生き物であることを意識するだろうか。ぼくはしない。できない。

 ああ、それは行きずりの人だから()()なのであって、身近な人に対しては違う? なるほど。確かに。でも、関係性の深い人にだって、()()接しているときも結構あるよね。ぼくはある。親は親、兄弟は兄弟——ぼくにはいないけど——、同僚は同僚、友人は友人。少なくともぼくは他者にそういうラベルを貼って、そういう役割を期待する。


 青佳さんに貼ったラベルは少し複雑だけど、分類が可能なものばかりだ。

「雇ったアルバイト」であり「元部下」であり「少し前に見合いをした女性」という。

 なのに、目の前に置かれたカレーはぼくの拵えた手書きのシールを容易く突き破ってくる。

 見えなかった部分が姿を現す。生身の、生物としての女の姿が。


 ぼくは努めて快活を装いながら、サラダボウルの脇に置かれたトングを取ろうと手を伸ばす。

 トング。お洒落でしょ?

 三沢さんが買ってきたんだ。最近100円ショップならぬ300円ショップというのがあるらしく、そこで発見したとのこと。

 ぼくはレタスとか、レタスのような何か——あるよね、レタスっぽいけどレタスじゃない葉っぱ——を狙って取る予定だ。ああ、正確じゃないな。ぼくはトマト以外のものなら何でも取る。そう述べた方がいいだろうか。

 端的に言えばトマトが嫌いなんだ。


「社長、お取りしますね」


 にもかかわらず、ぼくはいつもトング争奪戦に負ける。

 隣に座る青佳さんに。


 行動を先読みされる感覚はいつも新鮮だ。

 基本的に、ぼくは食べ物を他の人に取り分けてもらうのが好きではない。お手を煩わせて申し訳ないというのもあるけど、一番の理由はこれだ。

 つまり、ぼくの小皿の上には青佳さんが取り分けてくれたサラダが極めてバランス良く、色合い良く乗っている。例の()()()()()()()()()()()()なんか、全野菜の支配者であるといわんばかりの存在感で何個も乗ってるからね。

 自分で取り分ける場合、食べたくないものは取らなければいい。だけど他人に差配されるとこういうことが起こる。


「ああ、ありがとう……」

「いいえ。お野菜もちゃんとバランス良く食べてくださいね?」


 上機嫌の中にちょっとした窘めの言葉を交ぜるやり(よう)はもう名人芸だ。

 彼女はぼくがトマトを嫌いなことを知っている。ぼくから伝えたことはないけど、一緒に食事をしたときにずっと観察していたんだろう。そこまではいいよ。でも、その先がよく分からない。

 嫌いなものを食べさせようとするんだ。それもわざわざ自分の手で取り分けることで、視覚的に「おまえがトマトを取らないであろうことは知っているぞ」とアピールまでして。


「うん……」


 若干弱々しいぼくの返答を受けて、彼女は茉莉さんの皿を取り、てきぱきと取り分けていく。最後に自分の分を盛って、トングをボウルの脇に置く。


「兄さんはサラダ嫌いなんですか?」

「いや、そんなことは……」

「社長はちょっと苦手なものがあるんです。でも、お身体のためには食べていただかないと」

「ちなみに兄さんは何が苦手なんです」

「トマトです。——そうですよね、社長」


 ぼくの答えを先回りして、青佳さんがサラリと答えた。





 ◆





 彼女が家事サービスに来てくれるようになってから、ぼくは彼女の新たな顔を知った。知ったというよりも思い知らされた。


 三沢青佳さんはね、猛毒だ。

 男を殺すことに特化した。

 こちらの意図を瞬時に察知して、細々したことを色々とやってくれる。身の回りの「世話」全てを。にこやかに、快活に。それが自身の楽しみであるかのように。

 それをさ、25歳のとびきり可愛い女性がやってくれる。

 時にはぼくが言うべきことを代弁してくれさえする。ありがたいね。


 居心地がいいか悪いかと言われれば、圧倒的にいいよ。

 もし彼女がぼくのことを()()()好きでいてくれて、かつ、こういう「世話」をしてくれたとしたら——今はもちろん違うよ。お金払ってこのサービスを受けてるわけだから——、遠からずぼくは彼女を好きになるだろう。そして一緒に暮らし始め、いつか結婚するだろう。


