日々の泡 1
意外なことに、ぼくの食生活は結構充実している。
我が家は駅前にあるのでコンビニも徒歩1分。素晴らしい立地だ。ゆえにぼくの肉体の細胞は全てそのコンビニによって形成されているといっても過言ではない。もはやぼくはコンビニ製人間だ。
買うものは大体決まってる。
唐揚げ棒っていう、唐揚げを3つか4つ串刺しにしたおつまみみたいなヤツ。それと和風竜田揚げ弁当、あるいはカルボナーラ。
ぼくはちょっとしたグルメなので、時々カレーを買ったり、おにぎり三種を大人買いして食べ比べとかもする。
最後にいつものアルパカ。
一ヶ月ずっとこれ。
ちなみにそのコンビニ、アルパカの在庫が最近妙に増えた。全然買われない不人気商品で、ぼくが買い出す前は瓶に埃が積もってたのに、最近ピカピカのやつがビシッと並んでるからね。ぼくは個人で1商店の仕入れを左右した。誇らしいね。
こういう話は外ではあまりできない。
端的に言うと、とても嫌みに聞こえるらしいから。やろうと思えば毎日高いお店で食事できるのに、あえてコンビニ飯で庶民アピールか、とね。
昔、部下の皆さんと仲良くなろうと、こういうしょうもないネタを話したことがあるんだ。そのときは「見えなーい」「意外ー」とか笑ってくれてた皆さん。でもその笑顔もぼくがいなくなると消えるんだろうな。想像が付いたよ。皆のあのうっすら困惑した口元。今でも夜思い出しては身もだえる。
でも、一つはっきりさせておきたい。
ぼくはコンビニご飯が好きなんだ。何かのポーズで食べてるわけじゃない。前職の時はそれがごく普通の日常だった。時々同僚とラーメン食べに行ったりしたけど、基本コンビニ。自炊? そんな時間はない。
思えば新卒からの数年間はぼくの生活習慣に意外と強烈な痕跡を残しているね。たとえばタクシー。ぼくはとても苦手なんだ。乗るとひどく後ろめたい気分になる。無駄遣いの極地みたいな。うちの会社の若手の皆さんの方がよっぽど乗り慣れてる。
さて、この充実した食生活も、そろそろ破綻を来そうとしている。
最近ちょっと食べなすぎた。
ここだけの話、すぐそこのコンビニに行くのも面倒なんだ。
じゃあ宅配?
宅配! 言語道断。贅沢の極み。それはまさに犯罪に近い行為にすら感じられる。食事をわざわざ持ってきてもらうなんて!
矛盾していることはよく分かってる。でも、心の底から分かっていながら変えられないから「習慣」なんだ。
よって最近、もっぱら栄養は液体から摂取している。果物から作った赤い液体ね。あれはいい。身体を生かしてくれると同時に精神——この小うるさい塊——を殺してくれるから。
なぜこんな状況に陥ったかというと、ぼくの生活の頼みの綱だった家事代行サービスを解約してしまったから。数週間前に。
というのも、当時はちょっと長旅に出ようと計画していたので。色々と整理しておかなければならなかった。月額課金のやつは特に。ああいうの、携帯も含めてだけど、契約者本人がいないと解約が面倒な場合が多いから。さすがに携帯は最後まで必要になるので切れない。必要でないものは大体切った。
それが色々あって出発をちょっと延期した。結果、困ってる。
ご飯を用意してくれる家事代行サービスはもはやない。
コンビニに行くのはだるい。
赤い液体は頼りになるけど、そろそろ本格的に危険な感じがある。
この状況を打破するために、ぼくは行動にでなければならなかった。
◆
青佳さんと会ったのは、例の騒動があった1週間後。
知子さんのときに少し触れたのでここでは繰り返さないけど、彼女もまた真摯に謝罪してくれた。
解釈違いって怖いね。今のぼくにはよく分かるよ。ぼくも今ではいっぱしの創作者なので!
