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地に落ちて死なずば  作者: 本条謙太郞


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火花 1

 ぼくは一人っ子だ。

 これは人の性格を規定する最も大きな外的要因の一つだろう。

 ぼくは人と何かを奪い合った経験が少ない。

 食事だって服だっておもちゃだって、「ぼくのもの」しか存在しなかった。それを分け合う相手は居なかったし取り合う相手も居なかった。つまり、目の前に出されたものは全て自分のものと考える土壌がぼくにはあった。


 もちろん他者との共同生活の中でその感覚は消えたよ。幼稚園から社会人に至るまでの長い期間をかけて、人と何かを分け合うことをぼくは学んだ。社会性というやつだ。

 むしろ生来の性質と逆に振れた傾向さえあるね。自分を分析する限り。

 ぼくは基本的に物に執着しない。大体において譲ってしまう。

 面白いね。独占することが当たり前の状況に育った人間が真逆のことをするなんて。


 でもね、こういうロジックなんだ。

 まず、ぼくはある対象を独占したいと願う。でも当然ながら独占できないものばかりだ。そうするとこう考える。

「全部がぼくのものでないなら、いらない」って。

 一部で満足することがぼくにはできない。全か無か。

 重ねて言っておくけど、これは重い状況の話だよ。たとえば居酒屋に複数人で飲みに行ったとき、こんな危険思想を発動させているわけじゃないからね。

 どうでもいいものはどうでもいいんだ。自分の物であれ、他人の物であれ。


 ただね、()()()()()()()()()()についてはまさにこの通りだろう。


 ぼくが女の人と上手く恋愛できない理由もここにあるのかもしれない。

 つまり、()()()()()()んだ。その人の。

 一部じゃ満足できない。全部が欲しい。でも無理だよね。それは重すぎる。

 分かっているよ。

 だから手放してしまう。


 あらためて物語ってみると大分危険なやつだな。聞こえ方によっては、愛ゆえに女の人を拉致監禁するサイコパスみたいだ。これがまぁ由理くんみたいな超絶美青年なら絵になる——もちろん倫理的には最悪だ——けど、中年男性(半無職)だからね、ぼくは。

 捕まって護送される途中を激写されてワイドショーで報じられるタイプの。その間抜け面がキャプチャーされてネットミームになるタイプの。

 本当に幸運なことに、ぼくは拉致監禁とかそっち方向に進むタイプのアレなやつではなかった。だってそれは暴力による強制に過ぎない。ぼくが欲しいのは心であって、恐怖によって強制された従順じゃない。肉体でもない。だからもしある女の人の全てがぼくのものにならないなら、ぼくは彼女を諦める。

 情けない自慢話をしよう。

 ぼくは別れ話で揉めたことが一度もない。


 さて、これがぼくだ。

 人は他者について何かを推測するとき、自分の性質や感情を土台にすることが多い。この自己中心的世界観は訓練によってある程度脱することができるだろうけど、それには多大な労力を要する。

 たとえば「他人にやられたら嫌なことを、他人にするのは止めましょう」なんてまさにこれだよね。

 ある行為に対して自分の好悪を基準に相手の心情を測る。ぼくはある行為をされると嫌な気分になる。ということは、ぼくと同じ人間である彼、彼女もまたそれをされたら嫌な気分になるだろう。()()()それをするのは止めよう。こういうロジックだ。

 深く考えてみれば、ある行為について自分と他人が同じ思いを抱くかどうかは分からないよね。抱くかもしれないし抱かないかもしれない。でもぼく達はなんとか一緒に生きていかなければならない。だから取りあえず「同じ思いを抱くだろう」ということにした。なるほど。

 で、ぼくも当然この感覚を持ってる。これは呪いといっても過言ではないほどに強烈なメッセージだからね。我々は幼時から刷り込まれる。注射される。流し込まれる。

「あなたと彼(彼女)は()()だ」と。

 予防注射みたいなものなんだろう。この感覚を皆が持たないと社会は崩壊する。少なくとも、遍く全ての人間の平等を土台にした日本の社会は。身分制が基礎にある世界はまた違うんだろうけどね。