 これがつまり、どういうことか分かるだろうか。

 ぼくの拗くれ曲がった理性を叩き潰すものは理論でも理屈でもない。()()()()なんだ。驚くべきことに。

 それができるほどの力を青佳さんは持ってる。

 会社の部下だったときからその片鱗は見えていたけど、今こうして家事を代行してもらって全貌が明らかになった感があるね。


「トマト、おいしいのに。どこが嫌いなんですか?」

「好きな人には申し訳ないけど、私には食感がね、ちょっと合わない。あのぐにゃぐにゃしたところが」

「じゃあペースト状のものは大丈夫なんですね」

「ピザに塗られてるやつとか、スパゲティのソースは大丈夫。とにかく生の、塊のやつがダメでね」


 一方、茉莉さんはもう少しサラッとしてる。

 ”サラッと”というか、普通。生のトマトが駄目なら他の物で代替すればいいと考える。ぼくの嗜好を矯正しようとか考えない。多分ね。

 料理自体にさほど拘りもないだろう。場合によっては3食外に食べに行くのさえ厭わない。


 彼女の怖さは他の部分で発揮される気がするんだ。

 他者を無意識に操縦しようと考えない代わりに、その欲求は自分自身に向かう。自分がこうありたいと願う姿を希求する様はぼくの在り方に近いのかな。ただ、ぼくと違って彼女の方は実際に行動して結果を出してるんだけど。自分にも他人にも結構厳しいタイプだろう。

 で、一見ストイックな割に、意外と甘えん坊なところもある。

 特に距離の近い人間に対しては無条件で——相手がどう思うかをあまり気にせずに——本心を臆面もなくさらけ出す瞬間がある。この間家に押しかけてきてぼくの腕に手錠を嵌めたのだってそうだ。企みも何もなく、ある種衝動的に行動している。そして、彼女の「後先考えない行動」を相手が許容すると信じている。無邪気に。


 でね、このお二人、ぼくが勝手に空想する限り、お相手を務める男はかなりの大物じゃないと厳しい予感がある。

 青佳さんの場合、彼女の「お世話」を乗り越えられるだけの強さと能力が必要だ。男の側が弱いと全て言いなりになってしまう。極めて滑らかに、甘美に支配される。

 そして残酷なことに、彼女は支配することを無意識に望みながら、一方で、自分に簡単に支配されるような()()()()()()()()()()

 茉莉さんはね、自分で何かをしようとする意識が強いから、相手が駄目男でもなんとかなる。なんとかなるだろうけど、最低限必要な物がある。彼女の暴走をどっしり受け止められる鈍感力というか、器というか、とにかく懐の深さがなければならない。で、大抵そういうのを持っている人って駄目男なわけないんだよね。


 こんな下劣な空想を繰り広げてしまうのは、多分()()()のせいだろう。

 家で他者、しかも異性と食べる夕食は、否応なく家庭を連想させてしまう。ぼくもいい歳だし、彼女達だっていい歳だ。


 たとえばぼくはどんな夫になるだろうか。

 自分のこととなると全く想像が付かない。

 ぼくが誰かの夫になる? それは余りにも荒唐無稽な想像だよ。





 ◆





「このカレーは美味しいね。とてもその……味がはっきりしてる」

「まぁ! お口に合ってよかったです。ご実家ではお肉は何を使われていたんですか? 今日はちょうど安かったので牛肉にしましたけど」

「実家。ああ、なんだっただろう。もうずっと昔のことだから、あまり覚えていないな」


 母とはだいぶ話をしていない。というか会っていない。少なくともここ1年くらいは。別に何か揉めているわけではないよ。ただその気にならなかっただけだ。

 だから青佳さんの問いに案の定答えられなかった。

 代わりに答えたのは茉莉さんだ。


「多分ポークだと思います。うちもそうですから」


 ぼくの母と茉莉さんのお母さん——叔父さん曰く「下川の姉さん」——はいとこ同士。馬が合ったのか姉妹のように仲がいい。料理についても何らかの繋がりがあったんだろうね。


「そうだったかな。言われてみれば……」

「じゃあ、今度はポークで作ってみますね」


 青佳さんは事もなげに「今度」を語る。それが当然のこと、規定されたこと、在るべき姿であるかのように。

 何かを言いたげな表情を見せた茉莉さんも、あまりも自然な青佳さんの口ぶりに意識を切り替えたようで、別の話題を放り込んできた。

「今度」についての。


「今度といえば、兄さん、9月になったら一緒に働けますね」


 茉莉さんは某大手不動産会社のキャリアを捨てて、なぜか地方の中小造園会社に中途で入社することが決まっている。

 例の有楽町での食事会で彼女の希望を聞き、ぼくはそれを快諾した。翌日には人事に連絡した。ぼくの日常の基本ステータスは大体「狂」なんだけど、あのときは極めつけの「狂乱」状態だったので、恥ずかしながら後先を考えることができなかった。

