敵 1
最近ちょっと思うことがある。
いい感じにお酒も回ってきたし、中年の恥ずかしい自意識過剰も許してほしい。誰に言うわけでもないんだから。
つまり、ぼくは今、いわゆる「モテ期」というのを迎えているのではないかという妄想だ。
それほど経験が多い方ではないけど、ぼくだっていい年だ。恋愛の1つや2つ経験している。大体はふわっと仲良くなって、お互いに「いいね」ってなって、なんとなく付き合った。そして振られて終わる。
関係がそこまで長続きしない理由は分かってる。
ぼくは基本的に相手を求めていない。心も体も。
ああ、もちろん表層の部分では欲してるんだけど、精神の一番深いところで相手を必要としていないんだ。だから初期はいい感じになる。いわゆる「紳士的」というやつだろうか。でも、互いに相手を知り合う段階を過ぎて踏み込むステージに至るとね。うまくいかない。
だって踏み込んでほしくないんだから。
そうやって何人かの女の人を傷つけてきた。そして、そういうことを考えるのを止めた。
人は存在するだけで他者を傷つける生き物だ。たとえば学生時代。テストでいい点数をとったとする。自身の努力によって成し遂げた快挙であり、他人に何か悪行を働いたわけではない。面倒くさい人間関係の絡み合ったこの世界には珍しい、純然たる自己完結の成果。
それでも多分傷つく人はいる。高得点をたたき出した彼、あるいは彼女よりも成績上位でありたかった誰かはきっと悲しい思いをする。そういうのが明瞭に現れるのが大学受験とかなんだろうね。
つまり、極限まで独立した個人として在ってさえ、人は他者を傷つける。それがより深く関係を結ぶ相手に、となればなおさらだ。
ああ、もちろんぼくの存在、またはぼくとの関係が相手を喜ばせたこともあるはずだ。だけど、悲しませ傷つける量と楽しませ喜ばせる量を比べたとき、明らかに前者のほうが多い。
普通ならここで考える。後者——喜ばせる量——を増やそう、って。そうすれば収支は平衡する。場合によっては後者が勝る。ぼくだってそう考えていろいろやってみた。
でもね、どうもぼくがやることは空回りが多い。もう少し正確に言えば、気味悪いと思われてしまう。じっと相手を観察して、相手が喜ぶであろうことを計算して、それを為そうとする様が、なんといえばいいんだろう、実験動物に対する科学者の関わり方のように感じられるらしい。
前に叔父さんのことを「サイコパスっぽい」って表現したことがあったかもしれない。正直に言おう。ぼくも多分世間一般にそう分類されるタイプの生き物だ。
ぼくとしては当然のことをしているだけ。相手を動物だとも物だとも考えていない。全く。むしろ逆だ。人であれ動物であれ物であれ、とにかく相手に心地よくなってほしい。悲しんでほしくない。
思えば母はぼくのこういう性質を幼時から既に見抜いていたようだ。
ぼくはほうれん草があまり好きではなかったんだけど、食べ残すたびに言うんだ。
「ほうれん草さんがかわいそうだなぁ。1人だけ仲間はずれにされて。食べてもらえなくて」
この言葉はね、何百回となく言われたにも関わらず、そのたびに新鮮にぼくの心を抉った。ぼくは「ほうれん草さん」を悲しませたことが申し訳なくて情けなくて、いつも泣きそうになったよ。そして食べた。あの生臭い葉っぱを。ぼくの舌が覚える苦しみなんて、彼あるいは彼女の悲嘆に比べれば何ほどのものでもないからね。
ぼくは相手を喜ばせようと望んだ。
でもその行為自体が相手を気味悪がらせることに気づいたとき、それをやめた。
そんな、まことに卑小な人間が、謎のモテ期を迎えようとしている。
◆
なんだかラブコメみたいじゃないか。
秘書にバリキャリOL、お嬢様に外国人。
ちょっと笑いがこみ上げてしまう。ぼくの生活を漫画にしたらさぞ上質のラブコメができあがると思うよ。主人公の年齢が高めだから少年誌の連載は厳しいだろうけど、青年誌なら結構受けるね。
何の取り柄もない中年のおじさんが、それぞれとびきり個性的で心優しい美女たちに愛されるなんて。
あ、ちなみに親友枠の青年もいるよ。
すごいね。
ぼくのこの心境は、今書いているお話の筋に大きな影響を与えている。
ぼくの現し身であるアントワン3世もまた、ヒロインたちに好かれるようになりやがった。こいつ……。
でもね、残念なことに彼は”ぼく”なので、ぼくと同じ懊悩に心をさいなまれることになる。残念でした!
