敵 2
ぼくには敵がいない。
そして誰からも敵であると見做されていない。
こういうと、なんかすごい人格者な感じがするな。
「いい人」みたいな。でもね、そのカラクリを探っていくと、いつものように悲惨な現実が立ち現れることになる。
敵ってようするに、自分が何かを望んだときに初めて発生するものなんだ。欲しいもの、そうなりたいと願う状態、なんでもいい。とにかく自身が希求する何かに対して、そこへの到達を妨げようとするモノが敵になる。
つまり、何も望まない人間に敵はいない。
感情が絡む問題だから難しいけど、ぼくに限って言えばこの考え方は正しかった。
昔はいたからね、敵。
ぼくがやろうとすることに悉くケチを付けてくる役員の皆さんとか、事情も分からないくせに馬鹿にしてくる部下の皆さんとか、一時期はもう、周りが皆敵に思えたこともあった。
広義ではうちの会社も含まれる建設業界は、何かと社会変動の影響を被りやすい。たとえば政権が変わる。たとえば自然災害が起こる。たとえば金融不安が起こる。こういう巨大な変化がいつもダイレクトにちっぽけな地方の中小企業に襲いかかってくる。まぁどこの業界も似たようなものだけど。
公共事業が強烈に敵視された時代には悪の代名詞みたいに言われ、災害が起これば救世主と持てはやされ、バブルになれば人足らず。泡が弾けるとドミノ倒しの倒産。
こういう状況を何とかしたいと思っていた。新規開拓は当然として、リスクヘッジとしての業態多角化とかにも手を出したし、資産運用みたいな方向性を検討したりもした。
今振り返れば顔から火が出る思いだ。
半可通の社長がどこかで聞きかじった情報を元に妄想を膨らませて、目を血走らせて、杜撰極まりない計画を社内に話してまわるんだから。
むしろ役員の皆さんはよく止めてくれたと思う。彼らはぼくの「おままごと」に調子を合わせながら、うまく物事をうやむやにすることもできた。にもかかわらず真っ正面からちゃんと否定してくれた。本当にすごいことだ。
もちろん彼らにも色々思惑はあっただろう。父の代からの大物が何人かいて、水面下でパワーゲームをやっていたのも何となく知ってる。ただね、ドラマや漫画に出てくるような「私欲」だけで動く悪役はいなかった。皆「私欲」は多分にあっただろうけど、それはメインではなかった。決して。
ぼくが抱いたのと同様に、あるいはそれ以上に強く会社の未来を案じていた。
生き残ること、繁栄すること。会社を導くべき目的地は皆同じ。ただその行き方に違いが生じる。それが衝突の根本因だ。
こういうことをぼくは分かってしまった。
つまり、ぼくよりも何倍も優れた人たちが、ぼくと同じ目標を持って日々頑張っている。そんなところにぼくがふらふら入り込んで喚いたところで、ただ邪魔になるだけ。
彼らがぼくに求めていたものは蓋をあけてみれば単純だった。
神輿。
ああ、これはどうでもいいようでいて実は大切なものだよ。
昔からの幹部であるAさんとBさんは互いに強烈なライバル意識を持っている。だからどちらかがどちらかの風下に着くことは絶対に許容できない。だけど、二人きりになれば不倶戴天の彼らは、上に置物があれば共存できる。信楽焼の狸でも木彫りの熊——鮭くわえてるやつね——でもいい。極言すれば。そいつが上にいることの正当性を二人が認識できさえすれば、彼らは共存できる。Aさんの発案はその置物のところに上がり、それがBさんに伝える。逆もまた然り。
それは置物であることが望ましい。自我を持つとろくなことにならない。だって所詮は物だ。原材料は土か木だよ。人間様には叶わない。
そう気づいたとき、ぼくは敵を失った。
何かを望むことを止めたからね。
この生活は慣れれば悪くない。現実世界ではね。
ただ、物語を書くとなると非常にやっかいなことになる。
何しろ映えないんだ。