で、それから時折会ってはいた。地元のレストランでお茶をするみたいな感じで。
気軽でいいんだけど、微妙に周りの目が気になる。
ぼくは半無職。青佳さんは完全無職。平日の昼間にファミレスに集合しても特に問題ないメンバー。
初めは個人経営の高そうな店をネットで調べて予約してたけど、3回目から彼女の方がファミレスに行きたいと言い出してね。
我が地元が誇る世界的イタリア料理チェーン店に行くことになった。
ぼくがSNSやってたら確実に写真あげてたね。
青佳さんの、もう見るだけでかわいさが想像できるほっそりした腕がちらっと映った写真に「おれの彼女はサイ○嫌がらないけど?」とかコメント付けて。
もちろんそんなことはしなかった。彼女ではないので。
それどころか時々周りの視線が痛い。
なんというか、色恋営業にハマった哀れな中年男性っぽい絵柄になってる気がする。
ほんのちょっとだけおめかしした青佳さんはシンプルに、どうみても可愛い。対するぼくはうらぶれた中年。これはもう大体ワンルームマンション押し込まれてる。あるいは保険。株はないな。なんだろう。とにかくそういうアレな営業だよ。
話が逸れたね。
そんなわけで、週1か2週に1回くらいの割合で会ってた。
名目? 1つしかないよね。無職の悩みは。
つまり、再就職の相談。
青佳さん、なかなか次の就職先が決まらないらしい。
正直ありえないと思うんだ。
県トップの国立大学法政経学部をストレートで出て、新卒でうちに入って3年は勤めてる。勤務態度は至って良好。秘書検定だかの資格も持ってる。止めにお父さんは県の上級職員だからね。つまりコネの宝箱みたいなポジションだ。
あ、あともう一つ止めがある。これは大っぴらには絶対に言えないことだけど厳然たる事実。
容姿が抜群にいい。
絶対に言えないけど。でも、皆薄々気づいている通り、これは結構大きな判断基準になっている。絶対に言えないけど。
ぼく個人としては本当に下らない基準だと思う。ただ、営利企業の代表としてはその効果を十分理解できる。
世の中にはこういうことばっかりが転がってる。恐らく地球上に存在する石ころの数よりも多く。
不都合な真実というやつだ。
さて、そんなパーフェクト三沢青佳さんなので、アメリカ資本の「情報で世界を変える」とかがスローガンの超巨大企業に上級職で入りたいとか考えなければ、次の就職先なんて秒で見つかるはずだよ。
うちに戻ってきてくれるなら戻ってきてほしい。いっそ営業職で戻ってくるのはどうか。そんな誘いを口に出しかけたこともある。
でもね、彼女も色々考えて辞めたわけで、代表者たるぼく、しかも元お見合い相手が気軽に踏み込んでいい領域じゃない。
そんなわけで彼女の無職状態は未だ解消されない。
されなかった。
昨日までは。
◆
ぼくの家のダイニングテーブルは、ほぼ1ヶ月ぶりに本来の役割を取り戻した。最近は純然たる物置と化していたからね。
それが今、ぼくの席の目の前に大皿が置かれていて、野菜炒めみたいなのが盛られている。ドンと。
多分豚肉とキャベツともやし。他にも何かキノコが入ってるけどよく分からない。ソース味っぽいのは匂いと色から分かる。
そしてわかめの味噌汁。冷や奴の小鉢。お新香を盛った小皿。
ご飯。
お箸。
ちなみに今日はアルパカくんはいない。彼は冷蔵庫に幽閉されてる。
代わりに缶ビール(ショート缶)が置いてある。空のグラスと共にね。
「ああ、これは、すごいね……」
ぼくは眼下の料理——ここ何年も見たことがなかった家庭の——を眺めながら独語した。呟かざるをえない。
作るのが難しいものではないんだろう。家庭料理だし。でも、料理といったらご飯を炊くことくらいしかできないぼくからすれば魔法に近い行いだ。
最も原始的であるがゆえに最も根源的な魔法。
かつてアフリカの野原で始まり、今日本のマンションのキッチンで展開された奇跡といえるだろう。
こういう感覚はお店で食事をするときには決して味わえない。
ぼくたちがお店で得るのは「商品を購入する」体験だ。魔法はその商品を製造する過程で使用されるものであって、客が目にすることは出来ない。ぼくたちが見るのはたとえば券売機から出てくる食券か、あるいは店員さんが持ってくる伝票。そして完成された料理。
でも、今、ぼくの目の前でそれは展開された。