つまり、彼はヒロインたちに好かれる理由が全く分からないんだ。でも、好かれているという事実だけは認識できる。そして推測する。
彼の推測は単純で、かつ真っ当なものだ。
アントワン3世はリュテス王国の王である。よって好かれている。そう認識する。
これはぼくには到底できない考え方だ。だってぼくは王じゃないからね。
でも彼は王なので、その推理が成り立つ。
彼は好意を逃さないようになんとか頑張る。
どう頑張るのか?
王という地位がヒロインたちを引きつけるのであれば、それを保持するしかない。中身がなくてもいい。でも一方で、そんな空っぽの自分を「掴まされる」彼女たちへの申し訳なさがすごい。さらには、有害な自分——私欲混じりの——が居座ることで国家に悪影響と損害を与えることに対する恐れもある。
どうしたものか。
彼は悩む。
あ、アントワン3世はいつも悩んでるんで、今回も通常営業です。
さぁ! そこにね、新キャラが登場する。
『地に落ちて死なば』の舞台は近世フランスだって言ったよね。
近世フランスと言えば革命!
つまり、その担い手が必要だね。革命の主役となると王にとっては敵、ライバルの関係に当たる。
その男、ユニウスは本来貴族と平民の間に生まれた私生児なんだけど、事情があって父方に引き取られ貴族として育てられた。だけど、長じて自身の生まれの秘密を知り、平民である母の悲惨な死を看取った彼は、現体制に対する憎悪を胸に秘めるようになるんだ。
彼は表向き貴族家の3男坊として生きながら、自身を平民であると認識している。そして、このような不平等の蔓延する世界を変革することこそが自身の生きる意味であると考えるようになる。
彼は大学生でね。ある日、師である教授のお供で行った貴族の夜会で王アントワン3世と出会う。彼らは別室で2人きり、熾烈な舌戦を展開する。読者の人にはちょっと退屈な「議論もどき」が続く場面だけど、まぁさらっと読み飛ばしてほしい。
アントワン3世の中身は”ぼく”——21世紀の日本に生きた存在——なので、ユニウス青年の主張する内容に心内では賛同せざるを得ない。それどころか「話の通じる相手」であるとすら思う。一方のユニウスもまた、意外にも開明的な、場合によっては自身の思想を超えるラジカルな考えを仄めかす王に対して、憎しみの中に微かな「興味」を覚えるようになるんだ。でも彼らは文字通り不倶戴天の敵同士。
容姿? もちろん超イケメンだよ。
アントワン3世もまぁ、こういうフィクションのお約束としてそこそこの顔立ちをしている(決してイケメンではないけれど!)。ちょっといい感じでしょ。
悩める王と意気軒昂の美青年。
これは熱い。
2人は折に触れて舌戦を交わしながら、徐々に相互理解を深めていく。
王は自身が持ち得ない強靱な意思と活力をユニウスに感じる。ユニウスは王に静かな知性と重圧を引き受ける覚悟を見る。あ、王の中身はアレなので、実際は彼の買いかぶりなんだけどね。
ぼくが登場させるユニウスは、『この人を見よ』のもう一人の主役ともいえるジュール・レスパンに近い位置づけかもしれない。
ただ、ジュール・レスパンはごく初期から王とともに政治に携わるものの純然たる平民だ。そもそも出会いからして泥臭く、ド派手だしね。お忍びで旧市街の酒場に視察にやってきた王に若き学生ジュールが難癖を付け、最終的に殴り合いになるという。カッコいいシーンだよ。なんというかオペラ的。
内容的にも、王グロワス13世が宮廷で戦う一方で、ジュールは民衆の中で戦う。ともに「民が王となる世界」を生み出すという共通の目標を持った戦友だ。
一方で、ぼくのユニウスはあくまで王の敵でありつづける。隙あらば王を吊るしてやりたいと考えている。ただし王「自身」については敬意を持ち続ける。王もまた、こいつに吊るされるのかなぁと思いつつ、いやだなぁと思いつつ、そうあるべきなのかもしれないと思っている。
このユニウス青年、モデルがいるかと言われれば難しい。基本的な骨格(ルックスや性格)は由理くんだけど、ロベスピエールとかサン・ジュストとかそういう歴史上の人物をいろいろ混ぜたキャラだ。
不幸な生い立ちをねつ造してしまったのは大目に見てほしい。行動には動機が必要なのでね。
物語全体における彼の存在意義は最終的に王に引導を渡す役割を担うところにあるんだ。
本当はもっとじっとりとね、ヒロインたちとも静かに別れ、孤独に王を演じ続けるアントワン3世の悲しい姿がラストのはずだった。
なのにヒロインたちがさ、全然仕事しない!