もちろんぼくだってほんの少しではあるけどプレイヤーの立場を経験しているから、現場レイヤーの敵を作り出すことはできる。でも、何を間違ったか、ぼくが書いているお話の主人公は「王」なんだ。
王の敵といえば大体相場は決まっている。
対立する国家。獅子身中の虫たる重臣。反抗的な宗教勢力。あるいは民衆。
うん。極めて厳しい。
国家については個人で対峙する対象ではないからね。王様が槍を持って敵の首級を上げていた時代ならいざ知らず、ある程度社会が複雑化すると戦いは組織対組織のものになる。要するに王一人では全く対処できない。
重臣の皆さんはね。典型的な悪役を作ろうと思えばいくらでもでっち上げられるだろうけど、ぼくはそこに「リアルっぽさ」を感じることができない。さっき挙げたような自身の経験ゆえに。
宗教か。これはね。これは……。恐らくこれこそ最高の敵役になれるんだろうな。
組織対組織の戦いになりつつ、信仰という極めてプライベートなテーマを包含するがゆえに、個人としても対することができる。でもさ、書けないでしょ。設定したが最後、物語はとんでもなく複雑なものになってしまう。シンプルに言うとね、今年の冬までに終わらない。
で、最後に残ったのがある種の王道、民衆。
国家の場合同様、組織対組織の戦いになる。よって厳しい。
ただ、国家とは違って一つだけいいところがある。
ぼくの価値観に照らした場合、専制君主と民衆だと民衆寄りにならざるをえない。ということはつまり、ぼくは彼を敵にすることができる。打ち倒すべき敵。彼は打ち倒されることができるんだ。今年の冬までに。
で、少々無理はありつつも、民衆を代表する存在としてユニウスというキャラをでっち上げた。
これが彼、アントワン3世の敵だ。
そしてぼくは今、敵のモデルとなった友人と飲んでる。
ぼくの家から歩いて数分の距離にあるイタリア料理屋さんで。
友人の友人と一緒に。
なんだこれ……。
◆
久しぶりに——といっても2週間前にも飲んでる——飲もうということで、由理くんがぼくの家の近所にやってきた。車で。
彼はいつも車だ。まぁ分からないではないよ。芸能人なので気軽に電車に乗ると色々面倒が起こる可能性があるから。
大体のパターンだと近所で飲んで、うちに来て飲んで、そのままうちで酔い潰れてしまう。そして翌日帰る。
これさ、月1か2で行われてるんだけど、ぼくが女の人だったら完全にアウトだったね。きっとスクープされまくりだ。電車の中吊り広告に「由理熱愛発覚!!」の文字が躍ることになる。テレビのワイドショーでも取り上げられるね。だけど残念なことに相手たるぼくは見栄えのしない中年のおじさんなので、各雑誌社の皆さんも「いつもの」みたいになってるらしい。
ぼくとしては若干心配になることもあるよ。
彼もそろそろいい歳だ。おっさんとサシ飲みばっかりじゃなくて、誰か有名な女優かアイドルとでも熱愛報道される方がよっぽど健全。
まぁ彼が来なくなったらなったで、ぼくは身勝手にも若干寂しく感じるだろう。
でもね、そうあるべきだ。今年の冬までには。
今日は久しぶりにその辺りの話でもしようかと思っていた。「付き合ってる人いないの?」みたいな。放っておくと延々アントワン3世語りになるからな、最近。ちなみに今回は新キャラユニウス語りになる可能性も高い。彼のSNSアカウントを見る限り、妙にユニウスのことを気に入っているようだったので。
あ、あと、釘も刺さなければならない。コスプレを止めさせなければ。
大体由理くんが騒ぎまくったお陰で、ぼくはなぜかアナリースさんに謎の圧をかけられてる。なんと表現すればいいだろう。やろうと思えば一撃で仕留められるのを敢えて遠巻きにちょっかいを出して狩りを楽しんでいる雰囲気があるんだよね。彼女。
もちろん全てぼくの妄想に過ぎないんだけど。
ぼくはこの二つのタスクをもって飲みに臨む予定だった。
そこに意外にも彼から「一人友達を連れて行っていいか?」と連絡が来たわけです。
友達!