「そんなことありません。作るのは簡単です。実は難しかったのは量なんですよ。男の人がどのくらい食べるのか、よく分かりませんから。——多ければ遠慮なく残してくださいね、社長」
さらりと言う青佳さん。
髪をポニーテールに纏めているのがまた、ね。
女の人は本当にすごいね。髪型一つで雰囲気がガラッと変わる。
彼女はエプロンを外し、ぼくの対面に腰掛けた。
ニコニコと、いつもの柔らかい笑みをたたえて。
「ありがとう。多分軽く平らげてしまうよ。こんなまともな料理を食べるのはもういつ以来だろう」
ぼくはビールをグラスに注ぐ。いつものようにちょっと零してしまったけど、まあしょうがない。
そして準備万端、お茶碗を持ち、お箸を持ち、メインディッシュに突入した。
キャベツともやしの軽やかな破断感と、豚肉の何とも言えないぐにゃりとした弾力。ソースの味。ここには複雑なものは何もない。「生」は殺されきっている。全てが「物」であることにぼくはこの上ない安心を覚える。
ぼくは「物」を食べている。取り込んでいる。
美味しいかどうかぼくには判断できない。ただ、好き嫌いを問われれば、明白にぼくはこれが好きだ。
「お口に合いますか?」
その問いにぼくは無言で頷き、口内の「物」を飲み下し、ビールを流し込みおえて、やっと答えた。
「とても優しい、暖かい味がするな。青佳さん」
「まぁ! そう言っていただけてほっとしました」
再びぼくは料理に向かい合う。ごはん、野菜炒め、野菜炒め、お新香、ごはん、味噌汁、冷や奴……。延々と。
彼女は何も喋らない。
ぼくもまた。
◆
さて、ぼくは青佳さんの手料理をごちそうになった。
より正確に言おう。
ぼくは彼女の手料理を買った。
何やら怪しげな雰囲気が漂う表現だけど、実際その通りなんだから仕方がない。
こうなった切っ掛けはね、ぼくがちょっとだけ痩せ始めたことに彼女が気づいたところかな。
「最近少しお痩せになりました?」
ファミレスの窓際席で何気なく発せられた一言。
「ああ、うん。どうだろう。うちには体重計がないから分からないな」
「……そうですか。では気のせいかも知れませんね」
彼女はあっさりと引き下がる。
時々ぎょっとするほどガンガン来る青佳さんだけど、普段はデリカシーに溢れている。最近の風潮を鑑みるに、体重とかそういうのは男に対してもセンシティブな話題らしいからね。
「ところで私、今度アルバイトを始めようと思うんです」
ドリンクバーの薄いコーヒーをちょっと口に含み、彼女がさらりと言う。
この間がね。会話の間。
一つのアートだと思う。
「ところで」を発するタイミング。
前の話題が終わったのか終わらないのか判然としない、絶妙なポイントに置かれる言葉。
「それはいいことだね。何をやるのかな?」
ごく自然にぼくは問う。
「家事代行サービスです」
「……」
そしてこうやって、ぼくの意表を突く。
正直言って意外だった。
彼女の家事能力を疑っているわけじゃない。もちろん確信もしていない。実際のところを知らないからね。でも、秘書としてぼくに付いてくれた2年間を見る限り、多分得意、というかそつなくこなすんだろうと想像はできる。
言い方が難しいな。
彼女はマルチタスクがとてもうまいんだ。
ぼくみたいに一つのことを始めるとそれしか考えられなくなる——結果他のことを色々取りこぼす——タイプとは全く異なる。10も20もやることを覚えていて、優先順位を付けて確実に潰していく。何から始めればいいか、何と何を一緒にやれば効果的か、そんなことをごく自然に考えている。
ぼくは昔、本心からその驚異を褒めたことがある。
まぁ彼女には「ありがとうございます。これからも頑張りますね」と微笑でサラリと流されたけど。
穿った見方をすれば、そんなことを(上司に)褒められたところでうれしくなかったのかもしれないね。そんな些細なことを。
でも、彼女の些細はぼくの偉業なんだ。
それをうまく伝える術がぼくにはなかった。
「昔社長に褒めていただいたのを思い出したんです。『三沢さんは混沌とした状況を秩序立てる、抜群の能力があるね』って。おっしゃっていただきましたね?」
よく覚えていたな……。
自分の発言を人の口から聞いて初めて、その鼻持ちならない台詞回しに気づかされるよ。