 先日由理くんが「我々が実際に転生したらどうなるか」って話していたけど、多分行き先でぼくたちを最も苦しめるのはこの観念だろう。

「人は万物の尺度である」とはよく言ったものだよ。本当に。


 何が言いたいか分かるだろうか。

 これこそがつまり、ぼくが最後の決断を為しうる状況を形成しているものの一つなんだ。

 ああ、要するに「後腐れ無く死ねる」というね。





 ◆





 ぼくは今、4人の女性と友達関係にある。

 皆、間抜けなぼくにでも分かるほど明白な好意を示してくれている。

 楽しい毎日だよ。賢くて心優しい4人の女性に気にかけて貰えるなんて『地に落ちて死なば』と同じく中年の妄想ストーリーだ。

 だから、もし彼女達が()()なのだとしたらぼくは死ねない。それは余りにも酷い行いだ。ああ、いや、いけるかもしれないけど、行為に及ぶ前の心理的負担は確実に大きくなる。理屈ではなく感情が足を引っ張るだろう。ぼくだって嫌だよ。好きな人たちには幸せであって欲しい。ぼくの不在が彼女達を悲しませるとしたら、その状況はうれしくはないね。

 だけど幸運なことに——あるいは不幸なことに——彼女達は()()()()()()。ぼくが居なくなったとき、皆悲しんでくれるだろう。儀礼的に。あるいはちょっとだけ真心から。でも数ヶ月経てば忘れてくれるだろう。そして皆、ちゃんと新しい生活を始められるはずだ。


 漫画やドラマに出てくるラブコメディ、特に男性向けのものを見ていると大体こんなシーンがあるでしょ。一人の男を取り合っているにも関わらず、なぜかヒロイン達が皆そこそこに()()()()っていう。

 商業作品なんだから当然だ。読者(ここは仮に男性メインとしておこう)はヒロイン達の本気の憎しみ合いなんて見たくないからね。皆ほどほどに仲良く、ほどほどに嫉妬しつつ、でも皆主人公が好き、っていうのがいいんだ。

 ぼくも好きだよ。劇として楽しいから。


 ただ、それは現実ではない。もし現実にそんな状況が起こっているとしたら、ぼくはこう判断するだろう。

 ああ、彼女達は本気じゃないんだ、って。

 だってぼくの感性はその状況に決して耐えられないから。本当に好きな人を他者と分け合うなんて。

 全てを得るか、諦めるかだ。

 そしてね、ぼく自身がそうである以上、相手もまた()()()()()()()と推測している。頭ではなく心で。


『地に落ちて死なば』においてアントワン3世が味わう地獄の一つはこれだよ。

 彼はぼくだ。

 つまり、こういう感覚を持ちながら4人のお姫様達と仲良くなっていく。その上、立場上絶対に結婚しなければいけないし子を為さなければならない。恐らく複数人と。

 これほどの地獄はない。「自分がされたら嫌なことを他人に強いなければならない」わけだから。

 ただ一つだけ救いがあるとすれば、ヒロインの女性陣は「分け合うこと」が常識である世界に生まれ育った人たちであるというところ。皆、他の女性と何とか上手くやりつつ一人の男を愛することが「できる」存在なんだ。


 でも、ここ現代の日本ではありえないこと。

 いや、中にはそういう考えの人もいるだろうけど、少なくとも一般的には男女の関係性は一対であることが基本。互いが互いを独占することが常識の社会だ。

 その状況において、ぼくの周りにいる女性陣の皆さんはラブコメっぽい挙動をしている。

 ありがたいことに。


 ぼくは思い残しを一つ、消し去ることが出来た。





 ◆





 青佳(はるか)さんが家事代行サービスに来てくれている話は前にしたね。

 あれ以来、日々の生活はとても快適だよ。食事もちゃんと用意してくれているし、掃除も洗濯もしてくれる。ぼくがするのなんてご飯を炊くことくらい。あとゴミ出し。


 彼女が来る日は2人で食事をすることが増えた。

 この家を買ったとき、インテリアコーディネーターさんに家具を選んで貰えるサービスが付いてたんだ。ぼくはインテリアに対する興味は皆無なので、全部お任せでやってもらった。結果我が家には、どうみてもゆったり4人掛けできる巨大なダイニングテーブルが鎮座しているんだけど、こいつが本領を発揮する機会はこれまで絶えてなかった。