いたのか、由理くん。友達……。
勝手に「友達いない仲間」だと思っていたので、ここ最近では特級のショックだったね。思わず返信をフリックする指が震えた。
即座に「いいよ」と返したけど。
大人なので。
で、いつも飲んでるイタリア料理屋——今回はファミレスじゃないよ——で待ってたら、彼が一人の青年を連れてやってきた。
年の頃は由理くんと変わらない。20代後半くらいかな。身長はぼくと同じくらい。ちょっとふくよかな感じだけど、たぶん隣に立ってるのがバリバリのモデルだから、対比でそう見えるんだろう。
優しげな目をした若者だった。
会社にもよくいるタイプだね。
特に目立たない、本当に普通の青年。仕事の出来も普通。長所も短所もある。なんと形容すればいいのかな。堅実な感じ?
ラフな格好の由理くんと対比するように彼はスーツ姿だった。
「すみません、先輩。ちょっと遅れました」
店を入ってぼくの姿を見つけるなり由理くんは軽く謝罪。
「ああ、うん。私も着いて15分も経たない。それにしても、よく東京からここまで時間ちょうどに来られるな。車で」
「飛ばしたんで」
「捕まるなよ? ——ところで、お連れの方は紹介して貰えるかな」
ぼくと由理くんの気安い会話を傍目に若干緊張気味の青年。彼を会話に取り込まねばならない。
「もちろん。……大学の同級生で堀田くんです。つまり先輩の後輩でもある」
この素っ気なさがね。由理くんからすればぼくとは長い付き合い。彼、堀田くんという方とも同級生とくればそんなものだろう。だけど、ぼくと堀田くんは初対面なのでもう少し丁寧にやらなければならない。
ぼくは立ち上がり軽く自己紹介をして、彼を対面のソファに座るよう促した。
「それにしてもきみが友達を連れてくるなんて珍しい。仕事関係以外だと初めてじゃないか?」
堀田くんには初対面特有のにこやかさで対しつつ、ぼくは由理くんにそう声を掛ける。
席に座るなりいつものワイン(高いやつ)を店主に注文すると、彼は気負った風も無く答えた。隣に座る”友人”にチラと目を向けながら。
「そうかもしれません。確かに。——ただ堀田くんは仕事関係でもあるんで、結局いつも通りですよ」
「そうなのか。……じゃあ、堀田さんは芸能関係のお仕事をなさってるんですね」
堀田くんに会話を振る。
由理くんは稀に仕事仲間を連れてくることがある。共演した俳優だったり製作関係の人だったり。特に何か思惑があるわけではなく。それはそうだ。地方の造園業者と芸能関係者を引き合わせたところで何も起こらないよ。
で、今回の彼。
いきなり居住まいを正し、使い込んでパンパンのナイロン鞄の中から名刺入れを取り出し……。
「改めまして。堀田基と申します。よろしくお願いいたします。先輩!」
これまでぼくを先輩と呼ぶ人間は二人だった。
1人は目の前の由理くん。もう1人は知子さん。
ここに3人目が加わった。やっぱり規模が大きい大学は同窓生も多いね。
ん? 3人もいたら同窓会組織できるな! M会。 叔父さんも入れて4人で例の歌を歌うか。
絶対に嫌だな……。
そんな馬鹿なことを考えながら受け取った名刺を見て、ぼくは無言になる。
前に言ったことがあるね。
ぼくには高性能の危険察知センサーが備わっているって。
鳴ってるよ! いい感じで。
ただね、鳴るのが直前過ぎて対策の取りようがないのが玉に瑕。
地震アラートかな?