みんなして妙に張り切ってる。
本来ライバルであるはずの4人のご令嬢方が、このしょうもないアントワン3世を支えるために謎の結束を深めてるんだ。状況が王に有利になるように各自実家に働きかけるのみならず、私生活においてもそれぞれにアプローチしてくる。
まぁ、王はアプローチを受けるたびに、表面上クールに受け止めつつ内心激しく煩悶するんだけどね。
ただ一つだけ分かるのは、彼女たち、静かに去ってくれそうな気配が微塵もない。
よって話のけりを付けるためにユニウスのような敵が必要になった。
最後はどうしようか。
ここは派手にギロチンだろうか。
行くか、ギロチン!
まぁ、ブルータス方式にしろルイ16世方式にしろ、いずれにしてももう少し先の話だ。
まずはお披露目しよう。
「敵」をね。
◆
ぼくが時計好きであることはもう周知の事実だと思う。
時計好きっていっても何するのか謎だよね。楽しみ方が。
まずは買う喜び。
これは脳内のアドレナリンがすごい。
カードを切って暗証番号を押して「承認されました」の文字が決済端末に表示された瞬間。憧れの存在がぼくの所有物になる!
さっきまで店頭に並んでいた、あるいはバックヤードに鎮座していた存在は今やぼくのものだ。早速革ベルトを折り曲げる。新品は真っ直ぐで堅いから腕に沿わないから手でぐいぐいカーブをつける。金属ベルトが付いてる場合はコマ調整だね。
追加で注がれるシャンパンを飲んで、担当の店員さんと雑談をしながら、自分の腕に巻かれた新しい時計を眺める。何度も何度も。
至福の時だよ。
もはや麻薬的快感。
次に、使う喜び。
これはまぁご想像通り、腕に付けて普通に使用する。暇なときに眺めて楽しむ。時折外しては、シースルーの裏蓋を通して見える機械を眺める。
手巻きクロノグラフ——ストップウォッチね——とか最高だよ。スチームパンクというのかな、純然たる物理的な動きが生み出すかっこよさが詰まっている。複雑な機械だと大人のピタゴラスイッチ感もある。ボタンを押すとこのレバーが動いて、その動力がここにつながって、と考えるのが楽しい。
さて、他にもいろいろあるけど、もう一つだけ書いておこう。
それは撮る喜び。
時計って写真を撮るのが結構難しいものらしい。風防ガラスの反射しかり、極限まで磨き上げられたケースしかり、うまく写らない部分が多い。加えて文字盤も裏の機械も虫眼鏡を見ないと分からないような精密な装飾が施されているから、それを写し取るのも大変。
単体でも面倒だけど、装着時——リストショットというやつだ——もこれまた難しい。何も考えずに撮ると腕に対して時計が実物よりも大きく写ってしまう。だからできる限りリアルに近い比率で撮る工夫がいる。
ぼくは写真にはほとんど興味がないので詳しくないけど、カメラと時計を同時に趣味にしている人は結構多くてね、ド素人のぼくも折に触れて教えてもらった。お手軽にかっこよく撮れる方法をね。
で、写真を撮ったらどうするかというと、アップする!
