青、黒、灰褐色のコンポジション 2
不思議な関係性。
男と撮った写真を「お友達」のグループチャットに投下し終えて、知子はふと考える。
年齢も立場も違う4人の女達。
大学で出会ったアナリースは別として、青佳と茉莉については日常生活において接点がない。彼女がもし彼と知り合わなければ、二人とも生涯出会うことがなかったであろう。
しかし現実に、彼女達は互いの存在を認知し「お友達」になっている。
ガイユール大公女たるゾフィにとって、フロイスブル侯爵令嬢ブラウネやバロワ伯爵令嬢メアリと知己を得ることは半ば必然であった。
サンテネリ王国の頂点に位置する有力諸侯の娘たち、それも年齢が比較的近い3者が、公式の行事や各家の夜会で顔を合わせるのは当然のこと。交流を避けようとすれば意図的に行うしかないが、それは明白な政治行為である。
女達は背後に家を背負っていた。家とはつまり一つの政治勢力であり、彼女達の挙動は多かれ少なかれ勢力の意向を反映したものとなる。その気があろうがあるまいが、他者の目にはそう映る。そして、そう映るであろうことをいずれも怜悧な女達は十分に理解していた。
サンテネリ王国の貴族家出自の3名と異なり、帝国皇女たるアナリゼの存在はある種の偶然であった。王の正妃候補第1と目されていたのはゾフィである。王の不可思議な「変容」がなければ、恐らくはそれが順当な落とし所であったことだろう。
しかし王は変わった。
結果、不倶戴天の敵国である帝国は同盟国となり、その証として帝国は一人の少女をサンテネリ王に贈った。王の厚意に対する返礼として。あるいは王の移り気を戒める鎖として。
いずれにせよ、サンテネリ国王グロワス13世の元にあった4人の妃はいずれもほぼ同質の存在である。端的に言えば同じ階層に属した者達だ。彼女達は生まれた時からサンテネリ、あるいはエストビルグという国家のほぼ最上位に位置する存在であり、王の妃となってからは文字通りサンテネリ女の頂点にあった。
知子は自身が母にねだり、買い与えられた時計の値段も価値も理解している。大手企業に勤めるサラリーマンの年収に近い額のそれを母は娘にあっさりと買い与えた。「誕生日プレゼントの前借りね」と笑いながら。
だが、その快諾の裏には驚きもあっただろうと知子は推測する。
彼女は元来宝飾品への興味が薄い。より正確には「高級品」全般に対して関心を持たない。趣味とするファッションにおいても、金額やブランドなどは一切気にせずアイテム自体に意識を向けていた。廉価を強みとするファストファッションの店で小1時間悩み楽しむこともあれば、行きつけの高級店でも同じことをする。彼女にとってブランドは意味を持たない。自身の存在そのものがブランドなのだから。
それは一面において、あまりにも残酷な在り方である。ブランドであるとはつまり、その在り方が先天的に「定まっている」ことを意味するからだ。「何者でもない」一人の普通の女が、何者かになろうとする自由を彼女は決して得ることができない。
ゆえに知子とゾフィはよく和合し、溶け合った。
二人の存在の骨格には大きな差異がない。いわば似たもの同士である。
そして「お友達」もまた、似たもの同士である。
彼女が「みせびらかした」ものが何であるかを誤解しない程度には。
極言すれば時計など何でも良かったのだ。1000万のものであろうが1000円のものであろうが構わない。彼女が欲したのは彼とお揃いであるという状態であって、物自体ではない。
この心情が一般的なものではありえないことを知子は理解している。
しかるべき共通認識を持たぬ相手に写真を送ったならば、それはただの金持ち自慢としか映らないだろうと。
喜ばしいことに、彼女の「お友達」はそうではない。
当然のことだ。「お友達」は皆、王妃であったのだから。
皆、自身の存在そのものが否応なく価値を発する人生を経験している。