でも、これまた意外にも彼女は好意的に捉えてくれていたようでね。
「社長に言っていただいて初めて、”私ってそうなんだ”って気づいたんです。それまでは、自分は、ただ当たり前のことを片付けることしかできない人間だと思っていました」
「まさか! その反例がまさに今あなたの前にいる。三沢さんがやっている”片付け”を私は全く出来ないから」
彼女は軽く首を振り、儀礼的にぼくの言を否定した。
「ですから、私の得意なことを生かせるお仕事をしたいなぁ、って」
「なるほど。正社員として本格的に働く前の、ちょっとしたウォーミングアップとしてはぴったりかもしれないね。いいことだよ」
「はい。それでちょっとお聞きしたかったんです。——社長、家事代行サービスを契約なさってますよね。お仕事の様子はどんな感じなんですか?」
申し訳ないがその質問にぼくはお答えできない。
だってサービスが入るのはぼくが不在の時だからね。
先方に鍵を渡してあるので、ぼくがいない時間帯に来て色々やってくれる。防犯上の懸念はもちろんあるけど、先方も大手の会社だからね。これまで長く事業を継続している以上、予防策が色々あるっぽい。
もちろん契約していたこの1年、特に何の問題も無かったよ。
よって、実際にぼくの家を担当してくれた職員さんとお会いしたのは最初の一回くらいかな。50代くらいの、いかにも真面目そうな女性だった。主婦のパートというよりプロフェッショナル感があったね。仕事人、みたいな。
そしてまさに仕事をしてくれた。
「実はよく分からない。実際に家事をやってくれる方は、私が留守の時間帯に来てくれるんだ。だから私が知ってるのは、サービスが入る前の混沌と、入った後の秩序だけだよ。その間は見たことがない」
「そうなんですね。でも、良かった。その方がお互いに気遣いがなくていいですから。実はちょっと怖いなって思うこともあって……」
「怖い?」
「多分そういうサービスを頼まれる人って多忙な男性が多いと思うんです。そうすると、対面の場合、お部屋の中にその方と二人きりになってしまいますよね。……自意識過剰かなって思うんですけど、やっぱり少し」
いや、自意識過剰じゃない。断言できる。
確かにそれは不味いね。非常に不味い。
家事代行サービス頼んで青佳さんが来たら、なんというかね。その、ね。
客もまぁまともな人ばかりだろうとは思う。だけど人間だ。綺麗で清楚で真面目で賢い、若い女性と仲良くなりたいという純粋な感情が生まれるであろう事は想像に難くない。
「ああ、ああ、なるほど。それは確かによくないかもしれない。その危惧はかなりリアルだと思う」
ぼくは彼女の大きな、少し垂れた瞳を見つめながら真心を込めて答えた。
「でも対面でないところがあるなら大丈夫ですね。——あ、社長が契約されているところを紹介していただくことはできますか? それなら絶対安心ですから」
「そうしてあげたいところなんだけど、ちょっと前に解約したんだ」
「何か問題があったんですか?」
「いや、ああ、特には。とてもいいところだったんだけど、なんというか、もう必要がなくなったから」
瞬間錯覚した。
青佳さんの瞳が驚くほどに鋭く細められていると。本当はそんなことはないのに。何と表現すればいいんだろうか。こう、猛禽類が獲物を見つけたときみたいな感じ。
気のせいなのに妙にリアル。
これはあれだろうか。ぼくが何らかのいかがわしい行為——つまり彼女がさっきまで不安視していた類いの——をやらかして出禁になったと疑われているんだろうか。
そうではないと声を大にして言いたいけど、いきなり変な弁明を始めるのは止めておこう。そもそも何もないんだから堂々としておけばいい。
「じゃあ、今はご自分で家事をされてるんですね」
「うん。家事というか、ゴミ捨てはする。それくらいかな」
「お食事はどうされてるんですか?」
「家の近くにコンビニがあるから、そこで買っているかな。最近のコンビニ飯は本当に美味しいよ。お弁当は大体制覇した」
「まぁ! それだとちょっと……身体に悪いかもしれませんね。病気になっちゃいます」
「大丈夫だよ。私はこう見えて意外と頑丈に出来てる。壊すには労力がいる」
青佳さんは答えなかった。
また鷹の瞳だ。あるいは鷲の。
これはあれかな、自傷的な生活に対する無意識の後ろめたさがそう感じさせるのか?