 でも色々あって少し落ち着いてみると、彼女の決断は危うく感じられる。一昔前ならいざ知らず、昨今の大企業は女性の(優秀な)管理職を切実に欲してる。ガラスの天井が砕け散ったとは決して言えないけど、人が数人通れるくらいの穴は十分に開いた。極めつけの幸運と実力が重なれば取締役クラスまで届くかもしれない。

 そのキャリアを捨てるなんてあまりにももったいない。


 正直かなり悩んだ。

 ただね、よくよく考えてみれば茉莉さんも遠縁とはいえうちの親族だ。将来的に叔父さんの会社とうちが合併するとなれば、まず会社の未来は明るいだろう。その前途洋々たる会社の中で創業家一族の1人と見做される以上、彼女の能力いかんに関わらず出世は約束されているんだ。で、彼女は新会社の社長である叔父さんには娘同然に可愛がられているし、気に入られてもいる。叔父さんは確実に彼女を引き上げていくだろう。

 日本を代表する超大手企業の取締役を狙うのもいい。でも、そこそこの規模の地方企業で役員、最終的にはオーナー社長に納まるのもそう悪いものではない。正直収入だけならまぁ、確実に後者の方がいいからね。

 そこまで考えて、最終的に承諾した。


「ああ、うん……そうだね。我が社初の本格的キャリア女性管理職だ」


 ぼくたち2人が一緒に働くことはほとんどないだろう。そもそもぼくはほとんど会社にいないから。その辺りのことは前もって話してある。

 配属その他について、ぼくは何も口を挟んでいない。営業部と企画部で良い塩梅にやってくれるだろう。1、2年は小さなグループのリーダーをやって、3年目に課を任せて、とかその辺りだろうか。

 ぼくが明白に口利きをしているので、茉莉さんが「創業家枠」であることは分かってもらっているはず。危惧するところがあるとすれば、我が社の幹部職員の皆さん、ちょっとその、伝統を墨守する習性をお持ちの方が多かったり、社員の皆さんもちょっとまぁ、活きのいい方が多いので、日本橋のビルでお仕事をされていた彼女がそのワイルドな環境になじめるかどうかだろう。

 ただ、幹部の皆さんは言葉を飾らずにいえばごりごりの昭和マインドゆえに、彼女を「特別視」してくれるだろうからあまり心配はしていない。後は同僚や部下にあたる人たちとどう対するかだろうね。


 こういう諸々を色々考えてきたけど、最終的には馬鹿馬鹿しくなって止めた。

 自分より明らかに優秀な茉莉さんのことを、明らかに劣った自分が心配してどうするのか、って。ぼくにあって彼女にないものは血統だけだ。それが必要なときは使うよ。ぼくがするのはそれだけでいい。後は彼女が上手くやってくれるだろう。


「今度会社のこと、色々教えてください。青佳さん」

「ええ。私が知っている限りのことは全てお伝えしますね。是非()()()()社長を支えて上げてください」


 ”色々教えてもらう”相手がぼくではなく青佳さんである辺り、彼女はよく分かってる。入社時の彼女の立場で必要な情報は経営や役員の動向なんかではなく、部署の雰囲気や現場階層の目に見えない権力構造のようなものだからね。まぁ当たり前だよね。会社の規模がどうあれ、そういうところは変わらない。


「ありがとうございます。頼りにさせてください。——青佳さんも次の()()()を探されてるんですよね。私でよければ力になります」

「お気遣いありがとうございます。ただ、今はちょっと考え中なんです。自分の適性はどこにあるのかな、って」


 ぼくはビールを飲みながら、ぼんやり二人の会話に耳を傾けていた。


 適性。

 これは本当に重要だよ。人間って汎用性が高く見えて意外とピーキーなところがある。

 中学生の頃に「きみに向いた職業を探してみよう」みたいなアンケートやったよね。いくつかの質問に答えて、指定された矢印の方向に進んでいくと、最後に「きみに向いた職業分野はこれ!」みたいなのが出てくるやつ。