「株式会社ガリアール・パブリッシング 出版事業部 ノベル編集部 堀田基」
なんだこれ……。
◆
「ああ、堀田さんは出版社にお勤めで。……ガリアールとは凄い」
ガリアール・パブリッシングは元々日本のちょっと古めかしい名前の出版社だったんだけど、フランスの企業と資本提携だか合併だかして横文字の社名に変わったところ。ファッション誌とかが強いイメージだけど最近は新書や小説の界隈にも進出している。
で、問題はここからだよ。
老舗の出版社、というか雑誌社が新規開拓として踏み入った小説ジャンル。会社としての信用はあっても小説業界での知名度は無に等しい。レーベルを立ち上げたからといってなかなかね。そこで当時始まって間もないムーブメントであるウェブ小説の書籍化に手を付けた。
「ノベルライター」で人気だったある作品にオファーを出して、出版することにしたんだ。由理くんが例の話の作者だって知ったのは最近のことだから、ぼくもこの辺りの事情は詳しく知らない。特に聞いてもいなかったし。
何はともあれ『この人を見よ』という作品はガリアールから出版された。
そして異例の大ヒットを飛ばした。凄いね。
玉さえあれば資本力とそれまでのコネが生きてくる。
元々雑誌出版の世界では超有名な会社。日本の老舗もファッション誌を出していたし、ガリアールの方なんかはもうね、誰もが知ってる世界的なファッション雑誌を発行してる会社なので。
小説、漫画、アニメ。そして実写化。それはスムーズに進むよね。版元にフランス資本入ってるということは、海外展開も強いはずだ。
「いえいえ、とんでもありません。我々はまだまだ新参ですので。最近は小説の世界でも名前が売れてきましたが、それもこれもユリス先生、由理くんのお陰です」
ガンガンくる感じではないね。少しゆったりと、落ち着いて喋る。なんというか上品さがあるな。
「なるほど。御社はファッション系では押しも押されもせぬ大御所。ならば、まさに由理くんは最高の人材ですね。モデルとしてもよし、小説の原作者としてもよし。素晴らしいご縁だ」
本当にその通り。いい塩梅になっていると思うよ。
漫画とアニメは他者と手を組む必要があるだろうけど、逆に実写は自分たちのコネでやれる。やろうと思えば全員フランス人キャストで揃えられるくらいに。
ちなみになんでこんなに詳しいかというと、実はこの会社、ぼくの個人的な趣味に関わるから。つまり、時計の雑誌も発行している。元々はアメリカ発祥のウェブメディアなんだけど、紙の本も出すようになって、それを出しているのがこのガリアールというわけだ。実はそこの編集長さんとは何度かお会いしたことあるよ。色々なイベントで。
この雑誌はオタクっぽさが強い他の時計雑誌に比べて、ファッションとの融合、あるいはライフスタイルの中での時計をコンセプトの一つに掲げている。写真が綺麗でね。表紙のカッコよさなんて部屋のインテリア小物として飾れるほどに洗練されてる。さすがファッション誌メインの会社だけある。
「堀田くんは『この人を見よ』の担当をしてくれてるんですよ」
「そうなの? それは凄い」
まぁノベル事業部って名刺にあったし、そんなところだろうと踏んではいたよ。
「お若くして主力商品を任されるとは、敏腕でいらっしゃいますね! ——ただ、彼のお守りは大変でしょう?」
ぼくは冗談交じりに、だけど4割くらい本心から堀田くんに告げた。だって由理くんはその、ね。ちょっとフリーダムなので。
ただ、だからこそ大学の同級生で、恐らく仲のいい友人が担当であることが重要な意味を持つのかもしれない。
「恐縮です。まぁ由理は個人としてはちょっと思うところもありますが、ユリス先生としてはしっかり仕事をしていただいておりますので」
彼は言って由理くんを横目で見る。二人だけだったらもっと砕けてるんだろうけど、今日はぼくがいるからよそ行きにならざるを得ない感じかな。
「ああ、ああ、前者は同感です。由理くんはアレなところがある。確かにある。……後者は、ユリス先生としても、最近SNSで少し良くない言動が目立ちますから。あれを端から拝見する度に、担当さんのご苦労を陰ながらお察ししていましたよ」
まぁこれくらい言ってもいいだろう。ぼくは同業者でも何でもないので、作家ユリス先生をあがめ奉る必要はない。長い付き合いの後輩扱いしても許されるポジションだ。
「いやぁ……まぁ」
「ああ、お答えしづらい振りをしてしまいましたね。後で二人きりの時に叱ってやってください。著名な商業作家が一アマチュアの作品を名指しで触れるのはよろしくないって」