彼女達は価値を求める側の存在ではなかった。価値を創出する側、つまり価値の源泉であった。たとえば王妃ブラウネがどこかの平凡なハンカチを愛用すればそれがそのまま価値となる。そのハンカチは王妃御用達というブランドを得るのだ。
ゾフィもまた幾多の価値を同様に創出してきた。時には流行そのものを作ってきた。
グループチャットに返ってくる反応は、彼女達が「お友達」であることのささやかな証であった。
『是非お出かけ楽しんでくださいね! 私はお掃除しなくっちゃ』
どこかの部屋の写真が添付された祝福。
『兄さんはそこの美術館に行くといつも第三展示室あたりの廊下でバテるので、付き合ってあげてください』
親切なアドバイス。
『その時計はいいものですよ。遊びのときにちょうどいい、使い勝手がいいものです』
時計を褒める言葉。
このようにじゃれ合う関係を知子は愛した。若干の苛立ちも含みつつ。それすらも愛した。
◆
彼は穏やかな男だ。
自身よりも一回り大きい身長に、若干痩せた四肢。少しルーズフィットのベージュセットアップ。焦げ茶のローファー。
前髪を上げたバーバースタイル。綺麗にそり上げられた髭。
切れ長の瞳。しかし目元の隈は隠しようもない。
大きな手。長い指。
歳相応の皺がある。
美術館付設のレストランは田舎の風情を存分に漂わせている。
フレンチともイタリアンともいえぬ創作料理。東京の10年遅れで波及する類いの流行りだ。
二人は窓際の席に座り、簡易的ながらコースを頼んだ。
真正面に向かい合うのは、謝罪に赴いた銀座のレストラン以来。
知子は男をじっと観察する。
彼は34歳。自身とは一回り以上歳が離れている。さすがに親子とまではいかないものの、世代の違いは誤魔化しようもない。彼が子どもの頃に見たテレビ番組も、流行っていた漫画も、彼女は知らない。逆もまた然り。
知子は時折そうするように、この瞬間もまた彼との未来を空想した。
仮に今から付き合い始めたとして、4、5年を恋人関係で過ごすことになる。そして結婚。大学を卒業して、どこかの会社に勤めて数年。25か6か。たとえば26歳で、としよう。その時男は39歳、あるいは40歳。
子どもができる。たとえば27歳で。その子が20歳になるとき、自分は47歳。彼は60歳。
少々歳が離れた夫婦ではあるが、現代の日本においては非常に珍しいというほどでもない。
十分に許容できる。
知子の空想は、恋人関係となった二人の姿を鮮明に思い描くことができる。二人は今日のように美術館に行くだろう。コンサートにも。映画にも。
美味しい料理を食べ、その日に見た作品の感想を伝え合うだろう。
手を握り、口を合わせ、腕を回し、身体を重ねるだろう。
それは幸せな時間になるだろう。
この男との間に狂熱の如き恋心は起こらない。その確信がある。二人は静かに、上品に、美しい秩序の元に関係を深めるだろう。
そして結婚。
男は結婚相手としてそう悪い相手ではない。日本でも極めつけの名家の娘である知子に求められる「お相手」は、才覚に溢れている必要もなければ巨万の富を持つ必要もない。ただ、「よけいなことをしない」ことが求められる。
変に才気走り、婚家の名前を使って事業を大きくしようなどと野心を抱く者は危うい。彼女の夫は物わかりの良い置物——ただし上品な——でよい。
彼は地方に根付いたそこそこの規模の同族企業の代表者である。
会社はすでに3代続き、経営状態も堅調。地方自治体や国との仕事も数多く請け負っている。いわば地方の名士と言ってもよい地位にある。
性格的にも、傍から見る限り「何かを成し遂げよう」と望む気概は感じられない。少なくともそれを彼女に見せないだけの慎重さを備えている。
考えれば考えるほどおあつらえ向きの存在だった。
彼は物わかりの良い大人の男だ。
そこまで考えたところで、いつものように彼女の妄想は突如断絶する。
巨大な亀裂が行く手を阻む。
言葉にすることはできる。妊娠出産、子育て、老後。
だが、彼女が頭の中に「血の通った情景」を思い浮かべられるのは、ある一点においてまでである。常に。
それは男が43歳の年。つまり今から9年後。知子が30になる年。