 我が家には家族の暖かい食卓とか欠片もないからね。ただの物置と化してた。

 それが今、少なくとも暖かい食卓の部分だけは成就したわけだ。すごいね。


 でね、彼女はご飯を食べた後、歯磨きをするという。うん。まぁ、そうだね。

 結果うちの洗面台には青佳さん用の歯ブラシが新加入することとなった。

 いいよ。無駄に広い洗面台だから心ゆくまで使って欲しい。


 あとはね、置き傘が増えました。明らかに女物っぽい赤い傘。突然雨降ったとき困るからね。あ、ベランダ用のスリッパも導入されました。女性サイズの。

 なぜか本も増えた。

 増えたというか、彼女が持って帰るのを忘れたやつが蓄積されつつある。雑誌とか漫画とか小説とか。

「持って帰れば」と言いたいところだけど、本の類いは結構重いから一気に運ぶのは大変だろう。まぁいいよ。最後、誰かがここを処分するときに一緒にどうにかするだろう。


 そして今。

 ぼくは不可思議な状況に直面している。


 夜の7時前。

 リビングのソファで、ぼくは茉莉さんとテレビを見ながら四方山話をしているんだ。

 そして、キッチンでは青佳さんが料理をしている。


 なんだこれ。


 茉莉さんも手伝う気満々だったみたいなんだけど、青佳さんが優雅に断ってたね。

「お気遣いありがとうございます。でもこれは私のお仕事ですから。——()()()はあちらでおくつろぎくださいね。ご遠慮なく」

 って。

 確かに間違ってはいない。青佳さんはぼくが雇用した、いわば従業員だからね。一方茉莉さんはゲストだ。


 ただこのゲストもさ、アポが本当に適当。

「今日、夜暇ですか?」

 ってまさに夕方メッセージが来て、「今日は三沢さんが家事サービスに来てくれてる日なんだ」とぼくは返した。つまり「暇じゃない」って意味だよ。

 それがどう解釈されたのか、なぜか「今から行きますね」となる。

 来客があると青佳さんの仕事の邪魔になるだろうから、ここははっきりと断ろうとしたんだけど、既にうちに着いていた青佳さんがね。

「まぁ! ()()()ですね。これは腕によりをかけてお料理の準備をしないと!」

 ってやる気出して今に至る。


「兄さん、こういうの、いいんですか? よくないですね」

「よくなくはない。その……ちゃんと対価を払ってる。彼女も本格的に仕事復帰するまでの繋ぎ、アルバイトだよ」


 皆さ、ぼくの家のソファを我が物顔に使うよね。

 茉莉さんもその長い足を艶やかに組んで、どかっと座り込んでるからね。で、ぼくに謎の圧をかけてくる。


「ただ、茉莉が言いたいことは分かるよ。私もなんというか、申し訳なさというか、落ち着かないときがある」

「大体、兄さんが1人でちゃんと生活できれば問題ないんですよ」

「私もできるよ。昔は……」

「でも今は王様みたいにソファにふんぞり返って。……はぁ、それはいいとして、兄さん、こんな雑誌読むんですか?」


 ローテーブルに放置されているのはレディースのファッション誌だ。青佳さんが持ってきたもの。


「いや。私は読まないよ。三沢さんが前に持ってきたやつだろう」

「へぇ。そうですか」


 自分で話を振っておいて生返事。彼女は雑誌を取り上げてぱらぱらと中身を眺め始めた。

 手持ち無沙汰ここに極まれり。

 つけっぱなしのテレビで流れるワイドショーだかニュースだか分からない番組を眺めていると、見知った顔が流れてきた。


『この人を見よ』の実写化が発表されたらしい。

 予想通りグロワス13世は由理くんだ。インタビューされてる姿は、数日前この部屋で一緒にくだを巻いた青年と同一人物とは思われないキリッとしたもの。ちょっとアーティスト感出ててカッコいいな。