乾杯の代わりに軽くワイングラスを掲げ、笑いながら言った。
堀田くんも人の良さそうな笑みを浮かべてぼくの仕草に倣う。
「その件ですが」
一口。
ワインを舌に載せただけで、彼はすぐにグラスを置いた。そして居住まいを正す。
あー。
もうこの感じがね。センサーがね……。
「先輩の作品『地に落ちて死なば』を弊社から是非、出版させていただけないでしょうか!」
丸みを帯びた顔立ちにこれまた丸い、温和そうな瞳。でも初っぱなから言いたいことをドンと出してきた。ちょっと意外な斬り込み方だな。
ぼくは確認するように由理くんに視線を流す。
彼ね、本当に舐めてる、こういうところ。あの作品は明らかに匿名で出してるんだから第三者に伝えるとか良くない。本当に良くない。
なんだけど、全く悪びれてないのがまた彼らしい。高みの見物とワイン飲んでる。生ハム摘まみながら。こいつ……。
「ああ、ああ……なるほど。話は由理くんから?」
「はい。ユリス先生からお話を伺って、すぐに読ませていただきました」
「読んでいただいてありがとうございます。ただ、プロの編集の方ですからお分かりかと存じますが、あれは残念ながら売れるようなものではありません。私も手慰みで書いただけです。ですから、本当に光栄なことで後ろ髪を引かれつつも、ここはご遠慮いたします。……あ、あとで由理くんにはしっかり言っておきますからね。安心してください」
誤解のないようにはっきりと。言いたくないことこそはっきり言うべきだから。
要するに由理くんが先走ったんだろう。
担当編集者の堀田くんとしては、レーベルの看板作家の推薦を無下にはできない。へそを曲げられると困るからね。だから形だけでも一応打診をした。そういう感じかな。よって、ここでぼくがはっきりと断ったことによって彼の立場は守られた。堀田くんはちゃんと仕事をしたけど、作者に断られたんだから。これは仕方ないことだ。
後やるべきことは、ぼくが由理くんに釘を指すだけ。
これでおしまい。そう思っていた。
「いえ! 由理、あ、ユリス先生のご意見はもちろんありますが、それだけではないんです」
「他に何が? 確かにユリス先生のご講評のお陰で多少話題にはなりましたが、ただそれだけです。一過性のものですよ」
堀田くんはそれでも怯まなかった。
「うちは時計の雑誌を発行しているの、ご存じですよね?」
まぁ、ぼくが時計好きなことは由理くんから聞いているだろうから、そう推測するよね。分かる。というか彼、どこまで話してるのかな。この手札が見えない感じがまた……。
「ええ。毎号読んでますよ。編集長さんとお会いしたことも何度か」
「次号にエストブールの特集が出ます。……エストブール日本社長のロングインタビューと実機解説が」
まぁそれは出るでしょう。別に不思議はない。ローンチパーティに編集長いたし。
「はぁ、そうですか。……あれはとてもいいブランドですよ。私も興味津々だ。次号もちゃんと買わせていただきますからご安心くださいね」
冗談を飛ばして運ばれてきたサラダを取り分けようとしたら、即座に堀田くんに先手を打たれトングを奪われた。安心のまっとうな社会人仕草。
こういうの由理くんは全然やらないからね。我々二人の時は各自勝手に食べたいだけ取って食べるので必要がないとはいえ。多分彼はどこでもやらない。容易に想像が付く。
「インタビューを受けて頂いた日本法人代表はアナリース・エストブールさんという方です。先輩はご存じですか?」
この”先輩”呼びもあれだね。
大分意識してやってるよね。
カチッとビジネス話しつつ、一方で由理くんを通じて大学の先輩後輩というプライベートな関係性もチラつかせている。そういうのが通じる相手かどうか事前にリサーチしたんだろう。
ん? とすると、意外にも結構前のめりじゃないか。堀田くん。
「もちろん。エストブールの情報は追っていますから」
「では、ひょっとしてご面識が?」
「ああ、ローンチパーティでちょっとだけご挨拶をしましたけど、面識というほどではありません」
「なるほど。じゃあ関係ないのかもしれませんね。偶然の一致か……」
一人納得したように頷く堀田くんの姿。「先輩」呼びのカラクリを考慮に入れると、この朴訥な姿もあるいは演技かもしれない。
「何かありましたか?」
「はい。そのインタビューの中で、アナリースさんがかなり長く『地に落ちて死なば』について話されていまして……」
は?