かつて、彼女の夫が死んだ年だ。
人を愛するとはどういうことか、ゾフィがそれを真に知ったのは夫の死後である。
不在こそがそれを教えた。愛とは緩やかな、秩序だった、美しい心の交流ではありえない。それは狂乱の妄執であると。対象亡き後の。
彼女はその暴風の如き心を一切表に表さなかった。常に快活に振る舞い続けた。
40にも満たず未亡人となった女。広大なガイユール公領の共同統治者であり、まだまだ容色衰えぬ、場合によっては盛りともいえる女。夫の死への悲嘆を儀礼的なものに留める女。
彼女に言い寄る男は後を絶たなかった。
ゾフィは彼らを優雅にあしらった。
「グロワス様を超える方がいらっしゃるのならば、どなたでも、私は喜んでお友達になりたいと思います」
賢明な男達は脈がないことを悟り、愚かな男達は勢い込んだ。
「先王陛下がお相手とあっては身分の壁は越えられませぬが、個人の能力においてであればこの私とて資格を持ち得ましょうな。女公様」
社交界で浮名を流す若い伯爵などは彼女の前で公言さえした。
ゾフィは艶やかな笑顔で答えた。軽やかに。
「なんと素晴らしい気概でしょう。あなた様の前途が大いに開けることを陰ながら祈念いたしますね」
怒りなど欠片も湧かなかった。
子どもの言葉を真剣に取り合うのは、大人のすることではないのだから。
昼時のレストランは相応に混み合い喧噪に溢れている。若いカップル。老夫婦。一人客。家族連れ。人々の声は混じり合い、一つの塊となって知子の意識を現実に引き戻した。
「せんぱいはよく来るんですか? この美術館」
「それほどでもないよ。前に来たのはいつだろう。……もう結構経つな」
「茉莉さんと?」
「うん。よく知ってるね」
「さっき教えてもらいました! せんぱいはロスコ・ルームがお気に入りだって」
この美術館にはアメリカの画家ロスコの大作ばかりを集めた一室がある。
赤錆色の地に茶とも黒ともつかぬ太い線が浮かび上がる巨大な抽象画が壁面全てを埋める「場」は、未体験ながら知子もその存在を知るほどに有名な、この美術館の「売り」であった。
「ああ、うん。あそこはいいね。お薦めだ。ソファもあるから休憩できるし」
「楽しみです! 知ってはいましたけど、実際に見るのは初めてなんです」
「画集から受けるイメージとは大分違うから、結構驚くと思うよ」
第2次大戦終了後、1940年代後半からアメリカで勃興した芸術のムーブメントについて、知子は概略を大まかに理解している。現代美術概論の授業でもお馴染みの「抽象表現主義」。政治や経済と同様、美術界の最先端もまたヨーロッパからアメリカに移行したことを示す象徴的な動きであり、現代美術の源泉の一つともなっている。
「抽象画がお好きなんですか?」
「好きというか、考え方が面白いと思う。正直作品自体はよく分からないことが多い。私はどうしても絵を絵として見られないんだ。絵を見に来たのか解説を読みに来たのか分からないくらい。ああ、ただ、本当につまみ食いだから、ちゃんとした流れは全然分からない」
苦笑交じりに男は答えた。
「じゃあ今日は特別に、知子先生の美術史講義を開催します!」
「いいね。本当にありがたい。お嬢様を送迎した報酬としては最上のものだ」
男と女は穏やかに、スパークリングワインの泡のように笑った。
◆
土曜日の混雑に閉館決定の話題性が相まって、館内は地方の美術館には異例の混雑模様を示していた。東京の美術館で開催される人気画家の特別展であればそう珍しいことではないが、交通の便の悪いこの美術館においては恐らく開館以来初の喧噪だろう。
人の波に流されながら、二人は順路に沿って歩いて行く。
レンブラント、モネ、ピカソ、セザンヌ、シャガール、ウォーホール。美術の教科書に名前が載っているような大物の前は常に人だかりが絶えない。
華奢で背の低い知子を守るように男は自身の身体でスペースを作り、彼女を絵が見える位置まで導いていく。