今は21世紀。写真を手軽にネットで公開できるSNSがあるよね。名前は出さないけど。あれ。
かっこよく撮れた写真を上げるのは楽しい。さらに他の人が上げた物を見るのもすごく楽しい。純粋に「カッコいい」と憧れるし、いろいろな情報を読み取ることもできる。被写体が自分も持っている時計の場合、革ベルトを交換するときは何色が合うかとか参考になる。自分が持ってなくて欲しい時計の場合は宣材写真にはないリアルな佇まいとサイズ感を知ることができる。
だから時計好きのアカウントには時々、親切にも自分の手首周りの太さをプロフィールに明記しているものもある。
あ、ちなみにぼくは16cmから16.5cmの間を季節によって行き来してる。身長体重なんかうろ覚えのくせに、手首のサイズだけはコンマ幾つまで把握してるからね。
ここまで長々語ってきたのには訳がある。
ぼくはいつものように安ワインをごくごく飲み下しながらスマホをいじってた。まさにその写真投稿SNSを眺めるために。
今は夏だから新製品発表とかはない。時計は大体1月から5月にかけてが新作お披露目時期なので。
では今何があるかというと、まさに今年のお披露目時期に発表された新作が実際に「納品」され始めるタイミングなんだ。
ほとんどがCGで作られた宣材とは違う、人の腕に巻かれたリアルな姿。これを見たいんだ。
で、ぼくはぼうっと画面をスクロールしてた。
もう新しいものを買うつもりはないけど、やっぱり長年連れ添った趣味だ。半ば癖だよね。ああ、未練といってもいい。
『地に落ちて死なば』の最新話を昼前にアップして、夜のこの時間は新しい話を書き始めるタイミングなんだけど、始める前にちょっとね。
ぼんやりする時間をね。
だけど、ぼくの至福の時間はまたしても特大の爆弾でかき消されたわけです。
スクロールしてたらさ、見慣れた顔が流れてくる。
由理くんの投稿だね。
彼はモデルでもあるので自撮りを流すのは半ばお仕事のようなもの。
大体はどこかブランド物の服とかを着た半広告なんだ。ここだけの話、お付き合いでフォローしているものの投稿はスルーしてる。
申し訳ない。ぼくが見たいのは美青年ではなく時計なんだ。あと最近は羊と犬と猫とペンギン。最新のマイブームはアルパカ。
タイムラインは「時計、時計、猫、犬、時計、時計、羊、ペンギン」みたいな感じだよ。そういえば、SNSのアルゴリズムが気を利かせたのか「動物好きのあなたはこんなのも好きでしょ?」ってアザラシの動画とか出してきたときは困ったな。氷山に取り残されたアザラシを狩るシャチのやつ。なんとかジオグラフィックとかBBCとかが撮ったワイルドアニマルのやつ。超怖いので即「この投稿に興味ありません」ボタンを押したね。
で、由理くんの投稿、リアルクローズ姿が多い彼には珍しく時代がかったフロックコートを着て、胸元を白い大ぶりなチーフで飾ったもの。長い金髪をなびかせて、ちょっと斜め上方を見上げる感じのポーズ。彫りの深い西欧的な顔立ちが装いとマッチして超カッコいい。
なんかのドラマの宣伝画像かと思ったんだけど、特にコメントは付いてない。
ただ、タグだけが並んでいた。
#最近大はまり #地に落ちて死なば #ユニウス #コスプレ #読書
ん?
なにこれ。
酔いが吹っ飛んだ。
『この人を見よ』の作者ユリスさんがぼくの作品に毎回コメント(という名の長文批評)をポストしまくるのにはもう慣れた。
でも、中身は同じとはいえモデル由理・レスパンのアカウントで彼がぼくの話に触れたことはない。
でもこれ、由理・レスパンのアカウントだよね?
フォロワー200万超えてるんだけど……。
で、一日で画像が消える例のシステム(ストーリーなんとか)も見てみた。そこには全身画像でね。「おれが今一番演じたいキャラ!」とか台詞付いてるわけです。
なにこれ。
慌ててもう一つのSNSを立ち上げて『この人を見よ』の作者アカウントを見に行ったんだ。怖いけど一応ね。
驚異の50連投。
たぶん。
ツリーが長すぎて数えきれない。
これはあれですかね。
何かまずいことが起こってますかね。
びびり上がって「ノベルライター」を確認すると、幸い感想はいつもよりちょっと多い程度。
ただね、殺意の波動を感じるコメントが散見されますね。たとえばこんなの。
「このお話はフランスに近い世界が舞台ですけど、史実と違って大領出身のお妃様が有能なので革命は起こらないはず。であれば、このユニウスさんの末路も決まってしまいましたね。ああ、おかわいそう! おかわいそうなユニウスさん! 王に対する不敬は死をもって償われなければなりませんから!」
これ、もはや展開予想では?
あとは
「陛下を罵る不敬な口は、いっそ縫い付けてしまいましょうか」
とかね。ちょっと過激な方もいらっしゃるようです……。
怖いね。