何それ。
「ん? ああ、その…何を?」
「今自分の時計製作のインスピレーションになっている小説で、『エストブール』ブランドのイメージを体現したキャラクターが登場する、と」
「……」
「正直インタビューの3分の1近くがその話になってしまって。その後時計雑誌の編集部から即うちの部署に問い合わせがありました」
「……それはまた、なんというか、光栄なことです。しかし今はいい時代ですね。気軽に書いた趣味の小説が色々な人に読んでもらえるなんてインターネット様々だ! これはなんとしてでもエストブールの時計を買わないといけないな! いつかその、アナリースさんとお話になることがあれば、私が喜んでいたとお伝えください」
ぼくは話を締めにかかる。必死で。
アナリースさんさぁ……。ほんとにさぁ……。
余計な茶々を入れてこないあたり、ぼくと彼女の関係については由理くんは話してないな。全く、話すなら『地に落ちて死なば』じゃなくてこっちの方だろうに。デリカシーの発揮対象が逆なんだよなぁ。
「それともう一つ、先輩、うちの本国で出してる女性ファッション誌、ご存じですか?」
取り分けられたサラダをもしゃもしゃ食べてるんだけど、あまり味しないな。
「一応は。モードとか特集するやつですよね。ハイファッションの」
「はい。あちらのインタビューにもアナリースさん登場されていまして……」
あの雑誌は「意識高い系」で有名だもんね。環境問題とか社会で活躍する女性みたいなのがテーマの1つ。アナリースさんはフランス人で、いわゆる上流階級で、大きい仕事をしていて、モデル並の容姿だ。出ても全然おかしくない。
「そこでも『地に落ちて死なば』に触れられたようです。本国編集部から問い合わせがありました……」
「……」
◆
堀田くんと別れ、定番になった家飲みの末、うちのソファー——もはや彼の寝落ち定位置になってる——で寝入る由理くんを見ながら、ぼくは先ほどの会話を思い返した。
あの後、色々と条件の話をされたよ。
お金とかその辺りは別にどうでもよかった。川を渡るのには500円もあれば足りるだろうから。それ以上は必要ない。
ぼくが聞きたかったのは堀田くん自身の評価だ。
現状ぼくの深海魚めいたお話は由理くんとアナリースさんという二人の有名人によって釣り上げられて、その珍奇さゆえに魚拓を取られそうになってる。
ビジネスとしては何の問題もない。
広告ってつまりそういうものだからね。影響力のあるメディア、影響力のある人に取り上げてもらうにはすごくお金がかかるし、お金を積んでも無理なことも多い。その代わり、一度上手くいくと爆発的に認知度が高まる。
だから、全くの善意でぼくのお話を宣伝してくれる2人には感謝の気持ちしかない。これがビジネスならね。
問題は、これがビジネスではない、ということだ。
ぼくのお話はぼくの子どもだ。
子どもがいないぼくの子どもだ。第1子は夭逝してしまった。だから2人目の子どもだよ。つまり、ビジネスじゃない。
『この人を見よ』という大ヒット作を手がけ、ある程度経験を積んでいるであろうプロの編集者の意見を聞きたかった。内容とクオリティ的に売れるか売れないかの判断を。
感想は別にいい。書籍の編集を生業にしている人の感想もそうでない人の感想もぼくにとっては同じもの。どちらも最上の宝物だけど、両者に優劣はない。
優劣があるとすれば「大人数に受けるかどうか」の経験則、つまり売れる売れないの判断の部分なんだ。