彼のささやかな献身に、彼女は先ほどの宣言通り、各作家の美術史的意義と作品の見所を解説することで応えた。抑えてはいるものの、芯のある少し高めの声はよく通る。時折、居合わせた周囲の観客たちまでもがその解説に聴き入った。
知子は館内の混雑をしっかりと「活用」した。
対象の絵画を鑑賞しつつ、解説しつつ、もう一つ、為すべきことを為した。
彼女は始め男の手を握り、やがて腕を抱いた。
戸惑いを見せる彼に女は平然と告げた。
「はぐれちゃいますから!」
彼は抵抗しなかった。
男の腕が一瞬こわばり、やがて脱力する感触を、彼女は手で、そして胸元で受け止めた。それはある種のコミュニケーションであった。
彼は受け入れた。
「近寄って、遠ざかって、また近寄って、って繰り返すと面白いんですよ。今日は出来ませんけど」
全景から細部へ。細部から総体へ。絵を前にして前進と後退を重ねることで見えてくるものがある。図像は絵の具の筋へ。絵の具の盛り上がりは一つの画像へと姿を変える。
「なるほど。——近づくのは伝記的アプローチで、遠ざかるのは作品論みたいなものかな」
「はい。完璧に同じではないと思いますけど、細部には画家本人の手の動きが見えて、全体像ではその意図が分かります」
「それを一瞬で、同時に感じられるところが絵の魅力なのかもしれないね。文章だとどうしても時間がかかるから。——こういう絵の『見方』をもっと早く知れればよかったな」
「学校ではやりませんでしたか?」
「なかったなぁ。ずっとやんちゃなやつらが騒いでた記憶しかない。美術の時間なのに、先生も絵筆ならぬ竹刀持ち出さんばかりの勢いだったよ」
苦笑交じりに自身の生徒時代を話す男の姿は知子には極めて新鮮に映った。小学校から私立の一貫校に通った彼女には想像できない世界である。
「私のところは皆ちゃんとしてましたから。あんまり想像できません」
「ああ、知子さんは幼稚舎からだっけ。私は小中高全部公立だったから。高校はまだしも、小中は結構凄いことになってた」
「荒れてたんですか?」
「そこまでではないかな。時々タバコの吸い殻とか発見されて、その都度全校集会が開かれてた程度だよ」
知子の心にちょっとした悪戯心が芽生える。
「ひょっとしてせんぱいも?」
「ああ、そうかもしれない。ノーヘルでバイク乗り回してたかもしれないね。ほら、うちの県は多いから、そういうの」
「じゃあ、その頃私たちが知り合ったら少女漫画の世界ですね! うちはお嬢様学校でしたから。家族と喧嘩して家出した女の子が駅前で不良に絡まれて……。そこを先輩が颯爽と助けてくれるんです。そしていつしか付き合うようになって。先輩のバイクの後ろに乗せてもらって」
「そういう波瀾万丈もよかったかもしれない。『おれの女に手を出すな!』ってね」
瞬間、一つの光景が知子の脳裏を埋め尽くす。
彼女は実際に経験した。
夫グロワス13世は、彼女の故郷ガイユール公領と彼女自身を守るため、近衛兵を従えて民衆の前にその身を晒した。
まだ少女だったゾフィをその腕にかき抱き、識閾下に敵意を秘めた群衆を前に堂々たる演説を為した。
彼は叫んだ。
『私が今、両手でかき抱くこの貴婦人の姿が諸君には見えるか? ガイユール大公の長女にしてその美と聡明さを謳われた淑女、ゾフィ・エン・ガイユールの姿が! 彼らはこの唯一無二の宝を私に贈ってくれた。そして皆、見えるだろうか! 今この貴婦人は、私の妻だ!』
その言葉は耳朶に今も残る。正確には、魂の耳朶に。
そして今、男は彼女を、自身の身体を以て群衆から守護している。
馬上にもなく、剣も持たず。
しかし感じるものは同じ。抱かれる安心感。
知子は強く抱きしめた。男の腕を、胸の中に。
無意識に。
◆
順路の後半は現代美術の作品が展示されたブロックである。
入口から中盤に掛けて飾られていた誰もが知る画家の名作は姿を消し、いわゆる「よく分からない」絵や彫刻がずらりと並ぶ展示室は、その人気のなさを反映して人影もまばら。
芸術に飽きた人々はほとんど素通りで出口に向かう。