 他のキャストも発表になったらしいね。ヒロインの1人、今ぼくのソファの主みたいな顔をして雑誌を読みふける茉莉さんが推してるメアリ姫の配役も出てきた。

 年齢的にアイドルではなくて女優さんだね。


「茉莉、茉莉、ほら」

「なんですか?」

「メアリ姫の実写、情報出てるよ」

「そうですか」


 せっかく教えてやったのに、チラと一瞬視線を上げただけで、即雑誌に没入していく。

 その余りの素っ気なさに驚いて彼女の手元を見るとね。なんというか、嫌な感じのタイトルが目に入ってくるわけです。


『結婚? 仕事? 私たちアラサー女子の本当の幸せ』


 あー。うん。

 普段若干忘れがちになってるけど、茉莉さんも青佳さんもまさにアラサー女子だ。というか青佳さんとはお見合いまでしたわけで。

 彼女達も多分、あと少ししたら、あるいは何年かしたら結婚するんだろう。誰かと。

 それが誰であれ、相手は幸せなやつだと思うよ。前世でだいぶ徳を積んだやつに違いない。


「ところで兄さん」

「ん?」

「前に紹介した『地に落ちて死なば』、読みましたか?」

「ああ……うん。ちらっと見た」

「どこまで読みました?」

「え? ……最初の方」

「最近いい展開ですから、早く読み進めてください。——ところで、ジャスミナは王と結ばれますよね?」


 何が「ところで」なのか全く分からない。

 本当に、答えに窮するタイプの問いだ。いっそ由理くんに対するように、ぼくが作者だと明かしてしまえば楽になる。

 でもね、そうすると相当アレな状況になる。

 まだ切れ味のいい脇差し届いてないので。


「私に言われても分からないよ。それよりほら、メアリ姫役の人、インタビューに……」

「アントワン3世はジャスミナみたいな女性がタイプのはずです。これは女の勘ですが」

「そうなの? よく分からないけど。……お! ブラウネ姫役も出てきた。……三沢さん!」


 キッチンの方に大声で呼びかける。

 気づいた青佳さんが、エプロンで手を拭きながらパタパタとこちらに歩いてきた。


「ほら、三沢さん。『この人を見よ』の実写化情報やってるよ。ブラウネ姫も」

「まぁ! この方人気ですよね。いいお話になるといいですね。——そういえば『地に落ちて死なば』、社長も読まれてますよね?」


 本当に何が「そういえば」なのかよく分からないんだ。そしてぼくがなんで()()()()を読んでいると分かるのかも。

 世の中分からないことばかり。


「いや、読んだというか、ちょっと目次を見たくらいで」

「そうなんですか? さっき最初の方は読んだって言ってましたよね、兄さん」


 依然雑誌から目を上げずに茉莉さんが参戦してくる。思えばあの中学生だった彼女が立派になったものだよ。実に堂々とした態度だ。


「ああ、まぁ。うん。最初の方は読んだ」


 すかさず青佳さんが切り込んでくる。


「じゃあブリューベルと陛下の逢瀬シーンはまだですね。ちゃんと読んでくださいね? 序盤最大の盛り上がりどころですから」


 逢瀬シーン? あれか、暗殺未遂で落ち込んだ”ぼく”をブリューベルが励ますところかな。まぁ確かに盛り上がり所としては書いたけど……。


「ただ、その後ちょっと退屈な展開が続くので、そこは読み飛ばしても構いません。大体30話くらいからもう一度読んでくださいね」


 退屈な展開……。

 いいパンチをみぞおちにもらって膝がガクガクいってる感じだ。

 そこ、頑張ったところなんだけどな。ブリューベルはアクイタニア大公(次の王様になるやつ)と、ジャスミナはデカピア公(軍の大物)と距離を縮めるシーン。


「その辺りが退屈なのは同感です」


 茉莉さんがやっと雑誌から顔を上げて、本格的に会話に参入してきた。


「あれは無かったですね。()()()()()()()()()()()()()()()。ブリューベルが陛下以外の方に心惹かれるなんてありえないのに。——社長、ブリューベルは陛下と必ず結ばれます。そうなるに決まっていますから」

「本当です。ジャスミナだって陛下以外眼中にありません。本当にああいう展開は萎えますよ」


 こういうところ、すごく不思議だよね。

 アントワン3世は1人なんだ。対する女性陣は2名。あ、正確には更にあと2人ヒロインがいる。青佳さんも茉莉さんも、それぞれの「推しキャラ」が同時に王と結ばれることに矛盾というか嫌悪感を覚えないんだろうか。


「私はそのお話はよく知らないけど、一般論としてそういうのを許せるものなのかな。2人とも好きなキャラがいるわけだから、あるキャラと王が結ばれれば、必然的にライバルは失恋することになる」

「リュテス王国は一夫多妻の国ですから、特に問題ありません」


 茉莉さんが即答する。

 何かを探るように、くまなくぼくの顔を視線でなめ回しながら。

 これは疑われているのかな。

「こいつ本当は全く読んでいないんじゃないか」って。

 大丈夫だよ。設定はちゃんと分かってる。読んでいないどころか書いているのがぼくなんだから。

 ぼくが言いたいのはそういうことじゃない。制度の問題じゃないんだ。


「ああ、ああ、それは分かってる。私が言いたいのはね、気持ちの問題だ。いくら社会が許すからといって、それで納得できるものなのか」


 この問いは厳密にいえばおかしい。だって登場人物達にとってそれが「常識」なんだから。現代の1対1を基本とした恋愛関係を人類の普遍的行動様式として過去に当てはめたところで益はない。彼らには彼らの常識があったはずだ。特に地位が上がれば上がるほど「恋愛」という感覚自体が薄らいでいくはず。