彼にとってはそれこそがまさにビジネスだ。
ぼくにとってはお金はどうでもいい。ただ、売れることによって、ぼくの子どもが多くの人に好いて貰える、あるいは多くの人の心の中に留まり続ける可能性は増す。それは多ければ多いほどいい。
本音を言えばね。いくら深海魚だって可能なら満天下に脚光を浴びたいじゃないか。
でも、それはあくまでも「中身を伴って」の話だ。
大した話でもないのに、知人の友誼に縋り、便宜を図ってもらった末の張りぼてではありたくない。それは脚光を浴びてるんじゃない。晒されてるだけだ。
だから、プロである堀田くんの意見を知りたかった。
彼は言った。
「絶対売れると思いますよ! 話も面白いし、何よりユリス先生も強く推してくださってますから」
ああ、当然そういうよね。
勧誘してるのに「売れないかもしれません」とはなかなか言えない。
だから「売れる」って言う。
ここまでは分かる。
「売れる」と主張するからには根拠がいる。彼は長々話してくれたけどね。業界の動向とか諸々。でも最初に出てきたのは「ユリス先生が推してくれてる」の一言だった。
なるほど。
◆
ぼくには敵がいない。
望み無きところに敵も無いからだ。
でも最近ちょっとした、些細な望みが出来た。認めたくないことながら、心の奥底に夢を見てしまった。ぼくの子どもが受け入れられることを。ぼくの子どもがそれ自体の価値を以て多くの人に評価されることを。張りぼてではなく。
もちろんこういう言葉があるのは知っているよ。
「どんな手段であれ、まずは知られなければ意味がない。中身の話はそれからだ」って。
それはそうだ。理解は出来る。でもね、はっきり言おう。ぼくはその考え方に賛同できない。
To the happy few(少数の幸運な人々のために)。
ぼくの大好きな小説の最後を飾るこの言葉。これはもはや烙印だ。中学生の時、初めて読んで以来ぼくの精神にはっきりと焼き付けられてしまった。
ぼくの存在は今生受け入れられない。おそらくぼくの子どももまた。でもいつか、遠い未来、happy few が見つけてくれるかもしれない。ぼくのお話を。
それは慰めだよ。
諦めでもあるけど、この夢想は紛れもなくぼくを励ましてくれる。
アントワン3世は凡庸な毎日を過ごしながら、心の中で [To the happy few] と唱えるんだ。仮にその未来が来たとしてもそれが徹頭徹尾無意味なものであると知りながら。
人には慰めが必要だ。
彼は運命論には縋らなかったけど、この言葉には縋っただろう。
ああ、つまり、ぼくには敵が生まれつつある。
ぼくの望みを妨げようとする人たち。ぼくの話を不純なものに転化しようとする人たち。ぼくの子どもに作品の外から色々な箔付けをしようとする人たち。
ああ、人というと良くないね。
だって彼らはぼくを苛めようとしてそんなことをやっているわけじゃない。皆、善意の人々だ。
だからこの状況そのものというべきだろうか。
嘘だ!
そうじゃない。違う。
本当の敵はぼく自身だ。
深海魚でありたいと願いながら、一方で太陽の下を闊歩したいと望む。ひねくれた欲望を隠す隠者。
「中身を望んでほしい」と願いながら「大向こうを唸らせたい」と密かに企む卑怯者。
紛れもなくぼく自身だよ。分かってる。
いずれにせよ、ぼくは向き合わなければならない。
どう対するべきか。
敵と。