 あ、ぼくはね「芸術家・作家・学者」だったよ。

 当時は喜んだ覚えがある。「お、このアンケートよく分かってるな」みたいな。

 で、大人になって不都合な真実——「芸術家・作家・学者」枠はようするに()()()()()()()()()生徒向けのゴールであるという——を知って、また感心した。

 やっぱりよくできてる。その通りだったからね。


 では、青佳さんの適性はどこにあるだろう。

 正直全く思い浮かばない。多分何をやらせても卒なくこなすだろう。営業も事務も、多分経理系もできる。真面目で几帳面で思いやりがあって、かつ類い希な容姿を持っているって、本当に何でもやれるよ。例の適性アンケートやったらどんな答えが出てくるのかな。「全部いける!」みたいな感じだろうか。


「……社長はどう思われますか? 私には()()()()()が向いているでしょうか」


 突然話を振られるも、ぼくも若干酔いが回ってきたところ。ビールは度数が低いくせに、まわるのだけは早いから。


「え? 三沢さんの?」

「はい。色々想像はするんですけど、やっぱり自分のことはなかなか分かりません。社長から見て、()()()()()()()?」


 非常にやっかいな質問だね。これは嫌だ。

 だって、ぼくが彼女を「どのような存在と思っているか」を伝えることと同義だから。よって話題を逸らすしかない。


「何をやっても上手くいきそうな気がするよ。そうだな、合うかどうかはさておき、三沢さん自身に希望はあるのかな。”こうしたい”っていう」


 茉莉さんは明確にそれを持っていた。うちで働きたい。責任ある立場で事業を回したいという。

 では彼女はそれを持っているんだろうか。


「……そうですね。一つだけ、あります」


 お、あるのか。それなら話は早いね。

 どんな業界であれ、彼女が本気で願えばなんとかなるだろう。お父さんのコネがあるし、ぼくも微力ながら話を繋げられるところはある。もちろんそんなのが無くても独力で勝ち取れる優秀さを彼女は備えているだろうから。


「それはよかった。差し支えなければ聞いてもいいかな?」

「はい。じゃあ、お伝えしますね」


 青佳さんが両手を膝の上において、ぼくの方に向き直る。

 莞爾たる笑みは全てを溶かす。

 ぼくは目を離せない。


「——奥さんに、なること」


 形の良い唇がその言葉を発したとき、ぼくの身体に何が起こったか分かるだろうか。

 喉の辺りがギュッと締め付けられる。顎の下辺りから麻痺が起こる。

 鶏が絞められるときってこんな感じなのかな。


 二の句が継げず押し黙るぼく。静まる室内。

 それを見事な重低音で切り裂いたのは茉莉さんの一言だった。


「は?」





 ◆





「青佳さん、今は”仕事”の話ですよ?」

「仕事? 仕事はそうですね……なにかパートでもしましょうか」


 本当に、人の家で怪獣大決戦みたいなのやめて欲しいんだ。

 さっきまで穏やかな感じだったのに、茉莉さんは優美な柳眉がキリっとしてるし、青佳さんはおっとりした目尻に挑発的な色があるし。


「……最近の男性は共働き希望が多いと聞きますよ」

「そうなんですか? 私、そういうの全然知らなくって」

「では、そろそろ情報を仕入れた方がいいかもしれませんね。結婚相談所とか。友達が入っているところを紹介しましょうか?」

「まぁ! ご心配いただいてありがとうございます。でも、私は大丈夫ですから。むしろ茉莉さんの方が……」


 この状況はあまり、というか、とてもよくないね。

 お2人ともまだそこまで焦る年齢ではないと思うけど、一般的に、あくまで一般論としては、20代後半、適齢期ということになる。

 結婚というワードが徐々に深刻さを帯び始める頃合いだ。

 でもこればっかりは出会いがあるから、自分一人の努力でどうにかなるものではない。二人とも客観的に見れば引く手あまたもいいところ。だけど、彼女達の好みとフィットするかは別問題だ。

 人間を最も苛つかせ、苦しめるのはまさにこれだよ。究極的に自力ではいかんともしがたい、しかし多少の影響を与えることはできるような状況。


 ぼくは残ったビールを一気に飲み干して度胸を付ける。そして話をまとめにかかった。終わらせにかかったともいう。


「その、二人とも焦る必要はないと思うな。あくまで私から見ての主観だけど、三沢さんも茉莉も、男なら誰だって付き合いたいと望むような素敵な人だ。きっといい人が現れ……」


 茉莉さんがね、ぐいっと身を乗り出してくる。本当に、ぐいっと擬音がつきそうなほど見事に。


「兄さんは男ですね?」

「うん。それはまぁ」

「ということは、()()付き合いたいと望むということですね?」


 ん? んん?