「社長。わたし、アルバイトをしようと思うんです」
「え? うん。そうだね。さっき聞いた」
「家事代行サービスをしようと思います。でも、知らない男性のお家に一人で上がるのは、ちょっと怖いです」
「ああ。うん。ぼくもそれは良くないと思う。これは変な意味でとらないでほしいんだけど、三沢さんはその……一般的に見てとても魅力的な人だから、特に男性客はね。ちょっとこう、変な気を起こす人も出てくる可能性がある……」
「社長もですか?」
ぼくの語尾を鮮やかに断ち切る前のめりな問い。
これ、肯定したらつまり「そういう人」ということになるので、否定するしかない。
「ああ、私は違う。私は大丈夫だよ。あまりそうは見えないかもしれないけど、これでもちゃんとした大人で……」
「まぁ! よかった! それなら安心ですね。社長のお宅なら、私、安心してお仕事ができそう!」
ん? そういう話を……していたかな。我々は。
話の飛躍がないだろうか。大きなものが。
「週に何回伺えばいいですか? 私としては最低週3がいいですね」
「週3。……うちはそれほど広くもないし、最近は片付いてるから週1で十分……」
「でも、それだと毎日のお食事を用意できません。冷凍しても1週間分は無理ですから」
この辺りで気がついた。
ああ、彼女はぼくを心配してくれているんだ、と。
明らかによろしくない食生活を送る中年男。孤独死カウントダウンと見られてる。
ちょうど家事代行サービスのアルバイトをしようとしていたところに、孤独死予備軍の知り合いを発見した。おあつらえ向きなことに代行サービスを頼むだけのお金もある。
その中年は昔からの知り合いで、人畜無害の草食動物であることも分かっている。ゆえに身の危険もない。
確かに変な会社に入って変な客のところに派遣されるよりはよっぽど安心だね。
いいよ。短い付き合いにはなるけど、彼女は元部下でお見合いまで付き合ってもらった仲だ。助けられることなら助けてあげたい。
「分かった。うん。私も三沢さんが来てくれるならこれ以上に安心なことはない」
「ええ! 私、こう見えて家事は得意なんです!」
「じゃあ週3にしようか。それならお給料もそこそこ出せる。今度鍵を渡すよ。あとは、ああ、私の予定も。——不在の時間をちゃんと伝えておかないといけないからね」
昔、つまり彼女がぼくの秘書だった頃みたいだな。あの頃は不在の時間じゃなくて出社の時間を伝えていたのに、それが今度は逆転だ。
そんなことをのんきに考えていた。
「は?」
ちょっとね、青佳さんの口から発せられたとは思えない低声に遮られるまでは。
「在宅の時間をお伝えくださいね」
「なぜ?」
「お仕事のためです」
「だから、不在のときに……」
「対面に決まっていますね? 当然です」
これは本格的に孤独死見守りサービス(人力)な感じなんだろうか。
「でも、その、対面は不安だって……」
「社長はそういうことをされる方なんですか?」
「いや、もちろんそんなことはない」
青佳さんはぼくの答え——論理的に明白に強いられた——を聞いて満足げに頷く。ちょっと誇らしげに。その様が可愛いのがまた良くない。
冒頭言ったのを覚えているかな。不都合な真実というやつ。
採用側として、ぼくはこの不都合な真実に屈した。
「では何の問題もありませんね、対面で」