だが、知子と男にとってこのフロアこそがメインディッシュであった。
人の背を遙かに超える四辺を持った巨大な作品たちはそのいずれもが何物をも描いていない。そこには線と模様だけが存在する。意味は存在しない。
明るい照明と展示作品の鮮やかで人工的な色彩が相まって、どこか不気味な清潔さを室内に充満させていた。
「西洋絵画って面白いんです! 現実世界を精密に写し取って、そこに寓意を織り込むことで意味を付与する形式として進化してきたのに、その頂点に至るところで、今度は自分の存在意義を取り壊していこうとしたんですから。ここにある作品、たとえばあの一面真っ黒のやつ、フランク・ステラって作家のものですけど、あれなんかはストレートに、絵画から『意味』や『象徴性』を剥ぎ取ろうとする試みとして作られたものですよ」
彼女が指さし近づく先には縦も横も2mを優に超える大作があった。黒地に明るい灰色の線で描かれた長方形が、一面を同心円状に埋め尽くし広がっている。
「図像学的な象徴性を取り崩そうとした?」
「それもそうですし、さらに進んで、描かれた『対象』に意味を持たせることを拒否するところまで行きました。たとえばせんぱいを描いた絵は、どこまでそれを抽象的に描いてもそこには『せんぱい』という意味がありますね。でも、それすらも無くそうとしたんです」
彼は黙考する。その視線を目の前の黒い「物」に注ぎながら。
そしてやがて、口を開いた。
「ああ、それは辛いね。意味がなくなればそこには物自体しか残らない。それを人工的に作ろうとしたのかな。物自体を」
問いの形を取りながら、彼は誰にも、何も問うてはいなかった。
視線を外して静かに作品の前を離れる。
足取りはまるで無目的に、砂漠に放り出されて途方に暮れた遭難者のごとく重い。それは物質の重量ではない。ためらいの重さである。
知子は彼を追った。
男の中で何らかの情動が蠢いていることは明らかだった。普段決して見せぬ中身が、ぶ厚い殻のひび割れから微かに覗いている。彼女は視たかった。それがなんであるかを。
そして彼は辿り着いた。女を腕の先に張り付けたまま。
それはもはや絵画ではない。
先ほどの黒い「物」に比すれば随分と小柄な、しかし1mは越える横幅を持つ長方形のキャンバスに、何色かの絵の具が文字通り無秩序にぶちまけられている。
緑、黒、白、灰、そして黄褐色の。
「ポロックですね。せんぱいの好きなロスコと同じ抽象表現主義の画家です。これはキャンバスを地面に置いて、上から絵の具を振り掛けるようにして作るんです。だからこの無秩序な飛沫みたいなものは全部、ポロックの手の動きそのもの。アクション・ペインティングって言われていますね」
知子の解説に対して相づちはなかった。
男は立ちすくんでいる。文字通り、竦んでいる。
「ああ……なるほど。——対象が移ったのか。書かれる物から書く者に」
「はい。描かれた対象じゃなくて、描く行為自体が作品になります。だから描かれた物に意味はありません。その行為に意味があるんです」
「書く行為に?」
そのまま1分ほど彼は動かなかった。
知子はその横顔を間近に見上げる。
見開かれ血走った瞳と、きつく噛みしめられた奥歯さえも幻視できる口元を。
「そんなものに価値があるか。——ただ、生きていることに」
掠れ声で、吐き捨てるようになされた独語は明白な異変の証であった。
知子の右手は男の左手を握りしめている。
握りしめてなお止めることはできなかった。
震えを。
「……せんぱい?」
問いかけを合図に我に返った彼は、知子の手を振りほどいた。
明らかに荒々しく。強く。
にもかかわらず言葉は真逆の親しみを全面に押し出す。
極上の陽気——所詮男が為しうる程度のものに過ぎないが——を込めて。
「ああ、こういうよく分からない絵を見続けてると目が回るね!……展示も終わりだし、そろそろ出ようか。ここの美術館は庭も凄いんだ! 結構立派な散歩コースがある。今はいるか分からないけど、運がいいと池にかわいい白鳥も居るよ」