 あのね、日本語はさ、重要なこと、言いたいことは最後に持ってくるのが基本の言語なんだよ。冒頭の言葉は前置きであって主題じゃない。欧米系の言葉とはその辺の感覚が違うんだ。

 それを分かって……。


「よかった! ()()付き合いたいって社長が言ってくださるなんて!」


 心なしか青佳さん、微妙になんだけど、椅子がぼくの方に寄ってきてないかな。

 錯覚かな。


「いや、ああ、()()の言葉足らずだった! その、あくまで一般論だよ。2人とも、”手近なところで取りあえず”というのは本当に悪手だ。妥協は良くない。——大丈夫。2人よりもちょっとだけ長く生きてきたぼくが保証する。きっと2人には素敵な出会いが……」

「あっ、そういうのはいいです。——ここで確認しておきたいのは2点だけですので。”兄さんは男である”と”男は皆、()()付き合いたいと望む”。この台詞の真偽だけお答えください」


 茉莉さんもさ、突如バリキャリ仕草やめて欲しいんだ。下請けいじめ系の。


「まぁ! 茉莉さんとでしたら、()()()()()()()はお付き合いしたいと思いますよ。ご安心くださいね。世の中にはたくさん男の方はいらっしゃいますから」

「ああ、うん。そう。そういうことだよ。ぼくが言いたいのは。まさに三沢さんが言う通り! 2人とも引く手あまただ。茉莉だけじゃない。もちろん三沢さんも!」


 頬の表情筋は口元と連動しているっぽいね。一瞬前まで柔らかな曲線を描いた青佳さんの顔面がスッと平坦なものに変わる。


「は? ——社長、なにか誤解がおありのようですね」


 底冷えする声が、ぼくの台詞を唐竹割りにした。


 青佳さんの愛らしい容姿のどこからこういう地獄めいた音が生み出されるんだろう。

 不思議だよね。





 ◆





 夕食は若干のぎこちなさを我が家のダイニングに残して終わり、2人は帰って行った。


 多分、最後の局面に来ているんだろう。

 この楽しかった日々の。


 言葉にしよう。

 彼女達の思わせぶりな態度は限界を超えた。ああ、ぼくが目を背けていられる限界を超えた。ぼくは直視しなければならない。

 そして尋ねなければならない。明確に。


「ぼくのことを好きなのか」って。


 言いたくないことほど明確に、誤解なく言え。父の教えはやたらと汎用性が高い。


 それで勘違いだったとしたら、ぼくの心の中は羞恥に満ちてはじけ飛んで悲惨なことになる。冗談ではなく。

 そのシチュエーションは2つの場合に分けられる。

 1つは、彼女達が無意識にぼくを勘違いさせる素振りを見せていた場合。

 そしてもう1つは、勘違いしたぼくを嘲笑うためにあえて演技していた場合。

 前者なら何の問題もない。

 ぼくは死ぬほど恥ずかしい思いをするけど、被害はその程度のものだ。

 後者の場合もそこまで酷いことにはならない。単純に、ぼくが好きだった人、尊敬していた人の数が減るだけ。悲しいけどね。


 真に重たいのは、彼女達が本気でぼくを好きであった場合だろう。

 ただ、これに関しては可能性は低い。

 もちろん天文学的な確率で、ぼくと親しくしている4人の女性——皆一夫一婦制の常識の元に生まれ育っている——が全員、偶然にも、ぼくを「分け合う」ことを許容するという非常に稀な心情、ある種異常(アブノーマル)な感覚を胸に秘めていることは、確かにあり得る。

 可能性は常にあるよ。今この瞬間に空から隕石が降ってきて、マンションに直撃する可能性だってあるんだから。


 でも、現実的とは言いがたい。

 常識的な範囲で考えられるのは、「ちょっといいな」というレベルでアプローチをかけているといったところだろうか。それにしても不可解だけど、まぁあり得なくはない。モテ期というやつだと思うことにする。


 今日は青佳さん、茉莉さん、2人とも「付き合う」とまで言葉にしている。

 そして知子さんとアナリースさんの行動もまた、もう韜晦を許さないレベルに達している。


 ぼくは尋ね、返答を受け、自身の意志を告げなければならない。


 来週末、花火大会がある。

 青佳さん、茉莉さん、知子さん、アナリースさん。

 4人揃って花火を見に来る。この部屋に。


 つまり、ぼくはそこで終わりにする。

 この、恋についての茶番(comédie)を。

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