 地球の歴史を見る限り、過去における結婚は現代でいうところの会社同士の業務提携、あるいは買収に近い行為だったようだし。

 でも、ぼくのお話の読者である青佳さんと茉莉さんは()()()()()()()()()()なんだ。ただ暇つぶしに読んでいるウェブ小説に歴史的考察をするわけがない。面白いかどうかだけが基準のはず。

 そんな現代女性にとって、あの話は「面白い」のか?


 果たしてぼくの問いは核心を突いたようだ。

 2人とも押し黙り、じっと考え込んでいる。

 あたかも自身の心の底に隠れた微かな感情の痕跡を探すように。

 やがて口を開いたのは青佳さんだった。


「気持ち……ですか。では申し上げましょう。——少なくとも()()()()()()()()()()()()()()()()ね」


 赤いエプロンを付けて髪をポニーテールにした青佳さん。もう見慣れた姿。家事をする若い女性。

 なのに今、そこには戦慄さえ喚起する情感がある。その言葉には。その口ぶりには。そしてぼくを射貫く瞳には。


「ああ……なるほど。そうだろうね。——茉莉も?」


 彼女は雑誌をローテーブルに戻し、静かに立ち上がった。そしてぼくを見下ろす。じっと。


「ええ。青佳さんに同感です。()()()()()()であるのは理解できます。慣れもします。それが当たり前なのですから。でも、もちろん思うところはありました」


 青佳さんと茉莉さん。

 2人ともね、本当に整った顔をしている。少し丸顔で優しげな青佳さんと鋭い感じを秘めた瓜実顔の茉莉さん。要するに美人だ。シンプルにいえば。

 で、美人の真顔はかなり怖い。

 その2人から、もうこれ以上はないくらい真剣な眼差しを向けられている。


 ぼくは何かをしでかして、その咎を今責められているんだろうか。

 正直全く思い当たる節がないんだけど。

 可能性があるとすれば、中年男の妄想満開ハーレムストーリーを書いたことくらいだけど、彼女達はぼくが作者と知らない。……知らないよね?

 いや、仮に、万が一、知られていたとしても非難される謂れはない。気持ち悪がられるのは仕方ないけど。

 それは甘んじて受けよう。


 ただ不思議なのが、話を聞く限り、2人とも『地に落ちて死なば』を気に入っているようなんだ。ぼくに熱心に勧めるくらいに。もしハーレム展開に耐えられないなら、青佳さんが「退屈」と言った箇所——1対1の関係性が成立しそうになるところ——こそが素晴らしい展開であったはずなのに、そこはつまらないという。


 ちょっと悩んだ末、結論は案外身近なところに転がっていることに気づいた。


「ああ、私の問いの方がおかしかったね。——それが普通の反応だよ。当然のことだ。でも、そのお話は所詮『お話』だから。どこかの誰かが作ったものだ。そこに現実の感覚を当てはめるとおかしくなる。特に歴史ものは」


 要するに、2人とも現実世界の感覚と物語の感覚を混同してしまったんだろう。

 つまり、物語を受容する段階においてはその世界の「お約束ごと」を受け入れて楽しんでいる。でも、今ぼくがしたような質問——現実に引き戻すような——をされると、それまでの「お約束ごと」の中に現代の常識が混ざって混乱してしまう。そういうことだ。

 これは確かに難しいね。「読む」訓練をある程度重ねていないとそうなりがち。


 いずれにせよ、ぼくはここで素晴らしい結果を得た。

 仮説が実証されたというべきか。


 青佳さんも茉莉さんも現代的感性を持ったごく普通の女性だ。よって、同じく現代日本の常識の中で育ったぼくと同様にの心性を持っている。

「好きな人を誰かと分け合うなんて()()()()()()」という。

 にもかかわらず、2人は、あるいは知子さんとアナリースさんも含めた4人は()()()()()()()んだ。


 ぼくの家で展開されている一見ラブコメディめいた状況は、ただそう見えているに過ぎない。作り物だ。


 彼女達はぼくに好意を持ってくれているだろう。それは確かだと思う。

 だけどそれは、恋愛感情ではない。


 確信が持てた。

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